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魔法のランプ

 物語の始まりが、新学期の初日というのも芸がないけれど、ここが一番重要で、全ての始まりなのだから仕方ない。ありきたりで退屈な日常だけど、最初から話すことにしよう。

 その日は二学期の始業式、夏休み明け最初の登校日だった。

 私は玄関で当たり前のようにサンダルに足をつっこんで、すぐに脱ぎ捨てると慌てて部屋へ戻った。

 危ない危ない。夏休み中は素足にサンダルが標準装備だったから、そのまま学校に行くところだった。さすがに学校にサンダルはアウトでしょ。

 久しぶりに白いソックスを履き、下駄箱の中からローファーを取り出した。代わりにお気に入りのグリーンのサンダルを押し込む。母は整理整頓にとんでもなく厳しくて、玄関に出しておいていい靴は一人一足なのだ。だから三和土たたきには、父の革靴と母のつっかけ、出したばかりの私のローファーしか並んでいない。

 自由に慣れた足には、少しばかり窮屈なローファーを履いて、私は今度こそ家を飛び出した。

「行ってきまーす」

 外に出ると、パリっと晴れ上がったいい天気だった。湿気はあまりない。つま先をトントン、軽く地面に打ち付けてから走り出した。



 私の通っている中学校は、徒歩で十分少々のところにある。一応私立だけど、特別頭がいいってわけでもない。生徒の自主性を重んじ、のびのび育てる! が方針で、うちの両親もそこを気に入って私に受験させた。

 当の私はと言えば、家から近くて寝坊できるし最高って安易に決めたわけだけれど、実際に通ってみれば気の合う友達もたくさんできて正解だったと思っている。

 およそ一か月ぶりに教室を覗くと、たまたまこちらを見ていた高志が手を挙げる。

「おはよ、早紀。こっち来てみろよ。真由美がいいモン持って来てるよ」

「おはよう。なになに、いいモノって」

 近づいていくと、クラスメイトの輪の真ん中で、真由美が真っ赤になって小さく手を振っていた。

 真由美は高志のことが好きなのだ。脳筋で恋愛に疎い高志が、遠慮もなく近づくものだから、照れまくってるに違いない。中学生にもなってしゃれっ気のないスポーツ刈りのどこがいいんだか、私にはさっぱりだけど。

「おはよう、早紀……これ、お土産」

 机の上には、ザ・海外土産って感じのチョコレートの詰まった箱がある。

「わぁ、どこに行ってきたの?」

「UAE」

「どこそれ」

「アラブ首長国連邦だよ」

「アラブってどこ? 中東?」

「ドバイがあるとこでしょ。めっちゃ観光地じゃん」

「ドバイってカジノがあるところだっけ?」

「それマカオだし」

 みんな勝手にドバイの妄想を話し出す。私にはさっぱりだ。あいにくと、パスポートなど持たぬ庶民なのだ。もっとも、真由美を除く全員が行ったことがないどころか、地図上のどこに存在するかわかっていないだろう。

「父の出張について行っただけなの。でもよかったら食べて」

 差し出されたチョコレートをみんな一粒ずつ摘まんだ。中になんかグニュっとしたものが入っている。甘くて、美味しい。

「なんか入ってるぞ。マカダミアナッツか?」

「あんた絶対マカダミアナッツ食べたことないでしょ。そもそもあれハワイじゃん」

 味以前に、食感すら無視した高志の発言に、翠がすかさずツッコんだ。ポニーテールを高く結い、キリっとした顔立ちの翠はツッコミも鋭い。

「ナツメヤシなの。デーツって言って、定番らしいから買ってみたんだ」

「美味しいよ。ごちそうさま」

 私が言えば、真由美はほっとしたように笑った。マカダミアナッツと間違われれば、そりゃ不安にもなるだろう。

 その時始業のベルが鳴り、私たちはぞろぞろと体育館に移動した。そこで校長先生の話を聞き、教室に戻ってプリントを何枚かもらえば今日はおしまいだ。

 帰る前に神秘の街ドバイの話でも聞くか、とカバンを持って真由美に近づけば、小さな紙袋を渡された。

「みんなにはチョコだけだけど……早紀にはこれも」

 大きな目をぱちぱちさせながら言う。まるで子リスみたいだ。

 私と真由美は仲がいい。多分クラスで一番。だから特別に買ってくれたんだろう。それか、先月大量に収穫したミニトマトをおすそ分けしたお礼かもしれない。

 開けてみると、深い青のビーズが連なったブレスレットだった。一か所、金色のチェーンタッセルが下がっていて、それがポイントになっている。さっそく手首につけてみると、しゃらりとタッセルが揺れた。

