表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
元自衛官、異世界に赴任する  作者: 旗本蔵屋敷
5章 元自衛官、異国へ赴任する
81/182

81話

 ~ ☆ ~

 

 マリーに頼んで、精神汚染の耐性や経験の為にあえて受けてみる。

 痛みに耐える訓練として、あえて痛い目にあうみたいな頭の悪い方法だが仕方が無い。

 前回マリーがしてきたのは幻惑とか、幻覚の類だった。

 それとは別に『催眠』と言うのもあり、こちらも厄介だという話を聞く。

 幻惑や幻覚は対象が起きている状態で作用するもので、同士討ちや混乱を招いたり足止めを促せる。

 それに対して催眠だと、かかった相手は現実から切り離されて眠りに着いてしまう。

 つまり催眠をかけられた時点で夢を見て居ると言うことらしい。

 どちらの方が優れているか、と言うものは無いだろう。

 味方を敵だと誤認して攻撃しだしたり、明らかに明後日の方向へと突っ走ってくれるのならそれも良い。

 そうでなくても、厄介な相手を足止めした上に精神的疲弊を招けるのであれば催眠も手札に加えられる。

 ──が。


 俺は、催眠と言うものを甘く見すぎていた。

 或いは、どちらが真実でどちらが夢なのか分からないというのが本音か。

 幻惑や幻覚は、自分が起きていて変化が認識できる分、毒のようにジワリジワリと浸透してくる。

 だが、これは……。


「○○さ~ん、宅急便です~」


 俺は──インターホンが鳴らされる音で叩き起こされた。

 そのまま起きようとして、腹部の余計な脂肪が邪魔でスンナリと起き上がれない。

 足を少しばかり浮かせて下ろす勢いを利用してそのまま立ち上がった。


「印鑑かサイン頂けますか?」


 自宅のドアを開けて、送られてきた荷物を受け取る。

 箱には俺の名前、そして日本での住所が書かれている。

 送り主はAmazon経由で頼んだ物で、頼んだのは俺……のようだ。

 中身はなんだろうかと、玄関に施錠してから取り出すとPSVRだった。

 ……死ぬ前に、買おうかなと考えていた奴である。


「──はは、マリー。これは……こいつは、結構リアルな……うん──」


 そう言いながら、おれは荷物を置いて家の中を歩く。

 一階にマリーの姿は無い、二階に上がって行っても彼女の姿は無い。

 膝が……事故で痛めた片膝が鋭い痛みを訴えた。

 死んでから、アーニャによって若返ったが為に無くなっていた失敗の象徴だ。

 静かな家の中、俺の記憶の通りに全てがそのままになっている。

 二階の兄弟部屋、妹の部屋、両親の部屋……そして脱衣所と風呂場にトイレ。

 本棚にある本も──そのままだ。

 

 本棚から本を出して、ペラペラとめくる。

 内容も──記憶にあるとおりだった。

 そう認識すると嫌な汗が流れ出し、心臓が動悸を起す。

 痛む胸部、止まる呼吸。喉に指を突っ込んで吐き気で呼気を確保し、脂汗を拭った。

 全てに、感触が有る。

 普段は閉ざしっぱなしのカーテンを引き、窓を開けて外の世界を見た。

 見慣れた光景が広がっており、残暑の幾らか和らいだ湿気の低い暖かい空気が顔を撫でた。


「──どっち?」


 胡蝶の夢とは良く言うが、これじゃ……今の自分が偽りなのか、それともマリーだとかミラノだとかと関わっていた自分が偽りなのか分からなくなる。

 システム画面は視界に映らない。それどころか指を鳴らしても魔法は発現しない。

 アーニャと出会う前の自分に……落ちぶれた自分に戻っていると認識すると、吐き気がしてきた。

 頭痛がそれを後押しし、空っぽの胃袋から胃液だけが吐き出された。

 そして水を飲んで落ち着こうと努力しながら一階まで戻り、パソコンの脇に敷いたマットへと身を横たえた。


 携帯電話が、充電器に刺さったままになっている。

 充電率百%のままに、通信履歴や知った人からのメールも無いままに放置されていた。

 日付は──俺が死んだ日の、翌日だった。

 いや、そもそも……死んで、なかったんじゃないか?

 ズキズキと痛む頭を抑えながら、携帯電話を弄る。

 ツイッターでは、何事も無かったかのように色々な情報が発信されていた。

 総理の事を攻撃する人、擁護する人の発言。

 改憲反対だとか、国防を考えれば容認すべきだとか。

 アメリカの大統領がこんな事をしたとか、それが実はメディアによって歪められた情報だとか。


 何もかもが、変わらないままに、続いている。

 

