73話
自衛隊時代、課業中に外出許可が下りた事がある。
公用外出、つまり『任務上そうする必要が有るので外出の許可を出す』と言う事である。
一般の人には理解されないだろうが、OBを迎え入れたりする時に歓待をする場合もある。
その時に”弾”の数が少ない場合、その補充をしなければならない場合もある。
課業中に戦斗服を着たまま外に出て買出しをする、そんなレアな経験は滅多に無いだろう。
当然反対派にとっては餌が転がってきたようなものだろう、駐屯地に戻った後で若干喧しくなったらしいけど……。
情報収集、集会所を間借りする事。その他様々な事をするのに大分時間がかかった。
途中でタケルを見かけたけれども、どうやらあちらも何か聞き込みだか話をしているみたいだった。
なんだか調理器具を借りていたけど、何かしらに使うのかもしれない。
こちらもタダじゃ転んでいない筈だけど、やった事が小さい気がする。
一日滞在する事とその迷惑料で金を握らせ、その後に周辺地理の情報を掴んだだけ。
時間の割りにやった事が小さくて凹んでいると、呼ぶ声が聞こえた。
「ヤっちんヤっちん、今大丈夫~?」
見ればフアルがそこに居た。
何か色々と買ったのだろう、食材のにおいと言うか何と言うか。
生の匂いが鼻についた。
「自分は──うん、用事は終わったから大丈夫だけど」
「じゃあじゃあ、戻ろっか? 美味しいもの食べて、ゆっくり休も?」
「そうだね……。自分も何か食べ物、美味しいもの考えないと……」
お互いに精神的負担は大きいだろうし、マリーの事も気にかけないと。
自分の方が下っ端なんだし、いざと言う時に頼れるのは彼女だ。
少なくとも居てくれるだけで道中の安全は確保されているようなものだし、その分楽をさせないと。
そう考えていたが、フアルが買ったものを見せ付けるように持ち上げて見せた。
「これ、みんなの分だよ? 私が作るから、ヤっちんは休んでて良いよ」
「え? けど──」
「まあま、道が同じなんだから暫く一緒にゃろ? コレも何かの縁だし、タケにゃんが悪い事したから、そのお詫び?」
「──分かったよ」
お詫びと言うのなら、それを受けるしかない。
先ほどのタケルもその為に行動していたのかもしれない。
生活力があるというか、アイアス含めて炊事や料理できない人ばかりだったから若干の驚きだ。
「それで、なっにかわかったかな?」
「あぁ、うん。本来の船の目的地までここからだと歩きで三日かかるんだってさ。馬車に乗り合わせても二日はかかるみたい」
システム画面を映し、公爵に見せてもらった周辺地図を見る。
自分にしか見えないホログラフィック的なシステム画面が表示され、それも意識のみで操作できる。
自分が知っている世界地図と似通っているから、それと並列で見ていけば大体埋まる。
イタリアから海路でスペイン入りしようとしたけど、船が沈んでフランス南岸に流れ着いたという感じ。
アイアスたちの居場所は現在カティア経由で聞いている最中だけれども、少なくとも目的地と言う事は無いと思う。
「フアルたちはどこまで?」
「私たちはね~、神聖フランツ帝国の首都まで行く途中なんだ~」
「じゃあ、一緒だ」
「そだね。その後はどうなるか分からないけど、よろしくだよ~」
そう言って彼女は手を伸ばそうとした。
しかし、その両手が塞がっているのを見て苦笑するしかない。
右手の荷物を受け取ると、彼女が伸ばそうとした右手を同じように右手で握り返した。
そこまでは普通なのに、握り締められた手が一瞬”ミシッ!”と悲鳴を上げた。
痛みを自覚するよりも先に、彼女が手を上下させるのに引っ張られて全身が上下する。
あまりにも馬鹿力過ぎて、肩がガコッ! という嫌な音を立てる。
肘から先しか動かなくなり、肩が外れたのだと理解したのだが、フアルは満面の笑みだ。
「たっのしっみだなぁ~……。あ、私の料理は期待して良いよ?」
「ほ、んと、に?」
自衛隊時代、格闘訓練だので肩が外れた経験が有る。
それがこんな所で活きるとは思わなかったなあ……。
あまり宜しくない骨同士が擦れるような感覚、それを歯を食いしばって正常な位置へとはめ込んだ。
そんな苦労と苦痛を味わっているとは知らないフアルはにこやかな笑みを浮かべている。
……たぶん、悪い人、じゃ、ないと……思う。
自信は無い、もしかしたらこんな笑顔で騙してくるかも知れない。
本当に詐術や口のうまい人は、自分が喋る事じゃなくて相手に合わせることで食いつかせる。
相手が喋りやすいようにして、勝手に喋らせて、同意や肯定をしてやり、好感情を抱かせる。
そして相手が騙されやすいように、それっぽい情報を語らせた中と自分の知識から照合させて語る。
相手が誤解しやすいように、確定させない。
明言してないのに勝手にそうだと決め付けて、誤解していく。
