表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
元自衛官、異世界に赴任する  作者: 旗本蔵屋敷
5章 元自衛官、異国へ赴任する
79/182

79話

 ──☆──


 昼食後、俺はフアルに連れられて町へと出てきていた。

 大タケルはやる事があると言い、マリーは部屋で魔法について総浚いするという。

 フアルは先に町を見て回ったので、食材等と言ったものを案内するという。

 それに甘え、どこに何が売っているのかを確認しながら何が作れるだろうかと考え続けていた。


「ねねね。どういう料理が得意?」

「どういうって言っても……、家で作る一般的な物しか作らないしなあ」

「揚げ? 焼き? 蒸し? 炒め? 茹で? 煮る? 和え?」

「広く浅くって感じかなあ。趣味と興味で色々作ったりはしたけど、名人や達人ほど知ってる訳でもないし」

「主食? 副菜? 主菜? 甘味? 間食? 朝食向け? 昼食向け? 夕食向け?」

「そ、それもちょっと……」


 用語が出てくると戸惑ってしまう。

 そもそも一人で作り、一人で食べるという個人完結をやっていたのだ。

 それが朝食向けなのかなんて知らないし、下手すると朝食べるようなあっさりとしたものを夕方に食べていた可能性だってある。

 そもそもアロス・コン・レチェは食事なのか間食なのかすら分からない。

 食べられれば蛙でも食事といえるし、食べられなければエスカルゴとて食事じゃないとも言える。


「わ、悪い。料理の細かい事気にしてなくて、趣味と思ったままに作ってただけだからそこらへん分からない」

「ん~、そっか~。じゃあ味とか料理に使った材料で勝手に考えとくにゃ~」


 その返事を聞いて、俺は手軽な方が良いのか若干手が込んでいても美味しい方が良いのかで考えてしまう。

 あとは、片づけが楽なものとか。カレーやシチューなんて料理しながらゴミを始末すれば、最後に残るのって鍋や皿等になるから手軽っちゃ手軽だけどな~。


「フアルは何で料理を?」

「ん~とね、料理人のおやっさんと仲が良かったんだ~。食べるのは楽しいんだけど、自分で好きな時に食べられたら良いな~って思って」

「へ~」

「美味しいものが好きだからにゃ~。簡単な味付けだとか、そういうのだけでも皆喜ぶし。私も美味しいもの食べて幸せだし、それを食べて美味しそうに食べてる人を見るのも幸せだし、その人も幸せになる。料理は一番身近で人を幸せにする魔法だと思うにゃ~」


 そう言っているフアルは本当にそう思っているようであった。

 成る程なと、炊事支援とかをしていた頃を思い出した。

 ……食事は人の根っこであり、一番身近なものである。

 戦闘炊事やレンジャー支援での炊事などもそうだが──災害派遣や防災等でも炊事は行われる。

 

 何気ない訓練の合間でも、美味しい食事は味方に──仲間に喜ばれる。

 苦手だった先輩が「お前が作ったの? やるじゃん」と笑顔で言われた時を思い出せ。

 どう接して良いか分からなかった三曹が「美味しいなあ……」って、しんみりと湿った声を漏らした時を思い出せ。

 疲れ果てた後輩が「美味いっすね、先輩!」と満面の笑顔を向けたときを思い出せ。

 レンジャーの詰めで富士に行っていた人が「ありがとな」と肩を叩いてくれたときを思い出せ。


「──どういった時に食べるかを考えてみるよ。汗をかいて疲れているとき、疲れ果てて休んだ後で……朝とかに食べられるようなあっさりしたもの、大きな仕事を終えて休みを前に味わい深い料理とか」

「そういうのを出してもらえるとすんごい助かるにゃ~。兵士さん、時々食べても吐いちゃったり、匂いとかで食欲が出なかったりする人も居るから」

「何かしら助けになれれば幸いだ。ツアル皇国に行く事が有れば、その時は現地でいろいろやるよ」

「にゃはは、頼もしいにゃ~」


 フアルに案内されながら商品を眺め、逐次必要なものを購入してストレージに放り込んでいった。

 それを見てフアルは不思議そうにこちらを見て居る。


「ヤっちん、どこに物をしまってるの?」

「あ~、っと。魔法の鞄というか、入れ物があって。その中に入れてるけど、詳しい原理は分からない」

「私達が武器を魔力で出し入れしてる感じかにゃ~」

「まあ、そんな感じ? 温かい物は温かいまま、冷たいものは冷たいまま。腐らないし、痛まない。食材のまま保管していても良いし、調理したものを入れて置いても大丈夫なんだ」

「にゃはは、魔法ってすごいんだにゃ~」

「フアルも魔法が使えるんじゃないのか?」

「私は使えるってだけで勉強も訓練もしてないからにゃ~。力任せで全員ぶった切るよ! みたいな」


 そう言ってフアルは手を振り回した。

 そんな彼女を見ながら微笑ましく思い、クスリと笑ってしまった。


「そういや、フアルって獣人族なんだって?」

「にゃ、そうだよ? 誰よりも強くて、誰よりも早いよっ!」

「そのおかげで助けられたよ、有難う」


 盗賊だらけのあの建物での出来事、俺が勝手に宣戦布告したようなものだった。

 しかし大タケルもフアルも行動は早かった。

 フアルは数名の賊を叩き伏せ、彼女の攻撃を回避するように飛び込みながら武器を掴んだタケルは武器のみを弾き飛ばし、さらに接近して昏倒させるという芸当を見せた。

 マリーも魔法で散っていた兵士にそれぞれ魔法をぶつけていたし、中々に息があっていた。


「にゃ~、いいよお礼なんて。旅はへべれけ、世は爛れって言うじゃん?」

「俺そんな旅も世の中も嫌なんだけど……」

「あれ、違った? まあ良いや。獣人って珍しいし、あんまり良く思われてないから──ヤっちんは嫌そうな顔見せないよね~。私は助かるにゃ~」

「あんまり良く思われないのか?」

「獣人には色々有るんだけど、大体が大昔に魔族から離脱を決めたというものにゃん。だからエルフとかドワーフとかと違って、魔族寄りの認識をされるから肩身が狭いにゃ~」

「ふうん……」

「だからねっ、尻尾とか耳とかしまってるとすんごい抑え付けられてる感じがして『うみみゃぁ!』ってなる!」


 それ、あれかな。マップ内の使用者以外全員即死の技か何か?

