特殊な加護
ヴォルカヌス火山の麓にある溶岩の流れる洞窟、通称煉獄の入口。洞内の温度は摂君百度に達し、火山ガスが充満する灼熱の地獄だ。
「ぐぅっ! ぐぎっ…… くぅっ!」
木と革でできたブーツ越しに、燃えるような地面の熱が容赦なく足の裏を焼き、呼吸をする度に高熱の硫酸ガスが肺を灼いてくる。
「お、オッジさん…… 大丈夫、ですか? 俺の靴も一応耐熱の効果が付いてますんで、代わり、ましょうか?」
アレク君が気を遣ってくれるのは嬉しいが、今回の目的であるレッドホットチリドラゴンの討伐を前に、こんなことをリーダーである彼にさせるわけにはいかない。
「くっ! わっ、私はっ! 特殊な加護を受けているのでっ…… ぐうっ! 決して真似をしないで下さいっ!」
足の裏を焦がす痛みに耐えて、ここに来るために調達した鉄の車輪の簡素な人力車を引きながら、車に乗るアレク君に応えた。
私には女神さまから与えられた特殊な加護がある。
その効果は非常に強力で、どのような攻撃であっても正面から立ち向かい、その痛みに心が折れなけば受けたダメージが一瞬で全て回復されるというものだ。
例えそれが、足の裏を焦がす灼熱地獄であっても……
「オッジさん…… 冷気の魔法で地面を冷やせば少しは楽になると思いますが……」
「いやっ、私なら大丈夫っ! くぅっ! 魔力がっ、もったいないですっ! これしきの熱さっ、屁でもないっ! ぐはぁ!」
魔術師のエリナ君の気遣いが心にしみる。痛みに立ち向かう勇気をありがとう!
攻撃手である彼女の魔力が切れてしまえばレッドホットチリドラゴンの討伐は難しい。それを考えればこれしきの痛み……
「ごめんなさい。オッジさん…… 空調魔法の効果がそこまで届かなくて……」
「心配無用っ! はぁうっ! このオッジ・オールドマン、ぐう! 仲間の為なら、例え火の中水の中ぁうっ!」
治癒師のリィス君の優しい言葉が私に力を与えてくれる。効果は届かなくても、思いは届いているぞ!
荒い路面に何度も荷車が車輪を取られ、そのたびに三人を乗せる人力車の引手が腹に食い込み、それを乗り越えるために焼けた地面を踏み込む。
既に靴底の皮は焼け、木の底板はすでに炭化して遮熱効果を失いつつある。
体中から汗が吹き出し、意識が朦朧としてくる。身体から失われた水分を補うため腰に下げた水筒から水を飲むが、それはすでに熱湯と化していた。
「あっち! っぐふぅ! はぁっ!」
喉を焼く痛みが食道を通過するが、幸いなことにそれが良い気付けとなった。
「やっぱり、引き返しましょう! これ以上オッジさんに負担をかけるわけには……」
「リィス君! うっ! それは、言いっこなしですっ! ふうっ! この討伐依頼をっ、達成できればっ! 念願のA級冒険者っ! なのですからっ! あぁっ!」
今の我々はB級冒険者だが、この討伐難易度レベル8のレッドホットチリドラゴンの討伐実績をギルドに持ち帰れば、A級冒険者へのランクアップが認められる。
A級とB級では冒険者としての待遇にも天と地程の差がある。四二歳厄年独身の私でもA級となれば美人の嫁さんが貰えるというものだ。
「そっ、そうだな! ここを乗り切ればA級だ。 みんな、頑張ろう!」
弱気を振り払い、皆を鼓舞する。アレク君、それでこそ我らがリーダーだ。私も皆を護るとここに誓おう。
◇◇◇◇◇
靴底が焼け落ち、既に役割を失ってしまったブーツを脱ぎ捨てた。足裏の肉が焼ける臭いが鼻を突く。一歩ごとに足の裏が焼けて炭化するが、痛みをこらえるたびに特殊な加護が重度の火傷でさえ一瞬のうちに無傷の状態まで回復させる。
岩だらけの道で人力車を引く為、力を込めて一歩を踏み込むたびに足の裏に激痛が走る。メンバーの皆さんは息を飲み、灼熱の洞窟には痛みに耐える私の呻きだけが響く。
そして、煉獄の入り口最奥部に到達する。
赤々と煮えたぎる溶岩溜まりのある空間。リィス君のファイングローブの範囲から出れば普通の冒険者なら肺を灼かれ、一瞬で行動できなくなる環境だ。
