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元自衛官、異世界に赴任する  作者: 旗本蔵屋敷
5章 元自衛官、異国へ赴任する
76/182

76話

 翌日、早朝から夕方まで歩いてようやく街にまで到達できた。

 歩行時間のみなら三十時間はかかっている、昨日は早いけれども一泊を決めた大タケルの判断は正しかったという事だ。

 港街でそれなりに規模も大きいのか、久しぶりにしっかりとした囲いを見た気がする。

 門があり、衛兵がちゃんと立っており、閉門ギリギリに到着したようだ。


「よし、間に合った……。皆、大丈夫かい? マリーとヤクモは疲れてない?」

「自分は大丈夫だけど、マリーが大分汗かいてる」

「ついたぁ……?」


 マリー、既にヘロヘロである。

 そもそもこの四人の中で一番厚着をしている訳だし、長距離を移動するには向いていない格好だ。

 それに、大タケルやフアルと違って体力勝負の前衛では無いし、行軍・突撃・防御陣地構築・反攻・不寝番等と色々やってきている自分よりも行動し続けることに耐性がないのだろう。

 気のせいか、大きな帽子がグンニャリとしている。

 服も心なしか汗を吸って重そうに見えるし、心配して近づいたら開けた上着の隙間から熱気がむさいほどに放出されていた。


「あ~、ヤクモは彼女を見ててよ。フアル、手続きをするよ」

「了解でっすにゃ~」


 大タケルはフアルをつれて入門出来るように手続きをしてくれるらしい。

 二人を見送ってから、自分はマリーの手を引いて腰を落ち着けられる場所にまで連れて行った。

 マリーは指を鳴らして石で出来た椅子を魔法で作り上げると、そこに座ったらグロッキーに成り果てる。

 どうやら大分消耗したらしい。


「言ってくれれば背負ったりしたのに」

「じょ、ジョーダン。アンタが私を負ぶったら、射撃が出来ないでしょ」

「その時はマリーが魔法を唱えてくれれば──いや、冗談だから。そんな”その手があった”みたいな顔しないで?」

「水……」


 仕方が無いなと漏らしながら、水筒を手渡す。

 彼女は使い方を心得ているらしく、簡単に蓋を開けると素早く傾けて少しばかり口に含むと直ぐに口を離す。

 ……レンジャー隊員かお前は。自衛官候補生時代から「蓋に注いだ分だけ飲め」と叩き込まれてきたけれども、それをやられるとは思わなかった。


「もうちょっと飲んでも良いんじゃないかな?」

「良い。宿見つけたら、お酒飲むし。それに……沢山汗かいたから、絶対美味しいもの」

「あのさ。酒も良いけど、水分補給にはならないからね? ……檸檬レモンが有ればなあ、飲料を作れるんだけど」

「塩と水で補充できるんじゃないの?」

「誰からそんないい加減な……。短期的には良いけど、それって水分と塩分だけを補充するだけだから、それだけじゃ本来は足りてないの。何だっけ、クエン酸? まあ、養分に近いものを摂取する必要が有るんだ」

「初めて聞いた……」

「これも受け売りだけどさ」


 そう言っていると、大タケルとフアルが戻ってきた。

 どうやら入門許可を得たらしく、俺達も一応顔を見せることに。

 身分証明で若干戸惑ったが、ヴィスコンティのデルブルグ公爵家の家紋入りの指輪を見せる。

 それが証拠になるのか甚だ怪しかったけれども、衛兵は大タケルを一度ばかり見ると許可してくれた。

 マリーに関しては特に何も言われず、身元確認とかしなくて良いのだろうかと思ったけれども、もしかすると大タケルやフアルが前線で活躍している事などから信用や信頼があったのかも知れない。

 

 部屋も早めに何とか押さえ、再び大部屋となったけれどもそんな事は気にならなかった。

 

『──と、ここまで到着したけど、ロビン達はどうしてるって?』

『一応ご主人様達の事を気にかけながら進んでるみたい。ご主人様とあちらの情報を照らし合わせると、今のままなら一日か二日遅れくらいで合流できるはず』

『合流するとしたら、どこら辺だと思う?』

『ゴール地点ですわ、ご主人様』


 カティア経由でロビン達との情報をやり取りしている。

 要領は警衛や警戒などと同じで、そうする事で互いの進捗状況や状態が確認できるので何があっても多少安心できるというものだ。

 システム画面で地図を開き、大よその距離を確認する。

 個人であれば、ジョギングかランニングくらいのペースで追いかければ首都到着までに合流できそうでは有るが、先日のような事もあったので愚かな選択としか言えない。


 それに……恥ずかしい話だけれども、馬鹿だった。

 今居る場所がツアル皇国で、魔物と常に争いあっているという事から──人間が敵になることを度外視していたんだ。

 そんな馬鹿な奴は居ない、かつて人類は魔物によって滅ぼされかけたのだから同族に危害を加えたりしないと──タカを括っていた、括りすぎていた。

 しかし、蓋を開けてみればそんな訳は無かった。

 仲間を見棄てて保身に走った脱走兵が居た。

 自分の生活の為に他人の生活を踏み躙る奴が居た。

 一時の快楽の為に、女性を犯す奴が居た。


 人類は下らないと、ファッションのように言ってきたがここまでとは思わなかった。

 カティアとのやり取りでそれを思い出してしまい、ため息を吐く。


『カティア。一つ言わなきゃいけない事がある』

『なにかしら、ご主人様』

『……人を殺したよ。それも、降参したり無力化された相手を』


 暫く、返事に間があった。

 通話越しに、戸惑うような気配を感じる。

 しかし、直ぐにカティアは気を取り直したようだ。


『敵だったんでしょ?』

『まあ、ね』

『そうしなきゃいけない理由があったんでしょ?』

『一応、ね』

『なら問題ないでしょ。それを言われても、私は反応を示すことしか出来ないもの。それに、ご主人様が何で思い悩んだように言うのかが理解できないわ』


 そう言われて、カティアが猫であった事を思い出す。

 つまり、人の法だとかそういうのに理解が薄いという事だ。

 そこまで考えてから、自分の頬を叩く。──誰かに責めて欲しかったのか、或いは赦して欲しかったのか。

 つくづくどうしようもないなと思いながら、発言の意味を捻じ曲げる。

 そう……半分嘘で、半分本当のモノへと。


『自分を理解して欲しかった事と、これからの身の振り方をカティアに考えて欲しいから言っただけ。それに、これを知った上でカティアが「必要だから」と、諌めたり止めたりする役割を担う意味も有る』