 けれども、想像してみれば何と無く分かる気はする。

 本来耳や尻尾といったものが出ているのが自然な姿であり、それを無理に隠しているような状態だとしたらストレスになるだろう。

 右利きの人に左手を強制するようなもので、一気に何もかもが上手くいかなくなる事だろう。


「だから~、ごめんね?この前、気が緩んじゃって──獣の姿になっちゃった」

「獣人にとってどの姿が一番自然なんだ?」

「ん~とね。私達は人の姿に、獣の特徴を示す部位が出ている状態が自然といえば自然かにゃ~? 獣の姿も自然には近いけど産まれた時から人の姿してるし、人によっては獣の姿になったら上手く動けないって人も居るんじゃないかにゃ?」

「なるほどなあ」

「ヤっちんは獣人とかあんま気にしない感じかにゃ?」

「俺は別になんの感情も抱いてないかなあ。むしろ、大好き」

「わ、そんな言葉初めて聞いた」

「だってさ、動物の属性と人が組み合わさったら最強に見えない? 見えるでしょ? むしろ見えないのが異常じゃね?」


 一般人から見ればケモナーだが、真のケモナーは更に深い段階にまで踏み込んでいるのでケモナーとは言えない。

 ただの「獣っ娘」が好きと言うレベルだろう。

 それでも、犬・猫・狼・龍・狐・狸・鳥・兎・熊──もう有る程度網羅したような気さえする。

 日本はすげえよ、未来に生きてるって行っても過言じゃないくらい属性をドンドン生み出してる。

 ジャパニメーション万歳、オタク文化に栄光あれ!

 ただし、TPOは弁えような。


「ヘルマン国だっけ? ちょっと個人的に興味は有るんだよね。どういうタイプ──じゃなくて、種類の獣人が居るのか気になる」

「あ~、まあ色々居るかにゃ~。けど、一つ聞いても良い?」

「どうぞ?」

「ヤっちんは、そういう人を買ったりする?」

「ん、ん? どゆこと?」

「やっぱね~、じゅよ~って言うのが有るみたいなんだよね。だから肩を並べてるはずの人間からも疎まれたり──時には攫われて連れて行かれたりして、奴隷にされてるから。やっぱ、そういうの欲しいと思うのかなって」


 語尾につけてた猫語のような適当な口調が抜けてる。

 普通に喋る事が出来るじゃないかと思いながら、俺は頬を搔いた。


「自分に頼る事が出来るものが無い場合は、そういうのも有るんじゃないかなと」

「にゃ、どゆこと?」

「例えば身分も地位も名声も無い奴が自分の身を守ろうと思ったら奴隷を買って、育てて兵士にするしかないだろ? 他にも知識奴隷って言うのもあるから、俺がこの世界に関して何も知らないし分からないのをどうにかしたいと思うのならそういう頭の良い奴隷を買う事だって有ると思う。ただ、相手をどう扱うか関係無しに自分達と同じように生きていて、自由意志を持って、考える生物だという事を考えるのなら安易な選択じゃないだろうけど」

「なんでかにゃ?」

「衣食住の三要素を満たしてやらなきゃいけないし、寝首をかかれるのも背中から斬られるのもごめんだ。こっちがどう考えていようとも相手が信じないのなら意味は無いし、そういう意味では奴隷と主人と言うものはどこかで理解を阻害する要素になりかねない」


 つらつらと、自分のメリットとデメリットを提示する。

 奴隷を買うこと自体に拒否感や拒絶は無いが、それを維持できるかと言われると臆病な箇所が僅かな懸念を恐れて及び腰になる。


「──というか、奴隷ってどんな管理されてんの?」

「魔法を使える人が、契約とか束縛に近い事をしてる、のかにゃ。主人となった人を攻撃できないとか、命令されたら意志に関係なく従うとか」

「……それ、召喚魔法と殆ど同じじゃないか」

「召喚魔法は、無理矢理逆らえるでしょ? けど、奴隷契約は絶対だから。裸になれって言われたら裸にならなきゃいけないし、笑って死ねと言われたら笑いながら自分の首を切るにゃ」

「それって、死ぬまで?」

「噂によると、主人が解放すると言えば解放されるらしいけど、詳しい事は知らないにゃ。ず~っと前に聞いたくらいで、解放された場に居合わせた事は無いにゃ」

「ったく、そんな下らない事に魔法を使うなっての」


 下らない。そういう風に俺は吐き捨てた。

 人類同士で足を引っ張ってる場合なのか?

 それ以前に、世界が違っても結局は奴隷を欲すると言う流れは避けられないのか?

 南北戦争でも起こらないとダメなんだろうか、リンカーンとデイヴィスはどこだ。

 それ以前に貿易だとか工業化とかの条件も満たさないとダメなんだろうが。


「ヤっちんは魔法をどう思ってるの?」

「どう、って?」

「なんだか、マーちゃん……マリー? とかとは、何だか考え方が違うし。どういう風にとらえてるのかにゃ~って」

「力と同じかなあ。責任が持てないのなら力は持つべきじゃないし、持ってしまったのならそれなりの義務を課せられる物だと思う。それと──力も魔法も、持てば持つほど世界を広くしなきゃいけないものかなと」

「世界を、広く?」

「自分だけ助かりたいのならそれなりでも良い。けれども誰かを守りたいのなら自分だけじゃなくて相手も守れる力とその為の知識を有さなきゃいけない。それが一人じゃなくて二人、二人じゃなくて三人。四人、五人、六人──そうやって増えていくと、守るべきは個人じゃなくて組織だと言う事に気がつく。村と言う組織を守れば、とりあえずは手数と目が増える。けれども──そうやって自分の世界、領域を確保していけば行くほど敵や重なる領域を持つ他人も出てきて……利用したり、されたりしながら──村じゃダメだから町を守る。町じゃダメだから都市を守る。都市じゃダメだから国を──そうやって、最初は緩やかだけど転がったら止められないような坂道を転げ落ちるようなものかなと」


 戦争も同じだし、組織も同じようなものだ。

 背負ったものが増えれば増えるほど、個人の感情じゃどうしようもなくなる。

 責任を持つという事は、裏切ることが許されないのと同じだ。

 指揮官の教えの一つにあるが”亡くなった部下を裏切る事はできない”と言うのがある。

 人が感情の生き物だと言うことが良く分かる一言だ。

 仲間が、家族が、友人が、親友が死ぬ。それだけで復讐をするように殺しあう。

 そうするとお互いに”仕返し”をする。国の思惑がどうで有れ、現場はただの報復合戦だ。

 

