お説教と聖水作り
「お、遅いってどういうことっすか…?」
レオンの黒曜石のような瞳が不安げにゆらゆら揺れる。顔色が悪い。
「どうやら私はもう女らしいです」
ねぇ、と笑顔で王様を振り返るプリュイさんが怖い。
その笑顔と絶対零度の眼差しを真正面から受けた王様は、
「プリュイは男でも女でも可愛いぞ」
なんて寝言を言いなさりながら一歩後ずさった。
まずいわね。プリュイさんが本気で怒っているわ。
…よし、逃げよう。きっとそれが一番安全だわ。
「あ、あの!私勇者召喚の準備があるので研究室に行きますね!」
「あ、おまっ!ズリィぞ!俺もその…コイツの手伝いに行きます!」
言い訳をして、我先にと私たちはプリュイさんの前から逃げ出す。
「あ、あたしもフィオ達と一緒に行きますね!」
「僕もピナ様に着いていきます」
ピナとランスもその後に続こうとした、…のだが。
「待ちなさい、ピナ」
にっこり笑顔のプリュイさんに肩を掴まれて、ピナは立ち止まった。
「あ、プリュイさん…」
ピナの表情が固まる。
ランスは捕まったか、と諦めた表情になりながらも、逃げるようなことはしない。
さすがランス、従者の鑑だわ。
「君ですよね、あのろくでなしに妖精の粉を送ったの」
ゾワリと肌が粟立つほど低められた声を聞き、彼…もとい彼女の声が聞こえた人間全員が震え上がる。
「逃げっぞ!」
「ええ!」
私たちはお互いに頷きあい、急いで魔法の研究室や王宮魔導師である私の私室がある青星棟へと走ったのだった。
「…にしても、プリュイさんが女になってたなんてな」
「ええ」
そう言いながら、獣人の里がある秘境に咲く赤い花の蜜と、月の涙と呼ばれる湧き水を混ぜ合わせる。
清廉な水に琥珀色の蜜が落ちた途端、水が淡く輝いた。
うん、この工程は間違っていないみたいだわ。次は…。
「女になったってことは、王様と結婚できるってことになるんだよな」
「ええ」
妖精族が守っている世界樹の果実をすり潰したものと、魔王国から出土した赤金と呼ばれる膨大な魔力を秘めた珍しい鉱石を混ぜ合わせて、先ほどの水に投入ね。
あ、入れすぎたかしら?…いえ、問題ないわね。
「王様なら強引にでも結婚しちまいそうだよね」
「ええ、そうね」
混ぜたものを火にかけて、その間に入れ物を用意しましょう。
これで勇者召喚の魔法陣を描く聖水が完成するはずだわ。
「…なぁ、さっきから何作ってんだ?」
何故かのんびりと私の部屋でお菓子をつまみにアルコール度数の低いお酒を飲んでいたレオンがのしのしと歩いてくる。
ほんのり鉄臭い血とアルコールの匂いが鼻を掠めて、私は眉を寄せた。
「またお酒飲んでたのね」
傷が開くからやめたほうが良いって何度も言ったはずなのに。
「うっせぇ。たまには良いだろ」
「傷が開くって言ってるのよ」
「こんぐらい平気なんだよ。それより、何作ってんだ?」
レオンが私の肩越しに机の上に置かれている鍋やフラスコ、魔導書を覗き込む。火にかけられた鍋の中の液体はくつくつと泡を吹き始めていた。
「勇者召喚の儀式に使う聖水よ」
鍋の中身をくるりと混ぜて、少しずつ自分の魔力を混ぜていく。
鍋の中身がほんのりと青白く光を帯び始めた。
「げ、それ本当に聖水かよ」
「失礼ね、ちゃんとした聖水よ」
光が治まってきた頃に火を止め、鍋を下ろす。そしてゆっくりと冷ましていけば、星空のように煌めく液体、聖水の出来上がりだ。それもあっちの世界とこっちの世界を向こう100年は繋げることができる代物である。
ちなみに試作品はもう王様に渡していて、実験的に勇者募集の紙を向こうの世界に送り込んだらしい。
…それで勇者候補が集まるかどうかはさておき。
「どう見ても飲めるもんじゃねぇだろ、それ」
「飲むものじゃないものもの。これは超大規模魔法陣を描くための言わば特殊な絵の具みたいなものよ」
「…何言ってんのか全然わかんねぇ」
「あ、そう」
聖水が失敗しないようにゆっくりとかき混ぜる。
これを作るために、本当にたくさんの魔法使いたちが苦労したのだ。最後の私が失敗するわけにはいかない。
例えば獣人の里の赤い花を取るために、星占師という占いの魔法使いが一人で滝つぼまで入って行ったり。
月の涙となる泉の水を探し求めて妖精族の魔法使いである精霊使いと魔族の魔法使いである魔女が協力して世界中の泉を飛び回ったり。
世界樹の果実を取るために、世界樹の番人と言われているエルフたちが世界樹を外敵から守っている竜と喧嘩したり。
フォルティスの特殊な鉱石は魔女たちが魔物の巣窟に突撃して取ってきた貴重なものだし。
そんな材料たちを無駄にはできない。
「なぁ、勇者サマが来たら魔法教えんのお前になるのか?」
また酒をチビチビと飲みながらレオンが尋ねてくる。
なんでコイツ、いつまでもここに居座っているのかしら?お酒なら自分の部屋で飲めば良いのに。
「そうね。剣はアンタが教えるんでしょ?」
「ああ。勇者サマに剣こそが最強だって教えてやるぜ!」
「…聞き捨てならないわね。魔法の方が強いし使い勝手も良いわ。魔法こそが最強よ!」
「んだと、引きこもりババア!」
「何よ脳筋ジジイ!」
カッとなって聖水を混ぜる手が止まる。奴がグイッとほっぺたを引っ張るから、仕返しに奴の髪を引っ張った。
禿げてしまえ!
「魔導書読む暇があったらオシャレくらいしろよ!干物女!」
「魔導書は大事な研究材料よ!アンタこそ昼間っからお酒飲んでないで部下の指導にでも行きなさいよ!」
なんて言い合いをしているうちに、掴み合いになって。いつも通り取っ組み合いの喧嘩にまで発展して暴れていた時だった。
ガチャン!と聖水を作っていた器具にぶつかった。と同時に作りかけの聖水が地面に落ちて…。
「あ!」
手を伸ばしたが鍋は指を掠めて落ちていく。
飛び散った聖水が床に触れた瞬間。
ドカンッ!という音ともに肌を焼く爆風が吹き荒れた。
「フィオ!」
レオンが私に手を伸ばす。が、その腕は巻き上がった粉塵と魔力の光に飲み込まれたのだった。