『──なるほどね。分かったわ、ご主人様。色々考えてみる』


 そう言って、カティアとの通信を終えた。

 ……そして、何だかカティアとの会話だの落ち着いてから色々考えると疑わしかったのは負傷したあの旦那さんではなく、もっと身近に居たことに気がついた。

 なので、食事の席で酒を飲む場になって、大タケルにそっと訊ねる。


「質問、いいかな」

「俺に? 答えられることなら、何でもどうぞ」

「タケルは……あの時、見過ごした事に気がついて質問したの?」

「ん? あ~……まあ、そうだね」


 あっさりと、彼は認めた。

 相手が人間である可能性を理解し、その上で明言せずに自分へと訊ね、気付かなかったけれども指摘しなかったと。

 ため息だけが漏れた。幸い、マリーはフアルに絡まれていてこちらに気は回していない。

 怒るわけでもなく、軽蔑や侮蔑をするでもなく──ただ疑問の解消を急ぐ。


「どこで気付いた?」

「フアルが周囲を気にかけてキョロキョロしてるのを見て、確信になっただけさ。聞いたら魔物じゃなくて人の匂いしかしないって言ってたし。そもそも魔物が襲撃をかけたにしては争いの形跡が無さ過ぎた」

「──……、」

「と言う事は、言葉が通じる相手から声をかけられて、その結果追いつかれたか降参したという可能性の方が高い。魔物だろうが人間だろうが作物──食料は必要だけど、決して少なくない量をしっかりと運んでるし、敵地の奥深くで統率が取れている魔物の可能性もあったけど、その可能性は低いと見た」

「なんでさ」

「統率された魔物なら、旦那さんだけを残していく理由が無いからね。一緒に連れて行って死体にしたほうが発覚の恐れは低くなる。だったら、人が襲撃をかけて面白半分に痛めつけて生かしたか──或いは、金目のものだけを要求して俺とヤクモに女を置いて帰れと言ったのを含めると『殺す勇気がなかった』という可能性も有ったけどね」


 少しばかり考え、情報を整理してから口を開く。

 分からない事が多く、そして知りたかったはずの事を今更聞かされて感情が幾分混じる。

 感情を出来るだけ排除し、事実のみを蓄積しようと心がけた。


「──つまり、指揮下にあって軍事行動をしている魔物でもなければその可能性は限りなく低かった。殺さなかったというよりは殺せなかったという理由で旦那さんを痛めつけて放置した……。犯罪者、ならず者は迂闊に人目のあるところに行けないから旦那さんを連れ帰っても食い扶持の心配をして連れて行かないという選択をしたとか」

「だいたいそんな風に俺は考えたよ。だから聞いたんだ『どうする?』って。その後も聞いたじゃないか『どこからが嘘かな』って。そのどちらも、相手が魔物なら成立しない問いだった。まあ、残念ながら君は人間がやったという可能性を鼻から排除していたみたいだけどね。或いは、考えもしなかったか」

「……そう言われると辛いけど、正解だよ。自分は、まだ綺麗な世界の中に生きていたみたいだ。魔物と争っていて、そんな──内部で馬鹿なことをする奴が居るとは思わなかった、思いたくなかった」

「残念だけど、これが現実さ。脱走兵が存在しないとは言えない。当然、逃げ出したのが発覚すればどんな理由であれこの国では死罪になる。だから、二国に近いこんな遠くまで落ち延びてきたのかも知れない」


 大タケルの言葉を飲み込んで、理解をするように時間をかけた。

 感情の矛先を無理矢理自分へと向けなおして、無知で至らなかった自分を恥じるように仕向ける。

 容易く他人のせいにして、自分は悪くないと思いがちな所を全て自分が悪い事にして飲み込んだ。

 

「君の事を理解したかったんだ。試すような真似をして悪い。この場は俺が持つから許して欲しい」

「──いや、こっちも世間知らずだったから教育の機会を与えてくれたと思って感謝するよ。代償は、小さくなかったけど」


 もう既に過去になっている。或いは、忘れたがっていたから消えて行ったのか──。

 もしくは、思い込みや正当化によって罪の意識が薄れたのかも知れない。

 それが良い事なのか悪い事なのかは良く分からない。


「けど、君はもう立ち直ってるね」

「……代償は小さくなかったけど、自分にだって譲れない誇りくらいある。それと個人とを比べて、誇りの方を優先しただけの話だよ」


 誇り……と言って良いのだろうか。

 兵士である自分、国の為に尽くす自分、仲間の為に立ち上がれる自分。

 何でも良いけれども、立ち止まっている場合じゃ無いと思ったのだ。

 ただ──正当化したとは言え、自衛官をもう名乗れないだろう。

 戦いの最中、相手と命のやり取りをしているのならともかく、明らかに無抵抗の相手を処刑したのだから。


「それに、まだ旅路は続いてる。だのに自分だけ俯いて歩いていたら、致命的な失態をしかねない。だから前を向かなきゃいけなかったともいえるけど」

「ん、そう言うのならまだ背中は預けるよ。ただ、少しでも迷ったり戸惑ったら武器は下ろして欲しい。安心できる状態じゃないのなら援護して欲しくないし、そんな人物を戦力として数えたくない」

