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元自衛官、異世界に赴任する  作者: 旗本蔵屋敷
5章 元自衛官、異国へ赴任する
72/182

72話

 この五年間──見方によっては三十分間眠っていた俺は、人が動く音で目を覚ました。

 疲れが取れていない。それどころか、夕食は食べてない上に酒しか摂取していなかったので体調も思わしくない。

 かと言って何かを食べるには飲んでしまった海水で気分が悪く、半日から一日は休みが必要かも知れない。


「ん~……」


 女性の声だろう。自分もそれに反応して目覚めてしまい、欠伸を漏らした。

 疲れが抜けていない、大分致命的だ。

 なんだか背中が痛むし、事故の影響かな……。

 そんな事を考えて身体を起こそうとすると、胸に圧力が加えられてサクリと頭の近くで音がした。

 日を背にして、男性が俺を押し留めていた。

 胸部を踏まれて動けなくされ、そして首の傍には得物らしきものが直ぐにでも首を掻き切れるように突き刺さっている。


「オマエは、なんだ……?」


 その一言は、とてもじゃないが冷たすぎる。

 なんだか心が折れかかっているのか、そんな一言でさえも大分突き刺さる。

 変に親切にするんじゃなかった~とか、どうせなら海に飲まれて死んでいたほうが楽だったかも知れない。

 何かを言葉にしようとしたけれども、諦めてしまう。

 ただクシャリと、困った表情を浮かべる事しかできなかった。


「何だろうね? 自分でも、良く分かんないや……」


 もしかして、何かしらの勘違いをしているのかも知れないが、それを主張する気にはなれなかった。

 ──眼帯をした好青年のような人物で、片方のもみ上げを長くして髪飾りをしているのが特徴的だと思った。

 それと、どこまでも黒い髪の色とか……。


「なになに~、敵?」


 そして、もう一人の女性も目が覚めたのか起き上がって加勢してくる。

 味方が居ない、仲間が居ない、孤独でボッチなのが心に突き刺さる。

 何もなければもう泣いてしまいそうなくらいだ、それくらい情けなかった。

 ダメかな……。そう思ったけれども、いつまでたっても何も起きない。

 首の傍につき立てられた得物の代わりに、片手が差し出される。


「──ゴメン。俺、ちょっと混乱してたみたい。海に投げ出されて、必死だったから」

「敵じゃないの? 戦わなくていーのかにゃ?」

「敵じゃ、ないと思う。──いきなりで気分を害したかも知れないけど、出来れば許して欲しいな」

「いいよ。自分も、海に投げ出されてここがどこなのかも分からないから」


 手をとらず、転がって自力で起き上がった。

 相手は自分が伸ばした手を取って貰えなかった事が残念だったらしいけど、そこは割り切ったようだ。

 ──得物を見れば刀だ、ツアル皇国の人なのかもしれない。

 ミナセやヒュウガ以外の人は意識して見た事が無いので良く分からないけれども、なんだか服装も和が取り入れられているように見えた。


「──俺はタケル。ツアル皇国出身、対魔物の専門家だよ。後ろの子は──フアル。一緒に魔物と戦ってきた仲間なんだ、宜しく」

「自分は……ヤクモ。今はヴィスコンティのデルブルグ家の世話になってて、神聖フランツ帝国まで挨拶しに行く途中だったんだ──宜しく」


 どうでも良い、敵対的でも友好的でもない挨拶をした。

 棘は含ませず、けれども行動を明かす事で不審でも無いと表明して終わりだった。

 しかし、タケルか……。学園に居るタケルと同じ名前でごちゃごちゃになりそうだなと思う。

 そんな事を考えていると二つの声が重なり、俺は身を竦ませた。


「ヤクモ?」

「ヤクモって、最近聞いてるヴィスコンティで有名な奴かにゃ~?」

「あぁ、えっと。有名、なのかな? 自分じゃ出来る事をしただけだし、気にしてなかったけど──他国にまで噂になってるの?」

「学園に子を行かせてる親や何かしらの関係が有る人なら自然と聞いてる情報だよ。それに、今は学園も休みなんじゃないかな? 帰省してる学生から親や周囲へ話が噂じゃなくて生の情報として流れてるはずだし」

「あぁ、そっか……」


 通信インフラや情報伝達に難があるからと楽観視していたけれども、学生が帰省して生の情報を持ち出すという事を忘れていた。

 と言う事は、ユニオン共和国にも情報が流れているわけだ。

 しまった、たかが一国のちょっと活躍しただけの個人と言う認識じゃこれから先危うかったかも知れない。

 もうちょい、認識度と危険度を高めないと篭絡だのなんだので危うい。


「けど、浮かない顔だね」

「その話はやめよう。長くなりそうだし、それで喧嘩したばっかりなんだ……。それよりも、出来れば休める場所が欲しいんだけど、あの漁村は大丈夫かな」

「行って見ないと分からないけど、確かに一休みしないと駄目そうだね。フアル、移動は出来る?」

「いっつでもぉ!!!」

「ヤクモは?」

「直ぐにでも」


 そもそも、お互い荷物なんて無い身だった。

 剣は大丈夫だし、拳銃は海水塗れだけれども紛失はしていない。

 食事も金も、最悪天幕さえも準備できるので大丈夫といえば大丈夫なのだが──。


「けど、驚いたね。クラーケンの噂は聞いてたけど、まさか自分達が乗っている時に遭遇する事になるとは思わなかったよ」

「にゃ~、逃げる為の船も無くなっちゃったしね~。助かって良かった良かった」

「君はどうして逃げ遅れたのかな?」

「──クラーケンに、剣ぶっ刺して。真っ二つにしたら、もう遠くまで連れて行かれて……」


 事実でしかない。

 それ以前に剣を取りに戻ったり、マリーを見かけてなくて若干長居してしまったりとかは省く。

 傾いた船をよじ登っていって、滑り落ちた先でクラーケンに剣をぶっ刺すとか、頭がおかしいと言われても仕方が無い。

 当然のように、二人から半笑いとも困惑とも苦笑とも取れる表情を見せ付けられた。

 居心地が悪い。どうせなら噂や素性ですら知らない相手だったならどれほど気楽だった事か。

 しかし、俺の「何言ってんのコイツ」的な発言は漁村に着くと直ぐに事実として認識される事になった。

 