だが、私は特殊な加護を受けている。
肌を炙る地獄の気温、肺を灼く硫酸ガス、足の裏を炭化させるほどの地面の熱がもたらす痛みに心が折れさえしなければ、私は決して斃れない。
「出るぞ! レッドホットチリドラゴンだ!」
溶岩溜まりの表面が波打ち、ゴポゴポと低い泡立ちの音とともに溶岩の中からレッドホットチリドラゴンがその巨体を表す。
水面に潜む水生爬虫類を巨大化したような姿、金色に光る眼、牛でさえ丸のみにできそうなほどの両顎から短剣のような牙がにょきにょきと生え、全身を覆う赤熱した金属のような鱗から溶岩がどろりと滴る。
「ぐぎゃあぁぁぁぁああぁぁ!」
洞穴内を振動させる咆哮と共に短い四本足で匍匐前進するように溶岩溜まりから陸へ上がると、まとわりついた溶岩を払うように身体を震わせる。
ぎろり。
金色の瞳がこちらを睨む。戦闘開始だ。
「『君の痛みは私の物』!」
皆の痛みを私が背負うことをコストに、私と同じ特殊な加護をメンバーに与えるスキルだ。
これで、このデスゾーンでもみんなが自由に動くことができる。
ただし、私の痛みは四倍に増える!
「よし! みんな、散開して交戦距離を確保だ!」
「ああ!」「了解!」「はい!」
私が目指すは誰よりも敵に近い最前線だ。
皆もそれぞれの返事と共に人力車を降り、各自のレンジへ散開する。
「ぐぁああぁっ! ……ふーっ! ふーっ! ふーっ!」
途端に他の三人が負うべき痛みが私の一身にふりかかる。
肌が、肺が、足の裏が燃え、焼け落ち、炭化する痛みに耐えるため、奥歯をギリギリと噛みしめて、呻きと共に細く長くゆっくりと呼吸する。
「だっ…… 大丈夫、ですか?」
「ふぐっ! 私に構わずっ、奴を!」
駆け寄ろうとするリィス君に右掌をかざして制止する。
「はっ…… はいっ!」
「リィスは最後方からいつでも対魔防壁を展開できるように待機! エリナは氷結砲撃の詠唱を! 二人とも、奴の吐炎の射線に重ならないように! オッジさん、動ける!?」
「くっ…… ああ、なん、とか……」
「きゃあっ!」「がふっ!」
意を決して動き出そうとした瞬間、後方へ走るエリナ君が躓いたのか、どさっと派手に転ぶ音と同時に私の身体に激痛が走る。
「ごっ、ごめんなさい……」
「ふーっ、ふーっ…… ああ、だいっ、じょうぶだっ……」
何事かと振り向くとエリナ君が慌てて起き上がって少し焦げた耐火マントをはたき、申し訳なさそうにお詫びの言葉を言う。
顔面から焼け付く地面に着地したようだが、加護のおかげで、その奇麗な顔には火傷はおろか小さな傷もついていない。
よかった。嫁入り前のお嬢さんの顔に傷が残らなくて…… それを考えれば今の痛みなど吹き飛ぶというものだ。
そう自分に言い聞かせながら足底の痛みに耐え、敵の眼前に走る。
「オッジさん! そっちにブレスが行くよ! 構えて! リィス、レジストシールドを!」
「はいっ! ~~~~……! レジストシールド!」
アレク君の言葉にリィス君が詠唱を始める。
眼前の炎竜は炎を孕んだ両顎を大きく開き、その喉の奥が真っ赤に輝いている。
……来る!
「間に合えっ!」「ごぎゃあぁぁぁぁぁ!」
アレク君の祈りの言葉。
炎竜が咆哮を上げるとともに、真っ赤に燃え盛る灼熱の劫火が吐き出される。
……が、間に合わない。アレク君の祈りも空しく、レジストシールドが展開されるより早く、「ごおぉぉ!」という轟音と共に、地面の岩肌を溶かしながら疾る灼熱のブレスが我が身に迫る。
迫りくる劫火に対し、腕を身体の前に交差させ、これから訪れるであろう苦痛に覚悟を決める。
そして次の一瞬で全身がその炎に包まれた。
ブレスを前面に受ける両腕が燃え、ぶすぶすと白い煙を上げ、脂が滲み、見る見るうちに炭化していく。
「ぎぃいいいぃいぃぃぃ!」
熱さとも痛さとも判別できない激しい苦痛に耐えきれず、絶叫する。
だが、私はここで挫けるわけにはいかない!
