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元自衛官、異世界に赴任する  作者: 旗本蔵屋敷
6章 元自衛官、異国での戦いを開始する
96/182

96話

 水は易きに流れ、敵は組み易しと察すれば攻めてくる……。

 その言葉を叩き込まれるように、地獄のハイポートを思い出していた。

 部屋の中で延々と装具の整備と準備、点検をしていると日が昇ったようだ。

 目が腫れたような感覚と、脳裏で徐々に寝不足からチリチリと焼き切れるような感覚が生じてくる。

 それでも――それでもだ。

 渇いてるのか、それとも涙で湿ってるのかも分からない目を閉ざす事無く、部屋の中で音と言う音を聞き分けようと試みる。

 ただ、アーニャの言ったとおり開店休業状態のようである。

 アーニャは朝早くに食事の準備や掃除、お祈りなどをする為に起きたのを聞いたし、顔を見せに来た。


「ふあ~……お早う御座います。良く――休まれていらっしゃらないようですね」

「ん、もうそんな時間か――」


 腕時計を見て、木窓の隙間から入ってくる光を知った。

 やる事をやった後に、ただひたすら待機すると言うのは若干の辛さがある。


「誰か来たりは?」

「いえ、お二人以外には今の所。なにか口にされますか?」

「いや、良い……。ちょっと、マリーの様子見てくる……」


 普段使わない箇所の筋肉が悲鳴を上げ、痛みを訴えている。

 それでも椅子から立ち上がると、机の上に転がしていた煙幕手榴弾と閃光手榴弾をしまった。


「倒れては意味がありませんよ?」

「一日二日寝ないだけで倒れるようなヤワい訓練はしてない。ただ……」

「ただ?」

「レンジャーの人たちや古参の人ほど、慣れちゃ居ないけど」


 災害派遣、検閲、曹候補生として教育を受けていた時……。

 睡眠不足など当たり前すぎて、今更それで喚いたり寝落ちするような事は無い。

 ただ、言ったとおり過酷なほどに追い詰められた上での睡眠不足を体験した事は無く、睡眠不足を味わっている状況の多様性で長く部隊に居る曹や幹部には敵う訳が無い。

 俺が言っているのは『一般市民に比べて』の話だ。 

 部隊内なら……もっと凄い人がゴロゴロ居るのだから。


「とと……。ん~、やっぱ不眠耐性が下がってるな。これも今度鍛えておこう――」

「貴方様にかかると、何でも不足になってしまいますね。帳が下りたら眠り、日が昇れば起きるのが当たり前で――平和で、あって欲しいと考えてるのですが……」

「今は、俺にとって平和じゃない。だから、仕方が無いんだ」

「――……、」

「そもそもさ、俺達が惰眠を貪っている間も、欧州や中東ではテロだのゲリラだので死んでいく人が居る。そうじゃなくても災害で平穏も住処も奪われた人が居る。それを考えれば、偶々俺個人にそう言った事が降りかかってるだけだと――自分の番が来たんだと、そう考えれば良いだけだよ」


 そう言って、念の為にマリーが寝ている部屋をノックする。

 創作の主人公のように、ラッキースケベなんてやらかさない。

 ノックをしない、返事を待たずに入る、そんな事をして何かあったらどうするのだ。

 それ以前に、ノックをして返事を受けてから入室すると言うのを叩き込まれているのだが。

 声が僅かに返ってきたのを聞いてから、俺は戸を開いた。

 マリーは、毛布に包まっていたが、体だけは起して待っていた。


「――朝、なのよね」

「一応、朝かな」

「寝てないでしょ? 目が充血してるし、眠そう」


 会っていきなり指摘され、俺は目を擦る。

 渇いた目ヤニがゴロゴロと転がってから剥がれる、瞬きをする度に疲労した目の痛みを感じた。


「俺はいいから、調子や体調は?」

「城から離れたら大分マシになった。昨日魔力も分けてもらったし、とりあえず……動けそう」

「まあまあ、少し落ち着け。一つ言わなきゃいけない事もあるし」

「言わなきゃいけないこと?」

「まあ、言うのは俺じゃなくてこの右手なんだが」


 マリーが理解できないと眉を顰めるのを見てから、ゆっくりと歩み寄る。

 その右手で顔面を掴み、左手で中指を思い切り引っ張った。

 何かを察知したらしいが、既に遅い。


「これって――」

「歯ぁ、食いしばれやぁ!」


 バチン! と、渇いた音が響き渡った。

 マリーは痛みから崩れ落ち、ベッドの上で額を押さえて蹲っている。

 俺は手を振るが、見ていたアーニャが唖然としていた。


「お前、魔力がだいぶ無いんだってな? しかもあの時の自爆の影響がだいぶでかいとか――どうして隠してた」


 本来は俺が責めるべき事柄では無いし、むしろ救われたのは俺なのだから恥じ入って無能さをかみ締めるべき場面だ。

 だが、彼女は大丈夫なフリをして、その結果――死に掛けた。

 それを俺は許容できなかった。


「本当なら、お前が俺にくれたあの装飾品……あれが有れば平気だったんだろ? 本当ならいざと言う時に自爆覚悟で大爆発をおこしても、付呪のされたコイツで自分だけは何とか生き延びるようにしてあったんだろ? なのに、なんで――」

「……アンタは、今を生きる人でしょ。私は、過去の亡霊だもの。私は多少の怪我なら魔力で補えるけど、アンタはバラバラになったら死んじゃうじゃない……。それに、アンタはあの時でさえ対魔法防御に不安があった……それに比べたら、発動から即座に対魔法防御をはってこの程度なら、安いと思わない?」

「そういうこと言ってるんじゃねえんだよ。てか……」


 てか……、それはつまりマリーですら防御が間に合わなかったら死んでいたし、対魔法防御力が低ければ死ぬような魔法をぶっ放したと言う事か?

