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元自衛官、異世界に赴任する  作者: 旗本蔵屋敷
5章 元自衛官、異国へ赴任する
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70話

 ~ ☆ ~


 ……朝、あまりにも寒気がしたので目覚めてしまった。

 冬が迫っているが、それにしては寒すぎるのだ。

 海が近いからだろうか? そう思って目を開くとロビンの冷めた表情が直ぐそこにある。


「っ!?」


 明確な殺意にも近い、胡乱な表情。

 前にも同じ事があった気がする、一気に覚醒して跳ね起きると何故かマリーが隣で寝ていた。

 俺は何を言えば良いのか分からない。

 まだ朝の……三時半くらいだぞ? なんでロビンは起きてるんだ?


「ロビン、その……なんで?」

「シーッ……」


 ロビンはそう言って静かにするようにと俺に指示してくる。

 そしてゆっくりとマリーの頭に両腕を回していき、綺麗に気道を締め上げた。

 マリーから「キュッ……」という声だか音だかが漏れ出し、暫くするとグッタリと脱力した。

 そんな彼女を担いでベッドに横たえたロビンは、大きな欠伸を漏らしながらまたゴロリとベッドへと横たわった。

 ……朝一番からよく判らないことが起きている。

 アイアスは腹を掻いて気持ち良さそうに寝ているし、また静寂と眠気が場を支配したので、俺も再び眠りにつくことに。

 

 ──二度寝は最高だと思ったが、俺は自衛隊時代の格闘訓練時間に延々と受けをやらされ辛い目に合わされるという意味の分からない夢を見た。


 

 さて、二度寝は滅茶苦茶短かったが全員で部屋を出て、軽い食事を貰ってから港へと向かった。

 品々の積み込みをしている傍らで船への乗り入れも行っており、そこで俺は手続きをする。


「ふあ~あ……」


 並んでいる中、偶然と言って良いのかアーニャとクロエと再会した。

 クロエが大きな欠伸を漏らしていて、その声で俺は相手が判断できた。

 他に頭までローブを被っている人物が居ないからと言う理由でもあるのだが。


「朝早くからお疲れさん。昨日はちゃんとした宿に泊まれた?」

「ふぁっ!? ヤクモさ──じゃなかった、ヤクモくん。おっ、おはよう」

「おはよう御座います。貴方様も先日はよく眠れましたか?」

「俺はボチボチ……。あぁ、紹介しとくよ。俺の護衛をしてくれてるのがロビンって言うんだ。ロビン、この二人が昨日会った人たちだから、道中一緒になる事が多いと思うから気にかけてあげてほしい」

「──ん。わかった」


 一応紹介しておく。

 多分俺が言い出さなかったら背後に控えたまま、何も無ければ存在感すら出さなかっただろう。

 ロビンの紹介をするとアーニャは「宜しくお願いしますね」と挨拶してくれる。

 だがクロエは──「はわわわ」と、目を白黒させてローブを引っ張って顔を隠そうとしている。

 ……そういえば、クロエはフランツ帝国の人だったか。

 となると英雄を神聖視する意識があると言う事だろう、俺でさえも似たように遠い存在にさせられかけたが。


「こんな、失礼な格好で会うなんて……」

「あ~、クロエ? こいつら、思ったよりも立派じゃないぞ? 毎日酒を飲む、人の迷惑は考えない、軽々しく人を殴る蹴るの暴行を加えるし、仲間の首を絞めて気絶させたりもする。昨日は叫び声で怒った隣部屋の客人をぶん殴ってたし、俺達となんら変わらない人だぞ」

「──ん。そーゆーこと、はじめていわれた、かも」

「嫌か?」

「──きらいじゃ、ない」


 なんと言うか、扱い方はそんなに難しくないと思う。

 ロビンもそうだけど、マリー達はミラノ達に比べれば家柄だとか身分とかを気にしないほうが良い傾向にあると思う。

 むしろ、英雄だからだとか、変に持ち上げたりすると嫌がるのが今の所四人の共通事項なので、なれなれしいくらいが丁度良いのかもしれない。

 と言う事は、だ。感覚的には自衛官の同期に近いので、若干砕けた方がやりやすいのだろう。


 ロビンが無表情なりに嬉しそうにしているのを見て、クロエは驚いているようだ。

 まあ、ヘラにも釘を刺されたけれども、あまりやりすぎない方が良いのだろうが。


「……ヤクモくんって、凄い?」

「ミラノに二日に一度は怒られるくらいは凄いぞ? この休みの間も──はは──何回怒られたかなぁ、わっかんねえや」


 さて、この選択は正解だろうか? 