 動悸が幾らか治まり、脂汗が嫌に張り付く。

 それでも俺は肥満体を横たえながら、自分がしたツイートだの、リプライだのも眺める。

 見知ったアイコン、知っている人、親しい人──様々な人とやり取りをしている。


『すみません、ソーガと申します。時間と都合がある時に、お話をしたいのですが宜しいですか?』

『自分はそういった事に疎いので馬鹿げた事を言うかも知れませんが、宜しくお願いします』

『えっと。つまりこの件は三年前の事と地続きと言う認識でいいのでしょうか?』

『なるほど。時間を割いて頂き有難う御座いました、また何かしらの縁が有ればお会いしましょう』


 ……ツイッターで、自分が気になったことを識者だの論者っぽい人に訊ねていっている自分のアカウント。

 そのどれもが記憶にある通りで、無力感が襲ってくる。

 最新のタイムラインには知った人が「このキャラクターを落書きしてみました」とか言いながら、自分には到底たどり着けない画力でイラストをあげている。

 癖のようにRTとFavをしてから「すっごく可愛いじゃないですか!」なんてメッセージを送った。

 そんな、日常──。


 携帯アプリで動画を再生していたら、痛み止めの効果で眠気を誘発して眠りこけてしまった。

 日が傾き、世界が夕焼けで染め上げられている。

 普段なら決してみる事のないそんな光景を、俺は二階の窓から眺めた。


「なあ、マリー。そろそろ……いいんじゃないか?」


 何処にも見えない相手に対して、俺はそんな言葉を投げかけた。

 しかし返事は無く、状況に変化も発生しない。

 静かに恐れが自身を支配していくのを感じながら、空腹を訴える腹を満たそうと動き出す。

 冷蔵庫の中身を見ると、食材はちゃんとあった。


 挽肉、ナス、ピーマン、ネギ、味噌。

 炊けている米、チャーハンの素、ソーセージ。

 ナスの味噌炒めとチャーハンでも食べるかと、まな板と包丁を出しながら調理をしつつ冷蔵庫のビールを飲みだす。

 調理を終えた俺は一食分を盛り付けてパソコンの前まで向かうと、日常のようにツイッターアプリと動画サイト、そして小説サイトを開きながら食事をする。


 ――自画自賛じゃないけれども、美味しい。

 ナスの程好く油を吸った固さと柔らかさを兼ね備えた食感。

 ピーマンの固さと、挽肉の美味しさ。

 味付けに使用された味噌が、チャーハンを口にした時の味わいの差異につながる。

 それらを食べながら、パソコンに接続されたヘッドセットから聞こえる声に耳を傾けた。


『そう、子供の頃はこのステージで詰んだんだよ! 今なら簡単なんですけどね』


 実況動画。ゲームをプレイしながら、誰かがその様子に声を吹き込んでいる。

 ボケーッと脳を使う事無く、目の前の映像と音声を受け入れつつ温かい飯を貪っていった。

 そして二缶目のビールを口にしながら、無力感と無気力に支配された自分を突きつけられる。

 何もしていないという事は、現状認識に思考がどうしてもいってしまう。

 これは夢なのか、現実なのか──分からなくなってきた。

 食事をしながら動画を見て、時間が無慈悲にも過ぎていく。

 二十三時を告げるアラームが携帯電話から響き、眠る時間かと転げるようにパソコン前から退く。


 身を横たえ、寝巻きなのか普段着なのか分からない格好のままに掛け布団を引っ張る。

 空調がきいた家の中、僅かな肌寒さを感じながらビールの酩酊で眠りにつく条件は満たされている。

 携帯電話で動画を再生し、それを子守唄のようにしながらフラリと意識が沈み込んでいく。


「これは夢だよな──?」


 独り言だった。

 夢の中で眠れば、或いは目覚めればマリーがいるはずだ。

 そうなんだと……自分に言い聞かせて、眠りにつく。

 しかし、そんなものは幻想だと五時半ばに目覚めて思い知らされる事になる。


 意識がゆっくりと浮上して、ゲームの音声が耳に届き世界が明るくなって来たのを目蓋の裏から認識する。

 目を開けばそこは、家の中だ。

 パソコンがファンを回転させ、チカチカと本体が稼働状態を光で知らせている。

 キーボードやマウスの傍には昨日の食事に使った食器が纏めて置かれており、夢では無いのだと理解させられる。

 起き上がろうとして再び腹の脂肪が邪魔で反動無しに起き上がれない。

 足を浮かせて反動を利用して起き上がると、食器を片付けるついでに珈琲を作る。


 一瞬朝の訓練をしなきゃとか考えてしまったが、台所に向かう途中で膝と胸が痛んでそんな状態に無い自分を理解させられる。

 片づけが終わると同時に火を止め、ヤカンのお湯を使って珈琲を作る。

 冷蔵庫の中からレーズンパンの入った袋を取り出して、パソコンの前で飲食しつつニュースが無いかツイッター含めて眺めた。


「……マメだなあ」


 先日コメントを投げた知り合いが『有難う御座います、うへへ』なんて返信をしていた。

 若干まだ回転の鈍い頭で、何処が良いかを幾つかあげつつ「すごいっすね」と書く。

 絵を描く人も、小説を書く人も──何をするにしても、人は感想を出さなければ潰えてしまう事がある。

 余程の人じゃなければ反応は気になるものだし、自分がちょっと幾らかキーを叩くだけで助けになるのならそれが一番だ。


 ツイッターを眺めていると、今度の冬コミでどんなものを出すか~などと、既に色々な人がラフだのツイートだので発信しだしている。

 夏コミが先月くらいだから、冬もそう遠くないか……。

 そんな事を考えているとデスクトップの隅でLINEアプリに通知が来ている。

 誰だろうかと見てみると、自衛隊での後輩からだった。


『○○先輩、今度十一月の予備自召集訓練に来るんですよね?』


 曹になれなかった俺とは違い、この後輩は除隊した翌年に陸曹教へと行った。

 歳若く、調子に乗ったり冗談を好んだりと危うさはあったが、無事三曹になった連絡も来ている。

 本当に……優秀で、いい奴だ。


『五十畑先輩も同じ期間に行くらしいけど、何かあったのかな?』

『いえ、今度の予備自で自分が戦闘救護を担当することになったので、宜しくお願いしますって言いたくて』

『こっちこそ、お手柔らかに』


 そう書いて、後輩の事を思い出してみた。

 ――陸曹教に行ったという事は、ガタイが良くなっているんだろうな。

 連日ハイポートをさせられているようなものだし、あの時の事を思えば会うのが楽しみでは有る。

 返信が途絶えたのを見てから、居間の隅っこに置かれている登山バッグを見る。

 中身はバーベルのプレートと水の入ったペットボトルで、リハビリやトレーニングに使っている。

 運動不足な場合、膝や心臓への負担が怖くなる。

 予備自召集の前に一月くらいのスパンで概ね毎日、四十Kgの加重にしてあるあのバッグを背負って数時間歩くのだ。

 班長から教わったもので、ナップサックマーチと言う。

 駐屯地に居る時は外柵一周毎に営舎わきの階段で七階まで上り、降りるという事もしていた。

 今では最寄の駅の一つ先まで歩いていって、遠回りして歩くくらいだ。


「──……、」


 そうやって色々と”現実”に引き戻され、絶望するというよりは諦観が俺の中を支配した。

 都合の良い事なんて、起きる訳が無いのだ。

 何が異世界だ、何がやり直しだ。

 どっちが現実かと問われたら、間違いなく情けなくみっともないクソッタレなこちらを指し示すだろう。

 何が魔法だ、何が剣だ──。

 俺の出自はこちらであり、生きてきた世界もこちらなのだ。

 英雄? 貴族? そんなもの……この現状から目を背けたいから生じた夢じゃ無いと誰が言える?


 立派でありたかった、故障した自分が嫌だった、無価値な自分でいたくなかった。

 だから活躍する夢を見た、だから全盛期になる夢を見た、だから英雄と呼ばれ騎士になった。

 おいおいおいおい、創作《作り話》じゃないんだからさ……。

 メアリー・スー……いや、ゲイリー・ストゥーにでもなりたかったのか?


 机に思い切り突っ伏した、喧しい音とともにぶつけた場所が痛む。

 痛みを感じる、情報量は足りている、味覚や聴覚といった全ての感覚が生きてる。

 それじゃあ、どちらが夢で、どちらが現実?