 その中で俺は意識が朦朧とはしていたものの、あの英雄殺しに近寄って剣を突き立てる事が出来た。

 と言う事は……やっぱり、足手纏いは俺だった訳だ。

 色々と口にしたい言葉があったが、そのどれもが実際に出てくる事は無かった。

 溜息を吐いて、彼女から渡された金属板をドックタグから分離させる。


「――返す」

「良い。アンタが持ってて。そもそも――渡した時は、そんなつもりじゃ、無かったし」

「え?」

「辺境伯がもしアンタを攫えとか言った時、思いっきり抵抗して失敗させて欲しかったから。ま、敵対じゃなくて共闘で使う羽目になるとは思っても無かったけどね」


 ……まあ、辺境伯は無系統の魔法が使えれば誰でも良いと言っていて、何かをやらせたがっているのは理解できる。

 その役割が俺になり、俺が応じた事で手荒な真似をする必要がなくなったのだが、巡り巡ってあの戦いで活きる事になった。


「いや、返す。俺がもっと頑張るから、今度は……マリーに負担をかけ無いくらいに成長するから。だから――」

「……だから、なに?」

「俺を、諦めさせないでくれ」


 マリーに貰った装飾品が守ってくれる、それは確かに気の持ち方に対してプラスだ。

 しかし、それを前提とした思考をしてしまう自分を考えると怖くなり、一切の成長を放棄する可能性が恐ろしくなった。

 