 下手に否定するよりは、無様さをアピールする事でイメージを相殺してもらう。

 ただ凄いんじゃなくて、同じくらいやらかしていると認識させる事で「凄くない」と思われれば良い。

 相手によっては無意味だが、当然ながら通用する相手もいると言うことで。


「ミラノさんを怒らせたんだ……」

「まあ、そこそこ。というか、しょっちゅう? 今頃手間のかかる相手が居なくなって、伸び伸びやってるんじゃないかな」

「そういえば、字が読めないし名前も覚えてないんだっけ?」

「だから、ロビンとかアイアスとか英雄とか言われても、俺にはあんまりピンと来なくてね……」


 どうやら、俺の選択した「軽口と汚点による印象の減点」は良かったようだ。

 変に警戒されず、むしろ俺が常識知らずであるという設定とうまく絡んでくれたようだ。

 保身ばかりしてるけど大丈夫かなと思ったけど、だからと言って俺自身が敬われたり偉人のように扱われるのを好いていないので、悪い事じゃないはずだ。

 騙してるわけじゃない。自分で自分を貶めて、相手が親しめるように印象操作をしているだけとも言うのだが。


「だから、相手がどんな経歴や立場でも、求められた扱いで良いかなって思ってるんだ。流石にミラノに同じ乱雑な口調と扱いだのをしたら怒られるからやらないけど」

「ん~、やっぱり、凄いと思うよ? けど、なんだかミナセくんとかヒューガくんと同じだね」

「あぁ、そういやツアル皇国の人もこんな感じなんだっけ」

「学生だからって言うのもあるかもしれないけどね」


 アーニャが二人分の乗船を取り付け、俺も五人分の乗船を取り付ける。

 出航まで時間が有るので、俺たちはそれぞれに時間を使うことに。

 アイアスと俺、マリーは二度寝する事にした。

 ヘラは船を見て回りたいと言い、ロビンは海を眺めたいと言って去った。

 アーニャとクロエとも近いので、更に寝心地の悪くなったベッドのようなものに転がりながら手を振り、俺は目蓋を閉じた。

 海自も船じゃこんな感じで寝てるのかね? それでも三段ベッドで十二人まで一部屋入る事が出来る。

 アスレチックじゃないけど、楽しいよなと俺は思いながらとりあえず眠りに就く。

 そして目が覚めた時には既にマリーしか残っておらず、マリーはベッドに突っ伏したままに魔導書……いや、本? まあ、何にせよ、何かを見ながら寝落ちしているだけだった。

 だが、俺が起きた事で反応したのだろう、涎を啜りながら眼を擦り彼女は身体を起こした。


「ん~、あに。もう動いた?」

「さあ、そうじゃないか? 甲板まで出てみるけど、マリーはどうする?」

「ん~……おんぶ」

「おんぶって年か……。はいはい、わかった、わかりました! だから魔法使おうとしないで! ったく、お前ら脅迫大好きだな……」

 

 ったく、仕方ねえな……。小学生の頃の妹や弟かっての。

 まあ、今のマリーは外見的にミラノとあまり変わらないので、良くて中学生くらいなのだが。

 それでも弟達は中学生になる頃には兄離れしてたぞ。

 

 マリーを背負って、揺れを感じる中で歩いていく。

 甲板に出るとアイアスとヘラが許容されるギリギリで海を眺めているし、見上げると階段の出入り口の上にはロビンが腰掛けて遠くを見ていた。


 ロビンに声をかけるべきかと思ったが、マリーが「前進、前進」と言って耳を引っ張るので従う事に。

 アイアスとヘラとは違う場所で手すりに寄りかかって海を眺めるが、風の味と言うか質感が違う。

 気持ち良いけど、若干ベタつくような気もしたが、仕方が無い。


「──海、初めて見た」

「マリーは船に乗ったことがないのか」

「たぶん皆そうじゃない? 海って言ったら、魔物に支配された絶望の領域だったし。釣りをするにしても護衛をつけてないと魔物を釣り上げる位に危険だったし。船なんて……もう無かった」

「……そっか」


 マリーが背負われながらも海を見ようとする。

 風に煽られて帽子が一瞬飛んで行きかけたが、緩やかだったので追いかけてつかむ事ができた。

 その帽子を渡そうとしたが、また飛ばされるかもしれないからと受け取り拒否される。

 仕方が無いなとそのまま海を眺めていたが、久しぶりに船に乗るので中々飽きはしない。


「アンタの居た場所では、船って珍しくなかったのかしら」

「そもそも魔物が居なかったから、船はそんなに珍しいものじゃ無かったよ。それに、何度か俺も釣りや旅行で乗ってるし」

「危機感とか、そう言うのとは無縁そうだものね」

「本当に、ただ船に揺られて旅をしてただけだしなあ。釣りをするのも楽しかったし、自分の知らない場所まで行くのも楽しかったなあ……」


 どれも学生時代の話だ。

 ただ、アメリカンスクール時代の修学旅行はちとスケールが違う。

 日本に来れば”ひめゆりの塔”あたりを沖縄で巡るのだが、隣国まで行って魚釣りをする修学旅行だとか、四泊五日の登山旅行だなんてスケールが違いすぎる。

 

「大の大人を飲み込めるくらい大きな魚を釣った事があるんだ。揚げ物にして食べると凄い美味しいんだけど、泥抜きが手間でね……」

「大人を飲み込む魚? それ、魔物じゃなくて?」

「いや、普通の魚。そんな事を言ったら、鯨とか見たら驚くぞ」

「鯨って……陸地のような大きな魚で、船を襲う恐ろしい生き物じゃ……なかったかしら」

「……俺の知ってる鯨と違うかもしれないけど。大きさはこの船と同じくらいだったと思う」


 鯨を見たのは何時だったか……。

 船に乗っていたときだったのは覚えているし、遠目に見たくらいだ。

 スペイン語……そう、スペイン語で鯨だという言葉を聞いて、そうだと思ったんだ。

 生で見る事が出来ると思っていない相手なのに、思っても無い所で遭遇するというのはよくあることだ。

 むしろ、子供のとき──まだ、自分の限界も世界の善性ですらも疑っていなかった時の方が幸運だった気がする。


「そう。そんな場所があるのね、知らなかった」

「まあ、そんな光景がここで見られるかどうかは分からないけどさ。ヴィスコンティだけに居たら分からない事や、知る事が出来ない事って沢山あるんじゃないかね。マリーはそこらへん興味は無い?」

