新しい生活
002
(ああ......馬車で戦場に赴く兵士たちの気持ちはこんな気持ちなのかな......)
私は馬車に乗りながらそんなことを考えていた。そんなことを思うのは失礼かもしれないが、私にとってこれから待ち受けていることは戦場と同義である。そんなことを思っていると、馬車が緩やかに止まった。やっと目的地に着いたようだ。王都から結構離れたところのようで長い時間馬車に乗っていたため、足ががくがくになっていたが、買われて早々に殴られるのは嫌だったので、フラフラしながらも早く馬車を降りようとしていると、死角からにゅっと手が伸びてきた。
(殴られる!)
そう思いギュッと目を閉じた。その刹那、鉛のように重い拳が私のボロボロの体をまるで紙のように――なんてことはなく、むしろ全く予想外のことだった。
伸びてきた腕はそのまま私のお腹に回されると、まるで荷物のように脇に抱えられ、ずんずんと歩き出した。どうやら男は私に暴力を振るうわけじゃなく運ぶつもりらしい。一連の出来事に呆気に取られたが、暴力を振るわれないのならなんでもいいと思い、大人しく荷物に徹していた。
◇◇◇
「さて、ここが今日からお前の家だ。が......」
家に入ってリビングらしき部屋で椅子に座らされた後、対面に座った男はふぅと息をつくとそんなことを言い始めた。
「......」
「......お前の名前は?」
私はフルフルとかぶりを振る。こんな王国の奴に仮名を、ましてや真名を知られたくはないし、呼ばれたくはない。次に来るであろう暴力に耐えるためこっそり身に力を入れていたが、男の反応は意外なものであった。
男は一瞬眉をひそめただけで、特に暴力に訴えることはなかった。
「そうか............ならば、今日からお前の名は『ロル』だ。分かったか?ロル」
すこし拍子抜けしたが無暗に男を怒らすのは嫌だったので、了承の意を込めて頷いてみせた。
男は少し考えた後、私の方を見て立ち上がった。
「よし、改めて歓迎しよう。ようこそ、ロル。わが家へ」
そう言い放った男の言葉に私は内心酷く困惑していた。
それから男に引かれて風呂場に連れていかれた。男に洗われるのは非常に嫌であったが、あの環境にいたせいで私の体はかなり汚れていて抵抗する気はなかった。それに最近あまり寝ていられなかったのと、久々に外にでたせいで、私の身体は凄まじい眠気に襲われていたこともあった。その後も男に身を任せてなすがままされるがままにし、気が付いたのは与えられた個室に押し込められた後であった。
質素ながらも清潔な服に、温かい食事、怪我の治療等々夢かと錯覚するほどの好待遇を驚きと疑問を隠せないでいた。今までも似た待遇を受けたような場所では私はあっちの目的で買われたことはあるが、そういった様子はないし、なにより主自ら世話をするのはあり得なかった。
(そもそもこの家広いのに......主の男以外住んでない。なんだか裏がありそうだけど、悪い人ではなさそうだけど......一体どんな理由で私を――)
何とかつらつらと考えを巡らせていたが襲い掛かってくる凄まじい眠気には勝てず、どこまでも沈んでいくような深い眠りに落ちていった。
◇◇◇
「ほら、×××起きて。朝よ」
「ん~......。ん、ぁ......あともうちょっと」
「朝ごはんは、あなたの好きなものよ」
「おはようございます、母様。早く言ってくれればいいのに。全く母様は人が悪いです」
「ふふふっ。おはよう×××」
先ほどの様子と打って変わり、ベッドから起き上がり身支度をする私を見て、母様は苦笑していた。
「でも、×××はそうでなくては起きないじゃない?」
「いえ、そんなことは......」
少し頬を膨らませ、いかにも怒っています、というポーズをする母様を横目に身支度を済ませた。
「おい、×××。はやく起きなさい。早くしないと兄さんに――、ってもう起きているのか」
突然開いた扉から父様の顔が覗かせていた。
「父様。おはようございます」
そう告げると父様は嬉しそうに破顔した。
「おはよう。×××。さぁ早く朝ごはんを食べなくちゃな」