「大丈夫。次は失敗しない、失態を見せない──約束する」


 幾らか思考はスッキリしてきている。

 今は旅路をいかに安全に、脅威を排除しながら、大タケルとフアルの二人を楽させながら進むかに集中する。

 少しばかり胃がカラカラというか、油分が足りなくなってきたので肉を大目に頼んだ。

 肉汁の滴る肉を食べていく。時折保存が利くからとしょっちゅう目にするジャガイモなども食べて、飽きないようにしながら飲むよりも食べるのを優先させた。


「……出来るだけ多く学び、理解し、変な判断をしないように頑張るよ」

「そう有ってくれるだけ助かる。仲間と思っている相手が罠に飛び込んだり、背後から間違って攻撃してくることの方が怖いからね」

「迷ったら撃たない様にするよ」


 演習や訓練でも、仲間を撃つという行動はおきうる。

 訓練中だから大丈夫だとか言ってる場合じゃなく、事故と言うのは年に数度起きる。

 空砲ですら人を殺傷するに値する威力を持っているので、実弾となるとそれ以上にやばいのを理解している。

 そもそも、その為の道具なのだから。


「逆に、一つ俺からも聞いて良いかな」

「ん? 良いけど、なに?」

「君は吐いて憔悴するほど弱ってたのに、その立ち直りが……その、早すぎると思ってさ」

「昔本で読んだことを、自分に当て嵌めて──考え方を変えただけだよ。自分が正しいと思い込み、相手が蔑まれるほどの相手だったと同位的存在ではなくし、仲間や味方の為と正当化をはかり、その上であの一家や国の為だと大義を掲げる。そういった事を自分に、半ば洗脳に近いほど刷り込んで──って、興味ないよね」

「いや、理解は出来る。けど、それを納得するのは少し難しい。俺やアイ……知り合いも、人と戦い、殺しを余儀なくされた事は有る。俺は仲間の為に、或いは死にたくないと思いながらも立ち直るのに時間を要したし、マ……知り合い達は自分たちが生きる為とは言え同族を殺めた事をかなり引きずった」

「──……、」

「君は、人を殺した事で吐いたんじゃないんじゃないか? 俺はそう思う。あまりにも──固執しなさすぎてる」


 大タケルに言われて、そう言えば吐いた理由が『殺人』ではなくて『死の想起』だったのに思い至る。

 痙攣しているのが気持ち悪かったから吐いて、生が死へと変わって行く所を目の当たりにしてストレスになっただけだった。

 大タケルの顔を数秒間抜けにも見つめ返してしまい、彼が眉を顰めてこちらを見ていた。


「ほ~ら、お酒飲んでる~? コイツが奢るって言ったんだから、アンタも遠慮なく飲み食いしなさいよ」


 マリーがフアルから逃れたのか、こちらにやってきて絡んでくる。

 首に腕を絡め、酒を飲んでいる。上機嫌なようだ。


「汗を沢山かいたから、酒を飲みすぎないでね?」

「大丈夫よ。お酒は友達、そう……友達だから」


 止めてね? その発言、ブーメランと化して自分を抉っていくから。

 しかもその投げた直線状には自分も居るので、心当たりがありすぎて巻き添えでダメージを食らう。

 酒に入り浸って「酒だけが友達……」とか言って、マックスペイン宜しく溺れていた。

 酒を飲んで酔っている間は現実から乖離していられる、現実味が薄れた中で思考も鈍磨しているので半ば夢見心地で居られる。

 

「なんか、マリーが言うと重い……」

「アンタも似たようなもんでしょ。屋敷じゃ毎日飲んでたじゃない」

「まあ、否定はしない──と言うか、何気に人が隠したがった事を幾らか知ってるね」

「何でもは知らないわ、知ってることだけ」

「──それは自然に出た言葉だと思っておくよ」


 見ればフアルは大タケルに絡みに行ったようだ。

 気遣いが出来る男と言うかなんと言うか、さり気なくマリーに席を譲って彼女が座っていた席に移動している。

 もてるんだろうなとか考えながら、地味に私生活どころか部屋までかき乱した屋敷の皆が恋しくなった。

 とは言え、既にカティアには負担をかけすぎている。これ以上の通話は彼女の時間やあり方に制限をかけてしまいかねない。


「考え事してる表情ね」

「屋敷の皆の事を考えてた。騒がしいとも振り回されているとも言えた数週間だったけど、それを恋しく思ってたところだよ」

「アンタにそんな感情が芽生えるとは思わなかった。てっきり──」

「てっきり?」

「一人でも、どこでも大丈夫そうな気がしてたとこ。下手に人に交わるから辛くなる、親しくなるから考えることが増える。アンタは私と同類だと思ってた」

「マリーにとってアイアスとかが気安く、あるいは気兼ねなく接することが出来る相手だとしたら、俺……じゃなくて、自分にとっては学園で出会って出来た関係がそうかなあ」

「俺って言うなら言いなさい。けど──まあ、何と無く分かるかしらね」


 そう言いながら、酒のお代わりが運ばれてきた。

 見ず知らずの同行者に対して遠慮がなさ過ぎだろと思いながら、面子を立てるためにも黙っておく。

 ただ、財布はいつでも出せるようにしておいて、何か有れば「うちのマリーがすみませんでした!」と謝罪するしかない。

 改めて乾杯とか言われながら、杯を重ねた。


「けど、アンタの人生って本当に波乱万丈と言うか、常に何か障害が有るわね」

「いやいや、まったまったまったまった。国境沿いの関所近辺で騒動が起きて、その影響で通路が物理的に潰れるのは……自分のせいじゃない」


 大タケルが得た情報で、衛兵が知らせてくれたことだった。

 どうやら先日、自分がゲロを吐きまくっている裏で騒動が有ったらしい。

 その結果、大きな争いとなり、関所が損壊し通行が不可能になるまでになったとか。

 二日か三日の足止めになるらしく、それまでは大人しく待つしかないだろう。


 ロビン経由でその情報が聞こえても良いとおもったけれども、そもそもあちらは既に国境越えを果たしてしまったらしく知るのは幾らか遅れたことだろう。

 カティア経由でその事は既に伝えており、これだけでも五日から一週間は遅れてしまう。

 もうどうにでもな~れ♪ そもそも船が沈んだ時点で話がおかしいんだ、これで問題にするやからが居たら頭にウジでも湧いているに違いない。


「じゃあじゃあ、明日は魔法の研究と開発に付き合いなさい」

「そもそも予定が皆無だから、それでも良いけど。こう……何か、方針とかくれない? ただ付き合えって言われても、なんか忙しいのと欠伸漏らしてるのとで半々だからさ」

「それは──寝ながら考える」

「寝てるんじゃ考えて……いや、なんでもない」

「そうそう。だんだん私との付き合い方も分かって来たじゃない」

「分からされてるだけなんだよなぁ……」


 犬だって怒られたり痛い目を見れば学習するように、自分だって学んで覚える。

 女性ってこんなもんなん? テレビで「男は浮気して当たり前」とか「学生時代に恋人が居ないと異常者~」見たいな主張も、何だか良く分からなくなってきた。

 浮気や二股三股する度にマリーレベルでアグレッシブな相手と付き合ってたら、身も心も持たないぞ……?

