みけの能力
雲一つない満天の星空の下、毛布に包まって焚き火に当たり、まどろみの中で意識を落とさないようにじっと耳を澄ます。騒がしかった虫の音はすっかり静まり、焚き火の中で炭化した薪のパチパチと爆ぜる音だけが響く。
危険な気配もないまま東の空が僅かに白み始めた頃、二張のうちの近い方のテントの幕がゴソゴソと動き、ユーリカが暗い足元を確かめながらゆっくりと這い出して星空を仰ぐように大きく伸びをする。
「はぁ やっぱり早朝は冷えるわね。おはよう、おじさん」
「ずいぶん早いな、もう少し寝ていても――」
「いつも起きるのはこの時間なの。十分眠ったから気にしないで」
瞳に焚き火の炎を映すと眩しそうに目を細め、羽織ったマントの裾を直して少し離れた隣りに座る。
「夜更けまでテントの中がうにゃうにゃ騒がしかったが?」
「んふふ、ゆうべは楽しませてもらったわ」
「……そうか」
ユーリカは満足げに顔を綻ばせる。みけはともかく、くろ君には申し訳ないな……
「おじさん、少しお話良いかしら?」
「夜明けまでかなり時間がある。聞くまでもないだろう。大事な話か?」
「さぁ、どうかしら? 少なくとも、私にとってはどうでもいい話かもしれないけれど」
ゆっくりと瞬きをすると、一転して感情を見せない冷たい瞳をこちらに向ける。
「……みけのことか?」
今こうしてユーリカと二人きりで話さなければならない話題は他に心当たりがない。
「そうね。 ……おじさんはどうするつもり? ずっと自分の痛み止め役をさせようと思っている訳ではないでしょう?」
「それはみけ次第だ…… と言うのは少々無責任な話か」
「少々どころじゃないわ。みけちゃんを本当に仲間だと思うのなら、なおのこと」
私の答えに抗議するように一瞬睨みつけ、焚き火に視線を落とす。みけの将来を思えば、このままみけに好きにさせる訳にはいかない。お互いにわかっていることだ、それに、おそらく、みけ自身も……
「ふむ…… その通りだ」
「この依頼を終えるまでに答えを出して頂戴」
「……わかった。そうしよう」
静かにため息を吐いて、緊張をほぐすように焚き火に二、三本薪を放り込む。
「ふふ、こんなことを言うのはおじさんとみけちゃんだからよ。さ、あとは私が見張りをしてるから、夜が明けるまでしっかり休みなさい」
少し明るくなった炎にユーリカの穏やかな笑みが照らし出される。
「ああ、そうさせてもらおう。 ……ユーリカ」
「何?」
「感謝する」
「当然のことよ」
今はもう何も気を使うことはない。
そのまま目を閉じると、一瞬のうちに意識が眠りの淵へと落ちていった。
◇◇◇◇◇◇
朝、日の出とともに目を覚ますとすっかり薪は尽き、焚き火は消し炭の跡が残るのみになっていた。立ち上がって伸びをすると固まっていた関節が鈍い痛みとともにぎしぎしと軋む。ゆっくりと屈伸をし、アキレス腱を伸ばし、腕を振り、肩を回す。
「動きが年寄りくさいわよ。おじさん」
「放っておけ」
そうしているうちに木の枝を両手いっぱいに抱えたユーリカが現れ、冷水を浴びせかけてくる。
「おはよう、みんな! 今日も良い朝だな!」
「おっ、おはようございます……」
竈に薪を組んでユーリカに着火してもらい、徐々に火を大きくしているうちに遠い方のテントの幕が開き、キャロ殿が凛と響く挨拶とともに現れ、それに続いてクライス殿がゆっくりと出てくる。
「おはよう、ふたりとも。ゆうべはお楽しみだったわね」
「……ふむ、ゆうべはお楽しみだったな」
なるほど、この『お約束』とは、こういう時に使うものなのか。
「あっはっは! ゆっくりと楽しませて貰いました! な、クライス」
「べっ…… 別に何もしていませんよ! 僕もキャロさんも女神様に仕える身ですからねっ!」
「ん、何を言っているんだ? 私はクライスの側に居るだけで楽しいからそう言ったまでだが、君は違うのか?」
「そっ、そうじゃなくて…… 僕もキャロさんの側にいるのは楽しいですがっ! ……あっ!?」
楽しそうに笑いながらからかうキャロ殿と、顔を真っ赤にしながら動揺して本音を漏らすクライス殿、なかなか良い仲のようだ。このままではクライス殿の先行きは苦労しそうではあるが……
「あらあら、朝っぱらからお熱いことで」
「仲良きことは美しき哉」
