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元自衛官、異世界に赴任する  作者: 旗本蔵屋敷
5章 元自衛官、異国へ赴任する
74/182

74話

 お茶の時間の最中にフアルが帰って来て、四人が揃った。

 一泊してから行動すると言う方針も伝えたが、カティアは心配そうにしていた。

 大丈夫だよ、問題ないよと伝えたけれども伝わらなくて。

 それでも仕方が無いかと通話を終えた。


 夕食は凄く豪華にしてみせるにゃ~っ! とフアルは意気込んだ。

 邪魔をしては悪いと言う事で退去する事になったが、大タケルに誘われて俺は魔法技を教わる事に。

 村の近くでは良くないと言う事で暫く歩き、森林近くで行う事になった。

 マリーはどこから持ってきたのか、本を読んでいて顔を上げることさえしなかったがついてきた。


「ヤクモは、魔法を使うときに気をつけなきゃいけない事は分かるかな? 例えば──魔法を武器に纏わせて行使したいときとか」

「えっと。自分を含めて武器などに影響を与えない、近くにいる仲間にも被害を及ぼさない、不要に規模を大きくしない……かなあ」


 二つ目までは前に教わった。三つ目は自分で咄嗟に思いついた事だ。

 武器や自分に魔法を纏わせて、そこから発動させるのであれば規模はそこまで大きくする必要がないと判断できる。

 射撃系であれば自分の居る地形に配慮する必要は無く、ただ計算をすれば良いだけだからマリーのように周辺一帯を更地にするような魔法であっても巻き込まれなければ行使しても良い。

 逆に、自分の周囲の状況に一番左右されやすい近接戦闘時に、地形を常に破壊し変化させ続ける規模の魔法をまとっても仕方が無いのだ。


 その回答で合ってるかなと思ったら「うん、概ねその通りだ」と言われた、よかった。

 大タケルはスラリと刀を抜くと、両手で肩の位置から真っ直ぐに構えた。

 なんだっけ、霞の構えとか言ったっけ? 漫画で見た気がするけど、確かそんな奴だ。

 そのまま大タケルが何かを呟くと、刀が小さくパチパチと音を発しだす。

 僅かな明かりと僅かな減算。雷撃か、電撃に準じる何かを纏ったのだろう。


「今は分かりやすくする為に、事前にこうやって纏わせてるけど──実際にはこんな分かりやすくやらないから」

「自分がやろうとしていること、その目的を明かさない為にギリギリまで隠すって事かな」

「そういうことだね。生物の多くは電撃や雷撃で麻痺に準じた状態に陥るから、一瞬の破壊で勝る炎や鋭い風よりも警戒される。

 魔物も思考能力が無いわけじゃないから、明らかな戦力差を感じると逃げ出したり散ってしまう。そうなると、わざわざ追って殺すのも手間だから周囲であれ知られないのが最善なんだ」


 ……殲滅戦、或いは掃討戦だろうか。

 考えてみれば魔物を相手にしていると言っていたし、そこに”相手が同じ種族”と言う認識は無い。

 言語が通じずとも命乞いだってするだろうし、怯えや逃げもするだろう。

 だが、今の発言からするに『一切の慈悲も無く、その一兵たりとも逃す事はしない』と言った心積もりなのだろう。

 脅威だと認識される事で味方の安全を確保するよりも、一体でも多く敵を片付ける事に終始しているとも言えるかも知れないけど。


 大タケルは武器に纏わせた魔法を収めた。

 そして今度は……なんだろう、逆袈裟が出来るような下段構えになった。

 そのまま少しだけ集中して、その構えを解くと傍に見える木へと対峙した。


「戦いは前兆──予備動作で多少相手の行動を見切る事ができる。逆を言えば、うまく隠した刃であれば、相手の読みごと切手捨てる事ができる」

「──……、」

「さあ、問題。俺が何をしたか答えられるでしょうか──ッ!」


 フと、空間が切り分けられたゼリーのように見えた気がした。

 しかし、そんな訳は無い。瞬きを数度繰り返して、それが目の錯覚だと理解する。

 そのまま二秒、三秒、四秒と経過する。

 大タケルはそのまま構えを解いてこちらを見るが、その瞬間に先ほどの”切り分けられたゼリー”が、射程範囲のように自分に重ねられた気がした。

 嫌な予感──いや、予感じゃなくて確信だ。

 もう何かしているに違いない、小さく息を漏らしたのを音と動作で見逃さなかった。


「相手に動作を見切られたら三流、それでも自分の目的を果たせるのなら二流、一流は動作すら悟らせない。あるいは……動作そのものの意味を常に履き違えさせる」


 そう言うとほぼ同時に、対峙していた木が幾つもの断片と化して崩れた。

 それがただの真っ二つであれば、動作は一度だったんだろうと想像はできた。

 しかし、ガラガラといくつかに別けられたその破片を見るに、二度や三度では足りないくらいに切り分けられている。

 一度斬れば二分割で、それを更に斬れば四等分で?

 八? 十六? 何にせよ、瞬きもせずに見ていて見逃して良い回数じゃない。


 恐ろしさを覚えるけれども、大タケルは切り分けた木をそのまま薪割り台にして、不ぞろいな木々をその上に立てると刀を握ったままにストンと割る。


「あの、タケルさん? 刀って薪を割る為のものでも、ましてや木を切り倒すための物でもないですよね……?」

「ん? ああ、いやあ。斧を借りるの忘れちゃったからさ、仕方が無いよね。それに、薪を作って欲しいって言う人が居たから、集会所の備蓄を補充するついでにね」

「──……、」


 呆れていると、大タケルは「それで」と話を続ける。


「俺が今何をしたか、君には何か予想はついたかな?」

「──残念だけど。予備動作ですら見て取れなくて、気がつけば終わってたという感じだよ。ただ……集中した気配をそのまま向けられた時、自分も同じようにバラバラにされるような”悪寒”だけはした」