「──私は、出る事があまり好きじゃないから」

「あ、さいで……」


 どうやら浪漫は伝わらなかったようだ。

 古代遺跡とか、世界遺産とかワクワクしながら調べたりしないかな。

 その発見に至るまでの経緯だとか、発見される前の伝承だとか伝聞だとかもひっくるめると楽しいのだが。

 まあ、そこら変は個人の自由か。残念だ。

 この世界だと一旦滅びかけてるくらいだし、そこらへんも壊されたのかも知れないが。


「……それじゃあ、魔法以外あんまり興味ない感じか」

「ずっと家に篭って、時々出るくらいが良いかしらね」

「それ、英雄だし魔力のみで生きていけるから良いけど、生前だったら餓死するぞ」

「良いのよ。そうなりそうな時は、都合の良い誰かさんが面倒見てくれるから」

「お前に見初められた奴は苦労するよ、ほんと……」


 家でずっと魔法の研究に勤しんでる奥さんと、そんな奥さんの為に仕事をして帰ってくるだけの旦那さん。

 性交渉があるかどうかは別としても、愛が無ければそんなんやってられないぞ。

 料理、無し。風呂、無し。洗濯、無し。

 ……そう考えると、やっぱ特別階級なんだなと思った。

 メイドとかバトラーが居ないと、旦那さんは過労死するに違いない。


「絶対相手が見つからないとは言わないんだ」

「世界は広いんだ。相手さえ選ばなきゃ候補くらいはいるだろ」

「そう?」

「マリーみたいに家からほとんど出ない」

「う゛っ」

「魔法の研究ばかりで旦那の事を考えない」

「へぐっ」

「しかも仕事を終えて戻ってきた旦那を労わないどころか家の管理もしてくれない」

「ふぎゃぁっ」

「そんなの、余程愛してくれるか好いてくれなきゃ無理だろ」


 俺がそう言うと、流石に怒るかなと身構える。

 耳を引っ張られるか、耳元で怒鳴られるか、後頭部叩かれるか、魔法をかまされるか。

 しかし、そのどれでもなくされたのは、口に指を突っ込まれて両サイドに引っ張られるという意地悪だった。


「絶対無理だって言わないのが意地悪なんだか、優しさなんだか」

「やめふぇくらはい、おねふぁいひあふ」

「けど、その言葉はありがたく受け取ってあげる。感謝しなさいよね」

「ふぁい……」


 事実だと思ったんですけどね? こっぴどくやられなかっただけマシか。

 口を解放してもらえたと思ったら、その指を背中で拭かれた。

 自分の唾液とはいえ、嫌なものだ。


「そうね。そんな物好きでも探してみるわ」

「どっかには居るかもな。けど、篭ってばかりじゃそんな相手も見つからないぞ? 出会いは足で稼がないと、誰とも会わなきゃ……そもそも機会なんて訪れないんだ」


 俺、何言ってるんだ?

 ニートしてたくせに、他人にお説教とか頭でも湧いてるのか?

 いや、こういう時は棚上げ論って言うやり方もある。

 強制じゃなくて諭す程度なら、別に俺が出来ていなくても良いのだ。

 

「それはマーガレットが居る事からの余裕?」

「いや、俺も……。こっちに来る前はマリーと同じだったよ。部屋……と言うか、家に篭って──ずっと考えてた筈なんだけど、いつの間にか何も考えないままに時間だけがずっと過ぎてた」

「──……、」

「友達も、仲間も沢山居たはずなんだけど、気が付けば俺は自分から一人になってて……。まあ、マリーの事を言えないくらい最低で最悪な人生を歩んでたよ」

「それって辛いの? それとも寂しいの?」

「そんな感情ですら湧かないくらい、馴れきった状態なんだよ。頭が腐敗しきって、思考が泥や酒に沈んだくらい動かなくなる。昔は感じていた細かい感情の機微も忘れて、ただ生きてるだけの死体と同じになる」

「──だから、自分の命が安くなるの?」

「さあ、考えた事も無かったなあ」


 いや、本当は分かってる。ただ優先順位が低くなっただけなのだ。

 だが、そんな事を口にすれば俺は本当の馬鹿になる。

 それくらいならただの馬鹿を演じたほうが良いと、話をきった。


「というか。召喚されてるから二度目の生と言われてもあんまり意味が無いか。主人が亡くなったりすれば居なくなるわけだし、自分を甘やかしてくれる相手を探す意味も無いか」

「今その主従契約を打ち破る方法と、魔力の供給を第三者に委託しなくても存在できないか考えてるの。それが出来れば私たちは自由になれるわね」

「へえ?」

「誰かの思想や、国と言う枠組みに支配されずに行動できる。そして、条件付きの仮初の生じゃなくて、ちゃんとした二度目の生をね」


 ……なんだかとんでもない事を言ってるけど、使い魔側から主人との契約破棄とか出来るものなのか?

 そこらになると、ハッキングだとかサーバーだとか、セキュリティの領分になりかねない。

 昔のパソコンだったら親がパスワードかけて使えなくしていたけど、パスワード関連を取り扱っているデータを一時的にデバッグモードで移動して真っ白にする方法があったなと思い出す。

 因果律の逆転と言うか、話をひっくり返せば良い。

 施錠されていて鍵が無いから開かないのなら、鍵を探すのは全うな開場手段だ。

 けどパソコンだと”鍵がかかっているという事実を無くせる”ので、鍵が分からなくても開けられると言う話だ。

 そこら変の知識が役に立つかも知れないけど、俺は残念ながらド素人だ。

 主従契約に関しても、良く分かっていない。


「……二度目の生に興味は無いと思ってたけど」

「二度目の生に興味が無いわけじゃないけど、誰かに使われて従えられてるのが嫌なだけ。私は私の意志で、私の考えの下で行動して、戦ってきた。たとえこの命がまた人類の為に使われるとしても、それは誰かの下についてやりたいとは思わない」


 ……実に”英雄らしい”言葉だった。

 俺だったら人類が滅びるかどうかの戦いに身を投じて、たとえ生き延びたとしても「また人類が滅びようとするのなら、再び立ち向かう」とは言えない。

 そう考えると、やはり彼女は──マリーを含めた彼女達は”英雄なのだ”と思い知らされる。

 人類のために戦い、人類の為にその命を費やし、そして召喚されてなお人類の為に生きる。

 そんなもの、煉獄のようなものだ。

 

 俺は性善説を信じちゃ居ない、むしろ性悪説の方が大好きだ。

 救うに値すると、自分の生を賭けてまで庇うべき相手だとは思っちゃ居ない。

 それこそン百年の時を経て、自分達の知っている世界や常識などとはかけ外れた場所で頑張るだなんて。


「……ほんと、スゲーよ。お前ら。よくもまあそんなに献身的に、人類の為に戦えるな。俺には無理だ」

「そんな大層なものじゃないわ。みんなもそう。最初は、自分達の周りだけでも守りたかった。けど、それだけじゃ守れないから規模が広がっていった。それは自分達から求めた場合もあったし、与えられた場合もあった。或いは誰かに強制された事もあるし、巻き込まれてそうなっただけの場合もあった。最初から人類を──世界を救いたいだなんて思ってなかった。ただ、守りたいと願った場所が広がっていった事と、結果的にそうなったというだけの話なんだから」

