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Ecphore―闇を巡る魔導師―  作者: 折谷 螢
三章 再生
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8、気高い魔導師

「おい、ロット! どこにいる!」


 数人の足音に続いて、フィズの怒号が洞窟内にがんがんと反響する。

 ルースから連絡を受けたフィズは、第三、第四隊の部下数名と、第二隊の副隊長補佐リゴットを引き連れて洞窟に来ていた。

 リゴットはその優しげな風貌の裏に冷徹さを秘めた男だった。彼ならばフィズが激昂するのを抑えられると判断したイーラが、同行させたのだ。

 第一隊の人間がいないのは、元隊長が犯罪者として捕縛されている姿を見せないようにするための、フィズなりの配慮だった。


「こっちだ」


 小さいが、しっかりした声が奥から聞こえる。フィズたちは声を頼りに開けた場所へ出て、そこで壁にもたれて座るロットと、隣に横たわるエイロンを見付けた。

 殴りかかる勢いでロットに近付き、彼の胸ぐらを掴み上げたフィズを、リゴットが素早く手で制した。


「私情は挟まないとイーラ隊長に約束したはずです」


 フィズは舌打ちし、手を離した。他の隊員たちは警戒しながら素早くエイロンを取り囲む。それを見て、ロットは静かに言った。


「彼はもう動くことはない。安心しろ」


「ルースからは大まかな報告しか受けていない。……お前がやったのか?」


 険しい顔でフィズが尋ねた。ロットがエヴァンズ殺しに加えて更に罪を重ねたとなれば、死ぬまで獄所台の監獄から出ることはできない。

 ロットは首を横に振った。


「彼の顔の傷を見て下さい。オルデンの樹の魔力が、ついには彼の命を奪った」


 フィズは半分が黒くただれたエイロンの顔に視線を落とした。悪夢による悲劇がそこに凝縮されているようで、暗澹(あんたん)たる気分になる。

 だが、かつての精悍な面差しを残した方の顔は、驚くほどに穏やかだった。微笑んでいるかのようにも見える。

 他の隊員たちも言葉を発せず、ただ彼の顔を見下ろしていた。ガベリアを消し去り、リスカスに闇を落とした凶悪な犯人と、目の前にいるエイロンがどうしても結び付かないように感じていたのだ。


「……お前の口から真実を聞きたい。それだけだ」


 いつもより格段に冷静な声で、フィズは言った。ほんの少し前までは、ロットを殴り付けてありとあらゆる罵詈雑言を吐いてやろうと思っていた。しかし彼の凪いだ目を見て、その気が失せた。

 ロットが山の民族の血を引いた人間であることは、ルースから報告を受けていた。その瑠璃色の目が、今回のエヴァンズ殺しの発端であることも。


 ――ロット隊長は確かに罪を犯しました。でも裁きを下す前に、僕たちは彼の苦しみを知らなければならない。魔導師として、過ちを繰り返さないためです。


 報告の中で詳しい内容は語られなかった。しかし、生半可な気持ちで聞けるような内容でないことはフィズにも分かっていた。だからこそ、本人から聞きたいのだ。


「全て話しましょう。彼を、一人の魔導師として丁重に扱ってもらえるなら」


 ロットはエイロンに顔を向けた。


「彼は正義感故に道をあやまった、尊い犠牲者です。それだけは間違いない。私の命を懸けてもいい」


「……世間は許さないと思うが、俺はお前の言う通りにしよう。死してなお侮辱する理由はない。同じ魔導師として、敬意を」


 フィズは目を閉じ、頭を垂れてエイロンのために黙祷した。他の隊員たちもそれにならい、洞窟に沈黙が流れた。

 黙祷が終わると、隊員たちがフィズの指示でエイロンの亡骸(なきがら)を担架に乗せた。


「本当なら、近衛団のものが相応しいんだろうが」


 フィズは自分の外套(がいとう)を外し、エイロンの顔と体を隠すように着せかけた。紺地に銀の糸で刺繍された鷲の姿が、気高い魔導師であったエイロンの功績を示すかのように、微かに光った。