……うっ、そうやって騙されて消えていった二十万を思い出す。
酒の勢いとボーナスで舞い上がり、騙されて金を巻き上げられ、ボーナスだけを巻き上げられ蹴りだされた初風俗……忘れない。
話がうまいと思ったんだぁ……。だから二度と、絶対に、先輩や上官の命令でも行かないと誓った。
未経験だし、裸体を生で拝んだ事も、服越しでも触れた事は無い。
……男として、良いのかな、それで。
「ヤっちん? お~い?」
遠い日の不愉快な記憶に沈んでいると、どうやら考え込みすぎたみたいだった。
フアルが顔の前で手を振っていて、自分が過去に沈んでいるのを引き起こしたみたいだった。
「大丈夫? 疲れてる?」
「ああ、そうだね。食事をしたら休むよ。たぶん、思ったよりも疲れてるのかもね」
「あは~、顔に力が無いよね。大丈夫。私は強いよ~? タケにゃんも凄いから、二人とも安心したら良いよ」
「あ~……うん。そう、だね」
マリーが実はかつての英雄で、魔法を使わせれば周辺一帯をなぎ倒すような実力の持ち主だと知って同じ事が言えるだろうかと気になってしまった。
適切な隊形や陣形を組んで、マリーの能力を発揮できる状態を作ったなら更に理解は深まると思う。
マリーは自分が知っている中でもそれなりに凄かった。
なら、更に活躍したらもっと凄い事になるだろうと思う。
彼女が本気を出したなら、活躍したのなら……きっと、気安く声をかけられなくなるんだろうなあ。
そんな事を考えながら集会所に戻り、フアルに荷物を預けて「手伝える事は有る?」と聞く。
しかし、どうやら助力は要らないようだ。
仕方が無いのでマリーの様子を見に行くと、彼女は横になって眠っているようであった。
寝ているのなら仕方が無いと、自分も横になる。
……そして、また悪夢を見る。
迷子になる夢、自分の顔をした相手を殺し続ける夢、親しい人に殺されそうになって殺し続けるゾンビモード……。
それらは自分の心因的な問題だと思っている。
自分がどうしたいのか、どこに行きたいのか迷っている。
自分自身に嫌いな所がありすぎる。
自分は好意的だけど、相手には嫌われてるのではないかと言う恐怖。
そんなものは、酒を飲まない限りほぼ毎日見続けてきた。
しかし、この世界に着てからは新しい情報の元で新しい悪夢を見る。
ミラノに冷遇されすぎて、折り合いがつかなくなった自分が「付き合いきれない」と出て行く夢。
クラインを助けなかった事で、ヤクモと言う第二の生すら棄てる破目になる夢。
アルバートやグリムと仲良くなれなかった夢。
公爵との関係が悪く、国に居られなくなる所か命まで狙われる夢。
ロビンに命を狙われ、殺される夢。
アイアスに「ま、許してくれや」と言われながら貫かれて死ぬ夢。
マリーが涙を流しながら、自分をを焼き尽くす夢。
どの夢でも自分は死ぬ、殺される。
ミラノの下から飛び出して、どこかで誰かに刺し殺される。
クラインとして生きる破目になって、食事中に──毒で殺される。
グリムに首筋を切られて失血死する。
アルバートに激昂の果てに突き落とされる。
公爵の兵士に殺される、絞首刑になる、公爵自身に切り捨てられる。
……たぶん、恐れているのかもしれない。
そうなりかねない、或いはそうなったかも知れないと睡眠中に情報整理をして、夢で見てるのだ。
しかし、それらですら悪夢と言うには若干程遠い。
ただ、親しい顔の奴等が殺しに来るという恐怖のなかに新顔が来ただけに過ぎないのだから。
理解できないのは、いつしか死体の山の上に自分が居る事だ。
沢山の自分が死んでいて、その上に自分が居る。
オマハビーチ上陸作戦のように、周囲で更に生き延びていた自分が様々な死に方をして散っていく。
ソレを見て居る自分が最後まで生き延びてしまい、せめてもう少し──もう一歩前へと踏み込もうとするけれどもそこで映像が途切れてしまう。
その後はずっと無の時間だけが過ぎ去って、目が覚めるまでは無を漂い続ける……地獄。
マリーとの言い争いで、心が折れたというか──嫌な現実を再び自覚しただけだった。
自分は他人の不幸を餌に名を売り、地位を押し上げ、好意を持たれたという事実。
そして結局の所、マリーの指摘した点に関しては「自分が大事にできていない」と言う点に尽きる。
ソレを改善できない以上、これからもずっとマリーとは対峙し続ける。
自分ですら自分と向き合えてないのに、その上踏み込まれるという事を考えてしまい、疲れてしまった。
結局、忙しさにかまけて自分自身から逃げていたのだから。
そして、忙しさと言うものを切り離して……何をしているのだろうと考えてしまう。
カティアへの教育や対応はアレでよかったのだろうか?
そもそもカティアを置いてきた事は正解だったのか?
ワープだのテレポートでデルブルグ家まで戻って、事故を理由に日を改めるのが最善では?
