パーティの力
鬱蒼と茂る森の中、煌めく木漏れ日が落ちる街道の途中、複数のオークの足跡を前に足を止め辺りを探る。
爪先立ちで背筋を真っ直ぐに伸ばしたみけは、立てた耳を左右に細かく動かし、翠玉の瞳を持つ目をまんまるに開いて森の奥の一点を見つめている。
「みけ、見つけたか?」
「にゅ〜 あっちに百メートルぐらい向こうにゃ あんまり動いてないからこっちには気づいてないみたい きっとダラダラしてるにゃん」
「みけちゃんみたいね」
「ふにゃ! 一緒にしにゃいでほしいにゃあ」
小声でふざけ合う二人は放っておいてミケが指差す森の奥に目を凝らすが、私には何も見えない。
「これだけ木が密生している中で殲滅するのは骨が折れるな……」
「あまり時間も掛けたくないのだけれど、何か作戦はあるの?」
「ふむ、こういう場所で集団を相手にする場合は前衛が敵を戦いやすい場所に誘い込んで攻撃手が順次迎撃して殲滅するのがセオリーなのだが」
「ふぅん、さすがおじさん。無駄に年を取ってる訳じゃないわね」
ユーリカも同い年だろうと言いたくなるが、ここは堪えるべきだな。
「……攻撃手が居ないぞ」
「ん〜 みけちゃんが囮になってオークたちを誘き寄せて、私の纏魔を付けたおじさんがそれを迎え撃てば良いんじゃない?」
「おとり!?」「みけが?」
いつもの涼しげな顔で淡々と言う提案に声が揃う。
「にゃんちゃって治癒師なんだから、それくらい働きなさい」
「にゃんちゃって……」
じっと見つめるユーリカにみけは困ったように耳を寝かせる。
みけは最前線で敵と対峙したことがないし、治癒師を囮に使うのも異例だ。
「みけ、囮は治癒師の役割としては負担が大きい。やめておいても良いんだぞ」
「おじさんは余計なことを言わないで」
みけに助け舟を出そうとするとユーリカが冷たく睨みつけてくる。
「……そうだな」
甘やかすことは優しさではない。不揃いなこのパーティで冒険を続けたいのならなおさらだ。
ユーリカはそれを知っている。
「うにゅ おっちゃんもユーリカちゃんも一緒に戦う仲間だから わたしも頑張るにゃ」
みけは暫く悩んだ後、ゆっくり瞬きしてから大きく目を開き、意思を示すように耳をピンと立てる。
「うん、偉いわね。いい子いい子」
「ふにふに」
決意を示すみけにユーリカは微笑んで優しく頭を撫で、みけは嬉しそうに目を細める。
と同時にユーリカの足元に突然青白い魔法陣が展開する。
「エンチャント・エアリア! 『疾風の羽衣』!」
「にゃ!?」
驚くみけの周囲に風が集まり、体の周囲に渦を巻く。
「という訳で、いってらっしゃい」
ユーリカは撫でていたみけの頭を鷲掴みにして、鞠でも扱うかのようにみけが指差していた森の奥に向かって放り投げる。
「にゃあぁぁぁ〜〜〜〜ん……」
みけは悲しげな声を上げ、風とともに森の茂みに消えていった。
この女、やはり悪魔か何かなのかもしれん。
強く生きろ。みけ。
森に消えていったみけを見送ったユーリカが満足気な笑顔で振り返って今度は私を見つめてくる。
「さて、今度はおじさんね。私の過剰纏魔は強大な力を与える代わりに命も削る。今回のは更に痛いわよ。心の準備は良い?」
無論だ。
「誰に聞いている? 『不撓不屈のオッジ』を舐めてもらっては困る。仲間が危険を冒しているのに怖気づく私ではないぞ」
鎧通しを抜いて右手に構える。
「うふふ、良い返事ね。やり甲斐が出るわ」
魔力を帯びた蒼玉の瞳を光らせた妖艶な微笑に、背筋が凍りつくように、ぞくりと寒気が走る。
「エンチャント・エレクトリア! 『蹂躙の死神』!」
淡黄色に光る雷属性の魔法陣がユーリカの足元に展開し、電光がバチバチと音を立て迸り、鎧通しを伝って右肩まで昇ってくる。