「──酒でも飲もう」


 朝の十時に、俺は冷蔵庫からビールを出して飲み始める。

 咎めるものは居ない、それどころか諌めるものも、肩を叩いて同情する奴も居ない。

 しなきゃいけない事は何も無く、ただボンヤリと時間が過ぎて言って歴史に埋もれるのを受動的に待ち続けているだけ。

 ……自殺する勇気も無く、かと言って生きる理想も夢も無い。

 酒を飲みながら、アプリケーションで管理されているゲームを眺めた。

 アテも無く、娯楽やストレス発散ではなく”時間つぶし”のタメだけにゲームをする。

 そんな事に何の意味があるのか?

 

「新しいゲームが出てるな……」


 Mega Man Legacy Collection 2、日本での人気作を海外向けにも一纏めにして販売している。

 インターネットの普及と、コンピューターなどを含めたデータの取り扱いに関しての進歩。

 それらにより、かつてのゲームがパソコンで販売されることも珍しくない。

 ただ、”おま国”とやらで国内で買えない事も多いのだが。


「COD:WWⅡは十一月か、まだまだ先だなぁ」


 新作情報や、リリース情報等もでている。

 COD:WWⅡに関しては既に予約購入してあるので、発売日になれば遊べるようになる。

 情報を一新した所で、じゃあ何をしようかと考え込んでしまう。

 単純にストレス発散をしたいのなら敵を倒せて気分爽快になればいい。

 向上心や満足感を高めたいのなら、シミュレーションゲームとかが丁度いい。

 挑戦がしたいのなら難しいゲームをすればいいし、難易度を高くすればいい。


 しかし、しかしだ。

 やる事が無いからゲームをする、そんな目的でゲームが出来る訳が無い。

 目的なく行動が出来ない、理由無く何かが出来ない。

 どうしようもないほどに、受身な人間だった。

 結局十二時になってから酔いに任せて再び眠りにつく、次に目が覚めたのは十七時だ。

 そして腹が減ったから昨日の残りを食べて、また酒を飲んで、二十三時まで何もせずに時が流れる。

 

 目が覚めた、ツイッターを眺めた、ニュースを眺めた、知り合いとネットを挟んだ交流をした。

 珈琲を飲みながらパンを食べた、十時くらいに色々どうでも良くなってビールを飲む、そして寝る。

 一日を二分割した生活が、一週間も続くと冷蔵庫が空になった事実に気がつく。

 シャワーを浴びてから洗濯してあった服を着て、財布の中身を確認すると鞄を背負って家を出る。

 コンビニに寄ってATMで金を下ろすと、その金を持ってスーパーへと足を運ぶ。


 異様に出る汗を拭いながら、自分が家の外において異常じゃないか気にしながら買い物をする。

 汗が出すぎていることを嘲笑されていないか、汗で服が湿りすぎているのを気色悪がられていないか、自分では気付けない体臭を臭いと思われてないか、醜い奴だとか思われてるんじゃないか──。

 様々な負を想像してしまい、自然と表情が情けなくなっているのに気がつく。

 スーパーを出る直前に見た自動ドアに映った自分は、立派と言う言葉とは程遠い。

 むしろ対極に位置する存在でしかなかった。

 

 家に帰ると現実逃避をするようにビールを飲んだ、飲んでばかりだった。

 本来であれば家から数分程度の遠さでしかないのに、膝の痛みが余計に負担と負荷を与えてくる。

 Tシャツの上に着ていたYシャツを脱ぎ捨てると、汗を乾かすように扇風機の風を浴びた。

 そしてパソコンの画面を見れば知り合いからDiscordでメッセージが飛んできている。


『アメリカの情勢、酷すぎて笑える』


 そのメッセージを眺めて、失笑しながら最近の知りえた情報全てを思い返してメッセージを返す。

 ネット越しで色々訊ねたり、絡んでいったりしていると知らぬ間に個人間のみでのやり取りも増える。

 ビールを飲みながらその人物とメッセージのやり取りをしていると、あっさり十二時を超えてしまう。

 時間の都合で相手が居なくなると、俺は空き缶を水洗いしてからマットに横になり、眠りについた。


 そうやって、半月が過ぎて、一月が過ぎて、季節が一つ過ぎ去った。

 大きな代わり映えの無い日常、家の中で停滞した自分は世間から置き去りにされていく。

 テレビやネットでは雪がどれくらい積もるのかを楽しげに語っている。

 それらを半ば白眼視しながら、パンを珈琲で流し込んでいた。

 

 朝食分のパンを食べ終えた俺は、半ば残っている珈琲を持って日常のようにパソコンの前に座る。

 仕事は無い、膝を壊していて行動も半ば覚束無い。

 それでもギプスで膝を固めて、きたる予備自の召集へと向けて地味に練成をする。

 何処までも受身で、何も変わらない日々が過ぎていた。


「夕方にゴミ集積所の清掃と、明日は不燃ゴミの日だから纏めて……。庭の桃の木が生長して隣家にいきそうだから枝の剪定もしないと。ついでに除草剤まいて雑草が出ないようにしておくかな」


 生で誰とも話をしない、その影響で独り言が酷くなる。

 声を発しないで居ると、その内声が出なくなって言葉も出なくなるのではないかと言う恐れ。

 普段から飲食はしているのに、喉が張り付いて二度と喋れないのではないか?

 思考をそのまま言葉にしてボヤき、なんら代わり映えの無い日常を繰り返す。

 

