98話
盟約の下、俺たちが交わした約束はこれだった。
【一つ】 互いにルール外の妨害や邪魔をする事を禁ずる
【ふたつ】 あいてをきずつけない、ぼうがいしない
【三つ】 勝負前に賭けた物は、勝敗後に約定の元に認められる
【四】 お互いを尊重し、対等にプレーする事
【五つ】 上記のどれか一つでも守れない場合、盟約は締結されぬ
【六つ】 盟約を結んだ際に生じていた負は、すべて解消する事
【漆】 結ばれた盟約は双方の合意無しに破棄出来ないものとする
【八】 お互いに認めたのであれば、上の規定は無視できる
【きゅう】 どのような状況下でも、これらのルールは遵守されます
……どこかで聞いたような、定形文の様な物が作り上げられた。
一応念の為に、穴や抜け道、或いは俺にとって不利益になりそうなものが無いかを確認してみる。
しかし、そのどれもが「とりあえずゲームのルールを守り、ゲーム外の邪魔はするなよ」とされている。
そして下手なことをして双方詰まないように「お互いの合意があればゲームをやめることも出来るし、そもそも開始することも出来ない」となっている。
ただ、なんだ――血の盟約、だっけ? あれは十番まで有った筈だけど、九までしかない。
血の盟約だってそもそも――
【一つ】 互いに敵意や悪意、害意を向け合う事を禁ずる
【ふたつ】 あいてをうたがわない、うらぎらない
【三つ】 お互いの物を奪ったり、傷つけたりする事は禁止
【四】 お互いを尊重し、対等な関係で居続ける事
【五つ】 上記のどれか一つでも守れない場合、盟約は締結されぬ
【六つ】 盟約を結んだ際に生じた負債は互いに補う事
【漆】 結ばれた盟約は双方の合意無しに破棄出来ないものとする
【八】 お互いに話し合って決めた事なら、上の規定は無視できる
【きゅう】 どのような状況下でも、これらのルールは遵守されます
【ジュウ】 シがタガイをワカつまで、トモにアユむコトをチカいますカ?
と言うものだそうだ。
システム履歴をで「TIPS」から確認したので、俺が勘違いしてなければ正解だ。
……このシステム画面の面倒な所は、俺が聞き間違いやご認識をしたらその通りに記載する事。
例えば俺が「How should I know?」という言葉を「俺は知らんよ?」と聞き間違えたとしても、そのように描かれてしまうので絶対の信用を置くのは拙い。
ただ――きっと、過去の物が変容しつつ強い束縛めいたものになったに違いない。
十二英雄のはずなのに十しかないのは、なにか理由があるのかもしれないが……。
タイル張りの床をマスに見立てて、ゴーレムたちがそれぞれ並ぶ。
手にしていた武器が駒の種類を示していたらしく、ヘラの方は全種揃っていた。
俺の方は……俺しか居ないのだが。
血を持って認められた契約文が成立し、光を放つ。
それを確認してから俺は何故か一段落したかのような錯覚すら覚えた。
だが、今度はヘラが杖を一度ばかし回して床を叩く。
杖が彼女の手を離れてもその場に刺さったかのように自立し、光を放つ。
「『お母さん、お父さんは何処に行ったの? 問う子供に泣くお母さん。お父さんは遠い地で七日を生きる。兵たちは遠い地に行ったのと、ある少女は口ずさむ。果たして帰るのはどれだけなのかな――』」
今まで聞いてきた詠唱とは全く違う文章に俺は戸惑う。
童話や詩のような文言に何も予想ができない。
さらに――さらに長い詠唱だった。
マリーが速度を重視したのに対して、ヘラは効果に特化したという。
その意味が、はっきりと分かるような気がする。
彼女が詠唱を終え、魔法を発動させる――。
すると、周囲にあった光景が……全て変わる。
吹き荒ぶ風があった、その風が俺の頬の傷を鋭く痛めつける。
降りしきる雪があった、それは触れると肌を焼いた。
厚い雲が空を遮り、時間帯すら分からなくしていた。
ただ――沢山の滅びが有った、アポカリプス……終末があった。
ヘラの背後に、沢山の魔物が見えた。
一瞬身構えてしまったが、ヘラが「シ~ッ」と落ち着くように促してくる。
魔物の群れ、市街地で見たよりも沢山の、平原で見る”群れ”と言うよりも”軍隊”と言えるような数。
こちらを見て居るはずなのに、認識できているはずなのに――全く動きはしなかった。
「これは、かつての光景です。出来る限り際限は出来ていると思いますが、多分この方が遊び心地は良いでしょう」
「全部、幻だって言うのか?」
「はい。ですから、変な場所に行って窓から落っこちたりしないでくださいね?」
そう言われ、全ての準備が整ったとばかりに彼女はゆっくりと立ち上がる。
俺も力が入るかを確認していると、彼女は最後に念の為にと言わんばかりに治癒をかけてくれた。
「盟約を締結した時の負は、その場で清算する……ですよ。さて、それじゃあ――お待たせしちゃいましたかね。アイアスさん、ロビンさんはそのままそこに留まってて下さい。ヤクモさんだけそちらに送ります」
そう言って、ヘラは俺の背中を押した。
イマイチ――敵対しきれず、けれども仲間でもない関係に戸惑うしかない。
問答無用かと思えばヘラの面が出てくるし、ヘラかと思っていれば狂ったような事を言い出す。
ゆっくりと歩みを進めると、真っ先にマリーが駆け寄って俺の頬を叩いた。
滅茶苦茶キレている。
「アンタ、ばっかじゃないの!? 最悪自分を盾に脅すだけって、そう言ったじゃない! しかも今度は盟約での勝負? その上既に締結済み? 馬鹿じゃないの? ばっかじゃないの!? いっぺん……ううん、じゅっぺんは死んだら!?」
「手荒い歓迎どうも。けど、相手の目論見が読めてた以上、本当なら一番の手段だったんだがなあ……」
「誰かを犠牲にするのなら、そんなの要らない!」
マリーさん、キレっキレである。
