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元自衛官、異世界に赴任する  作者: 旗本蔵屋敷
四章 元自衛官、休みに突入す
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67話

 じ、自衛隊の思い出……。

 あまり自衛隊の事ばかり考えていると、懐古とか自分の根幹とかではなく、ただの現実逃避になってしまう。

 というか、自衛隊の思い出を引っ張ってきている時点で「あの時の方が辛かったから、これはまだ辛くないわ~」と逃げているだけである。

 ひと、それを精神論や根性論と言う。何の解決にもなってない。

 本当に辛い時はそうやって過去の辛さと比較する事で踏みとどまり、持ちこたえる意味は有るが、日常的にやる事に意味は無い。

 溜めて、溜めて、溜め込んで。その結果背負いすぎて潰れてしまう人は少なくない。

 社会問題でもあり、反旗を翻されないように上があの手この手を考えているのだろうが。


「いや、悪かったな。一緒に旅をする手前、実力を知っておきたかったんだ。だが、おかげでコッテリ絞られた。デルブルグ家の当主はあまり意図を汲み取ってくれたが、今後坊との勝手な手合わせは無しだと」


 そう言って、アイアスは右手の甲を見せた。

 そこには模様のような物が浮き上がっており、たぶんそれによって拘束の段階みたいなのが分かるのだろう。

 マリーやヘラ、ロビンには無かったと思われる。いや、ヘラはグローブをしてたか……。

 アルバートとクラインが俺の指南・指示・教育の後に二人で立ち会っている。

 その傍らで俺はアイアスとのやり取りに勤しんでいた。


「これ、無理に命令を無視しようとするとどうなるんだ?」

「曖昧な強制は無視してもあまり拘束力は無ぇが、今回に限って言えば坊との手合わせ──戦闘行為ってはっきり言われちまってるからな。半分から七~八割の能力減にゃなるだろ」

「そんなに行くのか……」

「まあ、しゃーねーわな。庭を大分荒らしちまったし、庭師が泣いてたからなぁ……。本来なら大問題だが、貸し一つと言うことで不問だとさ。太っ腹だねえ……」


 アイアスがカラカラと笑っているが、笑い事じゃ無いと思う。

 地面を思い切り踏みしめて蹴るだけで土を捲るような事をしてのけている、そうやって決して短くない手合わせによって地面は大惨事だ。

 それだけじゃなく、空振った攻撃で整えられた草花は歪んでしまった。

 公爵夫人が大いに悲しんだが、そこはクラインがカバーしてくれたようだ。

 ヤゴとの会話で花の事でも聞いたのかも知れない、今度買いに行って来るとかなんとか言っていた。


「だが坊、手前なかなかやるじゃねえか。確かにまだすこ~しばかり弱いが、生きたまま俺達と同等の強さくらいは得られる」

「──あ~、うん。まあ、それくらい強い方が何が有っても困らないだろうなあ」

「あんだよ、乗り気じゃ無さそうだな」

「目的の無い強さってのが好きじゃないんだよ。今は辛うじて有るけど、過剰な強さは身を滅ぼすからなあ……」

「弱くて悪い事は有っても、強くて悪い事なんか無ぇだろ」

「あるんだなあ、それが。人ってのは欲に縛られた生き物だから、目立ちすぎると足を引っ張られるか頭を抑えられる。特定の派閥や勢力、或いは若い奴が台頭してくると気に食わないって人は少なからず居る」

「んなもんぶん殴れば良いだろ。それとも何か、お前は力を得て何か企んでるのか?」

「今はそうじゃない、けれども一年後、十年後も先の自分が悪に走らないとも言えない」


 石橋を叩いて渡ると言えば聞こえは良いが、実際には石橋を叩いて壊れたら「やっぱ危なかったんだ」と言うのだ。

 叩く事を確認作業ではなく、ただ自分が安心できるまで叩き続ける保身でしかない。

 だが、アイアスはその理屈を理解はしてくれないようだ。


「なら、仲間を作れ」

「その理屈はどうなんだろうな……」

「あ~、違う違う。悪い事や自分を守るための仲間じゃねえ。手前が間違えれば殴ってでも止めてくれて、正しいと思うのなら何があっても味方で居てくれる奴の事だ」

「その仲間なら分かるけど、出来るかな」

「出来るかどうかじゃねえよ。勝手に出来る事もあるし、頑張らなきゃ作れない場合もある。そこら変は坊の普段の言動や行動の結果だから、誰も仲間になってくれないなら諦めろ」

「ひでぇ……」

「だが、まあ。仲間ってのは時たま一方的に出来てる場合もあるから、そう悲観するな。形は違うが、あのマーガレット嬢がある意味坊の仲間とも言えるだろ? なら、少なくとも行動や結果から来る『魅力』ってのは有るって事さ」


 魅力、魅力ねえ……。

 そこらへん意識した事が無いけど、無いよりは有ったほうが良いに決まってる。

 ただ、神輿にされて担がれるのではなく、人の輪に混じるような感じだ。

 そう考えると、後輩と一緒に食堂で飯を食っていたのは良い事だったのかもしれない。

 悪く言えば俺が親しみ易かっただけとも言えるが、一番無難で一番温厚な性格をしていたと思う。

 少なくとも肩を揉ませたり、部屋で無遠慮に自慰をしたり、ゲームで遊ぶ事を強要したりはしなかった。

 何で分からないの? 自分で考えてやれよ? 何で聞かなかったの?

 そんなクソみたいな事はごめんだ。

 やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば人は動かじ。

 ──それは、どこでも重要だと思っている。

 実際、アルバートを含めた戦闘関連ではそれをベースにしている。

 じゃなきゃ、誰も育てられないし上に立つ資格もない。


「まあ、良いけどな。何なら俺が──」

「あ、悪い。ちょっと待って。──アルバート、その技中途半端にやると相手が危ないから気をつけて。クラインは相手の関節に気をつけないと訓練で相手を壊すから力み過ぎないように。アルバートは荒っぽいけど習得自体は丁寧だから、もっと自信を持っていい。クラインは勢いが有るけど今度はゆっくり、丁寧に細かい場所にも気を配ってみようか」