「これと同じくらいの防御を得られるように、俺は頑張る。少しでも……少しでも皆に追いつけるように努力するから。最初から――それを、斬り捨てないでくれ」

「――分かった」


 諦めたような、嘆息の息がマリーから漏れた。

 彼女は俺が差し出したそれを受け取ると、自身の首から提げた。

 あるべき場所に、元あった場所に戻っただけなのだ。

 俺はそう自分に言い聞かせ、安心していた。


「で、一応体調とか確認しておくけど。どう?」

「好調。むしろ、一回姉さんを引っ叩いておきたいくらい。許されるなら殺そうとしてきたあのバカも焦がしておきたい」

「それくらい気力があれば、とりあえずは十分かな――」


 少しばかり安心して、気が抜けたのか欠伸が漏れる。

 それを見てマリーは笑った。


「ちょっと寝ておいたほうが良いんじゃない?」

「ん……お昼までは頑張る。そしたら、一旦休む」

「お昼って、どれくらいあるか理解してる?」

「三時間……じゃないや、六刻……」

「それだと半日じゃない」

「逆になってますよ。三刻じゃないですか? それでも長いですが」


 頭が若干ボケボケしているようだ、溜息を吐くと部屋の外――教会内で足音が聞こえた。

 扉を開く音も聞こえず、そしてその足音以降静かになり……不気味さを感じる。

 俺は二人に静かにするようにしながら、ゆっくりと扉を開けようとした。

 だが――


「邪魔するよ」


 ガゴン! と、扉を開く前に顔面に叩きつけられた。

 仰け反り、仰向けに床に倒れこみ、痛みに悶え苦しむ。

 血の味が広まり、どこかやらかしたのでは無いかと思うぐらいにダメージがでかい。


「ふう、やれやれ。流石に日中は普通に活動してたねえ……。んで、オマエは床で何をしてるんだ、着替えでも覗いて張り倒されたか?」

「お前がッ……!」

「まあ良い。ほら、返すぞ。調べて場所を確定しろ。それが終わったら、寝ろ。何かあったら声くらいはかける」


 そう言うと、英雄殺しはさっさと部屋から出て行く。

 足音は全く聞こえず、廊下を覗くと礼拝堂へと入っていった。

 ……玄関とホールから真っ直ぐ突き進むと突き当たるのは礼拝堂だ、陣取るには正しい位置かもしれない。


「俺、あいつ嫌……」

「いけません、鼻血が――」

「あぁ、大丈夫。……ご飯、貰って、寝るわ」


 アーニャにそう言うと、俺は投げ渡された携帯電話を手に立ち上がる。

 電源を入れるとすぐに伍長のカメラレンズと言う目が、画面いっぱいに此方に近づいていた。


『あぁ、ご主人様。大丈夫で御座いますか? お早う御座いますと言いたい所ですが、筋肉が凝固し生物電気……神経の活動が乱れて御出でのようですが』

「問題ない。ちょっと不寝番してて、寝てないだけ――」

『遅くまで活動されてましたからね、お疲れ様です。もし宜しければ、ご主人様の好きな曲を流しながら眠るお手伝いができれば嬉しいのですが』

「後回し。王の間を散策したと思うけど、そこで何かしら新しい情報は?」

『ええ、ありました。御座いましたとも。ただ、ご主人様が何度呼びかけても応答してくれなかったので、目で確認はしていませんが』

「悪かったな。ちょっと……隠密が得意な奴に貸しててさ。今返してもらったところ」

『左様ですか。ですが、音響である程度の間取りは確認できておりますので、それをご主人様が実際にすり合わせてご確認下さい』

「――ひとつ聞きたいんだけど、俺の携帯をどれだけ改造したの?」

『ほぼ全て差し替え、性能を向上させました。そして私が保有する技能を、携帯電話越しで行使しているだけですとも。それでは、3Dでの間取りと2D断面図を』


 そう言って伍長は複数のデータを保管したと言う通知を示した。

 それらを見て、数度……瞬きをして目を疑った。

 あの広間、やけに沢山のゴーレムのような甲冑が有るなと思ったが――その内の一つがそのようだ。

 玉座の後ろにあった二体の『キング』と『クイーン』。

 そのキングから強い反応があったと、そう言う風に示されていた。


「壊せば、いけるか?」

『見つからずに辿り付く事……、それが一番の課題で御座いますね。ご主人様の衣類も、カモフラージュ仕様があれば良かったのですが』

「カモフラ?」

『認識阻害。あるいは誤認や錯覚と言えますかね? 視界に入っていても、遠ざかれば遠ざかるほどその存在の認識が難しくなり、静止状態であればさらに、匍匐する事でかなり認識されづらくなると言う……脳へ訴えかける、かつての軍事迷彩に用いられていた技術で御座います』

「無いものを頼っても仕方が無いさ。――とりあえず、有難う」

『お役に立てて光栄です、ご主人様』


 そう言って俺は今しがたの会話をとりあえずマリーへと話し、王の間へと向かわなければヘラを開放できないと述べた。

 アーニャは話しが長いからと朝食の準備に向かったようで、既にその姿はなかった。


「……で、どうするの?」

「破壊、しかないんじゃないか? とにかくたどり着かなきゃいけないんだけどさ」

「――難しい話ね。夜まで休んだとしても私は派手な立ち回りが出来るとは思えないし、二人じゃ直ぐに取り囲まれそう」

「あいつがいうには、仲間……多分、タケルやファムと合流しろって事なんだろうけど。それで行けるかどうか」


 色々考えては見たものの、いい考えが浮かばない。

 チリチリと焼ききれる感覚に苛立ちが、個人的な物が生じたのを感じて諦めた。


「寝て、おきたら……多分何か思いつくかも」

「寝る前にちゃんと食べなさいよ? アンタ、休む時は直ぐに寝ちゃうんだから」

「ん、そうする~……」


 部屋から退去し、自分の借りている部屋に戻るとベッドに倒れこんだ。

 うぅ、質素なベッドだ……。けど、眠るには十分、な、気が……。


「貴方様、貴方様!」

「う、何……」

「食事です。余り多くはお出しできませんが――」


 ベッドに倒れこんで、三十分ほど意識が飛んでいたようだ。

 アーニャに起されてから、意識が途絶えていた事から不安になった。


「これは現実、だよな……?」

「もし私が持ってきた食事の香りとその味も分からないのなら、もう少し休まれたほうが良いのでは」

「いや、そうじゃないんだけどさ……」


 ゆっくりと起き上がり、鼻腔を擽る香りに空腹を刺激される。

 ソーセージに、目玉焼き……。それとパンである。

 トウモロコシ粉末のスープもあって、既に食べたいと思えるくらいだった。


「これ、アニエスが?」

「えへん! 私、家庭科の成績は五でしたから!」

「はは、そりゃ……期待できるな」


 用意してくれた食事に口をつけると、優しい味が口の中に広がっていく。

 ソーセージで食欲を刺激しつつ、スープで肉々しさを中和する。

 腹の中でパンが水分を吸って幾らか満腹感を充足させると言う組み合わせだろう。

 寝る前に良い献立だなと感心してしまった。

 まあ、何も無ければ熱々の珈琲牛乳やラーメン、牛丼でも眠れるんだけどさ。


「それで、先ほどのはどういう……」

「この赤い目になってから、何度も幻覚を見てる。いや、幻覚と言うよりは……嗅覚や痛覚とかもあって、自分が実際にその場に居るような光景を何度も見てきてるんだ」

「――話していただけますか?」


 俺は出来る限りかいつまんで、お手軽に説明した。

 それを聞いた彼女に眼を見せるように言われ、俺は彼女に少しばかり目を見せた。


「……その目は、この世界の物ではありませんね」

「なにそれ」

「んと。なんと言えばいいんですかね……。ゲームを作成する時に作り上げたマップチップやキャラクターデータ、スクリプトやコマンド、ワールド等があるとするじゃないですか」

「分かりやすいなあ」

「つまり、私の先代から私が担当してからの間に積み重ねられたデータの中に、その目と言う存在は無いのですよ。例えるのならMODで装備を追加して、その装備を手にしたままMODを外したら装備を手にしている風に構えているけど何も持っていない……みたいな」