タケルが「どうどう」と落ち着くようにマリーの肩を叩いたが、即座に顔面に魔導書がめり込んでいた。
鬼か。
「ふぁ……ホント容赦ないなあ、マリーは」
「タケル、鼻血……」
「ヤクモだって、血だらけだよね? 目、鼻、口、コメカミ……至る所から血が噴出したみたいに見えるけど」
「あぁ、うん。まあ……死に掛けた。というか、死に損ねたというカボアァッ!?」
マリーの拳が頬を穿ち、俺は地面に転がる。
そんな俺にかけられた言葉があった。
「はは、坊も大変だわな」
「そう思うのなら、助けろって……」
「ん? いや、今はヘラが『そこにいろ』って言ってるし? 見ていて微笑ましいじゃねぇか」
「俺は微笑ましくない。むしろ痛々しいわ……」
マリーの怒りは収まる様子を見せなかったが、そんな俺に手を差し伸べる存在が有った。
ロビンである。
彼女もまた洗脳自体はされているようではあるが、その目の色とは裏腹に素の彼女らしかった。
「まりー、ようしゃなさすぎ。ヤクモ、へいしとしてうごいてただけ」
「理解できない」
「りかい、むよー。まりー、へいしじゃない」
「なら、アンタは理解できるって言うの?」
「むしろ、わたしにちかい、かも」
ロビンの手を掴んで、ゆっくりと引き起こされる。
そして立たされた俺は埃を払うように服を叩かれたが、全身から一度血を噴出したと言っても過言ではない。
埃を落とそうとしてもむしろ張り付いてしまっているので、何ら意味を持たない行為だった。
「ああ、いい。有難う。優しくしてくれたのはロビンだけだ……」
「は~あぁ~!?」
「まりー、うっさい。すこしだまる」
「私はうるさくない!」
……今度はロビンとマリーが喧嘩を始めてしまった。
醜い言い争いが始まり、なんだか――そう、ヴィスコンティを出た当初のような雰囲気を思い出した。
少なくとも面倒で厄介な物はなくて、面倒臭いと思いながらも外の世界を歩く楽しさがあった。
今じゃ最早見る影もないが……。
「ヤクモ、何か被ったほうが良い。それと傷口も隠そう。彼女がかつての――あの世界を再現しているとしたら、これが幻であっても現実のように響く。傷口は抉られて、出血を強いられるからね」
「あぁ、だからみんな……被れるような物を身に付けてるのか」
マリーは帽子、ファムは毛皮、ロビンはフード、猛は腰に提げた編み笠がある。
ヘラも……今は外しているが、被り物をしていた。
「ファムは生命力や耐久力があるから素肌を晒していても大事にはならないけれど、人々にとっては時に致命的になる」
そういわれ、俺は鉄パチを被る事にした。
雪の様な有害物質が肌に触れると焼くような感覚が生じ、服に当るとホヨンと跳ねて落ちていく。
これが幻想だとしても、まるで現実のようだと頬の傷が血を流し続けた。
「この中に、スピードチェス……じゃないや、西洋将棋のスピ……速度版って知ってる人は?」
「俺は……ごめん、分からない。他の皆は?」
「う~ん、オレにも分からないな」
「ごめん、むり」
アイアスやロビンもそう言ってきて、俺にはお手上げだった。
しかし、乗ってしまった以上は避けられないゲームなのだ。
諦めと共に、俺はヘラの方を向く。
八の歩兵、二ずつ存在する騎兵、僧兵、戦車。
そして……女王。
王が本来立つであろう場所に、彼女は立っている。
俺は束の間の安息を得たように思いながらも、踵を返した。
そしてゆっくりとそれら駒の前に俺は対峙する者として立つ。
ヘラたちの背後には多数の魔物が居た、俺たちの背後には人類の兵士が居る。
つまり、これはかつての人類と魔物の戦いを模した物なのかも知れない。
臨場感があり、目の前の甲冑を纏ったゴーレムたちもそれっぽく見えてきた。
「さて、ルールの説明をしましょうか」
「ルールも何も、俺のほうに駒が無いんだけど」
「居るじゃありませんか……後ろに。アイアスさんと、歩兵をお願いします。ロビンさんは騎兵を」
「あいよ」
「わかった」
ヘラに言われ、アイアスとロビンが俺の前に立つ。
そして二人の周囲に存在感希薄な兵士たちが現れる。
一瞬二人は呆気に取られたりいぶかしむ様な顔をしたが、それも直ぐに消える。
タケル、マリー、ファムが後に残されるが――三人とも、二人の配置を見てそれぞれが足を進め自身の役割を決めた。
マリーが僧兵となった。タケルは歩兵となった。ファムは戦車となり――三人とも、それぞれの役割にちなんだ兵士たちが出現する。
そうやって見ていると……それぞれが部隊の長となって戦う、場の広い戦場のようにも思えた。
「それじゃ、足りない所は亡霊さんで埋めるとして……ヤクモさんは、どうします?」
俺は少しばかり考えた。
王として指揮をするのが正しいのかも知れない。
だが、直ぐにその考えは消失し女王の駒と言う自由さを思い出す。
王として後ろに居るよりは、他の何かとして行動するほうが良いように思えたからだ。
「そうだ、カティアちゃんとか呼んだらどうですか? その方がやりやすいでしょう?」
そのヘラの言葉にどうすべきか迷っていると、同時にドサリという音が聞こえる。
何事かと見れば、そこには英雄殺しが背中から床に叩きつけられていた。
俺が唖然としていると、コールが響いてくる。
カティアからで、腕時計を見ると普段の夕方の定時連絡の時間を過ぎていたのだ。
コールに答え、状況を説明する。
……そして、パーティー状態にしていたが為に俺が毒状態になって瀕死になっていたのも気付かれていた。
色々言ったが、最終的に言われた言葉は
『召喚』
の二言だった。
しかもカティアを召喚して彼女がゆっくりと地面に降り立ち、久しぶりの再会に幾らか顔を綻ばせていると――。
パァン! と、マリーの時とは逆の頬を叩かれた。
に、二度もぶったね!? それとも、薔薇乙女?