 アイアスとの会話を一旦止め、俺は必要な事を告げる。

 自衛隊格闘でやった、胸倉を掴まれた時に手首を返して相手を引き倒す技だ。

 関節と言うものがどれだけ重要なのかを教えるついでにやらせているのだが、やはり個性があって面白い。

 大きな失敗はしてないので、気になる点を指摘しつつお互いにそれぞれの成長をしている事を伝える。

 褒めてやるというのは、その人なりに相手の成長を保障してやるという意味がある。

 アルバートは自信が無い、臆病で引っ込み思案な場合があるので意味がある。

 クラインに対しては良く分からないけれども、褒めた事で「この点は有ってるんだ」と理解してもらえれば良いかなと。


「ごめん、必要な事だったんだ。それで、俺が──なに?」

「ああ、坊が道を誤りそうな時は俺が殴ってやろうかってな。今の坊には、そういう奴は居ないだろ?」

「いや~、どうだろうな。たぶん、真っ先にミラノに殴られるか蹴られると思うけど。それに──」

「それに?」

「俺が悪い事をしたらカティアが困る。俺が悪人になったら石を投げられ、後ろ指を刺されるんだから巻き込める訳無いだろ」


 俺個人であれば、何をやっても『自己責任』で済む。

 最悪、悪逆非道に傍若無人へと突っ走っても良い。

 その結果が断頭台であれ絞首刑であれ、惨めにむごたらしく死んでも自己責任だ。

 自分の行動の結果を、自分だけで支払う。それが本当の自己責任である。

 しかし、カティアが俺の使い魔として存在している以上はそれは無理な話だ。

 善だろうが、悪だろうが、傾きすぎると彼女に負担になる。

 目立たず、自然に、普通に、当たり前のように生きる。

 彼女に与えられるものを与え続け、逆に支えてもらいたい時は支えてもらう。

 じゃなきゃ、嘘だと思う。


「ふうん、なるほど。坊にとってそんなに重要か」

「自分一人なら勝手に生きて勝手に死ねって話だけど、使い魔にはそりゃ無理な相談だろ。少なくとも俺が居なくなったらカティアは存在出来なくなる、そりゃ良くない」

「ま、そうやって自制が出来るのなら良いんじゃねえの? だが、それは強くなくて良い理由にはならねえから、サクっと強くなりな」

「簡単に言うなって……」

「英雄様のお墨付きだ。何なら、俺が変わりに坊が手出しできない時にぶん殴ってやるさ」


 英雄様のお墨付きだった。

 頼もしく思える一言だが、俺に手合わせを無理矢理吹っかけて庭を滅茶苦茶にし、制限を科せられていると考えると微妙に思えてくる。

 まあ、少なくとも威光を借りる事はできる訳か……。

 助さんや格さんは居ないし、紋所も無いけれども意味はある。


「まあ、口約束しかできねーけどな。ヘラみてえに目立つものを渡せる訳じゃ無し、坊には槍術は──」

「あ~、剣が使えれば良いから……」

「と、無用の長物だから、許せよ、な?」

「痛いって、背中を思い切り叩かないで!?」


 アイアスに思い切り背中をバシバシと叩かれる。

 俺は若干距離感が近すぎる英雄達との間合いを計り損ねている。

 突き放す訳にわいかず、かと言って慎重になろうとしても既にかなり間合いを詰められている。

 どうしたもんかなと、もう悩む事すらひっくるめて思考放棄したほうが良いのかなとか考えてしまう。

 その後、アイアスとクラインの手合わせを終えて最終的な総評をしてから解散をする。

 今日の俺は先日の失敗から運動をしていない。それが正解なのか、失敗なのかは分からなかった。



 ──☆──


 くだらない事は、誰だって考える。

 ヤクモが逃避として色々な事を考えるのとは別に、ただの思いつきとして考えられる事だってある。

 ヤクモの部屋をノックしたミラノに「どうぞ」と言う声が聞こえ、許可が下りたことで一緒に居たマーガレットも部屋に入っていった。

 そこに居たのは二人の人物であり、どちらも同一人物だった。

 ヤクモが二人居る──何も事情を知らなければ、或いは二人を見た事が無ければそう誤解していただろう。

 現代の服を着て、つま先から頭の天辺に到るまで全く同じ。

 片目が同じ紅色をしていて、違う点といえばミラノが見知った『スイッチの入っている状態と、入っていない状態』だろう。

 一人は気のない顔をしていて、良く言えば優しげで、悪く言えば事なかれ主義のように見える。

 もう一人は表情は引き締まっており、よく言えば凛々しいが、悪く言えば常に気を張って気を許していない感じに見えるのだ。


「うんうん、思った通り」

「わぁ……。パッと見じゃ、どちらが本人か分かりませんね」

「アイツが兄さまを演じる事ができるのなら、逆も出来るって思ったのは正解だったみたいね」

「「おいおい……」」


 突込みが入る。手の動作と表情、そして台詞までもが一緒だった。

 どちらかはクラインなのだが、そもそも根っこが同じなのだ。

 文化的な違いや歩んできた道が違うだけであって、思考や思想、言動は似ているのである。

 ヤクモが自衛官状態じゃなくなるか、或いはクラインが気を引き締めるとこれくらいに似るという証左でもあった。


「え、何。もしかして、どちらかが不在の時は、もう片方に演じさせる事で寂しさを紛らわせるとか、そういうやつ?」

「なんだか、そういうのヤなんですけど」

「──なんか、どっちもヤクモって考えたら単純にウザさが倍になった」

「「ひどくね!?」」

「まあま、落ち着いてください。それで、そちらがクライン様なのでしょうか?」


 その言葉に一人が手を上げ、もう一人が『ソイツ』みたいに指をさす。

 しかし、ミラノはそれが事実だとは思って居なかった。


「ホントかしら。こういうとき裏で二人して示し合わせてそうだし、後で『騙された~』って普通に言いそうなのが二人のヤなとこ」

「信用無いな、おい……」

「ひでぇ……」


 ミラノの物言いに対して、それぞれに反応を示す。

 それですらちゃんとヤクモっぽくなっているので、ますます分からなくなるが──。


「ま、こういう時は武器を持たせれば直ぐに分かるし」

「そうなんですか?」

「アイツの居た場所での武器、”じゅう”と呼ばれる物を持たせればその取り扱いで直ぐに分かるでしょ。分かる……でしょ」


 ミラノがそう言い出すのを先読みしていたのか、レッグホルスターにそれぞれ銃が入っている。

 そしてそれぞれ顔を見合わせると手馴れた様子で銃を抜き、銃口を下に向けながらも直ぐに撃てる状態にしていた。


「あの、ミラノ様? 今ので分かるのですか?」

「──前言撤回。こんなの分かんない。あるいは、この前外でやったみたいに全部の武器を使わせれば分かるかも知れないけど。もしくは……知識?」

「おいおい、使い慣れた九ミリ拳銃の事で俺を試すとか、流石に無理があるだろ」

「それに、武器を使うからといって性能とか材質に詳しい訳じゃないぞ? 引き金に指をかけて射撃をして、狙った相手に当たれば何でも良いんだ。ただ使い勝手や役割が違うだけなんだから」

