有角種の森へ
その日は壁外都市の商業区の宿屋で二部屋を利用した。壁内の商店街で買ったオレンジをいくつか宿の女将さんに差し上げて、代わりに自分達で食べる分を夕食後に切って貰った。そのオレンジをつまんで口に放り込む。なおここの食事は都市西部に港があるため、海の幸もあり、とても満足のいくものだった。
「私にも、父さんの作った塩で味付けし、単に煮込んだだけの料理が美味しいと思えた時期がありました…… もう、あの頃には戻れません…… 」
「俺に料理を期待するな、大体、旅の途中も干し肉やガチガチのパンだったろうが」
「では、家にいた時はちゃんとしたモノを作れたと?」
「…… 精進します」
その後は宿で桶に入ったお湯をもらい、布で体を拭く。どこの都市でも、大抵は街の娼館の横手に大衆浴場があるが、基本的に早朝しか開いていないのと実質的に混浴なため、クリムが拒否して行くことはなかった。
まぁ、大き目の酒樽を加工して、水魔術と火魔術の複合でお湯を錬成して注ぎ、即席の樽風呂を作れない事もないがそんな贅沢はできない。
そもそも、水魔術は水の元素を濃縮した水素石を使用しないといけない。そこから発生させる水の元素を火魔術で燃焼させて水に転じさせるのだ。一度、水素石が空になったらどこかの水源で時間をかけて新たに錬成する必要がある。あくまで非常用の水源であって、こんなところで使えない。
お湯を使って、身体を拭き、ある程度さっぱりした後でベッドに入って眠りにつく。
翌朝、旅の疲れがあったのか少しだけ遅めに目が覚めると、家にいた頃のようにクリムがベッドに潜り込んでいた…… まぁ、家にベッド、ひとつしかなかったし? いや、これでは二部屋取った意味がない。どこかでこの習慣は止めさせようと決意する。
「ふぁ、おはようございます」
寝起きのクリムの髪の毛を手早く櫛でとかす。
何か、こんなのばかり上手くなっている気がするな……
服装を整え、宿屋の女将さんに挨拶をしてから出ていく。ここから次の目的地の森林地帯東部まではもう小さな村しかなく、また大した距離でもないので駅馬車が出ていない。
徒歩で考えれば、無理して日に9~10時間程度を歩いて2日、余裕を持って3日と言ったところか。少しゆとりを持って3日の予定を立てている。2日目で森の浅い部分まで行き、そこで野営して、3日目に有角種の町を訪れる。
都市ヴェルナから出立し、同じようにこの都市から出た軍勢が残していった轍などの痕跡を辿るように南に進む。途中からは討伐軍陣地を迂回する形で、森林地帯の東部の有角種の町、シャノンウッドを目指す。
このあたりの有角種は4つの町を中心にいくつかの集落に分かれて暮らしている。中心となる大規模の町が1つ、その周囲に一定距離を開けて小規模の町が3つ、集落の数は人間側としては把握できていないが4~5つはあるだろう。
総人口で言えば森林地帯全体で8500人くらいか? 人間に圧迫を受けているここ数年の環境と種族的に戦士の比率が多いとして、最大動員数800名程度、常備の兵力は80名程度というところか…… 町や集落を無防備に出来ないと考えれば、討伐軍の迎撃に出てくるのは最大動員数の90%ぐらいだな。
都市ヴェルナで仕入れた情報では討伐軍が総勢1300名程だから、有角種の個の強さを鑑みても難しい所だ……
その有角種の生活域の西に少数の青銅のエルフ、さらに西の森と平原にはここ数年で増えてきているというゴブリン達が住み着いている。
暫くは順調に進んでいたが、さすがに人の手があまり入っていない草原の道を進むと魔物とも遭遇する。自身から半径30m程度の範囲で、定期的に発動させている魔力感知の魔術に反応が出る。この魔力感知は平常時に体内を流れる魔力の強弱から脅威度を判別して、脅威となり得る存在を感知する魔術であり、警戒の魔術の範囲縮小版である。
隣を見るとクリムの方でも反応があったようだ。
実はこれがクリムの初実践となる。かく言う俺も、学院時代の戦闘魔術実践しか経験はなく、其れも昔の事である。二人とも十分に戦闘に耐え得る魔力量と魔術精度がある事は頭で理解しているが、実際に通用するかは不明だ。もともと、この旅程で魔物との戦いも経験しておく予定ではあったのだが……
「ッ、来ます!」
クリムが背を低くし、右手でダガーを引き抜く。魔力強化された視覚は左右の前方から飛びかかる二匹のステッペンウルフを捉えている。
「シッ!」
彼女は同じく魔力で強化された身体能力を駆使して、襲い掛かる草原の狼を迎え撃つ。クリムが逆手に持ったダガーは草原の狼の眉間に深く突き刺さり、その狼を絶命させた。
「断て、風の刃」
「ギャウウゥ!」
一方、俺は短縮詠唱したウインドカッターの魔術を自身の前方に放つ。それはもう一匹のステッペンウルフの胸元を切り裂きながら弾き飛ばした。