何でもいいが、そろそろ心が挫けそうだった。主に味方によって。
「ねえ、ご主人様ってじつは構って欲しい系? 辛い所や苦しいところ、危ない所を見せて興味を引く系?」
「言ってやりなさい。そのバカ、何を言っても聞かないんだから」
……あぁ、そっか。なるほど?
カティアが居ない分をマリーが補っていたのね? だから若干安定感があったのか。
俺のやる事に正面切ってキレるし、色々言うしでカティアとマリーはマジ似てる。
ミラノは最終的に折れるし謝るし、それ以前に少しでも無視できない要素が有ると言葉を飲み込む癖がある。
あれ、俺って結構監視されてる?
「今回の旅で、また随分と変になったみたいだし。私がちゃぁんと調教しなきゃ……」
「必要なら手を貸すから何でも言って」
「あの~、もしも~し? 今の状況分かってます? 一応、敵が目の前に居るんですけど」
今は逼迫した状況では無いので良いけれども、これが命のやり取りをする場だったら笑えない。
……流石にその時に至ってファムやタケルが注意しないとは思えないけれども、それでも若干怖くなるやり取りだった。
「あの~、もしも~し。もしかして、私って忘れられちゃってます~?」
「い、いや。忘れてないから大丈夫だって、安心しろって……」
「――……、」
そしてもう一人、不貞腐れている奴が居る。
主人によってここに送り込まれたらしく、無理矢理ゲームに参加させられているのだ。
駒は歩兵で、完全に本人の意志ではなく床に転がった時にそうなってしまったのだ。
「それで、私は何をやればいいの? クイーン?」
「キングかクイーンか……それで迷ってる」
「ご主人様が指揮を取るんでしょ? なら、他の駒は無いわね」
そう言って、カティアは女王の駒の位置へと立った。
数名の親衛隊らしき兵士が現れ、カティアの警護の様に周囲を固めた。
数は他の皆よりも少なく、強そうではあるが兵的な安心感は少ない。
じゃあ俺もと王の位置へと立つと、同じように――或いは、さらに少ない兵士が周囲に出てきた。
「さて、それじゃあ足りない場所は埋めますね」
ヘラがそう言うと、ゴーストのような人が空いていた箇所に現れた。
これで此方も一応は駒が揃ったわけだが――。
「で、ルールですね」
「ん、そうだな」
「簡単ですよ? リアルタイムストラテジーのように、相手の手番を待つのではないと言うだけです。そして、本来は駒を手で動かすのですが、口頭で命令するだけですね」
このように。
そう言いながらヘラは歩兵に「歩兵隊さん、全員一歩前進してください」と言う。
するとゴーレムたちがそれぞれの得物を地面から離し、一歩前進してくる。
その巨体が迫ってくるのを……俺は見ていた。
前線に居るのはアイアス、タケル、英雄殺しの三人だ。
三人とも、それを見つめていた。
「駒を動かすと、当然ですが戦場において直ぐに他の行動は出来ません。それと、お手つきは出来ませんので慎重に、タイミングを見計らって動かすように」
「ねえ、ご主人様。この世界の方ってカタカタ言葉とか外来語由来の言葉をあんなに使えたかしら?」
「洗脳した奴らの知識を得てるんだろ?」
「――で、動かした駒はその行動が終了し次第行動可能になるまでの時間が生じます。たとえ目の前に美味しい駒が居ても、その駒が奪われそうになったとしても行動出来なければ、ただ指をくわえて見守るしかありません」
……英霊達はそれぞれに何らかのアクションを示しているが、何故か誰も喋らない。
警戒? それとも割って入るのを躊躇している?
