夢のような夢
022
その声は、この家に来て直ぐに聞いて以来、終ぞや聞くことのなかった声だ。あまりの懐かしさに思わず涙がこみ上げてきそうだ。
「お兄様!」
私が敬愛を込めてそう言うと、私の正面に辺りから一層濃い黒い闇が少しずつ集まり、渦巻きながら徐々に人の形を成していく。そんな様子を見ていた私は何か違和感を覚えた。
(この感じは......まさか魔力!? ここは私の夢の中じゃなかったの!?)
警戒度を一気に上げた。親しい者を騙る侵入者は、私は知らない魔術だか魔導具だかで私の夢に介入している。
私の知るところで他人の意識の表層を見ることのできる魔導具は存在する。奴隷になってすぐの頃に、その魔導具を使われたのだ。そのときの私はどんな目にあっても何一つ話さず、反抗的な態度を取っていたので、痺れを切らした相手がその魔導具を使って、私の記憶を強引に掠め取っていったのだ。しかし、あれは高価で気軽に使えるものではなく、夢に介入できるような代物ではない。
私は途端に禍々しく感じられるようになった黒々とした闇がしっかりと人の形を成すまで無言で見つめた。闇はどんどん兎人族の特徴をもったシルエットへと変化していく。真っ黒なので分かりにくいが、私の記憶あるお兄様の背丈とそう変わらない。
「貴方は......誰ですか?」
どうやら完全に闇の収束が終わったようなので、意を決して話しかけた。
「やだな、✕✕✕。貴女のお兄様だよ? 君の真名を言っているんだ。それが何よりの証拠にならないかい?
」
真名というのは生まれる前から既に決まっている名前で、生まれたときから誰もが知っているもので、真名はその人を表し、一般的に最も親しい者、つまり家族ぐらいにしか知らせないものだ。真の言葉でもって魔力を操り、森羅万象の理を捻じ曲げることのできるこの世界で、真名はその人の生殺を左右できる程度には大きな意味を持つ。
(これは......間違いない。私の知ってるお兄様だけど、そしたら何故魔力なんかを感じるの?......まさか、お兄様は生きていて、何らかの方法で私に......?)
私が黙って思考を巡らしている姿を、お兄様は私がまだ疑っていて口を閉ざしているのだとでも勘違いしたのか。更に言葉を発した。
「ふむ......後はそうだね、私達しか知らないだろうエピソードは――」
少し考えた素振りを見せた後、お兄様は私の極々身近な人物しか知らないようなことや、私が知らなかった家族についてのちょっとしたことをいくつも話始めた。その淀みなくずっと話続ける癖といい、少しオーバー気味に身振り手振りで伝えてくる姿といい、お兄様は昔と全く変わらない様子だった。そのことに私は酷く懐かしさを覚えた。途端に今は輪郭しか分からないはずなのに、表情一つ一つまで鮮明に感じ取れるようになった。
昔からお兄様は誰かが強引にでも止めでもしないと、ずっと話続ける程の話好きだ。話すときはいつも楽しくて楽しくてたまらないという表情する。まさに今の彼がそうだ。
「そこで母様はね、父様に言ったんだ。貴方は――」
「分かりました。分かりましたから、もうその辺りで止めて下さい」
「そうかい?で、誤解は晴れたかな?」
そういうと、ピタッと動きを止めて此方に向き直った。ああ、そんな姿も実にお兄様らしい。お兄様のお兄様らしいところを一つ、また一つずつ見つけていくごとに、懐かしさが積もっていく。
「ええ、貴方がお兄様だと嫌というほど伝わりました。そんな風に誰かが止めないと延々と話続けるところも、大げさな身振り手振りをするところも......ぐすっ、生きていたんですね。もう......もう誰にも会えないのか、と......ううぅ」
もうこれ以上積み上げられない懐かしさから零れた懐かしさは涙に変わった。お兄様と実際に会っていたなら決して泣き顔を見せることはしなかっただろうが、この場所のせいだろうか私の意思に反して涙がポロポロと零れていく。
「よしよし、どうした×××。君らしくないな」
少し戸惑いながらもへたり込みながら泣く私の頭を優しく撫でてくれた。その手はのっぺりとしていて、温かくも冷たくもなかったがそれだけで十分だった。少しの間撫でてもらっていたが、落ち着いてきたので今までの経緯を聞いた。
「あの日の後ね。僕は捕虜になっていたんだよ。それでこの王国に連れてこられてたのだけど、奴らの隙を見て逃げ出したのさ。そこから隠れながらなんとか国に帰ったのだけど、もう滅んだあとでね。また王国に戻って故郷の誰かの情報がないか探しながら暮らしてたんだよ、こそこそとね。そしたら×××。君の情報が舞い降りたんだよ。あのときは只々涙を流すしかできなかったね。そこからはずっと君の場所をずっと探していてやっとさっき見つけたんだよ。×××は寝てたけど嬉しくてつい入ってきちゃった」
大げさ身振りをしながらサラッと話しているが、お兄様も随分な道を辿ってきたようだ。私同様に一歩間違えたら死んでただろう、これはもう奇跡としかいいようがない。私はお兄様にギュッと抱き着いた。
「お兄様。何はともあれ会えて......生きて会えて良かったです。これからも会えるのですよね? 今雇ってもらってる旦那様は人族だけど全く他種族差別をしない良い人です。きっと頼めば通いでも許してくれます。そうすればまた一緒に――」
「いや、それはできない。今やらなくちゃいけないことがあって直ぐには無理なんだ。当分はこうして寝ているときに会いに行くから。これ結構遠くからでも繋げることができるんだ。ただし、真名を知っている者だけだけどね」
「......分かりました。少し寂しいですけど、前とはもう違うんです。少しの間ですものね?」
私が懇願した表情でそう言うと、お兄様はフッと微笑みながら私を抱きしめた。
「そうだね、すぐ終わるさ。もう会えないわけじゃないんだからさ。......今日はここまでかな。そろそろ夜が明けるし、この後ちょっと用事があるから......またね×××。その旦那様とは仲良くしておくんだよ」
そう言うと、お兄様は来たときと逆で拡散していきながら居なくなった。完全に居なくなると、それをまっていたかのように私の意識は徐々に覚醒していく。
「ん、あ......」
私は目が覚めてガバッと起き上がると、ベッドの脇に置いてある椅子をみた。お兄様の匂いがする、先程まで傍にいたようだ。私は名残惜しくて思わず椅子の座面を撫でた。恐らく忙しい中私に会いに来たのだろう、また少し涙が出そうになった。
「でも......もう今までと違う。全てを終わらせたら......きっと」
そう呟きながら見上げた空は晴れ晴れとした良い天気だった。