目の前の事を切り離せば、自然とそれは自分と足元と過去に向けられる。
寝ているのに、思考し続けている事は異常なのだけれども、もう慣れて受け入れてしまった。
そもそも、自分が正常だとは思っていない。むしろ異常だと思っている。
──自分で自分を殺すなんて──
そんな声が蘇った。実際、自分で自分を殺してみた。
血が足りずに足手まといだった自分が正常に戻る為の、取るべきではない合理的な選択。
嫌な汗が吹き出ていた事も覚えている、それでも──銃と言うのはすばらしいと思う。
窒息でもない、失血や痛みでもない。ただ引き金と言うスイッチで、オンオフのように命が消えるのだから。
……第二の生は、自分にとって良いものになるのかな。
消極的な自殺と言うもののように、ただ緩やかに死にたがっている状況を改善しなければどこに行っても変わらない。
外に居ながら、別の場所に行きながら引き篭もっている。
他人のことをとやかく言えはしないだろう。
心を閉ざして、勝手に隔絶されてるのはこちらなんだから。
「──きて。ほら、起きなさいよ……」
自分の力で現実に帰ることも出来ない、本当のクソだと思う。
マリーが頬をペシペシ叩いてきて、それで目が覚めたくらいだ。
嫌な汗が沢山出ていて、張り付くようなそれらに不快感が増す。
「ご飯が出来たってファ……フアルが言ってた。動ける?」
もう食事の時間なのかと、全く休んだ気のしない睡眠時間を一度終える。
その後、食事の時間の事は全く覚えてない。
ただ、なんだか……マリーが何度か話しかけてきて、煩わしいなあと思いながら何かを言い返していた気はする。
無意識での返答だとしても、酷い事はいってないだろう。
食後、気分が優れないからとりあえず何かしらに集中する事にした。
魔法を用いた整備のしかたと言うのを考え、付呪から引用したやり方で進めてみる。
集中できる事があるのは良いけれども、逃避したい時に限ってあっさりと物事が片付いてしまう。
拳銃、弾倉、実弾、携帯エンピ……色々と整備の必要な物が本来の整備よりも早く済んだのが拍子抜けだった。
本来どのようなものかを把握し、劣化や損耗といった物を排除や補填で排除するだけの簡単な作業。
それこそ、ゲーム的なシステムなおかげで一瞬である。俺のやるべき事は片付いてしまった。
じゃあどうすべきだろうかと考えて、訓練をするしかない。
──開き直れ、むしろ今まで”ノイズ《他人との接触》”が多すぎただけだ。
魔力の消費限界を増やす為に、魔力回路の成長の為に消費し続ける。
MP《魔力》の総量自体は多いらしいけれども、魔力行使量《短時間に消費できるMP総量》が少なすぎる。
何度か、何度も──それで痛い目を見てきた。
そういう決まりだから仕方が無い? システム的にそう設定されてるから仕方が無い?
……なら、人の何倍も魔力を消費して、魔力回路を拡張して、魔法を無制限に、自由に使えるようになれば良い。
腕立て伏せの回数を一度増やしていくように、長距離走っても大丈夫なように、重装備で何日も作戦行動に従事するように。
個人だから失敗する、事実──マリーに踏み込まれたくらいで失敗した。
自衛隊時代の俺は、そんなに惰弱で軟弱だったか?
多少踏み込まれたくらいでなよなよとする自分だったか?
そんな訳が無い。もっと、もっとしっかりしてたはずだ。
表彰だってされてきた、災害派遣でも補給や休息のない中連続行動し続けて最後までやり遂げた。
誰よりもLAMだの01ATMだのと重い物を数多く持って行軍してきた。
陸曹の人達に、展示説明で使われるくらいには何でも出来てきた。
何で自分と言うものを自衛官と切り離せないのか、ソレだけが不満で仕方が無い。
こんなの、邪魔で仕方が無いのに──。
「『パライズ』!!!」
思考の海に沈んでいた所で、そんな声が聞こえて体が動かなくなった。
即座に状態異常解除系の”オールクリア”を唱えるが、状態異常からの解放と共に吐き気と頭痛に襲われる。
まだ……七割も魔力が残っているのに、この体たらくか……。
けれども、消費が思考に溺れている中で激しすぎたみたいだ。
昼食が出そうになる、それだけは失礼に当るので避けたい。
「あぁ、マリー……。何の用?」
起きてから意識して喋ったのはコレが始めてじゃないだろうか。
無意識でも「そうだな、すごいな、お前のせいじゃない」的なワードで乗り切れると聞いていたけど、下手をうったのかも知れない。
嫌な脂汗の上に新たに汗を乗せてしまって不愉快になり、普段は重ね着していた上着を脱いだ。
下に来ていた迷彩シャツが出てくるが、少しばかり匂いを嗅いで嫌な気になる。
「──調子が悪いのなら、或いは言いたい事があるなら言ってくれる?」
「いや、単純に手持ち無沙汰で……自分と向き合ってたら、疲れたんだ。誰かに何か言いたいとかは無いから、安心して良いよ」
「──……、」
何かを言いかけたマリーだったけれども、目の前で大げさに何度も深呼吸を繰り返した。
パタパタと手を動かし、体操の深呼吸のようだ。
「……踏み込まないって言ったもんね。落ち着け、私」
どうやら、また何か言い掛けたようだ。
苦笑してしまい、それから彼女はどうするのかと思ったけど、迫力を伴って顔を寄せてきた。
滅茶苦茶近い……。
「休むから、一緒に居て」
「その提案には致命的な問題があると分かってる?」
「ハッ。なに? アンタ、自分が手を出すかも知れないから危機感を抱けって言いたいの?」
「話が早くて助かるよ」
「その危機感は簡単に解消するわ。一つ、私が一人じゃうまく眠れないから傍に居て欲しいだけ。二つ、たった一度だけど肩を並べて戦ったんだからそれ以上の信用や信頼は無い。三つ、その言葉が出てくる時点でアンタ自身にそのつもりが無いのを私が確信してる」
「予感じゃないんだ」
「予感? そんな曖昧なものじゃなくて、確信で良いし、なんだったら確定でも良いけど。来るの、来ないの?」
少しばかり考えて、マリーが泣いていた光景を思い出した。
理由も事情も知らないから憶測と推測を重ねるしかないけれども、船が沈んだ時期が夜だったことや暗い海に飲まれた事、目覚めて完全な一人だった事とか──色々有るのだろう。
自分がマリーを見かけて涙腺が緩むくらいに安堵したように、彼女にも何かあったんだと思う。
マリーが休めない事でこれからのデメリットを考えると、自分もソレに付き合う事でのメリットの方が多く思えた。
「──そうだね。ちょっと休もうかな」
「じゃ、こっちに来て」