「ん? あぁ、なるほど。どうやら”察知”に長けてるのかも知れないね……。目が良いのかな? それとも、目を通してその奥に影響を与えてるのか──」


 ぶつぶつと大タケルは考え込んでしまった。

 何を考え込んでいるのかは分からないけれども、その間も薪を作る作業は止まらない。


「まあ良いや。助言を与えるとしたら、風かな」

「速度……いや、切れ味? 魔法で先に斬っておいて、刃で本切断する──とか」

「残念でした。正解は、自分の動作を遠近法や心臓の鼓動、呼吸に合わせて予備動作を消しただけで、切り返しの際に風の魔法で生じる無駄を限りなく無に近くする事でその動作を消してるだけの──正真正銘、俺の努力と時間が積み重ねた技だよ」


 なんてあっさり言われたら納得するしかないだろう。

 ……それくらいじゃ無いと生き延びる事が出来なかったのかも知れないのか、或いは魔法が使える上で最前線に張り付いているとそこまで武芸達者になるのかも。

 真面目に考え込んでいるけれども、苦笑した大タケルが作業を止める。


「で、魔法の補助を無しで若干ゆっくりやるとこうなるんだ。一、二、三」


 若干ゆっくりでようやく視認で来たが、それでも先ほどの説明の通りに切り返しの際に速度を殺す為に流れが乱れてしまう。

 その”異常さ”が、意識的にも認識させてしまう事になっているのだろう。

 

「俺は速度と技では誰にも負けないと自負してる。力じゃフアルに負けるし、人としては速度も負けるけど」

「──あれ、フアルは人じゃないの?」

「……そうだよ。普段は耳と尻尾も隠してるけど、彼女は獣人族と言う奴なんだ。だから俺たち人間よりも頑強で、力も強くて、素早い。目も良いし、鼻も利くし、夜でも視界が開けてるんだ」

「ふ~ん」


 獣人族……そういうのも居るのか。

 そういえばゲヴォルグのおっちゃんがドワーフらしいし、エルフも居ると聞いたからそういうのも居てもおかしくないのかもしれない。

 ただ、見た記憶は無いんだよなぁ……。


「獣人って、少ないの?」

「え? そうだなあ。元々魔族の一員だったって認識のせいで迫害も受けてるし、ツアル皇国以外では国そのものが認めて貰えてない状態かな。ヘルマン国。人類全てを滅ぼしてこちらの大陸に進出しようとしている魔族から離反して、現在はツアル皇国と協力体制にあるのさ。だからツアル皇国でもそう多くないから、他国じゃまず見ないんじゃないか? それこそ、奴隷とかで連れ出されなければ」

「奴隷、か……」


 どうやら奴隷制は有るらしい。

 そしてフアルとのやり取りや、彼女自身を自分がどう思ったかで考える。

 耳と尻尾を隠せる。多少言動は独特だけれども、人間と何が違うのか?

 なにも、違わないじゃないか。


「──奴隷とか、嫌いな感じかな?」

「いや、必要があれば買うとおもう。その利用法はさて置いても、入手法はさて置いても──奴隷が生じるのは理由があるから、それを悪だと断じて勝手に義憤を抱くのは馬鹿げてるかなと」


 現代において、表舞台に奴隷は存在しない。

 しかし、奴隷では無いにしても人身売買は遠い異国で行われている。

 少年兵なんて一番分かりやすい例で、隣の大国では囚人の内臓を売買している。

 困るから、売る。売る奴が居るから、買う。買う奴は目的があるから、需要がなくならない。


「……義憤でも、怒ると思ったけど冷静だね」

「怒ったって、個人がどう思ったって社会や世界は揺るがないよ。それに依存してる人が居るのであれば、その人たちにとってはそれが正義なんだ。潰したいのなら、こっちも反対派を揃えて戦争をするしかない。今の人類に、内部分裂をしてる余裕があるとは思わないけど」

「──そうだね。俺もツアル皇国でここ数年、毎日戦場生活してるけど、何でヘルマン国以外は他人事のように援軍や支援をしてくれないのか理解が出来ない。頭に来る話だよ。余裕がある時から助けておかなければ、ツアル皇国とヘルマン国が潰れてからじゃ二国を失った上での戦争になる。わざわざ不利になるまで寝込む理由は無い」

「……ありうる一番醜い展開は、ツアル皇国が追い詰められた時に恩を”高く”売りつけるという事を考えている連中が居るかも知れないって事かな。ただ、ヴィスコンティは足の引っ張り合いをしてる、フランツ帝国は外部に興味が無さそうに見えるし、ユニオン共和国は逆に自分たちの不遇を盾に他国しか見てない気がする。まず責めるとしたら、足を引っ張ってる連中だけどね」


 ヴィスコンティの貴族至上主義者を全員ぶん殴る。

 ユニオン共和国が他国を侵略して自分達を救おうとしているのなら武力信仰を叩き潰す。

 フランツ帝国には自分達が外界とは無関係じゃ無いと目を覚まさせる。

 そうでもしないと改善はされないだろう。

 色々考えてから、笑みが漏れた。


「ほんと……」

「『人類ってのは下らない』──ってやつだね」


 大タケルにそう言われてしまい、最近この台詞が先回りして言われてしまう事が多いなと頬をかいた。

 しかし、自分がそう思っているからと特別でも何でもなく、同じような考えをしている人が居るという事なのかもしれない。

 最前線で他国の下らない駆け引きで生死の境目を往復しまくっていれば、自然とそう思える事だろう。

 大タケルが暫く作業を続けるけど、その作業が一段落ついたところで再びこちらを見た。


「さっきの俺の説明で、魔法とは常に攻撃ではなく補佐に使う事でも意味を果たすというのが理解できたと思う。あと俺が知っているのだと、武器に魔力を纏わせて振るった時に飛ばして遠隔攻撃にすると言う方法もあるし、こうやって──」