 やっぱり女性と付き合える男ってのは強いんですね、よく判りました。


「と言うか、マリー。あの二人と初対面なのに仲良さそうだけど、気のせい?」

「え? 気のせい気のせい」

「一枚壁と言うか、線を引いて揺らがない感じで他人と接してる感じがしたけど、フアルに振り回されてるというか、踏み込まれてる感じだし」

「あの子は……こう、無邪気すぎるというか、考えが読めなくて。身構えたり、踏み込まれる前に何かしようとしても、上回る速度で襟首咥えられてると言うか……」

「本能的に、或いは狩猟的にそうなるのかなあ。まあ、何でも良いよ。こっちも色々教わってるし、知り合いは一人でも多くなれば良いし、その結果知ったり学んだりすることが増えれば更に良い」

「アンタのそういう強かな所は良いけど、相手によって面倒を抱え込むのはどうにかしなさいよね」

「今の所おんぶにだっこで世話になってるだけだって……」


 フアルが一緒になってから、食事に関しては全て彼女が請け負ってしまった。

 今日の夕食も彼女は作りたがったが、到着が遅かったことからそれは断念された。

 結果、部屋を取るのに時間を食ってしまい、そのまま食事を酒場で取る。

 関所の関係もあり、部屋を取るのに苦労してしまった。

 今回は大部屋は取れず、それぞれに別になってしまう。


「けど、目的もなく強くなるなんてね」

「目的ならあるさ。今の所自分にはそれが武器であり、それしかないとも言える。それに──ミラノには護衛として、騎士として強さを求められる方向に一歩踏み出してる。それに、英雄殺しの件もある。無様だった、情けなかった、それが嫌だった──それだけでも理由にはなるさ」

「なら、あのチンチクリンなご主人様の為に強くなるって言えば良いじゃない」

「それは……何と言うか、違う気がする。いや、変な事を言ってる気がするんだけど──」


 もっと、大きい物の為に働きたい。

 それはかつて自分が自衛隊を目指した理由の一つでもあり、そして今でも自分の中に残っているものだった。

 自衛官は──兵士とは、国の為に自分を差し出しているが為に最も尊敬される存在である。

 警察官でも良い、消防士でも良い。けれども、彼らは最も辛く苦しい時にこそ立ち上がる。

 自分の生まれた国や育った国への愛、或いはそこへ住まう人々への愛。

 一人一人が報われる事は無く、或いは自国や家にすら戻る事が叶わない事だって有るだろう。

 

 それでも──愛するモノの為に尽くし、働き、戦う。

 それに勝る誇りを自分は……俺は知らない。

 何も無ければそれでも良い、何か有ったとしたならば愛するモノの為に武器を持ち立ち上がる。

 道半ばで倒れたとしても、自分が敵を一人でも多く殺し、仲間を一人でも救い、国の為に尽くせたことがそのまま生きていた意味に繋がる。

 


 ──ただ、定年退官するまで尽くすか、戦争になって短期的に役割を果たすかだが──


「……どっかで、まだ自分が居た国のことが忘れられてないんだろうなあ。だから、国に尽くすという事が忘れられなくて、だからと言ってヴィスコンティだのなんだのに尽くすつもりになれないって言う」

「面倒くさっ」

「自分でも分かってるよ。それ含めて、昔の生活からまだ脱却出来てないって事なんだろうけど」

「こっちに来て、どれくらいだったかしら」

「まだ一つ──月が巡ったくらい、で通じるかな」

「一月って言っても私達は通じるけど。けど、まあ。そんなものかしらねえ。私には仲間が居るし、目的もある。けどアンタには仲間と言い切れるものは向こう側、目的は宙ぶらりんで──シャボン玉みたい」

「シャボン玉ね……」

「馬鹿にしてないからね、言っておくけど。見た目は綺麗だし、空に浮いていくときもあれば地面に落ちていくときもある。空に吸い込まれて神に召される事も有れば、それが叶わずに弾ける事も有るっていう例えなんだから」


 そういったマリーは笑みを見せた。

 頼もしいというか、普段は勝気なんだか色々考えてるのか分からない顔をしているが、こうやって会話をしていると普通に女性……というか、今の見かけで言うのなら女の子っぽく見えた。

 悪戯を思いついたような表情──あるいは、良い例えだったと自分で思ってるのかもしれない。

 

「けどね、知ってる? シャボン玉って、割れない様に出来るのよ?」

「冷やせば氷になって、冷えている間は綺麗で脆い球体になるのは知ってるよ」

「それだけじゃないの。凍らせていくと、まるで木の根っこみたいなものがアチコチで出来ていくのよ。大きくなって、ぶつかり合って、その上にまた新しい根が出来ていく──。人の歴史と似てる」


 そう言ってマリーは優しい顔になった。

 ……なんだ、そういう顔もできるんだ。

 そう思いながら、恥ずかしくなって顔をそらす。

 代わりに思い浮かんだのはミョウバンの結晶の事だった。

 なんだっけ、ローマ帝国が水に使ってたとか聞いてたから有りそうなものなんだけど……。


「マリー、近い。酒を飲んでる席で、不用意に接触しないでくれると有り難い」

「あんでよ」

「理性が低くなってるからです。それに、また君は俺と同部屋主張してるんだから、慎みを持ちなさい。普段は意識しないか理性が堅牢だから良いけど、酒が入ってるときはふと色々考えるし軽はずみになるから」


