イケニエのウサギ
翌朝学校へ行くと、クラスは異様な興奮に包まれていた。昨日も二学期の初日で、みんな浮足立っていたと思うけど、今日はそれ以上。
こんなのは、クラスメイトの一人がテレビ番組のインタビューを受けた時以来だ。その時は、「味噌です」って一言しゃべった三秒くらいの映像がクイズ番組で流れただけだったけど、それでも私たちはフィーバーした。多分まだ我が家のデッキに映像が残っている。
ちなみにインタビューの質問は、「好きなラーメンの味は?」だ。
「どうしたの?」
自分の机にカバンを置いて、真由美のところへ行く。彼女は怯えたように体を強張らせていた。
「ウサギ小屋のウサギが、全部いなくなったんだって」
「ウサギ?」
一瞬なんのことか考えて、中庭の隅にあるウサギ小屋を思い出した。中学校にしては珍しいと思うけれど、わが校ではウサギもチャボも飼っている。ちなみに鯉と見紛うばかりの巨大な金魚や、なぜか懐いて居ついてしまったカラスもいる。
「あたしが見つけたんだ」
自慢げにポニーテールを揺らして、翠がやってきた。
「あたしチャリ通学だから。裏に停めて、中庭を通る途中でね」
たしかに自転車置き場から玄関までは中庭を抜けると近い。それに翠は吹奏楽部に入っていて、朝練で登校時間が早いから、一番にウサギ小屋の異変に気付いたのだろう。
「ウサギの白い毛が小屋中に散らばっててね、その上に血が点々と……」
翠が生々しく状況説明を始めると、傍らの真由美が小さく震えるのがわかった。
何を怖がっているんだろう。そんなの。
「ウサギが逃げたってだけでしょ?」
「ドアに鍵がかかってるの、確認したもん。だいたい、逃げただけで毛が抜けるわけないじゃん。とっくに抜け換わりの時期なんか過ぎてるのに」
「そっか。もう夏だもんね」
春頃に、猛烈に毛が飛んでいるのを見た気がする。
だったら、どうしてウサギはいなくなったんだろう。
首をかしげる私に、真由美は小さな声で言う。
「タカくんが……」
「ん?」
「ランプの呪いじゃないかって……」
「はぁっ?」
教室をぐるりと見回すと、窓際で数人の男子相手に高志が熱弁をふるっているのが見えた。手を大袈裟に振り回している。
あの動きは、あれだな。煙が濃縮されて人型になったところを説明しているんだな。
順序だてて物事を説明するのがヘタクソな高志は、不足を補うようにいちいち動きが大きいのだ。
「ちょっと、高志!」
男子の間から手を入れ、高志の腕をぐいっと引っ張る。そのまま教室の後ろまで連れて行って、私は仁王立ちした。
「なに適当なこと言ってんの」
「適当なことってなんだよ。俺なんか言ったっけ」
「ウサギがいなくなったからってランプの呪いなんて。無責任でしょ」
「バッカお前、ただいなくなったんじゃなくて、毛が大量に抜けてたんだぞ。血まで飛び散ってたんだから、イケニエに決まってるって」
「イケニエってあんた……」
昨日のあの幻を、高志は現実だと言うつもりだろうか。煙が固まってできた精霊が、ウサギの肉を食べるとでも? わざわざ毛皮を剥いで血を抜いて、ステーキにでもして食べたと言うのか。
半目になった私の肩を、高志が信じられないとでも言うように掴む。
「何百年ぶりか何千年ぶりかで外に出たんだから、まず肉を食うだろ」
「高志ならそうかもね」
「呪いだよ呪い。これからもっとなんかあるって」
「話を面白くするのはあんたの勝手だけど、そのせいで怖がる人がいるのをわかってる?」
「怖がる人って……」
不思議そうに視線をさまよわせ、私の後ろを見て表情を変える。やべっ、ってわかりやすく顔に書いてあった。
席についていた真由美が、こちらに歩いてきていたのだ。
「ごめん、俺なんにも考えてなくて。呪いなんて言われたら嫌だよな。真由美んちのランプだもんな」
そう、家に帰れば忘れられる私たちはいい。でも真由美は?