それと同時に右腕のあちこちから青白く放電する火花が皮膚を貫き、激しい電流が筋肉を、血管を、神経を、骨を伝って内部組織を灼く。
「ぐぅうっ!」
痺れ、灼かれ、引き千切られるような激痛に呻きが漏れ、神経と筋肉が電流に支配されて右腕の自由を奪われて引き攣り、鎧通しを握る感覚すら痛みに変わる。
「まだ、耐えられるかしら?」
「無論!」
激痛に耐えながら右腕に意識を集中して鎧通しを構え直すと、魔性を帯びた瞳を輝かせたユーリカが頬に指を添えて楽しそうに笑う。
「うふふふふふふふ…… 凄い。素敵よ、おじさん」
少しでも気を緩めれば腕ごと黒焦げになるであろう苦痛に歯を食いしばって耐えるうちに、
鎧通しを覆う電光が徐々に密度を増し、大きく湾曲した巨大な刃が形作られる。
「その鎌の刃は木の幹をすり抜けて触れるだけで真っ黒焦げ。振る度に雷撃を撒き散らす特殊効果付きよ」
魔力を実体化させて武器の特性を変えるほどの纏魔は通常の纏魔師が使うものに比べて遥かに強力だが、その分の代償は大きい。
これだけのダメージを負担することは耐久力のない攻撃手には不可能だろう。
「くっ…… この戦場に、持って来いと、言う訳か」
動かす度に火花を散らし、激痛が走る右腕をかろうじて動かし、電撃で形作られた大鎌を見つめる。
確かに、これなら攻撃スキルを持たない私にも攻撃手並の火力を叩き出せるな……
「その通りよ。 ……さぁ、来たわ」
「……ああ!」
――ピィィィィ!
森の奥からホイッスルの音が響き渡り、風を纏ったみけが密生した木々の枝を軽やかに跳んで姿を現す。
みけも危険を覚悟で懸命にパーティに貢献している。私がそれに応えずなんとしようか?
呼吸を整え、激痛を忘れるように心頭を滅却して、電撃の迸る大鎌を構える。
――ガサガサ……
「ブャッヒャァ〜!」
「にゃ〜ん きもいにゃ〜!」
棍棒を振るって茂みをかき分け、オークの集団が醜い鳴き声を上げながらみけに迫る。
「みけちゃん、頑張って逃げなさい! 捕まったら酷い目に会うわよ!」
「もう会ってるにゃあ!」
必死の追いかけっこを茶化すようにユーリカが声を掛け、みけは抗議の声を上げる。
確かに、みけがこんな目に会っているのはユーリカの差し金だな……
とはいえ、風の纏魔を付けた猫耳民のみけと、密生した木々を避けながら地を走る巨体のオークでは移動速度に圧倒的な差がある。オークが束になって一日中追い回したところでみけを捉えることは不可能だろう。
「みけ! そのままこっちに引き寄せろ! 迎撃する!」
「にゃ!」
「みけちゃん! 数は!? 変わった奴はいる!?」
「にゅ〜 五匹付いて来てて その後に三匹続いてるにゃ わかんにゃいけどきっと普通のオークにゃあ」
みけがオークと一定の距離を保ちながら木の枝を飛び移ってこちらに向かってくる。
この状況の中でも敵の戦力を把握しているらしい。
「……あの子、絶対治癒師より斥候の方が向いてるわよね」
「確かに、薄々感づいてはいたが……」
いつの間にか目の前の木にでたどり着いたみけは枝の上で追ってくるオークの方を見つめている。
「みけちゃん、電撃が飛ぶわ。ちゃんと避けないとオークと一緒に丸焦げよ」
ユーリカの声に、みけは木の枝を蹴って私達の頭上を飛び越える。
「にゃ! おっちゃん! 任せたにゃ!」
小さな身体がふわりと宙を舞い、街道の反対側の木の枝に飛び移った。
「任せろ」
ここからは私の仕事だ。
迫りくるオークの集団を睨みつけて大鎌をかざす。
「おおぉぉぉぉ!」
そして、神経を研ぎ澄まし、間合いを計り、横一閃に薙ぎ払う。
落雷のような轟音とともに大鎌が弧を描き、雷の魔法で出来た刃から強烈な電撃が稲妻となって木々の隙間を縫うように奔る。
「ブヒブヒィ!」「ブヒ!? ブヒィィィ!」「ブ、ブヒッ……」