マリーや英霊殺しは絶対口を挟んでくると思ったし、タケルだって何か見落としが無いかを指摘してくれるはずだが……。
「駒の動きはそのまま、プロモーションは有りです。それじゃあ、リセット」
リセット、と言うのはどういうことだろう?
何事も変わらず、ゴーレムたちが一歩前進した状態から変わる事は無い。
怪訝に思っていると、ヘラが声を張り上げた。
「あの~、リセットって言ってもらえますか~? 同意してもらえないと盤面すら戻せないんです~!」
「あ、あぁ。そうなのか……。リセット!」
俺がそう言うと、盤面が輝いてゴーレムたちの配置がまるでフィルムを継ぎ接ぎしたかのように当初の位置に戻っていた。
なるほど、双方の合意が無ければ何も出来ないが、双方の合意があれば何でも出来ると……。
そう言う事か。
「みんな、やけに静かなんだけど」
「皆さんも駒と同じで、ヤクモさんに向けて考えを主張できます。けれども、駒の移動や攻撃と同じで一度の発言と共に次に発言が出来るまでの間が出来ます。戦場でのやり取りと同じで、そう言ったルールを皆さん駒になった瞬間に目にされてます」
「カティア?」
「――うん、そうね。言ってる事は正しいけど」
「けど?」
「……ううん、何でもない」
カティアが言葉を濁し、それ以上は何も言わなかった。
多分女王の駒と王の駒は位置が近いからそう言ったデメリットを回避できているのだろう。
逆に考えればたった一マス……その一マスで意思疎通が難しくなるのか。
つまり、助言を得るにしても無制限では無いと言うことで、大よそ俺が負担しなければならないのだろう。
……しかし、考えてみるとゲームのように見せかけて俺の指揮能力を見られてるとも言える。
本来であれば三曹、二曹、一曹と率いる人の数が増えていく。
今の俺は文字通り王となり、マリー達個人に見せかけてその周囲に居る兵士達の命も預かっているわけだ。
ちょっとばかし、胃がひくつきそうだ。
ただ違うとすれば、命が実際に失われないという事だろうか。
そう言う意味では「ゲーム」なんだよな。
「さて、誓いましょうか。私、ヘラは。勝利した場合対戦相手のヤクモさんの身柄を引き受け、その一切の権限・権利を得る」
「対戦相手でヤクモ、自分は――」
自分は、自分は――。
「一時的に対戦相手であるヘラの身柄を引き受け、その一切の権限と権利を得ると共に、それらを破棄し自由にする権利を欲する」
「お優しいんですね……。それでは、一つずつ盟約を復唱してください」
【一つ】 互いにルール外の妨害や邪魔をする事を禁ずる
【ふたつ】 あいてをきずつけない、ぼうがいしない
【三つ】 勝負前に賭けた物は、勝敗後に約定の元に認められる
【四】 お互いを尊重し、対等にプレーする事
【五つ】 上記のどれか一つでも守れない場合、盟約は締結されぬ
【六つ】 盟約を結んだ際に生じていた負は、すべて解消する事
【漆】 結ばれた盟約は双方の合意無しに破棄出来ないものとする
【八】 お互いに認めたのであれば、上の規定は無視できる
【きゅう】 どのような状況下でも、これらのルールは遵守されます
空中に字が浮かび、復唱した通りの文言が描かれる。
それらを見ながら周囲を見ていると、マリーは下唇を噛んで何かを堪えている様に見えた。
タケルは……俺の立ち位置からでは眼帯で表情を見ることが叶わない。
ロビンとアイアスは洗脳を示す赤い瞳のままだったが、先ほどのおふざけの時の様な表情はしていない。
ファムは……多分マイペースなのだろう、欠伸をもらしている。
そして隣を見ればカティアが居て、若干緊張した面持ちをしている。
「――ご主人様、大丈夫?」
「ん? 大丈夫、勝つさ。勝ってみせる。これはゲームだ、ただのチェスで、ただ俺の知らないルールで遊ぶだけの……。これで、誰も傷つかずに結果が決まる。それは、一応最善なんじゃないか?」
「――……、」
カティアが何かを言いかけたが、言葉を飲み込んだ。
俺はその意味が理解できずに、盤面戦略と言うのを幾らか考える。
……幸いな事に、これはただのゲーム《児戯》なのだ。
とあるゲーム世界のように、空白のゲーマーが対戦相手でも権謀術策巡らされる相手でもないのだ。
盟約に従い、ゲーム外からの妨害や介入は出来ない。
盟約に従い、ルールに従った事しか行われない。
盟約に従い、互いに誓った事は遵守される。
盟約に従い、どちらか一方が勝手にそれらを破棄する事も破る事も出来ない。
俺はそれらに安心し、肩の力を抜き、目を細める。
……表情豊かである事は感情の発露では有っても真では無い。
多弁である事は情報を勝手に吐き出すことでもない。
頭が良くないし、むしろ悪い方だと思っているが――。
それでも、読まれないようにし、読む事くらいなら……この場に置いては、幾らか有利なはずだ。
「それじゃあ、始めましょう」
その言葉と共に、ゲームは動く。
周囲の光景、遠くでこちらを見ていただけの観衆である魔物が、人類の声が――一気に現実味を抱かせるほどに喧しくなる。
「歩兵隊、鶴翼の陣形を作りそれぞれ前進」
「僧兵の道を空けて歩兵の方々は前へ」
指示のあったとおり、駒が動き出す。
ただ……その動きを念の為に注視していたが、俺の指示通りとは行かなかった。
王の立ち位置から遠い駒の反応は鈍く、動き出しと移動の終了が遅い。
これが、発言のラグって奴か?