 ツイッターを眺め、知り合いと絡み、メッセージが来ていれば返信し、チャットがくれば応じる。

 ビールを飲みながら悲観と停滞を味わい、十二時くらいに眠りにつく。

 そうやって一日が過ぎる、一週間が過ぎる、一月が過ぎる──。

 何も無い、何も起きない、何もしない、腐敗するだけの日常が繰り返される。


 これだけ日数が経過してきたら、もはやマリーだのミラノだのアーニャだのと言った……。

 あの、異世界での出来事自体が嘘だったんじゃないかと思えてきた。

 腹が減って、喉が渇いて、酒に酔って、眠気に押しつぶされて。

 悩んで、考えて、時間に急かされながらも埋もれていくこれが現実じゃ無いだなんて思えないのだから。


「──そういや、墓参りしてないな」


 両親の死後、一年目を除いて毎年墓参りをしていた。

 しかし今年は、その事を失念したままに夏を終えている。

 個人的な感情としては『面倒臭い』の一言に過ぎないが、家族や人としての積み重ねなどに問えば「行くべきである」となる。

 墓は父の実家に有る、千葉まで一時間以上かかるのを思い出して、住所を引っ張り出す。


『すんません、ちと墓参り行ってくるので数日家空けます』


 その一言をチャットやメッセージで時折話をする相手に申し出、無為に時間を割かないようにする。

 金曜日の昼までには家を出て、実家には立ち寄らないで墓参りをする。

 ……お供え物も必要だなと、買出しもすることにした。

 両親の遺産を食い潰し、その金を使って墓参りとか何の意味も無さそうだが。

 それでも、思い出したからには行かずにはいられなかった。


 墓の位置は、ちゃんと覚えている。

 座標も携帯電話に送り込み、GPSも利用して肌寒い中を一人で週末に進んでいく。

 ……墓参りといえば、大体が夏のイメージだ。

 今年はいつもと違う日に来てしまったので、若干親不孝者だなと思ってしまう。

 それでも、バケツに水を汲み墓石まで向かう──が。


「ぁ……え?」


 両親の墓石に刻まれたものは、二人の名前ではなかった。

 それどころか二名ほど多く……それが妹と弟の名だと知っている。

 両親の名に添えられて彫られている二人の名前を見てから、記憶が途切れ途切れになる。

 膝を壊していて、心臓がもはや故障している中で父親の実家まで走っていた。

 膝が嫌な音を立てて痛みを訴えた。それを無視する。

 心臓が破裂しそうなくらいに高鳴り、吐き気がこみ上げ血の気が失せて意識が遠のく。無視した。


 古い木造の、かつて地主だったと言われる父親の実家にまでたどり着くと、声を出して一人でそこに暮らしているばあちゃんを呼んだ。

 そして、俺は……叫びすぎて血を吐いた。

 弱りすぎた声帯が叫び声に耐え切れず、出血しただけだ。

 だが、俺は……俺は──。


「俺だけ生きのごっで、な゛んの意味があ゛んだよぉ!!!!!」


 何が嘘で、何が本当なのか分からない。

 俺が死んだのは嘘? 本当?

 異世界に行くのは嘘? 本当?

 今俺が存在しているこの世界は嘘? 本当?

 

 弟には幾度と無く世話になってきたし、その一欠片もお礼が出来ていない。

 妹は結婚して第一子が産まれたばかりなのに、その将来を見る事無く死んでいる。

 その死期は両親と一緒で──弟が、両親と妹を車で迎えに行って、事故で死んだ?

 違う、そんな訳が無い。死んだのは両親だけだ、弟と妹は生きている。

 だって、携帯に──。


 そう思いながら、帰りの電車で抜け殻になりながら携帯電話を握り締めたままに動けずにいる。

 おかしいのが自分じゃ無いとどうして言える? おかしいのは世界じゃ無いとどうして言える?

 確認してしまうと、重なり合った確立の片方が成立してしまう。

 そもそも人間とは、自分の記憶ですら寝ず曲げてしまう生き物だ。

 俺が……自分が、家族全員の死に対して「偽りだ」と思い込み、記憶を捏造したら?

 片方が誤りで、片方が真実である。

 

 けれども、ばあちゃんは──墓石は、世界は……俺を遺して家族全員死んだと告げる。

 俺は、俺だけが──弟と妹だけがまだ生きていると言い張っている。

 どっち? どっち、どっち……。


 


 ……しかし、弟と妹が居なくなったからと、何かが大きく変わる訳でもなかった。

 ただ俺が天涯孤独になり、一年も、三年も、五年も経過して何も起きない。

 加齢で胃が弱まり、脂物が食べられなくなり、歯磨きをしているとえずく。

 生活習慣が悪いからか髪がのびにくくなり、密度が薄くなってきた。

 酒も飲めなくなってきて、一日の活動時間が短くなっていく。

 周囲は努力に見合った結果をたたき出し、中には結婚したり子供が産まれたり、プロの漫画家やイラストレーターになった知り合いもいるし、貿易会社の役員にまで上り詰めて国外で頑張っている学生時代の友人もいる。

 予備自に毎年行くが、もはやそれ以外にやる事が無い。

 筋肉は衰え、脂肪も減ってむしろ痩せこけて来た。

 三十歳を越えて、モニターの向うで沢山の人が生きているのを眺めている。

 ヘッドセットからは動画の音声や、誰かの声が聞こえてくる。

 

 そしてまた、一日が過ぎていく。

 無職のまま、何者でもないままに、何かを成す事も出来ずに。

 歳をとって、老いて、朽ちていく。

 

 何のために産まれて、何のために生きるのか分からないまま終わる──。


 そして、俺はまた一日を繰り返す。

 何も成さず、何もせず、ただただ徒に時間を浪費して。



 ~ ☆ ~


「目を、覚ませっ!!!」

「ブッ……」


 破裂音が聞こえ、それが自分の頬を叩いた音だと理解するのに時間がかかった。

 何年経過した? そもそも何処にいて、これは夢か現か……。

 ボンヤリと顔に手をやり、視界は良好なのに眼鏡をかけていない事に気がつく。

 その視界には、マリーがいる。


「良かった、生き返った──」

「ここは……俺は?」

「私がアンタに催眠をかけて、そんなに経ってない」

「──そうか」


 腕時計を見た、ストップウォッチが十分前後の時間が経過した事を知らせている。

 十数年経過したはずで、過ぎていった時間は現実的だった。

 だからこそ、あの密度が十分だとは思い辛かった。

 ゆっくりと身体を起し、平原の中で寝転がっていた事を思い出すが──。

 マリーに顔を叩かれて、痛かった。

 しかし、膝の痛みや空腹等と言った事柄も現実だった。

 じゃあ、どっちがどっちなのか、俺には検討もつかない。


 もしかしたらマリーによって叩き起こされた今が、辛くなった俺が現実逃避をするための夢である可能性だってある。

 もしくは──どちらも現実、とか。

 火をイメージしながら指を鳴らすと、火が出た。

 システム画面をイメージすると、しっかりと視界に映りこむ。

 しかし、そのどれらも信じて良いか迷ってしまう。


 椅子に腰を落ち着け、何か飲もうとする。

 酷い汗がベッタリと張り付いている。

 拭ってみると、幾らか塩になったらしくザラザラしていた。


「……どんな夢見てたの。私、ここまで効果が出るだなんて──」

「個人的な、嫌な……夢を見てたんだ」

「夢?」

「そう、嫌な──夢だ」


 断じる、断じておく。

 アレは性質の悪い夢だった、マリーによってかけられた催眠によって悪夢を見ていた。

 そう自分に言い聞かせるように、強く言う。

 そうでもしないと彼女と居る今を手放してしまい、あのどうしようもない自分に連れ戻されてしまいそうな気がしたから。

 マイナスで居るよりは、ほんの僅かなプラスで居たい。


「催眠って、あんなに効果が有るのか──」

「幻惑や幻覚に比べると難しい所はあるけどね。幻惑や幻覚は相手を選らばずに一定の効果が得られるけど、誤魔化したり見間違わせたりするだけだから戦いが終わる訳じゃない。催眠は相手にかけ辛い、かかったとしても他の人が叩き起こせるし、人によって効果が変わるし」

