仲間
窓から差し込む朝日に目を覚まし、身体をベッドに横たえたまま空を見る。日が昇り始めた空はオレンジから青へと移ろうとしている。今日も良い日和になりそうだ。
大きく伸びをして身体を起こすと軽い頭痛とともに視界がぐるりと回り、暫く目を瞑って目眩が収まるのを待つ。
ついこの間まではあの程度の酒が朝まで残ることはなかったのだがな……
再び目を開いて、私の寝ているベッドから一番遠い斜向かいのベッドを見ると、すでに丁寧に整えられて荷物も残っていない。なんともユーリカらしい行動だ。
荷物をまとめて部屋を出て、廊下を渡り食堂へ向かうと、パンを焼く香ばしい香りが食欲をそそり、空っぽの胃がぐぅと音を鳴らす。
「おはよーございますっ!」
「おはようございます。オッジさん」
「おはよう。おかげさまでよく眠れた」
開け放たれたままの食堂のドアをくぐると、テキパキと朝食の準備をする宿の母娘が明るく朗らかに挨拶する。一日の始まりに実に相応しい。
窓辺のテーブルでは一足先に食堂に出ていたユーリカが優雅にお茶を飲んでいる。
逆光を透かすプラチナの髪、煌めく蒼玉の瞳、白磁のように白く滑らかな肌、長い髪の隙間から突き出す尖った耳が古き民であることを示す……
女神様が創り出した完璧な美の造形を持った存在だ。
「おはよ。おじさん」
「……ああ、おはよう。ユーリカ」
喋らなければ、だが。
「ふふ、ゆうべはお楽しみでしたね」
「はぁ? 楽しいことなんて何も無いわよ」
「まぁまぁ、お気になさらず。お約束ですので」
お楽しみ…… どういう意味だ? いつの間にそういう約束事が出来たのだろうか?
ミリア殿は訝しむ私に愛想の良い笑顔で会釈をすると再び厨房の方へ戻っていった。
察するに、特に意味は無いのだろう。
ユーリカの向かいの席に座ってしばらくすると耳と尻尾をだらりと垂らしたみけが目を擦りながら食堂に現れ、まだ眠そうにのそのそとユーリカの隣りに座る。
「うにゅ~ おはようにゃん ゆうべはお楽しみだったにゃ?」
みけの『お約束』にユーリカは何も言わずみけの耳を引っ張る。
「ぎにゃ! ユーリカちゃん痛いにゃ! お耳引っ張っちゃだめにゃ!」
ふむ、謎だ。
「お客様っ! お待たせしました!」
「お待ちしてましたにゃ」
「ふふ、お待ち遠様です。みけちゃんにはメガコッコのローストとスープ、ユーリカさんには採れたて野菜のサラダと岩塩煮、オッジさんには両方、ですね」
「美味しそうね。朝早くからわざわざありがとう」
「ああ、ありがたく頂戴する」
「いただきますにゃあ」
母娘が焼きたてのパンと湯気を立てる料理がテーブルに並べるのを落ち着きなくうずうずしながら待つみけをよそに、ユーリカは目を瞑って祈りの言葉をつぶやいている。
私もそれに習うと、みけも後からむにゃむにゃと祈りの言葉を口にする。
◇◇◇◇◇◇
素朴だが丁寧に料理された宿の朝食を食べ終え、「お腹いっぱいにゃ」と満足げにしているみけと静かに窓の外を眺めるユーリカとともに、穏やかに流れる時間を過ごす。
血生臭く危険で壮絶な仕事が多い中で、こういう依頼を受けるのも悪くはないな。
「おっちゃん、これからどうするんにゃ?」
「そうだな、ここからもう半日ほど街道を行けばモンゴラ平原に到着する。そこから依頼の薬草を採集しながら平原を抜けた先にあるミールという町に向かい、依頼主である教会に薬草を納める。それで今回の仕事は終了だ」
「うにゅ 楽勝にゃ~」
「報酬は安いけど、副収入もあったし…… ま、良いお仕事かしらね」
「教会の依頼をこなすことは女神様への奉仕となるし、冒険者としての義務でもある」
「相変わらず真面目ね。今時そんな義務感持ってる冒険者も珍しいわよ」
「ジンギスホーン!」
「ああ、みけちゃんはあれが目的なのね…… やけに張り切ってると思ったわ」
「ふにふに」
過去を思い出すかのように宙を見て遠い目で言うユーリカに対し、みけはなにやら得意気に鼻を鳴らしている。
「では、そろそろ出発するとしようか」
「そうね」
「にゃー」
出発を前に、それぞれ荷物をまとめていると朝食の片付けを終えた母娘が厨房から出てくる。
こちらの様子に状況を察したようで、改まって二人並んで姿勢を正す。
「もう発たれるのですね…… ご利用ありがとうございました。またお帰りの際にお立ち寄りくださいね」
「ミリア殿、色々とお世話になった。クレアもご馳走をありがとう。ここには明後日に戻る予定だ。揃って無事に帰ってくることを約束しよう」