そう言われて、傍に居れば良いのかなと思った。
けれども、彼女は横になるように指示を出す。
何だろうな~と横になったら、彼女はそんな自分に抱きつくようにして横になる。
近い所じゃない、服を着ているだけで触れ合っている状態だ。
何か言うべきだろうか? そう思ったけれども、彼女が落ち着くように目蓋を閉ざして何かを呟いているのを見て、止めた。
「聞いても良いかな」
「なに?」
「マリーは、一人とか、孤独とか……そういうのが苦手だとか、怖いとか? 答え辛いならいいけど」
「──簡単な話よ。私は産まれた瞬間から誰かを失って、英雄と呼ばれるような人生じゃなかったから。自分に仕える騎士に愛想をつかされて出て行かれて、家族は姉さんを除いて全員失った。それで……心の支えだった、大事な仲間は自分の存在ごと去って行った。だから、失う事や孤独、一人が怖い──ただ、それだけ」
「──……、」
「ある日目が覚めると、家族も家も、大事な人たちも一緒だった人も殆ど殺されて。私は人形のように空を眺めてた。沢山の”無”になってしまったものに囲まれながら。姉さんが連れ出してくれなかったら、私はそのまま死んでた。アイアスの両親が頑張ってくれたから、私が復讐を原動力に立ち直れた。それでも、あの日の光景が焼きついてるから、一人で居られないってだけ」
「……ゴメン」
「何で謝るのよ」
「辛い事を言わせたし、聞いたから」
好奇心と言うか、興味で聞いて良いことじゃなかった。
一瞬だけ、災害派遣の光景を──自衛官ではなく、被災者だったらと考えてしまう。
倒壊した建物の中で、水を含んだ土砂に半ば埋もれて身動きが取れず、僅かな隙間からしか酸素や光が供給されない。
……第三者だから想像はできても、そこに含まれる意味までは共有できない。
考えるだけ、相手に対して失礼なのだろう。辛かったねなんて安易に言えない。
その事を謝罪すると、後頭部を叩かれる。
「仲間とか、戦友とか、気の置けない仲とか──そういう相手に聞かれて言えない内容じゃないし。それに……私、たぶん、アンタの事好きなんだと思う」
「──そっか」
「変に勘違いはしないこと。ただどんな有耶無耶でもなくて、アイアスやロビン達とは別にアンタを名有りの誰かとして認識できてるってだけの話だから」
「勘違いはしないよ──」
期待したら、したぶんだけ落差に落ち込む。
その落差が大きい分だけ、裏切られた時に絶望する。
それに、好きと言う言葉は幅広いから最小程度に認識してやれば良い。
零じゃなくて壱であるというだけであって。百点満点中高得点と言うわけじゃないのだから。
暫く沈黙が続いた。
目蓋を閉じて、背中にマリーの存在を強く感じる。
集会所の外ではまだ若干あわただしさがあるが、フアルやタケルも休んだらしく静かだ。
精神的にはまだ幾らか元気だけれども、身体の方が疲れている。
身体の方が健康的だけれども、精神的には不健康。
そんな状態を抱えたままに、自分が臭くないかを気にしながらまどろんでいた。
「──寝た?」
「まだ」
「……寝た?」
「寝てないよ」
なんだか、似たやり取りをした気がするけど、思い出そうとしてもぼんやりと記憶が滲んで思い出せなかった。
そうやって曖昧な所をフワフワしていると、マリーが提案をして来る。
「何かアンタの話をして」
「自分の?」
「趣味だとか、好きな事とか……そういうので良いから」
「まあ、それくらいなら」
抱きつかれた状態のまま、思いつく限り話をする。
前居た場所……召喚される前は読書が好きで、趣味で小説を書いていた事。
遊戯関係も大好きで、ソレが駒取りや体を動かして遊ぶのもやっていたと告げた。
実際には駒取りと言うよりも、その場で楽しめるゲームと言いたかったけれども、理解されないだろうしなあ。
音楽を聴くのも好きだし、絵を描いたり歌ったり、小説を書くという趣味において知り合いと交流をするのも好きだった。
──まあ、コミックマーケットでしか会わないのだけど、それ以外では二次創作や交流企画などで大分スカイプ経由で話をしまくっていた。
無職では有ったけれども、自衛隊時代の自分を忘れられなくて予備自にもしがみ付いたりもした。
……口では「元居た部隊の知り合いを尋ねた」と言う事で誤魔化したけど。
「そういえば屋敷でも何か、絵を描いたり人の事聞いたりしてたわね」
「あれは人物把握の為の情報を書き留めてたのと、その人物の簡単な特徴を絵にしただけだよ」
「アンタがどういう作品を書いてたのか気になるわね」
「それは止めておいた方が良いかな……」
趣味でカタカタと、Win95の時代から色々やって来たけれども、振り返れば黒歴史のオンパレードだ。
無知から来るトンデモ話や、稚拙な言語能力で書いた文章と言うだけで死ねる。
流石に主人公が何でも出来る上にチヤホヤされたりとか、「さすがですお兄様」的な事はしてないと、思う。
一次創作はしていない、だいたいが二次創作か寄稿くらいだ。
それでも、相手が喜んでくれると嬉しいんだけどさ……。
「……万人に見せる作品と言うよりも、同じ創作をしている相手に向けて何かを書くって事が多かったから。絵から物語を考えて、それで一昼夜語り合う事もあったし、物語を提起して相手がそこから絵を描くということもあったかな。どっちにしても、楽しかったよ」
けれども、それも過去の話だ。
気がつけば相手はプロとしての道を歩き出し、商業や市販で活動して実績を重ねだした。
自然と会話の数は減って行ったし、俺が死ぬ直前では関係だけはそのままに月に一度会話が出来るかどうかだった。
……そう考えると、やはり自分は時間に置いてけぼりにされていたんだろうなあ。
「アンタさ、やる事が見つからないのなら私に雇われてみる気は無い?」
「悪いけど──」
「分かってる。ご主人様があのチンチクリンだってのもね。そうじゃなくて、魔法の研究に付き合いなさいって事。アンタの知識、経験、体験、思考……その全部に私は興味があるの」
「別に、手伝うくらいなら幾らでもやるよ。許される限り、だけど」
「ホント? ふふふ……錬金術の実験もしちゃおうかしら──」
「危ない薬は飲まないよ?」
なんだかマリーが勝手に盛り上がっているが、こちらは冷や汗ものだ。
魔法だけでも暴発時にどれだけの被害が出るか分からないのに、その上錬金術と来た。
性転換薬だとか、若返りや老化の薬とか飲まされたらたまったものじゃない。
そういうのはモルモットを……、モルモット?