「だとしても、違う時代で……見知った顔も少ない中で同じようにやろうと思えるだけ凄いと思う」


 そう、凄いのだ。

 だから俺は性善説よりも、性悪説を信じながら──それでもなお期待してやまない。

 だって──こんな奴が、こんな奴等が居る。

 糞だらけの中で、一握りの「正しさ」を身に纏って頑張ろうとしている奴等が居る。

 俺は能動的な人じゃない、完全に受動的な人だ。

 指標が見えなければ何をして良いかも分からないただの凡人でしかない。

 けれども、俺の見て居る世界の中で前を走っている奴等が居る。

 ボンヤリとしていた俺の理想を、体現しながら突き進んでいる奴がいる。

 そんなの、追いかけたいと思うだろうが。


 追いかけて、追いかけて、追いかけまくって……。

 それでも追いつけなくて、近づいたと思ったらまた突き放されていて、それでも追いかけて。

 届くんだ、届かせるんだと思いながら焦って、駆けて、突き進んで。

 いつか……いつか俺も到達したいと思う領域に彼女たちが居る。


 それは強さじゃない、欲しければ銃を手に取れば事足りる。

 それは言葉じゃない、表面を取り繕えば如何様にもなる。

 俺が欲しいのは……あり方だ。何があっても揺るがない、絶対的な存在。

 チート能力を手に入れても、逃避する事が染み付いている俺にはたどり着けない。

 魔力や魔法で先んじていても、完成された心構えは手に入らない。

 

 アイアスは最弱だと言いながら、絶対に命尽きるまで立ち上がり続けるだろう。

 マリーは近接では弱いと言いながら、手段を尽くしてそれでも勝とうとするだろう。

 ヘラは支援だと言いながら、必要があれば近づいてきた相手をぶちのめすのだろう。

 ロビンは偵察や狙撃だと言いながら、それが最適だと思えば単独で乗り込んでいくのだろう。


 勝てるか? 糞が、勝てねえよ、んなもん……。

 人類に期待はしてないが、希望が無いとは思っちゃ居ない。

 たぶん……俺がそう言えるのは、彼女達のような人がどこかには必ず居ると思っているからだ。

 英雄は──俺が言ってきたような面倒臭い事や、危険な事に巻き込まれることになる。

 それでもなお自分の信じることの為に突き進み続け、そう呼ばれるに値する結果をもぎ取った奴らを言うのだ。

 自分に自信が無くて、いい訳ばかりして、のらりくらりと逃げてばかりいる俺でも──真っ直ぐに自分の思いや、信じることの為に全てに立ち向かえるようになりたい。


「……大丈夫よ。アンタも、私を助けるために相手が英雄でも立ち向かった。つまり、素質というか、気構えの根っこ自体はあるの。後は、そこに日を当てて、育てるだけ。この私が保証してあげる、アンタは私達と同じようになれるし、同じようになれるって」

「──ありがとさん」


 何でこんな話になったんだっけ?

 そこらへんが曖昧なままに、俺は海を眺めていたが。

 グイと引っ張られる力に驚く。

 見ればロビンがマリーを引っ張っているようで、マリーも急な事に対応できずに引き摺り下ろされた。


「いったぁ!?」

「──マリー、くっつきすぎ」

「ロビン。せめて一声かけてくれ」

「──よくないけはいがした。だからおとした」

「せめて下ろしたって言い訳くらいはしような?」


 マリーはお尻から落ちたのだろう。

 角度的にパンツが見えてしまい、慌てて見なかったことにする。

 紳士的だとは思わないが、わざわざ凝視する必要も無い。

 手を差し出してマリーの手を掴むと、ゆっくりと引き起こす。

 ……異様に軽いな、魔力の身体だからかも知れない。


「ほら、帽子」

「帽子は被らないほうが良いかもしれないわね……ありがと」

「どういたしまして」


 まあ、軽いとは言っても腕は疲れるのでタイミング的には丁度よかった訳か。

 心の中でロビンに感謝しながら、俺はロビンに話題を振る。


「それで、ちょっと高い所から海を見てどうだった?」

「──ん。さかなみてた」

「海面を飛んでたか?」

「──ちっちゃいの、飛んでた。けどいっぴき、とんだらしんだ」


 マンボウかな? 何かで苦しんでいて、海面に飛び出たけど結局死んだという事なのかも知れない。

 俺は周囲を見るが、遠くで魚が飛んだのかな~程度の事しか分からない。


「目が良いんだな」

「──ん。じゃなきゃ、そげきできない」

「ロビンはね、たとえ数百の敵に守られてる相手でも直射だけじゃなくて曲射でも射抜くのよ? それに、速射は凄くて六射までなら短時間で出来るんだから」

「お前ら仲悪いんじゃなかったんかい」

「馬鹿ね。意見の相違と、いざと言う時に背中を預けて肩を並べられるかは別よ」

「──ん。べつ」


 その理屈は分からんでもない。

 気の置けない仲、喧嘩するほど仲が良い。

 そう考えるとアイアスやマリー、ヘラやロビンがお互いに気兼ねなく言い合いや行動をしているのはその裏返しだろう。

 