 村人が騒がしくしており、浜辺の方で人だかりが出来ているのだ。

 何事だろうかと思っていると、どうやらタケルが聞きこみに行ってくれたらしい。


「……クラーケンが真っ二つになって、その片方だけが流れ着いたんだってさ。村じゃそれを吉兆と見るべきか、それとも凶兆として見るべきなのか──とにかく、戸惑ってるみたい」

「はにゃ? その話、さっきヤっちんから聞いた話と一緒だよね?」

「あはは……」


 乾いた笑いしか出なかった。そして胃液が出そうになるのを水筒の水で誤魔化し、近くを通り掛かった人を何とか捕まえる。


「その、船が沈んで、投げ出されて……。出来れば、休める場所があれば良いんですけど──」

「あぁ、アンタらもか。今朝も一人漂着者が居てね。ここがどこだか分からないからとりあえず保護してるんだが」

「あ、はい」


 どうやら先客が居たようだ。

 案内されるがままに、空き家へと連れて行ってもらった。

 本来は集会所の役割を持っているらしいが、特に何も無い時はふらりとやってくる来訪者に解放しているらしい。

 ベッドのようなものは無いが、敷き物と被る物があるので睡眠には困らなさそうだ。

 既に運び込まれた品々の中で、見るもゲンナリとしそうな相手を見つけ出す。


「やだ、もう帰りたい……」


 それを言いたいのは自分の方だと泣きたくなる。

 船で散々っぱら探した相手が自分よりも打ちのめされて泣いている。

 しかも頭からグショグショで、暖炉の前で火の温もりを浴びながら何かに巻かれていた。

 ……見ないと思ったら、見知らぬ場所で真っ先に海へと落下したに違いない。

 ご自慢の魔法も海に落ちれば無意味だ、流されて気がつけばボッチとかついて無さ過ぎである。


「あ~、その……。マリー?」

「っ……」

「船で見かけなかったから心配したけど、会えて良かった……」


 心の奥底からの言葉であり、本音であり、真実だ。

 ただ、前日言い争った相手だというのに安堵してしまう自分が情けなかった。

 気が緩んでいたなら、きっと涙していただろう。

 心細いというよりも『相手はこっちを知っていて、自分は常にプレッシャーを受け続けている』と言う今の状況が嫌だったのだ。


 自分でもクシャクシャな表情だっただろうなと思いながらも、マリーと目線があった。

 彼女は決して自分が泣いていた所なんて見せないだろうと思ったけれども、どうやら思ったよりも変な声と表情をしていたらしい。

 泣いたマリーと、一人ぼっちの自分。

 自虐的にそんな事を考えていたら、マリーが飛びついてきた。

 泣いている事を隠したりもせず、俺に抱きついて泣いている。


「よ゛、よ゛がっだ……。また、ひとり──」

「──……、」


 半ば押し倒されるような形で尻餅をついてしまい、痛いなあなんて言える雰囲気でもなかった。

 演技でも何でもない、本当に泣きじゃくる彼女に対して何かを言えるはずも無い。

 仕方が無いなと泣かせたままにし、抱っこの要領で彼女を抱えるとゆっくり立ち上がった。


「その、えっと……。彼女はマリーで──。神聖フランツまで一緒に行く途中だったんだ」

「じゃあ、旅の仲間?」

「そういうことに、なるかな? 他にも同行者が三名と知り合いが二人居たんだけど、そっちは脱出用の船に乗れて無事みたい。自分らは脱出失敗組……かな」


 事実、自分らは全員流された組だろう。

 打ち上げられていた自分ら三人と、真っ二つになったクラーケンの半身と一緒に流されたマリー。

 マリーが居ただけ救われたと考えれば、少なくとも絶望的な状況ではないのは確かだ。


「ゴメン、二人とも。とりあえず、休もう? 話は後でも出来るし、こっちも落ち着いてないから」

「そうだね。それじゃあフアル、俺達は別の部屋で休もうか」

「にゃ? タケにゃんがそれでも良いならいいけど」


 フアルとタケルが隣部屋に必要と思われる物を持って去っていった。

 フアルは頭の上に荷物を載せてバランスを取っていたが、そういうのが好みなのかもしれない。

 二人が去ってなお泣き止まない彼女に、そう言えば眠る事も出来ないトラウマが有ったんだと思い出す。

 最近の言動で忘れがちだったが、初対面の時を思い出せば変わりすぎなんだよなあ。

 目の下にクマが強く浮いていて、表情も感情も死んだような感じで、髪を引きずって歩いていた。

 それがちゃんと整えてやれば可愛いのだから、忘れていたのだ。

 

 本来なら──或いは、イケメンやコミュニケーション能力が高い奴なら泣き止ませるのだろう。

 しかし、今の自分にはそんな声をかけられる余裕が無かった。

 本来であれば揺るがぬ者として他者を救い、安心させ、有事においては導いたりしなければならないのに……今の自分には、それが出来ないのだ。

 仕方が無いから、マリーの服を乾燥させてやると暖めるように暖炉前で椅子に座った。

 赤ん坊や子供をあやすように、ゆっくりと揺れながら背中を撫でる。

 肩が徐々に湿ってきたが、それは彼女の涙なのか鼻水なのか……。

 それでも良い、自分には他人を許す事しかできない。

 

 若干ウトウトしかけて、マリーの泣き声や鼻を啜るような音が無くなったのに気がついた。

 俺も涎が垂れていて、疲労がだいぶ募っていたのだろう。

 だが、俺も精神的に参っていたのだろう。久しぶりに見る幻覚がそこにある。

 最近は落ち着いていたけど、やはりこれだけは切り離せないようだ。


 ちゃんと休もうと横になろうとしたけれども、マリーが俺にしがみ付いたまま離れない。

 仕方が無いのでそのまま二人で眠るような形でちゃんとした睡眠を取る。

 酒を摂取せず、こんな精神状態でまともな睡眠が取れるかと言われたらはっきりと否定できる。

 悪夢の世界は、慣れていても疲れが取れない。

 アーニャと会っている時間も意識が有るので、肉体的疲労と精神的疲労は別だ。

 しかし、悪夢は精神的疲労と共に僅かな肉体的な疲労も伴う。

 休みながら、夢の中で疲れていくのだ。

 

 ドラッグをやっている人は、毎日こんな感じの世界で──翻弄されているのだろうか?