「あの、もしかして薬の実験台って自分だけ?」
「え? ネズミでまず試すに決まってるでしょ。その上でアンタにも飲んでもらうの」
「それなら、安心……なのかな」
ネズミに悪影響が無かったからと、人に悪影響が無いと言うのは早計過ぎないだろうか?
人工皮膚だとか何とかがあれば良いのだけれども、それに関する知識も生成術も取り扱いも知らない。
現代って、そう考えると不思議で溢れてるよなぁ……。
「気になったんだけど、アンタって感情表現が下手なのか溢れてるのか分からないわね」
「ん? そう、かな」
「平坦だけど正であるアンタと、感情をコロコロ変えるけど負……みたいなアンタと」
「兵士のような自分である時に周囲を不安にさせないために、感情自体の波を均一化か平坦にするってのが自分のやり方だったから。流石に途中で無感情と無反応は不味いから多少は選んで出せるようにはしたけど、負は見せないよ」
候補生の段階で白い歯を他人に見せるなとか、辛そうな顔を見せるなと散々叩き込まれる。
そして徐々に「嫌な顔をするな」とか「何か思ったとしても表情はピクリとも動かすな」と仕込まれていく。
……そんな前期教育だったから、あまり自衛官の自分の場合は表情を動かさないだろう。
ただ、それでも動作でばれるようだけど。
ミラノには「頬をかいてる時は困ってる」と言うのが見抜かれた。
それと同じように、自分でも気付いてない動作があるかもしれない。
そこらへんは海外育ちだからボディランゲージを使いすぎて見に染み付いた習性でもあった。
「その両方が混ざる事ってあるかしらねえ」
「それ、どゆこと?」
「頼れるアンタのまま、今のように自分でも居られる感じ? なんだろ、言葉に出来ないけど……」
そう言ってからマリーは抱きしめる力を強めながら欠伸を漏らした。
眠くなってきたのかも知れない、自分も大分眠くなってきた。
「ん、眠っ……。また、ゆっくり考えてみる」
「そっか、お休み」
「お休みのキスはしてくれないのかしら」
「そう言うのは昔に止めたんだよ」
「どれくらい昔?」
「妹がまだ指をしゃぶって、夜一人で眠れない時。母さんがそうしたように、おでこにしてあげてたんだよ」
そう言って、互いに静かに眠りにつく。
そして──俺は夢を見る。
悪夢……ではない、これはきっとマリーの見聞きした光景なのだろう。
本を捲りながら、時々お茶を飲んでいる。
見上げれば暖炉があって、火が時々爆ぜていた。
『せめて……せめて、体が資本だから食事と寝る場所だけでも』
誰かがそういった。
話しかけられているにも関わらず、視点主は──マリーの目線はそちらに向けられる事はなかった。
──くどい。アンタの功績は確かに凄いけど、アンタの為に何でも都合できるわけじゃない──
マリーの声が響いた。視点主だから頭の中を反響するように聞こえてきて違和感が拭えなかったが、相手はそれでもと──少しばかり食い下がる。
『兵士が兵士として、護衛が護衛として仕事をしようとしているのに──その仕事ですら満足にさせるつもりは無いのか』
相手の声は、どこか悲しげだった。
それでもマリーは相手を見なかった。
本の内容はぼやけていて、たぶんマリー自身も何を読んでいたのか覚えていないのだろう。
──同じ事を言わせないで──
たぶん、それが彼女の答えだったのだろう。
相手が数度震える呼気を漏らしているのが聞こえた。
それから足音と何かをする音が聞こえ、それから扉が開かれる音が聞こえる。
視点がようやく相手を捉えるが、逆光で──或いは記憶が曖昧なのか、相手の様相は分からなかった。
──なにをしてるの?──
『お前にはついてけねーよ……』
覚悟に満ちた、決別の言葉だったのだろう。
そう言って相手は扉を閉ざした。部屋には誰も居なくなり、視点主である彼女しか居なくなる。
──どうせ、どこにも行けないのに──
その言葉の意味は分からなかった。
しかし、時間が早送りのように流れて、彼女の言葉が何の根拠も無い願望でしかなかったと分かる。
日が傾き、夕方になった。
日が沈み、夜になった。
マリーはその間、部屋に居たままに食事をとり、読書に勤しみ、一日を過ごした。
時間が経過するにつれて、彼女が閉ざされた扉を見る回数が増えた。
日が昇り、そら高く日が上り、そしてまた傾いては沈んでいく。
次の日の夕暮れだろう、大分時間が経過して彼女は悟ったようだ。
──出て、行った……?──
ポツリと、毀れるようなそんな言葉が部屋に寂しく響く。
どうやら、愛想をつかされたのかもしれない。
けれども俺は、マリーの事情を知らないが故に出て行った相手の肩を持ちたくなる。
兵士であれば兵士として必要な待遇がある、それが満たされないのであれば怒りたくもなる。
どんなに訓練しても、その身体を休める場を提供されなければ嫌になる。
どんなに身体を鍛えても、その身体を維持する為の食事が与えられなければやっていけない。
そう考えると、相手は犬ではなく狼だったのだろう。
誇りも何も持たずに従う犬ではなく、誇りと矜持を持って行動する狼。