 仲間の為に仕返しをすると言う正義がある。

 失ったんだからお前も失えと強制する事ができる大義がある。

 憎み蔑む相手として相手を見る事が出来る。

 だから──容易く人を殺せる。


「けど、ヤっちんはマーちゃんに魔法を教わってるんだよね? それは責任が大きくならないかにゃ~?」

「そもそも相手が強大すぎるんだよ。今のままじゃあの英雄殺しに敵わない所か、マリー達の傍にいるだけで”弱み”にしかならない。俺は弱みで居たくないし、無いものはどうしようもないけど、力が有る分には加減すれば良いし」


 そもそも負ければ殺されるか死ぬしかないので、マリーか自分が死んだ時点でお仕舞いだ。

 逆にあの英雄殺しを退け続けられるのであれば、それ以外の場面ではでしゃばらなければ無能な馬鹿で居られる。

 変に利用しようと画策もされないだろうし、知らないものは無いのと同じだ。

 少なくとも英雄殺しの一件が終わればミラノ達を守る程度に抑え込めば良い訳だし、既に有した力を手加減するように出力を下げるのは楽だ。


「人ってのは面倒臭いよなあ。自分自身ですら制御できなかったり、未来の自分でさえも絶対に大丈夫とは言えないのにさ。自分よりも多数派や力や地位を持った人物によって左右される。なあんにも思い通りにならないんだもん、嫌になるねまったく」

「にゃはは、そんなものじゃない? 何かをするって事は、何かをさせられる危険性を高めるって事じゃないかにゃ~。ヤっちんはもうただの人じゃないんだから、何かしたいけど何もさせられたくないってのは我儘じゃないのかにゃ~」

「別に──まだ大人しい方だろ? 十人の兵を率いろとか、百人の兵を率いろと言われた立場の人間が責務を放り出してる訳じゃないし、めんどくさいな~やだな~って言ってるだけなんですけどね」


 わがままと言うにはまだ可愛い方だと思う。少なくともミラノの騎士としての範疇を滅茶苦茶にするような事を言っていない、彼女を守れて任務を達成し続けられるのであればその範疇内に収まって痛いな~という願望でしかない。

 努力義務の放棄ではなく、手を抜いて良い場所で手を抜きたいと言っているだけである。

 何事も全力である事は素晴らしいだろうが、そんなものは部品としても不出来である。

 交換や修理が頻繁に必要な物は果たして必要とされるかどうかと言う事を考えれば、多少出力を落として手間や面倒の少ないものになる方が望ましいと言える。

今はまだ……新兵らしく頑張るしかない、若干なれてきてようやく士長なり立てくらいだろうか?

 早く古参士長くらいにはなりたいね……。


 そんな風に会話をしながら街中を歩いていると、何と無くマップの更新も済んでくる。

 店の位置と、それぞれの店で取り扱っている商品と値段。

 そういった物を見ながら何が作れるだろうか? と考える事ができる。

 考えていると、食べたいものがあれもこれもと浮かんでしまいダメだ。

 ふ、太りはしないよな? むしろ体重計が無いから不安なんだが、運動量と摂取量は見合ってる?

 重傷とか負傷で治癒をする度にエネルギーが消費されてしまうから、毎度毎度大食いをする破目になってる。

 ゲームで言うと「戦闘でダメージ受けすぎる度に回復薬、つまりは金にダメージが行く」みたいなものだ。

 地味に出費を考えないと、いつか首が絞まるぞ……。

 金が無ければ教会で蘇生もしてもらえない世知辛さがあるからな。


「どう? 想像はできてきたかにゃ?」

「まあ、ボチボチって所。何が良いかって言うよりは、何が食べたいかって所に焦点があって来ててね」

「ヤっちんも食べるの好きなんだ?」

「食事、睡眠、娯楽──その三つは重要だと思ってる」

「寝るのは~、気持ち良いよね~。邪魔されると嫌だけど」

「起されると若干心が暗くなる……」


 牛乳、卵、肉、米。いやはや、良い具合に食材が揃ってきた。

 直ぐに消費する訳ではないけれども、倉庫と考えれば買っておいて損は無いと思っている。

 

「良く食べて、良く寝て、ゲームをすれば最強だと思う」

「”げーむ”ってなにかにゃ?」

「あ、ん……俺の居た場所の、娯楽の一種?」


 なんて説明すれば良いだろうか?

 そんな事を考えていると、フアルがピクリと反応した。

 何事だろうかと考えていると、何かに気がついたように港の方を見る。


「どうした? フアル」

「魚! 新鮮な魚って聞こえた!」

「本当に? 俺には──って、そっか、なるほど……」


 耳が良いという事か。獣人ってのは存在するだけで圧力になるんだなと思い知らされる。

 ……これはアレか、隣部屋で情事に及んでいたりセルフジョブに勤しんでるのですら気付かれるって奴か。

 はは、今の所鍛える事で一杯一杯で良かった……。

 なんかゴソゴソしてなかったかにゃ~? なんて言われたら死ねる。

 と言うか匂いでバレそうだ、絶対に止めておこう。


「ヤっちんヤっちん、魚に興味はあるっかにゃ~!!!」

「ん? あぁ、出来れば見ておきたいかな」

「見にいこっ、直ぐいこっ、さっさといこっ!」

「そんなに慌てなくても魚は逃げないというか俺の肩が外れるから走らないで歩調緩めて!?」


 思い切り引っ張られて港まで連れて行かれる。

 かつて肩が外れた事があったけれども、こんなどうでも良い事で肩が外されるとは思わなかった。

 フアルが手放してからプラリと下がった腕をどうしようかと思いながら「ん゛ッ!?」と、思いっきりはめ込んだ。

 痛みと痺れを感じながら、力が入るかどうか確認していると潮風や魚の匂いを感じる事が出来る。


「そういや、ヴィスコンティでは魚はあんまり見なかったなあ」

「ツアル皇国はね~、刺身とか寿司とかで魚を良く使うからね~。フランツ帝国からは嫌がられてるけど、私は好きかにゃ~」

「へぇ、なるほどね」

「刺身とか寿司は好きかにゃ?」

「両方好きだけど、寿司は高いイメ……じゃなくて、感じがするからぜんぜん食べてないなあ」

「にへへ、じゃあじゃあ今度食べさせてあげよっか?」

「はは、良いね」


 ……寄生虫とか無いよな?