ここはデスゾーン。私のスキルが無ければ皆は炎竜に立ち向かうどころか、この灼熱地獄の環境にすら耐えられない。
私の我慢に仲間全員の命がかかっているんだ!
「ぐうっ! ……はぁっ! はぁっ!」
絶叫を噛み殺し、心頭を滅却する。
今すぐ全てを諦め、炎に身を任せて消し炭になってしまった方が、どれほど楽だろうか?
……いや、それだけはできん!
「うおおぉぉぉおぉ! はぁぁっ!」
気合一声、浴びせかけられる炎に立ち向かう。
その間にようやくレジストシールドが展開され、炎竜の吐く劫火が遮断された。
有難い、これでまだ耐えられる!
緩和されることもなく全身を襲う絶え間ない激痛に気が狂いそうになるが、仲間を想うことで辛うじて踏みとどまる。
骨まで炭化して今にも崩れ落ちそうな両腕が、みるみるうちに回復していく。全身に負った重度の火傷もすぐに跡形もなく消えた。
「はぁっ! はぁっ!」
「オッジさん! 無事か!?」「すみません! 展開が間に合わなくて」
「問題っ……無いっ! ぐぅっ……」
「みんな! アイスブラスト、いくわよ!」
ブレスが途切れるタイミングを狙い、エリナ君が炎竜に向けて掲げるロッドの宝珠から青白い魔法陣が展開し、凍てつく吹雪が旋風を巻いて炎竜に発射される。
ギイィィィィィィン!
赤熱した鱗で覆われた炎竜に冷気の塊がぶつけられると熱衝撃が全身に伝わり、急激に冷やされた鱗の一枚一枚が悲鳴を上げていくつもの亀裂が広がった。
「今だ! 走るぞ!」
「ああ! アレク君!」
洞内の温度が下がり、アイスブラストの直撃を受けた炎竜が動きを止めた隙に、アレク君と共に炎竜に突進する。
ジュウウゥゥゥウウ!
冷却の効果は長くは持たなかった。黒くひび割れた鱗が再び熱を帯び徐々にその赤みを増していき、沸点よりさらに過熱された蒸気が灼熱の渦になって炎竜を覆う。
この渦に飛び込むのか…… 望むところだ!
「オッジさん! 耐えられるか!?」
「当然だ! 任せておけ!」
高温の蒸気の渦の中に飛び込んだ瞬間、全身が焼け爛れる痛みが襲う。
「ぐぎぃ!」
高温蒸気によるダメージと特殊な加護による回復が拮抗し、絶え間ない痛みが押し寄せる…… まるで針の筵でできたサンドバッグにでも詰め込まれたようだ。
だが、これしきの痛みに屈しては皆を守ることはできん!
「ぐうぅぅ!」
渦巻く蒸気の中、凄まじい熱さ痛みに耐えながら、やっとのことで動きの鈍った炎竜の足元に到達する。
さらに温度を増し、鈍い赤に輝く炉の中の鋼のような鱗に走る亀裂を見て息を飲む。
見上げれば炎竜の首の上までは六メートルほど。私の身体能力では飛び乗ることはできないが、伝って登れない距離ではない。
つまり、この赤熱する鱗の亀裂に指をかけて、あそこまで登らなければならないのか……
だが、やってやる! それが女神様より与えられた私の力だ!
ジュッ! ジュッ! …… ……
「がぁっ、くっ……! ぎぎぃ!」
炎竜の鱗の亀裂に指を掛ける度に、その指先が炭化され、すぐさま回復され、また炭化されて…… そして、裸足のつま先もまた同様だ。
地獄の痛みに気を失いそうになるが、諦めてしまえがそこで終わり。この場にいる全員がこの灼熱地獄の灰になってしまう。
それだけは私のプライドが許さない。
アレク君…… 歳のせいでなかなかパーティーが見つからなかった私を気さくに誘ってくれた、誰にも分け隔てなく接し、どんな困難にも果敢に立ち向かう前途有望な若き勇者。
エリナ君…… いつでもおしゃれを忘れず、おしゃべりでちょっとおっちょこちょいなパーティーの花、いざ戦いになれば確かな火力と的確な判断で敵を撃つ華麗な魔術師。
リィス君…… 優しく可憐な治癒師。私のスキルの前であまり活躍の場がない事は申し訳なく思っているが、私の痛みは君の補助魔法の効果で十分和らいでいるぞ。
「おおぉぉぉぉおおおぉぉぉ!」
全員無事に帰還し、念願のA級冒険者になるっ! 今の私のただ一つの想いだ!
