都市ヴェルナ
エリックは暫し興味深げにクリムを眺めていたが、再び頭に疑問符を浮かべる。
「んっ? この娘はいいとして、何故お前まで根源の質が変わっているんだ?」
「父さんは私の眷属だからですよ」
「父さん? 眷属?」
エリックが首をかしげる。
「ああ、一応、生みの親だからな」
「いや待て、眷属はやばいだろ、それって増えるって事じゃないか!」
「安心しろ、この町で眷属を増やすつもりはない。人間の町や都市でやったら大問題だろ?だからエンネに滞在するにあたって、お前の処に顔を出したわけだ。ま、懐かしい顔を見たかったというのも理由だがな」
にやりと笑いかける。
「あー、もうちょいで仕事があがるから、飯でも一緒にどうだ?」
「良いな、クリムも構わないか?」
「ええ、ご一緒しましょう。父さんの昔の失敗談などを所望します」
その後、エリックに案内された店で昔の馬鹿話などしながら酒を飲んだ。クリムは止めるのを聞かずに勝手に飲んで、酔っ払って早々に潰れている。あまり酒を好む方では無いが、たまにはこういう日もあって良い。それから2日ほどエンネの町に滞在して、道具に対する魔術刻印や魔術付与で小銭を稼ぎつつ、今後の旅の準備を整えた。
今はまた、駅馬車に揺られて目的地の中核都市ヴェルナを目指している。エンネの町からは小都市エイムを経由して5日ほどで着く。警戒の魔術に対する魔力偽装の効果は検証できたので、都市に着いた後は宿で大人しくしていれば早々問題は起きないだろう。むしろ今が問題だ。ヴェルナまで行く乗客で駅馬車は混み合って、今は屋根の上まで人が乗っている。そして、すこぶるクリムの機嫌が悪い。
「うっう~、狭いです… こういう時こそ、ワールウィンドの魔術で吹き飛ばすべきなのでは…… 」
可愛い顔で物騒な事をのたまっていらっしゃる。
とりあえず、自分の胸元に引き寄せてポスっと膝の上に載せて抱きかかえる。
「~~っ♪」
多少は機嫌が良くなったようだ。
そんな事がありながらも特に遅れなどは生じず、都市エイムを経由して中核都市ヴェルナに着いた。大きな町であれば、それだけ魔術師や神官に会う確率が高い。リスクは避けるべきだが、有角種の住む森林地帯までにある最後の都市規模の場所であり、件の亜人種に対する討伐軍の兵站を維持する要でもある。一応、覗いておいて損はないだろう。
この中核都市ヴェルナは約160haの面積があり、都市を守る坊壁に覆われている。分かりやすく正方形に当てはめると一辺が約1.6kmの壁で囲われている防壁都市を想像して欲しい。まぁ、現実的には都市の形は正方形ではなく、西側が港であり、三方向のみ防壁に覆われている。
その過去に建築された防壁に囲われた壁内都市に約7千人、発展に伴い周囲に広がっていった壁外都市に約3万人で、おおよそ3万7千強が暮らしている。このエッジワース領は人口約60万人程度であり、その分布は町や農村部に約51万人、都市部に約9万人と推定されている。つまりは、都市部の市民の40%以上がここヴェルナに集中しているのだ。
なお、招集可能な兵数は徴兵義務のある市民の数や用意できる武具、糧食を考えれば人口の0.7~1%が妥当である。エッジワース領全域で約4200~6000程度の兵力を用意できるが、それは物流の中心となる都市部に偏っている。
このヴェルナに限定してもざっと700~800程度の兵数を用意する事ができる。
ただし、それは有事の際であり、平時の常備兵数は都市人口の0.02%程度となる。ここヴェルナの人口で考えれば、常備兵数は105~150名程度になる。この常備兵は近隣の町や村の警備も担っており、各市町村の住民から成る自警団と協力して治安を維持する。
なお、都市周辺の土地には手間の掛かる作物の耕作地から順に畑が広がり、外側には放し飼いの放牧地などが広がっていく。
……………
………
…
「やっと馬車から降りられたのに、人の多さが変わらないのです…… やっぱり人間は数が多すぎますね……」
隣に歩くクリムが辟易とした表情をしている。とりあえず、都市中心部を見たいので都市防壁の門を目指して壁外都市の中央通りを歩いている最中だ。何か柄の悪そうな傭兵連中が通りの真ん中を肩で風を切って歩いてくるので、道端によって避ける。やはり、人通りは多いな……
「壁内都市に入れば人の数は減るだろ、そこまで行ければだけどな」
もちろん、念入りに警戒の魔術に対する偽装はしており、其れなりの魔術師が注視しなければ不審には思われないだろうが、リスクはある。不測の事態に備えて注意をしながら進むものの、結果から言えば、魔術師や神官の数自体が少なく、すれ違った際にも人混みの中では気に留められる事は無かった。