 彼女は退屈な時や時空の狭間に居る時はゲームなども楽しんでいると言う。

 ついこの間Bethesdaと言う、Civに並んで時間泥棒をするゲーム会社を説明した所だ。

 その話しが出たという事は、MODを追加して楽しんでいるのだろう。


「存在しているけれども、データはオリジナルの世界には無い……と?」

「例えばですよ? 創造主である神様が介入して悪戯した――とかなら説明はつくのですが」

「つまり、限りなくありえないと」

「ですです」


 溜息を吐くしかなかった。

 俺自身がイレギュラーとなる事だ! と言う、まるで世界の矛盾点のようになっているのがなんだか気持ち悪い。

 そもそも転生・転移の時点でありえないのだが、それはシステム的に認められた行為だったから許された。


「私は私の管轄の事しか手出しできないので、これはちょっと……」

「――まあ、分からないのなら良いよ。ご馳走さん、美味しかったでした~……」


 食後だと言うのに、そのまま俺はベッドに再び倒れこみ毛布に包まる。

 アーニャが「食べたばかりなのですよ!」と怒っていたが、満腹感がさらに眠気を増幅させた。

 しかし、直ぐに「仕方がありませんね」と言う声を聞いて、起される事への警戒を解いた。

 半ば丸まるようにして眠るようにしていると、頭に触れるものがある。


「私は、アルファでありオメガですから。ノルマンディーから、ライン川まで――」

「最後まで……?」

「――最後まで」


 多分、昨日の話の回答なのかもしれない。

 最後の何のネタなのかは分からなかったが「最近出たゲームの台詞なんですよ」と教えてくれた。

 それを聞きながら、俺は眠りに付いた。


 次に目を覚ました時、既に昼は過ぎていた。

 十三時で、何事も起きなかった事を喜んでいたら目覚め際にアーニャが食事を運んでくる。


「お昼ですよ~。余り重くないようにしました」


 そう言って彼女が出した料理はまたもや美味しそうで、胃が鳴り食欲が増したのを感じる。


「もし生きていたら結婚したら、良い奥さんになっただろうに」

「あ――」


 俺の不用意な一言が、彼女が最後に置こうとしていたスープの皿を手から滑らせた。

 机で一度ばかり跳ね、顔面に叩きつけられるスープの温もりに包まれる。

 熱くない事は有り難いのだが、オニオンスープだったらしく、服が臭くなる。

 目頭にこみ上げる物があり、涙が自然と溢れてきた。

 歳かな……、いえ、刺激物混入です。


「……これは、遠まわしに顔を洗えって事? レモン汁入りオニオンスープ?」

「あぁぁあああああ……。貴方様が変な事を仰るから! もう、拭かないと……」

「いや、これで乾く」


 そう言って俺は指を鳴らし、服に染み込んだ水分を全て分離させ蒸発させた。

 少しばかり匂いが気になったが、それは洗濯するしかないだろう。

 これ以降「なんかニンニクくさくね?」という事が原因でアラート鳴らされるのは勘弁だ。


「便利なんですね」

「魔法は?」

「使える、と……思います。実際には試した事は無いのですが」

「――あぁ、そっか」


 魔法と言うこの世界のシステムを使わずとも、彼女にはこの世界を管理する物として好きにできる能力がある。

 なら、下等置換の魔法を使う必要は皆無なのだ。

 俺は理解すると、納得して頷いた。


「……あぁ、そうだ。今更だけど、いきなり押しかけて、その上食事まで出してもらって。悪いから負担金――」

「いえ、困っている人を助けるのが私達の仕事です。そのうえ貴方様であればその助けをするのになんの遠慮が要りますか」

「いやいや、食材費」

「いえいえ、お気遣い無く」

「いやいや」

「いえいえ」


 このままでは話が進まない。

 咳払いすると俺は目線を彼女から外す。


「あ、あ~……そういや、神様に捧げ物をしたいのにここじゃキリスト教の教会も無いからなあ。お布施も出来やしない。けど、だからと言ってそうしない事は、神に対して冒頭や裏切りになっちまうんだよな、どうしよ~」


 そう言いながらコインを出す。

 アーニャは少し呆れたようであったが、溜息混じりに受け取ると祈りを捧げる。


「――主は貴方様の善意と、してきた事を見てくださっています。主の祝福があらん事を――アメン」

「アーメン」


 その時だけ久しぶりに祈りを捧げた気がする。

 帰国子女校でも聖書の授業があって、毎回こうして貰ったっけなと思い出す。

 俺は当然のように宗教とは道徳であり、個人事に胸の内を照らす火種にするものとして認識した。

 なので熱心な信者のように食事の度にあるいは祈りを捧げる事は多くない。

 有るとしたら、一年が過ぎて新たな一年を迎えるときに家族を――今では、弟と妹の無事と健康、未来を祈るくらいだが。


「それじゃ、後で下げに来ますね」

「え? いやいや、そこまでしなくても――」

「今は。存在がばれたらまずいんですよね?」


 遠まわしに「黙って隠れとけ」と言われ、俺は従うしかなかった。

 建物の内部とは言え声を張り上げる事は出来ないし、騒がしくすれば人の気配を察知されてしまう。

 しかし、俺はこのまま大人しくしてるつもりは無かった。

 

