ラザフォード侯爵家
18歳の時に父親が亡くなり、他の兄妹もいないことから俺は侯爵家の当主となった。
父親が侯爵だったから当然だと思うかもしれないが、それは違う。
俺は庶子だ。
俺の母は侯爵家の侍女をしていて、酔った父親に手を出されて生まれた子供だった。母は父の正妻を気にして、侍女を辞めると女手一つで育ててくれた。貧しいながらも、幸せな毎日だった。
普通に育って、普通に生活して、普通に幸せになってほしい。
元々平民に近い生活をしていた男爵家の令嬢だった母にとって、普通の幸せが目標だったのだろう。俺を孕まなければ、幸せな結婚ができたはずだ。それなのに望んだ子供でない俺に母はたっぷりと愛情をかけて育ててくれた。母は俺にも普通の幸せを願っていた。
ところが俺は侯爵家特有の能力を授かっていた。
見た目は平凡な母に似て、色素の薄い茶色の髪に、薄い緑の瞳をしているのだが、魔力の保有が異常に高く、魔法も一目見ただけで身につけられるほどだった。
本来ならば、正当な侯爵家の血筋に現れるはずの能力を、平凡な見た目の俺が受け継いでしまった。
この世界では王族や貴族といった人種は、金髪、銀髪、黒髪といった色合いを持つ者が多く、これは魔力が多いからだと言われていた。茶色の髪に薄い色味の瞳はどちらかというと平民に多い色合いで、魔力は生活に使う程度にしかない。
だから一目見ればどれぐらいの魔力を持つかというのはすぐにわかるとされていた。
そんな事情から平民の色である俺が王族と同じぐらい、下手をしたらそれ以上の魔力を持つことはいいことではなかった。まだ髪の色が父親に似て金髪であればよかった。だが、俺は母に似た薄い茶色だ。
俺が簡単に魔法を使うところを見たときの母の絶望したような表情を今でも忘れない。感情が抜け落ちてしまったかのような表情は幼い俺にはとても恐ろしいものだった。
「魔法を使ってはダメよ」
「誰かに気がつかれたら一緒に暮らせない」
「魔法なんてなくても生きていける」
それが母の口癖だった。突然のように自分に言い聞かせるようにして言ってくる。
世の中の事情を幼いうちから気がついていた俺は、母の言いつけ通りに魔力を自分自身の中に押し込めた。魔力を片付ける箱を作るようにすれば、すんなりと隠すことができた。
魔力を隠すことは俺が平民に埋もれるためには必要なことだった。魔法も使えば便利だが、魔法が使えることがバレるのが嫌でほとんど使わずに生きていた。何よりも愛情を注いでくれる母と一緒にいたかった。
慎ましやかな生活を送っていたが、10歳の年に母が病に倒れた。
「母さん!」
「大丈夫、ちょっと眩暈が……」
それっきり、母は寝込んでしまった。家にあるありったけの金をかき集めて医師に診てもらった。
「過労と栄養失調?」
告げられたのは病名でも何でもなかった。低い賃金で二人で暮らしていくために無理をし過ぎた結果だった。楽ではない生活は母の体をゆっくりと壊していた。
「無理をせず休養して、栄養のあるものを食べたら元気になる」
医師も無理だとわかっていながら、対処法を教えた。
日に日に弱っていく母を看病し、日銭を稼ぐために日中は力仕事をする。力仕事と言えども子供の力だ。周囲の好意で仕事を回してもらっていた。必死に働いて、少しでも栄養のあるものを買う。母が働いていた時よりも収入が減ったため、一日一食しか食べられない日々だ。
「ごめんね、ロイド」
「母さん」
結局、回復することなく母は死んだ。
母は死ぬ間際まで、俺を心配していた。最後の言葉はごめんね、だった。
近隣の人々に手を貸してもらいながら、母を埋葬した。埋葬といっても身寄りのない人間が埋葬される共同墓地だ。母を何とか見送れば、残されたのは俺一人。
