召喚
031
俺は当時10歳だった。もうあまり思い出せないが、学校から帰ってきてテレビを見ながら家でゴロゴロしていたのだと思う。その頃の俺は平凡な日常に退屈していた。平日は学校に行って、休日はダラっと過ごす特に変わり映えのしない毎日に飽き飽きしていて、身の回りにないちょっとした非日常を求めて、いつもテレビを見ていた。最初の頃は、誰かのスキャンダルや大きな事件、事故、遠い国の戦争、革新的な発見などのニュースに満足していたが、徐々にそれも物足りなくなってしまい、俺はある願望を抱くようになっていた。
“ ここじゃない遠いどこかに行きたい”
少年時代にだれでも覚えがあるだろう。英雄になりたいだとか、億万長者になりたいといった願望が。俺の場合は、見知らぬ土地で見知らぬ体験をしたいといった欲望だった。
あのとき、休日にでも電車で遠くまでちょっとした小旅行にいっていれば、満足できた程度の可愛いものだっただろう。しかしあのとき俺はそれすらもしなかった。手間を厭い、ただ現実に不満を募らせるだけで、それを変えようとはしなかった。所詮俺は空に飛び立つことができずに巣の中で燻る雛鳥だったのだ。
ある日のことだ。半ば習慣のようになっていたテレビの視聴中のことだ。突然三半規管を思いっきり揺すられたような感覚と、天地の境が無くなったような変な浮遊感が俺を襲った。
暫くその感覚は続いて、蹲ったまま動けないでいたが、何処からか聞き慣れない外国語で少し興奮した声が聞こえて来たので、顔を上げて目を開けるとそこは、見慣れたリビングではなく、白い壁で囲われた部屋に俺はいた。部屋は学校の教室を2回りほど広くしたぐらいの大きさで、自分以外に複数人の人がいた。話し合っている声も聞こえるが、全く何を言っているか分からなかった。必死に情報を整理する俺に先程の声の主であろう男が話しかけてきた。上等な長いローブを纏った壮年の男だった。
「私の言っていることが分かりますか。分かるのならば立って下さい」
俺は酷く混乱した。その男から聞こえてきた声は紛れもないとても流暢な日本語だったが、その男の口の動きは全く別の言葉を話しているようだったからだ。違和感に首を傾げつつも男の言うとおりに立ち上がると男は更に口にした。
「私の名前はレミアヒム。貴方の名前は何と?」
「お、俺の名前は勇人。香具山勇人.......です。えっと、ここはどこですか?」
「ここは――」
レミアヒムは滔滔と説明し始めた。ここは俺のいた世界とは別の世界だということ。彼らには目的があって、俺はこの世界に意図して呼び出したのだということ。それ故に手厚く保護をすること等々。
最初こそ焦り、不安、恐怖など様々な感情に襲われていたが、レミアヒムの説明を聞いていく度にそれらは徐々に高揚感に変わっていった。待ち望んだ非日常の世界、誰も体験したことがない異世界だ。そのときの俺は、それまでの退屈な日常をあっさりと見限ることができる程度には子供だった。当たり前のことがどれだけ得難いものなのかを理解できない程度には子供だったが、このとき拒否して帰りたいと言っても帰れたどうかは別だが、そのときの俺はそれを甘受する以外の選択肢は頭になかった。
「それで、お前らの目的って何なんだ? 何のために俺を呼んだんだ?」
「それは――」
レミアヒムはそれまで浮かべていた柔和な笑顔を引っ込め真剣な顔つきになると、徐に両手をこちらに向けてハの字に広げ、目線を下に下げるようにした。(後から聞いた話だが、これは日本においての敬礼にあたるものだと知った)少し困惑して辺りを見渡してみると、その部屋にいた者全てがレミアヒムのような動作をしていた。
「――世界を救って頂きたいのです。選ばれし次代の勇者の卵よ。この国を救ってくれますか」
俺は半ば興奮したままそれに答えた。いや、答えてしまった。そのときの俺に言葉の裏を読めるわけがなかった。
その後、レミアヒムの傍で控えていた侍女に連れられて部屋を出た。今度はこの国の王族との対面だと言う。戸惑う俺をよそに侍女は何処かへ俺を連れ去った。レミアヒムが邪悪な笑みを浮かべていたのを知らずに。
そうして未熟な雛鳥は外の世界へと飛び立った。その空が一片の曇りもないと信じて疑わなかった。