「あぁ、もう。うっさいうっさい!」


 ミラノが一歩踏み出すと、二人とも銃をしまって両手をのばしながら同じように一歩下がり「落ち着けって」と言った。

 ミラノが杖を出してそれぞれに『ディスペル』と言った。すると、片方の目の色が元に戻りそちらがクラインだと判明する。

 ミラノの読みは当たっており、挙手していないほうがクラインだった。


「あぁ、バレちゃったか……。けど、結構いい線行ってたと思うんだよね」

「同じ事をすればクラインでも俺を演じられるって事か。良い発見にはなったけど、とりあえず服と装備を全部返してくれ」

「え? ダメかな。僕の服と交換しようよ」

「俺は、二度と、あんな、動きにくい、服なんか、着ない」

「はは、確かにこの服に比べると普段着てる服は随分と動き辛いね。逆を言うと、余裕を持たせすぎず、かと言ってきつ過ぎない服だから良いね」


 そう言ってクラインは自身に与えられた衣類を気に入っていた。

 実際クラインは長兄だから多少は着飾っているが、それでもエクスフレアやキリングなどに比べると質素な方だ。

 オルバも多少スッキリしてはいるが、それでも嵩張らないだけであって一目で高価そうな物を身に付けている。

 それに比べるとヤクモの身につけている衣類は素材からくる耐久度的には勝るが、地味である。

 ただ走ることや咄嗟の運動に対しても向いており、変に負荷をかけて破けたり避けてしまうという危険性は無かった。


「この服、普段着ていても咄嗟に運動や戦いにも対応できる気がする。若干だけど、防御力も有りそうだし」

「まあ、石や枝に引っ掛けて破けるって事は無いけど、靴の方が頑丈で良いぞ? つま先と靴底が補強されてるから蹴っても良し、酷使しても良し。雨が降っても靴の中まで水が入り込みづらいから不快にならないと良い事尽くめだ」

「幾らなら売ってくれる?」

「金で買おうとすんじゃねえ! と言うか、服ならやるわ!」


 クラインが身分を背景にした買取工作をしようとし、それに嫌気を隠そうともしないヤクモは与えてしまう。

 そこまで高い買い物ではなかった上に、そもそもアーニャによって渡されたものなので実質タダだ。

 それでも衣類とは言え渋ってしまうのは、自分の領域に踏み込まれるのが嫌だという自己防衛本能のようなものなのだが。

 

「へへ、やった」

「やったじゃないっての。ま~た俺の在庫が無くなるよ」

「にしては、案外早く許したじゃない」

「どうせ嫌だって言ったら逃げ出すに決まってる。何が悲しくて逃げる男の尻を追いかけて、無理に服を剥が──はか……吐きそう」


 うぉえっぷと、ヤクモが吐き気を催す。

 彼の脳裏でトラウマ《男に迫られる光景》が蘇り、色々な知りたくなかった感触などが想起されたようであった。

 それを知らずにクラインはポケットだのホルスターだの、銃だのと弄っている。

 ヤクモの脳裏からは、許可と逃避によって銃を回収する事が忘れ去られていた。


「ミラノ様もお召し物を貰ってましたよね」

「マリーの着ているものに似てるのは癪だけど、格好良いの」

「もしかしてアレですか?」


 ぶら下がっているヤクモの戦闘衣の隣に、ミラノが貰ったはずの物がぶら下がっている。

 夏用と冬用の二着で、そのどちらも直ぐに着られるようにと用意されていた。


「そう、あれ」

「ですが、地味じゃないですか?」

「格好良いじゃない! あの自然を感じさせる緑の色、裏打ちされた生地の色は若干鮮やかだし、着た時に頭の後ろにダボッとなってるのが緩くて良いの!」

「あぁ、あれは雨が降った時とかに頭を極力濡らさないとか、或いは周囲の目線が気になった時に被る奴だから。俺とクラインが着てる奴にもついてるけど、他にもこの下穿きの収納だけじゃなくて上着の腹部や内側にも幾つか収納箇所があるから便利便利」

「これって手を入れて温める場所じゃなかったんだ」

「本当は小物を入れておくんだけどさ、この──音楽を聴く道具とか、或いは多目的な代物」


 そう言って彼はウォークマンと携帯電話を取り出し、身に付けたりする。

 大きなヘッドセットを首にかけてウォークマンをポケットに突っ込み、反対側のポケットには携帯電話を入れた。


「たしかその首に下げてる奴と繋がってる小物で音楽が楽しめるんだっけ。それと、もう一つは絵が見れたり、それを連続した”えいぞう”って奴が見れたんだったかしら」

「まあ、この国や──周辺国のものでこれくらいの収納箇所に収まるものはそうそう無いと思うけど。オルバとかだったら御札をポケットに忍ばせておいて、いざと言う時に片方は防御でもう片方は咄嗟に使うものとか分けられるだろうし」

「その道具って、他に無いの?」

「有っても──限定的な使用しか出来ないかな」

「限定的?」


 ヤクモが携帯電話とウォークマンに関して説明する。

 音楽を保存してある媒体から、別の装置を経由させる事で本来は音楽を好きに出し入れできるけど出来ないと言うこと。

 もう一つは中継させる事でもっと沢山の情報が取り扱えるけれども、その中継が無いので写真や映像を保管したり簡単な情報の管理くらいしか出来ないという事。

 それらを聞いていたクラインとミラノだったが、突如あわただしく整理整頓して置いていた勉強道具をひっくり返し始めた。


「ごめん、今の話をもう一回、ゆっくり言ってくれる?」

「僕も今の話をちゃんと聞いておきたいかな。何か──君の使う魔法に関して、繋がりを見出せた気がする」

「あら、兄さまも?」

「ミラノもなんだ」

「あ~、えっと……。人を二人並べて、どっちがヤクモショーをしたと思ったら、今度は勉強を始めるのね……」


 ミラノが来るたびに散らかっていた机が片付いたと思えば、再び散らかされる。

 それに文句が無いわけでもないが、ヤクモはすでに上下関係から諦めて受け入れていた。

 マーガレットは目の前で突如あわただしく行動しだした兄妹に唖然としていたが、ヤクモが諦めて椅子ごと遠のいたのでお茶を淹れる事にしたようだ。


「ヤクモ様は珈琲でしたっけ?」

「あぁ、えっと……じゃあ、お願いしようかな」

「僕もヤクモと同じのを」

「私は紅茶で」

「はい、準備させていただきますね」


 ヤクモは忙しそうにしている二人に口頭で説明を時折しながら、マーガレットの補佐をするようにカップなどを準備しだす。

 そして暫くはそうやって忙しそうにしていたけれども、クラインがふと思い出したように尋ねた。


「そういえば、マーガレットさんは羨ましがらないんだね」

「なにをでしょう?」

「僕らが物を貰ったのを。こういう時は、羨むかなって思ったんだけどさ、そんな素振りも見せなかったから」

「いえ。私はすでに十分な程に貰いましたから、これ以上は流石に……」

「──ヤクモ、アンタ何あげたの?」


 マーガレットが嬉しそうに言う中で、ミラノが若干棘を含む声で詰問した。

 こういう時は誤魔化しても無意味だと諦めきっているヤクモだったが、彼が説明するよりも先にマーガレットが説明する。


「目を──色を見えるようにしていただきました。不思議な飲み薬でしたが、そのおかげでヤクモ様とクライン様がどこで違うのかを一目で理解できます。それに、食べ物や飲み物も、香りや味じゃなくて見るだけで判断できるようになりました」

