ミケランジェロの宿
辺りはすっかり暗くなり、ようやく到着した宿場町の囲いの門をくぐる。
若い頃道のりは何でもなかったものだが、やはり私ももう若くはないな。
「うにゃ~ やっと着いたにゃ お腹ぺこぺこ」
「すっかり暗くなっちゃったわね。 全く、その巨大ニワトリのせいよ。 お陰で足がパンパンだわ」
荷車に乗せられたメガコッコをにらみながらユーリカがぼやいている。
「まぁ、そう言うな。 これだけの量なら、そうだな、三万ディルにはなるか」
「へー、そんなになるんだ。うふふ、よくやったわ。みけちゃん」
「もふもふ」
少し不機嫌そうなユーリカにそう告げると、一転気を取り直してにんまりしながらみけの頭をなでなでしている。みけもなんだか得意気だ。
気位の高いエルフも長く人間と一緒にいれば少々俗っぽい性格になるらしい。
「お泊まりは美味しいご飯とふかふかベッドの高級ホテルが良いにゃあ」
「もう、B級猫耳民のクセに贅沢言わないの。 ……そうね、あそこはどうかしら?」
ユーリカの指差す先には少し大きな民家といった佇まいの木造の邸宅。軒先にランプが吊り下げられて宿の看板が照らされているので営業はしているようだが……
「看板に三毛猫が書いてあるにゃん。かわいいお宿にゃ~」
「確かに、家族でやっている民宿といったところか」
「こじんまりしてて良さそうでしょ 何より安そうだし」
多分それだけの理由であの宿を選んだのだろう。
「ご飯出るのかにゃ?」
「とにかく行って聞いてみるか」
◇◇◇◇◇◇
ユーリカの選んだ宿の前に荷車を止めて気の扉を開くと、扉に付けられたベルがカランカランと軽快な音を奏でる、
一歩入ると、そこは宿帳が乗った簡素なスタンドテーブルがおいてあるだけの小さなエントランスだった。
「は~い! ミケランジェロの宿へようこそいらっしゃいませ~!」
トトトと木の床を鳴らし、金髪ショートボブのエプロンドレスを着た少女が廊下からひょっこり姿を現して両手でスカートの裾を持ち上げ片足を引くお辞儀をした。歳は十三、四ほどだろうか、髪型も背格好もみけに似ているが、みけよりは大人びているように見える。
「あら、かわいらしい。ここのメイドさんかしら?」
「はい! この宿の娘のクレアって言いま…… ミケ! ミケじゃないの!?」
自己紹介をする少女がみけに気付き、青い目を真ん丸に開いて一瞬時が止まったように固まり感嘆の声を上げる。
「にゃっ!?」
突然大声で名前を呼ばれたみけは驚いて耳と尻尾をピンと伸ばして毛を逆立てて硬直する。
クレアと名乗った少女はそんなことはお構いなしでみけに飛びつくように抱き着いてすりすりと頬擦りをしだした。
「ん、知り合いか?」
「ふにゅ 知らない子にゃあ。 うにゃあ! 尻尾触っちゃダメにゃ!」
「ミケ~ 会いたかったよぉ」
みけは頬擦りをしてあちこち撫でまわす少女にただただ困惑している。いったいどういう事だろう?