「お二人とも、からかわないでくださいよ〜!」
頑張れ、若者よ。
「……キャロ、クライス、朝からうるさいにゃ」
「うにゅ〜ん」
不機嫌そうに呟く声と気の抜けた傍のテントがゴソゴソと蠢き、猫耳民の二人が揃って耳と尻尾を垂らしながら、のっそり這い出してくる。
「うにゃ〜 みんな おはようにゃあ」
「……おはにゃん」
みけは背伸びしながら大きなあくびをし、くろは細めた目をこすりながら不機嫌そうに、それぞれに挨拶し、寄り添って焚き火の前に座り込んで背中を丸め身体を温める。
「うふふ、おはよう。みけちゃん、くろちゃん」
「にゃ!」「……むっすー」
ユーリカよ、随分嫌われているようだぞ。
「私達は朝食の前に水浴びしてくるから、おじさんとクライスくんは野営を撤収しておいてもらえるかしら?」
「まったく、人使いの荒い奴だ」
「そういう気遣いができないといつまでも独り身のままよ。クライスくんは、してくれるわよね?」
「はっ…… はい!」
余計なお世話だ。そしてクライス君をだしに使うんじゃない。
「それじゃ、決まりね。あと、そこの木から泉の方には近づかないこと。覗いたら滅するから」
「あっはっは! ユーリカ殿は物騒だな! 私ならオッジさんやクライスになら身体を見られてもかまわないぞ! お二人ご苦労には報いなければ!」
「キャ…… キャロさんっ!」
「……クライスのえっち」
「ふむ……」
程よく鍛えられたすらりと伸びた手足、豊かな胸、シャツの裾から覗く薄っすらと割れた腹筋、それに反して女性らしい柔らかな曲線を描く腰から尻にかけてのライン…… 悪くない。
それに比べてこの性悪エルフときたら…… 無駄な肉付きはないが色気の欠片もないな。
猫耳民二人は…… 問題外だな。
「どこ見てるのよ。全く。嫌ね、男って…… 行くわよ、みけちゃん、くろちゃん」
ユーリカは蔑むように睨みつけ、ふいっと振り返ってみけとくろの服の襟を掴む。
「うにゃ 身体濡れるのやだから拭くだけでいいにゃ」「……いいにゃ」
「二人とも女の子なんだからキレイにしなきゃダメよ。ほら、私が身体洗ってあげるから一緒に来なさい」
「ふにゃ〜ん」
「……余計いやにゃ」
「それじゃ、あとはよろしくね」
「……ああ」
「ごっ、ごゆっくりっ!」
猫耳民は有無を言わさず、ずりずりと泉の方へと引きずられていく。
その後、野営の撤去をしている間中、泉の方から猫耳民の悲鳴と水しぶきの音が絶えることはなかった。
◇◇◇◇◇◇
野営の撤収を終え、朝食の準備を始めていると、水浴びを終えて泉から戻ってくるキャロ殿の後から、水浴びをした後だと言うのに疲労困憊のユーリカと猫耳民二人がよろよろと続き、焚き火の周りにぐったりと座り込んだ。
「もう! おとなしくしてれば三分で済むのに、暴れるからこんなに大変になっちゃうのよ!」
「うにゃ ユーリカちゃんが無理やり水につけようとするから悪いのにゃ」
「……猫耳民虐待にゃ」
怒るユーリカにみけもくろも不機嫌そうに耳を寝かせ、ジトっとユーリカを睨んで抗議している。
「まぁまぁ、お三方とも喧嘩はその辺にしておきまして、朝食にしましょう」
険悪な三人をなだめるように、クライス殿はあたふたと朝食のビスケットと干し肉、乾燥させた野菜やフルーツをそれぞれに配りはじめ、皆に行き渡るとこちらに目配せをする。
それに応えてその場に立ち上がり、場を収めるためにパンパンと二回拍手を打つ。
「さて! 皆、改めておはよう。 ……クライス殿、朝の祈りを」
「はい、それでは皆様、新たな一日に光と希望をもたらして下さる女神様に感謝と賛美を……」
それぞれが指を組み、祈りを捧げるあいだ、しばし静謐な時間が流れ、静かに朝食を食べ始める。
「そちらはこれからどうされるおつもりか?」
全員があらかた食事を食べ終え、出発の準備を始めるのを見て、改めてキャロ殿に問う。
「我々は引き続き調査に当たり、東の方へ向かう予定です。被害が広がる前に未確認モンスターを倒さねばなりません」
「そう、気をつけて。私たちは依頼された薬草の残りを採集してミールに向かうわ」
「ここでお別れにゃあ」
「……にゃ」
「そうだな。 ……一夜の付き合いではあったが、君たちに出会えて良かった。いづれどこかで再び相見えよう」
「ええ、こちらこそ。オールドマンさん達のお陰でしばらくぶりに十分な休息が取れました。感謝します」