「すっごい可愛い! 嬉しい! ありがとう!」

「あのね、その石はラピスラズリで、チェーンは一応ゴールドで……」

「ゴールド? ゴールドってあの、18金とか24金とかいうゴールド? さすがにそれはちょっと……トマトのお礼にはもらえないよ……」

「えっと、トマトも美味しかったけど、私があげたかっただけ。ドバイって金が安いみたいで、そんなに高価なものじゃないんだ。ただ傷つきやすいから気を付けてねって言おうと思って」

 高価じゃないって言われても、本物と聞けば身構えてしまう。けれど私のために選んでもらったものを突き返すことなんてできないし、それに私はもう気に入ってしまったのだ。

「ありがとう。大事にする」

「実はお揃いなの」

 恥ずかしそうにカバンのポケットから出して見せたそれは、淡いオレンジ色。照れくさそうに笑う真由美に、私も思わず笑みを返す。

 ほっこりと友情を温める空気をぶちやぶったのは、後ろから近付いてきた高志だった。

「なんだよー俺も欲しいよー」

「なに、あんたもお揃いになりたいわけ?」

「いや、アラブって言ったらあれじゃん。アラビアンナイトじゃん。擦ったら精霊が出てくるランプとかさ。あれ、欲しいなぁ」

 冷ややかに見る私に、高志は手でランプの形を示して見せる。

 それを見て口を挟んだのは、真由美の隣の席の小春だ。

「高志くん、アラジンと魔法のランプって中国が舞台なのよ。それにあの話、原典には入ってないんだって。ヨーロッパで翻訳された時に紛れ込んだって聞いたことある」

 読書好きの彼女はなんでもよく知っている。

「そうなの? でもランプ自体はアラビアのものでしょ? なんか急須みたいな形のやつ」

 思わず私も手でランプの形を取れば、向かい合った高志と二人、なんともまぬけな図になった。慌てて手をおろす。

 いけないいけない。馬鹿がうつってしまう。

「あ、あの、精霊が閉じ込められた魔法のランプ、あるよ! 父が買ってた」

 聞けば、ふらりと立ち寄った市場で見つけ、心奪われて買ったのだという。

「まさか本物ではないと思うけど、見に来る?」

 真由美の誘いに、その場にいた三人は大きく頷いた。



 真由美が住む街は、電車に乗って急行でひと駅、各駅停車なら八つ先にあった。私や高志の家がタヌキの出るような田舎なのに比べ、ほんの十分で高級住宅街である。

 大きな門が続く一角に建つ真由美の家は、やはりセレブな趣であった。

「真由美んちって金持ち……?」

 思わずといった調子で零れた高志の声は、私と小春の心をも代弁している。

 そうか、この子金持ちなのか。だから夏休みにドバイとか行っちゃうのか。

 父親の出張についていった、という学校での説明は、すでに忘れた私である。家庭菜園のミニトマトなんか押し付けちゃって申し訳ない。

「ここはおじいちゃんが建てた家だから。うちは普通のサラリーマン家庭」

「お手伝いさんとか……」

「いるわけないよ! 母がいつも、広すぎて掃除が大変って愚痴を溢してるくらいで。あ、広すぎてってそういう意味じゃなくて!」

 普通を主張するつもりで贅沢な悩みを披露してしまった真由美は、それ以上墓穴を掘るのはやめたらしい。真っ赤になって玄関を開けた。

 つやつやに磨かれたフローリングの廊下を抜けて、リビングらしき部屋に通される。広い。そして明るい。しかもレースのカーテンがおしゃれだ。

 田舎者丸出しでキョロキョロしながらソファに座り、これでブランドもののティーカップでお紅茶なんか出されたら、緊張しすぎて割っちゃうな、と思っていたら、さすがにそこは中学生らしくサイダーだった。