 揺さぶられて、無理矢理に戦い続けるような悪夢から現実へと引き戻される。

 寝起きは最悪だし、汗を流しまくっていたけれども、休めたといえば休めたようだ。


「ねえ、大丈夫!? すごい汗かいてるけど……」

「あ、う……ん。ちょっと暑苦しかったというか、息苦しかっただけだから。──怪我は? お腹が空いてるとか、体調が悪いとかは無い?」

「私は……大丈夫」

「なら、いいかな」


 そう言ってゆっくりと起き上がるけど、マリーの心配そうな表情が戻る事は無い。

 何かやらかしたかなと思ったけれども、彼女は一つ深呼吸をした。


「──それで、どうするの?」

「まだ何も。ここがどこで、帰る方が早いのか、アイアス達が近いのかも分からないかな……」

「と言う事は、合流するつもりは有るって事で良いのね?」

「まあ、大任まかされて船が沈んだくらいで帰るのも悪いし。ここまで来たんだから、行こうかなって」

「呆れた……。けど、場所が分からないんじゃ進むも退くも難しいものね。そう言えば、誰か二人一緒じゃなかった?」

「船に乗ってたんだってさ。漂流してた所に居合わせて、ここまで一緒に来たんだ」

「ふぅん……」


 マリーはそう言ってから少しばかり考え込み、それからポツリとこぼす。


「──ゴメンなさい。私、アンタにとって踏み込まれたくない場所に踏み込んだ」

「いや、良いよ。異状だってのは自分でも理解してるから。謝らなくて良いし、こっちもその件で謝るつもりは無いから。平行線で進まない話はおしまいにしよう?」


 もうその話題はしたくないと言い切る。

 自分が異状である事を認め、けれどもそれを「他人に害を及ぼさないから」と正す事は無いと断じた。

 ……異状であったとしても、それしか自分が自分でいられる要素が無いのだ。

 ”もし私が持っているものによって私が意味されているのなら、それらを失った時私は誰になるのだろうか?”という名言がある。

 つまり、自分が他人を優先してその結果傷ついたり倒れたとしても、それが”自分を構成している要素”なのであって、それを無くしてしまった時に何も残らないのでは無いか、と言うことでもある。


 それですら無くしてしまった時に、自分に果たして価値が有るのかどうかを考えてしまうと吐き気がする。

 価値の無い人にはなりたくない、生まれた事に何かしら意味を持ちたい、死んだとしても無意味な人生だったとは思いたくない。

 それだけが全てだ。


 マリーが目を揺らがせる。

 たぶん何か言いたいのだろう、踏み込みたいのだろう。

 けれども、それすら否定し、拒絶し、断ち切った。

 だから彼女は何も言えなくなって、諦めのように重く息を吐くだけだ。

 平行線だと断じたから、何を言っても無駄だよと告げたのと同じ。

 これで諦めなかった場合は、こちらも逃走か全面戦争しかない。

 

 よっこらしょと立ち上がり、何をすべきか考えた。

 すると何も言っていないにも拘らず、マリーも同じように立ち上がった。


「なに? どこ行くの?」

「あぁ、いや。その……情報収集でもしようかなって。それに、ここを借りる事に関しても話をしないと」

「私も行く」

「良いよ、一人で出来るから。マリーは休んでてよ」


 そう言ったけれども、マリーは納得しなかったようだ。

 けれども、主張を曲げない事を理解したのか不満そうに彼女は座り込んだ。

 それからコテンと倒れて不貞寝を始めてしまい、苦笑するほか無い。

 建物を出てから、まず村長かそれに連なる偉い人に会いたいと考える。

 まず知り合いを助けてもらった事と、休憩できる場所を貸し与えてくれた事。

 それからは飲食含めた金銭のやり取りをして、最後に情報をと考える。

 面倒だけど、やるしかないかあ……。


 しかし、だ。クラーケンの騒ぎのせいで誰がどこに居るのか検討もつかない。

 マリーと会って安心したのは良いけど、謝罪を通して再び踏み込まれそうになったから逃げたから帰るのは難しい。

 いや、難しいんじゃない。時間と距離を置きたいのだろう、じゃ無いと気まずいまま同じ空間に居なきゃいけなくなる。

 それだけは避けたい、なんとしても。

 そう言えばと、カティアにマリーを見つけて合流したことを伝える。

 少しばかり休み、これから情報収集することも伝えた。

 

