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わたしの夫は可愛い


 お父さまの執務室に呼ばれたのは、五人目の不埒な男を撃退した後だった。


「ラザフォード侯爵ですか?」

「そうだ。ラザフォード前侯爵夫人からお話を頂いてね」


 男どもをやや過剰に撃退したことを怒られるのかと思えば、お見合いの話だった。内心ほっとしながらも、余計な怒りを誘わないように神妙な顔をして座っていた。


 わたしは伯爵家の次女で17歳だ。まだ婚約者も恋人もいない。

 兄と姉がそれなりの家と縁を結んでいたため、政略結婚の必要はないと言われていたが、ここ最近のわたしの評判の悪さにお父さまも危機感を覚えたようだ。


 どこの誰が言い出したか知らないけど、電撃の魔女なんて言われている。わたしの魔法なんて大したことないのに。本当にわたしに言い寄ってくる男はろくな奴がいない。


「お会いした後、嫌だと言ったら、お話はなかったことになりますか?」

「もちろんだ。それは相手側にも言える」


 じっとりと責めるような視線に思わずそらした。お父さまは大げさにため息をついた。


「お前はそうやって黙っていれば、母に似て美しいのにな」

「外見だけで寄ってくるような人はお断りです。特に夜会などで暗闇に引きずり込んで事に及ぼうなんて最悪です」

「だからといって、雷で撃退するのも……」

「わたしが使える雷は静電気程度です。死にはしません」


 澄ました顔で言ってやれば、再び大きくため息をつかれた。


「とにかく、顔を合わせた後に決めるがいい」


 顔合わせを断ることはできなかったなと思いつつ、部屋から退出した。自室に戻って侍女にドレスの相談をする。


「そうですね。お会いする場所が庭園であれば、落ち着いた色の方がいいかもしれません」

「そう? では任せるわね」


 着るドレスは侍女に丸投げした。わたしはドレスや宝飾品にあまり興味がないので、いつも侍女に任せていた。


「ラザフォード侯爵ねえ」


 お見合い相手のことをじっくりと考える始める。それなりに夜会に出たり茶会に出たりしているので、ラザフォード侯爵がどんな人なのか、噂は聞いていた。 


 ラザフォード前侯爵の庶子で、母親は平民並みの魔力しか持たない男爵家の令嬢。

 それゆえ、髪の色は薄い茶色で、瞳も薄い緑。


 平民と変わらない色合いを持ちながら、魔力は王族をしのぐ。

 能力はとても高く、王族からの信用も厚い。


 誰でも知っているような内容だ。一度だけ、夜会で遠目で見たこともある。沢山の女性に囲まれていたにもかかわらず、興味なさげな態度をして立っていた。口元に笑みさえも浮かべていなかった。常に無表情で感情が全くうかがえない。

 前髪が長く顔立ちがはっきりと思い出せない。後ろの髪は適当に括られていたような気がする。


「お嬢さまはラザフォード侯爵様をご存じなのですか?」

「うん? そうね、一度だけ夜会で見かけたことがあるわね」


 侍女がお茶を用意しながら聞いてくる。


「使用人たちの間でもラザフォード侯爵様は有名ですよ」

「そうなの?」


 驚いて思わず侍女を見た。侍女はにっこりとほほ笑む。


「ラザフォード侯爵様は本当は甘いお菓子が大好きのようです。でもそれを隠しておきたくて、流行りの店の菓子を大量に買ってきてはさも苦手そうにして使用人たちに処分を頼むのだそうです」

「えええ? 普通に食べればいいじゃない」

「男性ですもの。お菓子を食べるのはおかしいと思われる方もいらっしゃいますから」

「そんなものかしらね」


 ふうんと頷きながら、彼の周りにいた令嬢たちを思い出す。彼女達なら確かに馬鹿にしそうだ。どちらかというと、彼自身を辱めるために男は菓子など食べないと言いそうだ。


 他の令嬢達が言うような、彼の持つ色は特に気にならなかった。現実問題、色を持っていてもわたしのように平民よりは多くの魔力を持っていても、役に立たないことの方が多いのだ。実際に王族が信用するほどの力を持っているのだから、髪と瞳の色でバカにするのも違う気がした。


「楽しみですね」

「うん。そうね、一度話してみたらどんな人かわかるわね」


 ちょっとだけ会うのが楽しみになっていた。



******


 顔合わせに指定された場所は人気の庭園だった。花は美しく咲き誇り、咽返るほどの甘い香りが漂っている。茶会でこの庭園の素晴らしさを聞いていたが、話以上に素敵な所だった。


