11、襲撃と本性
サーベルを携えて本部を飛び出したカイとエーゼルは、ルースの霊証が途絶えた西9区へ向かって走り出した。
「カイ、力を貸せ」
走りながらエーゼルが言った。
「むやみやたらに探しても見付かるはずがない。本人の意識がないんだとしたら、普段通りの追跡の魔術は使えないだろう」
「じゃあ、どうやって?」
「お前それでも魔導師か? レベルの高い追跡をするしかないだろ。痕跡を辿るんだよ」
一言多いのはいつものことだ。エーゼルは一度立ち止まり、外套の内側から小瓶を取り出した。
「これを使ってな」
中には誰の物か分からない、ブロンドの毛髪が一本入っていた。
「何ですか、それ」
「ルース副隊長の髪だ」
エーゼルのストーカー気質もここに極まっている。カイは正直引いてしまいそうになったが、今はそんな場合ではなかった。
「本人の体の一部があれば、その人が辿った経路を可視化出来る。いつも持ち歩いていて良かった」
「……どうやるんですか?」
「とりあえずこれを持て。それで、いつもの追跡の術みたいにやるんだ。掌に乗せて円を描く。早くしろ、俺は苦手なんだよ」
変なところで素直だなと思いつつ、カイは小瓶を受け取る。それを掌に乗せ、ルースの顔を思い浮かべて空中に円を描いた。
「あっ」
青白く輝く球体が、小瓶から出てふわりと宙に浮く。
「下がれ!」
途端にエーゼルがサーベルを抜き、その球体を真っ二つに斬った。
「えっ、そんなことしたら」
カイは言い掛けたが、彼は満足そうな顔でサーベルを鞘に納める。
「成功だ」
二つに分かれた球体は、そのままふわふわと宙に浮いていた。やがてそれらは一つにまとまり、蝶の形へと変わる。そして、人が走るくらいの速度で西へ向かって動き出した。
「追うぞ!」
「えっ、はい」
憎たらしい性格をしていても、こういうところはやはり先輩だ。カイはエーゼルを少し見直した。
蝶を追い、川の音が聞こえる辺りまで近付いて来た。ほとりには低木がまだらに生え、雪の積もった地面には月光が静かに降り注いでいる。周囲に人影はない。
「くそっ、足跡はもう消えちまったか。蝶は……」
低木の陰に浮いている。カイは目ざとく、そこにある地面の黒ずみに気付く。
「あれって」
二人はそこへ駆け寄る。地面の黒ずみは血溜まりのようだった。かなりの量だ。
「副隊長……」
エーゼルはがっくりと地面に膝を着き、血の染み込んだ雪を握り締めた。唇はわなわなと震え、発狂寸前の雰囲気だ。蝶はいつの間にか消えていた。
「副隊長、嘘だろ……嘘だ、あの人がこんなこと、あり得ない……」
「残念だったな。お前たちは一番乗りだが、一足遅かった」
嗄れた声が響く。二人はすぐに顔を上げ、月光を背にしたその人物の姿を捉えた。
黒いローブに、フードをすっぽりと被った男――ルースを刺したあの人物だった。
「何者だ」
エーゼルは途端に冷静さを取り戻し、サーベルを抜き払う。カイも同じように身構えた。
「……ルースも優秀な部下を持ったものだ。私も誇らしく思うよ」
「お前は誰だ。副隊長をどうした!」
「殺した」
フードから覗く男の唇が、にやりと捲れ上がる。サーベルを握る二人の手に、否応なしに力が籠った。
「君たちの尊敬する副隊長も、私の前では呆気なかったよ。つまり、分かるかい。その部下である君たちでは、私には勝てない。退いた方が身のためだ」
男からびりびりと痺れるような殺気を感じる。ただの人間ではない。高い魔力を持っている。経験したことのない状況にカイは一瞬怖じ気付くが、エーゼルは動じなかった。
「誰が退くか。第一隊はそんな腑抜けの集まりじゃないぜ」
「そうか? 横の少年はそうでもないようだが。なあ、カイ・ロートリアン」
「……っ!?」
なぜ自分の名を知っているのか。カイは混乱し、一歩後ずさった。冷や汗が額を伝う。
「そんなに驚かなくてもいい。セルマは元気か?」
「お前……クリシュターか!」
カイははっとして叫んだ。嗄れた声に、黒ずくめの姿。セルマを誘拐しようとした男と特徴が一致することに、今さら気が付いた。
男はふんと鼻を鳴らして、言った。
「そんな名前も使ったな。まあいい、クリシュターということにしておこう。さて、……あの子は医務室か」
「あいつを、どうするつもりだ」
「殺す。ここで喚いても仕方がないさ、カイ。既に私の仲間が本部に向かっている」
セルマは医務室のベッドに、安心しきった顔で眠っていた。自分がこれからどうなるかは分からないが、魔導師は信用出来る。そう確信していたからだ。
「あれっ、ミネさん、非番ですよね」
たまたま医務室を覗いたクロエが、デスクで仕事をしているミネを見て驚きの声を上げる。
「何かあったんですか?」
「あの子がちょっと、冒険してきたみたいだから」
セルマのベッドを見遣って、ミネは笑った。しかし、その顔には疲労の色が浮かんでいる。
「冒険?」
事情を知らないクロエは首を傾げた。
「目を覚ましてたんですか?」
「うん、クロエのいないときに。でも気にしないで、もう大丈夫だから。引き継ぎもしたし、私もそろそろ休まないと」
「そうして下さい。あの子……名前、何ですか?」
「セルマ、だって。やっと私たちを信用してくれたみたいだから、仲良くしてあげて。今後の処遇はロット隊長から指示があるはずなんだけど……」
ミネが時計に目を遣った、そのときだった。
凄まじい音と共に、医務室の窓が一斉に破壊された。ランプが消えて暗闇に包まれた部屋に、冷たい風が勢い良く吹き込んでくる。
窓枠に黒い人影が3つ浮かんでいる。彼らの手元には、何かがぎらりと光っていた。
「逃げろっ!」
医務官の一人が叫んだが、その声は突如としてくぐもった音に変わった。ミネとクロエの目に、跳ね上がる血飛沫、ゆっくりと倒れる体が、まるで影絵のように映った。
「え……?」
茫然とするミネよりも先に、クロエが動いた。彼女はデスク横に備え付けてあった非常用のサーベルを掴み取り、鞘を投げ捨てる。
「ミネさん、セルマを連れて逃げて下さい。私が止めます」
「でも」
「大丈夫です、今は非常事態ですから。……万が一殺したって、正当防衛だ」
低く呟き、クロエは床を蹴って人影に向かって行った。