「クレア、どうしたの? お客様にはきちんとご挨拶なさい」
鈴を鳴らすような澄んだ声と共に、色白な細面と腰まで伸ばしたひとつ括りの金髪が印象的な、ブラウスに茶色のロングスカート、深緑のエプロンを着けたご婦人が現れ、優雅にお辞儀をする。
「冒険者様、ミケランジェロの宿へようこそいらっしゃいませ。主のミリアと申します。長旅でお疲れになられたでしょう?」
細い目をさらに細めた笑顔で女主人のミリア殿が挨拶する。落ち着いて家庭的な、雰囲気の良い女性だ。
「いえ、これくらいの山越え、何のことはありません」
「まぁ、頼もしい。さすがは冒険者様です。お泊りは、三名様、ですね」
ミリア殿が私とユーリカの顔を順に見回して、そしてみけの顔をじっと見つめる。みけに抱き着いていたクレアはみけから離れてお行儀良くしている。
「あら? ふふ、本当にミケランジェロにそっくりですわね。まるで生まれ変わりみたいに……」
「ミケランジェロ?」
「以前ここで飼っていた猫の名前ですわ。この宿の名前の由来にもなっています。表の看板に描いてありましたでしょう? 娘が1歳の時から飼っていたのですけれど、先月に亡くなってしまって…… 五年前に夫が他界してからはずっと二人と一匹で暮らしてきたものですから、この子も寂しがっておりまして。失礼して申し訳ありません」
首を少し傾げ、人差し指を頬に当てる仕草でミリア殿が懐かしそうに語り、みけに詫びる。
「そうなんだ。この子もみけって名前なんです。 ぷぷっ、人間に生まれ変われて良かったわね。ミケランジェロ。 クレアちゃんもこの子をミケランジェロだと思って可愛がってあげてね」
ユーリカがミリア殿からみけに視線を移し、おでこに手をやって面白そうにからかう。
「みゅ~ どう考えてもミケランジェロよりわたしの方が年上にゃ! それに猫耳民は耳と尻尾が猫っぽいだけで猫とは関係ないの!」
おでこをポンポンされたみけは耳を寝かせ、説得力の欠片もない文句を言って不服そうにじとっとユーリカを睨んでいる。
「ミケはねっ、喉をこうやって撫でるとごろごろいうんだよっ!」
「ごろごろ」
クレアが嬉しそうに言いながらみけの喉をやさしく撫でると、みけもそれにつられて喉を鳴らす。
「へ~ ほら、みけちゃん、ごろごろ~」
「ごろごろ…… はうっ!?」
「あはははは」
しまったと目をまん丸くするみけにユーリカが満足気に笑った。
騒がしくじゃれ合う三人の様子を見守るようにミリア殿がうふふと笑っている。
「みけさんには少し悪いですが、あんなに楽しそうな娘を見るのは久しぶりです。本当にありがとうございます」
「いえ、これくらいの事…… みけもああして可愛がられるのには慣れていますから」
明らかに嫌がっているが、そう言う事にしておこう。
「今日はもうお客様はいらっしゃらないと諦めていたもので、お食事の用意に少しお時間がかかってしまいますが、よろしいですか?」
「ああ、お気遣いなく。私たちもこんな時間になり迷惑をかけた」
「とんでもありません。良いお客様が来てくださって私たちも助かります」
ミリア殿は目を瞑っているかのような細い目で笑顔を崩さず対応してくれている。小さな宿とは言えども母娘二人で切り盛りするのは大変だろうに……
「良い雰囲気のところ悪いわね。ちょっと奥さんにお願いがあるのだけれど」
そうして二人で話をしているとユーリカが間に割って入るようにミリア殿に声をかけてくる。
「はい、なんでしょうか?」
「さっき仕留めたメガコッコのお肉があるのだけれど、買ってくださらない?」
「ええと、そうですね。見せていただけますか? ランプを取ってきますので少しお待ちくださいね」
そう言い残してエントランスから延びる廊下の一番手前の部屋に入っていった。
「おじさん、ああいう女の人がタイプなんだ。可愛らしい奥さんよね。未亡人みたいだし」
「かっ、からかうのはよせ。決してそんな目で見ていた訳ではないぞ!」
「ふぅん。ま、そういう事にしといてあげるわ」
ユーリカが目を細めて私の顔を覗き込み、興味をなくしたようにみけとクレアの方へ離れて行った。
◇◇◇◇◇◇
ユーリカと共に先に表に出て待っていると、火を灯したランプを持ったミリア殿が手を繋いで楽しそうにはしゃぐみけとクレアを連れて出てきて全員でメガコッコを囲む。
「わー! おっきい!」
「本当。大物ですわねぇ」
「わたしが殺ったのにゃ」
みけが驚く二人に得意気に答える。
「みけちゃん、強いんだね。ミケランジェロもスズメとかネズミを捕るのが上手かったんだよ」
「そんな事は知らないにゃあ」
だがミケランジェロの話は気に入らないようだ。
「ん~、そうですねぇ 二万五千、と言いたいところですが、大物ですし丁寧に下処理されていますので、二万七千ディルというところで如何でしょう?」
メガコッコを一通り確認したところでミリア殿が穏やかな口調で値段を切り出すと、ユーリカが警戒の表情を浮かべる。
……出来る!