「ふぅん、アンタは大怪我する以外にも人助けしてたのね」

「人の事を傷つかないと生を謳歌できない変人みたいに言わないでくれますかね?」

「けど、貴重な薬だったんじゃないかな」


 クラインがそう言うと、マーガレットがピクリと反応してしまう。

 それを見逃さなかったヤクモは、更に粗雑な態度と言動をした。


「あ~、良いって良いって。俺が勝手に見過ごせなくてあげたものだし、押し付けたもので勝手に助かったんだからお互い様。本来迷惑がられても仕方が無い事なんだし、それで恩を着せたつもりも無いから礼とか要らないっての」

「けど、アンタの居た場所の薬って事は、今の所二度と手に入らないんじゃない? それを兄さまとアリア、それとマーガレットに与えて──」

「薬には使用期間ってのがあって、それを過ぎると効果がなくなるんだよ。なら、効果が有る内に必要な人に与えた方が良いだろ。効果が無くなったらただのゴミだし、毒になったらますます持ってる意味が無いからな」


 その言葉を聞いて、本当に『どうでもいい』と思っているのだなと三人は思った。

 クラインとミラノは、クローンに関して本当にどうでも良いと言い切り、以前と何ら変わらぬ言動をしている事からそれを深く信じている。

 マーガレットも二人ほどではないけれども、その言葉が自分が気負ってしまわないように吐き出されたものなのだろうと薄っすら理解していた。

 

 結果として、ヤクモは失敗している。

 自分はどうでも良い人だ、だから何でもないんだと吹聴しているにも関わらず言動が一致していない。

 良い人じゃ無いと言うのなら、ここでぶっきらぼうな態度を取らずに傍観していればよかった。

 そうでなくとも、マーガレットに「気にしないで良い」と直接言えば良いのに悪い人を演じようとした。

 しかし、それが通用するのは相互理解の浅い相手だけだ。

 その場に居る連中は、既に付き合いが浅いと言い切れる間柄ではなくなっていたのだから。


 数秒後、誰もが何も言わないのに違和感を覚えたヤクモが「なに?」と周囲を見る。

 彼の頭の中ではミラノに「またアンタは」と言われ、クラインには苦笑され、マーガレットにはションボリとされている展開が予想されていたのだが、そうはならなかったので沈黙が痛かったのだ。


 ミラノは「別に」と言ってから、先ほどの道具の説明を求めた。

 クラインは特に何も言わず、微笑を浮かべたままに二人のやり取りを聞いて、淡い理解の下で魔法の新しい認識を構築していく。

 マーガレットは逆に困惑してしまったヤクモを呼び、お湯が出来たので手伝って欲しいといって助けた。

 ヤクモだけが自分を取り巻く『優しい世界』を認識できず、ただただ首を傾げることしか出来なかった。


「さっきの中継ってのを詳しく聞きたいな」

「あ~、えっと。俺も詳しくは無いんだけど、例えるなら部隊での隊長とかそこらへん? 下と上を繋ぐ役割をしていて、お互いのやり取りを円滑にするようなもの……かな」

「けど、その道具は中継器がないと使えないけど『要求する』という機能があるんだよね?」

「それはお互い様と言うか、担っている役割が違うんだ。下は兵士や食料とかを上に掛け合って要求できるけど、上は許容できる範囲でそれを融通する。けど、当然下が沢山の要求をする場合、それに見合った仕事や作業を与える感じ」

「それってさ、魔法に置き換えるとどういう認識に出来る?」

「──現場が発動したい魔法が有って、それを言葉や動作、或いは認識を経由する事で魔力を引きずり出す感じかな。ただ、現実でも同じように、中継させる人が優秀じゃ無いと余計な手間や、不必要なすれ違いが発生したりするから、それと同じで詠唱や動作、或いは認識を洗練させないといけない──ってことかな」

「成る程成る程」


 クラインが尋ね、ヤクモはそれに沿って自己認識と理解の範囲で答える。

 当然彼は魔法に関してはド素人だが、クラインも五年間寝たきりだったのである意味殆ど同じ立ち位置に居るのだ。

 ミラノは既に学んだ事柄から抜け出すのに苦労しているが、クラインは逆に何も無いからこそ自由な発想で魔法に結び付けて独自解釈を進めて行く。

 そして幸いな事に、それが間違っていない。

 ミラノが試行錯誤して綴ってきた物にも目を通し、その傍らで『アバウトに』把握していった。


「ねえ、認識ってのはどういうこと? 動作とは違うの?」

「動作は、言ってしまえば部屋のノブを捻ったりする事で、ただの条件でしかない事もある。最初に俺が動作のみで火を出せるようにした時は、動作によって生じるものを魔法として役立てていたけど、今はそれも更に認識──早い話、目的を脳で描く事で簡略化できる事も理解したんだ」

「つまり、前まではそれによって火しか出せなかったけど、今じゃその動作一つで火じゃ無い魔法も扱えるって事で良いのね?」

「まだ確証はないし、そこまで試してないから分からないけど。今の所水と火、それと風くらいなら単一で扱えるようになってるから、近いんじゃないかなって」


 本来であれば荒唐無稽だと笑われるか、或いはとんでもないと憤慨されても仕方の無い事をヤクモは言っている。

 医学的な発達や科学的な進歩が遅れていることや、魔法に関して形式的なものに成り下がってしまった事が連なる。

 ソフトウェアとハードウェアのような感じで魔法を認識し、さらには動作や言葉、認識等と言ったものに区切る事で魔法を解体し、分解し、それぞれを自分の知る現代的なものへと置き換えているのだから。

 