 その庭園に用意された席に大人しく座って待っていた。


「いいか。くれぐれも、くれぐれも雷で攻撃などしないように。イラっとしたら、ひとまず深呼吸をしろ」

「大丈夫です、お父さま。わたしも流石に場所をわきまえています」

「そうだ、冷静にだ。冷静に」

「お父さまこそ、落ち着いてくださいませ」


 わたしの母はすでに亡くなっているので、父と二人で席について待っていた。伯爵であるのでお父さまもこういう席に慣れているはずなのだが、やはりお見合いになると違うのかもしれない。いつもよりも落ち着きなく、お茶を飲んでいる。


「到着したようだ」


 顔を上げれば、若い男性と年配の女性が庭園に入ってきた。男性の方がラザフォード侯爵のようだ。


「付き添いに来ている女性はどなた?」


 確認のためにお父さまに聞けば、お父さまは小さく頷いて教えてくれる。


「ラザフォード前侯爵夫人だ。彼の義母にあたる」

「仲がいいのね」


 ラザフォード侯爵が庶子であるから、前侯爵夫人にしたら愛人の息子だ。許容できない存在だろうにそんな素振りはない。どちらかというと親しげに見える。実の親子だと言われても不思議はないぐらいだ。


「さあ、出迎えよう」


 お父さまに促されて立ち上がった。

 こちらに近づいてくる彼をじっと見つめていれば、その視線が合った。

 薄い緑の瞳がわたしを見て、大きく見開かれた。


 あまりにも真っ直ぐな眼差しに思わず頬が染まる。

 何か言ってほしいと思いながらも、息をつめた。


 それは彼も同じようで、微動だにしない。


 あれ?

 鼻血?


 硬直したかと思えば、徐々に顔が真っ赤になっていき、そのうち鼻血が流れてきた。

 あまりのことにどうしていいかわからなくなってしまう。


 ゆっくりとした仕草でハンカチを探しているので、わたしは自分のハンカチを取り出してそっと差し出した。


「どうぞ」

「汚してしまう」

「わたしの手慰みに刺したものですから、お気になさらずに」


 そう言えば、ようやく受け取ってもらえた。だがハンカチで拭いたぐらいでは血は止まらない。どうするのだろうと思ってじっと見ていたら、隣にいた前侯爵夫人がため息をついて、彼の鼻に布を突っ込んだ。


 その早業にも驚いたが、嫌な顔をしない彼にも驚いた。鼻に布を詰められても特に文句を言うこともなく、平然とした様子でわたしを見つめてくる。


 あら、どうしよう。


 お腹の底から笑いがこみあげてくる。

 わたしの後ろからお父さまが必死にこらえろと視線で伝えてくるが、だって可笑しいじゃない。

 それなりの整った容姿をした彼が鼻栓をして真面目に立っているのよ。それによく見れば、肌は滑らかで男性の割には線が細い。髪が邪魔して顔立ちははっきりしないが、それでも整っていることがわかる。

 きっとあの野暮ったい髪をすっきりさせれば、驚くほど美形になるに違いない。


 これ以上黙って見つめ合っていたら、噴き出してしまいそうで、小さな笑みを浮かべて先に挨拶した。


「初めまして。ドルーテン伯爵の次女、パトリスです」

「ロイド・ラザフォードだ。侯爵家当主を務めている」


 生真面目そうな口調で彼も名乗る。


 彼の中でわたしはどんな感じに見えたのだろう。

 悪い印象はないと思いたい。

 こんなにも見つめているんですもの。

 きっと好印象だわ。


 想像とは異なるどこか可愛い感じの彼に胸はときめいていた。今まで接したことのないタイプの男性で、しかも彼はいやらしい目で見てこない。大抵の人はわたしの胸に釘付けだからね。


 普通ではない熱量の眼差しを受け止めると、にこりと笑ってみせた。


******


 部屋の中を見回して、ため息をついた。


「お嬢さま、今日はこちらの贈り物が届きました。今夜の夜会でつけてほしいそうです」


 沢山の箱で姿が見えないが、奥の方に侍女がいる。そして今日届いたと言う複数の箱をわたしの前へと運んできた。


「今日は何が届いたの?」

「首飾りと耳飾りですね。お揃いの大ぶりの宝石が使われています」

「うわー。また高そうね」

「そうですね。希少価値の高い宝石が使われているようです」


 とりあえず贈られた宝飾品を見て、すぐに箱に仕舞った。


「これ以上はいらないわよね。今夜、迎えに来た時にいらないと言ってみようかしら?」

「言い方に気を付けないと。すごくショックを受けてしまうかもしれませんよ」


 婚約して付き合い始めてまだ日が浅いが、彼が女性慣れしていなくて、わたしの一言に一喜一憂することはわかっていた。側で見ていても、何を考えているのかわかりやすくてとても可愛い。


