71話
マリーと対峙したりしなかったりしろってレベルで、なんだか関係が良く分からなくなった。
昼に差し掛かる頃には全員で部屋に戻って携行食を食べる。
これに関しては、俺が自衛隊のヒートパックを使っていたのだが、全員で食べることになった。
クロエとアーニャが見ていたので、おすそ分けでそれぞれに与えたが、どうにも好評だった。
この時代、船はまだ木材だし火なんて迂闊に使えない。
カンテラだのランタンだったかので暗い所を照らすくらいで、船自体の損失の可能性を減らすために禁忌とされた。
事実、乗船前に魔法の行使や火の扱いに関しては厳重注意された。
当たり前だ、好き勝手して船を燃やされたらたまったものじゃない。
決して安くは無い金額の乗船料だったが俺達は外交関係だし、アーニャたちは教会の関係者で──何かあったのだろう、一般よりは優遇されている。
『船って、楽しい?』
カティアとの通話が入る。定時連絡……のような、状況報告だった。
朝と昼と夕方の三度を連絡の回数に定め、それ以外では乗船や下船等と言った節目にも連絡するようにしている。
警衛や歩哨でもそうだが、全行程のどれくらいに今居るのかが分かれば良いのだ。
それに、特徴的な節目を作っておけば何かあった時に相手が察知しやすい。
乗船してから連絡が無くなれば船で何か有ったと分かる、馬車で移動してからなら襲撃の類だろう。
空白の期間が長すぎると機を失するだろうが、短すぎると疲れてしまう。
カティアにデータと文章で大よその行程を変更がある毎に送っている。
パーティを組んで地図情報を同期すれば詳細な位置が分かるだろうが、それ以前に地図情報が無くて戦場の霧を開拓中だから全体で把握できないから却下した。
『まあ、周囲が水しかなくて、景色もあんまり変わり映えしないから飽きてきたけどね。それでも潮風は気持ち良いし、魚が時々飛び跳ねたりと楽しいもんだよ』
『モンスターは出ないのかしら』
『出るけど、そこら変は対策してあるから今の所何事もないかな』
特に変わりは無いから安心してくれとカティアに伝えた。
実際に、何も無いのだ。船自体を攻撃するようなモンスターは居ないし、そもそも上がってこられないので相手にならない。
時々水面を跳ねて鋭い角で体当たりを仕掛けてくる個体も居るが、その何割かは甲板に落ちてしまって食料にされてしまった。
カジキマグロみたいにも見えたが、名称を聞く間もなかった。
『そっちは今の所大丈夫? 変わった事とかない?』
『アリア様の不調が収まってきたから、数日後にはベッドから動けるかも知れないって。咳も全くしなくなったし、今日なんてミラノ様とクライン様が見舞いに来たんだから』
どうやらカティアにとって、アリアが楽しげにしていた事は嬉しいことのようだ。
声が弾んで聞こえてくる、つまりアリアはミラノとクラインに対して悪感情を抱いていなかったと言う事だ。
その事にホッとし、俺のした事は無駄じゃなかったのだと考えた。
『言っておきますが、ご主人様? ご主人様がワザと怒らせようとした事も、嫌われようとした事も見抜かれてますわ』
『……うまくいってなかったか。けど、それはそれで問題無いから良いか。嫌われてないって事だろ?』
『さあ、どうかしら? 見抜かれたとは言ったけど、それで嫌われてないとも言ってないし』
『どっちだよ……』
『さあ、どっちかしらねえ……』
通話越しにクスクスと俺を弄ぶ悪女ならぬ幼女が居る。
女運が悪いなと思いながら、そういや水難とか言われたっけなと思い出す。
しかし、今の所順調なので海難の可能性は無さそうだ。
『マーガレット様に関して、聞きたい?』
『出来れば聞きたいかな』
『出来れば?』
『内容に関してはカティアが判断して、言っても良いと思えることを聞くだけだから。零から百まで全部聞くわけには行かないだろ』
『それじゃ、手短に行くわね。周りには四人が集まってきて、面倒だし』
『Ya, that's nice echo《はは、良いね》』
マーガレットの事を聞いてから、カティア越しに状況を聞いた皆から色々言われる。
ミラノからは見知らぬ世界の話をせがまれた。
アリアからは遠い地の何かが欲しいと頼まれた。
クラインからは旅の話を帰ったら聞かせて欲しいと言われた。
マーガレットからは何も要求されなかったが、何かを買って帰ろうとは思っている。
アルバート達はどうやら自分達の領地へと帰って行ったようだ、そう考えると寂しかったが何かお土産とか土産話でも考えておく。
そして俺になにやら置き土産があるらしく、今回アルバートの世話をした事や仲良くしてくれている事、そしてアイアスが迷惑をかけたことで俺宛にワインが有るそうだ。
カティアがストレージに収容し、一ビンだけトレードで転送してくれる。
一本だけかなと思ったら、財布を握られた旦那みたいに『有るだけ渡したらあるだけ飲むでしょ?』との事。
間違いじゃないだけに、なんだか釈然としなかった。
『それじゃあ、公爵に報告宜しく。異常なし、って』
『ええ、任せて』
その言葉を最後に、お互いの通話を終えた。
電話とは違い、片手が塞がらない。
しかも声にして言わなくて済むので、秘匿通話のような趣さえある。
それだけでも便利だし、有利である。
「ふぅ……」