 刀を逆手持ちし、地面に突き刺す。

 すると少し離れた場所で地面が炸裂し、火柱が巻き起こる。


「間接作用で攻撃するという事も出来るから覚えておくと良いよ」

「──ありがとう、勉強になるよ」

「本当に勉強になってる?」


 そして、講義らしいものが一通り終わった所でマリーが口を挟んでくる。

 タケルは持ってきた縄で薪を縛って運搬が容易になるようにしているようだった。


「役に立つ情報だったんだから、それだけで勉強になるんだよ」

「そう? じゃあ、今の勉強の成果を見せてもらえるかしら」

「突然のご使命だね……まあ、いいけどさ」


 マリーに言われ、剣を抜きながら幾らか距離をとる。

 イメージは完全に様々なゲームの技、特技、奥義、秘奥義から来ている。

 格闘ゲームでも良いし、アクションRPGでも良い。

 ようは、アレを論理的に構築して模倣してやれば良いだけの話なので──。


「よ、っと」


 片手で、魔力を纏わせ、切り離し、飛ばす。

 属性だとかはまだ考えていないので、カティアが魔力その物を攻撃手段に出来るような球体にしていた所から、魔力放出系統の攻撃にしてみる。

 そんなに飛ばなくて良いからと、魔力を抑えてみたら射程は短いけれどもうまくはいった。

 斬撃の後を追うように、真っ直ぐ魔力が飛んで減衰して消えた。

 それを見てから、減衰じゃ拙いだろうかと考えて減衰ではなく一定距離まで最初から最後まで威力を一定に保つという指針を与えてみる。

 そうすると今度は波動拳のように射程限界まで同じサイズ、同じ威力っぽいのが飛ぶようになった。

 それはそれで良いけれども、どうせなら双牙ッ! 的なのも良いなと考えながら剣を収めた。

 振り返れば大タケルは数度瞬きを繰り返しているし、マリーは呆れている所だった。


「ほらね。コイツに必要なのは理屈とか理論じゃなくて『出来るかどうか』とか『やっていいかどうか』だから。そしたら勝手に自分の知っている情報や知識から引用や応用をして直ぐに適応するの」

「いや……うん。制御が早いね、驚いたよ。まず武器に魔力を纏わせるのに失敗するし、逆に魔力を飛ばすというのに苦労する人が多いのに」

「武器は持っている限りは自分の身体の一部だと思えば良いし、飛ばすのは……まあ、武器の応用?」


 とあるゲームで「手榴弾に遠隔投擲用の改良を加え、投げる時にグリップを握りこむ事で手榴弾と安全装置を切り離して遠くまで飛ばす」と言うものがある。

 あんな感じで、振った時に自分と魔力を切り捨てて放出する感覚で行ったら出来た。

 或いは三点スリングのロックを解除するとかでも良いけど……。


「先人の知恵って奴だよ。何も知らなかったら、出来てないと思うよ」

「色々知っているという事は武器になる。それだけじゃ確かに何にもならないかも知れないけど、応用できるのならそれだけでも意味があると俺は思う。満足な状態での行動じゃなくて、不満足な状態の自分と長く付き合って行けるようにね」


 ──あ、最善の状態の自分じゃなくて、最悪の状態の自分とうまく付き合えるようにって奴か。

 実際、補給や支援がある状態の自分じゃなくて、補給や支援が受けられない状態での自分でどうやっていくかを知っている方が役に立つと思う。

 そこらへんはたぶんレンジャー隊員になってしまうのだろうけど……模倣するだけでも何か意味はあるはず。


「そうだ。ここなら安全だし、私にも何か魔法に使えそうな知識を寄越しなさいよ」

「え? あ~、う~ん……。中を空洞にした岩を魔法で作って、その中で炸裂や爆発系の魔法を使うとか。出来れば岩じゃなくて、細かい石を沢山集合させてその中心部で爆発を起こすのが良いんだけど」

「そうすると、どうなるの?」

「爆風を受けて高速で飛翔する石が”散弾”のように周囲の物を傷つける。アレだよ、手榴弾の理屈。ただ、敵味方関係無しに傷つけるし、地形に左右されやすい上に範囲攻撃になるから──」


 説明の途中、遠くで爆発音が聞こえた。

 そちらを見る間も無く、振り返ろうとして頬に何かが直撃する。

 地面に転がってから、飛翔音が幾つも聞こえて「マジでやりますか、このヒト!?」と驚くしかなった。

 不必要な回復魔法を何重にも自分にかけ、体を起こすと近くの木々に細かい石がめり込んでいるのが見えた。

 そうじゃなくても枝やら葉やらがパラパラ落ちてきていて、被害は大分広範囲に及んだみたいだ。


「……範囲、広いわね」

「最大限安全を確保したいなら四十米メートルは離れて使うんですけどね!? と言うか、空中で炸裂させたら更に飛ぶのは分かりきった事なんですけど!!!」


 爆煙の位置を見て、どうやら自分がいった事をそのまま離れた位置の空中でやったらしい。

 けれども、その位置が『破片の届きうる範囲内』だったが為に自分は破片を喰らったという事だ。

 畜生、無駄なダメージを受けた……。


「空中でやるならもっと遠く、逆に相手の軍隊や部隊のど真ん中くらいだったら多少近くても大丈夫だけど絶対距離を離すこと。滅茶苦茶痛かった……」

「アンタ、鼻血が出てるわよ」

「出させたのマリーなんですけどね!?」


 鼻血を拭おうとしたら、それよりも先にマリーがハンカチを押し付けるようにして鼻血を拭ってきた。

 当然、押し付けられた分痛むし、自分でやっているわけじゃないから尚更ダメージが入る。

 ハンカチを奪って鼻血を拭い、その傍らで回復魔法をかけて鼻血を止めるとそのハンカチをしまおうとした。


「ん」

「んって、その手は何?」

「私のお手巾、返して」

「あのですね。鼻血がついたのを返せるわけが──」

「返して?」

「その……」

「返して」


 マリーが迫ってくる。それに圧されてハンカチを綺麗に畳みなおすと、そっと返した。

 本当は理由や事情が何であれ、他人のものは綺麗にしてから返すのが礼儀なんじゃないだろうか?