 ノンビリやるしかないかなと、今日一日をここで潰す気持ちでノンビリと散歩をするしかなかった。



 ──☆──


 ヤクモが出て行ってから暫くすると、奥の部屋から炊けるとフアルが出てくる。

 そして気にかけた様子でマリーたちが居た部屋を見ていたが、そこにマリーしか居ないと知ってタケルは安心して部屋に入った。


「マリー? 久しぶりだね」

「やっはろ~、おっひさ~? なんだかちっちゃくなっちゃったね~?」

「あぁ、もう。うっさいなぁ……」


 二人に声をかけられて、不機嫌そうにも応答するマリー。

 その場に座り込んで二人を見上げ、見知った顔だと頷いた。

 タケル──現在ツアル皇国に召喚されている英雄の一人で、フアルと呼ばれた女性も偽名であり『ファム』が実名である。

 彼女もまた英雄であり、マリーの顔見知りであって当然だった。


「何年振り──と言うのも馬鹿馬鹿しいわね。相変わらず好青年だし、相変わらず頭が軽そうね」

「それは褒めてるのかな?」

「頭が軽いって、褒めてる?」

「片方は褒めてる、もう片方は馬鹿にしてるのよ」

「だって、タケにゃん。モノノフらしくないってさ!」

「今の選択肢で俺が貶されてると思えるほうが凄いけど……」


 タケルはため息を吐くと、鞘で椅子を引っ掛けて手繰り寄せて座った。

 ファムはその場で床に座り込むと、鼻をひくつかせて少し考え込む。


「ヤっちんは出かけた?」

「情報収集だって。それと、一人になりたさそうだったから一人にさせてる」

「そかそか。出かけたんだ。逃げたとかじゃないんだ」

「──そうやって、無神経に人の痛いところ突くの止めてくれない?」

「え? 痛かった?」

「っ……頭の中まで筋肉で出来てる奴はぁ──!」


 マリーが歯軋りをするが、それでも手や足は出ない。

 それは彼女達のパワーバランスが如実に現れているとも言えた。

 魔法なら誰も敵わないという自負はあっても、魔法を使って勝てる状況に今居ないという判断から来るものだ。

 例えばロビンであれば、得意の弓にしても弓を出し、矢を構えて放つのに何段階かの動作が必要になる。

 しかし、目の前のフアルにはそれすら不要で、どう足掻いてもこの距離じゃ敵わない事をマリーは理解していた。


「マリー。久しぶりで悪いんだけど、頼みが有るんだ。良いかな?」

「あによ」

「ファムの事、初対面で誤魔化す為に『フアル』って紹介しちゃったんだ。それに、こっちの身分は明かしてない。口を滑らせたり、変に明かさないでくれると助かるかな」

「なんでそんな面倒な事してんのよ」

「いや~、ごめん。フランツ帝国で嫌な話ばかり聞いてたからさ、彼がどっち側なのか分からなくて、ついね」


 と、タケルは正直に話した。

 彼もまたフランツ帝国に向かっている最中であり、きな臭い噂を幾つも聞いていた。

 その結果、真贋分からない噂の英雄とやらを信じる事は出来ず、自分の名前は言ってしまったけれども、彼女だけでも誤魔化そうとしたのだ。

 しかし、本人の精神状態や無知から追求される事も無く、むしろ咄嗟に脅迫染みた行動をとってしまった事さえ無意味になってしまったのだ。


「──悪い事をしたなあ」

「何したのよ、アンタ」

「目覚めた時にさ、強い”魔”の気配がして。反射的に斬りかかっちゃったんだよね。彼、人で有ってるよね?」

「アイツは人よ、間違いなくね。けどあの片目が強い魔の気配を出してるから……アンタと相性悪いんじゃない?」

「はは……」

「今でも、魔物に対する執念と怨みで反応しちゃんでしょう?」


 対魔物の専門家──と嘯いたが、実際にはそんなものではなかった。

 魔物が発する嫌な気配とでも言えるものに反応してしまう、それが彼の特性だった。

 ただそこに存在しているというだけで身体が勝手に反応して戦闘状態になってしまう、無意識でであろうと”怨返し《仇討ち》”をしてしまうほどにドロドロとしたものを抱えていた。

 それは彼が片目を失っただけでなく、親友や仲間を失った事に起因している。

 強い怨みと、強い復讐の念が咄嗟に魔の気配を漂わせていたヤクモを切り捨てかけたのだ。


「──俺は、少しは制御出来てるつもりだったんだけど。ダメみたいだね。意識が無い時は、どうしても本質の方が出ちゃうみたいだ」

「なら、慣れて。アンタが寝ぼけてヤクモを斬って捨てたらおしまいでしょ」

「……マリーは随分信じてるんだね。魔の気配が強くて、俺には信じ難いのに」

「助けられちゃったから、信じるしかないじゃない」


 タケルの言葉に、マリーはそう言い切った。

 その表情にタケルは呆気にとられ、それから考え込む。


「助けられたって、どういうことかな?」

「あの……名前が出てこないけど。アンタが気にかけてた、名前すら消されたアイツが私を殺しに来たのよ。そこにアイツが来て、私を助けに来てくれた」

「アイツって……あ~、名前が出てこないけど、あの?」

「ええ、そう。普通なら敵わないと考えて逃げるはずなのに、諦めても良かったのに──そのどちらもしないで、最終的に相打ちになって助かった。今でも……あの時の事を覚えてる」