恐らく最初に口にした相場よりはるかに低い値段はブラフ。良い所を評価したところで出した相場の底値が本命か…… 交渉相手も私ではなく主導権を握るユーリカに絞っている。
ミリア殿、おっとりしているように見えてもさすがは女手一つで宿を切り盛りしているだけの事はある。
「それはちょっと安すぎない? 三万二千くらいの値段は付けられると思うんだけど」
「食肉にしてある状態でしたらその位にはなりますが、私の手では解体に手間がかかりますし、この状態では少し厳しいですわねぇ ここまで運んでいただいたご足労も勘案して、二万八千でどうでしょうか?」
「それじゃ、解体を手伝うから三万でどう?」
「……そうですねぇ 本日とお帰りの分のお部屋代とお食事代をこちらで持ちますので、そちらの戦士様に解体を手伝って頂く事と、あなたに食糧庫の氷を作って頂く事で二万八千ディルで決めましょう」
ミリア殿が笑顔でユーリカに対して右手を差し出す。
こちらの事情を把握したうえでのお互いに利のある交換条件だ。これなら文句は言うまい。
「決まりね。ありがとう。良い交渉になったわ」
ユーリカも緊張の表情を緩め、今まで見せたことのなかった爽やかな笑顔で握手を交わす。
ミリア殿、こう見えてなかなか侮れない女性だ。
◇◇◇◇◇◇
交渉の清算が終わって母娘は夕食の用意に、みけは宿帳への記帳にそれぞれ宿の中に戻り、私とユーリカはメガコッコを運び込むためにその場に残った。
「ミリアさん、ああ見えてなかなかやるわね」
「そうだな。母娘二人だけで宿を営んでいるんだ。あの位の強かさは必要だろう。それにしても、ユーリカもあのように素直に笑えるのだな」
「私を一体なんだと思ってるのよ」
風になびくプラチナの長い髪をか細い指でかき上げて、淡く虹色に変化するグレーの瞳を細めて睨みつけてくる。口は禍の元だ。
大人しくしていれば森の妖精なのだが、今は魔王の娘といったところか……
「……さて、コイツを中に運び込まないとな。このままにしておくと野獣や魔物を呼んでしまう」
「ごまかしたわね。……ま、良いわ。このままじゃドアを通らないけど、どうするの?」
「背骨から二つに斬り分けて中で解体しようと思うのだが、凍った状態では少々骨が折れそうだ」
「そう。だったらその剣、抜いて頂戴」
「鎧通しは突き刺すための武器であって、肉を骨ごと斬るには不向きなのだが……」
「そんなこと知ってるわよ。良いから早く抜きなさい」
ユーリカに急かされるまま鎧通しを抜き、高く昇り始めた月の光にかざす。
「魔法金属かしら? 良い剣ね。おじさんにはもったいないくらい」
「放っておいてくれ」
「その金属は魔力を帯びやすいから纏魔がよく効くのよ。その分代償のダメージも大きいけどね」
どうやらユーリカはこの鎧通しに纏魔しようとしているようだ。
「構えて。代償は魔力のイメージが与えるもので実際に傷を負うことは無いけど、体力は削るし痛みも相当なものだから覚悟してね」
「ああ、承知した」
スティレットを構えるとユーリカの足元に風の紋章が描かれた青白い魔法陣が展開する。
呪文の詠唱と共に風が巻き上がり、ユーリカの着る白いローブの裾を翻す。