「はい、食べましょう」
父様と母様に手を引かれ自室を出た先は、見慣れた私の家の廊下ではなく、辺り一面が炎で覆われた街中であった。後ろを振り返っても同じような光景で、辛うじて半壊に留まっている家に見覚えを感じ、ここが既に失われた故郷の街中であることを悟った。
「×××」
名を呼ばれて振り返ると、そこには誰とも見分けがつかないほど焼け焦げた二人の焼死体があった。
「ねえ、×××。今度こそ」
「敵をとるんだぞ」
◇◇◇
「ああああああああああああ!!」
絶叫しながら跳ね起きると、既に朝になっていた。荒い息を整え落ち着いていると、部屋の中に人の気配があることに気が付いた。恐る恐るそちらに顔を向けると…。
私の傍で椅子に座って本を読んでいる彼の姿があった。
「!!!......うぅ......あ......ぁ」
「ん? 起きたか。おはよう」
「......」
「ロル。朝起きて初めて会った人には、おはようだろう」
「お˝......はぉ......お˝ざい......ぁす」
「......もしかして、喉もつぶされていたのか」
「......」
私がこくんと頷くと、彼は眉をひそめて頭をがしがしと掻いた。
「あー、喉は治すのに時間がかかる。暫くは我慢してくれ」
「......」
彼は医療魔術が使える。それは昨日私の傷跡を見て、何を思ったか唐突に魔術を行使し始めたことで発覚した。魔術は魔力さえあれば覚えることで誰でも使うことができるが、基礎的な魔術でさえ多くの知識を必要とする。しかも高等魔術に当たる医療魔術は押して図るべしというものだ。そんな魔術をこれでもかとかけられたので、比較的軽い傷はほぼ治っていた。
私は彼が怒りを感じていないことに安堵し、感謝の意を込めてぺこりと頭を下げた。
「いい。気にするな」
彼は手を振って、何でもなさげにそう言った。
「で......も」
「無理に喋らんでいい。今の俺には医療魔術にしか魔力の使い道がないからな」
何か引っかかる物言いだ。しかし、彼はそれ以上何か言うつもりもないようで、くぁ~と欠伸をしながら伸びをすると椅子から立ち上がりこちらに手を差し出す。
「さて、ロル。朝ごはんにしよう。起きれるか」
昨日から彼の態度にただただ困惑するしかないのであった。
◇◇◇
まごつく私に痺れを切らしたのか、強制的にベッドから引っ張り出され抱えあげられていた。
「ぁあ……の」
「いい、こっちのほうが早い」
そんなこんなしている間にダイニングルームについた。私を抱えあげながら器用に扉を開けると、私を椅子に座らせた。もうある程度できていたみたいで、私が手を出すまでもなく料理が並べられた。
「あ......の」
「?......ああ、いい一緒で構わんだろう?」
「......」
私は彼と同じ机で一緒に食べるのは積極的に遠慮したかったが、なにやら有無を言わせない雰囲気だったので仕方なく料理に目を向けると徐々に料理に目を奪われていった。いくら不倶戴天の敵ともいえる人族の男との朝食であろうと、先日まで残飯同然の食事をしていた私からしたら何物にも代えられないご馳走に見えた。それに私がお腹を下さないようにと、消化に易しいもので取り揃えられていることが分かる。
「さぁ、ロル。お祈りして食べよう。......よし、いただきます」
私は祈りを終えるや否や料理を食べ進めていった。勿論汚く見えないように気を使ったつもりだけれど、久しぶりに使うカトラリーはなんだかとても懐かしく思えた。粗方食べ終わった後、彼は突然話し始めた。
「さてロル。君を買った理由と待遇について話そう」
「......」
「うちは見ての通り俺以外の人がいない。そこで家のことをやってもらうため君を買った。やってもらうことは家のこと全般だ。待遇については、衣服支給・個室・三食オマケつきでどうだ?幾分か給料もやろう」
なんで私を買って、ここまでするのかは疑問が尽きないが、もう私はここを追い出されたら恐らく次はない、これを足掛かりにして必ず復讐を果たす。そう思いつつ愛想よく頷いてみせた。