 別に鉄壁の理性だとか思ってないし、自分が無欲だと思ってない。

 意識しない事でそもそも昂ぶらない、昂ぶっても理性が劣情を押さえ込む。

 劣情の上には色々な”厄介ごと”が待ち受けているので、そうそう突破は出来ないだろう。


 脳裏に”デキ婚”だの”起訴”だの”賠償金”だの”男はATM”だのと色々なネットやテレビで飛び交う単語が銃弾や砲迫のように飛び交っている。

 頭を上げれば蜂の巣かペーストか、或いはミンチである。


 それでも、だ。一時の気の迷いと言うのは絶対に存在する。

 気の迷いで何度か失敗してきたし、その失敗で個人的に気落ちしたことも少なくない。

 どんよりとしたものを思い出して、酔いが幾らか覚めてしまった。


「まあ、派閥……じゃないな。目的的には良いのか、これで」

「そういうことね。それに、組み合わせ的に同性同士にしたら何か有ってもお互い弱いじゃない」

「?」

「私は遠距離なのに、近距離で強いファ……フアルと同室。アンタは一応何でも出来そうだけど、近距離で勝てる?」

「勝てない……」


 以前見せてもらったあの技、全く持って糸口が見えない。

 一太刀目がどこを狙って一閃したのかさえ分からないのなら、対峙すべきじゃない。

 そもそも刀を収めたにも関わらず、こちらを向いた瞬間に自分も同じようにバラバラにされる錯覚さえ覚えた。

 あんな強い人と同室? もし取り押さえでもされたら叶わない。

 そういう意味では、自衛官って多少なんでも出来るけど、技術では劣るんだなと思った。

 まあ、刀剣は使わないんだけどさ。


「そう考えると安心できるんじゃない?」

「身の危険的には安心したし、なんか酔いが醒めたから大丈夫な気がしてきた」

「じゃあ、もう一杯いけるわね。ねえ、お代わり欲しいんだけど~!」


 なんて、マリーは言い出す。しかも自分の分まで含めてだ。

 いけるかな……? そう思いながら、手元でまだ七割も残っている酒を見やった。



 ~ ☆ ~



 頭が痛い、ゲロ吐きそう。

 そう思いながら机に突っ伏している自分が居る。

 傍にはアーニャが居て、ここが睡眠中に来た亜空間だという事を周囲を見て理解する。


「お酒は飲んでも飲まれるな、ですよ? グビグビ飲むとそうなるのです」

「飲みニケーションって物がですね……」


 あのあと、マリーに酔い潰されるまで付き合わされた。

 何度も悪い事を体験してくると、自分がどのような状態なのかを理解する能力にも長けてくる。

 インフルエンザかな? と思えばインフルエンザであることも多い。

 同じように「飲みすぎかな?」と思えば、実際にそれは飲みすぎである。


「はい、お水です。これを飲んで、スッキリしちゃって下さい」

「こういうとき、酔い覚ましとか神の加護とか使ってくれないんだ……」

「イカさんに剣を突き刺してそのまま行方不明になった人にはこれで十分だと思いますが、どうでしょうか?」


 そう言われてはぐうの音も出ない。

 傍に若干感情を篭めて置かれたコップを掴み、水を飲むと再び突っ伏した。

 夢の中にまで酔いが引きずられるとは……。


「──ロビンとかアイアスとか、ヘラとは一緒に居るの?」

「はい。良くしてもらってます。ヘラ様が同じ聖職者なので配慮していただいてますし、アイアス様やロビン様も道中危うい所を助けてくれました」

「クロエさんは?」

「クロエ様もビクビクしながら一緒ですよ? アイアス様やロビン様が活躍されている時もプルプルされてますし、ヘラ様がウルフを殴り倒した時は卒倒してましたけど」


 バターン、きゅ~って。

 擬音の混じった会話で緊張感が伝わらないが、クロエはフランツ帝国の人だもんなあ……。

 自分のような名乗るのも言われるのも恥ずかしい生きた英雄に対しても一歩下がるんだから、かつての英雄が傍に居るというだけでおっかなびっくりだろうし、その強さを前にしたら卒倒も仕方が無いか。


「それで、何で逃げ遅れたんですか?」

「いや、その……。剣を部屋に忘れて、それを取りに行ったらお船真っ二つ。落ちたさきにクラーケンが居たし、脱出した小船にも触手伸ばしてたし、高すぎて着水したら死にかねなかったから色々なついでで真っ二つにしただけだよ」

「海に沈んでたら蘇生も大変ですしねえ」

「──……、」


 あの、もはや「死んでも生き返らせるのが当たり前」ってなってますけど。

 自分の意志は尊重してくれなくなったんですかね? まあ、今の状況で生の放棄はしないけど!


「けど、私は貴方様に言わなきゃいけない事があります」

「もう怒られるのは嫌だなぁ……」


 そう呟くと、すぐに「違います」と否定された。


「──何事も、他人事であれば言うのは容易いって事を思い知りました。そして同じくらいに、私は幾つか貴方様に謝罪をした上で、今回の事を感謝したいと思います」

「……どゆこと?」

「私は今まで貴方様の行為を、結果として自身を大事にしない行動を注意してばかりでした。けれどもそれは、貴方様の”どうしようもなかった”と言う可能性を忘れ、そして救われてみると決して小さな活躍ではなかったと知ったのです」

「あぁ……そっか、そうだった。今回は──アーニャは近くで見てるんだった、忘れてた」


 今まではアーニャは現場に居なかった。

 だから口で色々言っても結果的に怒られることが多かった。

 しかし、今回は現場の近くに居たのだ。

 他人事じゃなく、自分の出来事として今回の件を受け止めているということだろう。


「恥ずかしいですが、私は貴方様のしてきた事を聞いて理解したつもりで居ました。しかし、実際に問題に巻き込まれると──意外となにも分からないし、その上時間と言うのは無いものなんですね。それを考えると、幾つかの事は仕方が無いのかなと思えるようになりました」

「──まあ、今回はクラーケンの上に居たのはただただ偶然だったんだけどね。それに、幾つかの出来事では……始まりにおいてはその通りだったかも知れない。けど、常に──選択はしてきたつもりだから、怒られるに値することをしてきた。魔物の襲撃の時も、もっと──死なない方法もあったはずだし、マリーを助ける時だって……死に掛けずに済んだかも知れない。そうしたら──自分の頭をぶち抜く事も無かっただろうし、今回も剣を取りに戻らなければ離れ離れにならずに済んだかも知れないんだから」