 魚に関してはそういった面で慎重にならなきゃいけないと言われているし、食べてから医学の劣っているこの世界で「何かに寄生されたようだ」なんて事は避けたい。

 けど、寿司って高いイメージしかないんだよなぁ。

 そもそも収入の多い人しか食べられなかったとかなんとか、ボンヤリとそんな事を聞いた気がする。

 理由は──たぶん労力と需要の問題なんだろうなあ。


「魚って揚げ物にしても美味しいんだけど、知ってる?」

「揚げ魚? 唐揚げとかじゃなくてかにゃ?」

「うん。どの魚なら揚げ物にしたら美味しいかまでは調べてないけど、自分が食べた範疇でなら揚げても美味しい魚とか教えられるよ。それに檸檬レモンかけても良いし、醤油──そういえば醤油ってあるの?」

「醤油はあるにゃ。味噌もお米もツアルでは日常的に目にするものにゃ~」


 なにそれ、ツアル皇国に移住しようかな。

 い、いやいや。ミラノが居るし、公爵に対して養子になりますって言っちゃった手前今更「やっぱ米と味噌と醤油が恋しいのでツアルに行きたいから止めます」なんて言えない。

 けど、米の値段がヴィスコンティよりも安いという事は需要──流通が有るって事なんだよな。

 それだけで魅力が増したように思えるので、人を落とすにはまず胃袋を掴めと言うのは正しいと思う。


「そういや、なんでさっきは奴隷を買うとかどうとか聞いたんだ?」

「にゃ~。やっぱり、獣人って色々な目で見られるから、どう思ってるかを知りたかったからかにゃ~。これからの付き合いでどうしようか考えたかったとか」

「あぁ、そっか。もう少し気を使った回答をした方が良かったかな……」

「にゃ~、アレで良いと思うにゃ。少なくとも”愛玩”とか”玩具”と思ってないのは確かにゃ」

「今の所は、って言うのを付け加えておけば満点だと思う。少なくとも実際に目の当たりにすれば綺麗事は簡単に吹き飛ぶし、欲と言うのは色々有る分自分に言い訳が出来れば簡単に転ぶ訳だし」

「にゃはは。けどヤっちん、カティアって子が使い魔に居るにゃ~。その子が居るし、ご主人様が居るから大丈夫じゃないかにゃ~、なんて」


 カティアとミラノの事だろうと想像し、実際幾らかその通りだろうなと思った。

 承認欲求が欲しいのならカティアを保護し続け、教育し続ければ満たされる。

 所属欲求ならミラノの騎士を続け、その存在意義を満たし続ければ大丈夫だから。

 性的欲求は今の所許容範囲だし、自己解消可能な領域だし。

 むしろ今は自己実現要求が足りてないからそれを満たす事に集中するだけだ。


「そう言えば聞いてなかったんだけど。魔物に都市が襲われた時に、何で戦ったか聞いても良いかにゃ?」

「うん?」

「マーちゃんに聞いたにゃ~。ヴィスコンティで英雄って呼ばれてて、今回はその件で呼ばれてるって。なんで頑張ったか、頑張れたかを聞きたいかにゃ~って」

「う~ん、そんな難しい話じゃないんだけどなあ」


 フアルには綺麗事のように「自分に出来る事をした」とか「身分とか地位とか関係無しに、良い事だと思ったからやった」とは言った。

 しかし、それもアイデンティティーを満たす為と言ってしまえば切り捨てられてしまう。

 自分にはそれしかなかった、だから無価値になりたくないから状況に適した知識や武器、能力を有しているから行使しただけ。

 何の作品か忘れたけれども「正義を掲げて何かをするという事は、悪の存在を待望し被害や犠牲となる物が現れるのを待っている事でもある」という言葉を思い出してしまう。

 つまり、最大最悪の偽善者と言う事になる。

 自分の欲求の為に他人の不幸と悪の出現を待っているだなんて、

 それでも……それでも、最初は純粋な想いと願いから始まったはずなんだ。

 ただ宙ぶらりんになって、孤独になって、自分の価値を見出せなくなって──そこにしがみ付いただけなんだと思いたい。


「たまたまうまくいっただけで、そういう意味では一時的な成功でしかない。フアルやタケルが最前線で常に戦い続けて未だに生き延びていて、戦線を維持している──成功を継続させるという事の方がよっぽど英雄的だと思うね」

「そうかにゃ?」

「一時的に勇気を奮うのは簡単な事で、それを他人よりも少しばかり──或いは数日と長続きさせる事の方が難しいと思うね」


 英雄は、普通の人にまして勇敢なわけではないが、五分だけ長く勇敢でいられる。

 勇気とは一分だけ長く恐怖に耐えることである。


 まあ、そういう名言が転がっているので参考にしているだけだが。

 実際その通りであり、気の持ちようとも心のありようとも言える。

 足が速く体力に優れているものでも、突撃の訓練で真っ先にヘバる事だって有る。

 体力も無くのろまな奴が、どんなに辛くても諦めを見せずに喰らいついてくる事だって有る。


 能力はあるけど咄嗟に動けずに長考してしまう奴だって居る。

 不器用でうまくやれないけれども直ぐに行動に移せる奴だって居る。

 挙げ連ねれば切りが無い、長所も有れば誰しも短所を抱えているものである。

 ただ──まあ、あれだ。

 見なかったものは助けられないとは言えるが、あの時のミラノやマリー等と言った『見てしまったもの』に関しては無かった事には出来ない。

 見てしまったのなら、それは確認してしまっている。

 確認してしまったものを無かった事にするには、見棄てるしかないのだ。

 見棄てると言う事は一切合切の努力を放棄すると言う事。

 自分なんかが加わった所で結果が絶対に良い方向に転がるとは思い上がっていても言えないが、見棄てた時点で一%程度の可能性すら切り捨てることになる。


 あの時は結果としてミラノ達が学園に到達できて、その上でミナセやヒュウガを助ける事に寄与できた。

 マリーの時だって相打ち染みていたが、彼女が死ぬ事を回避できた。

 俺がいなかったら最悪の事態だってありえた訳で、マリーなんかは間違いなく死んでいただろう。

 そういう意味で考えれば「見棄てる事で、間接的にその人の生を閉ざした」という殺人にさえ思える。

 見知らぬ人だったらどうでも良かった、ちょっと悩んでおしまいだったかもしれない。

 だがミラノは? アルバートは? グリムは? アリアは? マリーは?

