猫耳民の少女
灼熱地獄のヴォルカヌス火山から馬車に乗って1日半、我々が拠点としているイストラの街へと戻り、ギルドへの報告の前に酒場でささやかな祝勝会を開いていた。
呑めないリィス君にエリナ君が賑やかに絡み、ほろ酔いのアレク君がチャチャを入れる。そんな様子を眺めながら、依頼達成の喜びを胸に、冷たい麦酒を呑む。まさに至福の時間だ。
酒も回り、宴もたけなわといったところで一人の男がやって来てアレク君に親しげに話しかける。
歳はアレク君と同じくらいだろうか、クセのある金髪をオールバックに整え黒銀の鎧に竜の鱗を加工した槍を背負った精悍な若者だ。
胸には私たちと同じB級冒険者のバッジが付けられている。
「よう、アレク。その様子だと依頼達成みたいだな」
「あ、ああ。エリック。オッジさんのおかげでな」
アレク君がエリックと呼ぶ若者に目配せして私を紹介する。
「へぇ、この人が。どうも、アレクの旧友のエリックです」
「オッジ・オールドマンだ。初めまして、エリック君」
「この度はどうもありがとうございます。いやぁ、どうしようかと思ってたところで、オッジさんのおかげで助かりました」
エリック君が気さくに礼を言うが、初めて会うこの若者に何かしただろうか?
「さて、礼を言われる覚えはありませんが?」
記憶をたどってみても思い当たるフシは無い。
アレク君とエリック君の顔を交互に見て質問すると、アレク君がバツが悪そうに視線を外す。エリナ君とリィス君の方を見ても黙って俯くばかりだ。
「あれ? おかしいな? ちゃんと言ったよな、アレク」
「はは…… 実はまだ……」
「あっちゃ! 俺、マズい事しちゃったかな?」
微妙な空気の中行われる不思議なやり取りに心がざわつく。
「オッジさん……怒らないで聞いて欲しいんだけどね……今回の討伐依頼、パーティーの登録をオッジさんじゃなくて、このエリックでしてるんだ」
「は? 何を言って……?」
唐突な言葉に理解が追い付かなかった。
「オッジさん、本当に済まない! A級に上がったらエリックとパーティーを組むことにしたんだ! ……だから、オッジさんとはもう……」
信じがたい状況に目の前の世界が歪む。
酔いはすっかり醒め、アレク君の言葉が脳内で何度も繰り返されて、やっと理解が追い付いた。
「それでは、私はA級にも上がれず、パーティーも失うことになってしまうのだが……」
「うん、申し訳ないけど…… ほら! オッジさんは強力な特殊な加護を持ってるし、経験も豊富だから…… きっと、また良い仲間が見つかるよ!」
私の疑問を打ち消すようにアレク君が態々しく前向きに答える。
「えぇと、その、オッジさんがいつも敵の攻撃に耐える姿が痛々しくって見ていられなくって…… その……今まで護ってくれてありがとうございましたっ!」
「私、治癒師なのに、オッジさんの特殊な加護があったら私の居る意味がなくて…… パーティーにもオッジさんにもお役にも立てない事がずっと心苦しくて…… オッジさんならきっともっと良いパーティーに巡り合えると思います。 だから……今回の事は本当に申し訳ありません!」
アレク君の後に続くようにエリナ君とリィス君がそれぞれに恐縮し、深々と頭を下げながらお詫びと別れの言葉を告げる。
「そんな事は…… 私は、君たちと一緒に旅ができて役に立てれば、それだけで満足だ。……どうか考え直してもらえないだろうか?」
親しい仲間たちのよそよそしい態度が心に突き刺さり、思い直すよう促すのが精いっぱいだった。
「オッジさん…… もう決めたことなんだ。申し訳ない……」
アレク君は話し合う気もない様子で、ただ頭を下げて謝罪の言葉を繰り返す。
「その、何ていうか、お疲れ様。これ、今回の討伐の報酬と同じだけ。全部オッジさんの物だから。な」
エリック君が肩をポンと叩き、金貨の詰まった袋をテーブルの上にドンと置いて言う。
「その金は、君達で使うと良い。A級冒険者になったら色々入り用が有るだろう。 ……アレク君、エリナ君、リィス君、今までありがとう。短い間だったが、君たちと一緒に旅ができて良かった。それでは、さらばだ」
まるで手切れ金のようなその金を受け取ることはできなかった。
俯き、目を合わせようともしない元仲間達への最後の気遣いだと自分に言い聞かせて最低限の挨拶をし、その返事を待つこともなく何かに追われて逃げるようにその場を後にした。
◇◇◇◇◇◇
下宿への帰り道、すでに真っ暗になった路地の道を歩く、細く、汚く、薄暗く、曲がりくねった迷路のようなその道はまるで自分の人生のようで、今日の出来事が頭の中で渦巻き自然と足取りが重くなる。
「ほんと、今回のタンカー無いわぁ やっぱ野良はダメだな。前衛が真っ先に死んじまってどうすんだっての」
「マジ胸糞。あの雑魚のせいで依頼不達成で骨折り損の成果無しなうえに荷物捨てての敗走で大赤字だぜ」
どさっ
酔った若者が管を巻く粗野な騒ぎ声に子供が倒れるような鈍い音、「にゃっ!?」と小さな悲鳴が路地裏から聞こえた。
「おっ、なんだぁ? あぁ!? こいつ、雑種の猫耳民だぜ?」
「んんっ? ぎゃはは、ホントだわ。いい玩具見っけたな!」
「丁度良いや。今日はこれで憂さ晴らしすっか…… なっ!」
ごすっ!