 しかし、持ち主がそれでも良いと言っているので返すしかない。

 自分の矜持で、所有者の意見にたてつくのは難しい話だから。


「驚いたなあ。今のは?」

「あ~、ただの爆発だと炎、衝撃、圧力を撒き散らすから、その後の戦闘に支障が出る場合がある。これだと破壊自体を抑えつつ殺傷能力を出来る限り維持できる。自分達が地形破壊で迷惑を被るのなら、破壊できない手段を取った上で沢山相手を倒せれば良いし」


 まあ、地雷や防御陣地を破壊して突入しなきゃいけない普通科部隊は多少の地形破壊は無視や無理してでも突っ込んでいかなきゃいけないのだが。

 砲迫で都合よく地形が破壊されなかったり、反攻に備える為の蛸壺になりそうな穴になるわけでもない。

 だったら、常に状況を見て攻撃できる方が良い。


「タケルは避けたんだ、凄いなあ……」

「魔法を使う前兆があったから、嫌な予感がしてね。いや、悪寒と言うのかな? 身を隠すべきだと思ったからさ」


 大タケルはどうやら解説の最中にマリーが何かをすると踏んで逃げたようであった。

 その危機察知能力が羨ましいと思いながらため息を吐く。


「──で、その薪を持って帰れば良いのかな」

「そうだね。大きい方は俺が持つから、もう一つを頼むよ」

「大きい方、ね……」


 どう見ても数倍あるんだよなあ。

 二宮金次郎の何倍でかいものを背負うのだろう? それで歩けるのだろうか?

 そう考えたが、大タケルは問題無さそうに背負った。

 少しばかり唖然としてしまうが、それでもと自分も同じように背負った。

 背負えるような縛り方をしてくれたので助かるが、やはり若干重く思えた。

 当然のようにマリーは手ぶらだけれども、何かを持たせるつもりは無いので特に問題は無し。


「今日の話は覚えといてよ。これから一緒の時は、暇を見て色々教えるから。今の話を基礎にして、その上に積み重ねていくつもりで居るから、よろしく」

「あ~、えっと。宜しく?」


 大タケルが片手を伸ばしてくる。それが握手を求めているものだろうと思ってこちらも手を伸ばしたが、触れる直前になって手が弾かれた。

 痛いし、ショックでもあるけれども──彼の好青年フェイスが見れば余裕が無いくらいに真面目になっていた。

 ……たぶん、反応したという奴かも知れないので追及はしなかった。


「──ぁ、ゴメン。俺……」

「この目、何なんだろうなあ……」


 大タケルが謝罪するのを無視するように、一人呟いた。

 片方のみ紅く染まったこの目は、以前からおかしいとは思っている。

 しかし、夜目が利く、魔法で周囲から見えなくなったマリーを看破する、相手の間合いだの攻撃の範囲を面や線などで視覚化出来る。

 それだけでも大分異状なのに、大タケルが言うには魔の気配がプンプンするとか。

 そもそも、この片目はヤクモやタケルを救出する際の囮になった時に潰されている。

 激痛だった。あの時の感触を思い出すと吐き気すらする。

 しかし、傷だのなんだのは治ったのに目だけが別物になったのが理解できない。

 その上アーニャからは「よくわかんないです」という回答だ。

 あまり良くない気はした。


「ヤクモ、君は……。その目を持っていて、大丈夫なのかい?」

「──さあ。そもそも、大丈夫の定義がよく判らないけど。以前……一度だけ、おかしくなった記憶はある」

「それは──」

「街中で、知り合いが戦ってる幻想を見た事があるんだ。実際には何も無くて、けど自分は気を失って倒れて……。ただ現実じゃないのに、現実のような感覚だった」


 そういえば、と。クロエが死んだと聞かされる前に、変な幻想幻視をした事がある。

 彼女が路地裏で、ヒトを掴んで引きちぎっていた。

 そして血を浴びるように飲んでいた光景を思い出す。

 その後、誰かが乱入してきてクロエが誰かと戦っていた。

 死体ですらお互いに投擲武器のように扱い、白銀の一閃が沢山見えていたのを覚えている。

 自分はなにを思ったのか曲がり角から飛び出して──カティアとアリアが言うには、何も無いのに倒れていたのだとか。


「ヒトが力のみで他人を引き裂いたり千切るとか、そんなのありえないのに」

「自我を失ったとか、意識や記憶が無いのに何かをしていたと言う訳じゃないんだ」

「それは……ない、かなあ」

「嘘。私、今日の昼のアンタを見てたけど、凄い虚ろだったじゃない」

「あれは考え事をしてただけだよ。凄い話しかけられた記憶もあるし、なんか……マリーが凄い話しかけてきてた記憶もあぶへぇ……!?」


 虚ろじゃないよ、大丈夫だよと言っただけなのにその途中でドロップキックを喰らった。

 地面に倒れ伏していると、わざわざ前に立ちはだかって腕を組んでいるマリーが視界に入る。


「食べる時は食べる事に集中しなさい!」

「考え事をする自由くらい、欲しいなあ……って、ダメ?」

「それだったら自分の部屋で一人食事を取るのと変わらないじゃない。皆が一緒の時は、皆の時間。分かった?」

「Aye ma'am《了解》……」


 マリーが「分かれば宜しい」と言いながら手を伸ばす。

 それを掴まずに遠慮すると、無理矢理両手で掴まれて引き起こされる。

 誰だったか……片腕で襟首掴んで無理矢理立たせたのに比べれば非力だけど、薪を背負った自分を両手で引き起こすとか、やっぱり怖いなぁ……。


「ヤクモと彼女は、ずっとこんな調子?」

「被害者担当だよ。振り回されてるし、痛い目ばかりさ」

「嘘ね。私も同じくらい振り回されてるし、私が研究して編み出してきた魔法をあっさりと誇りごと踏み躙った奴の言うことじゃないわ」

「だから、それは自分が凄いんじゃなくて、そこまで色々な人が積み重ねてきた知識や情報があったからだってば。理解してくれないかなあ……」

「直ぐに納得できてれば、私は自分の身体を刻印だらけにする必要も無かったの!」


 そう言ってマリーと言い争っていると、大タケルが噴き出した。

 先ほどの申し訳無さそうな表情でも、仇を見つけたような表情でもない。

 本当に「仕方が無いなあ」と言った様子で、楽しそうにすら見えた。


「俺には二人とも楽しそうにしているように見えるよ。少なくとも、どうでもいい相手じゃないし、嫌っているような間柄でもないように見える」

「コイツが”その他大勢”だったら、国王とかもどうでも良くなるかもしれないわね」

「個人的に、だろ?」

「ええ、個人的によ」

「……二人とも仲イイデスネ」


 マリーが見知らぬ他人と親しくしているのなんて以外だ。

 いや、以外でも何でもないか?