暫くしてマリーの最後の言葉が響く。
──アイツ、自分の物何も持って無いのね──
その言葉の意味は俺には分からないが、きっとそこに最初から居なかったかのように消えたのだろう。
物を持たぬが故に、その身一つでどこかに行ってしまえばそれが成り立つ。
荷物の整理をする必要もなく、取捨選択をする必要もなく。
部屋を去ってから、そのまま直ぐに消えたと思われる。
マリーから聞いた、自分に仕える騎士に愛想をつかされたと言うのがコレだったのかも知れない。
ただ、目線の高さから考えれば今の幼く見える彼女くらいの時だろう。
その時の彼女の心境は分からないけれども、なぜか──胸の内が空っぽになったような、そんな気がした。
~ ☆ ~
起きたのが昼手前で、食べて直ぐ寝て起きて直ぐに食事と言うのもなんだか身体に良くない気がした。
眠りが浅いと言うか、普段から短時間睡眠なのは仕方が無い。
けれども、マリーに抱きつかれたままで身動きが取れないのは大分辛い。
二度寝でもまだマリーは寝ていた、三度寝──と言うか目蓋を閉じてボンヤリしてようやく目覚めたくらいだ。
そしてマリー、寝起きが悪い。
不機嫌とか、目が覚め切ってないと言うのが正しいかも知れないけど、あまり相手をしたくない感じだ。
昼食もフアルが用意してくれたらしく、何から何まで世話になっている気がして申し訳ない。
せめて手伝いだけでもと申し出たけれども、それすら拒否された。
「や~、良いよ~。私の仕事奪わないで欲しいかにゃ~、な~んて」
と言われてしまえば、強く言えない。
申し訳なく頂いたけれども、美味しい食事だった。
魚と小麦から、魚のフライを作ってくれた。
石臼まで借りてきたらしく、それで思いっきり挽いたらしい。
他にも魚でフレークを作って炊いた麦に混ぜ込んで食べられたり、海鮮スープが口に出来たりと良い具合だ。
自然と顔が綻んでしまい、その瞬間にマリーの寝ぼけた眼がジロリとこちらを見たようにも思えて引っ込めた。
「素朴な味は良いなぁ……。屋敷の飾りまくった食事は若干飽き飽きしてたんだ」
「はにゃ~、屋敷の味付けは知らないけど、手に入るもので頑張ろうと思ったらこうなるかにゃ~。けど、口に合ってよかったよかった」
「フアルには本当に助けられてるよ。俺は料理と言ったらもっと簡素なものしか作れないし」
「タケルも作れるんだ」
「俺とフアルはね。ただ、握り飯を作るとか、焼き魚とか、本当に簡素な食べ物くらいだから期待しなくて良いよ」
しかし、アイアスたちと一緒だった時は全負担だったけれども、知識があるだけ助かると思った。
実際、フアルとタケルは食後に手際良く片づけをしている。
皿を割る、鍋をへこます、布を破くと言った惨状は無さそうだ。
「ありがとう、ご馳走になっちゃって」
「んにゃんにゃ~、たまには知らない人に食べてもらって感想貰わないと。食べられるだけマシって人ばかりに食べさせてると、味付けや料理が正しく出来てるか分からないしね~」
「夕方は──」
「夕方も、もう考えて有るにゃ。だから、やっちんは何もしなくて良いよ?」
「あ~……」
やることが一切無いってのは楽で良いね。
──そんな訳は無い。むしろやる事が有った方が気楽で良いのに。
そんな事をボンヤリと考えていたら、タケルから声をかけられた。
「ヤクモ。悪いんだけどさ、この後手伝ってくれる?」
「良いけど、なにかな?」
「や~、鍋とか借りてきたんだけど、幾つかは返して新しく借りてこないといけないから。俺一人じゃ大変だし、手分けした方が良いかなって。ダメかな?」
「自分が助けになれるのなら」
そういうとタケルは「良かった」と言って笑みを浮かべた。
午後の予定が出来た所だけれども、マリーは多幸感で眠くなったのかも知れない。
そういやミラノも同じように食後に寝落ちたなあと思いながら寝床に寝かしつけると、準備を整えた。
侮られたりするのも嫌だし、自衛力を見せ付ける事で争いを吹っかけられないように帯剣する。
弾帯も念の為につけて、何が有っても抵抗くらい出来るように準備をした。
フアルに見送られながら、タケルと二人で外へと出る。
「ありがとう。俺は片目が無くて、どうしても異質だからさ。声をかけたときの反応が良くないんだ。来てくれて助かるよ」
「フアルに世話になってるし、これくらいなら旅は道連れ世は情けと言うからね。美味しいものを食べさせて貰ってるんだから、これくらいはしないと悪いよ」
「そうかい? 善意じゃないってフアルも言ってるけど」
「善意かどうかは受け取った側がそう思えば善意なんだよ。フアルはああ言ったけど、こっちは凄い助けられたんだから感謝してる」
「そっか」
一軒ずつ、借りた鍋などを返していく。
善意で貸してくれた人、都合が空いていたから構わないと言う人、金銭などの見返りで応じた人等と様々だ。
返却の方は滞りなく終わり、返却の時についでと言わんばかりに別の調理器具を借りられないかと新規の契約のように話を進める。