 もちろん、セレブスーパーで購入したオーガニックサイダーである可能性も捨てきれない。っていうか、オーガニックサイダーってなんだ。

 私が頭の中でぽろぽろと戯言をつぶやいている間に、真由美は例のランプを持ってきた。

 大きさはちょうど両手の平に乗るくらい。金属製だろうか。鈍く光ってはいるが、真っ黒に汚れて元の色味はわからない。

「お待たせ。これが、魔法のランプだよ」

「あぁぁ! それが!」

 意外にも、ここまでずっと黙っていた小春が立ち上がり、勢いよく手を差し出した。

「おい、俺が最初に頼んだんだからな」

 負けじと高志も立ち上がり、真由美から受け取ったランプを二人は額突き合わせて観察した。その距離の近さに、「えっ」とか「あぁ」とか、真由美が小さく悲鳴を漏らす。

 高志の気を引こうと誘ったはずが、他の女子が近づいたのでは本末転倒なのだろう。小春の目には高志なんて、背景にしか映っていないと思うけれど。

「やっぱり擦っても出てこないんだな」

「素手で触らないで。魔法のランプかはさておき、貴重なものなのは確かよ。皮脂で酸化するでしょう」

「ヒシってなんだっけ」

 いつの間にかハンカチでランプを包むように持っていた小春は、なおも擦りたそうな高志の手を払う。

 私もカバンからハンドタオルを取り出し、手を伸ばした。

「私も見たい。いい?」

「どうぞ」

 渡されたランプは想像していたより重く、丸みが手の平に心地よく収まる。表面の黒いのは煤だろうか。

「なぁ、それってほんとにランプなのか? 油を注ぐ器じゃなく?」

「形は急須に似ているけど違うわ。この注ぎ口みたいな部分から中に芯を垂らして、油を吸わせて火を灯すの。アルコールランプと同じ原理ね」

「あぁ、あれもランプだもんなー」

 高志が小春に説明されているのを聞き、やはりこの黒い汚れは煤かと納得する。窓から差し込む光にかざすようにすると、表面に文字が彫られているのが見えた。

「ね、なんかここに書いてある」

 後から思い返すと、どうしてそんなことをしたのかわからない。何者かに操られていたとしか思えないのだ。たとえばそう、捕らわれの精霊にでも。

 小春に止められていたにも関わらず、私は直接指で文字をなぞった。そしてその文字を、読み上げたんだ。

「私の前に出でよ、守護する者よ。仕えよ、跪け、私の足元に」

 正確に言うと、読んだわけじゃないはず。だって日本語で書かれているわけがないし。でも頭の中に浮き上がった言葉を、私は口にしてしまった。何が起きるか、考えもせずに。

 言い終わった途端、部屋の空気がギュっと縮まった気がした。

──なにかまずいことをやらかした。

 焦って手を引くと、ランプが転がり落ちた。ごとん、と床に当たったランプの口から、シューシューと音を立てて勢いよく白い煙が出てくる。

「ひゃぁっ」

 高い悲鳴は誰のものだったろう。

 メリメリとランプが内側に凹んでいく。ゆっくりと、元の形がわからないくらい。くちゃくちゃの金属の塊になって、ようやく煙が治まった。

 広がらずに宙に浮いていた煙は、やがて細長く濃縮されて人型を形作り、色づいて……背の高い男の人になった。長い髪に隠れて顔はよく見えない。まるで映画のように優雅な仕草で彼はその場に跪く。

「仰せのままに。主よ」

 土下座のような体勢で、額を私の足の甲に付けると、ふっとその姿は消えた。

 消え、た。

「……消えた……」

「……消えたっていうか、その前に、なんだアレ? なにしたんだお前」

 後ろから腕を引かれ、ぽすんとソファに座ってしまう。身体に全然力が入らなかった。

「すごいわ……早紀さん、今呪文言ったよね? なんで知ってるの?」

「わかんない。頭に言葉が浮かんできて、そしたら口が勝手に……。ランプの表面に文字が」

 おそるおそる床からランプだったものを拾い上げる。ほのかに温かい気がするけど、さっきも同じくらいだったかもしれない。ぐちゃぐちゃに潰れた塊では、もう文字は読み取れなかった。