 自分は振り回されてるけど、クラインとちょくちょく話をしていたし、アリアとも同じように会話はしていた。

 ただ一人、ミラノに対しては最悪な状況から関係がスタートしていて、ニコル辺境伯を嫌っているくらいか。

 ……あれ、部屋に引き篭もって一人で居るのを好いていて、魔法のことばかり考えてる毒舌娘って認識がまず間違ってる?

 ──仲間だと思ってたのに!!!


「あれだよ。ご飯を上げると懐かれる、みたいな──」

「私は動物じゃないっ!!!」


 そして大タケルにも見舞われるキック。

 しかし、その蹴りを受けながらも「あっはっは」と言っているあたり、だいぶ大人なのかも知れない。

 ──……、


「マリー。食事が幾ら好きでも、食べ物に釣られてホイホイついていったらダメだからね?」

「アンタも私を子供扱いすんなッ!!!」


 まあ、和気藹々としていると言うのならそうなのかも知れない。

 少なくとも一瞬の雰囲気の悪さは無くなり、そのまま漁村にまで戻る事ができた。

 薪を解いたり、仕分けしていると良い香りが漂ってくる。

 日が沈んできて、夕食の時間が訪れた。

 フアルが酒を買ってきたらしく、食後に振舞われて俺たちは上機嫌になる。

 しかし、アイアスと並んで飲酒好きのマリーは食事を終えるとそそくさと部屋に引っ込んでしまった。

 疲れが抜けてないからと言う事らしい。

 それならなおの事酒の一杯でも引っ掛けてから横になった方が良いのでは無いかと思ったけれども、それに関しては個人差があるから言わずに居た。


「美味しかったなあ……。タケルは普段からこんな食事を?」

「ん? あぁ、そこまでじゃないけどね。ただ、フアルが時々暇を見て作るようにしてくれてるから俺は大助かりしてるよ」

「にゃ~。たまに作らないと料理の勘が鈍っちゃうッからさぁ~。戦いが続くと食べるものも質素になるし、味覚がおかしくなりそうだもんにゃ~」

「酷い時は雨水どころか泥水を濾過して口にしてるし、食べ物が無くなれば保存食か草の根まで口にしてるからなあ。時々自分が人かどうか分からなくなるよ」

「あはは……」


 やっべえ。なんか、自衛隊にいたと言うアドバンテージが、本職最前線の言葉で恥ずかしくなってきた。

 戦争体験どころか、”戦闘”でさえ不満足だ。

 言うなら遭遇戦、散発的な戦いのいくつかに居たと言うだけで、何らすごい事をしていない。

 ──やっぱ、誇れるものが欲しいよなあ。


「あり~? ヤっちん、恥ずかしがってる?」

「いや、その……。英雄呼ばわりされてるけど、二人の体験とかそういった話を聞くと子供が粋がってるみたいに思えて、恥ずかしいなと思ってさ──」

「──始めは誰だってそうだよ。こういう言い回しがある。『これまでの君は、甘い夢に浸りながら徒に人生を送ってきた。しかし、数々の試練に直面し、君はようやく真の人生を歩み始めたのだ』ってね」

「なんか、分かるような──分からないような」

「どんな偉大な理想でも、現実を見ないで抱いたものはただの甘美な夢でしかないって事だよ。多くの困難、多くの試練、そして現実と向き合って初めて理想は実現への一歩が踏み出される。どんな偉大な人物であれ、その一歩目は艱難辛苦に満ちたものだったかもしれない。それでも、この言葉も付与すれば良い。『労を惜しまず真摯に努力しても、結果は必ず運命に左右される。しかし、努力なくして成功がありえない事は、自分が最も知りえているはずだ』とね」

「──……、」


 大タケルの言葉を聞いて、恥ずかしいと思った自分ですらまだ未熟なんだなと思えた。

 沢山の卵が有っても孵るのは一部だけ。

 その一握りの中に入り込めたからと言って、雛であることに変わりは無いと言う事だ。


「英雄と呼ばれている事が恥ずかしいと思うのなら、君はまだ高い所にいけるかもしれない。だって、俺たちの話を聞いて自分がまだ若輩者だと、未熟だと思えるのなら成長の見込みはあるんだから」