「連絡が終わったんですか?」
「皆元気にしてるって。それと、まあ……お土産頼まれちった。どうしようかねえ」
「物見遊山じゃあねえが、常に気張ってもしょうがねえしな。既に決められた枠組みの中でどうするかを考えて、その中で最適だと思う事をして帰ってやりゃそれが一番だろ」
「そうするよ。まあ、道中で良いと思った物を買いながら、フランツで自由行動が出来れば向うでも見てみるよ」
臨機応変、柔軟に対処する。
食べ物かな、書物かな、装飾品かな、置物かな。
何でも良かった。ただ俺が「これが良いだろう」と思った物を買って帰れば良い。
悪意から行われた選択なら相手も鏡のように悪意を返してくるが、善意からした事であれば少なくとも負の感情を向けられることは無い。
ただ、善意の下に行われた事が、必ずしも良い結果になるとは限らないのが世の常である。
「ゴミは全部回収するから纏めて置いてくれれば助かる」
「ヤクモ様はどうするつもりなんですか?」
「ちょっと寝るよ。夜の海が見たいんだ」
ベッドの脇に剣を置き、俺は仰向けになった。
そして目蓋を閉じて、マリーとのやり取りを反芻して知られた事を嫌悪する。
……もっと上手くやるべきだった。
変な音がしたという事で屋敷にはバレてる、ただなぜそんな音がしたのかと言うのが気づかれていないだけだ。
そして嫌悪すると言う事は、自分でもそれを知られたくない事だと──悪い事だと認識していた。
けれども、そもそも体調が悪ければ今回の件だって最悪無かった訳だ。
マリーに知られた事だけがネガティブ要素なのであって、それ以外では知られなければ悪い事は無い。
ただ、ほんの少し自分の命が軽くて、ほんの少し自分よりも他人の事が気になって、ほんの少し足を引っ張る事が嫌なだけで……。
端くれながらに、俺も人間ではある。
ただ良く人間ではなくヒト《孤独》になるだけで、カテゴリー的には外れてないのだから。
酒をマリーと飲んだ事もあって頭は眠るのに適した状況になっている、後は目蓋を閉じて音楽を流して意識を飛ばすだけだが──。
「あ、マリー」
「あに?」
「また船酔いしてきたらさっきの人に声をかけるか、面倒なら起こしてくれ。また頼み込むから」
「マリー、船酔いしたの?」
「あ、うん。けど、コイツが薬を分けてもらうように頼んでくれたから、それで今は大丈夫」
「一時的な物だから、暫くしたらまた気持ち悪くなる」
「じゃあ定期的に飲めば良いのね」
「と思うじゃん? それをやってると今度は身体が慣れる事を阻害して、結局成長が無くなる。だから薬ってのは回復のタメじゃなくて、補助程度の認識で使わないと身体が弱まる」
「ねえ、良い言葉が有るの知ってる?」
マリーがにこやかな声をかける。俺はなんだろうかと身体を起こして彼女を見るが──
「やまない雨は無いって人はいうけど、私はその綺麗事を聞かされてる時に身を打つ雨に耐えられないって言ってんの。お分かり?」
「──至言ですね、はい」
俺の言葉は、マリーの言葉でバッサリと切り捨てられた。
俺は再びベッドに転がり、目蓋を閉じた。
寒いなと上着を一枚新たに取り出して自分にかける、ミラノにあげたような上着で冬用なので空気は篭るし暖かいしで眠りやすい。
俺は目蓋を閉じて、酒による自己嫌悪の世界を見る事無く眠る事が出来た。
目覚めたのは四時頃で、幾らか思考が泥に沈んだような感じの中でベッドから降りた。
周囲を見ると、アイアス達全員が眠っていた。こうやって見ると人と変わらない。
アーニャやクロエも眠っており、退屈が過ぎたのかもしれない。
ウォークマンを再生しっぱなしだったなと停止させるが、いつの間にかポケットから毀れ出ていたようだ。
再生曲が『君だけの旅路』とか、何の皮肉かと言いたくなった。
寝ている間にボタンでも弄ってしまったのだろう、ランダムシャッフルになってる。
普段は一曲ループにしてる筈なんだが、まあどうでも良いか。
甲板に出ると俺はロビンが座っていた場所を思い出して、そこまで行って見る。
傍に木箱があったので木箱に飛び乗り、そのまましがみ付いて壁を蹴ってよじ登る。
さながらスプリンターセルだ、障害物走でも役に立つテクニックだった。
その場に座り、俺は高い位置故に広がった視界から乗船してからは見る事が出来なかった乗組員の仕事を見る。
甲板周りだけでもそれぞれに役割があり、誰一人として不要な奴は居ないと思える。
名称なんてもちろん分からないが、高所で周囲を監視し続ける奴が居る。
甲板で雑事──と言うよりも、高い故に出来ないほかの作業を担いながらも同じように低地警戒して居る奴も居る。
後は船内だが、それに関しては立ち入り禁止区域があって確認できない。
そうやって循環してるんだよなと考えながら、俺はストレージから薬と酒を出した。
本来の用法の倍を口に放り込み、酒で流し込むと俺はまたボンヤリとし続けた。
時間の経過が遅かったように思えたが、気がつけば日が傾いて消えていくまでになっていた。
酒の影響か、それとも薬の影響かはわからない。
ただただ、本当に老人の如く周囲を眺め、普段の一握り以下の速度で、酒を恋人として侍らせながらその数を増やし、本を読みながら自分が目立っている事に気がついた。