「ありがとうございます、フィズ隊長」


 ゆっくりと立ち上がったロットの頬を、涙が静かに伝った。


「……洞窟の外に運び屋を待たせている。行くぞ」


 フィズはロットの背を軽く押し、洞窟の外へと向かって歩き出した。





 深夜、消灯された医務室の中は静かで、それぞれのベッドはカーテンで囲われていた。時折医務官が部屋を巡回する以外に、動くものはない。

 医務室に運ばれてから一旦は目を覚ました近衛団員たちは、まず仲間が無事かどうかを確認した。そして仲間が無事だと知ると、次に自分が受けた傷を見て言葉を失った。取り乱すことこそなかったが、その衝撃は計り知れないものがある。

 真ん中にあるベッドのカーテンの中で、影が動いていた。次いで、そこから噛み殺したような女性のすすり泣きが聞こえる。


「どこか痛みますか?」


 小さなランプを持ったベロニカが、そっとカーテンの中へ入り込んだ。ベッドの上で身を起こしていたその女性団員は、はっとしたように、自分の頬を拭った。


「ごめんなさい。大丈夫です」


 気丈に振る舞う彼女は、包帯でぐるぐると巻かれた左腕をさっと布団の中へ隠した。彼女は干渉包囲の際に、左手を失ったのだ。


「我慢しないで下さい。その怪我は、近衛団だからといってすぐに受け止められるものではないと思います。……お名前、ちゃんと聞いてませんでしたね」


 ベロニカはベッドサイドの台にランプを置き、側にあった椅子に腰を下ろした。話を聞きたいという意思を示すためだ。

 彼女はもう一度小さくすすり上げ、ベロニカに顔を向けた。よく見れば、まだまだ若い女性だった。短めの前髪のせいかもしれないが、未成年にも見える。


「ウィラ・レクールです」


「レクールって」


 ベロニカは自分の記憶を辿る。リスカスには近衛団長を継ぐ家系がいくつかある。現団長エディトの生家であるユーブレア、そしてガイルス、もう一つがレクールだったはずだ。

 ウィラは頷いた。


「団長を継ぐ家系です。でも私にはまだ、エディト団長のような覚悟はない……」


 彼女は口ごもった。


「あなたは近衛団の中でも、まだ若い方ですよね。おいくつですか?」


 ベロニカは優しく尋ねた。


「19歳です。近衛団に入って、三年になります」


 たった三年で、命懸けの作戦に参加する。魔術の英才教育を受けていたとしても、あまりに過酷な運命だ。

 ベロニカに心を許したのか、ウィラはぽつりぽつりと話し始めた。


「レンドル副団長は、私は今回の干渉包囲から外れるべきだと言ったんです。次期団長が命を落としたら、近衛団はどうなるんだと。でも、そんなことはできなかった。近衛団のみんなは、未熟者の私を温かく迎え入れてくれたんです。その仲間だけを、危険に曝すなんて」


 ウィラは目元を拭った。


「こうなったことに、後悔はしていません。でも、でも……」


 拭う手の間から、彼女は大粒の涙を溢した。


「もう前のようにサーベルは握れない。こんな手じゃ」


 ウィラは左利きだったようだ。ベロニカは彼女の背中をさすりながら、言葉をかけた。


「今は魔術で元に戻せないかもしれないけど、ガベリアが甦れば、何か変わるかもしれません。その傷も、オルデンの樹の魔力によるものだから」


 ぼんやりとした予想ではなく、ベロニカにはその確信があった。実際に治療をする中で感じたのだ。樹が理性を取り戻しさえすれば、禍々しい彼らの傷を元に戻すことが出来ると。


「私たちは、ガベリアへ向かった彼らと、セルマを信じるしかないんです」


「もちろん、信じています」


 意外にも、ウィラは凛とした声で答えた。


「信じていなかったら、私たちは皆、これほどまでに命を懸けたりはしません」


 そのときだった。

 騒々しい足音と、扉の開く音。続いて、切羽詰まった声が医務室に響いた。


「レナ医長はどちらですか!」


 ベロニカが慌ててカーテンの外に出る。入口に、第二隊の隊員がいた。


「何事ですか?」


 常に冷静な第二隊の人間がこれほど焦るとは、尋常ではない。隊員は声を落とし、早口に言った。


「とにかく、急いで隊長室に来て下さい! イーラ隊長が倒れました」

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