 マリーはしみじみと語る。

 静かで感情的に、だからこそ事実であり重みのある物事なのだと二人は聴いて理解した。

 タケルは何かを言おうとしたが、それでもそっと息を漏らした。


「──彼は”英雄っぽかった”かな?」

「ええ、そうね」

「救われた気になった?」

「だいぶ」

「そっか。じゃあ……信じるよ」

「ニシシ、タケにゃんが素直とか珍し~にゃ~」


 ファムが胡坐をかき、頭の後ろで手を組んで笑みを浮かべた。

 その様子を見ていたタケルだったが、直ぐに何かに気が付いて眉を顰める。


「って、ちょっとまって。ファムはわかってたってこと?」

「ま~ね~。匂いで分かったよ?」

「じゃあ、刃物を突き立てて脅した時に止めて欲しかったかな……」

「……獣人族は色々便利で良いわね」


 ファムは、大剣使いの騎士と言われており、宗教的にも歴史的にもそう描かれている。

 伝承では後にヴィスコンティ建国の際に、王として立った英雄に仕えたとされている。

 忠義に篤く、巨体に見合った大きな剣を振るって敵を凪いだとされているが──。

 今現実に居る人物はそもそも男ではなく女だし、巨体でも無く細身であり、そもそも人間でもなかった。

 マリーに言われて、普段は”人化”で隠している獣の耳と尻尾を出す。

 フサフサと毛並みの鮮やかな尻尾が揺れ、頭にもピコピコと動く獣の耳が存在している。

 隠しているのが負担なのか、それとも久々に本来の自分を曝け出せてノビノビとしているのか、ファムは機嫌良さそうにしていた。


「ファムは……彼を信じても良いと思うかい? 魔の気配が混じっていて、俺はそこが心配なんだけど」

「にゃ~、大丈夫だと思うよ? そもそも魔の気配だけで善い人か悪い人かなんて分かりっこないじゃん」

「──アンタのそういう所、頭が悪いくらいに真っ直ぐで嫌いじゃないわ」

「やたっ、褒められた? ねえ、褒められた?」

「あ~、うん。そうだね。マリーに褒められたんだ、ファムは喜んで良いよ」

「わ~い、やった~っ!!!」


 褒められたと聞いて大喜びするファム、そんな彼女を置いてタケルはしみじみと呟いた。


「──けど、不思議だね。二度と、誰とも親しくしないと思っていたマリーが、そこまで気にかけるなんてね」

「それくらい、私にとっては小さくない事だったのよ」

「それでも……大事にすれば大事にした分だけ、後になって失った時に辛くなるって分かってる? いや、その事もきっと君なら分かってるんだろうけどね。俺は……未だに心の整理がついてないから」


 タケルはそう言って眼帯をしている目を抑えた。

 本来そこにあるべき物は既に失われており、ただ空洞が存在するだけだった。


「……アンタも、目と親友を失ってるものね。それでも、独りで居る事を選んだ私よりは偉いと思ってる」

「はは、マリーに慰められるなんて。槍でも降るかな……。あぁ、ゴメン。悪気は無いよ? ただ──なんだか、あの頃が懐かしくなっちゃって」

「アンタは……タケルは、こっちに呼ばれてどれくらい経つの?」

「俺はもう……一年か、二年くらいじゃないかな。ファムと同時に召喚されて、それから殆ど魔物と戦い続けてきたから、日数とかよく判らないんだ」

「や~、長かったね~? 殆ど毎日戦ってて、よく判らなかったよ」

「ファムの制御が一番大変だったんだけどね?」


 タケルの言葉をファムは聞き流した。

 彼の言葉は事実で、ファムは戦闘に入ると若干狂戦士化の気が有った。

 敵を見かけた時点で機械のように全てが戦闘に傾けられ、誰かが背中を押してやるか交戦しなければ危うい状況だと判断すると即座に飛び出していった。

 扱う得物が彼女の背丈の倍はある大剣である事から、並の兵士じゃ支援や援護をするだけ命を投げ出すに等しく、結果として彼女を独りで暴れさせておく事しかできない。

 気がつけば敵を求めてそのまま敵中へと突っ込んでしまい、タケルが慌てて制御と救出を試みる事が殆どだった。

 

 仲間の筈なのに、半分ほど敵のような感じで動き回るという意味でタケルは常日頃苦労していた。


「マリーは、今は何してるの?」

「私は……優雅に隠遁生活よ。主人との折り合いが悪くてね、そのおかげでやる事も無くて毎日研究三昧」

「はは、らしいといえばらしいね……。それで、襲われたってのは本当?」

「ええ、本当。主人の命令だとか何とか言ってたけど、本人はノリノリだった。私じゃ近接戦闘に向いてないから、アイツが来なかったら──もう少し遅れてたら、終わってた」


 マリーは、その時の流れを全て説明した。

 自分の主人の命令でデルブルグ家に近づいていた事、その途中で遭遇して戦うはめになった事。

 抵抗し切れなくて殺されかけた事、その最中にヤクモが来て何とか助かった事。

 その全てを聞いていたタケルは、表情を険しくしたままだった。

 そしてゆっくりと、マリーに頭を下げる。


「……ゴメン。俺が、もうちょっと心を開かせていれば」

「良いの。どうせアンタが居ても居なくても、命令がある以上はどうしようもなかったし、それに抵抗するほど仲が良かったわけじゃないから」

「けど、辛かったでしょ」

「まあ、色々とね。けど、私はあの時本当の意味で救われたと思う。──訳が分からないでしょ? けど、それで良いと思ってる」


 マリーの表情と言葉に理解を示したタケルは、頷くとゆっくりと表情を和らげた。

 そして最後に再び「ゴメン」と言うと、マリーは同じように「良いの」と繰り返した。

 それはお互いに「これで話を終わりにする」と言うものでも有った。

 それを聞いていたファムは手を叩くと「難しい話は終わりかにゃ?」と空気を一転させた。


「けどさ、マリーを助けたのに元気無さそうだったね~。むしろ、マリーが助けたって言う方がまだ信じられるかにゃ?」

「その……。ちょっと──色々有って」

「心が折れてる、みたいな感じだったね。何かを失ったか、或いは疲れすぎたか……。なんにせよ見たことのある顔だ」

「アイアスにも同じ事言われた」

「原因は?」

「──アイツの領域に踏み込みすぎた事かなって思ってる」

「何を言ったのかな」

「……誰かを助けられても、それで自己満足したまま死ぬのは許さないって」


 マリーの言葉に、タケルは多くを語らなかった。

 ただ「そっか」と漏らして、詮索も踏み込みもしなかった。

 そのまま暫く考えていたが、タケルは何か思いついて硬貨入れを取り出した。


「ファム。久しぶりに料理作れるかな?」

「んにゃ? 何があるか分からないけど、いいの?」

「目的地は同じなんだし、理由が理由だから一日遅れても仕方が無いさ。そもそも、村は騒ぎで情報収集も難しそうだし。何かはこっちでもやらないと」


 そう言われ、ファムは暫く考え込んだが「ん、りょ~かいっ!」と建物を出て行った。

 タケルもゆっくりと立ち上がり、建物を出ようとする。


「どこ行くの?」

「調理器具とか借りてくるよ。鍋だとか、薪だとか……。そこらへんも無いと、料理が食べられないし」


 そう言ってタケルも去って行った。

 マリーはその後どうすべきか悩み、迷い、結果として再び寝床に倒れこんだ。

 最近の自分はおかしい、変だと自覚していて、壁にぶつかり悩んでいる。

 ロビンの真似事をして高い場所からヤクモを眺めていたせいで、逃げ送れて海に放り出された事。

 そもそも他人を軽んじるだけだったのが、相手に踏み込んでまで何かを言うようになった事。

 以前の自分ならそんな事をしなかったと考えながら、反目していた一人の少女を思い出す。

 デルブルグ家長女──と言うのは仮の姿で、クローン人間であって正しく生を受けたわけじゃない人物。

 その人物でさえ、最近は気難しい表情が減ってきていて、同じように自分も影響を受けているのだろうと彼女は考えた。

 誰に? そんなものは言うまでも無く、現在心折れている青年だった。



 ──☆──


 カティアが浮かない表情でベッドに倒れ伏している。

 その部屋もベッドも、今現在遠くを旅している主人のものであり、彼女の居るべき場所では一切無かった。

 

