幸せの日々と少しの陰り
俺たちの結婚生活はとても穏やかで温かかった。
パトリスは義母ともうまくやり、徐々に侯爵夫人としての役割をこなせるようになっていった。俺は安心して侯爵家を預け、仕事に向き合える。
「いっていらっしゃい」
「ああ」
「今日は早く帰ってきてほしいの」
「わかった、調整しよう」
そんな何気ない会話がとても嬉しい。
毎日浮かれた気分で城に行けば、鬱陶しそうに俺を見る王子がいた。俺の部屋なのに、勝手に入り込んで好き勝手やっているのが、今は気にならない。
「もう半年経つと言うのに、もうちょっと締まりのある顔をしろ」
「まだ半年です。不機嫌よりもいいじゃないですか」
王子はため息をつくと、椅子に座るようにと手で示す。
「浮かれているところに水を差すようだが、戦争になるかもしれん」
「は? 戦争?」
ほわほわした気分が急激に冷えた。信じられない気持ちで目の前に座る王子を見る。王子はため息をついた。
「この国はいつだって狙われているからな。既に前の戦争から10年以上経っている。あの国も力が戻ってきたのだろう。国境線で兵が集められている」
戦争は俺にとってもあまりいい意味を持たない。沢山の兵士が死んだと言うのもあるが、俺の異母兄たちが死んで、俺の自由を奪った原因でもある。
ただ、今になってみれば、パトリスと出会えたのだから悪い物ばかりではない。
「この国だって防衛は強化されて、兵も育っています。万が一が起きても、負けはしないはずです」
淡々と事実を話せば、王子が渋い顔をした。いつもと違う反応に俺は目を細めた。
「…………敵国が新しい武器を開発したと言ったらどうする?」
「新しい武器?」
「そう。連続して大型の攻撃魔法を打てる装置だそうだ」
「そんなこと、あり得るのか」
唖然として呟いた。
そもそも魔法とは人の体の中に作られる魔力を元に現象を起こす。
攻撃魔法と言われるものも同じで、自分の中にある魔力を糧に大きな火を飛ばしたり、風を起こしたりする。だから連続して大型の攻撃魔法を打てる魔道具など、理論上作れるが実現するのが難しい。それだけその魔道具に魔力を注ぐ必要があるからだ。俺が王族以上に魔力を持っていたとしても大型の攻撃魔法を沢山打てるかといえば、やはり限界がある。
「もしその装置が動いたとしたら、結界が破壊されるのか?」
「可能性は十分。そこで、ロイドには今の結界をさらに強固にする仕組みを検討してもらいたい」
この日から研究の日々を送るようになった。
******
「あのね、子供ができたの」
仕事もそこそこに家に帰れば、パトリスが出迎えた。彼女はとても恥ずかしそうにそう告げた。完全に不意打ちで、考えてもいなかったことだったために呆けてしまう。
「もしかしたら、とお義母様に言われて、今日お医者様に見てもらったの」
「本当に?」
「ええ。ここにいるのよ」
そっと手を取られて、彼女の下腹に導かれる。まだ何の変化もない薄い腹であるが、ここに命が宿っているという。
「こうしてはいられない!」
俺は素早く自身に身体強化の魔法をかけて、彼女を横抱きにした。
「え? ロイド様、どうしたの?!」
「廊下に立っているなんて、冷えてしまう! 部屋に戻ろう!」
「これから夕食を……」
「部屋に運ばせる」
彼女を抱き上げ、そのまま夫婦の寝室へと向かう。だが簡単には行くことができなかった。
「いい加減になさい。妊娠は病気でも何でもありませんよ!」
俺の足を止めたのは義母だった。
「義母上。どいてください。これは夫婦の問題です」
「夫婦の問題とか大げさな。大体これぐらいで大騒ぎしてどうするの。これからもっと大変になっていくのに」
「大変になっていく?」
恐ろしいことを聞いた。顔から血の気が引く。
「ロイド様、大丈夫ですか? 顔色が……」
「義母上。大変とはどういうことですか?!」
パトリスを抱き上げたまま、義母に詰め寄れば、義母は目を細め意地悪気に微笑んだ。
「ふふ、知りたいのならちゃんと夕食を取りなさい」
「それは部屋で!」
「パトリスの日常通りに過ごさせることが、妊娠には重要なことです」
「しかし」
渋る俺に義母はふっと笑った。
「わたくしの言うことが信じられないと言うの? わたくしは二人も産んだ経験者です。経験したことのないお前に何がわかると言うの?」
そう言われてしまえばその通りだ。仕方がなく、本当に仕方がなく部屋に行くのは断念した。
パトリスの心配をしつつ、食事を終える。食後はサロンに移動し、座り心地の良い長椅子に腰を下ろした。隣に座るパトリスをじっくりと見つめた。気分はいいのか、頬はバラ色で口元には笑みが浮かんでいる。
子供を宿した女性は美しいものだとぼんやりと見つめていた。
「ロイド、言っておきますが過保護すぎてもパトリスにとってよくありません」
「ですが、このような華奢な体で子を宿しているのですよ? 歩くことさえ大変に違いない」
「だからこそです。普通に生活ができるようにするのが夫の役目です」
普通の生活。
パトリスを見た。彼女は小さく頷いた。
「わたしもあまり閉じこもっていると気分が塞いでしまいます。無理はしませんから、自分ができることはしたいです」
「しかし……」
「心配しなくとも、わたしの仕事はお義母様がついていてくださいます。大丈夫です」
にこりとほほ笑まれて、ダメとは言えなくなった。子供が生まれるまで部屋で静かに暮らしてもらいたいと思ったが、閉じ込めてしまうのは本意ではない。やはり伸び伸びと色々なことをしている彼女を見ることが好きだ。
「護符を作る。それをずっとつけていてくれるのなら……」
「護符ですか? ロイド様が作ってくれるの?」
「ああ」
パトリスが嬉しそうに破顔した。その笑顔が眩しすぎて、目が細くなる。
ああ、これほど喜んでくれるのなら早めに作ればよかった。
俺は自分の力の限り、完璧な護符を作ろうと心に誓った。