となると、王である俺も前進したほうが良い事になる。
「王は、一歩前進――」
命令伝達速度を重視すべく、俺も前進しようとする。
しかし――その速度は、とてつもなく遅かった。
俺が行動開始をした途端、コマ目の盤上がとてつもなく広くなりまるで実際の戦場に居るような状態に陥る。
周囲を見ると、俺の移動指示を聞いて『陣換え』を開始した兵士たちが見えた。
なにしてるの? 何やってんの?
そう考えていると、罵声が飛んで来る。
「おい、こっちは既に行動可能になってるんだぞ、動かせオマエ!」
それは英雄殺しのもので、俺は頭を振った。
遠すぎる戦場、何処にどの部隊が居るのか全くつかめない。
それらを理解し、把握し、唾を飲む。
――やられた。ヘラの奴、”ルールを全部説明してない”じゃねえか!
確かに嘘は言わなかった、事実しか言っていない。
しかし、あからさまな情報の欠落が存在し、それが一瞬俺を素に戻しかける。
それでも冷静さを欠けば上に立つものではないと思い直し、表情を貼り付けた。
眉間に皺を寄せ、への字に口をする。
目の動きも落ち着いた物にし、キョロキョロしないようにした。
それから歩兵隊の倍の時間をかけ、ようやく王の駒である俺の移動が完了した。
盤面である周囲を見ると、戦局が既に移ろいで居る。
右翼では既に騎兵まで動き出していて、僧兵たちも前進していたのだ。
「タケル、一歩前へ。ロビン、右前へ。ファム、アイアスの後ろ――」
「な~に~、聞こえないよ~?」
そう返され、俺は心臓が鷲掴みにされた様な気さえした。
しかし、既にファム以外の連中の行動は始まってしまっている。
暫くしてファムが「あ、りょっかい!」と言って行動開始する。
ミクロとマクロを行き来し、本当の戦場のように行動する――のだが。
「あ、危ないですね。歩兵さん、下がってください」
「はぁ!?」
ゆっくりと、ラグを込みでなれて来た所でまた新たな要素をヘラがぶっこんで来た。
本来ポーン……歩兵の駒は全身しかできない。
斜めに相手が居る時のみ相手を取る事で斜めに移動するのだが、それすら無視した後退である。
しかも、それを律儀に飲み込んで歩兵は後退して見せた。
手が震える、戸惑ってしまう。
それでも駒を動かさなければならず、マリーやもう一つの騎兵の駒も前進させる。
騎兵の駒は行動そのものが早く、命令が下ると突撃するかのごとく前進していく。
ただ、その速度を殺す為に再行動可能になるまでの時間が長く、不便である。
僧兵は行動そのものが鈍重で、マリーがもたもた前進しているのが見えてしまう。
それを見てしまうと、いっそ命令可能な駒も動かすべきじゃないかと考えてしまうが――。
「僧兵、二つほど右前へ……」
今度は、命令無視である。
ゴーストが「その命令は承服致しかねます」等といってきて、頑として従うつもりは無いようであった。
仕方がなく、今度は接敵できたタケルで敵を倒そうとするが――。
「僧兵さん、歩兵さんに支援を」
ヘラがそう言うと、相手の僧兵がなにやら詠唱をしてタケルの倒すはずだったゴーレムに援護を開始する。
それでもタケルが俺の指示通りに前進して攻撃をするのだが……。
「うっそだろ、おい……」
”コマを倒せない”だなんて、そんな事が有っていいのか?
ただ、それでも相手に被害は有ったようだ。
無敵などではなく、ただ被害半減とか……そう言ったものなのかもしれない。
外装がボロボロになったゴーレムが、それでも機能停止するでもなく自分に纏わりついてきた俺の兵士を引っぺがした。
「ヤクモ。ごめん」
そんなタケルからの伝令が届き、俺は口を押さえて考え込む。
スピードチェスを知ってますか? とは言われた。
だが、スピードチェスそのものであるとは……言われて、ない?
やられた、何をしてるんだ? 俺は。
気が朦朧としていた? 安堵しきっていた? 気が抜けていた?
何でもいい、言い訳にすらならない。
スピードチェスという言葉から、チェスの類だろうと俺は勝手に早とちりした。
その上でゲーム説明を受けて、変則的なチェスなのだと思い込んでしまった。
その結果、チェスに似た別ゲーをさせられている事に気がつかなかった。
当たり前だ。チェスに陣換えの要素があるか。
チェスに早馬や伝令の要素は無いし、命令下達のラグや命令拒否もない。
そもそも援護? 後退? これじゃあまるで……。
「RTSじゃねえか……」
そうなると、概念が全て変わってくる。
歩兵だとか、騎兵だとか、僧兵と言うのはそのまま”分かりやすい名称なだけ”であって、チェスの動きとは全く無関係なのだ。
直ぐに思考を切り替え脳内情報を更新していく。
これはチェスに似てはいるが、チェスでは無いと自分に言い聞かせて戦略を新たに練り直す。
「歩兵隊、左翼後退。右翼はその場を維持。僧兵はやられそうな部隊に支援、アイアスは”ファムを通過して交替”!」
「あ、気づかれちゃいました?」
ヘラが意地悪そうな表情をする。
こいつ、清々堂々に見せかけてすんごいだまし討ちをかまして来やがった。
本来であればコマを通過した移動と言うのは出来ないのだが、アイアスの歩兵部隊がファムの戦車部隊を”通過”して、その後ろに配置された。
なるほど。現実と同じで出来なくは無いわけか、なら――HOIだのAge ofとか、COHと同じだ。
気になるのは命令無視だが、前線にたどり着いても居ない上に危機でもないのにそれを口にするとはどういうことだ……?