 微笑ましいなと思っていたが、マリーが「うっ……」などとうめき声を漏らした。

 俺は何事だろうかと考えたが、そういえば揺れるのが苦手だとか言っていたのを思い出した。


「マリー、もしかして気持ち悪くなってきたか?」

「う……ん」

「ロビン、何か容れ物を探してきてくれ。俺はマリーを部屋に戻すよ」

「──ん。わかった」

「暴れないでくれよ?」


 マリーを抱き抱え、ゆっくりと俺は部屋まで戻った。

 マリーをベッドに寝かしつけると、彼女は腕で目を覆いながらぶつくさと文句を言った。


「なんで、酔う人と、酔わない人が、いるのかしら……」

「頭での認識と、視界での認識がずれてるから酔うんだ」

「簡単に言って」

「まあ、つまり……。体験や経験の少ない『動き』に対して慣れてないから」

「そ……」

「──もってきた」


 ロビンが壷のような容器を持ってきてくれたので、それをありがたく受け取る。

 しかしながら、痰を吐き捨てる容器なのか匂いが酷く、魔法を使って洗浄する事になる。

 こう言う時に消臭剤があるのは便利だ、自衛隊でも散々活用した。

 多少臭いを誤魔化したので置いてやると、マリーの面倒を見ることにした。


「ロビン、アイアスとヘラにはマリーの面倒を見てるって伝えてくれ。思い出した時で良いから交代してくれれば有り難いって事も伝えてくれると助かるかな」

「──ん。わかった」


 ロビンが去ってから、マリーの様子を見つづける。

 しかしマリー。あろう事か自分に睡眠魔法をかけて苦しみから逃避するという暴挙に出てしまった。

 目の前でスヤァ……と眠りに就いたマリーを見て、俺は何で居残ったのか分からなくなってしまう。


「貴方様の方でも酔われた方が居るみたいですね」

「そっちはクロエさんが酔ったと」

「うえぇ~……気持ち悪いよ~……」


 先ほどまでは居なかったアーニャとクロエだったが、こちらでもダウンしている人物が居た。

 クロエが仰向けになっており、アーニャがその看護と言うわけか。


「運動とかしてないと、こういったのに弱いからなあ……」

「三半規管って運動で鍛えられるものなのでしょうか」

「思い切り右回転して、立ち止まったらフラフラするだろ? 不慣れな人だとその復帰に時間がかかるし、その間に気持ち悪くなる。慣れた人は復帰が早いし、その分酔わないのと同じ」

「なるほど。だから運動なのですね」

「跳躍、前転、後転、急発進、急停止……色々あるけどね」

「”さんはんきかん”ってな~に~……」


 クロエが苦しそうに呻く。そんな彼女を前にしてアーニャは「困りました……」と頬に手を当てた。

 確か船酔いとかって、酔ってから飲んでも意味が無いんだっけ?

 だからと言ってこのまま放置するのも何だか良くないよな……。

 俺が考え込んでいると、俺の顔を見たアーニャが何かに気づいたようで、呆れた顔を見せた。


「あぁ、もう。何も言わなくても宜しいですよ? なにをしたいのか、何を考えているのか分かりましたから」

「俺は別に……」

「二人の酔いを軽くして上げられたらな~、ですよね? それくらい、言われなくても分かりますよ~……っと」


 アーニャの手が、何も無い空間を弄るように動く。

 その動きが自分にしか見えないホロメニュー画面を操作しているのだろうと理解し、俺は何も言わなかった。

 ただ、何を出すにしてもそれに必要なのは飲み水だろうと水筒を用意する。

 そして彼女は色々と取り出した。


「クロエ様、船酔いに利く薬を飲んでみますか? 直ぐにとは言いませんが、寝ているうちに楽になると思われますよ」

「飲むぅ~……」

「連れの分も貰って良いかな。水筒を置いとくから、飲み水と提供のしあいで」

「ええ、構いませんよ」


 脱落防止から水筒を切り離し、それを置いてクロエに薬を飲ませるのを見やった。

 それを見てから俺は水筒と薬を受け取るとマリーの元へと向かう。

 涎も寝言も吐かない、綺麗な寝顔だ。生きてるんだぜ? コイツ。


 スリープ系の魔法をレジスト関係で無理矢理中和し、マリーを起こした。

 彼女は気分が悪そうに、ゆっくりと目を覚ます。


「どれくらい寝てたのかしら……」

「いや、薬を持ってきたから無理矢理起こした。これを飲んでまた寝てくれ」

「ひっど……。けど、ありがとう、助かるわ……」

「礼ならあの教会の人、アニエスに言ってくれ。知り合いだけど、融通してもらっただけだから」


 名を呼ばれて、アニエスは手を優雅に振る。

 彼女を見てから半ば力尽きたマリーは俺が用意した薬をさっさと口にした。

 クロエと間接キスになるけど良いのかなと思ったが、そこらへん気にしては居ないようだった。

 薬を飲んでからマリーはなにやら詠唱をして、自身の腹部に触れる。

 魔法っぽいのだが、その効果は俺には判らない。

 青ざめていたマリーの表情が見る見る回復していき、自力で身体を起こすとr飼うになった様子を見せる。


「あ~、楽になった」

「え、早くね? 薬が効くの、大分時間がかかるんだぞ?」

「薬を飲んだらお腹に行くんでしょ? だから回復魔法の応用で、お腹の活動を活発化させて身体に浸透させたの。なんだっけ……薬草学の応用? 傷口に薬草や樹液を貼り付けたり塗って、傷に染み込ませて早く治したり、痛みを抑えるようなものよ」

「……なるほど」


 マリーがあっさりとやってのけた事に俺は驚きもしながら、そういった使い方もあるのかと理解した。

 無理な話では無いが、それって結局腹が減るのでは無いだろうか?