 我ながら面倒臭いと思う。

 負われれば逃げるが、逃げられれば負うような天邪鬼っぷり。

 批難されれば正当性を訴えるが、正当性を認められると悪かった箇所をあげてしまう。

 昔はどうだったかなと思い返すが、昔もこんな感じだった気がする。


「それに関しては、私も頭ごなしに否定したり抑え付けるのは良くないと反省したんです! あ、でも自殺だけはダメです。あれはダメダメのダメなので、次やったらペナルティです!」

「分かってるよ。好き好んで自分の頭吹き飛ばした訳じゃないから──」

「”仕方なく”と言うのもダメです!」

「さっきの話と矛盾しない?」

「結果と手段で違うじゃないですか!」


 そこに気付くか……。

 自殺紛いな作戦に身を投じるという”結果”と、自殺する事で次に繋げるという”過程”。

 どちらも自殺に違いないだろうけど「避けられるかも知れない」という前者と「避けては通れない」後者。

 「考え方や情報、努力などによっては死が回避できただろう」と思えるので誤解しやすいし、させやすい。

 だから言葉遊びのように、幾らか騙せないだろうかと思ったけれども無駄だったようだ。

 しかし──


「アーニャはさ、今回船が襲われて沈むという事は予想できた?」

「いえ、予想できませんでしたが……。それがなにか繋がるのでしょうか?」

「同じだよ。船が沈められたのを、多くの人は『なぜ予想しなかったのか』と責める可能性はある。それと同じくらいに、魔物が襲撃を仕掛けてくるとは思ってなかったし、誰かが誰かを殺そうとしていた現場に居合わせるだなんて誰も想像しない。そして──こういう言い方は卑怯だけど、体調が悪いせいでそもそも抵抗や協力すら出来ない。命は投げ捨てるものじゃないってのは分かっていても──もし、あの時ああしていなかったら、たぶん剣を取りに戻ることや、真っ二つになった船から脱出することも、剣を抜いて突き刺そうとかも出来なかっただろうし。下手したら今頃海の底だったかもしれない」

「──それは、後で言える”正当化”です!」

「チェス版を……じゃないな、発想をひっくり返してごらん。それが認められないのなら、全ての失敗は認められないことになってしまう。不寛容な事を、女神が──神の代理人が言うの?」

「だからこそ、厳格で、誠実で有ろうとするともいえます!」


 話が平行線になった。

 結局、自分はまた自分の行いを正当化しようとした。

 そしてアーニャはそれに反発している。

 自分はすぐさま右手を掲げるが、同じタイミングで彼女も同じように右手を掲げていた。

 

「「この話は終わりで」」


 どうやら考えた事は同じようだ。

 結局頭が痛くなり、二日酔いのような症状が巡ってくる。

 しかし、机に再度突っ伏していると急に症状が軽くなっていくのを感じた。

 ふと見ると、不承不承といった様子のアーニャが居る。


「はぁ、手間がかかる方ですね」

「──……、」


 手間をかけないで、生きてると言えるのだろうか。

 そういいかけたけれども、世話になっている側の言うことじゃ無いと口をつぐんだ。

 彼女にとって自分は世界に存在するうちの、転生者の一人でしかない。

 他にも色々やる事があって、知らなきゃいけない事があって、一握りに食い込んでいるだけに過ぎない。

 楽にはなったけれども、だからと言ってテンションまで直ぐに戻るわけじゃない。

 机に突っ伏したままで居ると、何かが机に叩きつけられて驚いて跳ね起きた。


「さあ、楽しい話をしましょう! 貴方様が生前参加された最後のイベント、夏コミのカタログと言うのを入手してきました!」

「あぁ、それは……お疲れ様」


 三月ほど前だろうか? 夏のコミックマーケットに参加したのが最後だった。

 特に大きなこだわりも無く、基本的に「お散歩」と言った感じで全てのスペースを眺めて、目を惹いたら買うくらいの大雑把さだ。

 中には知り合いやネット上で交流がある人物も居て、その人達が参加すれば買いには行っていた。

 ただ、名乗りもしないし挨拶もしないステルス購入なのだが。


「これを見ていると、何だか楽しくなってきます!」

「サークルカットって、その狭いスペースに技術をつぎ込んでるからそれだけで面白いね。何を見せたいのか、どういう風に魅せたいのかって作り手の事を理解できる気はするし」

「そういえば、コップとかズボンとかが映ってるのはなんなのでしょうか?」

「作品のキャラクターをプリントしたモノを売ってるんだよ。ほら、テレビやネットで見る服があるだろ? アレに似たような物を売ってる。コップとかも似たようなものだし、中にはガラス盾を販売してる猛者も居る」

「ガラス盾……? あの置物みたいなものですか?」

「そうそう。しかも高いんだ、アレ。散歩でチマチマ色々買ってたらラスボスに遭遇した感じで出会っちゃうと涙目になる」

「どうしたんですか?」

「一度……帰りの金も使い果たして、家まで荷物背負って五時間かけて歩いて帰った事がある。いや~、ビッグサイトのある場所ってちょっと高いんだねえ。帰り道は下りっぽくて楽だった──うん、楽だったよ」


 師団検閲よりは楽だったが、連続行動は地味に辛い。

 恥ずかしい話だけれども、コミケの前日は大抵眠れないことが多い。

 そのまま吉野家で朝食を摂って始発で会場まで向かい、既に出来ている列に加わって開場までひたすら待つ。

 後は気が済むまで──或いは終わりまでずっとローラー作戦で縦に往復して一列ずつ全部のスペースを見ていく。

 当然ながら昼飯なんて食べてる余裕は無い。

 そうやって背負ったバッグが重くなっていくのを多少の幸福と誤解しながら、帰路に着くのだが──。

 寝てない上に猛暑の中休憩なしで午後までずっと歩き通し、その上五時間もかけて家まで歩いて帰るだなんて馬鹿のすることだ。

 その馬鹿は誰かと言えば自分なのだが、都心……都内住みでよかったと思う。


「な、なんだかよく判らないですが。そこまでする意味はあるのですか?」

「え? コミックマーケットって、とどのつまりは全員が何かしらの”主張”や”発表”をする場でしょ? 一つでも多くかき集めて、一言でも多く脳に叩き込んで、ほんの僅かにでも人生に色がつけば良いじゃん」