魔力を放出するわけにはいかないから帯びる事で消費訓練をしていたのだが、どうやら魔法を発動した時にどうしても淡くも光が漏れるらしい。
明るい内は良いが、暗くなってきて目立つようになったようだ。
「おい、兄ちゃん。そこは座る場所じゃねえし、酒のんでるし、魔法の訓練すんじゃねえ」
怒られてしまった。
船乗りの一人なのだろう、周囲の人で客らしき人々が少しばかり騒然とする。
当たり前だ、魔法が使えればそれだけで特別階級と思われるのだから。
俺は開いていた本と酒瓶全てをストレージに突っ込むと、飛び降りた。
よろめき、ベチャリと倒れ伏すが、顔だけでも上げて「ごめん」と謝った。
「いや、分かりゃ良いんだ。そう、分かりゃな」
そう言ってから背を向けて歩き去るのだが、何度か俺の方をチラチラ見ると距離が開くにつれて早歩き、小走りとなって消えていった。
離れてから胸を押さえていたが、もしかすると仕事上言わなきゃいけないだけであって、滅茶苦茶勇気が要ったし怖かったのかも知れない。
夕食を食べる気分でも状態でも無かったが、俺が居ないと起きた面子がうるさいだろう。
そう思って戻ると以外にも皆起きていたし、なにやら遊んでいる様子であった。
トランプのようだが、アイアスに言わせると「札遊び」と言うそうだ。
食事をどうするか尋ねた所、どうやらまた自衛隊食が良いらしい。
また水で全員分用意すると、俺は立ち去ろうとする。
「あのヤクモさん。どこへいくんですか?」
「自分は日が沈むの眺めながら食べるよ。そういう気分なんだ」
「それなら──」
ヘラが何か言いかけたが、アイアスが膝を叩く。
その音に全員が注目したが、アイアスは表情を直ぐに崩した。
「──ま、そういう時も有るわな。またゴミは集めておいて置けば良いか?」
「そうだね。そうしてくれると助かるかな」
「風にあおられて物を飛ばすなよ」
「ういうい」
俺は食事の準備だけをして、再び甲板へと出た。
船の尻の方へと向かい、掻き分けられた海水が飛沫を上げながら白くなり軌跡を描いているのを眺めながら乾パンを取り出す。
食事とは到底言えない物であったが、酒で腹が満たされすぎていて固形物を食う気にはなれない。
時折混じっている砂糖は除けて、カチカチに固まったパンを食べる要領で食い続けた。
……踏み込まれた事で自分を発露し、自分を表に出した分消耗していた。
活力が、元気と一緒にどこかへ抜けていたのだ。
──☆─―
ヤクモが去り、四半刻……三十分を待つ間静かだった。
ヘラは立ち去った人物がヒョッコリと、或いは戻ってくるのを気にしてそちらを見ていた。
マリーはベッドにうつ伏せになって魔導書の頁を捲っていたが、その足は貧乏ゆすりがされていた。
ロビンは何度か襟首を掴まれてアイアスに引き止められている。
アイアスだけがこの中で唯一落ち着いていた。
「──アイアス、なんでとめる」
「一人になりたいんだから、放っておいてやれよ。顔を見てなんとも思わなかったか?」
「──かお?」
「覇気が無い、心に穴が開いてる、目と眉に力が無かった。ありゃダメだ」
「そんな言い方は無いんじゃないかな……」
「いんや、断言してやる。今関わったら碌な事にならない。諦めや諦観に似た何かだろ。しかも寝る前までは何とも無かったのにさっき見たらあのザマだ、つまり心が折れて間もないから何をしても無駄だ」
八雲は自分でも気づいていなかったが、自衛官である自分に意識を切り替えたままにしていた。
だが、それがマリーに踏み込まれた事で消耗してしまい、スイッチが切れたのだ。
その結果、雰囲気や言葉遣い、それどころか表情までもがミラノに召還された時に戻ってしまったのである。
『俺』ではなく『自分』と言い、眉間に皺が寄りそうとも気の引き締まったとも言える表情は霧散している。
見開かれていた目も半ばしか開いておらず、良く言えば柔和なのだが、悪く言えば伏目がちになっていた。
「オレは鏡の中のオレがあんな顔をしていたし、マリーも一時期していた。それに、前線で命を張ってる時に兵士たちの中から見てきてる」
「──……、」
「ロビン。一人になりたいってのは、段階的なものだ。ああやってまだやるべき事をやろうとしてるから、末期じゃない。末期は見知らぬ誰かであっても会いたくなくなる、そこまでは至ってない。今のは初期位だ。顔見知りや知り合いとあまり関わりたくないと言うくらいのな」
「ん~、けど変だね~。お昼寝る前って言ったら……マリーと話をしていた事しか思い当たらないし」
ヘラの言葉に、マリーの貧乏ゆすりが一時的に収まった。
誤魔化すように勢い良く再開されたが、アイアスはその一瞬の停止を見逃さなかった。
「って事は、だ。マリー、手前何かやったな?」
「なんで私? もしかしたら悪夢でも見たかもしれないじゃない。お母さ~ん、怖い人が僕をずっと襲ってくるよ~って」
「マリー? お前って本当に嘘つくと分かりやすいな」
「嘘ついてないし!」
「手前はあらぬ嫌疑に対して、微塵にも関わってない時の第一声が侮蔑と嫌悪と嘲笑のどれかだって知ってるか? それと最後は『死ね』で終わる。今のはただの軽口だ」
アイアスが指摘すると、マリーはベッドから身を乗り出した。
しかし、運悪く蒸気を穴から噴出していたヒートパックの口を押さえていた割り箸が外れ、彼女の顔に直撃する形で噴出される。