「にゃ~。年や身分だけで偉そうな奴は嫌だからにゃ~……。後ろで偉そうにしてる奴よりも、肩を並べてる兵士たちの方が好きにゃ」

「フアル。それは少し言いすぎ。中にはいけ好かない連中も居るけど、たぶん他の国に比べるとだいぶ健全だよ。少なくとも、常に、毎日が戦日和だからね」

「なら、お二人の話をよく聞いて、少しでも糧に出来るように頑張るよ。若輩かつ未熟だけど──もっと、もっと凄くなりたい」


 曖昧な目標、明確ではない目的。

 けれども向いているのが床か空かで言えば空だ。

 そして後ろか前かと言えば前でもある。

 大タケルの言葉を用いるのなら、一歩目は踏み出せていると言うわけだ。

 なら、理想を現実とすり合わせて実現させていく為にやるべき事をする──。

 そこは、どこに居ても変わらない。


「ま、今は飲もう。飲んで、程好く酔って、心地良く眠る。それが一番だ」

「時間があれば、ちゃ~んと飲めれば良いにゃ~」

「──そうだね。合流して、目的地に着いて、それからだ……」


 アイアス達はどうしているだろうと考えながら酒をゆっくり、時間をかけて飲み続けた。


「二人は、何で戦ってるの?」


 素朴であり、訊ねたかった事を酔いに任せて──迷い、踏み込むのを恐れながら……一歩前に出た。

 それに対して大タケルは笑みを浮かべ、どこか儚げに言う。


「──諦めたくないから、かな」

「諦める……、何を?」

「一度失ったものは、取り戻せないと言う事を強く知ってる。失わない為には戦い続けるしかないって理解してるから、俺は──ツアル皇国で戦ってる」

「──……、」

「思い込みが過ぎるとは言われるかも知れないけど。自分にできる事をやった上で生じた損失は、まだ諦めがつく。けどさ、何もしないで失う事を嘆くのだけは嫌だ」

「私も同じかにゃ~。何もしないで居たら殺されるじゃん? だったら、殺されないかもしれない為に抵抗するじゃん? 相手が諦めるまで、それをするだけかにゃ~」

「大した理由じゃないよ。それこそ、俺の勝手な願望や期待、そして理想の為に戦ってるだけ。それを周囲が勝手に都合よく言ってるだけで、俺も──君と何ら変わらない」

「そゆことにゃ」


 だとしても。死ぬかも知れない、痛い思いをし続け、それでも”勝利”を得るその日まで

は小さな勝利と重ね続ける損失の上に座り続けるのは普通じゃやってられない。

 ……それは、自分には無いものだ。

 覚悟とも言えるし、或いは完成した……なにかとも言える。

 ミラノと言う表向きの仕えるべき相手が居ながら護るべき対象は無い。

 国でもない、帰るべき場所でもない、家族が集う家のある地域の為でもない。

 ──つまり、まだ『失いたくない』と思っているものが自分には無いのだ。


「難しく考える必要も、他人と比べる必要も無いにゃ。最初は誰でも小さな一歩から始まるにゃ。それが積み重なって、護らなきゃいけない相手や場所が増えてきたのが私達。ヤっちんは、まだ『誰かの為に』一歩踏み出しただけで、まだ相手も分かってないだけにゃん」

「最初は思ったよりも肩書きに踊らされるかも知れない。けどね、俺は思うんだ。その肩書きを与えられ、周囲がそれを信じている限りは非凡な事をしたんだと胸を張って良いと。その上でどうするかは、自分で考えて歩けば良いさ」

「──了解」


 問いは終わったが、大タケルが静かに微笑みながらこちらを見て居る。

 「もう質問は終わりかな?」と言った感じで、大タケルはこちらを見て居る。

 ……質問をするだけで、踏み込むだけで疲弊してしまった自分はそれ以上問う事はしなかった。

 だから大丈夫と、静かに雑談に時間を費やす。

 アイアス達と一緒の時は騒がしかったが、だからと言ってあの騒がしさが嫌いな訳ではなかった。

 だからと言ってこのしっとりとした時間が嫌いなわけでもなく、楽しいと思えた。

 騒がしいのが好きなのは、一人が嫌だと言いながらも他人に踏み込んでいけない寂しい自分。

 静かなのが好きなのは、大勢で騒がしくするのに若干疲れる我儘な自分。


 火を落とし、それぞれに部屋へと帰っていく。

 そういえば、フアルがなんの獣なのか聞き忘れたなあと考えていると、部屋の中でこの短時間でどうやったのか分からないくらいに目の下にクマを蓄えたマリーが魔導書と睨めっこしていた。

 傍には二つの小瓶があり、その中身はどちらとも紅く、血なんじゃないかと思いながらも踏み込めない。


「マリー? こっちは……飲みは終わったよ」

「え? あぁ、そう。こっちも直ぐに休むから、寝てて良いから」

「何してるのさ」

「前に話をしたけど、使い魔という束縛に関する研究。覚えてる?」

「まあ、そこそこ」

「受肉となると難しいし、ただ単純に相互の契約を消した所で魔力の供給が無くなれば備蓄が尽きた瞬間に消えるのは避けられない。なら、召喚しないでも相互契約を締結する方法とかでも良いんじゃないかと思って」


 マリーがだいぶ難しい事を言った。

 それでも何とか飲み込むけれども、前に話を聞いているよりもだいぶ話が進んでいるように思えた。


「あれ。契約の破棄って難しいんじゃ──」

「それは、相手が論理だとか理屈だとかそういったもので抵抗できない場合よ。魔法の理屈や、契約がどういった論理で相互に結ばれていて、その繋がりを感じながら逆探知出来るような脳があれば”ぶちこわし”をするのは簡単。つまり──どっかの馬鹿が本来の召喚魔法を歪めて枷を足したけど、それを無くす事は”能”さえあれば出来る」

「──マリー、凄いな」

「褒めたってなんにも出ないけどね。ただ、そもそも肉体を保有せず生きているだけで魔力を清算し続ける生者と、存在しているだけで消耗し続ける死者の差は覆せない。それだったら、対等な契約を別人と結んで契約を破棄すれば自由への一歩になるわね」


 マリーの喋っている事は理解は出来ても、それが実現できるのかどうかなんて分からない。

 ただ、口にしている彼女の表情は疲弊しているものの確信めいた何かはあるのだろう。

 自分だったらこんな事を言って最後に絶対「まあ、これは自分の考えでしかないけど」と付け加えてしまう。

 気持ちからして、既に負けてるんだよなあ……。


「対等な契約って、出来るの?」

「さあ、それは実際にやってみないと分からないけど。二重契約なんてやった人はどこにも居ないでしょうし」

「二重契約とか、それはそれで息が詰まりそう」

「相手を選べるって考えれば気は楽になるんじゃない? 自分の目で見て、相手を見定めて、その上で納得して相手に言うだけなんだから。少なくとも、召喚されるまで相手が選べないよりはマシだと思うけど」

「相手の善意を期待するって、それはリスク……じゃなくて、危険じゃない?」

「命を預けて肩を並べ、背中を預けるのに比べれば全然マシだけどね。──はい、おしまい。なに突っ立てるのよ、寝る準備」

「あ、うん」


 よく目が悪くならないなと思って、そういえばコンタクトレンズもしてないんだったと自分を振り返った。

 ハンモックを使ってみるかなと趣味で寝床を決定して、童心にかえったつもりで乗る。

 ゆらゆらと安定しないけれども、寝心地は決して悪くない。

 下手に床で眠るよりは回復するし、撤収も楽で通気性も良い。

 けれども、上着を自分にかけて就寝準備をしているとマリーが幽鬼のように見下ろしているのに驚く。

 感情は無く、表情もフラット。冴えない魔法使いでも育てれば良いのかな?