「二人分の当日限りの滞在で、銅貨2枚ですね」
壁内へ滞在するための税を衛兵に支払う。
「あぁ、それとこの許可証を滞在中は所持しておくようにな」
「なくした場合は罰則金として銅貨6枚の追徴だ、払えない場合は身柄を拘束される」
「分かりました」
「ん、これはクリムの分な」
「ありがとうございます、父さん」
衛兵から受け取った革紐付きの小さな銅のプレートを渡す。そこには併合前の連合王国時代から、この領地を治めるフェレル家の紋章が刻印されている。紋章を構成する要素の内、中央に位置する盾の意匠の下に記される家訓には“驕る事なく、民を慮れ”という内容が書いてあった。
都市防壁の門をくぐると、風景はより整然としたものに切り替わる。やはり、壁内の市民の暮らしぶりは良いらしい。ただ、街の活気に関しては壁外の方がある印象になる。一通り、歩いて各種建物の配置を覚えた後に、食材を取り扱う商店街に行き、オレンジを購入しつつ店主に話を聞く。
「見ての通り、魔術師でしてね。仕事にありつけるかと思ってきたんですよ。今回の討伐軍ですけど、亜人が何か問題を起こしたんですか?」
「問題といやぁ、南西の森周辺のゴブリンどもが壁外都市の外縁部で家畜や人を襲っちゃいるが、討伐軍が向かったのは南の有角種の所だからなぁ……」
店主が軽く首を傾げる。
「北部諸領の連中の思惑なんじゃないか? 討伐軍は北部の進駐軍が主導だしな…… 大方、木材と有角種の奴隷が欲しいとかだろう」
店主の言う進駐軍とは、この連邦南部地域中央部のウェルリース領に50年前の南北戦争後から居座り、同地域を実効支配する北部地域の軍隊である。彼らは南部諸領に対して睨みを利かしている。もしかするとエッジワース領や隣のロックガーデン領の力を削いでおきたいのも討伐軍遠征の理由の一つかもしれない。両方ともかつての南北戦争で最後まで戦ったため、連邦内では警戒されているからな。
もっとも、木材と亜人奴隷も需要があるため理由としては十分だ。近年、伐採開墾を進め過ぎたため、人が暮らす領域では森林減少が深刻となっている。それに反し、亜人達の領域では無理な開墾が行われずに森林が残っている。その状況から、森林伐採と亜人奴隷狩りは併せて行われる傾向がある。
「北部の連中は何かと理由を付けては自分達のために南部の資材や資金を使わせるろくでもない奴らだ、頭にくるぜ」
店主がぼやいている。
北部で暮らしていた時は特に何も考えていなかったが、南部とは確執があるようだ。
「そう言えば、このヴェルナでは亜人どころか人も含め、奴隷そのものをほとんど見ませんね」
「そりゃ、領主のアイリス様のお考えだよ、あの方は人を人として重んじているのさ!側付の侍従長も南大陸の砂漠の民出身の元奴隷だってくらいだからな。この都市にいる奴隷は一時的に立ち寄った奴隷商が連れている者達だけさ」
店主はそこで肩を竦める。
「まぁ、奴隷が居ないのは領内でもこのヴェルナだけだがな。そんな人柄だからこそ、俺たちも安心できるってもんだ」
そう言う店主の顔はちょっと誇らしげだ、どうやら滞在許可証の銅プレートに刻印されている紋章に添えられた家訓は偽りではないらしい。
「奴隷がほとんどいないのは分かりましたけど、兵隊さんの数もすくないですよね?」
本来ならば120名程度の衛兵がいてもおかしくない規模の都市であるが、その数は70~80名程度であり、さらには動員兵の姿も見当たらなかった。
「ああ、北部諸領からの進駐軍を賄うために供与する物資の負担で、ただでさえ衛兵の数は増やせないし、戦時動員兵の上限も北部の連中に決められているからな……」
「その動員兵と指揮ができる衛兵が討伐軍に参加してるんだよ。そのせいで街の守りが薄くなっているんだ、俺なんかは壁の内側だからまだいいけどな……」
「あぁ、ゴブリンが出るんですね、壁外都市の外縁部には…… 私も宿は壁外で取るつもりですから気をつけますよ」
店主に軽く会釈をして、立ち去る。少し歩いたところで、クリムの視線がオレンジの入った袋に集中していることに気づいた。
「 ? 」
「オレンジが気になるのか?」
「…… 北部ではいつもリンゴばかりでしたから」
「いえ、リンゴも十分に美味しいのですけど…… その黄色いの、気になるのです」
「まぁ、壁内都市の見るべきところは押さえたからな、壁外に出て宿でも探すか」
「そこで、このオレンジも食べやすいように切ってもらおう」
「はい!」
嬉しそうにクリムが腕にぎゅっとしがみついてくる。
……………
………
…
読んでくださる皆様には本当に感謝です!!
一応、10万文字、小説一冊分程度の第一部を連続して投稿する予定です!!