 そう思ったらマリーの腹が鳴る。仕方が無いなと干し肉を出すと、彼女はそれを直ぐに受け取り食べた。

 あまりにも素早すぎて連携や意思疎通でも出来ているのかと思ってしまった。


「ふぅ、生き返った。さて、と。アンタのしてくれた事に、お礼をしないとね」

「ならあの子にも同じように薬の吸収を促進してやってくれよ。お互い様なんだから、頼んでも良いかな?」

「それで良いなら私は構わないけど」


 マリーはベッドから立ち上がり、クロエの方へと近寄った。

 そして彼女にも魔法をかける様子を見ながら、俺はアーニャに声をかける。


「──アニエスは、魔法使えないの?」

「私は魔法と言うか、それよりももっと上でしか関与できませんから。なるべく何もしないようにしてるんです」

「あぁ、なるほどね……」


 魔法と言うよりも、それこそ”創造”でしか関われないという事か。

 魔法がこの世の理の範囲内での事なら、アーニャのする事はその理の外の力だということか。

 そりゃあ軽々しく力は震えないわなあ……。

 人の身体能力を弄ったり、特定の人物の状態を把握してその異状を取り除く薬を作ったり。

 もう何でもありだ。コンソールコマンドかな? player.setav DispelAllSpellsと打ち込んだのやも。


「ねえ、私にもその人紹介しなさい」

「そうですね。私にもそちらの方を紹介していただけますか? 英雄のお一人とお見受けしますが」

「えっと、こっちは英雄のマリー。彼女は教会勤めのアニエス。フランツ帝国の首都まで同じ道らしいから、お互い仲良くやれたら良いなと思ってる」


 ざっくばらんな紹介。それ以上どう説明すれば良いのか困ったが、教会に行った時に知り合って世話になってるとも付け加えた。


「どちらの出身か聞いても良いかしら?」

「私は元々孤児だったので。教会に拾われてそのまま神に仕えているだけなので。昔の事も、あまり良く覚えていません」

「ふぅん……」


 マリーはそれっきり興味を失ったのか、俺の肩をベシベシと叩いて「海、もっかい見る!」と主張した。

 彼女はさっさと出て行ってしまい、俺はその若干勝手な行動を詫びるしかない。


「ごめん二人とも。なんと言うか、気難しいというか、独特な所があるからさ。気を悪くしたら、ごめん」

「なぜ貴方様が謝るのでしょうか……?」

「私は気にしてないかなあ。と言うか、学園でも色んな国の人が居るから、あんまり気にならないかなあ。と言うか、ヤクモくんの交友関係って狭いから気になるだけじゃない?」

「──……、」


 ……確かに、そうだ。神聖フランツだとクロエしか居ない。

 ツアル皇国だとミナセにヒュウガ。ユニオン共和国だと……なんか、一人居たな。

 ヴィスコンティだとミラノ、アリア、アルバート、グリム……マーガレット位だ。

 良く考えたら、敵意や害意を向けてくる奴の事を忘れてた。

 そういや居たなと思ったが、そいつらの一欠けらでも名前や所属国を知らないからどうでもよかった。


「私は気にしてないよ。けど──そうだなあ。そういう風に思ってくれるって言うのは、嬉しいことなのかな?」

「ええ、そうですよ。どうでもいい相手なら、自分の同行者が礼を失しても謝罪する必要は無いですから。どうでも良くない、礼を尽くすに値すると思われてると思えば喜んで宜しいかも知れません。こう、バンザーイ! って感じで」

「それはちょっと……」


 アーニャの喜びの一例に遠慮をしたがるクロエ。

 しかし、その間にも気分が良くなったのかゆっくりと身体を起こして座った。


「──ありがとう、アニエスさん。おかげで良くなったよ。ヤクモくんもありがとう、頼み込んでくれて」

「物々交換、取引や交渉、あるいは困ったときはお互い様ってね。それに、これは独善だから全然恩に感じなくて良い。分かるかな」

「そうですよ。困ったときはお互い様というのは良い言葉ですよ~。情けは人の為ならずとも言いますし?」

「はは、話が早くて良いねアニエスは」

「いえいえ、貴方様ほどではありません」


 アーニャが手を差し出したので、それがハイタッチなのかなと思って同じように手を出すと「いえ~い」と重ねあわされた。

 想像通りだったようで、それは何と無く嬉しい限りだ。


「仲が良いんだね」

「はい!」

「だと良いけど」

「もう! 何故貴方様は冷や水をかけるような事を言うのですか!」


 アーニャ怒ってポカポカと叩いてくるが、カティアの蹴りだのミラノの蹴りだのと喰らってきた俺には可愛いものだ。

 ……もっと痛い目にあってるから、これくらい平気と言う耐え方はどうなんだろう。


「けど、本当に良かったのかな。英雄の人にこんな事を頼んじゃって」

「流石に表立ってはやらないけど、名前を知らなきゃただの人、だろ?」

「それを言ったとおりやってるのがまず信じられないなあ」

「今だけだって。向うに行ったら、流石に表立ってやったら殺されかねない」

「それは有るね!」


 クロエの声と同時に「まだ~?」というマリーの声。

 どうやら俺が遅かったが為に様子を見に来たのだろう。

 俺は直ぐ行くと言って、話を短くする事にした。


「ま、機嫌を損ねないように行って来るよ。それじゃ、また」

「うん、またねヤクモくん」

「いってらっしゃいませ」


 二人に見送られて俺は再び甲板へと出た。

 しかし、何故か不機嫌そうに腕を組んでいるマリーが居て、俺は少しだけうろたえる。


「アンタ、まさか女と見れば誰にでも声をかけてるんじゃないでしょうね?」

「ミラノみたいな事言うなよ……。仲良くできるのなら男にだって声をかけるわ」

「だと良いけど」

「教会に行った時に知り合ったんだよ。迷える者には導きを、懺悔や告解とかでも世話になる」

「アンタに宗教的な一面が有るとは思えないけど」

「バカ言え、俺ほど宗教的な奴は居ないぞ? 家族や知り合いの幸福を祈って、難所を乗り越えたら感謝して、相手がどんな思想や性別であっても平等に扱ってる」

「ええ、そうね。その代わり自分の幸せを祈らず、難所に直面しても神すら頼らず、相手がどんな思想や性別であっても関わりがあれば助けたがるものね」

「だから、何を怒ってるんだ……」


 いきなり攻撃的になったぞ。

 気勢が殺がれると言うか、やる気が無くなる。

 恩を着せるわけじゃないが、さっき俺がしたことはどこに消えたのかと言いたくなる。

 少なくとも好意でした行動ともたらした結果に対して、負の感情をぶつけられる言われは無い。


「なあ、頼むよ。英雄だらけで若干まだ馴染めてないんだ。見知った顔が居たら安心して、ついそっちに安心感や居心地の良さを感じるのは別に悪い事じゃないだろ」

「──それって、結局私達を特別視してるってことよね」

「は? 特別? その前に、マリー達とはそもそも出会って間もないから俺が対人関係で臆病でやり辛いだけだし、逆にあの二人の方がミラノ達に次いで関わってきた日数や回数が多いから幾らか落ち着けるだけだ。本当なら、今回の件だって見知らぬ人達に注目されるから嫌だったんだ」