「中身入りに通達、このゲームに関して情報を求む」
命令ではなくただの情報のやり取りだが、これに関しては時間を使うしかない。
移動中、停止中、再行動待ちに関わらず伝令が飛んで行き、情報が到達し、その返事が来る……と考え、ラグが生じるのは仕方のないことだった。
「坊、駒の動かし方とその特性を考えて動かせ。ただし、やってる事は戦争だ」
「ヤクモ。俺の部隊、さっきの攻撃と後退で疲弊してきてるから連続行動は少し考えた方がいいかも」
「私に援護とか、舐めた事させたわね。やらせるのなら魔法攻撃をさせなさいよ!」
「てきを、とっぱ……できる。それ、かんがえて?」
様々な情報が来て、疲労の概念や知らなかった駒の行動概念が追加される。
僧兵……マリーは魔法で遠隔攻撃ができる。
騎兵は敵の撃破に関わらず突き抜ける事ができる。
「おい、オマエ。歩兵は正面での戦いだけじゃないって理解してるか?」
英雄殺しからそういわれ、マクロで見た盤面ではなくミクロで見た戦場を思い出す。
見れば盤面にも模様が刻まれ、それぞれ何か意味をしているように見えるが……。
「ねね、私だったら敵が固くても叩けると思うにゃ~」
ファムの戦車からそんな事を言われ、それも頭に詰め込んだ。
つまり、もう、マジ……。
別ゲーじゃねぇか。
情報のやり取りを行うと暫くのラグから沈黙が生まれる。
それから俺は声をあげずに、小さく命令を呟いてみる。
「英雄殺し、伏兵――」
そう呟くと、英雄殺しの部隊が徐々に溶けて見えなくなった。
つまり、これ……地形効果と兵種を組み合わせて考えろと言う事でも有るのか。
それに、態々声を張り上げて相手に行動を教えなくても良いと――。
ただ、それじゃあ何でファムに声が届かなかった?
声を潜めても届くのなら、声量は関係ないはず……。
地形効果か? 見れば林に居たみたいだし、その影響もあるのかもしれない。
ただ――さらに最悪な事が起こり始めるのは、この世界観だからかも知れない。
「ヤクモ、僧兵に援護させてくれないか」
「どうした?」
「兵が、負傷してく……」
はい、なんで?
その理由を俺は理解できなかったが、直ぐに判明する。
有害な雪と、肌を裂くような風、そして傷口を抉る空気のせいだった。
交戦しても被害が生じ、しなくても時間経過で兵が傷ついていく。
――なにこの劣悪な無理ゲー。
相手を見るが、此方に対して相手は一切のダメージを受けているような様子は無い。
つまり、こういう事か。
僧兵で攻撃だけじゃなくて、常に援護させるか前線部隊を被害のない地形にまで移動させなきゃいけない。
疲労度と言う電撃戦への制約、それに対して環境が時間をかけた作戦を許さない。
爪を噛み、いくらか思考をする。
すると……気がつけば一気に周囲が暗くなるのを見てしまう。
そうか、時間の経過は等速じゃないのか……。
全てを圧縮しているからこその、ン倍速での時間経過が発生しているという事か。
ここで不思議な事が発生する。
相手の……ヘラの軍隊全てが”停止”してしまったのだ。
見れば再行動までの時間が大分長く表示されている、つまりは動かない……動けないという事か。
忙しすぎる指示出しと現場の変遷、それとチェスとの乖離に脳が数度空転した。
徐々にギアダウンしてきた俺は、即座に言う。
「野営準備と、それぞれの部隊を後退。負傷兵は全ての手段、物資を以って治癒・救護。手隙の連中の中から食事を」
それが適応されるかは分からないが、実際の戦いのように振舞ってみせる。
すると、意外な事ではあったが時間経過で生じる損耗が抑制され始めた。
と言う事は、細かい所まで”現実”と同じように出来ているのだろう。
マクロ視点に戻ると、駒に天幕の表示が浮かび上がる。
……雪と風を凌げたという事だろう、そしてゴーストの兵士たちが休息や食事を取り始める。
俺はそれらを見てから、頭を振る。
「全部隊、被害状況の報告を」
見ると駒のリーダーをしていたアイアスたちがその場を離れて此方へと向かってくるのが見える。
夜は戦闘をしない、多分そのルールが存在するのだろう。
ただ、その中に何故かヘラが混じっているのは気に入らないが。
「や~、一日目は凌いじゃいましたね~。結構良い具合に戦ったと思いますが」