距離は開いていたものの、その熱さに彼女は顔を抑えて悶えだした。
「目が、目がァっ!?」
「それと、指摘された時に誤魔化せないのもダメだな。と言うわけで、キリキリ吐け」
「わ、分かったから! ちょ、ちょっとだけ待って……」
顔に張り付く湿気と熱が拭えるまで時間を要し、アイアスはその間にヤクモがそうしていたように再び開いてしまったヒートパックの口を押さえた。
マリーはまるで死地に赴くような、或いは目の前が崖であり谷底が見えない空間へと飛び降りるような緊張を見せた。
「──許せなかったのよ。自分の命を投げ出して、自分が満足して死ぬって考えが。だからそれでちょっと言い合いになって……」
「ホラ、やっぱマリーが悪いんじゃねぇか」
「私悪くないじゃない!」
「自分で置き換えて考えろよ。人が何を大事にしてるかなんてそれぞれだが、大事だからこそどういった反応をするかなんて『結果』は一緒だろうが。自分の家族が救える場合、自分の命を差し出すことで自分は死ぬけど全員助かるって考えた場合、手前はどうする?」
「──……、」
「そうだ。失ったからこそ、大切さが分かってるじゃねえか。ここに居る皆がそうだ、家族を取り戻せるのなら──その場面に立ち会えたのなら、それこそ『命を張って救おうとする』だろうな。マリーのした事は、あの坊の人生を否定し、思想を踏み躙り、誇りを穢した。良かったな? 短気な相手じゃなくて。マリーが逆の立場だったら、相手はもうその場で半死体だわ」
マリーは自分で置き換えて、アイアスの言葉に同意する。
家族が大事で、大好きだった。それこそ、あの時に戻れたのなら命を投げ打ってでも助けたいと思えるほどに。
そう思える過去があった、生があった、そして死と言う結末があった。
誰かが何も知らずに「自分を大事にしろ」と言って彼女の思いを踏み躙り、失ったからこそ得てきた事や救えてきた事柄全てを蔑ろにし、その上で彼女にしかない想いや思考と言う歴史を否定したのなら──。
その通り、半分死体にしても良いくらいには頭に来ただろう。
「蜂の巣の除去の仕方も知らないだろ? 刺激を与えて怒らせるなんてド素人だ。丸焼きにしても良いし、巣に何か被せてやっても良い。とにかく、相手が反応する領域に踏み込むな」
「……アイアス、アイツ怒ってるのかしら」
「怒ってるだろうし、そんな自分にも嫌気がさしてるんだろ。マリーに踏み込まれて、反応して、それで言い合って、そんな自分に辟易して。自分の中で自分と戦って気力が尽きたんだ、深刻化したらヤバイだろうが、美味しいものでも食って楽しい事でもしていればあとは時間に任せるしかないだろ」
アイアスの言葉にマリーのソワソワが落ち着かない。
つまり、無自覚だったのだ。正しいと思ったから言った、そこに間違いを考えて居なかった。
それは魔法使いとして追随を許さないほどまでに『正しいかどうか』でしか判断してこなかったからこその失敗でもある。
他人と関わる事が少なかったので、自分とは違う考えに理解を示すと言う経験も無さ過ぎたのだ。
その結果、非戦闘損耗が発生した。
「……直ぐに立ち直ると思う?」
「まあ、大丈夫だろ。本当にダメだったら海に飛び込んででも逃げ出してるだろうし、そうじゃなくとも港に着いてから何かしら行動を起こすだろうが。そこはロビンが目を光らせてるから心配はしてないな」
「──ん。みてる」
「それに、アレくらいだったらまだ『任務優先』で奮い立つだろ。中身はがらんどうでも表面くらいは取り繕う、そういう奴だ」
「でも……」
「そんなに悪いと思って心配なら身体でも売って来い。案外、元気になるかも知れねえしな」
その一言はヘラとロビンからの突っ込みにより鎮圧される。
ただ、それを言われたマリーだけが少しばかり考えた。
「けど──それって、相手の”領域”に合致してなければ意味が無い、んじゃない?」
「──うばぁ……。まあ、その、通りだ。短絡的に飛び出さないで、オレも助かるわ」
「アイアス、アンタ騙そうとしたわね!?」
「バカ、落ち着け。さっきのオレの提案が絶対的に間違ってると言えるのなら、そもそもお前はしくじってないだろうが。だが、同じように正解でもない。間合いと同じなんだよ。遠すぎれば空振るし、近すぎると逃げられる。条件付き──あんだっけな。まあいいや、条件を満たさないと受け入れられないけれども、条件を満たした場合は受け入れられる~とか、そんなんだ」
マリーはアイアスの言葉に、ヤクモから学んだ”領域”と言うものに通ずるものがあると記憶に留めた。
鍵を持たなければ部屋に入れなくて突っぱねられるが、鍵があれば受け入れられる。
そのようなものだろうかと考えたマリーを見て、アイアスは付け加えた。
「お前は性急がすぎんだよ。本当なら時間をかけて、お互いを理解して、探り合って、間合いや領域を調べてくんだっての。良かったな? 気にかけた瞬間に関係破談にならなくて」
そう言ってからアイアスは「そろそろ食えっかね」と自分のヒートパックから食事を取り出した。
丁寧に教わった事でヤクモが居なくても『パック飯』なる物を食べることが出来る。
アイアスがハムステーキと書かれた袋から中身を出し、白米に乗せた。
芳醇な香りが広がり、それがマリーやヘラ、ロビンの鼻をひくつかせて腹を鳴らす。