「マリーって、確か姿を隠す魔法とか使ってたんだよな?」


 食事を終え、俺はマリーの部屋に向かった。

 彼女はベッドに入りながらも読書をしていたようで、出来る限り回復を優先させているようであった。


「姿を隠すというよりは、周囲の認識を誤魔化す魔法ね。アンタには見えてたみたいだけどね? 使い魔としてその姿を消したら流石に見えないと思う」

「いや、重要なのはそこじゃないんだ。それって、俺にもかけられる? 今の内に集められる情報を集めておきたい」

「かけられ、なくも、ない……けど。流石に結界を通り抜けたりしたら存在は気付かれるはずよ?」

「城には行かない。タケルとファムの事をちょっと探せればなと言うのもあって」


 彼女は嘆息した、俺の提案はどうも誰にとっても気に入られないらしい。

 マリーはそれでも「わかった」といってくれる。


「半刻。それが実際に効果を維持できる時間。それまでに戻ってこなければ、周囲にまた見えるようになっておしまいだから」

「ん、ありがとう」

「私が元気だったら、絶対にこんな馬鹿げた考え許さないし」

「元気になったら聞くよ」


 と、マリーにかけて貰ったが……。

 どうにも、自分が周囲に見えなくなった感じがしない。

 

「これ、本当に見えないの?」

「――私がアンタの下穿きをズリ下ろせば理解してくれる? 私はそれで今までやってきたんだから、それを疑うな。まさか私達みたいに存在が消えると思ってるんじゃないでしょうね? ぶつかったり声を出せば気付かれるんだから、距離を保って静かに行動しなさい」

「うい」

「間違っても女性に悪戯しないように。したら殺す、しなくても殺す」

「どっちにしろ殺されるのならかけて貰った意味なくね……?」


 何のやり取りだと思わないでもないが、多分憂さ晴らしなのだろう。

 彼女の声にケツを蹴り上げられるようにして俺は街中へと出た。

 ……戦斗服に半長靴、部隊識別帽と中々に昔の自分スタイルだ。

 それでも出歩いているにも拘らず、特異な存在である俺が注視される事はなかった。


 歩いている途中、声が聞こえてくる。


「本当だって! 昨日深夜、顔の無いオバケが俺の目の前に現れたんだ!」

「飲みすぎなんだよ。金をばら撒いて逃げやがって、沢山の人が群がったけどそんなの見てないって言ってたぞ? それより、お触れが回ってるから目を通しとけ」

「ちげぇよぉ、本当なんだよぉ……」


 ……昨日俺が遭遇した奴なんだろうなあ。

 真っ暗な道で、目しか認識できなかったのにいきなりスゥッと口を開いて訳の分からない事を言えば誰だってビビルだろう。

 しかし、見ていると城の兵士ほどに洗脳されてるって様子は無いんだよな……。

 あれかな、洗脳されたヘラが追加で洗脳したとか、そう言ったものなのかもしれない。

 ただ一つ納得がいかないとしたら、一番影響を受けるのは国王なんじゃないだろうか?

 何でヘラ? そこにもなにか理由がある?