時間差を開けて後方から追加で一匹が飛び出してくるが、その位置関係は魔力感知の魔術で既に把握している。本来は先の二匹が追い立てて、後方の仲間が獲物を待ち伏せして仕留めるはずだったのだろう。
「んっ」
クリムが2個の小魔石を左手に握り、胸元に寄せて魔力を籠める。小魔石が淡く光り、彼女の前に2発の魔弾が生じて、直線的に飛んでいく。それは向かってくるステッペンウルフの胴体を打ち抜いた。なお、後方の魔力反応は2匹分だったのだが、残りの一匹は逃げ出した様だ。
「終わったか、どこか怪我はないか?」
「最悪です…… 判断を誤りました、鬱なのです」
クリムに向き直ってその姿を見ると、折角、エンネの町で買った白のシャツの袖にステッペンウルフの返り血がベッタリと付いていた。
「まぁ、血液の扱いは実験で慣れているからな、任せろ」
元々、血液は魔術の媒介としても使われるので、魔力の通りは良い。一度、付着した血液に魔力を通して、その後に手元に集めて取り除く。繊維に沁み込んだ全てを取り除けるわけでは無いが、奇麗にはなる。
「ありがとうございます」
と、礼を言いながらも多少は残っている血の汚れが気になっているようだったが、気持ちを切り替えたのか、魔術が抜けて元に戻った小鉱石に視線を移す。再度、それを握り込んで何やら魔術を籠め始めた。
「この鉱石に魔術をストックする技術は使えますね、父さん。事前に用意しておけば無詠唱で魔法が連発できます」
「と、言っても基本的に下級魔術しか込められないけどな」
「それでも実用性は高いのです、発動させるだけの資質がある者には」
どの程度の魔力や魔術が籠められるかは鉱石の質に次第であるが、一般に流通している魔石と成り得る鉱石の質はそこまで良くは無いので、初級魔術を籠められる程度である。
さて、3匹のステッペンウルフを仕留めたわけであるが、生憎と俺は狩人の経験は無いので獲物の有効活用ができない。血の匂いに惹きつけられる生き物もあるだろうし、さっさと立ち去る事にしよう。
……………
………
…
概ね予定通にそのまま南東に進み、2日目の日が暮れてあまり経たない頃合いで森の入り口に辿り着いた。この辺りの森林地帯は疎林となっており、野営をするにあたって、適切な場所を見つけるのは比較的容易である。その森の浅い部分まで入った時にちょうど木々がまばらになって、開けた場所を見つけたのだが、そこで思わぬ痕跡を見つけてしまった。
「どうやら、ちょっと前まで先客がいたようだな……」
「結構な数の足跡や蹄の跡、野営の痕跡が残っているのです」
「ああ、隠密行動の時はともかく、普通は痕跡を隠蔽しない事も多いからな」
暫く、その野営の後や足跡を調べると推察できる部分も出てきた。先ず、足跡を森の外へ逆向きに辿っていくと、その足跡を残した者達はロックガーデン領から来たことが伺える。今回の討伐軍にはロックガーデン領からも派兵されているが、正規兵は既にここよりも西側に陣を張って、有角の戦士達の陣と向かい合っている。
当初の見積もりよりも有角種側の戦力が多く、初戦の後は膠着状況になっているらしい。つまりは、正規兵である確率は低い。そして、足跡は森林地帯東部の有角種の町シャノンウッドへ向かっている。
「討伐軍に参加せずに、村や町を襲う傭兵団ってところか……」
「父さん、それはただの賊だと思います」
「まぁ、平時の傭兵団とか、食うに困って略奪行為を行うからな…… で、そいつらから町や都市を守るのも傭兵団ってわけだ。ある意味、自分達で暴れて自らの需要を作っているとも言えるな」
「…… 迷惑な方々なのです」
「正確には判断できないが痕跡は真新しい、まだそんなに時間は経っていないのかもな」
「…… 行きましょう、もしかしたら夜襲を行うつもりかもしれません。上手く行けば利用できます」
「相手方の人数と町の状況によっては、何もできない可能性もあるが……」
「そこは有角種さん達の頑張り次第ですね♪」
「…急ぐとするか」
移動に際して飛翼の魔術の使用も考えたが、後の展開が読めない以上、魔力を温存する必要がある。それに夜襲を狙って出立したのならば、恐らく何時間も前の話じゃない、それに向こうは集団で移動しているため遅くなる。今からでも、程々の速度で駆ければ追いつきそうだ。
魔力による脚力強化を施し、足跡を追って森の奥へと入る。暗い森の中を周囲に浮かべた光系魔術の光球の灯を頼りに進む、途中からは視力強化も施して、効率よく障害物を避けて駆けていく。
やがて、木々の間を抜けて町周辺の耕作地域に出る。その地点からは、魔力強化された視界に襲撃を受けるシャノンウッドの町を捉えることができた。
読んでくださる皆様には本当に感謝です!!
一応、10万文字、小説一冊分程度の第一部を連続して投稿する予定です!!