「なにかな?」

「アンタ、一人で寝るの?」

「止めて! 子ども扱いしないで!?」

「私一人で寝ろって言うの?」

「子供じゃないんだから一人で寝て!?」

「それで私がちゃんと眠れなかったら、アンタ負ぶってくれる?」


 その発言を聞いた瞬間、宇宙猫が脳裏に浮かんだ。

 まるで何も理解できない。あるいは、脳が理解する事を拒んでいる。

 マリーを負ぶって延々と旅をするお荷物な自分を想像し、少し良くても寝ぼけた彼女の手を「この人の手を離さない。 僕の魂ごと、離してしまう気がするから。」みたいに繋いで歩く自分を想像してしまう。

 ……ゲンナリし、ため息を吐いた。

 抱き枕、抱き枕だと思えば良いのだ。

 マリーを自分の上に乗せて抱きしめ、マリーがその上から掛け物を被る。

 ここからが辛いだろうなと思ったけれども、逃避とかをするよりも先に意識が遠のく。

 度の過ぎていない飲酒、何だかんだ落ち着けた安心感や充実感から寝やすかったのだろう。

 それに……抱きしめているとは言え、誰かの心音と言うのは感じているだけ落ち着けた。



 ~ ☆ ~


 朝、だいぶ早い時間帯に目が覚める。

 それでも腕時計を見れば普段通りだし、何だかんだ夢さえ見なかったのでさっき寝たばかりのような気さえした。

 ただ、若干暑苦しさを覚えたのはマリーのせいじゃないだろう。

 ……頭一つ分小さな彼女を抱きしめるようにして寝ている、それだけでも十分異常事態だ。

 けれども、片目で見える明るい世界で、自分に何が起きているのかを把握しようとした。

 マリーは……居る、掛け物をその上に被りながらしがみつくようにして眠っている。

 ハンモックは──なぜか外れている。

 落下したのだろうか? そう思っていたが、生暖かい風が流れているのに気がつく。


 一瞬、この世界に来た瞬間に頭から食われたのを思い出してしまう。

 蛇に睨まれた蛙とまではいかないけれども、ゆっくりとそちらをみる。

 すると、そこには大きなイヌ……いや、狼?

 よく判らないけれども、自分とマリーが身体を預けて眠っていたようだ。

 どうすべきか迷ったが、身体を深く毛皮に沈めてしまっている。

 そこから起きれば気付かれるだろうし、体勢的に身を起こして行動するまでに動けば齧られる。

 というか、どうやって入ったのだろうか?

 少なくとも戸を潜れるほど小さくない、肩か胴体でつっかえるに違いない。

 

 ……いや、そういや猫とか犬って見かけに反して柵をすり抜けたりするから一概にも言えないか。

 だとしても、こんなのが侵入してきたなら村だって騒ぎになるはずなんだけど──。

 そこまで考えて、”コレ”がフアルじゃないかと思い至る。

 それなら外部で見られることも無く、部屋に入ってから獣になったのなら通過も関係なかった。

 生暖かい息は気になるけれども、身動きが取れない以上二度寝に勤しむしかなかった。

 

 ──だから、何も考えずに眠った自分は馬鹿だったのかもしれない──


 目蓋を閉じてウトウトしていると、その顔面に何かが叩きつけられて目が覚めた。

 見ればマリーの拳で、酷い目覚ましがあったものだと嘆くしかない。


「め、目覚ましにしては過激すぎ……」

「離して──離せぇ!!!」


 パニックでも起こしてるのだろうか?

 俺は言われたとおりに離すが、彼女は距離を直ぐにとってこちらを睨む。

 ただ、その表情はパニック……と言うよりも、混乱? 困惑? 

 わなわなと顔を赤らめてこちらを見て居る。

 理解が出来ないと身体を起こしかけるが、何かが絡み付いていて起き上がることが出来ない。

 

 二度寝前、確か大きな狼の顔が言えて毛皮の柔らかさがあったはずだけれども──今じゃそれが見えない。

 頭を動かそうとするけれども、今度は動かす余裕も無いくらいにホールドされている。


「にゅふ~ふ……。おかわりしてもいいのかにゃ~……」

「フアル!?」


 首に絡み付いているものが腕だと知り、動かせる範囲で確認すると大きな獣は居なくなっている。

 その代わりに自分を抱きしめているフアルが居て、やはりあの獣はフアルだったんだなと思えた。


 マリーが魔導書を取り出した、自分は両手を伸ばして目蓋を閉じる。

 そして一言、待って欲しいと言った。

 ……誰もかもが慌てている時は逆に落ち着いて見せろとは誰の言葉だったか、結末は直ぐに訪れはしなかった。

 ゆっくりと目を開けると、頬を膨らませ、プルプルと震えているマリーが処刑執行寸前ぐらいの状態で止まっていた。

 魔導書はペラペラ捲れまくっているし、服の下では身体に刻み込んだ魔法用の刻印が魔力で光っている。

 指を鳴らされたり、起動ワードを言われた瞬間に地獄行きが確定してしまう。


「今、身動きが取れなくて様子が分からないんだけど。どういう状況か、一つずつ教えて?」


 急に動かない、慌てふためかない、周囲の状況に対して異質であれ。

 副班長に教わったんだったかな、確か。

 元々は合コンだったかの話だったけど、それは部隊でも応用できるって流れになったんだっけな。

 一緒になって慌てると余計に場は混乱するから、落ち着いて見せろといわれた。

 ……少なくとも、昔は感情的でもなければ波も今ほど無かったから向いていたんだろうけどさ。

 

「アンタに、フアルが抱きついてる」

「うん」

「フアルが、しかも裸」

「──うん」

「私と言うものがありながら……っ!」


 何か凄い事になってるけど、騒がない、慌てない。一休み、一休み……。

 呼吸を深く吐き出し、ゆっくりと事態を飲み込む。

 それから再びマリーを見る。

 ……おっかしいねえ!?

 普通、ここまで落ち着き払ってる相手を見たらつられて落ち着きませんかねぇ!!!

