4、伝言
レナは視線をベロニカに向けたまま、黙っていた。冷静な表情を繕ってはいるが、椅子の肘掛けを握る手には微かに力がこもっている。
「……それで?」
ややあって、先を促した。
「私が知っていると答えると、フリムさんはあなたについて詳しく話を聞きたがりました。歳はいくつくらいで、どんな人物なのか、いつから自警団にいるのか、その他にも色々と。厚かましいのは承知の上で、言わせてもらえるなら――」
ベロニカの言葉が徐々に、熱を帯びてくる。
「私には分かるんです。彼女がなぜ、そんなことを知りたがるのか」
「大した理由はないと思うが」
レナはそう受け流すと、ベロニカから目を逸らし、深く椅子にもたれて俯いた。
「ただの興味本位だろう」
「医長」
ベロニカは机に一歩近付き、そこに手を着いてレナの方へと身を乗り出した。
「私は医長のことを心から尊敬しています。だからこそ何でも知りたかったし、ちょっと際どい手を使って実際に調べたりもしました。調べて、知ったんです。フリムさんの母親は医長だということを」
「……だったら、なんだ」
レナは俯いたまま、呻くように声を漏らした。
「事実そうだとしても、今の私は母親じゃない。とうの昔に母親と名乗る資格なんて失くしている」
「冗談を言わないで下さい。フリムさんが産まれてから24年間、医長はずっと側で見守り続けたじゃないですか。彼女は、気付いていましたよ」
ベロニカは白衣の内側から一通の封筒を取り出し、レナに差し出した。薄紅色のその封筒には、綺麗な字で『私のお母さんへ』と書かれている。
「彼女から、これを預かってきました。いつか、医長に会えたら渡したかったそうです。受け取って貰えませんか?」
レナはしばらく無言でその封筒を見つめていたが、やがてゆっくりと手を伸ばし、それを受け取った。
お母さん――その文字がレナの胸を締め付けた。今まで一度も、フリムからそう呼ばれたことはない。それどころか、周囲の誰にも。
レナは目頭が熱くなるのを感じながら、封を切る。そこに書かれているのがどんな罵倒であっても、恨み辛みでも、フリムが自分へ向けて綴ってくれた言葉だ。無視することなど出来なかった。
手紙にはこう綴られていた。
レナ・クィン様
あなたを初めてお見掛けしたのは、もう十年以上も前のことになります。私がスタミシアの親元を離れ、キペルの銀細工職人に弟子入りした日のことでした。
街中で起きた倒壊事故の現場に、たくさんの医務官が集まっていて、その中で一際目立っていたのがあなたです。なんて奇抜な容姿の方だろう、と思いました。
でも、あなたは先頭に立って指示を出し、次々に患者を助けていく。すごい人なんだなと、子供だった私はただただ、尊敬の眼差しであなたを見ていました。
あなたは覚えていないかと思いますが、そのときに一度、目が合ったのです。大きくて、丸い目。私は不思議と、鏡を見たような気持ちになりました。
育ててくれた両親が産みの親ではないと、私は知っていました。キペルへ行く前に、母が教えてくれたのです。
本当は話してはいけないことになっているけど、あなたには実の母親がいて、その人は今でも変わらずあなたを愛している――と。
私を手放した理由は、教えてくれませんでした。それでも、嬉しかった。私を産んで、善良な両親の元へ預けてくれたこと、今でも私を思ってくれていること。私を守るために、あなたが二度と私に会わないことを決めたとも聞きました。
それからは鏡を見て、あなたの面影を探す毎日でした。目の形、髪の毛、鼻の高さ……、笑ったときのシワなんかも、きっと似ているのだろうと。
そんなときに、あなたと目が合ったのです。胸が高鳴りました。他人からしてみれば、私はあなたの奇抜な容姿に似ても似付かないと言われるかもしれない。でも、その直感は間違っていないと思いました。
自警団の優秀な医務官で、名前はレナ・クィン。私が得られた情報はそれだけでした。近くにいるのに全く近付けなくて、もどかしい思いでした。そもそも、私の勘違いかもしれないし。
病気になれば会えるかもと思っても、私は至って健康で、風邪一つ引いたことがありません。だから、あなたは怒るかもしれませんが、わざと火傷をして病院に行ったこともあります。残念ながらあなたに診てもらうことは出来ませんでしたが。
職人として王宮に出入り出来るようになってから、あなたについて少し知ることが出来ました。近衛団の方たちの会話から、あなたが一時期現場を離れていたこと、それが私の生まれた時期と近いということ。容姿が奇抜に変わったのは、それ以降ということも。
私は近衛団に頼んで、あなたの昔の写真を探しました。王宮の装飾品を作るのに、昔のものを参考にしたいと嘘を吐いて。そして、見付けたんです。
何かの記念パーティーの写真でした。髪は長くて、眉毛もある、あなたの姿。私は確信したんです。やはり、あなたが私の母親だと。
勝手なことをしてごめんなさい。詳しい理由は分からないけれど、あなたは私を守るために側を離れたのに、自分から近付いてしまいました。
いつか、一度だけでもいいのです。あなたをお母さんと呼ばせてくれませんか。私にフリム――宝物――という名前を付けてくれたあなたを。私が望むのは、それだけです。
フリム・ミード
手紙を持つ手が震える。嗚咽を堪えようとすればするほど、レナの視界は涙で曇っていった。
「……私が育てていたら、こうはなっていないだろうな」
椅子を回転させてベロニカに背を向け、レナは細い声でそう言った。それを見たベロニカの頬にも、涙が一筋伝っていた。
「私は……医長がフリムさんのことをずっと隠してきた理由を知っています。バジスさんが口を滑らせたのを、聞いたんです。もちろん誰にも言っていませんし、拷問されたって言うつもりはないですけど」
獄所台が絡んでいるわけですから、とベロニカは声を落として付け加えた。
「フリムさんは今、スタミシア支部にいます。安全は確保されているので安心して下さい。言伝てがあれば、私が届けますので」
「そうだな」
レナはそう言うと、魔術でフリムからの手紙を跡形もなく燃やした。
「えっ」
「フリムの言葉は受け取った。だが、証拠を残すことは出来ない」
驚くベロニカに体を向けて、レナは言った。目は赤いままだが、表情は凛としている。
「ここまであの子を守ってきたんだ。私の一時の感情で、危険な目に遭わせるわけにはいかない。……ベロニカ、あの子に一つだけ、伝言を頼みたい」
「はい」
「1日だってお前を忘れたことはない。私の愛しい、大切な宝物だ、と」
レナは立ち上がり、早足に部屋を出ようとする。
「医長!」
「フリムには会わない。あの子がどんなに望んでいても。それが私の覚悟だ」
きっぱりと言い切り、レナはドアの向こうへと消えた。