先頭集団の五匹は電光の刃で胴体から両断されて灼かれて一瞬のうちに消し炭の塊となり、後から続いていた者も稲妻に貫かれ黒焦げになって倒れている。
「……凄いな。この威力。 ……くぅっ!」
あまりの威力を目の当たりにした一瞬の気の緩みに、纏魔の代償のダメージが一気に襲い掛かってくる。
「おじさんだからこれだけの魔力を込められるのよ」
「おっちゃん 大丈夫にゃ?」
「問題無い。 それより、よくやったな。みけ」
筋肉を灼く電光がバチバチと火花を散らして皮膚を貫く痛みをぐっと堪えて応える。
「にゃ 奥の方にまだ残ってるの またいってくるにゃ」
「ああ、頼んだぞ」
「いってらっしゃい」
みけは背中を丸め、膝を曲げ、森の一点を見つめて一瞬静止すると、矢のように跳んで風を巻きながら森の奥へと再び消えていった。
◇◇◇◇◇◇
オークの足跡を発見して半刻あまり、目の前には焼け焦げ、炭化し、消し炭の塊となった死体の山がぶすぶすと悪臭を放つ煙を立ち上らせている。
「さ、これで全部かしらね」
「うにゅ もう残ってないにゃ」
「占めて二十二匹の集落か……」
駆け出しのパーティなら集落の壊滅に一日掛かりといったところか……
それが僅か半刻。私達の今の戦力という訳だ。
ふむ、悪くない。
「ご苦労様。おじさん」
「おっちゃん、おてて出すにゃ」
枝の上で索敵していたみけが降りてきて、未だに痺れが残り動かす度に激痛を伴う右腕に小さな手を添える。
「ああ、別に構わないのだが……」
「だめにゃ 出すにゃ」
みけは半ば強引に腕を引き、手の甲をぺろりと舐める。
その途端に痛みが嘘のように消え、心が安心感で満たされる。
「なにそれ?」
「痛いのがどっかに行ってダメージがちょっと回復する『ねこヒール』にゃ」
「ふぅん…… ま、いっか」
謎のスキル『ねこヒール』を目の当たりにしたユーリカが右腕の肘に左手を添えて訝しげに目を細めている。
「ユーリカちゃんもおててを出すにゃん」
みけも気づいたようだ。
「ん、私は良いわよ」
はぐらかすようにみけから視線をそらせる。
「隠さなくても良い。ユーリカも私と同じくダメージを請け負うスキルを使っているのだろう?」
ユーリカに視線を合わせ、問い詰めるように言うと、観念したように溜息を吐く。
「……はぁ 一緒にしないで。私が『半分の優しさ《ダメージ・ディバイド》』で引き受けるのはエンチャントが与えるダメージの半分だけよ。仲間に死なれては困るから。おじさんが使うパーティ全体のダメージ全てを引き受けるような馬鹿みたいな効果のスキルは使わないわ」
あのダメージと同じ量を引き受けるのか。この細身ではかなりの負担になるはずだが……
「今後は不要だ。あの程度、私にとっては蚊に刺されるほどの痛みもない」
「ふふ、意地っ張りは歳のせいかしら?」
「それはお互い様だろう」
みけは今度はユーリカの手を取ってぺろりと舐める。
「本当、ダメージは全然回復しないけど痛みだけは無くなるわね」
「ふにふに」
みけよ、得意気にしているが、それは褒められている訳ではないぞ。
「……さて、集落の壊滅をギルドに報告すれば多少の実績は付くが、これだけの数の証拠を集めるとなるとなかなかの手間だな。ここは無視して先を急ごうか」
「ん〜、私達は良いけど、みけちゃんには冒険者として少しでも実績が付いた方が良いわ。報酬もそこそこになるし、折角壊滅させたのだから証拠を回収して行きましょう」
それらしく言ってはいるが、後者の理由の方が大きいに違いない。
先を急いでいたのはユーリカの方だろう。
「……まぁ、その通りだな。では、証拠を回収していくとしよう」
「任せたわ」「頑張ってにゃん」
その後、二人は私が黒焦げになり異臭を放つオークの耳を集めている姿を眺めながら、手毬遊びに興じていた。