「世の中の女性は彼の良さがわからないなんて、勿体ないわね」

「わからないから、お嬢様に巡り合う機会があったのでは?」


 そう言われてしまえば、そうだなと頷いた。

 本当に奇跡的な巡り合わせに感謝したい。


「ではそろそろ支度をしましょう」

「そうね、お願いするわ」


 今夜の夜会の準備を始めた。


 侍女に任せながら、これ以上の贈り物をやめてもらうための言葉を考える。

 以前、毎日送られてくる花で部屋が溢れてしまったので、しばらくやめてほしいと言えば、この世の終わりのような絶望した顔になった。

 がーんという音さえも聞こえてしまいそうな顔に、ついつい笑みがこぼれてしまう。


 侯爵という身分にいながら、どうしてこんなにも可愛いのだろうか。

 富に対するがめつさも、色欲のような感情も見られない。

 エスコートも紳士的だし、まだ手を繋ぐくらいしかしていない。


 でも最近それでは物足りなくなっていた。

 できれば、もっと熱い視線で見てもらいたいし、抱きしめてもらいたい。

 キスだって……。

 結婚前に契るつもりはないけれど、それでももっと彼の熱を感じたいと思う。


 でもこれは女性からは言えないことで、どうにもならない思いでため息をついた。


「さりげなく腕を抱きしめて上目遣いをして見たらどうですか? お嬢さまの胸なら、男性は一発で落ちてしまうと思います」

「それはもうやってみたわ。真っ赤になって、固まってしまったの。正気に戻す方が大変だった」

「もしかしたら、女性に慣れていないのでしょうか?」

「そうかもしれないわ」


 女性との付き合いも分かっていないようなところもあり、それでも一生懸命に考えて行動しているのが嬉しい。今の彼が好きだからもっと先に進みたいけど、こなれた彼は見たくない思いもあり……。


「はあ、悩ましいわ」


 侍女はくすくすと笑いながらわたしの髪を梳かし始めた。



******


 今夜の夜会はラザフォード侯爵家とあまり仲の良くない貴族家であるとは聞いていた。ぴったりと威嚇するようについて回るロイドが連れていかれて一人になると、なるほどと納得する。


 一人で目立たぬように壁際にいたにもかかわらず、四人の令嬢に捕まった。


「その体で媚びたわけね」


 じろじろと人の胸を見ながら、中心にいる令嬢が言う。わたしはやれやれと内心ため息をついた。こういう嫉妬まがいの言いがかりは面倒くさすぎる。


 ロイド様は庶子の上、侯爵家の色を持っていないことで、女性に嫌われていると思い込んでいるが実はそうでもない。色が気に入らなくとも、彼の実力は本物で、さらには侯爵家の当主だ。悪口を言っている令嬢はどちらかというと相手にされなくて嫌がらせをしているに過ぎない。多分愛情の裏返し。ただ、そんな複雑な乙女心何て彼には通用しないし、理解できない。


「申し訳ありませんが、失礼します」

「ちょっと待ちなさいよ!」


 腕を掴まれて引きずられるようにして連れていかれたのはバルコニーだった。人の目につきにくいこの場所で何をされるか、少し警戒する。最悪、ばちっと雷でも落とすかと考えていると、びりっという音がした。


「え?」

「あら、破れた方が娼婦にはお似合いじゃない?」

「本当だわ」


 四人の令嬢はくすくすと笑い始める。わたしはドレスを見下ろした。ロイド様が選んだドレスが無残にも破れている。

 中心になっている令嬢がさらにヒールを引っかけて、穴を大きくした。


 その様子を唖然として見ていた。確かに嫌がらせの種類としては、ワインを零すことや、水をかけることなどがあるが、まさか夜会の席でドレスを破られるとは思っていなかった。


 唖然とし過ぎて、行動できずにいると、低い声が聞こえた。


「パトリス」

「あ、ロイド様」


 まずいところに戻ってきたようだ。この状況をどう説明しようかと、視線をうろつかせた。わたしでさえ、現状に衝撃を受けて固まっていたのだ。これを見たロイド様がどんな行動に出るか、わからなかった。