 意識しないようにしているし、今はまだ自衛官としての自分に気持ちを入れ替えたままで居るから大丈夫だ。

 しかし、意識したり考えてしまうと動悸がしてくる。気持ち悪さや吐き気がこみ上げてくる。

 胸が痛んで、俺は咄嗟に抑えてしまった。

 ……酒の発作じゃないよなと考えてしまい、そうじゃなくて臆病な自分が表に出かけたのだと理解した。


「俺は、人見知りするし、そのせいで体調を崩したりもする。それを理解して、くんねえかな?」

「……ええ、その表情は嘘じゃ無さそうね。けど、それならどうして私達と関われるのよ」

「マリーは……まあ、一緒に戦ったから若干は仲間意識あるし。アイアスとは一緒に風呂入ったり、手合わせをして理解深めてるし。ヘラ……は、分からないけど、ロビンは屋敷に着いてから会ってる。苦手だけど、声がかけられないほどじゃないってだけ」

「アンタって、面倒臭いわね」

「お前も大分面倒臭いわ!」


 脳内で色々な光景を思い出すが、ミラノと喧嘩したり、他人を嘲ったり、人のベッドで眠っていたりとか色々あった気がする。

 あと鼻血事件か……。なんで俺もこう、面倒ごとにばかり巻き込まれてるんだろう。


「むしろ鼻血を流して気絶してる所を面倒見たんだ、これ以上と無いくらいに感謝されても良いね」

「へぇ~? ほぉ~? 言うじゃない。アンタはもっと酷い事をしてたのを見たけど?」

「脅しのつもりかな? 悪いけど俺は何も疚しい事は──」

「夜中に、屋敷の傍で。翌日に、治ったと言った。私は、アンタが何をしたか知ってる」


 ……俺は沈黙するしかなかった。

 だが、俺は笑い飛ばした。


「──マリー、知ってるか? 負傷の種類によっては、患部や部位を排除するという医療がある」

「命を切り落とすだなんて、それを治療だとは言わないけどね」

「──……、」

「何て言って欲しい? 精神異常者? それとも人格破綻者?」


 ……まあ、それに近い事をしている。

 輸血なんて俺はやった事が無いから出来ない、けれども血が足りなくて弱ったままではいられない。

 解決方法は二つだ、時間の経過で回復するか──無理矢理治すかだ。

 幸いな事に、俺の手元には引き金一つで全てを終わらせることが出来る道具があった。

 そしてアーニャが居るから復活してもらえる、それが全てだ。


「普通の人はね、命を投売りしないの。兵士は、命の使い方をほんの少し分かってるだけ。私たちは、その両方を危うい均衡の上で保ってる。けどね、アンタは狂ってる。自分の命を効果的に使っているように見せかけて、ただただ安売りしてるだけなの」

「俺が狂ってると、誰が困る?」

「助けられた、私が困るのよ!」

「──……、」


 周囲の目線がキツくなって来た。

 マリーもたじたじになっているし、お互いに人目に晒されるのは不得手なようだ。

 胃が痛いし、もうテンション駄々下がりだった。

 一時休戦のように、俺達は場所を仲良く移動する。


「──私は、アンタのその考えが気に入らない。自分だけ満足して、犠牲になれば丸く収まるって考え、大ッ嫌い」

「悪かったよ。けどな、何も俺は真似をした訳じゃない。お前らの仲間の一人とやった事が似通っていても、その文句の相手としては見当違いだ」

「どうだか……。それに、助けてくれた相手に何も御礼も出来ないまま死なれるの、一番嫌なの」

「この前、ミラノと喧嘩しないでくれって言ったのでチャラになってなかったか?」

「あんなの、その場での方便よ」


 うわ、本当に面倒臭い。

 俺としてはアレでチャラになってくれていた方が俄然良かった。

 そうしたら今のゴチャゴチャも無かっただろうし、このクソみたいなテンションになることも無かったのだ。

 俺はまだ昼前だが、ストレージから酒を出して飲みだす。

 半ばまで一気に飲んでいると、キッツイ目線が俺に向けられた。

 

「気持ちが落ち込んだら、とりあえず酒を飲むのもやめなさい」

「うるさいなあ……。船で揺られて、明日の昼までずっと揺られてるんだし、少しくらい自由で良いだろ。それか──マリーも飲みたい口か?」

「飲ませて」


 新しくもう一本出そうとしたら、俺の飲みかけのボトルをひったくられた。

 そして彼女は一気にグビグビと飲み干すと、美味いのか不味いのか分からない息を漏らす。


「私は、アンタのやってる事が気に入らない。けど、アンタが何故そうするのかってトコだけは理解してるつもり」

「そうかい。って、ボトル投げんなよ。あぁ……不法投棄──」

「だから、アンタは私が管理してやる。その意志だけはそのままに、手段だけをまっとうにして」


 俺は海に投げられたボトルが流されているのを眺めていた。

 直ぐに沈むかなと思っていたが形状的に水分が入る事は無く、かといって魔法で手繰り寄せるだなんてこともしなかった。

 どこまでも、どこまでも流されていくビンを眺めながら、半分くらいで話を聞いている。


「──断る」

「脅しても?」

「そもそも……見られたから言うけど。自分の命、何回投げ捨ててるんだよって話なんだよな。そんな奴に脅しが何の意味がある? 生憎、脅すにしても俺の大事な家族は違う場所、唯一のカティアは遠いお屋敷の中だ。それに、全て自己完結してるのに、そこに他人の思惑で踏み荒らされるのは不愉快極まる」


 マリーが片手を俺に伸ばして構え、服の下から薄っすらと光が漏れている。

 後は何かしらの動作を行うか、魔法名を口にすれば発動するのだが俺は気にもかけない。

 新しくもう一本酒を出したら、マリーに奪われて先に半分ほど飲まれ、投げ渡された。

 喧嘩してるのか仲が良いのかどっちだ。


「俺の領域に、踏み込むな」

「領域、ね」

「兵士として扱われるのなら、個人じゃなくて良い。個人が尊重されるのなら兵士として扱われなくても良い。けどな、そのどちらも踏み躙るのなら許容できない」

「──なるほど、ね。アンタ、それで腹を立てたんだ」

「なにが」

「床で眠らされて、食事が質素でも兵士扱いされてないから我慢できた。部屋が立派になって食事がマシになったから、個人として踏み躙られても我慢できた。けど──そのどっちも果たされなければ、そりゃ怒るわね」