「心が折れたって、どういう事なんだろうね」


 部屋の中には、意気消沈して物言わぬ屍のようなカティアとは別に、ミラノやクライン──そしてついに自力で行動する事が可能になったアリアが居合わせていた。

 異常事態からの安否確認でホッとしたのも束の間で、安心しすぎて今度は余計に心配になってしまったというのがカティアだった。

 それでも、いつでも連絡が取れて反応できるようにと幾らか優遇されたので、彼女の居る場所にクラインたちが集って居るような状態だ。


 ──そして、部屋の主が居ないにも拘らず部屋は散らかっていた。

 その理由は単純で、ミラノが机の周りを私物化しており、魔法の研究で入り浸っている事が多いからだ。

 アリアも当初は色々言っていたが、ミラノがこの部屋でやっていると捗ると主張した事で黙認している。

 それどころか、彼女自身もまた同じように部屋に入り浸っていた。


「心って、概念的なものだった気がするけど……」

「概念なのに折れるの?」

「あ~、えっと。気持ちとか、気力が萎えたとか、そこらへんに置き換えられるんじゃないかな」

「つまり、やる気が無くなったと」

「表沙汰にならないけど、一応外交……みたいな、ものだよね? なんでやる気がなくなるのかな……」

「──緊張の糸が切れたとか、疲れたとかじゃないかな。ミラノはそこらへん、何か分かる?」

「実際に見聞きしないと分からない、わね」


 そう言ったミラノの言葉に、カティアがもぞりと動く。

 ベッドにうつ伏せのまま、憔悴したような、或いは泣きはらした後のようなカティアの表情には誰も触れはしなかった。

 ただ、アリアだけがハンカチを取り出すと魔法で湿らせ、その顔を少しばかり拭いてあげた。


「ご主人様の喋り方と声、ミラノ様と会った時に戻ってた……。俺じゃなくて自分って言ってたし、クライン様と同じ言葉遣いになってた」

「──……、」

「あ~、えっと。それって悪いの? それとも良いの?」

「兄さまは態度や喋り方がそれで固定だから良いけど、アイツだと……」

「──仕方が無い、しょうがない、どうしようもない、やるしかない。後ろ向きな状態だね」


 そう言って、ミラノとアリアは目を覚ましたヤクモが食事に行きたがらなかった事を思い出す。

 沢山の人に見られることが嫌だと、緊張すると二人には言っていた。

 他にも、当時は魔法が使える事や戦える事を知らなかったが、アルバートに食事を蹴り飛ばされても驚き、それから寂しく悲しげな表情をしただけだったのも思い出された。


 最近では嫌な事にはハッキリとそれなりに態度や言葉で抵抗を示したが、それすらしないで内に抱えている時の事だ。

 ミラノとしては最近の出来事で、アルバートとオルバの時に一方的に黙らせてその場を収めようとした事がそれなりに不満だったと聞かされたのに驚いたりもした。

 もう忘れているか、或いはどうでもいい事だと受け流したかと思っていたのだ。

 そして、表面では殆ど感じ取れないくらいに色々と考えている。

 全く知らない場所での生活や新しい知識や情報。

 自分がどうすべきで、その中で何をしてはいけないかも考えている。

 ──だが、そんな前向きな思考とは別に辛くなる時もある。

 

 ミラノは、きっと今でもあの”ケータイデンワ”なるものが、今有るものの中で一番の宝なのだろうと思った。

 彼女の父親は「語れる位には受け入れている」と言ったが、それはまた違う話だ。

 両親の死を受け入れたのであって、家族そのものを想っていないというのは別だから。

 

「肉体的な疲労じゃなくて、精神的な疲労が取れてなかったって事なんじゃないかな?」

「それは、ええ……そう、ね」

「だって、召喚された時点で一番負担が大きいわけじゃん? 彼の慣れ親しんだ規則も、慣れ親しんだ生活も、慣れ親しんだ食事から時間の使い方に至るまで全てから切り離されたんだから」

「そうだねえ」

「それでも、後ろ向きでも生きていこうとして、本来ならゆっくりと馴染んでいくはずだったかも知れないけど──魔物の襲撃でしょ、本人の望まない名声の高まりと言うか名前の知られ方による負担、善意だったかも知れないけど他人を演じて、その後は部屋に篭って休むはずが来客だらけ」

「そもそも一月くらいしか経ってないから、ある程度落ち着きは見せられても今までの自分と新しい自分で、ズレが生じるから……それこそ、仕事とかでどこかに行くのと、そもそも自分の全てを新しい場所に行かせるのとは違うと思うんだ」


 アリアの言葉にクラインとミラノは肯定する。

 押しかけた自分達の言う事ではないが、構いすぎたのだと分かった。

 そもそも、一人になりたい、食事を一人でとりたいと言った時点で過去の発言と絡めれば分かりきった事なのだが、それをミラノとアリアは失念していたし、周囲はそれすら知らなかった。

 主張の無さと無理解から来る、事故にも近い出来事だった。

 