 ただの娯楽として終わらせるのは悲しすぎる。

 何かを表現したい、主張したい、見て欲しい。そういう物の筈だ。

 だからこそ何かしら自分の一部となり、血肉となってくれれば良いと思いながら買っている。

 まあ、当然ながらガラス盾は一発勝負のようなものだけれども、それを凄いと思って傍に置いておきたいと思わされたのだから良いと思う。

 それに──ふと、家の中を見回してみたら自分の物が何にも無いというのも気になりだしたのもあったが。


「自分に無い考えを知るという意味でも面白いし、表現と言うものは見て居るだけで楽しいよ」

「なるほどなるほ──ど」


 不意に、彼女の声がぎこちなくなった。

 何だろうなとページをつらつらと眺めていたら……まあ、そういうのも有りますよね。

 成人向けコーナーというか、もはや規制用のモザイクや黒棒、或いはれっぽい表情などが羅列されている場所へと突入してしまっていた。

 パタムとカタログを閉ざし、机の上を滑らせて若干遠くへと追いやった。

 彼女の顔が高潮して、フリーズしているのが見て分かる。


「──言っておくと、そういう場所もあるから」

「早く言って下さい!」


 初心だなあと思って微笑ましく思っていると、彼女が頬を押さえながらこちらをキッと睨みつけてくる。


「貴方様は慣れてるのかも知れませんけど!」

「まあま、落ち着いて。ただの絵や漫画だから」

「だとしても……うぅ」

「そうやって思考や行動が止まった時、より酷い事ややばい事を思い出せば直ぐ立ち直れるよ」

「貴方様は──あぁ、色々そういうのは事欠かなさそうですね」

「言っておくけど、ちょっと前までならピュアボーイ過ぎてエッチな事考えたり絵を見るだけで鼻血出してたから、それに比べたら成長したと褒めて欲しい」

「何年前の話ですか?」

「五年前かな……」


 遠い目をして答える。

 富士野営などでからかわれる度に、妄想逞しく鼻血を流す隊員が居るとしたら自分だ。

 演習場整備で鼻血を流しすぎて衛生の世話になった事は恥ずかしすぎて死にたくなる。

 海外育ちで、性に関しては日本よりも進んでるはずなのに、それにすら遅れている自衛隊員。

 ……曹長、頼むんでオブラートに包んで下さい、お願いします。

 

 まあ、そんな俺でもニコニコサイトで変態糞土方とかネタで聞いて笑ってるから既に末期である。

 もちろん本編は見てないので完全にネタだが、汚れる時は一瞬でどこまでも汚れるんだなと思った。


「もしかして、貴方様──家に沢山そういう本を持ってるのでは!?」

「はっはー、残念でした。面白いと思うけど、一冊も買った事は無いよ」


 押し付けられたのは処分したはずだし、物的証拠と言うか─―簡単に見つかるようなものを持って置く訳が無い。

 じゃあエロに興味が無いのかと問われたら、ネットをする人が良く耳にする『HDDを処分する』と言うワードで理解してもらえるかも知れない。

 ――……あれ、俺。死んだ後PCどうなった?


「アーニャ、ちょっと緊急の要件が出来たんだけど良いかな」

「は、え!? なんでしょうか!」

「今すぐ日本の自宅に送って欲しいんだけど」

「理由はなんなのですか?」

「パソコンのデータを抹消するか、パソコンを破壊する」


 少し、忘却するには多すぎる恥を置いて来てしまった。

 デスクトップには一応「何か有った時読んでください」というタイトルのメモ帳を保存してあるので、弟か妹が見てくれているかもしれない。

 パソコンは付けっぱなしだったし、見てくれているはず。

 ……ウィンドウズアップデートで再起動されていたり、何かしらの原因で電源落ちてたらどうしよう。

 見て無かった場合、そのままパソコンを腐らせておくのならまだ良い。

 けれども、もし「譲る」とか言い出したら? 数多の性癖が秘匿されたまま出荷されるのだけは避けねばなるまい。

 なんとしても!


