宿での一夜
今や食肉と化したメガコッコをユーリカと共に宿の食糧庫に運び終えると、ユーリカはミリア殿との約束通り魔法で食材を冷やすための氷を作り始める。
手持無沙汰になった私は部屋の用意ができるまでの間、宿の小さな食堂で装備の手入れや所持品の整理などをしながら時間を潰す。
最初は私を手伝っていたみけもそのうちに飽きてしまい、暫く手毬で遊んだ後ソファの上で丸まって眠り始め、氷づくりを終えて食堂に出てきたユーリカがみけの隣に座って起こさないように優しく撫でる。
カウンターの向こうの厨房では母娘が分担しながらてきぱきと料理を作り、そのうちにホールに食欲をそそる香りが漂い、旅の空腹を刺激する。
クレアの「お待たせしましたっ!」と元気な声が響くと、ユーリカのいたずらにもピクリともしなかったみけがガバっと起き上がる。
テーブルに良く冷えた麦酒と丁寧に盛り付けられた料理が運ばれ、その匂いに誘われるように三人そろって食卓に着く。笑顔で料理を運ぶ母娘に礼を言い、女神様に食前の祈りを捧げる。
とりあえず何より先に麦酒だ。
ミリア殿がジョッキに注いでくれたキンキンに冷えた麦酒を一気に煽ると、炭酸とアルコールが刺激的なホップの香りと共に喉を通り抜け、空っぽの胃に染み渡る。これぞ生きる喜びだ。
「ぷはぁ やはり疲れた後のよく冷えた一杯は最高だな!」
「にゅ~ おっさんくさいにゃあ」
みけは興味なさそうに耳を寝かせ、コップに注がれたミルクをペロペロ舐めている。
「おじさんだから仕方がないんじゃない? それ、私の魔法で冷やしたんだから、感謝しなさいよ」
「そうか、やはり魔法とは便利なものだな」
「はぁ…… 麦酒を冷やす為に魔法があるように言わないで」
ユーリカは目を細めて冷ややかな視線をこちらに送り、冷めた口調で言い放つが、そんなことはこの一杯の前ではどうでも良い事だ。
心ここにあらずで適当に言葉を返すと、呆れたように溜息をついてそっぽを向く。
「まぁまぁ、お酒は楽しく飲むのが一番ですよ。オッジさん、どんどんお飲みくださいね」
「ああ、それでは遠慮無く……」
空になったジョッキをトンとテーブルに置くと、絶妙のタイミングで次の一杯を注いでくれる。
「そうは言ってもお酒飲むのおじさんだけじゃないの」
「猫耳民はお酒飲めないにゃ」
「ははは、酒の味を知らないとは、人生の三分の一は損をしているな」
「エルフの寿命は長いのよ。そんなので三分の一も使いたくないわ」
「猫生が三分の一減るにゃあ」
どうやら私の理解者はミリア殿だけらしい。本当に良い女性だ……
「お料理もあんまり手の込んだのはないけど、いっぱい作ったからたくさん食べてねっ! エルフのお姉さんにはお野菜の料理作ってますから、お口に合うか分かりませんが……」
料理を運んでくるクレアの元気な声で二人の興味はそちらに移り、ピンと耳を立てたみけが「いただきますにゃ!」と皿に盛りつけられた骨付き肉に手を伸ばす。
「こら、お行儀よくなさい」
みけはユーリカに叱られるのを全く意に介さずにがじがじと骨付き肉に嚙り付き、ユーリカは呆れた様子で諦めて野菜を煮込んだ薄い色のシチューを静かにスプーンですくって口に運ぶ。
「みけちゃん、おいしい? それ、私が作ったんだよ」
「はぐはぐ…… うにゅ クレアちゃんはお料理上手なのにゃ」
「えへへ、みけちゃんが美味しそうに食べてるところ見たら私も嬉しくなっちゃう」
「本当にお上手ね。ちゃんと野菜の美味しさが生きてるわよ」
「やったぁ エルフのお姉さんにはどんな味付けが良いのかなって思って、いろいろ工夫したんです」
二人に褒められてクレアは少し頬を赤らめ、はにかみながら少し俯く。
しっかりはしているが、やはり年頃の少女だな。みけとは大違いだ。
「ありがとう、クレアちゃん。 ……良かったら二人も一緒に食べない? 遅くなっちゃってお腹空いてるでしょ ミリアさんも、おじさんのお酌なんてしなくて良いから」
「にゃあ! みんなで一緒に食べるともっと美味しいにゃん おっちゃんは勝手に飲んでたら良いにゃ」
「お言葉はありがたいのですが、そのような失礼をする訳には……」
ミリア殿の折角の気遣いをないがしろにするとは、エルフも猫耳民も人間のことを解っていないな。とは言え、二人の言い分にも一理あるか……
「いや、ミリア殿もクレアも共に食事をして欲しい。私からの願いとして聞いて貰えないだろうか?」
ミリア殿は困ったように首を傾げ、甲斐甲斐しくテーブルの上に皿を並べるクレア殿の方を見る。
「そうですわねぇ それでは、お言葉に甘えさせていただきましょうか。 ……クレア、失礼の無いようにね」
「はーい! みけちゃん、隣座って良い?」
みけが「にゃ」と返事をすると、クレアは嬉しそうにぴょんと跳び上がり、急いでテーブルの上を片づけてみけの隣の椅子に座る。