「何を見せるかまでは、選べないのか」

「かかった相手の内部から、忌むべき事、嫌っている事、目を背けたい事柄──そういった情報を引っ張り出して、弱らせる魔法でしかないから。アンタがどんな幻を見たか、どんな夢を見たかまでは分からない」

「そうか……」


 そう言われ、ホッとしてしまう。

 どんな夢を見たか、その夢の中での俺がどんな醜悪な存在だったかを知られなくて良かった。

 何せ……生きる意味も、目的も見出せぬまま、家族の思い出と共に沈んでいくだけの存在。

 色々なことに言い訳し、色々なことから目を背け、何もせぬままに生きていた。

 今でこそ多少見られる様相をしているけれども、あの自分と比べてしまうと一体なんだったのかと問いたくなる。

 

 ああなりたくなければ頑張れと、あれに戻りたくなければ踏ん張れと──そういう事かもしれない。


「そういや、生き返ったとか言ってたけど──」

「あぁ、その……。なんか、利き過ぎちゃった、みたい? アンタの呼吸と脈が止まって、慌てて殴ったんだけど」

「何処を?」

「胴体。お腹と、胸?」


 あ~、なんだっけ。もう蘇生が致命的な時にやる奴だ、それ。

 けど、腹は違うな、うん。やるのは胸部だ、心臓に衝撃を与えて蘇生させなきゃいけない。

 腹殴ったら、違うものが色々出てしまう。


「あ~……、呼吸と脈が止まった? 本気?」

「何が起きるか分からないし、直ぐに叩き起こせるようにするのは訓練でも当たり前でしょうが」

「──悪い、手間かけた。こんなことになるとは思わなかったんだ」

「それを言うなら、私も『こんなことになるとは思わなかった』って謝らないといけないけど。もしかしたらアンタは、幻覚とか幻惑とかそういった精神攻撃に弱いのかも知れないわね」

「確か……前にロビンが目を覗き込んできて、操られて無いかどうか確かめてたけど。そうか、そのリスク──じゃなくて、危険性を考慮しないといけないのか」

「う~ん、けど困ったわね……。並の人で魔法が使えるのなら、地力で打ち破れるんだけど。アンタの場合だと地力で抵抗できないみたい。この前私と手合わせした時はどうしてたの?」

「いや、もう……。行動の邪魔になる奴だけ防いで、それ以外は全部受け止めてた。マリーだけ見てれば良かったから周囲は気にしてなかったけど」

「アンタ、タケルみたいな事するわね……」

「タケ──あ、ん? どれ?」


 旅の連れにタケルが居る、学園にもヒュウガ・タケルが居る、そして英雄の一人もタケルだ。

 もしかするとツアル皇国に行くと更にタケルが居て、七人目のタケルとか、十八人目のタケルとか居るかも知れない。

 名前被りなんて珍しくない、俺も日本語名であれ海外名であれ珍しくないのだから。


「私の仲間の方」

「あんまり催眠や幻惑、幻覚が利かないのか」

「『目に見えているものだけが事実じゃない』んだって。目を閉じていても、たとえ魔法とか壁とかで相手が見えなくても何処に居るのか分かるらしいの」

「お前ら英雄達は全員バケモノ揃いだね……」

「私がしたのは真っ当な努力とその結果勝ち取った物が今に繋がってるだけ、バケモノとか言わないでくれる?」

「あぁ、ゴメン」

「それを言ったら、幻惑とか幻覚を見せられても迷わずに戦闘を続行する方向で無視が出来るアンタも大概」


 そう言ってマリーはため息をつくように呆れて見せた。

 けど、そういうものなのだろうか?

 周囲がどんなに異常でも、異様になっても夢じゃなくて現実に居るのであればやる事は変わらない。

 地面が血の池になろうとも、世界が暗闇になろうとも、色が全て抜け落ちようとも、知り合いや友人、家族の死体が転がっているように見えても、平素であれば耳を塞ぎたくなるようなすすり泣く声が聞こえても──。

 敵と、自分。突き詰めた結果、その二つしかないのであれば周囲の様相なんてどんなに変化しても無意味だ。

 

「けど、やってる事は一緒……? 今度タケルにも催眠魔法かけてみようかしら──。そもそもこういった魔法って落ち着いて使ったことが無いし……」

「どういう時に使ったんだ、じゃあ……」

「使う、と言うよりは──使われることへの抵抗と対抗で覚えたの。同士討ちを誘発させてくる魔物も居るんだけど、人を操ったり心を縛ったりする事が怖かったから」

「そうなると、どうなる?」

「アンタは自分の意志と、自分の考えに疑問を抱かないままに操られたら──どう思う?」

「それは……」


 少しばかり考えてみる。

 こうやって自由な自律思考をしている自分をベースに、その思考の根幹を弄くられていると。

 例えば今の所『とりあえずミラノやデルブルグ家公爵に恩があるので、その恩を返す』と言うのが有る。

 その『ミラノ』と『デルブルグ家の公爵』の部分が書き換えられていて、それに気付かないとする。

 勝手に『恩が有るから』と言いながら、別の何かや誰かの為に行動する。

 しかも記憶ごと書き換わってるのに、気付かないのだ。

 例えば、自分が住んでいる国が日本で、実家があるのも日本なのに『弟と妹が帰ってくる場所の為に』とか言って、軍拡する国である事実を無視して『中国の為』とか言い出すような感じ。

 そんなん、やばすぎだろ……。


「それ、本人じゃどうしようも無いのか?」

「私達でも、かかったらどうしようもないかしらね。催眠魔法は、起きていた時の記憶が有るからそこを基点に脱出するか、破壊する。幻惑や幻覚はとにかくかからないように防ぎ続けるか、かかったとしても後出しで防御魔法を展開すれば防げる」