 当然、多くの人は笑うだろう。何を言っているんだと、それこそ道化のように扱われても仕方が無い。

 あるいは、魔法に長らく携わった人間なら怒るだろう。

 魔法を分解するとは冒涜だとか、或いは若いからそんな事が出来るのだと非難する為に。


 しかし、その場にいる誰もが真剣だった。

 マーガレットはミラノやクラインとは違って魔法に関して重要性を見出していないらしい。

 それをヤクモも責めたり、おかしいと思ったりはしなかった。


「思ったのですが、中継とは目と同じでは有りませんか?」

「ああ、そりゃ……良い喩えだ。例えば目の前に林檎が有ったとしても、どこかがおかしいと色や存在すら分からなくなる。けど逆に、優れていれば目を介して得た情報は遠くであっても認識できるとか──これが良い喩えになってるか分からないけど、考えの一つとして取っておけば良いと思う」

「というか、魔法って詠唱するものだって思ってたけど、学園を通ってる二人はどう習ってるの?」

「詠唱は基本・基礎です。その上に魔方陣・魔力陣・術式等々があって、ミラノ様のように無系統が扱えると詠唱破棄が出来るとかなんとか」

「へえ、そうなの? ミラノ」

「兄さまも使えるでしょ。けど、私だってまだ片手分くらいしか見つけられてないから、あんまりアテにならない噂話かもね」


 ミラノがシレッと言っているが、デルブルグ家の三兄妹は全員無系統が使えるようである。

 けれども、ニコル辺境伯とのやり取りでクラインが無系統を使えるらしい事はそれとなく知っていたので、それほど驚いてはいなかった。

 そしてミラノが言った通り、情報があまりにも無さ過ぎて『無系統が使えるとどうなるのよ』という状態ですらある。


「無系統に関して、ヤクモは何か分からない?」

「さあ。俺も今の所学園で見聞きしてきたものを自分なりに組み替えて作り変えてるだけだから、無系統は何も分からないんだよなあ……」

「けどアンタ、オルバ様と戦った時に爆発を起してたじゃない。それに、学園でも一度」

「あれ、無系統の詠唱破棄だって俺も分からないのにミラノやクラインは判別つくか?」

「や~、分からないな~」

「……そうね」


 ヤクモの指摘は至極まともであり、それに関して二人は否定できなかった。

 詠唱の有無で魔法を発動したか位ならミラノにも分かる話だが、今までの魔法解釈論を聞いていると判別が尚更難しくなるのだ。

 魔法を使えているけど、それがどういった部類に属するのか分からないという状態に陥っている。

 ヤクモはヤクモで『大爆発とか、水蒸気爆発とか起されたらどうしよう』と言う懸念があったので、詠唱させるわけにも行かなかった。


「じゃあ、俺が使った魔法の名称を書いておくから、それを周囲に被害や影響を与えない場所で試してみたら良いんじゃないか?」

「それなら、私や兄さまも使えた場合は無系統の詠唱破棄ってなるのかしら」

「『ディスペル』は俺にも使えたから、たぶん名称は共通で共有できる──と、思う」


 サラサラとヤクモが紙に魔法名称を書き込む。

 どちらも爆発系統の魔法で、火力自体は申し分ない。

 ただ、どちらも自爆するので扱いが大変なのだと付け加えた。


「けど、無系統の魔法名称を探り当てるって、どういうものなんだろうな」

「私の場合は本を読んだり、沢山ある資料の中から見つけ出したのを使ったら見つけたって場合が多いかしら。それ以外だと今の所見つけ方すら分からないし」

「──なんで無系統はあるって情報だけが残ってるんだろな」

「そこらへん聞いてみたら教えて……くれなさそう」


 ミラノがそう言ってため息をついた。

 魔法に長けた人物といえばマリーが当時の英雄として存在しているのだが、彼女とミラノの仲は険悪だ。

 それ以前に、マリーは他人と関わる事を得意としてない上に歯に衣着せぬ物言いをするので、それが許容できなければ怒るか嫌うしかない。

 ヤクモは自己肯定力が低く、それ以上に新隊員教育や陸教でのシゴキによって罵倒だの嘲笑だのには耐性が出来てしまっていてマリーと問題なく付き合えているだけであった。

 他人との付き合い方を知らぬマリーと、同じく他人との付き合い方を知らないミラノ。

 その結果即座に険悪になっただけであり、お互いの負の面が悲しい事に悪く合致してしまっただけでもある。


「そこらへん、今回の旅で聞いてみるよ。屋敷を出たら多少は口も軽くなるかも知れないし」

「あ~、長い旅路だこと。軽くなるのが口だけなら良いけど……」

「どれだけマリー嫌いなんだよ……」

「え? 今のはアンタが禁酒の束縛から逃れて、酒浸りになる可能性を考慮したんだけど」


 分かるか!

 そうヤクモは内心で叫んでいたが、当然おくびにも出さなかった。

 しかし、逆に何も言い返さなかったのがミラノにとって不審だったらしく、詰め寄られるヤクモ。


「──なんで否定しないのかしらね」

「もう散々言われまくったから、否定するのにも疲れた……」

「なら良いけど。隠れてお酒飲んでたから考えもしなかったとかだったら、はっ倒してた所」

「失礼な奴だな……」


 そう言いながら、ヤクモは内心で思い切り焦る。

 実際には、毎夜毎夜ワインをストレージから出し、飲んでから眠っていたからだ。

 ミラノはどう足掻いてもヤクモよりも先に寝てしまうので、それを見てから二口ほど飲んで眠るのが習慣になっていた。

 つまり、禁酒令を普通に破っているのである。バレたら大事だと脂汗を背中に流した。


「お酒を飲んだ人って見境が無くなるから、アンタはあのマリーってのと仲が良さそうだし、心配になってきちゃった」

「ミラノさん? もしも~し? 俺、そこまで飲んだ事も無いし、酒を飲んだとしても相手の方が実力的に格上だし、そもそもヘラって言うお姉さんも一緒なんですが」

「どうだか。あの女、時々いや~な雰囲気出してるし、アンタが酒を飲んで酔っ払ってる時に迫って来るんじゃないの?」

「ミラノ、それは流石にどうかと思うよ……」


 ミラノが疑り、それをクラインが苦笑して止めた。

 しかし、クライン自身もマリーがしょっちゅうヤクモと関わりを持っている事実を知っている。

 ただ『英雄であり、ヤクモは人だから』と自分が納得しているだけである。

 今を生きる人と、かつて生きていた死者。

 その隔たりを認識しているからこそ安堵していられるが──待てよと、クラインは考え込む。

 ミラノの生い立ち……と言うか、裏事情を聞いても『どうでも良い』と斬って捨てたヤクモ。

 では、英雄だからとか召喚されているだけで既に死んでいる相手という事も、あまり関係ないのではないか? と。

 数秒間考えた。考えに考えたクラインは、問題ないだろうという決断を下す。

 