食べた所大丈夫そうだとこぼれた独り言を聞きつけ、全員が食事にありつく。
「しっかし、水を入れると熱くなるって何なんだろうな? 有り難いけどよ、そこらへん分かる奴居る?」
「水に反応して、熱を出すということしか分からないからね~」
「何かしら法則でも有るんじゃない? けど……なんだっけ、アイツの言葉で言うと”カガク”って言うらしいけどね。一緒に入れた袋を開けてみれば何か分かるんじゃない?」
「まだ熱持ってるんだぞ? それに、下手な事をして騒ぎでも起こしたら、それこそ今の坊にゃトドメになりかねないぞ」
そんなやり取りをしている奥では、クロエとアーニャも同じように食事をしていた。
面識があるというだけでお裾分けしてもらった温食を食べながら、混ざる事無く遠巻きに英雄達の話を聞いていた。
「心が折れるって、なんだか想像つかないなあ。戦う事の方が怖いと思うんだけど」
「……時たま、そういう人が居ると言うだけなんですよ。誰かと関わる事の方が辛いと言う人も居ます」
「それが、傷ついたり死んだりすることよりも?」
「はい、残念ながら。勉強が嫌いだと言う人が居れば、沢山の学生から形成される派閥と言うのを嫌う人だって居ますし」
アーニャの説明にクロエは理解を示した。
勉学が得意で優秀でも人付き合いが苦手なミラノが居て、人付き合いもそこそこ出来るアリアは魔法が不得手と言う現実がある。
同じように、戦うことや命を懸けるほうが”他人と関わるよりは気楽で良い”と考える人物が居てもおかしくないのだから。
「──私の知っている病に、燃え尽き症候群だとか鬱病と言うものがあります。どちらも、心の燃料が尽きてしまった人がなるようなものです」
「心の燃料ですか?」
「食事をするのは、起きて生きて活動をしている内に食べた物を燃料として取り込み、その残量が減るからと言う見方が出来ますよね? それと同じように心の燃料が減っても補給や補充が出来なえれば、短期間であれば踏ん張れます。しかし、それが長期化するとお腹がグーグーな人はどんな立派な人でも踏ん張れなくなるのです」
そんな会話を、マリーはコッソリと盗み聞きしていた。
暫く考え込んだまま、時間は流れた。
アイアスとロビンは都合を『作り上げ』て部屋を出て行く。
ヘラは一日の終わりが来るということで瞑想と感謝の言葉を綴り始めた。
そしてマリーは、ゴロリとベットに転がると目を閉ざす。
寝返りを一度打つたびに、大きく時間は流れていた。
アイアスが戻り、ヘラが瞑想を終え、アイアスが眠りに着いて鼾をかき、ヘラがベッドに腰掛けたままにウトウトしだす。
ロビンは戻らぬまま、アーニャとクロエは眠りについた。
──深夜の一時、日が沈んでから大分長い時間が経過しても、彼は戻ってこなかった。
~ ☆ ~
緊張の糸が切れたとか、そういう言い方が出来ると思うんだ。
例えば常備自衛官だった人が除隊して予備自衛官に入って、レベルの違いに戸惑ってしまうようなものだ。
あるいは、今までの束縛されきった生活から解放されてしまって、何を基準に動けば良いかが分からなくなったようなものでもあるのかもしれない。
モンスターの襲撃に始まり、マリーとの共同戦線まで久しぶりに”自衛官だった自分”になれた。
しかし、五年以上前の自分を表面上取り繕えても、中身ががらんどうになってしまった事までは覆せない。
洗剤だの石鹸だので混ぜ合わされていた水と油が、分離してしまったようなものでもある。
予備自衛官の中に、頭号連隊でクソのように色々ねじ込まれ叩き込まれた自分が放り込まれたら乖離が発生した。
中隊に居れば階級に見合った意識、教育、責任感を学んでその座に居ると思えば良い。
しかし、予備だとそれが無い。俺はただただ空転してしまった。
家の中に転がる射撃の表彰状と粗品。後数年でただの営門三曹から予備二曹にはなれただろう。
つまり、軍曹だ。作品でもそこそこ出てくる階級だし、憧れはあった。
ただ、その階級はちゃんと常備でなりたかったものだが……。
「うぉえっ……」
アルコールと先ほど口にした夕食が全部海へと撒かれてしまった。
直ぐに水筒の水を口にし、口の中をゆすいでその水も吐き捨てた。
感染予防と対ショック動作でしかないけれども、何もしないよりはマシだった。
「兄ちゃん、気分が悪いなら寝てる方が良いぜ?」
船乗りにそう言われたが、酒の影響だと伝えて心配無用と認識してもらった。
吐いた影響か分からないけれども、動悸と汗が酷いので薬を飲む。
葡萄酒で薬を飲み下すと、俺は日が沈んでいって尚幾許か明るい空を眺めた。
星が見えて夜に近い、けれども宵闇になりつつもまだ赤さが残っている。
俺はこの空が好きだった。
夜明けは常に嫌いだったし、日没は常に好きだった。
朝開けが好きだったのは子供までで、日没が好きになったのは自衛隊に入ってからだから──。
色々な意味で、たぶんまともじゃ無くなっていたのかもしれない。
「……人の背後に立つのは、良い趣味と言えないな」
誰かの足音が俺の背後で止まり、その場を移動していないのを音として察知していた。
先ほどの船乗りと入れ替わるように接近して、遠すぎず近すぎずの位置で立ち止まっている。
足音から逆算して相手が男か、女か、背丈や重量は~と言うのはまだ習得していない。