「洗脳に関しては、違いに気付けないから抜け出せないって事か……。それ、他人から見ても心変わりとしか思えなくて辛いな」

「目を覗き込むと、その奥に変な物が見えるらしいけど私は直接見た事無いの。解く手段も分かってないから、研究ついででまだまだ私の魔法の習得に終わりは無い」

「──魔物が使う魔法でも、人が真似る事は出来るんだな」

「理屈とか、理論が出来ていればね」


 しかし、魔物が使ってくる魔法には特別なものがあるんだな。

 魔法に長けたマリーですら分からない事があるという、ならば尚更気をつけないといけないだろう。


「けど、何で目なんだ?」

「意識や記憶を常に拘束したり操作してるわけだから、頭の中から一番出入りしやすい場所が目なんじゃない? 情報を取り扱うのが頭だから、そこで魔力が活発に動いてるせいで目からその魔力の光が漏れてるとも言われるけど」

「なるほど……。それで、洗脳魔法は簡単に出来るものなのか?」

「私が知ってる限りだと幾つか有るけど、簡単じゃないかしら。一つ目、幻惑や幻覚で弱らせたり、催眠を長時間かけ続けて相手を支配する。或いは二つ目、毒とかを飲ませて一時的に思考能力を奪うか」

「そうすると、マリーでも出来る?」

「やった事無いから、可能性を挙げる事しかできないけど。もしかして、実験に付き合ってくれたり?」

「毒を飲みたいとは思わないし、協力の為に幻惑や幻覚見せられたりあんな悪夢の世界で心溶かされるのはゴメン被る」


 自分から言い出しておいて、催眠魔法で痛い目を見たからもう嫌だと言う。

 あんなの──地獄だぞ、マジで。

 幻惑や幻覚の方がまだ抵抗できる分マシだし、変なものを見せられても現実に居る分良い。

 しかし、催眠は……アレはダメだ。

 自分の夢だとしても、悪夢として見せられているものだから都合よくいかない。

 喰らった時点でほぼ積みだ。


「催眠魔法って、喰らったらどう対処すれば良い?」

「アンタの場合、催眠魔法だけで衰弱死したから抵抗できるようにならないとお話にならないでしょ。抵抗できるのなら幾らかやりようはあるけど」

「例えば?」

「催眠って、結局の所本人が想像出来ない事や知らない事は映し出せないの。つまり、想像できる事や理解できる範囲から出る事は出来ない。そういった点に行き着くと、夢自体に綻びがあると理解できるのね。その綻び事態が、抜け出す機会になるの」

「夢にも穴があるんだなぁ……」


 他人に押し付けられた情報じゃなく、自分の内面からあふれ出たものだから綺麗に整っている。

 しかし、そんな悪夢の世界でも自我があり、行動でき、思考できる。

 と言う事は、催眠を受けて悪夢に囚われたとしても”それが事実ではなく、現実では無い”という事を理解すれば良いのか。

 あとは抜け出す糸口になり得るから、そこからどうにかすれば良いと。


「アンタって、心……と言うより、精神的に弱いの?」

「──……、」


 改めて、他人からそう言われるとぐさりと来るし、否定したくなる。

 しかし……それを否定した所で「悪夢で疲弊させる」と言う魔法で衰弱死をした結果は覆せない。

 ――夢の中で老衰して、年老いたのを『夢』として否定できずに囚われたのだから。

 だが、それは乗り越えるべきだと思う。

 少なくとも、他人に与えられた悪夢くらいは撥ね退けられるように。


「いや、大先生が助言をしてくれたから今度はいけると思うんだけど」


 そう言って、俺は自分を騙し、他人を騙す。

 挑発するように、挑戦するように不敵な笑みを浮かべながら。

 けれども、今度は勝機があると思えた。

 少なくとも『マリーがそういうから』と言う、他人依存な物でしかないが──。



 ──☆──


 二度目の催眠魔法を受けたヤクモは、机に突っ伏して眠りにつく。

 マリーは直ぐにでも叩き起こせるようにと備えていたが、彼女の想像とは全く違う方向へと展開は落ち着いた。

 ……強がりだと、或いは否定したいが為に二度目を申し出たのだと彼女は考えた。

 心が弱いといわれ、精神的に脆いのだと言われたのだから男として──或いは人として否定したかったのだろうと思ったのだ。

 だから胸に耳を当ててみたり、手首の脈をはかったり、顔色や汗の具合などから状態を把握しようと努めていた。

 

 しかし、一度目の大失敗に比べてヤクモは素早く戻った。

 自力で、マリーが手助けする事無く。

 そして彼は言った、「マリーの言ったようにしてみたら、抜け出すことが出来た」と。

 彼女は当然内容を聞きたがったが、彼は断固として口を割らなかった。

 

「自分の知らない場所にまで行ったら世界が曖昧になって、そうしたら自由度増したからそこから自分にかかってる催眠を逆探知して解除してみた」


 と言っていたが、マリーはそれを信じるつもりにはなれなかった。

 なぜなら、重傷を負ったが為に出血のし過ぎで体調が悪かったのを、自殺と──訳の分からない蘇生で両方とも無かった事にしたのだから。

 もしかしたら悪夢の中で自分の想像を飛び出すために自傷行為を繰り返したのかも知れない。

 もしかしたら悪夢の中で自分の最悪な想像を破壊する為に自殺しまくったかもしれない。

 

 マリーは……今でも判断しかねていたのだから。

 若干ではあるが、人となりに関しては理解してきていた。

 何のために戦うのか、それに関しては不明であっても『仲間の為』とか『恩返しの為に』と言っている分には信じられると思えていたのだから。


 しかし、その為に何をするか──そこに関しては、マリーは信じる事が出来ずにいる。

 幻惑や幻覚と言う気分を害し、まともな戦闘を行う事を難しくするような状態でも敵に突っ込む。

 『目的や信じるものの為に、自分を無視する』という点において、マリーは信じる事が出来ずにいた。

 