 きっと見棄てていて、その結果死んでいたとしたら──きっと長期の間忘れられなかっただろう。

 ストレスやトラウマとなって表情が浮かんでは眠れない可能性だってあったわけだから。

 結局、自分の為じゃないかっていう話になってしまい、自嘲するしかない。


「とまあ、何だかんだあって。街では魔物が浸透してきた街中を突っ切らなきゃいけなかったし、マリーの時は強い相手と対峙しなきゃいけなかったし。今思えばただの馬鹿なんだよなあ」

「良いじゃん、馬鹿でも。そういう人がいるだけで、何だか別の場所で頑張ってる人を勇気付けられると思うにゃ~」

「そうかなあ?」

「そうだよ。まだまだ守る価値のある人が居る、自分らが身体や命を──人生を賭けて頑張っている意味があるって思えるからね~」


 ……なるほど、そういう考え方も有るのか。

 自分が頑張っている理由を後押ししてくれると言う考え方か、それは──確かに良い事だとおもう。

 それを自分が担ったのかと思うとこそばゆい所は有るが、理解は出来る。

 自分が守ろうとしているものが、自分に対して邪険にしてきたならやる気は削がれる。

 守る価値が無いと思ったのなら、身命や人生を賭ける意味も無くなる。

 守っている──或いは、自分の背後に居る人の中から好意的だったり守る価値を見出せる人物が現れたら嬉しいに決まっている。

 

「けどね、あの出来事って地味に騒ぎになったかにゃ~。ヴィスコンティからの報告と、私達の頑張りが分からなくなったし。どうやってそんな大規模な部隊を、気付かれずに私達をすり抜けて学園まで終結させたかって問題になったにゃ」

「ツアル皇国側としては、そんな大規模な魔物を見逃すはずが無い、と?」

「確かに余裕の無い状況にゃ~。それでも、あんな数百──千もの大規模な部隊が動けば絶対に引っかかるにゃ」

「浸透とか迂回でもやったんじゃね?」

「”シントー”?」

「あぁ、えっと。これは予想だから実際はどうか分からないぞ? 服とか布地で水を急きとめようとしても漏れ出てくるだろ? それと同じように少しずつ部隊を攻撃や夜間に送り込んだとか、或いは地形や地理情報に長けた奴がツアル皇国の布陣と部隊能力から逆算で隙間を縫うように兵を動かした可能性」

「魔物にそこまでの知恵は無いかにゃ~って」


 フアルにそう言われ、俺は脳裏でゴブリンの事を思い出す。

 追い詰められた俺が魔法を思いっきり行使した時に生き延びた一体の小さな奴。

 この前の公爵家で行われた軍事演習の時だって森の中で遭遇してるし、飯を貰って感謝の姿勢だって見せた。

 俺の事を警戒していたし、恐怖すらしていたように見える。

 つまり、知能や知性と言う点に関しては人と何ら変わらないように思える。

 ただ──歴史的な積み重ねと言うか、その長さや文明的な生活の長さの違いで差が出たんじゃないかと思える。

 それに、オークだのゴブリンにも”階級”や”地位”は有るように見えた。

 身なりが立派だったり装備が立派な奴もいたし、つまりは何かしら秀でているという見方が出来る。


「魔物だからって、見下して良いとは思わないけどな」

「にゃ?」

「アイツらにも独自の文明や文化だって有るだろうし、積み重ねたものがあると思う。ただ獣に近いような感じがするだけで、感情だって持ってるように見えたし──そもそも奴らの生態系や社会体制を調べた奴って居る?」

「──聞いた事無いにゃ」

「じゃあ出来ないとも言い切れないじゃないか。魔物だからって見下げる事はできても、無条件で見下せる訳じゃないだろ」

「けどけど、何時も沢山出てきて攻撃をするだけして、バラバラに逃げたりしてるだけだし──」

「……──、」


 マジかよ。

 こいつら「同じ敵と何度も戦う事は避けるべきである。さもなくば、自分の兵法をすべて敵に教える事になる」というナポレオンの言葉を無視してる。

 いや、ナポレオンがそもそも存在しなかったのか。あるいは、歴史ごと吹っ飛んだか……。


「フアルとタケルは……出現した敵はちゃんと殲滅してきた?」

「ん~、出来る限りしてきたよ?」

「出来る限りか──」


 それ、つまり生き残った奴が居るって事じゃないか。

 生き延びた魔物が知恵をつけ、強くなって部隊を指揮し出したら意味無いじゃん。

 しかも戦い方、部隊配置、兵の構成などなどといった情報を持ち帰られるじゃん。

 多すぎる雑魚から、生き延びて少数精鋭化が行われている。

 何その「生き延びた魔物だけが良い魔物だ」みたいなやり方、どれだけ死なすんだよ。


「ツアル皇国は前進したりは?」

「そんな余裕無いかにゃ~。私達が来た時にはもうボロボロだったし、暫くは防衛するしかないって言われてるかにゃ~」


 アカン、何で「命を賭けた練兵相手」になってるんだ。

 敵を成長させて馬鹿じゃないのかと思うと同時に、何でさっさと他国は援軍出さないんだよと思ってしまう。

 というか、そうやって死を厭わないって相手の人的資源再生速度どうなってるのよ。

 屍を沢山築いてまで部隊の成長を促すとか、そもそも反乱や造反、離脱とか起き得そうなものだが……。

 そもそもツアル皇国に余裕が無いから「機動防御」という事が出来ないのか。


「ヴィスコンティは内部腐敗が起きてるから仕方が無いとしても、なんでフランツ帝国は兵を出さないんだろうな」

「ん~? なんかね、兵士が居ないから何とか言ってた」

「九条バリアでもはってんのか……?」

「国民みんながかつての英雄を信奉し、彼らを支えて下さった神に使える信徒だからとかなんとか」

「それ詭弁じゃねぇか!」


 それが通るのなら、いざと言うときは兵士として徴用するから農民も兵士であるというのが通用してしまう。

 それ以前に、国民みんなが信徒だから聖職者であるというのであれば、俺なんか今回の一件「英雄である以前に国ではなく個人に仕える騎士なのでお断りします」と言えたはずだ。