だから姿を見るまでは誰なのかは分からないままだった。
ゆっくりと振り返り、俺は……。
ため息を吐きながら、項垂れる事しか出来ない。
俺の知っている常識とやらは、どうにも役に立たないようだ。
まさか英雄殺しがここに居るなんて。俺の命はまた尽きるのかもしれない。
周囲を見たら、不思議なほどまでに静けさが漂っていた。それは既に重圧とも言える。
安易な考えで、安直過ぎる理由で、自己中心的な思考で俺は自分の首を絞めたのだ。
こんな……人の目が少なく、あまり来ない場所に来てしまうだなんて。
「やらかした……」
「とりあえず落ち着きな、キョーダイ。ここで仕掛けても逃げられないのは明白、だろ?」
「それでもやるに値する状況と、必要性が合致すれば逃げられなくてもやるんじゃないかな?」
「自惚れんな、クソガキ。オマエが、脅威だとでも?」
「──……、」
「この前はしてやられたさ。だから敬意を持って気付ける様に近づいて、声をかけたわけだ。これからもっともっと強くなったら、面白くなりそうなんでね。それに、腑抜けた相手を殺しても面白くない」
英雄殺しが指を鳴らすと、マリーのように多少”どこにでも居そう”な格好へと変わっていた。
フランクな格好、かつては模様だらけじゃなかったのか素顔も晒されている。
ただ──マリーと同じく、幾らか若すぎる気がしないでもないが。
そんな奴が次に何をしたかと思えば、酒を取り出して歯でコルクを抜いて飲み始める。
こいつら自由すぎて、もう嫌なんですけど。
「家畜もフルーツもそうだ。美味しい時に収穫するから美味しいのさ。お前はまだ青田でしかない、殺した所で雑草を刈り取るのと何ら変わらない」
「ひっでぇ言われ様……」
「確かに人様には居得ない事ばかりしていたさ。けど、それでも一握りの矜持くらいは有るんでね。酒は要るかな?」
「自分のを飲むよ」
口調では何とかスイッチが入っている様子を見せる。
しかし、俺の状態が完全に不調になっている。
自衛官の自分になれない、戻れない。
明確な危機と思われる相手が居るのに、Do or Dieに移行できない。
……あぁ、死ぬんだと。抵抗を選択できないただの自分のまま、ボンヤリとしていた。
しかし、本当に敵意が無いままに現れたのかもしれない。
奴は本当に酒を飲んで、おいしそうに「カーッ!!!」等といっている。
得物は見える位置には無さそうだけれども、ロビンやアイアス等がそうしているように武器を召喚しかねないので気になってしまう。
「──神聖フランツ帝国では、気をつけろよ? あちらさんでは既に手前のような奴でも抱きこむつもりらしい。金、女、地位、身分、安寧──用意できるものなら、何でも出すつもりのようだ」
「それを自分に伝えて、どうしたいのさ」
「聞いて判断するのはソチラの仕事だ。殺したいと思える相手が居るのは俺にとっては嬉しい事でね。容易に安易な道へと行かれては面白くないんでね」
「平和な道は無いのか……」
「──平和と言うのは、静かで何事も無ければ平和なのか?」
突然の問いに、俺は二つの回答が浮かび上がった。
それを肯定する今の自分と、それは違うと否定する自衛官としての自分。
二つを分離させ、境界線がキッチリと定められている以上は混ざる訳が無い。
それでも、俺は明確に返事が出来なかった。
「平和と言うのは、争わないから平和なんじゃない。争うと痛い目を見るから均衡しているだけで、その実表裏で色々やっている中で争いが起きていないから平和と言う結果論だ。
平和が先か、争いが先かと言う論調は面白くないけどねえ?」
「……さっき自分にした話と、今の話に繋がりは?」
「当然あるとも。だが、それをオマエが見出せていないだけの話さ。本を読む人の世界理論は知ってるかな?」
「無知は彩られ飾られた世界しか見ることが出来ない。半端に知識を仕入れたものは飾り気の無い世界を見て勝手に悲観的になる。高みに到達した識者は理想を語る──だったかな……」
たしかSNSで見た事のあるイラストだ。名称は知らないけれども、その通りだなと思った。
「俺には俺の信じる正義があって、アイツらにはアイツらの正義がある。相容れない道をそれぞれ歩いているが──手段が違えば結果が違うというのは早計過ぎる判断だとは思うね」
「敵対する意味があるのか、良く分からないよ……」
「英雄だと言われても、アイツらはお坊ちゃんお嬢ちゃんだってこった。守るべき人間を相手に戦った事は一度も無い、そんな甘い連中が上手くやれるもんかねえ」
その一言は大分重かった。
そして迷ってしまう。
ただの悪人なら良かった、倒すことに何の躊躇いも要らないのだから。
ただの善人なら良かった、何かしらの切っ掛けや手段で対立することを避けられるのだから。
しかし、善悪混在のコイツには何も通じない。
殺すことを厭わず、それでも悪に染まった訳でも無さそうに正義を抱いている。
──だからこそ、俺はお互い殺しあった間柄なのに意識レベルで既に負けていた。
説得は出来ない、そして今の俺には実力でも敵わない。
だから……余裕を見せつけられ、何も言い返せない自分は真の負け犬だ。
敵対していても、英雄は英雄だった。
正義無き力は暴力で、力無き正義は無力。
正義は無く、力も無い俺は何者なのか?