リビングにいれば、ランプから煙が出たことを思い出すかもしれない。壊れたランプの残骸は、まだ彼女の家にあるはずだし、捨てるのだって呪われるかもと思えば恐ろしい。
面白おかしく話を広めるべきじゃないんだ。
「いいの。私がちょっと気にしすぎてたみたい。早紀の話を聞いたら、たしかにランプの精が肉を食べるっていうのはちょっとおかしいなって思ったし」
取り繕ったように真由美が笑う。
今さらだけど、肝心なことを聞き忘れたのを思い出した。
「昨日、おじさん怒ってなかった? 大事なランプが、あんなことになって」
「全然。気づいてもいないよ。怒られたら正直に話すしかないなって、あのくちゃくちゃのランプは隠してあるけど」
「なんていうか、事故みたいなもんだけど、大事な旅行の思い出が壊れたんだし、気づいたらショックだよねきっと。その時は言って。私謝りに行く」
私が壊したっていうわけでもないけれど、少なくとも床に落としたのは私だし……。
「じゃあ、バレたらその時はお願い」
今度はちゃんと真由美が笑ってくれたから、私も高志もちょっとホッとして席に戻った。
真由美が自分の席で、今度は隣の小春から、「真由美さん、昨日の魔法のランプのことだけど……」って話しかけられてるのが聞こえ、すぐに溜め息をつくハメになったのだけど。
小春のランプ熱はその後も落ち着かなかった。ウサギのイケニエ説を信じ、真由美からランプの残骸に変化はないか聞いた後、翠や晶子からウサギ小屋の件について聞きまわっているそうだ。
翠は第一発見者、そして晶子はウサギを最後に見た子だ。
晶子の家は農家をしていて、捨てる野菜をウサギの餌に持って来ている。昨日も家から持ってきた野菜を与え、簡単に小屋を掃除して鍵をかけた。その時にはウサギはちゃんといたし、掃除をしたのだから抜け毛も血ももちろん無かったと言っている。らしい。
私は晶子が小春に話したことを、さらに高志から聞いたので、全部「らしい」が付くんだけど。
「でも晶子ってさ、今日遅刻して来たよね。なんか泣いたっぽい顔してなかった? 逃がしちゃったから泣いてたんじゃないの?」
放課後、坂の多い田舎道を私と高志は並んで歩く。家が近所な上、悲しいかな、私たちにはカレカノという素敵なものがいないから、幼馴染と下校しているのだ。
「ウサギ小屋の鍵を最後に締めたのが晶子だったからってことで、朝は職員室で話を聞かれてたんだと。だから遅刻ではないな」
「話、ねぇ」
「それに晶子って普段からすぐ泣くらしいぞ。先生に説明してるうちに、責められてるような気がして泣いちゃったんだろ。お前と違って繊細っぽいし」
「高志でも繊細なんて言葉を知ってるんだ。私はそっちにびっくりだよ」
「おい!」
嫌味で返せば、高志はドンっと体当たりをしてきた。
怒りたいのはこっちなのに。たしかに繊細ではないけど、私にだって一応傷つく心はあるのだ。
足元に目を落とせば、割れたアスファルトからぴょんぴょん雑草が飛び出している。もう少し行けば田んぼが広がっている。のどかな夏の一幕だ。高志につけられた心の傷も、この風景で癒されそう。
……別に傷ついてないけど。
「とにかく、高志も小春も、どうしてもランプの呪いにしたいみたいだけど、あんまり盛り上がらないでよ? 真由美が怖がってるし」
「俺は盛り上がってないよ」
「よく言う。これだけいろいろ調べ回っておいて」
それをさらに聞き出している私が言うのもおかしいのかもしれないけれど、高志は珍しく素直に頷いた。
「真由美には悪いことしたなと思ってるんだよ、これでも一応さ。早くウサギがいなくなった理由がわかればなぁ」
本当に。そうしたら、呪いなんかじゃないってすぐにわかるのに。
でも残念ながら、事件はまだ終わらなかったのだ。
翌朝の教室は、前日よりももっと熱い空気に包まれていた。
今度はどうしたの? なんて聞くまでもない。足を踏み入れるなり、真由美が抱き着いてきた。そして彼女の机の上に、血だまりができているのが見えたのだ。
「何、あれ……」
「わかんない。朝来たら私の机が血だらけで、みんなが拭こうかどうしようかって……」
「いや、さっさと拭こうよ」
後ろの棚にカバンを置き、真由美の机に近づくと、取り囲んでいたクラスメイトが場所を開けてくれる。
真っ赤な血が零れ、かろうじて読める字で何か書いてあった。
「カ、エ、セ?」
「って読めるよね?」
「何を?」
「……ランプを、かな?」
またランプか。額に手を当てて軽く首を振る。真由美も小春も高志も、毒されすぎだ。なんでもかんでもランプと結び付けて。まだ関係あるかどうか、わからないじゃないか。
「拭くのは簡単だけど、先生に見せた方がいいかな、とか思ってるうちに真由美が来たんだよね」
横に立っていた女子が言う。
これがイジメなら、先生に言う方がいいのかも。でも私には、たちの悪いイタズラとしか思えなかった。昨日ウサギ小屋で、ウサギの毛と血が落ちていたという話を聞いて、それに乗っかっただけだろう。
そもそも真由美がイジメられる理由もきっかけもない。
「先生には?」
「まだ言ってないよ」
「わかった。やっぱり拭こう。気持ち悪いし、このままじゃ誰かが制服を汚すよ」
掃除用具箱から雑巾を持ってくると、「待って待って」と叫びながら、前の机の上に立った小春が、上から写真を撮っていた。ご丁寧にジャージに着替えている。
存分に足を広げ、角度を替えながら何枚も取る。その後、第一発見者と思しき生徒を捕まえて話を聞き始めた。
「まぁ、写真があった方が先生にも説明しやすいしね」
溜め息を飲み込んで、血をぐいぐい拭う。まだほとんど固まっていなくて、あっさりと机はきれいになった。代わりに雑巾は真っ赤だ。
「ありがとう、早紀。私ドキドキしちゃって、さっき拭こうか?って聞かれたのにどうしたらいいかわからなくて」
言葉を溜めながら一生懸命話す真由美に軽く笑って見せる。
「いいよ。大したことじゃないし。どうせただのイタズラに決まってるんだから、気にしちゃダメだよ」
「うん……」
気にするなと言われても、無理だとは思うけれど。
水道に行って雑巾を洗う。石鹸を使い切る勢いで揉み洗いをしたものの、結局染まった赤は落ちなかった。
捨てよう。なんか血に染まった雑巾って、おどろおどろしい。
廊下脇のゴミ箱に絞った雑巾を投げ込めば、少しばかり気分がすっきりした。
なんでもかんでも呪いだなんて馬鹿馬鹿しい。昨日は美術の授業があったから、捨て忘れた筆洗バケツの水を溢したとか、みんなが騒ぎ出したから「溢した」って言い出せなくなったとか、そんな理由に決まってる。
カエセって書いてあるように見えたのは、たまたま水が字の形に流れただけかもしれないし。
誰が示し合わせたわけでもないけれど、私たちは先生に、血文字のことを言わなかった。