 そこまで緩い思考をしていたのなら、一人で色々と背負い込んだり隠し事をしないだろうという判断だ。

 名声や地位に無頓着で、生活がとりあえず安定していれば良いと言って憚らないのだから、そんな混沌にも毅然として立ち向かうだろうという考えである。

 変な危機感を覚えたクラインが、その懸念は荒唐無稽だと自分で納得して見せた。

 

 そもそもここ数日床を一緒にしているらしいけれども、双方に何かを意識するような素振りが無かったからだ。

 男と女としての関係──のようなものは一切ない、そういう意味ではマーガレットとヤクモの間柄の方がまだ男女の間柄であった。


「と言うか、魔法で凄い時間を割いて研究しても、今度はそれを僕は僕なりに、ミラノはミラノなりに取り込んでいくから──うわぁ、大変だ」

「……私も、多少動けた方が良いかもね。少なくとも、コイツの邪魔をしないように行動する事も考えなきゃいけないし、相手が回りこんでくる事も考えると棒立ちってのも良くないだろうし」

「まあ、そう、だな……。そうしてもらえると俺は助かるけど……その、ミラノはそれで良いのか?」


 ヤクモは疑問を口にする。

 少なくとも、学園で”特別階級”と言うのを嫌と言うほど目にしてきた。

 そういった人々の大半は既に”腐敗”しており、努力だとか汗を流して頑張るという事を嫌っている。

 当然国によるのだが、ヴィスコンティと神聖フランツは身体を動かす事に対する努力は敬遠したがっている認識だったのだ。

 だがミラノは首を横へと振った。


「もし私に何かあれば、私が足を引っ張っちゃうでしょ。アンタがどれだけ凄くて、沢山の敵を圧倒できたとしても、私に危機が迫ればそれを無視できない。とは言っても、本当に最低限だけどね。アンタやカティみたいに身軽に行動なんて出来ないし」

「俺としては、歩いてくれるだけでもありがたいよ。そこら変はちと時間が無いから教えられないけど、カティアが全部書き残してるから、いない間に聞いてくれる?」

「ん、了解」


 男女としての関係ではないが、これはこれで良いものだなとクラインは考えていた。

 どこの誰とも分からぬ相手に負い目のある妹をくれてやるくらいなら、少なくとも信用も信頼も出来る相手の方が良い。

 しかも妹も憎からず思っているようなので、少なくとも悪い考えではないと考えていた。

 今は主従関係と言う垣根が互いを隔てていても、その垣根が消失した時に変わらずに居られるのであればそれが一番だろうなと──。

 クラインは、考え事をしながら魔法に関して書き綴っていた。



 ──☆──



 結局その日の遅くまで魔法関係の話は進んだ。

 途中でクラインやマーガレットの要望でウォークマンを再生してみせたり、携帯電話を操作して見せたりもした。

 クラインは着替えなきゃいけないからとそのまま去って夕食に参加して行ったっきり戻ってこない。

 マーガレットはマーガレットでマリーと一緒に時間を過ごすという事で、彼女の部屋へと向かっていった。

 ミラノも去り、問題ないだろう──。それはただの希望的観測に過ぎなかった。

 ミラノは俺の部屋で食事を摂ると言い張り、食事を片手間に魔法だの戦闘行動だのと色々聞いてきた。

 こうやって考えると、本当にマリーの血筋っぽく思えるのだが、彼女は結婚したかったといっていたので子孫ではないのだろう。

 知識欲に特化し、聞きたいこと知りたいことやりたい事の為に他の事を斬って捨てる。

 クラインが居なかった場合は問題だっただろうが、クラインが居ればミラノは多少なりとも役割が削がれて楽になる。

 その分をここに突っ込んできたと考えると、微笑ましくも思える。


「今日はもうおしまいね」

「ん? 一刻近く早いけど、もう良いのか?」

「アンタ、明日出発でしょ」

「あぁ、そうだった……」


 慌しいと言うか、地味に充実していたので時が過ぎるのは大分早かった。

 消灯時間から一時間ほど過ぎた所で彼女は物を纏め、就寝準備に入ったのだ。

 部屋に戻るのかなと思ったが、「直ぐ戻ってくるから」と言って立ち去っただけだった。

 どうやら今日もベッドで色々聞かれるに違いない。


 暫く部屋の簡単な整理整頓をし、一応戦闘衣と半長靴に敬礼をしておく。

 今日も一日お疲れ様と、誰にも言われはしないが自分の中でケジメておく必要があった。

 剣、弾帯、弾倉、弾嚢、水筒、携帯エンピ……全ての準備が整っているのも確認する。

 荷物に関しては基本ストレージに突っ込んでおく事にし、その結果馬も不要になった。

 アイアスからは野営をどうするのかと訊ねられたが、天幕を出して説明したので解決だ。


 最初に屋敷を出たら調理器具や食料を買い求める事にもなっている。

 つまり、金と身体だけで出かけて、必要な物は買い求めていくという身軽さを優先した。

 マリーとロビン、ヘラから既に野営中に食べたいものをさり気なく、或いはあからさまに、もしくは言われて聞いている。

 完全にコック扱いなんだよなと思いながらも、なつかしの味を口にしたい欲求は多分に存在していた。


 静かに扉が開かれてミラノが戻ってきたかと思ったが、もう一人多くやって来たのに気が付く。

 マーガレットもその場に居て、彼女もまた寝巻き姿で俺の部屋へとやってきていた。


「あ~……」

「ゴメン。なんか、アンタの部屋の前に居て、つい……」

「すみません、夜分遅くに。ですが、暫くお会いできないと聞いて、来ちゃいました──」


 彼女は枕を抱きしめながらやって来た。

 俺は胃がキリキリと痛むのを感じるが、それを自己都合として出来る限り無視をしようと試みる。

 神様、俺はモテた経験も無いし、公私でいう私での他人と関わるのは苦手なんだ。

 なんで試練ばかり与えるんですか? もう少し、悠長にやらせて下さい……。

 

 しかも二人ともベッドで寝ようとするじゃん?

 そうなると二人だけの場合は余裕があった空間が手狭になるじゃん?

 俺、寝袋で寝るから! って逃げようとするじゃん?

 ミラノがさっさと寝れと強かに言うじゃん?

 マーガレットを見てその表情で『心の軋むとき』になるじゃん?

 隅っこ、隅っこだけだから! とか、色々やるが、両側からサンドされるじゃん?

 川の字完成! ただし、真ん中が俺、みたいな!