……アイアスとの手合わせは楽しかったが、それは娯楽としてかも知れない。
そう考えてしまうと、俺は力を誇示する事で自分に酔っているんじゃないかと思えてきたのだ。
迷い、戸惑い、正義が無い故に力も付けられない俺が居る。
結局……周囲が変化した事で自分がそれに合わせて形を水のように変えただけで、その中に含まれる何かが変わった訳ではなかったのだ。
酒を飲み干し、息を漏らす。そして空き瓶を眺め、初めて自分の意志で投棄をする。
同じような軌跡を描き、同じように着水するもう一つの空き瓶。
それが隣の英雄殺しの物だと分かった時には、相手も同じように幾らか驚いているように見えた。
プカリプカリと浮かんでいる空き瓶だったが、それが静かに暗い海へと急遽沈んで消えた。
何事だろうかと見てみたが、空き瓶が見つかる事は無かった。
しかし、突然の大きな揺れが発生して、俺たちは互いによろけながらも甲板へと倒れこむ。
後頭部を強打した自分と、顔面から倒れこんだ英雄殺し。
「「くっそ、ついてねえ……」」
その台詞でさえも被ってしまったが、俺たちの間に丸太のような物が倒れこんできた。
俺は身動きすらせずに助かり、対する英雄殺しは転がって回避していた。
「なんだこれ!?」
「なんだよこれ!?」
何が起きたのかは分からないが、暗い船体がミキミキと喧しく悲鳴を上げていた。
そして大きな水音と共に「総員退避、小船に客を乗せろぉ!」と言う叫びが聞こえた。
チリチリと背筋が焼け付く感覚がし、ロビンが俺の傍へと降り立った。
「──ヤクモ、ひなん」
「分かってるけど、他の皆は!?」
「──じゅんびしてる」
ヤバイなと思ったが、俺はロビンに英雄殺しをとりあえず掴ませる事にした。
「ソイツを小船まで連れて行って欲しいけど、頼めるかな?」
「──ヤクモ、ど~する?」
「剣を忘れたから、取って来る!」
そう言って、ロビンが英雄殺しの襟首を掴む。
外見が違うのだろう、ロビンが「たすける」と言っており、英雄殺しは「あれ、え?」等と間の抜けた声を漏らしていた。
それを背に、アイアスやヘラとすれ違った。アイアスは両脇と背中に市民を抱え、ヘラはおんぶで一人を移動させていた。
だが、マリーの姿が見えない。
「坊!」
「剣を取りに行って来る! 直ぐ戻る!」
そう言って俺は退避していく人たちとは逆進して行った。
剣はベッドの上に転がっていて、直ぐに見つける事が出来た。
直ぐに帯剣するが、今度は船体が潰されかけているのかも知れない。俺たちの部屋の壁が破壊されて外が見えるようになる。
その向こう側に、キョロキョロとした何かが見える。
あれ、これって──
「海の怪物──ッ!?」
通称クラーケン、まだ宗教的であり科学もそれほど進歩しておらず、未知への恐怖が多く存在した頃の化け物だ。
イカのようでもあり、タコのようでもあるその化け物は船乗りにとって恐怖の象徴だった。
そして空想上の生き物だとばかり思っていたが、今では俺達の乗っている船を沈めにかかっている。
「だあっ!?」
船体が真っ二つにでもされたに違いない、突如傾いて俺はわずかばかりに残った壁に叩きつけられる。
あと少しずれていれば夜の海だ、危ないと思いながら固定されているベッドなどを掴んで通路まで這い上がる。
傾きが酷くなり、銃剣をピッケル代わりに突き刺しながら甲板まで出て行った。
しかし、その時点で既に船は船としての形を保っていなかった。
胴体で真っ二つにされ、もう役割を果たすことは無いだろう。
再び揺れ、傾きが厳しくなって俺は足を滑らせる。
甲板を滑りながら、海面まで二桁はありそうな高さに固唾を呑むしかない。
だが、これは都合が良かったのか……クラーケンの本体の傍に俺は居た。
「あああ、クッソぉ!!!?」
滑り落ちる直前で、出来る限りの跳躍をした。
そして剣を抜いてクラーケンに突き刺して海面に叩きつけられることと、伸びていた触手が退避用の小船へと向かっていくのを回避する。
一番近くの船に、アーニャとクロエが乗っているのを見てしまった。
認識してしまえば、逃げる訳にも行かない。
もうサイは投げられており、俺は敵の懐に飛び込んでしまったので全てが遅すぎた。
「サンダー? ライトニング? スパーク? エレクトロニック? 何でも良い、雷撃でくたばれこの野郎!!!」
電撃系の魔法を知らないから、認識のみで何とかしようともがいた。
しかし、何かしらの不具合により威力が足りなかったらしく、クラーケンは海へと潜って俺を振りほどこうとした。