 どちらが悪いかといえばそういった致命的な事柄を一切主張しなかったヤクモが悪いとも言える。

 しかし、不慣れな環境や誰を信じて良いかも分からず、萎縮していたからと考えれば責める事も難しかった。

 そもそも、弟に似ている、母親に似ている。それが辛い。

 それですら、零したのはつい最近なのだから。


「休ませるって言うのが、誰とも接触しないと言う意味だと接し辛いと思うんだけど」

「或いは、本当に”女性”と言うのが負担だとか、受け入れ難い変化を受け入れなきゃいけないと気付いたとか?」

「受け入れがたい変化……。生活とか、常識とか?」

「そもそも貴族が居なかった、とか言ってたよね。だとすると、ご飯を食べて、お風呂入って、寝てって言う基本的な所以外は全部変わったとか──」

「そこももしかしたら大分違うかもしれないけどね。口にする物の傾向だとか、入浴の作法だとか、寝床の質とか……。そもそも、部屋がどんな物かすら分かってないでしょ?」


 三人は、なぜヤクモの”やる気”が無くなったのかを語り合い、考えてみて、色々言ってみた。

 しかし、結局の所それが徒労だと知ったのは直ぐだった。

 なにせ何も分からないからだ。

 ミラノはヤクモが語る”カガクの応用”だとか言われても分からないし、持っている道具ですら理解できない。

 クラインは彼の知識や情報を幾らか盗み見たが、その全てが何なのかを理解できていない。

 アリアはそもそも理解度が足りなさ過ぎた。


 カティアに少しばかり期待するような目線が投げかけられた事もあったが、本来は猫だったという事もありそっとしておこうと言う事になる。


「僕の考えで良いなら、言っても良いかな?」

「うん」

「兄さま、お願い」

「今までの言動や情報から考えるに、女性が相手だと疲弊する可能性があるから除外。下手に強いたりするとそれもまた負担になるから──ミラノは二つ被ってるから、少し関わらない方が良いかも」

「あ~、う~。そうなっちゃうかぁ……」


 ミラノは、顔を歪ませた。

 女性である事、そして立場上──或いは主人と護衛と言う事で発言力の強制力などが関わってしまう。

 その関係上、どうしてもミラノは踏み込んでしまいがちだし、ヤクモも踏み込まれた上で強く反発も出来ないことを理解した。

 一瞬叫びかけた自分が居るのを自覚して、それを誤魔化すような煮え切らない声が漏れるミラノ。

 それを知らずに、クラインは言葉を続けた。


「そう考えると、僕が適任だと思うんだ。何より、外見も声も似てるから、若干遠慮が無いかも。まあ、いきなり全部は聞けないだろうけど、何が違うか位は理解できると思う」

「あれ、私はどうなるのかな?」

「アリアは……そもそも、なんだろう? 接点が少ないと言うか、お互いに触れず踏み込まずだからねぇ──。と言うか、アリアが個人でヤクモと関わった事ってある?」

「あ~、無い……かも」

「ミラノが相手だと若干身構えちゃうけど、アリアだったらシレッと佇んでいても言葉をそこまで考えて選ばないと思うし」

「それ、私がいると選んでるみたいに聞こえるんだけど」

「え? 選ぶでしょ? 自分の生活や待遇に関わるんだから」


 クラインは何の悪気も無く、ズバリと切り込んだ。

 ミラノは言葉につまり、そんな二人を見てアリアは苦笑するしかない。

 若干見慣れた光景でもあったし、初めての出来事でもあった。

 外見上似た人物が、同じようにしていた所を見てきた。

 実の兄が自分のクローンと普通に関わっているのを初めて見た。

 そして、さっきも長々と言葉を発しても喉に負担がかからない自分にも驚いていた。


 その分、アリアは怖くなる。

 その幸福が一人の人間によってもたらされたという事実と、”恩”の集約と言う事態に。

 色々と考え込んでしまい、最終的には「幸せが失われるのが怖い」と言うところに行き着く。

 かつて兄が居なくなってしまった事や、母親が部屋から出てこられなくなった事。

 本来であれば自分がすべき事をクローンであるミラノが矢面に立ってしている事。

 健康や魔法に関しても色々と失った自分と色々なものを味わっている。

 だからこそ、感謝と共に悩ましくなっていた。

 ヤクモと言う人物が、なぜそこまでするのかが理解できないというのもまた一つの懸念事項でもあったから。


「だって、実際に飲酒禁止を言い渡されてそれを守ってるじゃん。一度でも痛い目を見れば、うまくやろうとするよ。考えられる対策は、真面目に飲酒を制限するか──」

「あぁ……コッソリ、少量飲むか、ね」

「もしくは、それに準じる何かで補うとかもあるけどね。とにかく、僕も少しは色々とやってみるよ。ミラノに出来ない事をアリアがして、アリアに出来ない事をミラノがしてきたんだから、二人が出来ない事を僕がすればいい。家族だし、兄妹だし──それに、これから加わる家族の為でもあるんじゃないかな」


 そうクラインは言い切った。

 もしかしたらそこまで深く考えて居ないかもしれない、それでもそんな”綺麗事”をその通りであるかのように口に出来るのを『何も知らないバカ』と言うか『本当にそうだと思っている純粋な人か』で評価が分かれる。