 両手に花とも言う。


「あの、ヤクモ様。窮屈じゃありませんか?」

「大丈夫ッ……かな」

「マーガレットが来た途端にアタフタしちゃって。もっとどっしり構えなさい」

「やめてくれ……。ミラノだけでも大分心臓に悪いのに、両側から女の事か心臓が痛くて死ぬ──」


 既に大分文字通り肩身が狭い思いをしている。

 リラックスして眠るはずの就寝時間が、両隣を意識して縮こまらなきゃいけない苦痛の時間に早変わりである。

 三人でベッドに入るとなるとどうしても身を寄せ合わなきゃいけない。

 以前にミラノとアリア、カティアと一緒のベッドだった時も有るけど、あの時は人助けだった。

 今は人助けでも何でもない、自分を偽りきれない。


「一日くらい、ズレこんでも、大丈夫か」

「なにが?」

「緊張しすぎて体調がダメになっても、一日なら誤差かなと」

「アンタの都合で日程をずらすな」


 ミラノからのチョップが入る。

 当然痛くは無いのだが、それよりも胸と腹の痛みの方が酷い。

 汗が嫌に溢れてくるし、本当にどうにかして欲しい。


「──そういや、ミラノの両親って別室だけど。そういうのが常識なのか?」

「あれは父さまが、母さまに負担をかけないように部屋を分けたの。酷かった時は、本当に酷かったんだから。アークリアとか、ザカリアスが気にかけてくれたから助かったけど、父さまもすごい心配してた」

「あ~、ってことは……」

「誰かと一緒になったら、毎日こういう事になるという事ですね」


 嫌な現実を突きつけられた……。

 いや、嬉しいけど! そこまで進展したら嬉しいけど!

 なんか、こう、段階って物が必要だと思うんですよね、俺は。


「俺の思ったよりも事態の展開が早すぎてついてけないんですけど……」

「そういうものじゃないでしょうか?」

「時は誰にでも平等に流れるのだから、誰もアンタにあわせてくれないってことね」

「そりゃそうだ……」


 しかし、なんだ。闇夜だと二人の寝巻きはあまり透過していないが、朝日を浴びせると下着や身体のラインがはっきりと見えるくらいの生地だと考えてしまうから困るのだ。

 ミラノはミラノで辛うじて欲情できるラインだし、マーガレットは一つ上だけれどもミラノよりは実った体つきをしている。

 考えてしまうと下半身が元気になってしまうが、そこらへんも何だかそれぞれの特徴が出ていると考えると──面白い。


 ミラノは事情があったとは言え努力家だし、必要があると思えば一日中長時間机に齧りついていられる人間だ。

 だから運動量も少なく、発育もそこまでしていないのかと考えられる。

 逆にマーガレットは色が識別できず、色白だという事を踏まえても屋敷では色々とやっていたようだ。

 編み物だとか、家事だとか、庭の様子を見たりとか、家庭的と言うか、それなりに健康的なことをしている。


 子供は外で運動しなさい、遊びなさいと言うのは健康や交流のためじゃなくて、健やかなる成長の為だったのかも知れない。

 じゃあ、遺伝を除いたとしても身体の成長に大きく関わる要素は何なのだろうか?

 母性があっても発育が良くなる訳じゃないが、それなりに発育の良い人物は総じて胸が大きい気はする。

 だとすると、その裏で共通している点は何なのだろうか? 例えば潜在的に自分の為の行為なのか、それとも無償の愛としての行為なのかが作用しているとか。

 

「ヤクモ様、急に大人しくなっちゃいましたね」

「なにか……この顔は、考え事してるみたい。戻ってきなさい、お~い」


 ミラノが俺の頬をペチペチと叩いてきた。

 俺はそれで現実に戻るのだが、何か言っていたような気はするけど全く聞いていなかった。

 気になる物は気になるから仕方がないだろ!

 そこら変は知識欲というか、知らないから知りたくなるみたいなものだ。


「ミラノ様、表情で分かるのですか?」

「少しはね。辛い事から目を背けるために考え事をしてるのか、それとも大真面目に考え事をしてるかの二つしか分からないけど」

「わぁ……。それでも、凄いと思います。私はてっきり放心してるのかと」

「それ、現実逃避だけどね。けど覚えておいたほうが良いかも、結構現実逃避してる時も有るから」

「人様をネタにして楽しそうにしないで貰えませんかねえ……」


 だが、思考に逃げた事と、ミラノが叩いた事、そしてぞんざいな扱いをされた事で地味に落ち着いてきた。

 マーガレットに好かれている事、ミラノが優しくなった事、そして今現在の女性二人と床を同じにしているという状況。

 そのどれもが俺を焦らせ、腐敗し惰弱しきった俺を刺激し続け、鬱屈とした部分が悲鳴を上げる。

 けれども、同じ部位が退屈な日常を、或いは俺が不幸であり報われないと認識できる事で安堵しているのだ。

 本来は良くない事なのだろうが、それすら切り離してしまったら──俺は、ただの機械仕掛けの兵士になってしまう。

 それは、良くないと思う。いや、或いは──。


「ヤクモ様は、明日発たれると聞いてますけど、隣国までの旅は楽しみですか?」

「ん~、前居た場所でも既に八ヶ国は回ってるし、隣国程度だったらあまりワクワクはしないかな」

「大胆ね」

「言語がそもそも違う他国だったらおっかなびっくりだっただろうけど、言葉は通じるし同じ宗教信仰してるし、ツアル皇国やユニオン共和国に比べると大体にてるって聞いてるから安心してるかな」

「もしかして、アンタが時々使う分からない言葉がそうなの?」

「あぁ、うん。異国の言葉なんだけど、文明や文化と一緒に入ってきたときに名称も取り入れられるから、つい使っちゃうんだよ」

「へ~……。そこらへん、聞きたい」

「悪いけど、そんなに覚えてないんだ。ただ──色々な場所があって、それぞれ違った分化があって……良かった事も、悪かった事も、色々あった」


 そう言ってから、言葉は徐々に少なくなっていった。

 ミラノが真っ先に寝落ちし、俺は少しばかり安堵する。

 だが、俺が緊張してか声量が落ちるとくっついて来てまで聞こうとするので宜しくない。

 煩悩退散、煩悩退散……。煩悩、本能、困った時は──誰を頼れば良いんだ?