 よくは判らないが、兵士の動員がやはり多く感じた。

 数度街に来ただけだが、曲がり角で曲がるたびに兵士を見かけると言う監視の目を大量に配置しているのは異状としか思えない。

 洗脳にも段階的な物があるのだろう。

 ヘラは旧世界の意志に支配されていて、兵士や国民はそこらへんを別に気にかけている感じはしない。


 ちょっとばかし気になったのでお触れとやらを見に行き、双眼鏡でお触書を見る。

 そこには俺の人相と特徴、そして通報に金一封、捕縛や足止めなどでさらにお礼が出るとかかれていた。

 ただ、あの場でヘラが口にした俺の罪状は無いみたいなので、あれはあれで何だったのかと思う。

 考えやすいのは俺に罪の意識を植え付けて、国外脱出を試みたらヴィスコンティにその罪状を通達すると言う警告をしていたのかも知れない。

 つまり、力技での脱出もその時点で出来なくなっていたわけだ。


 他にもタケルやファムの事も描かれており――ついでに、マリーのも張り出されたところだ。

 面倒だなと思ってはいたが、急に兵士たちの動きがあわただしくなる。

 野次馬連中がごった返していて迂闊に近づけなかったが、仕方が無く後を追う事にした。

 建物によじ登り道を見下ろすと兵士の動きが、所々である方角に向けて集結しているように見えた。

 それを追いかけながら、障害物走でもこんな事はしねえと思いつつ建物から建物へと移っていく。

 途中で滑り落ちかけて屋根の一部が滑り落ちて大通りに落下してしまった。

 巻き添えは居ないだろうかと確認してから負傷者がいないことに安堵しながら、再び追跡を続ける。


 ……大分離れた場所、下水の出口らしき場所にまでたどり着く。

 そこを見れば本来鉄柵と施錠された扉があったらしいが、施錠の部分のみ綺麗に切断されている。

 兵士たちはそれを確認すると上級者らしい人物が、指差ししながら兵士を割り振りどこかへ向かわせる。

 考えられる事としては他の出口を封鎖しに行ったのだろう。

 後からやってきた兵士も取り込みながら散っていく。

 五名程の兵士がその場に留まり、暫く待機していた。

 ……考えられる事は、移動完了と可能な限り行動を同期させて追い詰めようとしているのかもしれない。

 早ければ封鎖できていない場所から逃れられ、遅ければ飛び出してくる。

 閉所で圧殺できる事が一番好ましい、のかも知れない。

 何処までそれが通用するかは分からないが、見ものだなと思う。

 ――の、だが……。


「げ、ヘラが出張ってんのか……」


 暫くして、兵士がヘラに状況を説明しながらやってくる。

 ヘラはそれを聞きながら、遠目には「らしい感じ」で指揮をしているようであった。

 兵士が様々な方角を指差しており、出口となりうる箇所を示しているのだろう。

 だが、ヘラは――幸いな事に俺が張っている場所には来なかった。

 彼女は何か言うと、再び兵士に連れられてどこかへと向かう。

 それを見送ると、兵士たちはどうやら動き出すようであった。

 俺はその後を負うように、良い具合の長さになっている鉄材を手にした。

 石ころ帽子を被れば何をしても、どんな状態でも気付かれ無いと言うが、後を数歩離れて追っても相手は気付かなかった。


 暫く兵士達も俺も静かに通路を警戒しつつ、途中で他の場所から侵入したらしい兵士達と合流と散開を繰り返しながら進んでいく。

 何度か既にやられたらしい兵士が転がっていて、何人か下水に浮かんでいたりもした。

 それでも――声が響き渡り、そちらへと兵士達が駆け出した。

 俺も一応追いかけるが、ようやく見つけた二人は……どうも、不利に見える。


「にゃ~! ぶっ飛ばしたいにゃ~っ!!!」

「殺しは不味いってば。俺だってその方が簡単だって分かってるけどさ――」


 タケルとファムは、兵士によって追い詰められつつあった。

 殺してはいけないと言う枷が、二人の戦闘能力を押さえ込んでいた。

 それでもファムは甲冑を掴んでは放って壁に投げつけて居るし、タケルはタケルで装具越しに打撃を与えたり隙間から鞘で突く事で無力化していくなど「あれ、俺不要なんじゃね?」と思わせる。

 しかし、ヘラが何をしようとしているのか分からない以上、もたもたしてはいられない。

 場が膠着する瞬間は何度かあり、そのときだけ静寂が場を支配して身動きの取れない状況を作る。

 その中に、俺の吹いた口笛が場にそぐわず、英霊を含めた全ての兵士の耳に届く。

 閉所であるが故に響いたその音、そして飛んで行く二つの代物。

 その二つの物がタケルとファムの足元に転がり、甲高い金属音を伴って小さな部品が弾け飛んだ。


 反応は二つで、呆けて見ていた者と、それが何かを聞いていたが故に対策をしたもの。

 兵士たちはそれを注視し、タケルとファムは目を閉ざした。


「こっちだ!」


 一人殴り倒すと大よそ同時に、閃光手榴弾と煙幕手榴弾がそれぞれの役割を果たす。

 目と耳を潰し、煙幕が狭い下水路に充満する。

 流石に煙幕が焚かれるとこのおかしな目でも見通せないが、視界が塞がっていてもシステム画面で下水路のマップを見ながら行動すれば何とかなった。

 

「ハハ、居る……みたいだけど、見えないなあ。なんにせよ助かったよ」

「居るの? 鼻がおかしくなっちゃって、何にも分からないにゃ~」

「とりあえず、俺が入ってきた場所から抜け出そう。ヘラはそこには居なかった」


 俺は先導し、途中で兵士を蹴落としたりタケルやファムが殴り、突き飛ばしながら脱出する。

 そして下水路から出ると、来た時と同じように一番人の目が少ない建築物の屋根を通り抜けて教会まで戻るのであった。


 ~ ☆ ~


「さってと、お二人が逃げられないように結界を張っちゃいましょうか~」


 ヘラは、そう言いながら兵士が突入していった出入り口の大よそ中間あたりにやってきた。

 地表から生体探知の魔法を結界のように張り、下水路の中に居る二人を捕捉したら即座に逃れられないように結界を張り、拘束しようとしたからだ。

 壁を挟もうが、それどころか相手を視認していなくてもやりようによっては色々な事が出来る。

 ヘラはその事を理解していた。


「さ~て、さてさて。子ネズミさんを捕まえちゃいましょうか~!」


 そう言って彼女は杖をクルリと一度だけ回し、地面を一度だけ突いた。

 するとその杖は淡い光を放ち、彼女の手から離れてもその場で真っ直ぐに立ち続ける。


「『笛吹きさん笛吹きさん、今日はどちらへ御出ででしょうか。昨日はネズミを、今日は病気を、明日は何を率います?』」


 ヘラはマリーとは違い、詠唱を破棄し威力を保持する事を選ばなかった。

 喩え手間がかかろうとも、その背丈ほどの大きさを持つ杖を使う事で何倍にも効果や性能を高める事で不安を安心できる物へと変えるのだ。

 一人で数十、数百の兵士を治癒する。

 一人で敵の魔法攻撃に対して結界を大きく戦場へと張り巡らせる。

 それこそ切断された腕をくっ付けたままに治癒を施して以前と同じように繋げて見せることさえ出来た。

 