 微塵にも落ち着きを見せないマリーに若干焦燥感を覚えつつ、どうするかを考える。


「そうだ。タケル呼んで来たら剥がせるんじゃないかな。何だかんだ長いだろうし」


 思いつきでいった言葉だったが、どうやらそれは正解だったようだ。

 あともうちょい、何かしら彼女を説得しなきゃいけない。


「ここで魔法ぶっ放したら、集会所壊れちゃうし」

「──……、」

「そもそも自分とフアルが痛い目を見るだけで何の解決にもならないし」

「……──、」

「これでフアルが魔法受けても起きなかったら自分だけ悲惨だよね? 動けなかったらマリーが負ぶってくれる?」


 数々の言葉が彼女に突き刺さり、それが徐々に鎮静効果となる。

 マリーが何かをするのを止めはしないけど、その一手は本当に最善?

 そういう疑問を浸透させ、思考させる事で短絡的な道を曖昧にし、落ち着かせる。

 ただ、やりすぎると逆効果なので注意。キレたらおしまいなのだ。


「タケル、呼んで来る……」

「落ち着いて、ね? 自分はどうしようもないから、マリーだけがこの状況を打破できる唯一の鍵だから」

「分かってる……」


 不承不承、怒りの矛先が定まらなくなって不完全燃焼になったようだ。

 身動きが取れず、仕方が無いから状況に身を任せる。

 着衣泳と同じで、無駄な力を使って浪費したくは無かったから。

 そう時間がかからないうちにマリーが戻ってきた。

 寝起きとは思えないが、若干顔が赤い大タケルが連れられてきた。


「ほら、何とかして!」

「あ~、居ないと思ったら……。ゴメン、ヤクモ。俺の連れが迷惑かけて」

「何とかなるなら、それでいいよぉ……!」

「それじゃあ、直ぐに剥がすから」


 そう言いながら大タケルは彼女の衣類を広げて着せる準備をし、それをボンヤリと見ていた自分は「目は閉じる!」とマリーに言われて目を閉ざした。

 それで大タケルが何をするのかと思えば「朝食の仕込みの準備が出来てない!!!」と叫ぶ事だった。

 そんなのでうまくいくのだろうかと思ったけれども、それで首に巻きついていた拘束は外れた。

 目を閉じているので状況は分からないけれども、声や音で何と無く判別できる。


「ほら、朝食の準備」

「ん……私だっけ、私だったかな、私かあ~……」

「今日出立するから簡単なので。四人分ね? 俺は片付けと掃除はしておくから」

「わかったぁ……」


 フアルの足音が遠のいて消えていく。

 三秒をゆっくりと数えてから、うつ伏せになって深く深呼吸をした。

 どうやら何とかなったようで、痛い目も見ないですみ助かったみたいだ。


「──マリー、ありがとう。おかげで助かった」

「助かったと言うか、なんと言うか……。なんか、納得できない」

「はは、ごめんね? フアルは。こう……なんと言うか、寝ぼけて行動する癖が有るからさ。最近じゃ大人しくなってたんだけど、久々に見たなあ」

「他人事のように感想を述べてないで、改善案を出しなさい」

「あ~、そうだな~。誰かが不寝番として魔法で拘束し続ければ確実だけど」

「それ、負担が小さくないと思うんだけど」

「だって、獣人の力は人間じゃ敵わないよ。それぐらい俺達は無力なんだ」

「いやいやいやいや──」


 大タケルが一瞬で木を何等分、何分割として見せたのを思い出すと過大評価のように思える。

 けれども、そんな彼がそこまで言っているのだから逆に事実なんじゃないかと思えて──。


「そういえば、フアルが獣状態だったの見たよ。狼なの? 犬なの?」

「狼らしいけど──ああ、だから脱いでたのか」

「なんか凄く大きくて……。たぶん、釣床ハンモックが取れそうになったか……緩んで床で寝てたんだろうね。それで目を覚ましたら大きな彼女に包まれてて、毛皮とかが暖かかったなぁ──」


 生の狼……と言って良いのか分からないけれども。

 狼と触れ合ったのは幼少の頃だ。

 それこそ幼稚園ぐらいの頃の話で、狼に抱きついていたことがあるらしい。

 その写真はアルバムに入っていたが、野性のではないのかも知れない。


「──どうだった?」

「こういう言い方をするのも変かもしれないけど。あの毛皮に埋もれて毎日眠れたら幸せかもしれないと思った。暖かくて、包まれてて……うん」


 一人じゃない、だなんて言い掛けた。

 けれども、誰かの何かの温もりは安心できる。

 実際、マリーを抱きしめて眠った時もフアルの毛皮に包まっている時も安らかだった。

 鼻の頭を弄ってしまい、やっべと思った。

 案の定マリーがその行動の意味を読み取ろうとしていて、直ぐに止める。


「さあ、出発は出来るだけ早めにしよう。後片付けと掃除をして、食事をしたら出発だ」

「そうだね。さあて、整理整頓、清掃っと」


 大タケルに言われ、いそいそと行動に取り掛かる。

 自分と彼が行動を起こし部屋から出て行った中、ポツリと部屋に残されたマリーが「あれ?」といっていた。

 やべぇよやべぇよ。ここでフアルに抱きつかれていた時の怒りが霧散しているとは思えないので、ここは有耶無耶にすべきだと誓う。


「──さあ、せめて忙しそうにしないと。彼女が怒り心頭で部屋に来た事を思い出させないうちに」


 どうやら大タケルも何かしら嫌な予感がしたのだろう。

 コッソリとそういうと、それぞれに精々忙しそうに振舞う事にした。

 マリーが「ねえ」とか「ちょっと!」と追い縋ってきたけれども、それに構ってやる余裕は無い。

 腕時計をコツコツと指で叩いて「時間が無いから後で!」と流す。

 

 拗ねたマリーは参加することもせず、部屋の隅っこの方で「ふん、別に良いし……」とか言いながら魔導書と睨めっこをして朝食までの時間を潰していた。

 ただ──残念な事に忙しそうなフリをすると言うのも大変で、途中で「こっちを手伝ってくれ」と言って別室で「じゃあ、休もうか」と言われなければ捕らえられていただろう。

 フアルが眠そうに朝食の準備が出来たことを告げ、自分らはようやく解放された気持ちになれた。

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