 くそう、戸籍だの住民票だのといった枠組みが無い事を怨むだなんて思いもしなかった。

 私はそもそもヴィスコンティどころかここいら一帯で誕生して無いので、幽霊として扱って下さいという事ができない。

 まあ、ルーツを辿っても追いかける事が出来ないから良いといえば良いのかもしれないが。


「ヤバイな、ツアル皇国の戦線が気になってきたぞ?」

「だったら今度来たら良いと思うにゃ~。タケにゃんにも言って、配慮……融通? するようにしておけば簡単に来られると思うし」

「あんまり頼る事が無いと良いと思うけど、軍事的な知識は興味が有るから是非にお願いしたいかな」

「りょうか~い」


 ……結局、泥沼に沈んで行ってるんだよなあ。

 軍事以外で、戦闘以外で俺が俺であると証明できる要素は無いものか。

 考えては見たけれども、空転する思考は時間と労力の無駄遣いだと切り捨てた。

 本当に無いのか、やる気が無いのか。それだけが気がかりだ。


「これ、サケで有ってるの?」

「サケだよ?」

「なんか、俺の知ってるサケと違う……」


 ヨーロッパには行った事が無いけど、日本のスーパーや魚屋で見かけるのとなんか違うように思える。

 それでも誤差とか言われればそれでおしまいだし、そもそも世界や歴史が違うのだから受け入れるしかないのだ。


「お、マグロだ。これでツナが食べられる、ツナマヨも作れるからおにぎりが出来る!」

「”つなまよ”?」

「マヨネーズ、は知らないだろうなあ……」


 キユーピーグループなんて無いだろうし、乳化させるのが手間だしなあ。

 オリーブオイルなら飽きるほど見てきたので、そろそろ蕁麻疹が出てきそうだ。

 それに、やはり食べなれたものを口にしたいと思う異世界生活一月目って感じですよ。

 唐揚げだとか、餃子等と言ったものが口にしたい。

 たこ焼き、お好み焼き、ガーリックフランスパン、牛丼、カルビ丼。

 身体に悪いものが欲しくなる、主にカロリーだとかコレステロール的な意味で。

 今の身体、無理ばかりしてるせいか脂肪が若干不安になるくらいに少ない。

 流石に腹筋がバッキバキに割れてるのが露骨に浮いてるとかそういう事は無いが、肩幅や胸厚が小ぢんまりとしてしまったせいかもしれない。

 

 自衛隊生活二年目で、若干慣れて来た時くらいの体型だろうか?

 力で勝らず、速度で劣らず、技術はそこそこ。

 特に目立たず、けれども有る程度任せてもらえる位には何でも出来るような位だったか。

 圧力が殆ど無くなり、抵抗の為に使っていた力をどう使えば良いか分からなかった頃だ。

 後輩が入ってきて、同期の弦巻が辞めるかもしれない雰囲気を仄めかして来ていた。

 ……あの頃は楽しかったなあ。


「沢山魚買ってたけど、大丈夫かにゃ?」

「あぁ、良いの良いの。俺の金だし、それに──失敗する事や試したい事があるから、少ないとうまくいっても腹の足しにならないし」

「ヤっちんはお金持ちなのにゃ~」

「まあ、報酬とか恩賞とか貰っちゃってるし。むしろ今まで使わなさ過ぎてさ」


 アルバートとグリムを助けた事で金を貰ってるし、そうじゃなくてもアーニャから異世界に来ても困らないようにと国家予算を上回るような金額を渡されている。

 アーニャから貰ったのは無いものとしてタンス預金しておき、出来る限り貰った金は使っておきたい。

 金は使った分だけ経済に寄与する事になるし、溜め込んだところで国と言う身体から血の巡りが悪くなって腐り落ちるだけでもある。

 カティアにも幾らかお小遣いとして渡してあるけど、あんまり使ってる感じはしないんだよなあ。

 まさかもう積み立て貯金開始? 老後見据えて? 

 まだ幼いのに夢が無さ過ぎてヤダ……。


「さて、と。案内有難う、フアル。おかげで良い買い物も出来たよ」

「にゃ~、いいっていいって~。けど~、食べ物とかでお礼してくれると嬉しいかにゃ~?」

「了解。そういや、さっきの通りで食べてみたい物があったんだけど、それとかは?」

「にゃはは、いいね~」


 フアルを連れて、俺は通りへと引き返していく。

 人で賑わっている中で、大タケルの事を見かけたような気がしたが──それがどこなのか分からず、気のせいだなと忘れる事にした。


 ――☆──


 遠い地、ヴィスコンティのデルブルグ家でミラノはヤクモに「これ、書いた文字を参考にして見たら?」と言って渡されたものを、後回しにしながらもその日ついに試すことにした。

 何て事はない。彼女のもつ既存の知識と、今のミラノが手に入れられる情報では行き詰ってしまったからだ。

 しかも頭数──思考の範囲も道筋の数も足りず、かといって投げ出すには自分の力と知識の価値を理解していない騎士の存在と、頭を垂れてでも教えを請おうとしたのに馬鹿にした態度を取る伝説の英雄の表情を忘れられなかった。


「ねえ、アリア。何か有ったら、カティと二人で何とかしてくれる?」

「姉さん。それだったら私がやった方が良くないかなあ。ほら、なんか丈夫になった気がするし」

「あ~、ダメダメ。そうやって強がって見せると、アイツを連想して信じられないから」

「遠くに居てもご主人様の評価は変わりませんのね。まあ、当然といえば当然かしら」


 自身の主人であるミラノだけではなく、使い魔であるカティアにまで酷い言われようである。

 ヤクモが遠い地でくしゃみを漏らしてフアルに「汚いにゃ~……」と言われている頃、ミラノ達は庭で魔法の試し撃ちをしようとしていた。

 アイアスとヤクモが手合わせをし、地面を捲り近くの草木を台無しにしたままに復旧がまだ終わっていない状態である。

 