 だからといって、出会って間も無い相手に腹を割って話そうと言うのも馬鹿げていると彼女は溜息を吐いた。

 多少親しくとも言える事柄が有れば、言えないものも有る。

 彼女も多少明け透けに色々教えたりはしているが、それでも言えない事は有る。

 自分だけが秘め事をしながら、相手にはそれを許さないのもおかしな話だと──経験で彼女は理解していた。

 かつて強いるだけであったが為に全てを捨てた彼女の、彼女だけの騎士がその例だった。


 その騎士も強かった、身の程を弁えてもいたし、日々修練や鍛錬を欠かさず、騎士の鑑と言えた。

 だが、マリーは……世間知らずなお嬢様だったが故に、そうする事が当たり前で当然だと思い省みる事をしなかった。

 結果として、騎士は愛想を尽かし出て行った。

 あの時の失敗が有るから、間違えたくないと彼女は考える。


 船では……やり方が違ったとは言え、同じ事をしそうになったのだ。

 自分自身は何も与えていないのに、一時的に肩を並べたとは言え相手のやり方や思考に口出しをして自分にとって気持ちの良いものにしようとした。

 その結果、ヤクモが一時的に消沈してしまった。

 あの時の落ち込みっぷりを忘れるには、最近過ぎる出来事でも有る。


「じゃあ、教えられる範囲で良いから教えて。アンタのした事、それが鍵になるかもしれない」

「良いけど、言葉で伝わるかどうか……」


 だが、マリーは思う。

 かつて仲間だった人物の言葉が、こういうときに当てはまるのでは無いかと。

 相手の事が嫌いでも、やっている事が納得できることも有る。

 その逆に、相手が好きであっても、やっている事が認められない事もある。

 それは細かい事かも知れないし、大きな括りでの話かもしれない。

 ただ、好きだから全てを肯定しなきゃいけない理由は無い、嫌いだから全否定する理由も無い。

 そうやって生きていくんじゃないかなと、何でもないように言った一人を思い出しながら。


「悪夢から少し逃れると、どんな状況でも自分の思ったとおりに行く?」

「そう。俺は悪夢の中じゃ魔法が使えなかったけど、悪夢から少し逃れたら魔法が使えるようになってたんだ。そしたら夢の中で自分を捕らえている悪夢へ防御魔法を展開しながら、夢を壊す為に『ありえないこと』を繰り返した」

「そのありえない事って、なに?」

「小さいものだと、題名は知ってるけど中身を読んだ事の無い本を開いて見るとか、大きい事だと行った事の無い場所までいってみるとか、普段立ち入ったりしない場所に入り込んでみるとか。そうすると、面白いことになる」

「どんな風に?」

「人って、やっちゃいけない事をしたら何かしらの反応が返って来るわけだけど、自分の想像の範囲でしかないから有る程度その反応が絞られる。それと、普段見慣れた場所でも入った事の無い場所はいきなり曖昧になったりして余計に夢だと自覚できる」


 ヤクモの言葉を聞きながら、マリーは色々と書き留めていく。

 口から聞いた”事実”と、それらから”推測”と”憶測”を打ちたて、”考慮”をしつつ色々と書き込んでいく。

 質問攻めにあっているヤクモは、最初こそ平素であったが次第に唇を引きつらせていった。


「あの、マリー。何でそんなに固執するんだ?」

「あにが」

「催眠魔法は誰かが起せばいい、幻惑や幻惑は対処できる。これらは洗脳系と関係ないんじゃ?」

「何かしら繋がりが有るかも知れないし、無駄なら無駄だったという事が確認できたと言う事が分かるもの。それに、一定の理解が有れば応用できるし、他の発見から結びつく事だってある」

「なるほど……」


 マリーの物言いに、ヤクモはあっさりと納得を示す。

 それが素直と受けとれば良いのか、それとも意見を述べるには知識が足りないから引き下がったと見るべきかでマリーは悩む。

 どういう思考をしているのか、その判別がつかないとこれからが危ういと思って。


「アンタだって嫌でしょ? あの、カティアって子が知らない内に洗脳されてたら」

「え? そんなんやった相手は速攻ボコでしょ」

「ボコ?」

「殴る、蹴るの暴行を加えて、やっちゃいけない事をしたんだと深く理解させる」


 そう言って八雲は笑みを浮かべる。

 その笑みが嗜虐的なもので、マリーは寒気がした。

 少なくとも今まで見た彼の表情や、見聞きしてきた人となりと重ならない物だったからだ。

 

「俺が……そう、俺の家族みたいなものなんだ。そんな人物に洗脳とか、んなもん親兄弟姉妹誰であっても怒るわ」

「念のために聞いておきたいけど、何するの?」

「相手による」

「うん、それは分かってる。だから、何するの?」

「何がいい? 全裸市中引き摺り回しの刑と、”前が見えねえ”って位に殴られるのと、呼吸が出来ないくらい擽りまくるのと、寝てる状態で顔に布貼り付けて水を垂らしていって地上で溺死とか、硝子を食べ物にして無理矢理咀嚼させるとか色々有るけど」

「……波がありすぎて、相手が嫌がるのなら何でも良いっていうアンタの考えは良く分かった」


 目標や目的を定めたら、何が何でもそれを達成しようとする。

 あるいは、何が何でも守ろうと決めたものを守り通す。

 マリーには理解が出来ない点でも有る。

 何かの為に命を投げ出すのはまだ理解できるが、その為に手段を選ばないという事に自分を含めるのが理解できない。

 犠牲になるのと、犠牲にする。

 その二つには大きな違いが有る。

 仕方が無い、或いはそれが最適だからと犠牲になるのは戦いでも有りうることだ。

 どう考えても自殺行為なのに、敵を足止めすると言うような物が当てはまる。


 しかし、それは”仕方が無いからする”というものであって、優先して切られる手札では無い。

 何かを犠牲にするという事は、本来であればその人物や物から受けることが出来た影響を全て斬り捨てることにつながる。

 犠牲にする、斬り捨てるという行為はしない方が良いに決まっている。

 もちろん、得られる利益よりも不利益の方が大きい場合は該当しないが。


 だからこそ、マリーは思う。

 目の前の人物は、自分が居なくなる事で生じる不利益を考えていないのでは無いかと。

 自分が何かしらの利益を与えられる存在だとは思っていない。

 そして、同じくらいに『自分が居なくなる事で不利益が生じる』と思っていない。


 マリーは思い上がってはいない、少なくとも昔よりは多少客観的に色々と考えている。

 自分は仲間達の中で体力面で、或いは行動等においては役に立たない、或いは足を引っ張ると思っている。

 しかし、それとは逆に戦闘や魔法に関しては仲間の誰よりも長けていて、それによる梅雨払いで仲間を救ってきてると思っている。

 自分が居なければ仲間は多数の敵を相手にする事になっただろう。

 自分が居なければ仲間の魔法使い達に助言をして、魔法を強化できなかっただろう。

 無価値ではない、そしてこれからも魔法を学び続ける限りはその影響は強くなると思っている。

 だから──自己犠牲が必要になったとしても、それは『仕方の無いこと』として、あるいは『必要なこと』として受け入れるだろう。

 自分が居なくなる事で魔法に長けた者を仲間が失う、それによる不利益だって考えている。

 