「エンチャント・エアリア! 刀身無き剣!」
ユーリカの声が高く響き、鎧通しの刀身に旋風が凝集していく。
うず巻く風が次第に剣の形を成し、キーンと耳を貫く高音と共に柄を握る右手を切り裂くような痛みが走る。
「ぐっ……」
「まだまだ、この程度に耐えられないことはないでしょう?」
背後に移動したユーリカからわずかな気遣いもない声が掛けられる。
「ふん、勿論だ」
「うふふ、良い返事ね」
嬉しいのだか楽しいのだか分からないが、ユーリカは笑いながらどんどん纏魔に籠める魔力を強め、それと共に鎧通しの先端に渦巻く旋風が収まり、紙よりも薄く硝子よりも透明な、圧縮された風の魔力でできた刀身が実体化する。
両手の痛みはさらに増し、腕を丸ごと引き裂かれ切り刻まれるかのようだ。
……だが、この程度の痛み、仲間をかばって実際に腕を引き裂かれたことのある私には、何のこともない。
「ふうっ!」
纏魔が終わり、見えない刀身を持つ剣を一振りして気合を入れ直す。痛みは一時ほどではないが、それでも体力と気力を削ぐには十分過ぎるほどだ。
「うふふふふふふふふ…… 良いわ。おじさん。素敵よ」
不気味で妖艶なユーリカの笑い声に、ゾクリと背筋に寒気が走る。
「ふふ、痛いでしょう? 若い子だったらすぐ音を上げてしまって、これだけの魔力は籠められないの。我慢できなくなったら言って頂戴ね」
背後からゆっくりと近づいて隣に立ち、剣を持つ私の手にひんやりとした白く華奢な手を添えて囁く。この女は魔女だ。
◇◇◇◇◇◇
風の魔力でできた見えない剣を月にかざすと月光をわずかに屈折させてその輪郭を現す。刀身のイメージを心に焼き付けて、荷車に乗ったメガコッコに切っ先を向ける。
「荷車ごと斬らないでね」
「無論。心配御無用」
心頭を滅却して腕に走る痛みすら忘れ去り、この世で最も軽く鋭い剣に意識を込める。
そして振り下ろす。
その刃は文字通り空を切るかのように抵抗なく、芯まで凍ったメガコッコの肉と骨を断ち、薄皮一枚残してその巨体を両断した。
その瞬間に風が抜けるように刀身が消失する。
「お見事ね。少し見直したわ」
「まぁ、こんなものだな」
鎧通しを鞘に戻して、まだ痛みの余韻が残る右手を見つめる。
「痛かったでしょ」
「なんてことない」
「我慢しちゃって。いつもそうなんでしょ 中に運び込むの手伝うから、それが終わったら少し休みなさい」
先ほどまで死体に触れることすら拒んでいたユーリカが自ら率先して二つに切り分けられた肉の片方を細い腕で抱え、おぼつかない足取りで持ち運ぼうとする。
仲間のために我慢をする癖はユーリカも同じか。
「まてまて、無理して一人で運ぼうとするな。力仕事は私の役割だ」
「おじさんこそ、もう歳なんだから自覚してよね」
「ははは、歳はユーリカも一緒だろう」
「なっ……! エルフと人間とを一緒にしないで! 私だってエルフの中では若者なんだからねっ! ほら、早くそっち持ちなさい。さっさと終わらせてしまいましょ」
怒らせて私に力仕事を押し付けるように仕向けたが、ユーリカはそのような気はさらさらないようだ。
結局ユーリカの愚痴を聞きながら協力してメガコッコの肉を宿の厨房まで運び込んだ。