断られたら深入りせずに感謝だけして去る、それでも多々では転ぶまいと近所で可能性がありそうな家を訊ねて回った。
借りられない物もあった、本来借りる予定じゃないものが借りられた。
そうやって村を歩き回っていると、おやつの時間には許容範囲で目的は果たせた。
フアルも途中で何を借りられたかを聞きに来て、その上で夕食の献立を考えていた。
直ぐに買出しへと去っていき、集会所に戻るとマリーはまだ寝ているようだ。
「さて、と。ありがとう。君が居たおかげで幾らか楽が出来たよ。この後はどうする?」
「そうだね。お茶の準備でもして、一度マリーを起こすよ。このままじゃ夜眠れないって事にもなりかねないし。これから長旅なんだから、少しでも変な習慣はつけないようにしないと」
間違った事を言ってはいない筈だ。
なのに、タケルはクスリと笑う。
「──なにか、間違った事でも?」
「いいや、間違った事は言ってないよ。たしかに、寝かしすぎると夜に寝付けなくて余計に明日辛くなるからね。それに、不機嫌な彼女を同伴させるのは厄介だから、早めに起こして疲れさせた方が良い。行っておいで、お茶の準備の為の準備くらいはしておくから。悪いけど、美味しいお茶の作り方は知らないんだ」
そう言われて、見送られてマリーを起こしにいった。
俺よりは寝ているはずなのに、マリーはまだ寝足りない様子でぶつくさと文句を言う。
歩く度にゆらゆらと揺れる頭、危なっかしいので手を引いて茶の席にまで連れて行って座らせる。
タケルがお茶の準備をしてくれたようだけど、その葉っぱの色が最近見たものとは違って──。
「これ、もしかして緑茶?」
「あ、分かるんだ。ツアル皇国で手に入るお茶の葉でね、今回の旅路に持ってきたんだ。自分じゃ作れないからフアル任せだけど」
「自分は緑茶でも大丈夫だけど、マリーは……って、聞いてないか。仕方ない……」
何も口にしないよりはマシだろう。
赤ければ紅茶、緑なら緑茶ってレベルの大雑把な認識だけど、美味しければ何でも良い。
本来ならお湯の温度とか、淹れ方とかも有ったと思うけど、それを思い出せないから応用で何とかしよう。
珈琲に慣れ親しんでからはあまり飲んでいない。
それどころか、マテ茶や紅茶よりも飲んだ回数は少ない緑茶だ。
一度だけ、茶道を教えていたという女性から振舞われた事がある。
茶筅で、茶碗……のような入れ物に淹れて貰った。
当然、無粋な自分にはそんな技術を尽くされても一握りでさえ良さが分からないと思う。
けれども、苦味を抑えながら少しばかりトロリとした……味わった事の無いものだったのは覚えている。
今ここには無いけれども、本来であればあの手間暇全てが歓待なのだと思う。
そう考えると、詫び寂びは良いものだなと再認識できた。
「無作法と無教養は許して欲しい」
「気にしなくて良いよ。俺だって淹れ方を知ってる訳じゃない」
「そう言ってもらえると助かる。──ほら、マリー。お茶が入ったから起きて」
「ん~……」
緑茶を淹れて、マリーを揺さぶって起こす。
そして彼女が薄っすらと目を開いてからの第一声が「野菜汁……?」という酷いものだった。
「はは、酷いなあ……。緑茶だよ。ツアル皇国から持ってきたんだ」
「あ~、ん~。そ。ありがと……」
「他の国じゃ紅茶が主流だって聞いてるし、紅茶は紅茶で悪くないけど俺は──って、聞いてないか」
タケルが緑茶愛を語ろうとしたが、マリーはそれを無視してお茶を啜る。
ズズッと飲んでから、若干目が覚めたのか意志のある表情になる。
「あ~、渋っ……。牛乳と砂糖が入れられる紅茶の方が私は良いわ」
「マリー、せっかく貰ったのに……。ゴメン、ちょっと──その、常識外れと言うか、無礼と言うか。気を悪くしたなら許して欲しい」
「俺は大丈夫だよ。そんな事で怒ったりしないって」
おぉ、なんと言う聖人君子……。
ここまで来るといっそ清々しいほどまでに好青年だ。
こういうのをイケメンって言うんだろうな、羨ましい。
俺もお茶を飲みながら、一息吐くが「これは、甘味が欲しくなるなあ」と言うタケルの言葉で苦笑した。
「──聞いても良いかい?」
「ん? なにを?」
「君が帯びている剣は、使って長いのかな?」
タケルの目が、帯びている剣に向けられる。
それを受けて触れるけれども、苦笑するしかない。
「剣の方は実は最近訓練で初めて振って、クラーケンに突き刺したのが実使用一回目だったり。それよりも、こっちの方が使い慣れてるんで」
そう言って拳銃を抜く。
小銃でもそうだけれども、咄嗟の射撃でも特定範囲内なら命中させられるくらいには使い慣れている。
剣が補佐程度の扱いで、攻撃と言うよりも相手の近接攻撃を防ぐ役割の方が強い。
あの英雄殺しとの戦いで実際にそういった扱いをしたが、今はそれ以上の扱いを知らない。
「その武器は……どういうものかな?」
「弓の亜種みたいなもの、かな。ユニオン共和国で主流になりつつある装備に似てるらしいけど」
「よく判らないなぁ。弩みたいなものかな?」
「それに近いかもしれない」