 婚約する前に聞いていた噂がふと思い出される。


 もしかしたら、ロイド様は見て見ぬふりをするかもしれない。

 彼はいつだって嘲笑を無視してきた。嫌がらせされても何事もなかったかのように無視していると聞いている。それがまた嫌がらせの行動を激化させているのだけど。


 今のこの状態をなかったことにされたら、わたしはどう思うだろう。

 ちょっとだけ浮ついた気持ちが冷えた。


「どういうことだ?」


 予想に反して、ロイド様は唸るように聞いてきた。わたしは瞬いて素直に答える。


「見たままですわ」

「なるほど」


 納得しているのかどうかわからない表情で頷いて見せると、彼はわたしの手をそっと取った。そして、四人の令嬢になんだか怖いことを色々言っている。令嬢たちは真っ青になって言い訳をしているが、ロイド様は見逃すつもりはないらしい。


 彼の腕に優しく抱き留められながら、守られていることを実感した。


 この人なら大丈夫だ。

 何があっても守ってくれる。


 それが嬉しく、胸が熱くなった。








 結婚式の日。


 準備された純白のドレスはとても美しかった。

 ロイド様が選んだドレスだが、彼がわたしをどう見ているのかわかる。


 彼にとってわたしはとても綺麗なものに映っているのだろう。

 最近、それがとても辛く感じる。


 わたしは綺麗でも何でもない、普通の女だ。

 心だって狭いし、悪口だって言う。

 ロイド様が「俺の女神」と言うたびに、ひどく後ろめたく感じた。


 結婚する日にこんなことを口にするのもどうかと思う。

 式が終わり、夫婦の時間となった。


 これから夫婦の契りが交わされる。


 その前に。

 はっきりさせておきたかった。


「ロイド様」

「なんだ?」


 萎む勇気にぎゅっと手を握りしめる。


「ロイド様、聞いてください」

「聞く?」


 不思議そうに首を傾げた。彼をじっと見つめて、声が震えないように自らを叱咤する。


「わたしは心の広い女でも、優しい女でもありません。貧乏は嫌だし、人に貶められるのは嫌い。嫌いな人間もいるし、許せないことだってある」


 何を言い出したのか理解できないのか、ロイド様は不思議そうにわたしを見ている。


「わたしは普通の女なの。ロイド様のいう女神ではないの」


 とうとう言ってしまった。

 幻滅するだろうか。

 今まで騙したのかと憤るだろうか。


 しばらく沈黙していたが、それが辛くなってきた頃。


 彼が両手でわたしの手を包み込んだ。


「パトリスは俺だけの女神だよ。君だけが俺を普通に見てくれる。それが嬉しかったんだ」

「ロイド様」

「俺はみんなに等しく優しい女神が欲しいわけじゃない。俺だけを愛してくれるパトリスが欲しいんだ」 


 涙がこぼれた。

 彼に抱きつくと、思いっきり泣いた。

 なんでこんなに涙が出るのかわからないけど、なんだか泣きたかった。


 どれくらいそうしていただろう。


「パトリス」

「は、はい」


 鼻をずるずると啜りながら、顔を上げる。


「あの、そろそろいいだろうか? その、俺も普通の男なわけで……。今日までは何とか我慢してきたけど……」


 もごもごと要領の得ないことを言われて、思わず涙が止まった。


「愛しています」


 彼の首に両腕を巻き付けると、そっと彼の唇に自分のを押しあてた。







 その後、二人の息子に恵まれた。彼はわたしを子供と取り合って、毎日のように戦っている。

 結婚して10年後にはわたしにそっくりの女の子が生まれた。


 彼も息子たちもおかしいぐらいに娘を溺愛する。

 その様子を見ながら、なんて幸せなんだろうとしみじみと思った。


「お母さま!」

「なあに?」


 過保護な兄たちから逃げてきた娘がわたしのところへと駆けこんでくる。


「わたしはお父さまみたいな男性と、お兄さま達のような男性を絶対に好きになりません!」

「あらそう?」

「そうです。だって鬱陶しいんですもの!」


 10歳になった娘はぷりぷり怒っている。

 それでもきっと。

 彼女は似たような男性を連れてくる。




 そんな予感がした。


Fin.







最後まで読んでいただいてありがとうございました。

楽しんでもらえたのなら、嬉しいです。


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