「そんなの、急すぎます!」

「黒歴史が一杯詰まってるから何とかしたいの!」

「じゃ、じゃあ私が何とかしてきますから! あれ、なんでそこで『ないわ~』って顔になるんですか!?」

「『俺が死んだらDドライブの中身は見ないで削除して下さい』って言葉が分かるまで調べてらっしゃい?」

「なんか、釈然としませんが……」


 アーニャ、トテトテと自分のパソコンに向き合う。

 そして背中からでも、首をかしげまくって色々と考え込んでいるのが分かる。

 「え~っと?」とか「ん~……」とか色々言っている、独り言が激しい。

 暫く彼女なりに色々調べ、考えたのだろう。

 ディスプレイの電源を落として戻ってきた。


「あの、貴方様。一つご質問が」

「なにかな?」

「消去して欲しい程に見られたくないものが、Dドライブに有ると?」


 その質問に即答できず、しかも目が泳いでしまった。

 違うんだ。Dドライブの大半はゲームなんだ、SteamだとかOriginとかのゲームで一杯なんだ。

 ただ、ほんの……ほんと~に少しだけ、エロが混じってるだけなんだ。

 四TbあるHDDが既に八百Gbしか空き容量が無い。

 え? いや……ホラ。エロゲもそうだけど、アンインストールできない性質だから。


「──私一人で見てきますね?」

「止めて! 後生だから死刑宣告して去ろうとしないで!? 個人の尊重! プライベートとプライバシーの尊重!」


 立ち去ろうとするアーニャにしがみ付いてズルズルと引きずられながら説得するしかない。

 暫くしてアーニャは諦めてくれたようで、本当にふっかいため息を吐き出した。

 そしてどこはかと無く白い眼と言うか、細められた目がこちらを見下ろしている。


「不潔です!」

「そ──」


「言いたい事は分かるので言わなくて良いです! 人の本能がどうとか、欲がどうとか、他人に迷惑をかけてないとか言い出すのですよね!」

「ああ、うん。まあ、その通りじゃん?」

「一つお聞きしますけど、生身の相手は居なかったんですか?」

「居たらもうちょっと明るく楽しい人生を送っていたと思うんですが、それは……」


 脳裏に数名”好きだった”という過去の女性くらいなら思い浮かぶ。

 しかし、その全員が彼氏がいた事実や結婚しましたという連絡を受けた事実が終止符を打った事実として認識させてくる。

 立ち上がり、それでも白い眼を向けられているのに対して頬をかいてしまう。

 しまったと思ったけれども、ミラノやマリーじゃないので大丈夫だった。


「現在進行形で彼女居ない暦がそのまま年齢ですが何か? そこらへん転生に選ばれた相手のカルテと言うか、情報に掲載されてないの?」

「簡単な情報くらいは分かりますけど、詳細は──。というか、前任者がそこらへん大分引っ掻き回したみたいで、情報収集能力やその精度と言うのがイマイチなんですよね……」

「どれくらいなのか良く分からない」

「STALKERでエイムして撃った銃の命中精度と、放射能汚染の為にウォッカを飲むようなものです」

「──精度はクソで、しかも眉唾って事ね」


 というか、判る人にしか判らない例えを持ってくるんじゃない。

 腰ダメで撃ってるのかと言わんばかりにばらけるエイム中の弾、放射能に汚染されて死に掛けていてもウォッカを飲むとなぜか除染されるという驚きボディ。

 RADアウェイを飲むほうがまだ理解できる、そんな自分はFallOutな世界を想像した。


「アーニャは良いかもしれないけど、自分は一応欲に塗れた人間ですよ? エロだけじゃなくて、普通の商業や一般誌を読んで夢想したり憧れたりする事は有るし」

「ハーレムですか」

「ハーレムは確かに良いかもしれないけど……って、頬を膨らませて怒らないで!?」

「煩悩魔人さんです! 欲望に穢れた落し子です! 良いですか!? 幅広く与える無償の愛は良いですが、幅広く愛されたいというのは欲が過ぎます! 愛されたいというのはですね──」


 親和・依存欲求。援助傾向。排他的感情。

 まあ、そんな事をクドクドと説かれてしまった。

 一応そこらへん理解してるんだけどなあと思うのだが、そのたびに「ちゃんと聞いてください!」と突込みが入ってしまう。


「あの……一応愛に関してはキリスト教徒としても、文系であるということや偉人だの名言だので多少理解してるんだけどさ──」

「なら、私が何を言いたいか判るはずです! 愛は一人にのみ注ぐものです」

「家族愛とか──って、言ってる場合じゃないか」


 彼女なりにスイッチが入っているのだろう。

 ここで抵抗しても無駄だと早急に諦めておき、体力と精神力の温存に努める。


「そう、ご自分をしっかりと見てくれている相手に、そして愛に気付くべきです!」

「そうだなあ。そういう意味では、アーニャには大分見てもらってるし、愛されてると言えば愛されてるんだろうなあ……」


 アーニャも元々人間で、死後女神になったと聞く。

 と言う事は、純粋無垢と言うか──言うなれば人として、或いは魂的に綺麗な人なのだろう。

 性善説を信じてそうな子だ、そりゃハーレムを不潔だと思うだろうし、尽くしたり無償的な愛を好くだろう。


 しかし、そうやってアーニャが凄い奴であり、自分のような人物とは格が違うんだと思っていると、なにやら様子が変わっている。


「いや、そんな。愛してるだなんて──。けど、その通りなので否定はしませんが……」

「あの、アーニャさん? もしも~し……」


 アーニャが遠い世界に旅立ってしまった。

 彼女が戻ってくるまでクネクネさせておく事しか出来ず、評価を高めたのは錯覚だったかなと思い始めてしまった。

 


 まあ、自分の命を最大限安売りして最大の利益を得ようとして、その結果何度も死んでる上に改善しないのだからアーニャの愛は相当深いのだろう。

 こんな奴「死にたいなら一人で、誰にも迷惑をかけずに、静かに死ね!」と怒られても仕方が無いのに。

 しかも、アーニャに対して崇拝や敬愛をしているかと言われれば微妙だ。

 完全に学校の友達だとか、そういう認識しか出来ていない。

 まあ、学校の友人──中学や高校にアーニャのような子が傍に居たら楽しかっただろうなと思う。

 

 脳裏で、高校時代のときにアーニャが居たらという妄想をしてみた。

 教室で漫画を貸し借りしながら雑談をしているか、携帯ゲーム機を若干振り回しながら遊んでいるアーニャと協力プレイをしている光景が浮かぶ。

 それはそれで楽しいだろう。少なくとも、色々な事をして、自分に出来ない事を常に確認しながら出来るようにするだけと言う。

 知らない事が多すぎて、空転するかのように雑多に知識を取り入れまくったような日常以外にも記憶できたことが増えただろう。

 

 家族以外にも大事なものが出来て居たかも知れない。

 普通に──芽生えた恋愛と言うのも有ったかも知れない。

 しかし、そうはならなかった。だからこそ妄想のし甲斐がある。

 現実の否定、或いは費えた可能性を考えるとも言えるが。


「貴方様?」


 机に肘をついて、笑みを浮かべながら楽しい光景に浸る。

 そんな自分にアーニャの声が優しくかけられる。

 無視するのではなく、その声でさえ妄想の足しにするように少しばかりそのまま溺れる。

 目を開けば状況も時代も違い、関係も違うが彼女が居る。

 ……少しは、慰めにもなるだろう。

 考え事をしていたと謝罪をしてから、いつものようにお茶を飲み、雑談をし、日本語の勉強をしてからゲームで二人楽しく遊びに耽る。

 またねと言えば、アーニャは物凄く勢いよく手を振って「また遊びましょう!」と見送ってくれる。

 長い夜は、亜空間からの退場から暫くして終わりを告げた。

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