 ミラノとアリアは、後者だと思っている。

 五年前のあの日、例え力が一歩及ばなかったにしても傷だらけで妹を──妹達を助けに来た事実は嘘じゃないのだから。


「──ほんと、こういう時に兄さまは頼もしいわね」

「そうだね」

「そ、そう? 兄らしく出来てるかな?」

「ええ、五年間居眠りして居たにしては上出来かしら」

「ひっど!? ──くはないか」

「なんで冷静になるのよ……」

「いやぁ、確かに五年も寝てたから、そう思われても仕方が無いのかな~なんて」


 クラインは自分で納得し、笑いながら「そういえば、お茶が無くなってた」と自分で用意しだす。

 本来であれば継承権や出生順で考えればクラインが用意するのはおかしな話なのだが、二人はそれを咎める事も止める事もしなかった。

 ミラノが動くよりも先に、アリアがその補佐に入る。

 場を改める──と言うよりも、仕切りなおすように机の上を整えなおす。

 不必要な物を机から退かして空間を広くし、お互いに気持ち良く居られるようにと言うささやかな心遣いだった。


「姉さん。こういう時ね、少しでも気遣いが出来ると相手も良い気分で居られるんだよ」

「──そうね。そういった事、考えた事もなかった」

「普段なら私がそうしてきた事だもん、仕方が無いよ。それに、姉さんはそういうの無頓着だったから気にならなかったかもしれないけど、覚えておくと役に立つかも」


 アリアは自分が何故そうするのかをミラノに語った。

 学園の部屋に居た時は基本的に『アリア』がやる事になっていたが、それも別に決めて始めた事じゃない。

 ミラノが常に様々な事柄に対峙し、対処し、気に入らない奴にはその強気な態度で口撃をしてきた。

 その分誹謗中傷も有ったが、ソレを知ったアリアが自然と”ミラノを少しでも楽にさせたいから”と始めた事である。


「場を整えると、落ち着くよね? 落ち着いて居られるって事は、長くその場に留まって居られるって事に繋がるんだと思うよ? 姉さんは別に特別な事をしたり、無理に理解しなくても良いと思うんだ。使った寝床が綺麗に整った部屋は、どんな時でも気持ちよく眠れるし。食事を終えて談笑している最中でも一息ついた時には余分な食器が下げられていると落ち着いて話が出来るよね? 同じだよ」

「ふぅん……」

「姉さんも、前向きに考えてるのならこれ位やらなきゃ。二人とも引き篭もりの気が有るんだから……あ、なんか怖くなってきちゃった」


 アリアはミラノとヤクモがもし本当に聞いている通り結婚したとして、嫁入りなのか婿入りなのかを省いたとしても──その将来が明るいものかと考えると、今の所首を傾げるしかなかった。

 条件は不明だけれども他人と関わるだけ消耗していく旦那と、勉学や研究の為であれば丸一日部屋から出てこない夫人。

 健康的ではないというよりも、衛生的ではない光景が一瞬で想像できたアリアは少しばかり血の気が引いた。


「ごめんね、カティアちゃん。姉さんがこんなで」


 そう言ってアリアは物言わぬ屍状態のカティアの頭を撫でた。

 そんなアリアの物言いに、ミラノは異議を申し立てる。


「ちょっと、そんな言い方って──」

「私も傍に居た方が良いかな? 対外的には姉さんは姉さんだけど、お姉ちゃんは私なんだし」


 そう言ってアリアは、この世に生を受けてからの時間で自分を姉だといった。

 ミラノは元々”ミラノと呼ばれていたアリア”のクローンであり、その思い出から記憶といった情報、体系や遺伝子情報、声や髪の色、魔法の特性に至るまで完全に複製された人物である。

 つまり、彼女自身の体験や経験では無いけれども生きてきたと言う事実は蓄積されているが──別の場所でアリアは自分を”お姉ちゃん”と言い切ったのだ。


「じゃあ、これからは姉さまって呼んだ方が良いかしら?」

「ミラノがそれでも良いのなら、私はどっちでも? 私が姉さんって呼んでも良いし、ミラノが私を姉さまって呼んでも」

「どうしようかなあ……」

「けど、出来れば姉さまじゃなくて姉さんの方が良いかな」


 そんな二人のやり取りを聞きながら、クラインは満足そうに微笑む。

 兄として、家族として。五年間ずっと心配し続けていた、愛する家族の関係が今でも大丈夫なようで安心したのだ。

 お茶の準備が出来てアリアに手伝いを頼むクライン。

 クラインがミラノの分のお茶を注ぎ、それからアリアの分を注いでから自分の分を注ごうとする。

 しかし、その途中で”カシャン”という音が聞こえ、何事かとそちらを見る。

 そこには、ティーカップの取っ手が砕けて机の上にカップを落としたアリアが居た。

 お茶が机に毀れ、ミラノが苦心しながら時間をかけて乱雑に書き殴っていた魔法の詠唱文が滲んで歪んでいく。

 

「ああああぁぁぁあッ!!!!?」


 ミラノは自分の努力が滲んで消えていくのを見つめている事しかできない。

 咄嗟に退避させるなどと、色々とすべき事は有っただろうが突然の出来事に反応できずに居た。

 そんなミラノのかわりに退避とこぼれたお茶を拭ってせき止めたのはクラインで、アリアは一歩送れて反応した。


「ご、ごめん……」

「もしかして、力の制御がうまくいってないのかな」

「うん……。なんかね、今まで自分を苦しめてた病気が無くなったのは良いんだけど、その代わりに力が強くなったみたいなんだ。掴んだだけのつもりだったんだけど、潰れちゃって──」

「僕も若干苦労したよ。掴むんじゃなくて、つまむ位の方が良いよ」

「何でアリアと兄さまだけそんな優遇されてるのか理解でっきなぁぁあああい!!! と言うか、私の三日分の成果ぁぁああああッ!!!!!」


 クラインが退避させたものを抱きしめて愕然としたり、クラインとアリアを羨んでるのか批難してるのか分からないミラノ。

 アリアとクラインは苦笑するけれども、直ぐにクラインは真面目な顔をした。


「けど、僕はこれを恵みだと思って使うよ。二人がヤクモに散々言っているような事を、これから当主になるに当って」

「兄さまも、危険な事をするの……?」

「違うよ、ミラノ。自分に出来る事をやる、ただそれだけだよ。力を得た、強い身体を手に入れた、その分出来ることが増えたって考えれば良いんだからさ」


 クラインは当然のように語った、それが間違いでは無いと思っていて。

 ただ──ミラノには、それがヤクモを想起させた。

 自分にできる事だからやっただけだと、常に言い続けていた彼と同じ主張。

 違うとすれば、身分や地位ぐらいなのだろうが──

 ミラノにはそれが『高貴な義務』ではなく、どこかが違って思えた。

 自分の兄と自分に仕える騎士とどこが違うのか分からず、そして自分がクラインとアリアに対して何かしらの劣等感を覚えたから過剰に反応しているだけだと断じた。


「──自分だけが劣ってるって、こんな感じなのかしら」


 そうこぼしながら、ミラノはヤクモやアルバートに僅かの理解を示した。

 この五年間、優秀だ天才だと言われ続けて来たが故に、その落差で何かしら理解を示せそうなミラノであった。

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