「私も、お隣に失礼いたしますね。オッジさん」
ミリア殿も隣に椅子を持ってきて遠慮がちに座り、私の方に少し椅子を寄せる。
「あ、ああ…… 気遣いは不要ですぞ」
「……ちょっと、近すぎない?」
「うふふ、気のせいですよ。 ……あら? オッジさん、グラスが空いていますわ」
肩が触れる位置に座る女性に年甲斐もなく胸が高鳴り、言われるがままに空いたグラスをミリア殿に差し出すと冷たい麦酒が注がれる。ユーリカの冷たい視線もこちらに注がれている気がするが、まぁ、気のせいだろう。
「みけちゃん、お肉ばかりじゃなくてお野菜もちゃんと食べなきゃダメだよ!」
「ふにふに 野菜はほとんど栄養無いから食べても意味ないにゃん」
クレアはみけに野菜を食べさせようと頑張るが、みけは屁理屈を言ってそっぽを向いている。全く、仕方のない奴だ。
「み~け~ちゃ~ん? お野菜を食べないのなら明日から三食乾燥糧食でも良いのよ?」
ユーリカが威圧感たっぷりの笑顔でみけの頭を撫でる。さすがは年の功といったところか。
「ふにゃ! もしゃもしゃ……」
「あはは、みけちゃん、良い子良い子 ほら、あーん」
ふとミリア殿に目をやると、みけと楽しそうに食事をするクレアを嬉しそうに見つめていた。
◇◇◇◇◇◇
夕食を終え穏やかな時間を過ごすうちに、みけが耳を寝かせてうとうとし始める。
「ふにぃ おなかいっぱいで眠くなってきたにゃあ……」
「一体どれだけ寝れば気が済むのよ」
眠そうに目を擦りながら言うみけにもユーリカは容赦しない。
「にゅ? いっぱいにゃ〜」
「ねぇ、みけちゃん。今夜一緒に寝ても良い? ……だめかな?」
「ん~? クレア、お客様にご迷惑かけちゃダメよ」
みけにしがみついて遠慮がちに言うクレアに、ミリア殿は困った顔をしておっとりとした調子で注意する。
「にゃ~ わたしもクレアちゃんと一緒が良いにゃ」
「やった! みけちゃんは良いって。ママ」
飛び跳ねて喜ぶクレアを見て、ミリア殿は頬に手のひらを添えて首を傾げる。
「あらあら、困ったわね。みけさん、ごめんなさい。普段はこういう事を言う娘ではないのですが……」
「ま、良いんじゃない? みけちゃんもこう言ってることだし。尻尾で遊べないのは残念だけど……」
「えへへ、今夜は一緒だね。ごろごろ~」
「にゃ~ ごろごろ」
二人ともお互いにすっかり懐いてしまっているようだ。ユーリカもじゃれあう二人を楽しそうに眺めている。
「……このような感じですし、お気になさらず。ミリア殿」
「何から何まで申し訳ございませんわ。ありがとうございます」
「ふにふに」
「うふ、良い子ですね。 オッジさんもユーリカさんも、お気遣いありがとうございます」
「気にしないで。この子、可愛い以外にあんまり取り柄無いし」
「にゃ!?」
「あはは、みけちゃんは優しいし素直だし、私は大好きだよ!」
「にゃーん」
それにしても、猫耳民は猫とは何も関係ないと言っていたはずだが……
こうしてみると…… ふむ、どう見ても猫だな。
「そういえばですねぇ お部屋はどうなさいますか? みけさんは四人部屋で申し込まれておりまして、一部屋しかご用意しておりませんでしたが……」
「うげ…… 別々の部屋にしてくれないかしら?」
そうだったか…… ユーリカの言い方には少し引っかかるが、私としてもその方がありがたい。
「もうお部屋のご用意は済ませてしまいましたので、今からご用意するとなると追加料金を頂くことになりますね」
「うっそ、最悪。交渉した意味ないじゃないの」
そういう問題なのだろうか?
「決まりですのでご容赦くださいませ」
「はぁ しっかりしてるわねぇ」
「パーティが同室で宿泊することは珍しい事ではないだろう。それほど私を信用できないのであれば追加料金を支払おうか」
「ふん、おじさんを信用してない訳じゃないけど、昨日組んだばかりなのに二人きりで相部屋なんて常識で考えておかしいでしょ」
「確かにそうではあるが……」
「おっちゃんもユーリカちゃんも仲良くするにゃあ」
「仲良くって、あのね…… そもそも、みけちゃんが…… う〜ん、悪くないか…… うぅ 仕方ない、我慢するわ」
これだけ嫌がっていても金は払いたくないとは…… もはや守銭奴の領域だな。
みけといいユーリカといい、前のパーティを抜けてからどうしてこうも変わった仲間が集まるのだろう?
「うふふ、それでは、お部屋にご案内いたします」
「何がそんなに面白いのよ」
「いいえ、失礼いたしました。なんでもありませんわ」
やれやれ、ユーリカも少しで良いからミリア殿を見習って欲しいものだ。
「みけちゃんはこっちね!」
「にゃーん」
楽しそうに寝室に向かう二人に比べて、こちらは……
横を見ると守銭奴エルフが静かに不機嫌なオーラを纏っている。