「アイツはこの模様だか文字だかでも威力出るんじゃないかって言ってたけどどうなのかしら?」

「私は知識としてその文字の意味は分かりますわ、ミラノ様。けど、それが魔法として機能するかどうかは学んでないので良く分かりませんの」

「で、この文字が『炎』を意味してるのよね?」

「ええ。ただ、どれくらいの規模になるかまでは分かりませんが、民家一戸建てくらいは焼けると予想いたしますわ」

「ふ~ん、なるほどねえ……」


 漢字で書かれた『炎』の一文字。

 ヤクモには「制御無し、持続時間も魔法体制も判らないからそっちで何とか料理して」と言った様子で丸投げされたものだ。

 それをカティアの助言を参考にしながら組み込んだのだが、ミラノからして見たら「武器や防具は装備しないとmean,つまり意味が無い」みたいに理解の出来ない歪んだ表現へと変わり果ててしまった。

 自分を中心に炎なんか出したら焼死しかねないと、既存の魔法で安全装置を幾つも付与した上で文字を取り替えての実験である。

 当然、ミラノとしてはこれで良いのかとカティアに聞いてしまうのだが、カティア自身魔法に対する知識が皆無なので首をかしげて「分かりませんわ」と言うしかなかった。


「これで死んだらアイツが死ぬまでとりついてやるんだから」

「だ、大丈夫だよ姉さん。私が直ぐに──」

「直ぐに?」

「突き飛ばして安全な場所まで追い出すから」

「え……」


 ミラノがアリアに対して、助けられているのか地獄に送られようとしているのか判別つかないといった表情を見せた。

 それを見てアリアはクスリと笑う。


「突き飛ばすのは冗談だよ、姉さん。ちゃんと魔法の準備はしておくから。回復魔法、今ならちゃんと唱えられるよ?」

「僭越ながら、私も出来る限りの事を致しますわ」

「あ~、うん。二人がそう言ってくれるのは心強いわね~、本当に安心できる~」


 最近若干元気が出てきて活発になった様子を見せるアリアと、他人行儀な口調をするカティアの前では流石のミラノも若干ヤクモと同じようにならざるを得ない。

 普段自分がやっているような事をアリアにされ、そしてカティアは味方なのか敵なのかも分からない発言で反応に困る。

 ミラノは無意識のうちに、ヤクモが取るような反応を示していた。

 弄られ、手の平を返され、反応や対処に困り、表向き喜んでいる様子を見せる軽口を吐く。


「けど姉さん。その字の意味が何なのか分かったら、長くなりがちだった文章全てを置き換えられたら──凄いよね?」

「それ、私に新しく言語を覚えろって言ってるって理解してる?」

「けどさ、ヤクモさんも最初は読めないし書けなかった字を教わりながら覚えたよね? 自分が強いた事を、姉さんや──私が出来ないって事は無いんじゃないかな」

「……出来るかしら。何か、最近実はアイツが規格外で、私の常識の範疇に居ない気がするのよね」

「姉さん。人は生まれた瞬間だけで言えばみんな平等なんだよ? 何も知らないと言う意味でね」

「ヤクモみたいな事言うじゃない」

「え? これ兄さんの言葉だけど」


 アリアにそう指摘され、ミラノは少しばかり間を置いてから咳払いをする。 

 それをみていたアリアとカティアは「誤魔化した」とか「逃げた」と内心で思っていた。

 ミラノは数度深呼吸を繰り返し、半ば祈るような心持で一枚の紙切れを見つめた。

 安全装置だらけながらも一枚の紙に収まった魔法、それがどのようなものかを地獄を覘くような気持ちで試す。


「『ブレイズ』!!!」


 詠唱は全て紙に押し込んだ、発動に必要な言葉だけをキーとしてミラノがついに詠唱を行う。

 ──それからが、ある意味の地獄だった。

 ミラノは自分が巻き込まれないようにと、離れた位置に魔法が生じるようにした。

 その結果、自分の目の前で炎の渦が巻き起こり、熱風がミラノを煽り、撫でる。

 彼女は自分が暑いと感じて居るのか、それとも寒いと感じているのかすら分からなくなる。

 魔法の練習をするからと退いてもらった庭師や屋敷の警備をしていた兵士の叫び声が響く。

 その意味を理解するよりも、ミラノは重要な事で思考が一杯になっていた。


「っ、消えて──消えろ!」


 自分が思考の海に沈んでしまう前に、目の前の破壊を撒き散らす渦を消す事を優先したミラノ。

 幸いな事に、アレだけの破壊力を持ちながらも何重にも仕掛けた安全装置がすんなりと作動してくれた。

 本人の意志で、好きな時に消せる──そうでもなければ、庭の芝生だけじゃなく草木に延焼してしまいかねない勢いの炎を消すだなんて事を容易に行えるはずも無かった。

 火炎旋風が消えてからミラノは、呼吸だけで若干痛む喉に咳き込んだ。

 知らぬ内に浮いてきた汗を拭うと、薄っすらと煤がついている有様でもある。

 周囲の庭師などの声にならぬ悲鳴から目を背け、彼女はケホケホと咳き込みながら戻っていった。


「姉さん、後でお風呂だね」

「……ここまで馬鹿だとは思わなかった」

「ミラノ様。魔法の威力が? それとも、そんな高火力な物をポイと投げ捨てたご主人様が?」

「両方──けふん」


 ミラノがここに存在しない相手に、なんて物を考え無しに投げ渡したのかと呆れてしまう。

 そしてカティアはミラノが席に着いて一息吐くのを見届けてから、口を挟む。


「因みに、その文字に類似するものはあと三つありますの。ミラノ様が今回使ったものを二つに分けると『火』になって、その火を三つで『焱』、四つで『燚』になりますの」

「ちょちょ、ちょっと待って。じゃあ今使ったのは、何?」

「下から二番目ですわね」

「二番目なのにあの威力なんだ……。しかも、どれも一文字なんだね」

「ご主人様の居た世界で『漢字』って言うのだけど、見ただけで何と無く意味が分かるように出来てるの。それに、部品ごとに意味を変える事も出来たり。えっと……この二つとか」