「ごふ! ううぅ……」
「お前、マジ鬼畜だな…… まぁ、こんなメスガキの雑種じゃサンドバックにするくらいしか価値無いわな。大方パーティーにでも捨てられたんだろ……っ!」
げしっ!
「ぎにゃ!」
「あはは、いいな、これ。面白い声で鳴くぜ」
「うぅ…… いたいこと やめてほしいにゃ」
「ん? 俺たちに指図する気かぁ?」
これは放っては置けん。
「お前たち、何をしている!」
駆けつけて制止すると酔っぱらった二人の冒険者の傍らに薄汚れた白いローブをまとった猫耳民の少女が倒れている。
「『君の痛みは私の物』!」
スキルを使うとともに、腹を蹴られた内臓をえぐるような痛みが襲ってくる。
が、これしきのこと、この少女が小さな身体で受けた痛みの肩代わりだと考えればどうってことはない。
「あぁん!? なんだよ、おっさん。文句あるってのか?」
「このようなか弱き少女をいたぶって喜ぶとは、冒険者の風上にも置けん。恥を知れ」
「おっさんには関係ねぇだろ! 俺たちゃ気が立ってるんだ、痛い目に遭いたくなけりゃすっこんでろ!」
全く、最近の若者はなっとらんな。このような輩が冒険者として認められているとは…… 嘆かわしいことだ。
「痛い目か……良いだろう。私がこの少女の代わりに殴られてやるから、気が済んだら立ち去る事だな」
「おー、おっさんのクセにかっこいいね。後悔しても知らねぇからな」
「へへっ、マジで良いのかよ? 泣き喚いても容赦しねぇぞ。半殺しにしてやる!」
「御託は良い。掛かって来なさい」
◇◇◇◇◇◇
殴られ、蹴られ、若者の暴行はしばらく続いたが、それは語るにも及ばない物だった。
先ほど話していた真っ先に死んでしまったタンカーとやらも、此奴らの殲滅速度が追い付かなかったせいで敵からの攻撃に耐えきれなくなったのだろうと思うと浮かばれないな。
「……気は済んだか?」
「はぁ、はぁ、はぁ…… マジかよ…… なんだよ、このおっさん……」
「クッソ! こうなりゃ自棄だ! ~~~~……! 『炎柱』!」
「おい、お前……! やめ……」
暴行で息を切らせた男の一人が炎の呪文を詠唱しだし、気付いたもう一人が色めきだって制止する。
……だが、遅かった。
正当性無き町中での攻撃魔法の使用、人間に向けた魔法攻撃、いずれも冒険者の資格を一発ではく奪される程の重大な違法行為だ。
来る中級火炎魔法の攻撃に覚悟を決めると、たちまち足元から立ち上った魔法の劫火に身体を包み込まれた。
「ぐぅっ……!」
激しい炎がブスブスと皮膚を焦がし、筋肉を焼く。
そして、火葬場を思わせる嫌な臭いを残し、何事もなかったかのように炎は消えた。
「お前…… これ…… どうすんだよ!」
「あぁ…… すまん…… つい、カッとなって……」
罪を犯してやっと自分たちがした事の重大さに気付き、青ざめた二人がただただ狼狽える。
ぱち、ぱち、ぱち……
「なかなか面白い手品だったぞ。 ……さて、困ったな。手品では大した罪にはならないか」
「なっ……!?」
「はぁ!?」
炭化から再生した手でわざとらしく拍手をしながら睨んで惚けて見せてやると、二人は素っ頓狂な声を上げ、間抜けな顔を晒して呆然としていた。
「今日のところは見逃してやる。頭を冷やし、明日からは冒険者として精進すると良い。 ……解ったな!」
「「はっ、はいぃ!」」
これ以上厄介事に巻き込まれるのも面倒だ。逃げていく若者達を見送り、視線を落とすと少女が怯え、警戒するようにこちらを見つめている。
特徴的な虹彩を持つ緑色の瞳、切れ長のつり目、薄茶の猫毛に所々黒と白の混じったショートボブからちょこんと三角形の耳がはみ出している。なるほど、確かに雑種の猫耳民だ。
さて、どうしたものか……
「助けてくれたの ありがとございますにゃ」
