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暗い、暗い道だった。道幅は人間が二人通れる位で、過去に足下を照らしていたであろう蛍光灯は今や息絶えてしまっている。幸か不幸か満月から発せられる光はビルの隙間に届いてはいるけれど。
息が上がる。呼吸が荒い。心臓が激しい音を立てて全身の血を循環させている。空気は湿っているのに、喉が乾燥して吐き気がする。
今、自分が何処に居るのかもわからなくなっていた。
後ろを振り返る。見える限りは誰も居ない。でも、確実に追い掛けてきている、その自信だけはあった。逃げなければ。より遠く、より追い付かれない何処かへ。
……しかし、願いは叶わなかった。行き着いた先は袋小路。古びたビルの錆びた丸い把手を回しても、扉はびくともせず、音だけが鳴り響いていた。隠れる場所も無く、壁を走る排気ダクトも劣化し部分部分の欠けた雨樋も、人を支えられそうにない。
そうしている内に、逃げ場を探す時間も終わってしまった。逃げ、走ってきた道の方から、ゆっくりと近付いてくる足音が聞こえてきた。気のせいか愉し気に音を鳴らしている様にも感じる。
月明かりがその姿が捉えた時、彼女はくるくると回りながら、鼻唄を歌っていた。遠心力に引っ張られて広がる真っ白なドレスのスカートには、俺の血で赤い歪な水玉模様が浮かんでいる。
「あれ? もう終わり?」
手が伸びてくる。白くほっそりとした指が、俺の首を掴む。見た目に合わず異様に力が強くて、離そうとしても動かない。
「思っていたよりもツマラナイ人」
女は、人形の様に綺麗なのにも拘わらず醜悪な笑みを浮かべる顔を俺に近付けて、寒気がする程に冷たく囁いた。
「――――ッ!」
飛び起き、深く呼吸を繰り返して、夢であったと安心する。水之江先輩に殺されそうになる夢を見るなんて……折角今日は最高の日だったのに。
あんな夢を見てしまったのは、この前の事がまだ自分の中で燻っているからだろう。リアリティが無駄にあるなら、もっとこう違う内容の夢だったら良かったのに。……なんてくだらない事を考えて気分転換をする。
嫌な汗をかいたけど、幸い悪夢のせいで早く起きてしまったから時間に余裕はある。ここは楽観的に捉えて、水之江先輩の隣を歩いて恥ずかしくない男でいる努力をする為に使わせてもらおう。
時計を確認する。待ち合わせ時刻の十分程前……本当は一時間以上早く着きそうだったけど、見栄っ張りな男心のせいで、逆にギリギリになってしまった。
来なかったらどうしようという不安も少し心の隅に持ちながら、電車から降りて開道駅の正面口に出ると、既に待ち人は到着していた。数年前に修復されたお陰で綺麗な噴水の前に立って、お決まりらしい白のワンピースの上に青いトレンチコートを羽織っている。昨日より気温は低いものの、コートはまだ暑いんじゃなかろうかという疑問も浮かんだけど、多分寒がりなのだろう。
小さな可愛らしい鞄を手に持って、歩み寄る俺に気付いた彼女は、「ごきげんよう」と微笑む。昨日の今日でまた見惚れそうになるけど、今日は何とか会話を繋ぐことが出来た。
「ど、どうも……待たせましたか……?」
「いえ、私も来たばかりよ」
普通は逆だろうと思ったのは置いておいて、「それじゃ行きましょう」と言う水之江先輩に着いていく。……あれ? 俺、男らしさの欠片もないんじゃないか?
真に腑甲斐無い事に、デート内容は事前に言っていたように水之江先輩の買い物だった。俺自身としては内容自体には別に不満は無かったけど、彼女主導だったこともあって、デートというよりもただの付き添いになっているのは何処かで挽回したい。