 カティアが思い出しながら、挑と逃の二つの字を書いた。

 それを見てミラノとアリアが同時に声を上げる。


「「同じ部位」」

「因みにこの二つは逆の意味。こっちは『挑む』で、こっちは『逃げる』って意味なんだけど。この字だけで大よその意味が分かるというもの」


 カティアの説明を聞いて、ミラノとアリアは驚いていた。

 一文字だけでそれほどまでに意味を見出したり与えられるものなのかと、自分たちの固定観念が崩れるような錯覚すらしていた。

 しかし、それも仕方の無い話である。

 表語文字がそれ一つで意味を示すものに対して、彼女達が取り扱っているのは表音文字である。

 文字数において差が出ても仕方の無い話であった。


「ただ、ご主人様の国ではこれ単独で文を構成しないから、他に『平仮名』とか『カタカナ』、『ローマ字』とかも使われてるの」

「ん? ん?? 幾つもの種類の文字を扱うの?」

「一つの国で?」

「そこらへんわたくしは詳しく有りませんので、説明は難しいですわ。けど、それらを全部ひっくるめて語として成立してたのは確か」


 カティアが今説明した文字の種類を使って、とりあえず文字を書いてみた。

 『GATE(ゲート)自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり』

 ローマ字、カタカナ、漢字、平仮名。

 これがどれで、あれがそれ等と説明を受けてミラノは腕を組んで考え込む。


「……ねえ、アイツの国では”カンジ”だけじゃ文を構成しないって言ってたけど。他の国では、有るって事?」

「どうかしら。私はご主人様の知識を借り受けてるだけだし、さっきも言ったけどあまり分からないの。ただ『漢文』って言う昔の物だと、文字通り漢字だけで文章を書いてたみたい」

「一文字で意味を持つ字だけで文章、ね」

「ヤクモさんはそれを使いこなせるのかな?」

「どうかしら? そういう物があると知っているだけで、使えないと思うけど」

「……今はこの”カンジ”って物だけでも大分助かるから有り難いから良い。というか、カティが居ればアイツ要らない?」

「ミラノ様? 私は一月と少し前まではただの子猫だったの。人として生きて、様々な情報や知識、知恵に触れて色々考えた従来の”人”には到底敵いませんわ。出来るとしたら与えられた知識を本棚の本のように取り出すことだけ」

「私には──いえ、私達にはそれでも十分に過ぎる」

「因みに『水』にも『沝』とか『淼』とかも有りますの」


 カティアが説明しながら、幾つかの漢字を書いてみせる。

 それを眺めながら、アリアは興味を抱いた。


「ねえ、その字で人の名前も示せるのかな?」

「──あぁ、そっか。さっき色々言ってたけど、それ全部ひっくるめて言語だったって事は、名称とか名前にも当然使うんだった」

「姉さん、魔法だけに使うものじゃないよ」

「だって、魔法の事しか考えて無かったから、つい……」

「ツアル皇国の人物とご主人様くらいかしら、漢字を当て嵌めて書けるのは。私やミラノ様、アリア様とかはカタカナ表記になりますわね」


 そう言いながらカティアは自分の名前をカタカナで書き、それから少しばかり考えるとヤクモの名前を漢字で書き込む。


 ──『八雲』──


「私は十二英雄の『ヤハウェイ』『クロムウェル』『モンテリオール』の三人から一文字ずつ取ったんだと思ったけど──」

「ご主人様の知っている範囲で持ち出すと、向うでの神話……神様が詠んだ詩の一節に『八雲』と言う言葉が出てきますわ。意味は”幾重にも重なり合った雲”。他にこの字を関するものは神を祀る神社──教会のような建物だったりもしますわ。後は創作上の人物名にも八雲と言うのがいるかしら」


 カティアがつらつらと説明する。

 ミラノは少しばかり頭が痛くなり、アリアは苦笑する。

 勝手に「ヤクモとか、どう?」と言い出し、それが彼女達にとって歴史的にも宗教的にも意味の深い英雄達から取ったのかと思ったが、実は全く別の宗教から持ってきていると理解したからだ。

 その時に引用元を知っていたらどうしただろうかとミラノは考え込み、怒っただろうなとため息を吐く。

 そしてアリアは、ミラノが「少なくとも英雄に対する敬意は持ち合わせてるみたい」と裏でその名を喜んで居たのを知って、思い返して苦笑したのだった。


「アイツってそんなに信仰強いのかしら……」

「趣味ですわ、ミラノ様。遺跡や歴史的建築物、建造物が好きだったみたいだから。それに、宗教で言うとご主人様は別の宗教ですわ」

「節操無さ過ぎじゃない?」

「──ご主人様のご両親は、それぞれに違う国の人だもの。一方を信じれば親の片方を捨てる事になる、だからといってどちらも選ばなければ二人とも切り捨てる事になる」


 ミラノはその言葉を聞いて、それぞれに違う国の親であるという事で自分の出自を思い出してしまう。

 デルブルグ家に居た唯一の娘を、複製クローニングして誕生したのが自分だという事を。

 その時の唯一の娘は、アリアを名乗っている。

 そして身代わりや人身御供のように”ミラノ”と言う名を名乗っているのが彼女なのだから。


「さて、と。私からの説明は以上ですわ、ミラノ様、アリア様。私の持つ僅かな知識がお役に立つのなら、どうか色々とお尋ね下さいな。というか、多分そうしろってご主人様も言うだろうし」


 と、脱線しかけた話をカティアが元に戻す。

 そして慇懃無礼とも言えるような小悪魔的言葉遣いから素の彼女の言葉へと切り替わり、それにいち早く乗っかったのがアリアだった。


「──姉さん、時間が無いよ? 早ければ二週間で帰ってくるんだから、それまでに私達はこの”カンジ”っていうものを理解して……ヤクモさんが使う言語を取り入れて試してみたり、文章を試し書きして、それを実際に使ってみたりしないといけないんだから」

「そうだった……。それじゃカティ、頼める?」

「仰せのままに」


 そう言ってミラノとアリアがカティアを仲間に加え、魔法の研究を進めて行く。

 楽しげであり、どこまでも真面目な三人の傍を一人の青年が走りぬける。


「あぁ、ヤバイヤバイヤバイヤバイ!?」

「クライン様、逃げては鍛錬になりませんぞ!」


 デルブルグ家の長男であり、跡継ぎとなる予定のクラインと言う人物だった。

 外見的特長の大半をヤクモと同一としたその青年は、老年の執事から逃げ惑っていた。

 剣の鍛錬を願い出たは良かったものの、その技術と経験に追いつかずに押し切られてしまい逃げ惑うしかなくなったのだ。

 そんな兄には一切触れず、姉妹は集中する。

 自分の主人と殆ど似通った青年が情けなく逃げ惑う姿を見送ると、カティアは今は遠い主人を思い出してため息を吐いたのであった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