「凌いだ? 凌いだだって? こんな……言わなかった事が沢山有るだろ」
「あは~、やだな~、ヤクモさん――」
――なんで常に、万全の状態で戦えると思ったんですか?――
彼女は鼻が触れそうな距離まで間合いを詰め、無表情なままに目を見開いてそう言い放った。
俺はそれに二の句も告げずに黙り、それでもと言い募ろうとはした。
だが、思い出す。
――自分が有利なゲームを捨てる人が居ますか?――
当たり前だ、俺だって捨てたりはしない。
詐欺られてから「詐欺だろ!」と言うのは弱者が過ぎる。
俺は溜息を吐き、ミクロな戦場の中で夜を体験する。
「さあさ、夕食にしませんか? 現実でも皆さん何も食べてないでしょうし」
「……この場合、ここで何日か過ごした場合時間軸はどうなるんだ?」
「現実の時間に引き戻されますよ? ただ、戦場視点での時間は実際の時間のように感じますので、空腹は凌いだ方が良いかと」
「あ、じゃあじゃ。私がつっくるにゃ~!!!」
ファムが張り切って突っ走り、ヘラが指を動かして突っ走った先を指し示すとそこには透き通る物体ではないちゃんとした食材や道具が現れた。
ここまで来ると映像ではなく、架空の世界に入り込んだと思った方が良さそうだ。
あるいは、ゲーム開始するまではただの映像だったが、ゲーム開始と同時に仮想現実に取り込まれたか。
「ねえ、マリー」
「あに」
「も~、敵意むき出しでやだな~。マリーの見立てだと、損害はどれくらいだと思う?」
「……交戦損害が三十八、環境損害が二十三。戦線復帰が四十一」
「よく覚えてるね~。皆も、そんな感じの想定?」
「いや、オレは違うと見るね」
アイアスが倒木に腰をかけ、俺を真っ直ぐに見据えてくる。
……目が、赤くない。
「あんな指揮、あってたまるか。オレの部隊は交戦することなく隣の部隊がやられてくのを見て居るしかなかった。行動可能だったのに、圧を加える役割も無くだ。どれだけやられた……?」
「今、報告を待ってるところだ」
「オレ達にとって……くそ、これは――良くない。坊、頼むぜ?」
「どういう意味だ?」
「これ、むかしのたたかい、さいげんしてる。だから、いやなおもいで」
ロビンも……洗脳が浅かったのか、目が赤くない。
あるいは、目の前の悪趣味な光景に対して自我の方が勝ったのかも知れない。
逆に考えればヘラの方はこんな悪趣味な世界観に対して自我が出てこられないほど、深刻な状態だといえるのかもしれないが。
「や~、流石に気づかれちゃうか~」
「……あぁ、悪趣味だ。しかも、オレたちにも色々仕込んだだろ?」
「当たり前だよ。だって、既に皆にとっては乗り越えた、結末の分かっている戦いだもん。だから余計な事を言えないように、盟約で私とヤクモさんのみの戦いの場を作ったんだから」
「そういう……」
なるほど、盟約を結んだ物同士だけではなく、外部からの妨害や支援も受け付けられなくなると言う事か。
だからそれぞれ色々言いはしたが、ゲームを破壊する行為……勝手な行動や指揮権を奪うような真似をして来なかった訳か。
じっさい、そうだろう。
ゲーム内のチートキャラがプレイヤーの操作を受け付けずとも自律行動で戦場を駆け巡り、指揮下の兵たちを好き勝手したらそれこそ手がつけられなくなる。
「この戦いの結末は、どうなってる?」
「教えられませんよ。だって、それってつまりはどのように勝ったかって事ですよね? 教えられません」
「坊、相手にするな。唯一つ言える事があるとすれば、勝てる戦いだと言う事を覚えておけ」
「勝てるか?」
「勝てる。な? タケル」
「勝てるよ」
「勝てるわね」
「かてる~」
満場一致で、勝てると放たれてしまった。
ヘラの顔を見ると、彼女はニコニコとしているという事は……裏がある。
「なるほど。勝てるとは言ってるけど、勝ったとは言ってない。つまり……俺次第か」
「ですよ? どんな立派な馬車を持っていても間違った道を行けば意味が無い。どんな立派な御者を雇っても間違った道を行けば意味が無い。どんな立派な馬、立派な準備、立派な事前の調査をしても、間違えれば全く意味が無いと言うことです。大体、なんでチャンスを――」
チャンス? 何のチャンス?