ただ、弩と違うのは射撃の爆発力を利用した自動給弾による連射が可能な事だ。
連弩と言うものがたぶん近いのかもしれないけど、そこらへんは相互の情報と知識差で語れない。
「と言う事は、遠近両攻が得意分野って事なのかな?」
「近接は最近学び始めたから、実際には中距離から遠距離が主戦闘分野かなあ」
「俺は見ての通り──刀と短刀が得物だからさ、いざと言う時は背中を任せても良いかな? 片目が無くて視界が狭いからさ、気付けないときもあるし」
そう言って相手は笑う。
その笑い方には陰は無く、ただの事実を告げているようにしか聞こえない。
或いは、自分の弱みや失敗ですら笑い話にして前向きにしているとも考えられるかも知れないけれども。
少しばかり刃を見せるように刀を半ば抜いて見せた。
それを見ると、綺麗に整備され、磨かれた刀身に見える。
滑らかな刃の部分は見るだけでも芸術的にも思え、逆に洗練されすぎていて──触れるだけで切れてしまいそうだ。
「これは俺の愛刀でさ。噂は色々有るけど、曰く付きでね。最高の設備、最高の素材、最高の鍛冶師が鍛えたけど──その鍛冶師が最高の刀に到達できない事に焦りを覚えて、十の童を炉に捧げ、完成後に二百九十九の人の血を吸わせ、自身の命を持って三百名の命を吸わせて完成させた──魔刀らしい」
「けど、噂は噂なんでしょ?」
「どうかな? 前は武器をしょっちゅうとっかえひっかえしてたけど、この武器にしてからは欠けも鍛え直しもしてないから、案外馬鹿に出来ないと思うけどね」
「伝説の武具、みたいだなあ」
「そうかもしれないね」
この世界には、様々な『訳の分からないもの』がある。
ミラノが誕生する理由になったクローン設備、ツアル皇国にある自動管理農園、デルブルグ家が個人所有している冷蔵庫に似たもの……。
それに比べると何かが違うけれども、理解不能なテクノロジーを用いた装備が有ってもおかしくないと思えた。
「二人とも、戦いには慣れてるのかな?」
「俺もフアルも、ツアル皇国では──戦いを生業にしていたから、そこそこ。頼ってくれても良いよ」
「タケルは刀と短刀で、フアルは?」
「想像できないだろうけど、身の丈以上に大きな剣を使うよ。大剣さ。それも、一薙ぎで数十の人くらいなら吹き飛ばせるくらいの、無骨なやつ」
「あれ。フアル、が大剣持ってる所見てないけど……」
タケルは出会ったときから腰に二振りのそれらを帯びていたから何と無く分かる。
けれども、フアルは出会ったときから空手だった。
旅をしていた……にしては、荷物しか持って居ない。
頭の中で小人族のサポーターを連想してしまう。荷物持ちでもしているのだろうか?
なんだか、若干いかがわしい方向にまで思考が流れそうになる。
「それは、彼女が魔法剣の類に近いものを使ってるからだよ。大きな剣を普段から持ち歩いていると邪魔になるからって、そうしてるんだって」
「──魔法が使えるんだ、フアルは」
「俺も一応使えるよ? 世の中じゃ貴族や特別階級じゃ無きゃ使えないって認識が有るけど、色々な事情で冒険者や探索者、それこそ傭兵や兵士の中にも魔法が多少使える人は居るものだよ」
そういうものなのかもしれない。
なんか以前にそこらの話をした記憶が有るけれども、どんな時だったか思い出せなくなってきた。
何でこうも、スイッチが入っていないと記憶が曖昧になるのだろう?
あまりにも惰弱すぎる……。
「剣をあまり使った事が無いって事は、魔法を技のように交えた技術とかは未修得かな?」
「あぁ、うん。まぁ……そう、かな。幾らか目にしてきたけど、炎を纏った槍術だとか、風で補正を受けた矢だとか、斬撃を飛ばしながら魔法を含ませるとか色々、目にしたかな」
アイアス、グリム、学園の方の小タケルなどなどとそういった事をしているのを見てきた。
しかし、自分はまだ剣を始めたばかりな上に主はそちらに無いので蔑ろにしがちだ。
そんな自分を見て大タケルは笑みを浮かべた。本当に、好青年だと思う。
「なら、道すがら俺が教えるよ。歩きながら、理屈だけなら聞いて覚える事はできるから。後は自分で実際に剣を数百、数千、数万、数億と振って身に付けてくれれば良い」
「それは、有り難いけど……。なんで?」
「何でって、どういう意味かな」
「なんで──今朝有ったばかりの相手に、そんな事してくれるのかなって。自分は、その……フアルには食事を頂いてばかりだし、タケルにだって荷物持ちの手伝いをした以上の事はしてないのに」
「ん~、そうだな……。二重の意味で、迷惑料と思ってくれれば良いよ。俺のためでも有るし、ヤクモの為でもある」
その意味が分からずに居たけれども、大タケルは一呼吸を置いてから告げる。
「君のその片目から、強力な魔の気配がするんだ。俺はほぼ自動的に魔に対して刀を振るう潜在意識が完成してるから──今日の朝の事を謝るのとついでに、これからもし無意識で刀を向けたり振るったりしても生き延びて欲しいと言う勝手な願いから、かな」
なんて良い笑顔で言われても、苦笑と共に唇の端を引きつらせる事しかできなかった。