 そんな彼女が詠唱を終え、下水路へと地面を透過して人を探す――が。


「あれ? あれあれあれ~?」


 しかし、数の暴力で押し込む筈だったが、その兵士の大半が沈黙させられていたのだった。

 動いている兵士たちは周囲で非活動状態に陥っている他の兵士を助け出し、起しあげ、戦力を回復させている最中だった。


「もしかして、遅すぎました? いやいや、そんなはずは……」


 二人ともツアル皇国から来ている身であり、喩え最適な手段が「兵士の殺傷による脱出」だとしても、それを行えない事をヘラは理解していた。

 人類の為に人類を殺めるという本末転倒な事ができないだけじゃなく、外交的にも問題になると――少なくとも、タケルが理解している事を込みで考えていたからだ。

 気絶させられたりはするかもしれないけれども、彼らが倒れた事によって足場や道を徐々に狭めていく……。

 犠牲を飲んだ、二人に対して効果的な作戦だったはずだからこそ、首を傾げるしかない。

 

「ん~、上手く行かないなぁ……」


 そう呟き、彼女は杖を手にして手繰り寄せる。

 杖は光を喪い、ただの杖へと戻っていた。

 そして急いで戻ってきた兵士に「すみません、怪我の酷い方は私の所へ。それと貴方がたの大事な英霊の方々を捕らえろと言う命令は酷でしたね。今日はもう休んじゃって下さい」と伝えた。

 兵士はそれを聞き、直ぐに引き返していく。

 街中で幾らか蠢いていた兵士たちが、その後徐々に静まり返っていき平和な街並みへと戻っていった。


 ヘラは空を眺め、溜息を吐く。

 そして再び「上手く、いかないな~」と呟きながら、城へと戻っていった。



 ~ ☆ ~


 二人を無事に教会まで連れ帰ると、欠伸を漏らしながら英雄殺しがホールから現れた。


「はは、まさか日中に合流するとは……。てっきり、一度捕縛されてからもう一度逃げ出して、夜当たりに再び捕まった所を助け出すって言う考えだったが……大誤算だ」

「お前……」


 タケルが何か言いたそうにしたが、直ぐに頭を振った。

 そしてやってきたアーニャに俺は事情を説明する。


「二人、仲間と合流した。悪いんだけど――」

「ええ、分かっておりますよ。どうしますか? 必要ならお身体を清める準備やお食事もお出ししますが」

「いや、俺たちは……」

「そちらの方が、既に『御心』を示されましたので。遠慮なさらないでください。それに、今は巡回で皆さん出かけてますから」

「……分かりました。迷惑をかけないように努めます。その範囲で、お世話になります」

「世話になりますにゃ~」


 アーニャにタケルは深々とお辞儀し、ファムはお気楽な挨拶をした。

 それから顔面に飛んで来た石鹸を掴むと、意地悪な表情を浮かべた英雄殺しを眼にする。


「風呂ぉ入んな。もしオマエが糞尿の匂いを漂わせて王の間にクソを塗りたくりたいのなら構わないが。オレからは離れてろよ? 居場所がクソでバレるなんて、そんな間抜けな真似は嫌だね」


 そう言われたらたまらない、俺も身体を綺麗にするしかなかった。

 だが――ここで俺にとって予想だにしなかったことが起こる。

 幸いな事に井戸水をくみ上げる場所が建物内部にあり、周囲を気にせず身体を洗えるのだが――。


「ふぅ、お疲れ」

「おっつかれにゃ~っす」

「ぶふっ、ふ――」


 タケルがやってきた、それはまだ理解できる。

 しかしだ……湯気と言うモザイクも無ければ、不思議な光が隠しているわけでもないのにファムまで入ってきた。

 当然、俺とて最低限の慎みで隠してはいるが、ファムは完全に何も纏らう事無く入ってきたのだ。

 ……網膜に、あるいは脳内に見てしまった物が刻み込まれてしまい、考えないようにそっぽを向く。


「ばっか、何考えてるんだ! 俺が居るんだぞ!?」

「にゃ? おかしいかにゃ~?」

「あれだよ。恥ずかしいんじゃないかな?」

「気にする事ないのに~」


 そう言いながら二人も身体を洗い始める。

 俺は出来る限り意識を切り離し、思考しないようにしながら話を投げかけた。


「二人とも良く無事だったな」

「もう少し早かったら俺たちも多分捕まってたよ。けど、そっちの方が早くて、しかも門を潜ろうとした目の前で包囲されて捕まったの見ちゃったから、直ぐにヤバイと思って逃げたんだよ。昨日はまだ良かったんだけど、直ぐに警戒や監視が強まってさ。そのせいで夕方から何も食べてなくて……正直、助かった」

「切り抜けられたんじゃ……ないか?」

「いや、あの時徐々に他の兵士が合流してきてるのを感じた。あのままだったらあいつの言ったとおり、取り囲まれて捕まってたよ。殺すわけにはいかないし、ファムに手加減させるのも苦労したかな」