突き刺さった剣はそのまま抜ける事無く、俺は道連れに沈んでいく。
むしろ、泳げば泳ぐほどに相手は勝手に切られていくという有様で……。
俺が何かしたというよりも、高速でピアノ線の張られた道に突っ込んで自殺したような感じになる。
海面に浮かぶが、破壊された船が沈んでいく潮に飲まれそうになる。
それでも破片にしがみ付いて溺れないようにしたが、海水に沈んでからも数度雷撃系を使ったのが良くなかった。
自爆してしまい、意識が遠のいていく。
船の殆どが沈み、巻き込まれて溺れないことを確認してから俺の意識は途絶える。
……そして、目覚めると俺は朝日を浴びながら浜辺に漂着していたと言うわけだ。
沢山の漂着物に囲まれながらの目覚めは最悪で、海水を飲んでいるし砂利は口の中だし良い事は何もない。
『ご主人様、大丈夫!?』
『あ~、うん。なんとか……。みんなとは逸れたけど、生きてる』
『ロビン様が公爵様に連絡して、ご主人様だけ居ないって……』
カティアに泣かれてしまい、俺は彼女が落ち着くまで同じように漂着した人々を見た。
……俺のように逃げ遅れたのか、それとも退避船が足りなくなったのか。
男女が一人ずつ、倒れ伏している。
それぞれを仰向けにして呼気を確認し、生存を確認するとだるい身体を引きずって二人を浜辺から移動させた。
『いっ、いまどこなの?』
『分かんない。あ~……とりあえず、現在地を把握して、それからまた連絡するよ……』
『手助けは要る? 私、そっちに行った方がいい?』
『いや、もうちょっと我慢してよ。準・軍事行動中の段階だから、最悪どこで音信普通になったかで逆算をして欲しいし』
色々言いながら、俺は周囲を確認する。
……残念ながら立って周囲を眺めた所で道が近くに有るのかどうかは分からなかった。
だが、ありがたいことに漁村らしきものは見える。そこに行けば何とかなるだろう。
『自分は特に異状無しって伝えてくれるかな。たぶん、前後するだろうけど、本来の目的は果たせそうだし』
『目的って……。もしかして、そのまま行くつもりなの?』
『ロビンの居場所とか、近場の街や村を聞いてもらって良い? ちょっと、漂流した人を起こしたら近場の村に向かって休むから』
カティアは不承不承といった様子で『分かった』と返してくれた。
咳き込み、身体が冷えている事に気がつく。
自分の衣類や、助けてきた二人の衣類も乾燥させておく。
少なくとも非常事態だ、ショックで体調不良になられたら困る。
ウォークマンや携帯電話が海水に没した事で故障してしまい、俺はその整備に時間を費やす破目になる。
魔法で現在の状況と考えうる不調理由や解決手段を見つけ出し、それを魔力で解決するのか素材の補填と言うパーツ交換で解決するのかを考える。
幸いな事に、どちらも自分でどうにか出来る範囲での故障だった。
錆び付いてしまったものから錆を除去し、配線や電子部品の不調を新たに焼き直したり配置しなおしたりもした。
携帯電話のデータが無事である事、これが一番大きな精神的支えだ。
ウォークマンも音楽は問題なく聞けるので、有り難いことだ。
修理と整備をしているとカティアからロビンたちの報告が入り、これでお互い無事である事を確認できたようだ。
数日遅れてしまうので、後で追いつくように合流すると告げてそれぞれに首都へと向かう事に。
救護している相手が居て、その人達を放ってはいけないと言うのもあった。
ただ、マリーがアイアスたちと一緒じゃないらしい。
ニコル辺境伯が屋敷に居れば公爵かカティア経由で状況を知る事が出来るのだが、それが出来ないのはもどかしい。
最悪ワープだの何だので帰っているだろうという事で、脱落したと言う認識で行動する事になる。
念のために二人の呼気を確認し、目蓋を開いて小刻みに動いているのを確認した。
その内起きるだろうと、俺も地面に倒れこんで目を閉じた。
海に揉まれ過ぎたのだろう。眠りにつくのはそう難しい話じゃなかった。
……ちなみに、ロビンに頼んで連れて行ってもらったショタ化したあの英雄殺しは、無事陸地にたどり着くと気がつけば居なくなっていたらしい。
すくなくともクラーケンに襲われたのが差し金だとは思えないので、完全に今回の一件は事故なのだろう。
だからと言って目を離して良いかと問われれば疑問だが、その場に居なかったのだから仕方が無い。
はは、着衣泳やってて良かった……。