 そうやって色々と自分の事を理解しているのに、目の前の人物は──ゴッソリとそれが抜けているのだ。

 それが余計に理解できなくて、マリーは目の前の人物がそもそも不可解の塊なんじゃないかと思えてきた。


「けど、そうだな。身近な人が洗脳されて、無意識の内に操られる危険性ってのもあるのか……」

「失われた知識、魔法とも言えるけど。絶対とは言えないから対策は必要なの、分かった?」

「じゃあ、洗脳も体験してみないと分からないよな……」


 目の前で考え込むヤクモ、それを見てマリーは嫌な予感がした。

 そしてその嫌な予感をあっさりと肯定するかのように、彼は静かに言う。


「その洗脳ってのも、体験して抵抗できるのかどうか情報が要るよな」

「ねえ、ちょっと待って。確かに必要だけど……アンタ、正気?」

「やるしかないだろ。放置して無策で応じるよりも、対策が有るほうが良い」

「その為に自分を差し出すのはおかしくないの?」

「じゃあ誰かそこら変のやつ捕まえて試してみるか? 少なくとも、最初から協力的で嘘をつかずに付き合ってくれる奴の方が情報精度は高いと思うけどね」

「私が変に記憶の改竄や心の操作、解放をしないって確証は無いでしょう」

「変な事をすればニコル……辺境伯と公爵の間でイザコザが発生して面倒なことになるし、その際にマリーが切り捨てられないという確証も無い。俺を操った所で得られる利益に対して不利益の方が大きすぎるし、変な事を植えつけた所でどこでどんな矛盾が発生して崩壊するか分からないから変な操作も出来ないんじゃないか?」


 ヤクモは淡々と自分が洗脳の実験台になったとしても、マリーが変な事をしない──否、出来ない理由を挙げ連ねた。

 その中に当然のように含まれている「自分を操った所で意味が無い」というもの。

 しかし、彼女はヤクモが所有する装備の展示説明の場にいたからこそ理解している。

 魔法と言う先天的な能力ではなく、訓練さえすれば誰でも扱える装備を隠し持っている。

 言ってしまえば単独で武器庫になっているのだ。


 それだけではなく、多少の戦闘知識も有る。

 つまり、彼の持つ武器とそれらを装備した兵士の動かし方を理解しているという考え方も出来る。

 一人で鎧を無視して多数の相手をなぎ倒せる軽機関銃、弓よりも遠くを狙撃することも出来る小銃、たとえ乱戦や混戦になっても威力を維持しながら取り回しに長けた拳銃、状況を乱すために使う各種手榴弾、そして障害物などを破壊する為にも使えるという個人携帯対戦車弾。

 状況に合わせて武器を使い分ける能力と知識、目的に合わせて行動や手段を変えられるという多目的性、徴収された兵士等とは違う忠誠等を保有する志願兵としての信用や信頼……。

 

 魔法が使えるという事を除外しても、それだけの”価値”がヤクモにはあるとマリーは見ていた。

 敵の数を無視して、距離も多少無関係に、即座に撃ち倒せる。

 戦場のような場所で、単独でも脅威になる事実に気付いていないのだろうかと、マリーは眉をしかめる。

 そして交友関係だ。

 現段階で半ば取り潰しに近い状態であるオルバを含め、三つの公爵家に知られている。

 ミラノ、アリア、アルバート、オルバ。

 そういった人物に決して浅いとは言えないくらいに食い込んでいる今、洗脳したらそこらへんから工作も出来るとマリーは見て居る。


 つまり、自分を軽視しすぎているのだ。


 だが、ヤクモの言い分にはその軽視さえ抜けば理しかない。

 一旦個人的な感情は置いておき、彼女は相手が何であれ来るべき人類の危機へと備える為に思考を切り替えた。


「──その申し出には感謝する」

「危険度は高いんだろ? なら、絶対塞がなきゃいけない穴だ」

「えぇ、そうね」


 個人的な感情に囚われて、かつて目にした出来事から目を背けることはできない。

 洗脳された味方が敵対し、武器を向けることが出来なかった事がある。

 かつての味方が武器を振るい、戸惑う仲間が傷ついた事がある。

 味方が、仲間が洗脳され敵対すること──その被害は決して小さくないのだ。

 心を少しばかり凍らせて、彼女は服の内ポケットから色々と出す。


「それじゃあ、洗脳に関してはアンタが研究に協力してくれるって事で考えておく。けど、失敗とかもありえるから楽観視だけはしないで」

「心が壊れたり、死んだりとか致命的じゃなければ……多分大丈夫」

「洗脳がとけなかったらどうする?」

「その時は『何も手を加えない』って方向で進むしかないだろうなあ……」


 などと、変な事を言い合いながら魔法に関してそれぞれの勉強を進める。

 ヤクモは魔法への理解や新しく知った事への習得率の強化をはかり、マリーは自分とは全く違う事を考える人物からの言葉等で既存の魔法の改良や今まで踏み込まなかった領域にまで到達しようとする。

 

 幸いな事に互いに”オタク”のような物であったが為に退屈だとか苦痛だという物は無縁であり、むしろ魔法の練習で周囲への被害の方が深刻なほどであった。

 そして日が傾いて橙色に染まり始めた頃になって寒さから撤収を始め、その日は寒さを打ち払うように酒を飲む。

 マリーは煮詰まっていた事柄に関して若干の進歩が見られたが為に上機嫌であり、その日はぐっすりと眠る事になった。

 それを眺めながら──ヤクモは半ば酔いつぶれた風のマリーをよそに窓の外を眺める。


「……ダメだ、眠れない」


 眠ろうとして、酔いに任せて睡魔に身を委ね様としても眠る事は無かった。

 マリーにかけてもらった催眠魔法の影響で、逃れたい自分を突きつけられ、眠ろうと目蓋を閉じると次に目を開けば”夢から醒めてしまう”のでは無いかと考え込んでしまい、目蓋を閉じることが出来ずにいた。

 その結果日が昇り始める頃になって睡魔に恐怖が負けて眠ったが、決して優れた睡眠とは言えない上に短時間だったが為に翌日の彼はどこかボンヤリとしていたと、周囲の三名は言った。


 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