「はい、お気をつけて行ってらっしゃいませ。旅の幸運をお祈りしています」
「二人とも、ありがとうね。 ……今度は二部屋用意しておいてよ。ミリアさん」
「あらあら、それは残念ですわ。お二人ともよくお似合いですのに……」
「もぅ いい加減にしなさい」
どういう意味かは分からないが、ミリア殿は少し首を傾げて微笑み、ユーリカはうんざりしたように冷たく言葉を返す。
「みけちゃん、ケガしちゃダメだよ」
「うにゅ おっちゃんもユーリカちゃんもいるから大丈夫にゃ! お土産持って帰ってくるから良い子にして待っててにゃ」
「うん…… みけちゃん、いってらっしゃい」
「ふにふに」
目を潤ませて寂しそうに頭を撫でるクレアをぎゅっと抱きしめ、心配をかき消すように元気良く応える。
こうしていると、やはりみけの方が少し大人だ。
ユーリカもミリア殿もそんな様子の二人を穏やかに見守っている。
「……行きましょうか」
「ああ、出発だ」
「それじゃ またね。みけちゃん」
「またにゃん」
表に出て手を振り見送ってくれる母娘に別れを告げ、私たちはモンゴラ平原へ向かう街道を辿り、宿場街を後にした。
◇◇◇◇◇◇
二刻ほど歩いた頃、深い森を抜ける道に差し掛かる。伸びた枝葉が頭上を覆い、すでに高くなっているはずの陽の光を遮って薄暗い街道にきらきらと木漏れ日を落としている。
先行するみけの足取りは軽く、上機嫌で耳と尻尾をぴょこぴょこさせながら歩き、淡々と同じペースで歩き続けるユーリカに続いて三人の荷物を載せただけの空の荷車を牽いていく。
「ふにゃ!? おっちゃん、なんか臭うにゃ!」
みけがふと足を止め、耳を立てて背伸びをして辺りを伺いはじめ、そこへ足早に追いつく。
「おじさんの加齢臭かしら?」
「それは元からにゃん」
「そっか、そうだったわね」
全くこの二人は、女子らしくもう少しは気遣いがあっても良いものだが……
「……で、何の臭いだ? ん? この足跡は……」
周囲を伺うと街道の脇にできた水溜りの周囲に幾つもの大きな足跡がくっきりと残っていた。状態を見るとまだ新しく、おそらく昨日のうちに付けられたものだろう。
「オークにゃ……」
「オークね……」
「オークだな……」
冒険者にとってはうんざりするほどに見慣れた足跡だ。みけもユーリカも嫌な物を見たように気分を落として声をそろてつぶやく。
「ふむ、足跡の数からすると…… 四、五匹程だな」
「うにゃ もっと多いにゃ きっと奥に集落があるにゃあ」
「集落となると二十匹程度か…… 雑魚とはいえ、それだけの数が揃うと厄介になる」
「こんなところで遭遇するなんて最悪ね。オーク退治なんて駆け出しに任せれば良いんじゃないかしら? 集落の壊滅となるとひと手間だし、別の依頼を受けてる最中にすることじゃないわ」
「にゅ~ オークは大嫌いにゃ」
二人は露骨に嫌がってはいるが、街道にまで足跡があり、場所も宿場町にも近からずとも遠からずといったところか。 ……放っておく訳にはいかんな。
「ふむ…… 少々道草にはなるが、ここで見過ごしては宿場街に被害が出るかもしれん。特に最近はずる賢く状態異常を多用する個体や規格外に強大な力を持つ個体がいるとも聞く。二人とも、討伐に協力してもらえないだろうか?」
嫌なことを頼むのは承知の上だ。二人に頭を下げて協力を請うと、二人は黙って顔を見合わせる。
暫しの沈黙。
「ぷぷっ そんなに大真面目に言われると調子狂っちゃうじゃない。ちょっと嫌がってみただけよ。私たちは仲間なんだから、少しは信頼してよね。それとも、私ってそんなに冷たい女に見えるかしら?」
「うにゅ オークは嫌だけどクレアちゃんとママさんの宿は絶対守りたいの」
ユーリカは愉快そうに笑いながら答え、ミケも耳をピンと立ててやる気を見せる。
……どうやら、二人を信頼していなかったのは私の方だったようだ。
「そうか…… かたじけない」
「もう、締まらないわね。リーダーなんだからしっかりしなさい。こういう時はベテランらしく『つべこべ言わず俺に着いて来い!』って偉そうに言えば良いのよ」
「そうだな。 ……二人とも、文句を言うのは後回しだ。さっさと豚畜生共を根絶やしにするぞ!」
「そう来なくっちゃ! 思いっきり纏魔掛けてあげるから覚悟なさい」
「にゃ! みんなでやっつけるにゃあ!」
仲間とは良いものだ。この歳になって改めて実感することとは思わなかったな。
目頭に熱いものがこみ上げ、じわりと景色が滲む。
歳を取ると涙腺も緩むらしい、全く嫌なものだな。