「呪われたとかじゃないよな?」

「やめてよ、怖い。なんか、こう、白昼夢的なやつでしょ。まさかほんとにランプから精霊が出てくるわけないし」

「そ、そうだよね。精霊が出てくるといいなーって思ってたから、みんなで幻を見ただけだよね」

 現実を否定すると、それまで呆然としていた真由美も早口で続ける。

 そうだ、きっと幻だ。ランプを擦って呪文を唱えたら、男の人が出てくるなんて、そんなことあるわけがない。

 取り繕ったように笑う私に、小春がギラギラと目を光らせて言った。

「違うわ。私にはわかるもの。これは本物の魔法なのよ」

「まさか……」

「だったらランプが潰れたのはどう説明するわけ?」

「あっ、そ、そうだ。これ、どうしよう。真由美のお父さんに謝らなきゃ」

「いいよ、そんなの。汚いだけだし」

「でもきっと高価なものだし、買ったばかりなのに……その、本物かどうかはさておき」

 あえて疑うような物言いをした私を、小春がきつく睨みつけた。

 腕に鳥肌が立っている。

 怖い。できれば早く帰りたかった。

「あのね、うちほんとは、親がいない時は友達を呼んじゃいけないことになってるの。だから余計なこと言うと、かえって怒られる。きっと父も、買ってきたこと自体忘れてると思うし」

「そうなの? でも……」

「ほんとにいいから。私からうまく言っておく。明日から普通授業始まるし、今日はもう帰った方がいいよ」

「あっ、俺宿題終わってないや」

「くだらない。宿題なんてどうでもいいでしょう」

 興奮して帰ろうとしない小春を引きずって、私たちは真由美の家を出た。

 外は昼を過ぎたばかりでまだ暑い。さっきまで鳥肌が浮いていたのが嘘のように、ぬるい風が意識を現実へと引き戻していく。

 やっぱり幻だったんだ、って思った。まだ夏休み気分だったから、みんなで変なテンションになっちゃったんだ。

 ランプが潰れたという事実は無理やり忘れ、私は家に帰った。



「ただいまぁ」

 靴を脱いで廊下に足をかけたところで、奥からパタパタと母が駆けてきた。

「待って待って、早紀ちゃん、まだ家に入らないで、そのままお買い物行ってきて」

「やだぁ。暑いしお腹減ったもん」

 上がりこもうとする私を、母が千円札を握った手で押し戻す。

 財布を片手に、花柄のエプロンを締めた母は、典型的な近所のおばさんスタイルだけど、わりと美人だと娘ながらに思う。家だって、掃除が大変なほど広くないけど、居心地はいい。

 高級住宅街より、私にはこっちの方が落ち着くな、と思った。

「お昼、まだ食べてないの? なんにもないわよ」

「えーなんで取っておいてくれないの。お母さん一人で全部食べちゃったの? 太るよ」

「ごめんねぇ、僕が食べてしまった」

 涼やかな声が階段の上から降りてくる。見れば、褐色の肌の美男子が手すりに寄りかかってこちらを見下ろしている。

「あ、それなら別に、いいんだけどっ」

 気だるそうに髪をかき上げる様子が美しくて、しどろもどろになった。

 我が家にホームステイしてる……えーっと名前なんだっけ? 日本人には覚えにくい名前の人だ。

 まぁとにかく、体が大きい分たくさん食べるのは仕方ない。私の分の昼食がないのも、仕方なくはないけど、まぁイケメンだから許す。

「じゃあお昼も食べて来ていいから。とんかつ用のお肉買ってきて。うっかりしてて一枚足りないのよ」

 母がもう一枚千円札をよこす。

 んーそれならまぁいいか。お昼ご飯をケチれば、文庫を一冊買える。今月、読みたい本が発売になっているはず。

「ひどいなぁ、ナツキさん。僕の分のお肉を忘れたんでしょう」

「やぁね、そんなわけないでしょ。早紀を数え忘れたのよ」

 きゃっきゃしてる母の声を背中に聞きながら、私は再び外へ出た。さっきまでの不安な気持ちは、いつの間にか忘れて。


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