「だってさ~。お腹すいたし、面倒臭いんだもんにゃ~。何が起こってるの?」

「えっと……」


 二人に状況を説明し、その上でこれからやらなきゃいけないだろう事を話した。

 伍長に関しては説明が難しいので、自分の持っている道具で調べたと半分うそ、半分本当な情報を伝える。

 それで上手く説明できたかは分からないが、理解はしてくれたようだ。


「それで、アイツは?」

「あ~……。なんか、召喚主が今度は俺達を助けろって言ったらしくて。俺とマリーを逃す為に手伝ってくれた。少なくとも……今は、大丈夫、なんじゃ、ないか……な」

「――自信が無さそうだね」

「まあ、一度殺されかけたし……」


 完全に巻き添えだったが、マリーを庇うのならお前も死ね的な感じではあった。

 今でも、あの時腹を貫かれた痛みを思い出す。

 痛すぎて、気が狂いそうで、痛みという情報が脳を焼きまわり、そのせいで余計に血が流れる。

 視界がボンヤリとしてきて、目が見えなくなる。

 頭や身体は痛いのに、寒さ《死》が身体を支配していくのも理解できた。

 あの時、色覚が全て失われ倦怠感で意識を手放しかけていたが――殺される事よりも、徐々に死んでいく事がただただ怖かった。

 あの時を思い出して、発作で死んでいくのを嫌と言うほどに自覚させられたのを思い出して。


「――いや、殺そうとしたんじゃないと思う」


 しかし、タケルは首を振った。

 どうやら彼にとってはマリーや俺を殺そうとした事実は、何かが相反するらしい。

 どう言葉を続けるか待ったが、開いた口を閉ざして首を横へと振っただけだった。


「兎に角、彼は――余程の事が無ければ、仲間を殺すような……それを受け入れるような奴じゃない」

「何でそこまで信じられるんだ」

「陰陽、或いは光と影。もしくは舞台上と舞台裏の関係だよ」


 彼はそう言って口を閉ざした。

 何の説明にもなっていないと頭を振ると、視界の隅で廊下を見渡せる窓に人影が映っているのを見てしまう。

 その背丈や格好から、英雄殺しだと知って底冷えする物を感じた。

 ……余計な事を言うか、聞いていたら死んでいた? ヤバ過ぎだろ。


「兎に角。とりあえずは今回の一件を終えるまでは、仲間じゃないにしても最低でも中立は保ってくれるさ」

「――了解」


 とは言え、隠密……夜や影以外では行動しそうには無いのだが。

 石鹸で身体を洗っていると、鼻を鳴らす音が聞こえた。


「にゃ~、ヤっちんヤっちん。石鹸借りても良い?」

「ん? あぁ、良いけど」

「やたっ!」


 投げ渡そうと思い、石鹸を手にする。

 しかし、投げようとしたら彼女の姿はそこにはなかった。

 その代わりに、目の前で二つの重力に従って垂れる物を見てしまう。

 一瞬、顔がまるでオマケや邪魔な物にしか認識できなかった。

 お、おぉ……たゆんたゆん。


「ありがとにゃ~」

「あ、いや。此方こそ……結構な物を――」

「ヤクモ。鼻血、鼻血」

「失礼!」


 鼻を押さえると、鼻血が垂れていた。

 ファムは生尻を揺らしながら石鹸を持って戻っていく、性的に煩悩を刺激されるから辛さしかない。


「若いなあ」

「若くて悪かったな」

「いや、そうじゃなくてさ。俺達が置き去りにしてきたものだから、良いなって思ってさ。ファムは大分前からこうだけど、俺は同じようには反応できなくてさ」


 そう言ってタケルは苦笑する。

 少しばかり考え、肯定と否定の感情が渦巻く。

 そりゃそうだろ、あんなに人が死んでるんだからと肯定する声。

 むしろ常に命を張れば種の存続で反応するんじゃないかと言う否定。

 しかしすぐに彼の顔を見て、眼球の失われた片目を思い出す。

 親友を失ったとか言っていたし、色々有って脳に異常が起きているのかもしれない。

 常にファムが同じように傍で裸体を晒していたから馴れた、と言うのもあるかもしれないが。


「まあ、ファムは獣人族だからさ。むしろ俺たちの方がおかしく見えるんだと思うよ?」

「私にはな~んで隠さなきゃいけないのか理解できないにゃ」

「ああ、うん。胸は張らんでいい……」


 彼女の動きにつれて揺れる胸を見てしまい、暫くはこの光景のお世話になるんだろうなと恥ずかしくなってしまう。

 話を終えて俺はさっさと服を着替えると、服の洗濯もついでにする事にした。

 流石に堂々と干しては置けないので、手洗いして魔法で綺麗にして終了だ。

 臭いは気になるが、それでもマシになったくらいである。

 

 暇になり、股間の物が少し気になってしまいポジションを直していると窓の外に英雄殺しが居て――


「ハッ……」


 等と、相等に屈辱的な事をされて一瞬で萎え萎んでしまったのであった。

 ちゃうねん、性欲も煩悩も普通にあるんだよ……。

 なんでそれを笑われなきゃならないんだ、ちくせう――。

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