痛みは忘れろ、前だけを向け、そして炎竜を倒す!
炎竜の首にたどり着き、どっしりと高熱に焼けた鱗の上に腰を下ろす、そしてベルトに挿した鎧通しを抜く。私の自慢の相棒だ。
四十路の誕生日に買った自分へのプレゼント、どんなに頑丈な装甲でも貫き、折れることも曲がることもない希少な魔法金属でできた白銀に輝くスティレット。
本来B級冒険者の収入では手にすることも難しいが、20年間コツコツと溜めて払った前金と2年間の割賦で購入し、つい先日それも払い終えて晴れて我がものとなった。
これは最早、私の人生の一部と言えよう。
急所の真上に当たる部分の鱗に掌を乗せると、ジュッという音と共に肉の焼ける臭いが広がる。これしきの事、どうでもない。
真っ直ぐスティレットを頭上に振りかざし、体重を乗せて鱗の亀裂に勢いよく突き立てた。
ガシッ! メキッ! バキッ! ……
炎竜の鱗に何度もスティレットを突き立て、砕き割り、引き剥がす。苦痛を忘れるように、熱さを忘れるように、炎竜が暴れる度に体を支える手が、指が、足が、つま先が、燃えて、炭化し、また再生する。
そうしてようやく炎竜の鱗を剥がし終えた。わずか数分の作業だったが、永遠を想起させるのにはそれで十分だ。
……だが、これでこいつに止めをさせる!
「アレク君! 今です!」
「はい! オッジさん!」
炎竜を牽制しながら気力を溜めていたアレク君が炎竜の頭上に跳びあがり、空中で剣を振るう勢いで一回転し、先ほど私が露出させた急所に向けて落下の加速度と遠心力を乗せた剣を深々と突き立てた。
「ぐおおぉぉぉおぉおお!」
炎竜が苦悶の咆哮を上げる。
「アイスブラスト第二射、行くわ! 退避して!」
「いや! このままで結構! 耐えられる!」
炎でさえ凍り付かせる冷気も、長く高熱に晒された体にはちょうどいいだろう。
ギイィィィィィィン!
再びの熱衝撃に炎竜の全身に走った亀裂がさらに広がり、急所に突き立てたアレク君の剣の周囲に深いひび割れが発生して首を一周する。
「止めだっ!」
引き抜く勢いで振り上げた剣に体重を乗せ、再び同じ個所に突き立てた。
炎竜の首を一周したひび割れがさらに深まり、やがて頭の重量に耐えきれなくなり、頭部が身体から離れ落ちた。
ズウゥゥン!
炎竜の身体が崩れ落ちた。アレク君と私が炎竜の身体を降りると、その巨体は白い灰となり、後には深紅に輝く宝珠だけが残された。
「やった!」「……ようやくか」「うふ、勝ったわね」「皆さま、ご苦労様です!」
皆がそれぞれに喜びの声を上げる。全員無傷で困難を乗り切り、目的を達成できて、まさに感慨無量だ。
女神様、私にこの能力を授けて下さって本当に感謝しております。
「皆さま! オッジさん! 車に乗ってください! 早く回復しないとっ!」
リィス君の声にオーブを回収したアレク君と共に人力車の元へ駆け戻る。
「ぐぅっ!」
そして、炎竜との戦いで忘れていた、肌を炙り、肺を灼き、足底を焦がす四人分の痛みが思い出したかのように再び襲ってきた。
「ふう、さすが、リィス君のファイングローブだ。みるみる痛みが引いてくる」
全員が人力車に乗り込みファイングローブが展開されると、たちまちのうちに痛みが引いて無傷の状態に戻る。
ありがとう。女神様。リィス君。
「いえ、そんな…… ファイングローブなんて初歩の魔法で、大したことありませんよ。それよりもオッジさんの受けている加護の方がよっぽど凄いですよ。私が必要ないくらい……」
「リィス君、そんなことを言ってはいけない。私たちは仲間じゃないか」
「あ、ああ、そうだとも。俺たちはみんな仲間だ。な」
「はい、その通りです……」
「ええ……そうね」
皆のおかげで気力も体力も十分回復した。後は再びこの灼熱地獄の中、人力車を引いて地上に戻るだけだ。