女神との出会い
「いいですか。いつまでもそんな仏頂面していないで、もう少し朗らかな顔をしなさい」
「無茶を言わないでくださいよ。義母上」
馬車の中ですぱっと言われて、ますます無表情になる。顔を隠すように伸ばされた長い前髪の隙間から向かいに座る義母を恨みがまし気に睨んだ。
「その前髪も! 切っておきなさいと言っておいたでしょう?」
「俺がどんな髪型をしていてもいいじゃないですか。これぐらいで嫌悪するような女など、こちらから願い下げです」
「嫌悪する女だろうが何だろうが、結婚してもらいますよ」
俺は義母には逆らえないので、無言で拒絶を示した。
「まったくいつまでたっても子供で。浮いた話を聞いたことがないけれど、貴方、経験あるのでしょうね?」
「それぐらいありますよ」
ぐるぐると唸れば、義母が疑わしいと言わんばかりの目を向けてくる。
「それはいつ? どこの誰かしら? ちゃんと最後までやり切ったの?」
何が悲しくて、義母に男のハジメテを報告しなくてはいけないのだ。
大いに嘆きながらも、それを言えばさらなる追求が待っている。流石に22歳にもなって義母に過去の経験を語るつもりはない。
「結婚相手には何も求めませんよ。どうせ爵位目当ての女に決まっている」
俺は侯爵家の当主でありながら、平民と同じような薄い茶色の髪と薄い緑の瞳を持つ。
夜会の度に媚を売ってくるが、姿が見えなくなると俺をこき下ろした。その態度は侯爵となってからも変わらない。
貴族社会では金髪、銀髪、黒髪がもてはやされており、それ以外の色を持つ人間は劣っているというわけだ。魔力の多さは色に左右されているのも事実で、俺がそこからはみ出しているに過ぎない。
16歳で成人してから俺に近づくような女は皆、俺の色を厭いながらも、侯爵であることと魔力が王族並みに多いから結婚してやってもいいという態度だ。顔は笑顔だが、目が侮蔑の色を浮かべるような女なんて、いらない。
嫌なことを思い出し、俺はむすっとした。
「ちゃんとしなさい。誰が何を言おうとも貴方はラザフォード侯爵なのだから」
付き添いの義母が淡々とした口調でいつもの言葉を繰り返す。言い返そうかと思ったが、やめた。馬車が目的地に着いたのか、止まったのだ。ガタンという音がして、扉が開かれる。俺は先に降りると、義母に手を差し出した。
義母はその手を取り、馬車から降りる。
「俺は結婚を拒否するつもりはない。義母上のお目にかなったのなら、顔を見なくとも結婚しますよ」
不満げに漏らせば、義母が顔をわずかに上げた。呆れたような眼差しを向けてくる。
「そういう事ではありません。結婚するなら、最初に友好関係を築く方が圧倒的に楽です。そもそも貴方の父上とわたくしは始まりから適当すぎました」
義母の歯に衣を着せぬ言い方に、唇をへの字にした。圧倒的に楽という表現に、彼女の結婚観が透けて見える。
浮気相手が産んだ俺が侯爵家当主としてここにいる時点で、義母には結婚が失敗だったという事なのだが。
義母に引き取られてから、9年。
義母は一体どんな気持ちで自分を育てたのだろう。
気まずさに視線を逸らした。
「すみません。余計なことを……」
悟りすぎる義母にぼそぼそと謝れば、彼女はとんとんと俺の腕を軽く叩いた。
「何も心配することはないわ。一目見て、滾るような美女を用意しました。性格もそれなりです。朴念仁のお前でも夢中になるはずですよ」
「……はあ」
「ありがたく思いなさい。これでその気になれないのなら、いい医師を用意します。わたくしの知り合いにとても先進的な治療をする医師がいて……」
「俺は正常です。先進的な治療など不要です」
そんなとんでもない会話をしながら、用意された場所へと移動する。
顔合わせに選ばれたのは、今貴族の間で人気のある庭園だ。今日は俺たちの顔合わせのために一日借り上げていた。貴族令嬢が好みそうな華やかな花々が咲き乱れる庭園は最近何かと話題に上がって、とても人気がある。
俺には少し派手な感じがあるのだが、今どきの女性はこうした華やかさが好みらしい。
顔合わせをして、適当に会話したら切り上げようと考えながら、案内されるまま庭園を歩く。
気乗りしないはずの婚約。
一度も会ったことのない、生まれの良い女。
そんな程度の認識だったのに、彼女を一目見て固まった。
用意された庭園で俺を待っていたのは、美の女神だった。
「ロイド」
義母に小さな声で名前を呼ばれ、体が揺すられるがどうにもこうにも動くことができない。挨拶をしなければと思いつつ、できずにいた。
少しでも動いたら消えてしまうかもしれない。瞬きだってできやしない。
美しい艶やかな波打つ長い金髪は太陽の光を淡く反射し、ほっそりとした顔には大きな新緑のような瞳、ぽってりとした淡く色づいた唇、頬はうっすらとピンクに染まっている。
身に纏っているのは軽やかな薄い緑色の生地で作られたふわりと広がるドレス。
華奢な体の割には非常に魅力的な大きな……いやいやいや。
背の低さもまたいい。男性の平均身長よりも少し低い俺でもすっぽりと抱きしめられる。
彼女ぐらい華奢ならきっと身体強化の魔法をかけたら軽々横抱きできるはずだ。幸いにして、俺の魔力は底なしだ。身体強化を常にかけておいても問題ない。
瞬きする間も惜しいぐらいに凝視していたら、とうとう頭に拳が飛んできた。少なくない衝撃と痛みに頭を手で押さえれば、義母が眉を寄せ不機嫌そうに俺を見ていた。
「ロイド、鼻血が出ているわ。今すぐ止めなさい」
「鼻血……?」
それは義母が思いっきり拳で殴ったから出たのではないのか。
鼻をすすれば確かに口の中に鉄の匂いがした。
不満があるが、とりあえず鼻血はダメだ。他を汚す。
さりげなく内ポケットからハンカチを取り出そうとするが、いつもあるはずのハンカチが見つからない。どのポケットに入れたのかと考えながらも、目は女神に釘付けだ。
女神は鼻血を出す俺に優しく微笑むと、俺に真っ白なハンカチを差し出した。
「どうぞ」
女神の顔から少しだけ視線を落とし、差し出されたハンカチを見つめる。美しい刺繍がしてあるハンカチだ。
「汚してしまう」
「わたしの手慰みに刺したものですから、お気になさらずに」
優しく言い添えられて俺は恐る恐るハンカチを受け取った。そっと鼻に当て、血を拭きとる。まだ流れているようなので、詰めた方がよさそうだ。
だが、このハンカチを鼻の穴に突っ込みたくはない。早めに血抜きして綺麗にしておきたい。
心の葛藤が分かったのか、義母が深くため息をついた。そして、遠慮なく俺の鼻に小さな布切れを突っ込んだ。いつ用意されていたのか不明だが、とてもありがたい。
義母が持ち歩いていたとは考えられないから、後ろに控えている侍女が用意しておいたのだろう。後で誉めておこうと心に決めた。ついでに汚れたハンカチの血抜きも頼むつもりだ。
ちょっとだけ血で汚れたハンカチはさりげなく内ポケットにしまう。
「初めまして。ドルーテン伯爵の次女、パトリスです」
声も麗しい。鈴を転がしているようだ。
もっと声を聞きたいと思いながら、俺も名乗る。
「ロイド・ラザフォードだ。侯爵家当主を務めている」
こうして俺は最愛の人に巡り合った。