「無理はしないようにね」
「ええ! 重々承知の上です!」
「武運を祈る。 ……それでは行こう。さらばだ、高貴なるミール教会聖騎士団諸君!」
「なによ、意味もなくカッコつけちゃって。 ……それじゃ、さようなら。また会える日を楽しみにしてるわ」
「さよならにゃ」
「それでは、これにておさらばです!」
「御一行に女神様の加護があらんことをお祈りいたします」
「……ばいばい」
出発の準備を終え、聖騎士団と互いに旅の無事を祈り、別れを告げて、それぞれの方角を目指した。
◇◇◇◇◇◇
足元にはホーリークローバーが生い茂り、緑の絨毯が一面に広がるミール近郊の草原。
地平線の向こうの一帯には市街があることを示す生活の火の煙が立ち上る。
そして、視線の先にはモコモコの白い毛に覆われ、その分厚い毛皮の上からも明らかな筋骨隆々の偶蹄の巨躯、頭の両側から生える巨大な角は根本からぐるりと一度旋回し鋭利な先端が前方を向く。おそらくその強さ故に群れを離れた一匹のジンギスホーンが、おそらくこちらに気づいていながらも悠々とホーリークローバーを食んでいる。
「めっちゃでっかいにゃ」
「ああ、大物だな」
「こわいにゃ」
「ええ、凶暴そうね」
「わたし 治癒師なのにゃ」
「そういえば、そうだったな」
「戦闘職じゃないのにゃ」
「狩猟民族でしょ」
「うにゃぁん! わたしだけじゃ あんなの狩れないにゃ! おっちゃんも一緒に頑張るにゃあ!」
「ダメだ。これはみけの役割だ」
故意かどうかは分からないが、みけは私たちに本来の適正を隠して治癒師を名乗っている可能性がある。この狩りはそれを確かめる良い機会になるだろう。
身をかがめジンギスホーンを注視しているみけから一歩下がってユーリカとアイコンタクトを取る。
「みけちゃん、支援はしてあげるから自分で狩りなさい」
「うにゅ〜」
「それとも、諦めるか?」
「うぅ〜 ……やだにゃ」
「それじゃ 頑張りなさい」
「ふにぃ……」
みけは耳を寝かせて怖がりながらも、尻尾を地面と平行に伸ばし、碧玉の瞳を輝かせて、一心にジンギスホーンを見つめている。
「……うにゃ ユーリカちゃん ローブに風のエンチャントかけてほしいにゃ」
しばらくジンギスホーンに注視していたみけがいつのまにか耳をピンと立て、前方に視線と意識を集中したままユーリカに話しかける。
殺気と気配を消したまま獲物を狙う、良い集中力だ。
「お、やる気になったのね。他には?」
「大丈夫にゃ」
「ダメージの身代わりは要るか?」
「いらにゃい」
「そうか。気をつけるんだぞ」
「……いくにゃ」
風のエンチャントを纏ったみけは、ダガーを逆手に握り、息を殺し身をかがめたまま一歩、二歩と静かに足を進め、そして走る。
サクサクと軽快に下草を踏みしめる音が消え、草原を駆け抜ける一陣の風と同化して前方のジンギスホーンに襲いかかる。
――ボン!
突如ジンギスホーンの眼前に炎が上がる。
こちらに警戒しながらも不意を付かれる形となったジンギスホーンが慄き、両前足を跳ね上げてブルルと嘶く。
「あれは?」
「炎の魔法ね。わざと外したみたいだけど」
「ふむ、奴の角と毛皮は刃物を通さない。ああやって急所を狙う気だろう」
「ふぅん……」
上半身を起こしたジンギスホーンがみけの存在に気づき、鋭利に尖った角を向ける。
それに対し、みけは怯むことなくジンギスホーンが地面に足を下ろす瞬間を狙って突進する。
眼前を横断する瞬間、がら空きになった喉にダガーの刃をするりと通し、そのまま後方へと駆け抜けた。
「メエェェェェ……!?」
――ドシャッ!
ジンギスホーンの鳴き声が消えて空気の抜ける音に変わり、足が地面についた瞬間に上半身が地面に崩れ落ちた。
みけは警戒を解かないままジンギスホーンの後方でくるりと振り返って仕留めたことを確認する。
「ほう、見事な腕だ」
「あの手際、暗殺者並じゃないの?」
「まぁ、食肉用の獲物相手ならな」
地面に崩れ、喉から大量の血を吹き出すジンギスホーンの頭を撫でてから、緊張を解いたみけが機嫌良くこちらへ戻ってきた。
「おわったにゃ〜 しばらく血を抜いてから毛皮を剥いで解体すにゃ」
「うげ…… ま、適当に。私はその間にホーリークローバーを摘んでくるわ」