がらんとした部屋に戻れば、母が一人いなくなっただけで温もりが失われていた。
部屋に乱雑に置かれた洋服も、食器も、どこか寂しそうだ。
そんな感傷に浸りながら、俺は片づけを始めた。母が亡くなった後はここにいることができない。10歳の俺には母との別れは非常に辛かった。
母が死んで、しばらくしてから孤児院へ入った。もう10歳なのだから、どちらかというと住む場所をお金を払って与えてもらうようなものだった。安い賃金であるが、毎日必死に働いて孤児院へ帰る。孤児院へ帰れば、母から教わった文字や計算方法などを下の子供たちに教える。そんな生活を2年ほどしていた時、立派な馬車が孤児院の前に止まった。
「やっべぇ」
俺はその馬車が侯爵家のものだとわかると、そっと自分の部屋へと戻った。あまり荷物はないが、母の形見だけは手放せない。それをポケットに入れて、抜け出す支度をする。
俺は母の希望通りに市井で結婚し、幸せな生活を送りたかった。だからここで侯爵家に捕まるわけにはいかないのだ。
「逃げられませんよ」
手早く荷造りをしたつもりだったが、見たこともない質のいいドレスを纏った女が部屋の入口に立っていた。
母よりも少し年上だろうか。
感情の抜けた表情をした存在の薄い女、というのが俺の第一印象だった。
「だ、誰だ!」
「お前の父親の妻です。迎えに来ました」
「人違いだ! 帰れ!」
必死に叫んだが、女はぴくりとも表情を変えない。無機質な感情のこもらない目でじっと値踏みするように見られて、居心地が悪い。
「貴方の顔立ちは侯爵によく似ております。間違いないでしょう」
冗談じゃない。
俺は侯爵家に行くつもりはない。
だが、一人前を気取ったところで、まだ12歳で子供だった。大人の男に押さえ込まれて担ぎ上げられてしまえば、抵抗してもまったく意味をなさない。
「あなたは次期侯爵です。自覚するように」
「なんでだよ! 侯爵家にはすでに跡取りがいた筈だ!」
「……ええ。わたくしの息子たちは皆、死にました」
「は?」
俺の動きが止まった。女は淡々とした口調でさらに続ける。
「息子たちは隣国との戦争に行って死にました。もう侯爵家に残されている男子はお前しかいない」
「戦争? 何で?」
侯爵家ならば、跡取りを戦争に行かせなくてもよかったはずだ。貴族なんて、血筋が大事なんだからそれを途絶えさせるようなことはしない。平民の命は軽いものだが、貴族の命は軽くはない。
「名誉ある死です。王太子殿下を守って死んでいったのですから」
意味が分からない。
意味が分からなくとも、俺は侯爵家の跡取りになっていた。
父だという侯爵は俺を見ても大して興味を持たなかった。何度か関係しただけの女が生んだ子だ。こんなものだろう。冷めた目で見つめられて、睨むように見返した。
「この侯爵家も力のない奴が継ぐのか。この家も終わったな」
悔しさに、俺は片付けてあった魔力を解放した。その圧力を感じたのか、侯爵は初めて感情を俺に向けた。
「なるほど。色合いは気に入らないが、これなら十分役に立つな。ちゃんと跡取りらしく躾けろ」
「わかっております」
侯爵夫人は淡々と夫である侯爵に言葉を返した。その冷めた二人の関係を見て、俺は体を震わせた。俺をモノのように扱うことに嫌悪した。同時に貴族とはこういうものなのかと、恐ろしくなった。
「ロイド、こちらに来なさい」
義母は侯爵の許可をもらったからと、俺を立派な貴族令息に育て上げた。侯爵夫人に容赦なく鍛え上げられ、否応なく侯爵家の当主となった。
その最後の締めとして引き合わされたのがパトリスだった。