俺がその単語に耳を疑うと、彼女は自身の口を抑える。
見れば目が明滅していて、多分……今のが真なら意味がある。
「……喋りすぎちゃいましたね。いえ、まだ私が完璧じゃない、と言うことでしょうか」
「言っておくけど、なんだか訳の分かんない奴に姉さんは渡さないからね」
「ねえ、マリー。何時からそんな生意気な口を聞くようになっちゃったのかなぁ……?」
「ひっ……そそそ、そんなおどおどおど……脅しに屈したりしないんだから!」
「マリー? 頼むからオレを盾にするのだけは勘弁してくれないかねぇ……」
マリーがアイアスを盾にしてヘラから逃れている、その様子もやはり普段の日常のようでいい。
ただ違う事が有るとすれば、俺たちは天幕を立てなければ雪と風で死に向かうという事だ。
アイアスたちもそうだが、俺も……誰もかもが雪で肌を焼かれ、風で身を裂かれ、出血している。
ヘラだけが違うのは、きっと当時の魔物もそうだったからに違いない。
触れることが出来ないゴーストの兵士たちを見ると、彼らもまた木々の間にロープと布で雪避けを作ったり、防風地域を作るために苦心している。
暫くして、俺の視界にポップアップが表示された。
……酷い有様だ。現実で考えれば部隊再編を余儀なくされるような損害である。
歩兵部隊二つ半壊、騎兵が一つ大損害、それ以外の全てが平均にして十%の被害を出している。
ただ不思議な事があるとすれば命令拒否をした僧兵の部隊だけが全くの無被害なのだが、それは地形効果によるものなのだろう。
動きもしなかったし、支援以外では貢献もしなかったが被害も出していない。
「さて、この空間での一日を終えましたが、疲れてると思います。なので、ちゃんと休んでから夜明けを迎えてくださいね」
そのヘラの言葉をかみ締め、周囲の色々言いたそうな英霊の面々を見ながら心臓が鷲掴みにされたかのような苦しみを覚える。
ファムとカティアが食事を運んできて、それらを口にすると不思議と落ち着く。
だが――物資不足で、食べる物に困っていたと言う話は本当なのだろう。
粉末が幾らか混じった水っぽいスープに、キノコと薬草が浮いている。
アイアス達はそれに干し肉を突っ込んで、肉をかみ締めながら少しずつスープを飲んでいった。
真似をして見るが、量は無くても一時的な満足は得られる。
それでも……吹き荒ぶ風から逃れるように天幕の中で寒さに震えながら毛皮に包まって眠った。
誰もがそうした、誰もがそうだった。
同じ天幕の中で、カティアの目が俺を見て居る。
「大丈夫? ご主人様」
同じように毛皮に包まりながら問われたその言葉に、俺は幾らかの暗雲をしまいこんだ。
考えれば考えるほどに頭が痛くなる、足りない食事からくる空腹で集中力も足りない。
使用するエネルギー量に対して、時間も休息も部隊も――環境も、何もかもが足りなかった。
「部隊を再編して、一つの部隊にする。いや、戦場に穴ができる。けれども、下手に半壊状態で居られると命令拒否のリスクが高まる。一日目を終えちまったから、物資の残量、あと僧兵に回復をさせて戦線復帰を促したから明日の僧兵の疲労度も気にしないといけない。ないないないないないないないない……」
一つ不安な物が気になると、芋蔓式に沢山の事が気になった。
解決しようとすれば何かを犠牲にしなければならず、何も犠牲にしたくなければ着手しないという事になる。
表示されている時間が刻々と流れて行き、俺は一向に眠れる気がしない。
そんな俺に多くを語らず、カティアはこちらに寄ってきて頭を撫でる。
「ご主人様、深く考えすぎないで。何であの人がゲームといったか、その事を考えてみたら?」
「抜け道を探すって事か?」
「一つね、私に思い当たった物があるんだけど――」
そこまで言って、彼女は続きを言わなかった。
いや、言えないようになっていた。
外部からの支援・援助と言う形になってしまうのだろう。
答えは言えない、けれども情報は与えられるという所に該当したのかもしれないが――。
彼女は、自分自身の首を一度だけ撫で、手刀を作るとゆっくりと首を落とすジェスチャーをする。
少しばかり考えてしまった、それから悩んでしまった。
彼女はその動作の後に、言葉を新たに発する。
「結局、ターン性じゃないってだけで本質は変わってないでしょ? 駒ごとに性能の差異はあっても、行動を一度したら待たなきゃいけないって所はターン性だと考えれば同じ。つまり、相手もこっちも動かせば同じように待って、同じように動かさなきゃいけない。それで私思ったんだけど、こういったゲームで勝つ一番の方法って、何かしら?」
「そりゃあ……、相手がしくじるしかない……だろ?」
「じゃあ、しくじらせたら? この”ゲーム”再現だけど、結果までは同じじゃない。それは、みんなの反応と言葉で分かったんじゃないかしら」
……一理、ある。再現だとは言ったが、その通りになるとは一言も言っていない。
皆は勝てると言ったが、その理由までは言っていない。
つまり、何かしら相手にミスを誘発させて、そこからすり潰すように攻め込めば……。
「それじゃ、寝るわね」
「――ありがとう」
「どう致しまして」
何の解決にもなっていない、何の正解も見出せていない。
彼女が横になってから暫くして、俺は毛皮から抜け出して外の世界を見に行った。
降り積もる雪は夜になると一切溶けず、降り積もっていく。
それを手にすると、痺れるような焼けるような、刺すような痛みがする。
離してはみたが、掌がすっかり焼かれてしまった。
表面上の皮膚が変色し、爛れ、溶かされ出血している。
寒さ対策の為につけたフェイスマスクとネックウォーマーをで顔と首を保護し、ミクロの戦場とマクロのゲーム盤を確認する。
此方の動きが暴露しないように行動し、遠目に見える敵の陣容と此方の陣容も確認しようとする。
――なんでチャンスを……――
そんな事を、ヘラが口走り……口を滑らせた。
――勝てる――
そう、皆は言った。
――じゃあ、しくじらせたら? この”ゲーム”再現だけど、結果までは同じじゃない――
カティアもそんな事を言った。
だが、俺は何の解決策も見出せないままに朝を迎えた。
迎えて、しまったのだ――