「なに言ってるんだ? ミラノに両方踏み躙られた覚えは無い。いや、まあ、ギリギリだったけど……」

「けどね、お生憎様。アンタは面倒臭いって言ってる相手を救って、その上気に入られたのよ。アンタは散々あの時引っ掻き回したんだから、今度は私がアンタを引っ掻き回してやる」

「そんなに悪い事しましたかねぇ!? 調子に乗ってるとか、そういうのなら謝るんで勘弁して下さいお願いします」

「それより、領域について話しなさいよ」

「自分勝手だなぁ!? あぁ、えっと。領域ね、領域……」


 メモ帳を取り出して、何故かパーソナルスペースの説明をする事に。

 けど、俺としてはその方が都合が良かった。

 変なことを考えてしまうよりも、忙しい方が楽だからだ。

 

「こう、円を描いていく。この中心が自分、その外に二つ空白の領域が存在する。これは大丈夫?」

「ええ、問題ないわ」

「じゃあ自分の外側に何が有るかって言うと、公の自分と、個人の自分がそれぞれに代入される。どっちが外側かは人によってそれぞれ違う」

「ふむふむ……。あ、お酒ちょ~だい」

「三本目だぞ。一本やるから一人で飲め」

「え~、一本を共有して飲み合う方が仲が良いと思わない?」

「それも含めてのこの説明、御覧じるので拝聴いただけます!?」


 何故間接キスの強要をされにゃならんのだ。

 人工呼吸を除けば……たぶん、今の所俺は唇ですら許したことは無い。

 マリーをそういう目で見られないので、俺はコッソリと飲み口をぬぐいながら飲んでいた。


「で、この領域は説明の為に描いただけで、実際にはこの外にある二つの領域の広さや狭さは人それぞれなんだ。広いからどうとか、狭いからどうとかは無い。それが個性」

「で、公と私ってだけじゃ曖昧だから何か入れていって」

「例えば俺だと……私が内側で、公が外側。で、この図は重複概念と、重複無しの概念も考えておくと便利。例えばマリーは俺におんぶっつったけど、それを言っても良い相手という認識が出来てるわけだろ?」

「前におんぶもされてるし」

「つまり、この中心点である『自分』に近い位置に踏み込まれても大丈夫な相手といえる。はい、ここにもう一個丸描いたからこれで第三者が居ると分かりやすくなったはずだけど。ここで問題。マリーがおんぶやだっこを許容できる相手だとして、この図面に抜けてるのはなんでしょうか」

「相手の領域ね」

「ん、そゆこと。はい、円を二つ足します。自分が踏み込まれてるって事は、当然相手も踏み込んだり踏み込まれてると言うわけだ。んで、さっき言った領域が狭いとか広いの話をすると──」

「──自分が許容出来ていても、相手が許容できない場合もある、ね」


 マリーは話が早くて助かる。

 ミラノもそうだけど、積み重ねていくと先んじてくれる人は話がしやすくてありがたい。

 一を言えば二を考える、一と十から二から九までを考える、十から九を考える。

 どれも思考をする、考える力である。


「例えば、そうだな……。さっき言ったとおり、公と自分が逆転している人物の場合、その中に内包されているものによっては自分は平気だけど相手が嫌がってるって事もあるし、その逆も有りうる」

「つまり、私とアンタでさっき反発しあったのは、お互いの踏み込んだ場所がお互いに悪い場所だったと言う事ね」

「んじゃ、領域のざっくばらんな説明はこれでおしまい。今度は三つの円、俺の居た場所では『ベン図』って言われてるけど。こうやって三つ描くとまた違う見方も出来る。はい、自分、公、私……っと」

「この図だと、お互いに、或いは三つ重なってる領域があるわね」

「その通り。さっき言った『踏み込む』ってのをこの図で考えれば分かりやすい」


 自分と言う所に、男だとか、趣味だとか、色々書き込んでいく。

 私と言う所に、楽がしたいとか、酒が飲みたいとか書いた。

 公と言う所に、人助けだとか、脅威に備えて励むとか書いた。


「……重なってる領域は、そのお互いの要素が含まれてるって事ね」

「そうそう。さっきは距離的な『踏み込み』だったけど、今度は領域的に考えれば良い。例えば兵士状態じゃない俺に仕事を沢山やらせると嫌気が差す。逆に兵士状態の俺に何もするなって言うのもまたダメ」

「これ、何て学術?」

「心理学でもあるし、社会学や行動科学とも言えるし、数学でもある。相手の状態を見てどちらかを除外する、或いは両方除外して重なってる場所を見る、もしくはその円に携わる全てを排除して外だけを考えるとか……。色々出来るけど」


 俺も数学には疎いので、あまりそこらへんを語れない。

 けれども、銃と同じで大まかな使い方を知っていれば多少使えるのだから問題ないという認識だ。

 

「例えば……さっき言い争った『命を大事にしない』ってのを例に出すけど。それをこの三つの円全てに”理由を除き”そのまま入力する。そこは数学的、或いは哲学的に割り切ってくれ。すると、どうなる?」

「……どこを踏んでも、接触する。それこそ、アンタを構成する三つの円の外じゃ無いと」

「と言う事は、そこに踏み込まれて俺が反発すると言う事は、触れない方が良いという事が単純な計算で割り出せたわけだ。因みに、この図、今回は人の領域として触れたけど、軍事だったり、或いは魔法でも使えるから覚えとくと便利。加工、想像、触媒。兵士、情報、支援……まあ、色々」

「ふ~ん……。加工って事は、詠唱や魔方陣で、想像は魔法の方向性の指示、触媒は刻印とかなのかしら」


 ──まあ、何だかんだ助かるのは俺とマリーが対人スキルの低さと言う点では同じなのだが……。

 今言ったように、領域で言えば俺の方が勝っているからとりあえずだまくらかせるのだ。

 詐欺師は詐欺師だと思えないような身なりや口調、そして弁論を展開する。

 もしマリーが『主語の拡大や縮小における論点ずらし』などを知っていたなら、逃げを放置できなかっただろう。

 俺は逃げたが、その上で「この話は関係している」と認識させた。

 だから俺は、マリーたちのような英雄に憧れる。

 全てを突っぱねて、俺はこう生きるのだと『納得』させる事が出来ないのだから。

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