暫く見つめ合っているうちに、状況を把握して少し落ち着いた様子で少女の方から話しかけてきた。……それにしても、緊張感に欠ける声だ。
「……大丈夫か?」
「ふみゃあ 不思議 大丈夫みたいにゃ お腹蹴られたのにもう痛くないの」
こちらの質問で思い出したように目を丸くして耳を後ろに寝かせ、お腹をさすっている。
「私のスキルの効果で君のダメージを肩代わりしたんだ」
「にゃっ!? ……かたがわり? おっちゃんは平気なの?」
……どうやらこの子にとっては私はおっちゃんらしい。
確かに、私の名前はオッジだし、適齢で結婚していればこのくらいの娘が居てもおかしくはないが……
「ああ、大丈夫だ。この程度、なんてことはないさ」
「んにゅ ……それは嘘にゃ わたしが蹴られた時は死にそうなくらい痛かったにゃ それに その後もいっぱい非道い事されてたし 火の魔法でも焼かれてたし」
「まぁ、そうだが…… 特殊な加護のおかげで傷はすぐに癒えるし、この程度の痛みにはもう慣れてしまったな」
私の答えに不服なようで、目を細めてジトっと見つめてくる。
「……まだ痛むにゃ?」
「ああ、傷は治っても、受けたダメージの分だけ痛みを負わなければならない」
そう言った途端に、耳をピンと立てて、ローブの裾からはみ出した尻尾をゆらゆらと左右に振りながらゆっくりと近づいてきた。
丁度胸の当たりでぴょこぴょこ動く猫耳を見ていると少女も顔を上げ、緑に輝く瞳に目が合った。
「ん~ それじゃ 手を出すにゃ」
「あ、ああ……こうか?」
少女に右手を差し出すと、小さなふわふわした手を添えて少し持ち上げる。
「痛いの痛いの飛んでくにゃ」
そう言うと私の手の甲を小さな舌でぺろりと舐めた。
……なんだこれは?
と思っているうちに先ほどのダメージの痛みが消えていく。
「これは?」
「ねこヒールにゃ」
「……さっぱりわからん」
「わたしは治癒師なの みんなから傷はちっとも治らないけど痛みを取るのだけは上手いねって褒められるにゃ」
少女よ、それは褒められている訳ではないぞ。
「わたしは痛いのが怖いから痛みを取る魔法ばかり上手になったの おっちゃんも平気って言ってるけどホントは辛いに決まってるにゃ」
暴行を受け、全身を焼かれる苦痛から解放されて、今は温かな毛布にくるまれているような気分だ。これが、この心優しい少女の魔法なのだろう。
「……そうか、ありがとう。すっかり痛みはなくなったよ」
「にゃっ! そいえばまだ言ってなかったにゃ みんなわたしのことは みけちゃん って呼ぶにゃあ」
扱いが猫そのものなのだが、良いのだろうか?
「そうか、みけ君か。……私はオッジ・オールドマンだ
「うにゅ みけでいいにゃ おっちゃん」
……まぁ、良いか。
「……わたし パーティーのみんなにお世話になってたのに 等級が上がって解散しちゃったから帰るところが無くなったのにゃあ」
「そうか…… 私と同じだな」
パーティーの絆は強く、儚い。
この子はあっけらかんと言うが、内心は酷く傷付いているに違いない。私が人知れず痛みに耐えるように。
「おっちゃんもおうち無いにゃ?」
「いや、パーティーを失ってしまったところだな。狭い下宿だが帰る家はあるぞ」
そう言うと目をキラキラさせてこちらを見つめてくる。
「にゃっ! なんでもするから おっちゃんのお家において欲しいにゃ」
「ふぅ……仕方がないな。何でもは必要ないが、君をこのまま放っておくこともできないし、これも何かの縁か……」
これではまるで自分への言い訳だな。
「やったにゃ! これからよろしくにゃ おっちゃん」
「ああ、よろしく。みけ」
みけは目を細め、猫耳も尻尾もピンとまっすぐに立てて喜んでいる。
昨日今日で失ってしまったものは少なからずだが、この素直で優しい少女と新たな人生を始めるのも悪くないか。
こうして、猫耳民の治癒師みけと生活を共にする日々が始まった。