「──マーガレットも、ちゃんと寝ないと。俺も明日から忙しいだろうし、もう寝るから」

「そうですね。早めに寝て、休んでおかないといけませんしね」


 と、相互に就寝を決める。

 ミラノを引き剥がせないし、かと言って動けばマーガレットが寄り添っているから当っちゃうしで動けない。

 諦めの中で目蓋を閉じたが、そんな中でマーガレットが訊ねてくる。


「ヤクモ様。未来と言うのは、どういうものなのでしょうか」

「曖昧だけど多少は決まっていて、もし結果を壊したければ自分だけじゃなくて沢山の人の力を使って変えなきゃいけないものだと思う」

「──そうですか」


 マーガレットの言葉の意味が分からないが、半寝ボケでも何かしら言いたい事がある事くらいは分かる。

 回転が鈍っていた頭の歯車の速度を維持させ、考えた。


「どうしたの? まあ、頼りないけど、話を聞くくらいなら出来るから」

「もし、自分の未来が確定していて、それが絶望に染まっていた場合、ヤクモ様ならどうしますか?」

「規模によるんじゃないかな。もし逃げる事で解決するなら逃げても良いし、立ち向かう事でしか活路が見出せないのならそうするしかないかな。けど、どの道自分だけの結末が同じなら、満足のいく道を選びたい」

「──……、」


 その言葉はマーガレットに届いただろうか。

 結局、シュタゲじゃないけれども収束する結果と言うものはある。

 言い換えれば、戦闘に勝利しても戦争に負けてしまうようなものだ。

 戦闘にも負けて、戦争にも負ける。どちらにせよ惨めではあっても、これ以上の物は無い。

 なら、せめて目の前の戦闘には勝利し、戦争に負けた方がまだ気概は残る。

 ダメなのは、全てに負けてしまう事だ。

 たとえ戦争に敗れた事で惨めな結末しかなくとも、最後に自分が直接関われた戦いだけは勝っているのだ。

 どうにか出来る範囲で最善は尽くした、どうにもならない事で破れた。

 それが本望と言う奴じゃないだろうか。


「私、ヤクモ様に謝らなければならない事があります」

「今なら、夢の中の出来事って事で忘れてあげる事はできる。何かな」

「本当は……最初からヤクモ様が好きだったわけじゃないんです。隠しておくのが、辛くなってしまって」


 最大級の痛みが襲ってくる。

 胸部の締め付けと胃がひっくり返りそうなくらいに活動しているのに表情が引きつってしまう。

 それでも、なんとか……なんとか! 平常を保ってみせた。


「──いや、まあ。普通そうでしょ。一目惚れとかの方がちょっと怖いし、俺はそっちの方がまだ真実味があると思うんだけどさ」

「それだけじゃ、ないんです。実は、ヤクモ様なら助けてくれると思って、近づいたんです」

「何から?」

「私が、死ぬ未来から」


 ……ヘビーすぎる。

 つまり、あれか。彼女はデジャヴだの、未来視だのに近い物がある。

 どこかの未来で彼女が知りえた事などを夢の中で追憶のように見たり知ったりする事が出来る。

 俺がクラインを演じていた事や、俺が異世界の住民だという事も彼女は知っていた。

 つまり、マーガレットが聞いている場所で俺は語ったのだろう。異世界の住人だと。

 

 その繋がりで、多分彼女は見たのだ。自分が死んでしまう未来と言うのを。

 それがどういうものかは俺には分からない。

 けれども、俺の見る自分が死ぬ夢と、彼女の見る自分が死ぬ夢では意味合いが違う。


「──ごめんなさい。私の夢は、いつもヤクモ様が抱きしめてくれる夢で終わってしまうんです。いつも私は誰かに殺されてしまって、それを見つけてくれるのはいつもヤクモ様で……。私は何か伝えようとするんですけど、直ぐに息絶えてしまうんです」

「それは、何時ごろ?」

「分かりません。けど……二年、或いは……三年でしょうか? ミラノ様も私も、学園の服を着ていませんでしたから」

「学園を出てからって事か……。他に、他には? 何でも良い、情報があれば良い」


 俺はそういうが、マーガレットが黙り込んでしまった。

 少し熱が入ってしまい、俺は自分が突っ走ってしまったのを恥じ入る。

 夢なんだから、曖昧でも仕方が無いじゃないか。

 昨日の夕食ですら覚えてないのに、何時見たかも分からない夢の事なんてそこまで覚えてられないだろう。


「──なにか、情報が増えたら教えて欲しい。ミラノ達が学園の服じゃなかったというだけでも、状況は幾らか絞れるから」

「……怒ら、ないんですね。私は、自分が助かりたくてヤクモ様に近づいた、最低の女の子なのに」

「それを自覚して、打ち明けて、謝罪してるだけでもマーガレットは純粋なんだと、好意的に解釈しておくよ。それに目論見や目的が何であっても、マーガレットが結果的に罪悪感から打ち明けてくれた事実は変わらないわけだし。言うなら……あれだ。『たとえ始まりがなんであっても、その根っこが信用できるのなら、行動や行為は信用するに足る』ってさ」


 なんだっけな、前にミラノとの会話で『不実な友よりも誠実な敵』という例え話をしたが、その繋がりだろう。

 マーガレットは、生きたいという願いから藁にも縋る思いで俺に近づいたのだろう。

 好意を見せておけば無碍にはされないだろうと、とにかく接点を作ろうとした。

 けれども、結局騙している事が嫌になってしまい、出発前夜になって告白してきたと。


「ま、分かってましたよ。くそう、へこむなぁ……」


 まあ、騙されたわけだ。けれども、その行動原理を否定する事はできない。

 誰だって死にたくはない、出来るなら生きていたいだろう。

 ピュアハートがメタメタにされた事を考えれば受け入れ難い現実だが、

 しかし、事情が事情だから怒れないし不貞腐れる事もできない。

 ネットとかだったら「氏ねや!」と挨拶代わりに飛び交うのだろうが、命がかかってるからなぁ……。


「確かに手っ取り早かっただろうけど、事情が事情だから了解したよ。聞いた以上は無視できないし、何とかしたいけど──それなら、婚姻だとか何とかももう不要だろ」

「え?」

「己が忠義に基いて……《Semper Fi》、見棄てない事を誓うよ。だからそんな、身投げや安売りをしなくても良いんだ」


 好いていないのに、そう見せかけるというのも大分辛い。

 それに、誰かを助けたりその為に尽力する方が気楽だが、他人に気に入られようとしたり周囲の目線を気にするほうがずっと辛い。

 それに、気も無いのに外面だけ取り繕うのは個人的にも嫌だし、どうせ問題が解決したら居なくなってしまうのだろう。

 そう考えると「最大限努力するから、演技はやめよう」って話になる。


「変に演技なんかしなくても良い、それこそ友達とか親友でも良いからさ。それに……一時的とは言え、喜んでいた自分が惨めだからやめよう?」

「──あと、もう一つだけ、ヤクモ様に言わなきゃいけない事があります」

「え、なに。もう心が張り裂けそうなくらいに悲しみと不安で一杯なんですけど……今聞かなきゃダメ?」

「夢の中での出来事だと言って、忘れるようにするとヤクモ様が言いましたから」

「──なにかな」

「こちらを、向いていただけますか?」


 顔を見ながら言いたいという事だろうか?

 俺がお前の絶望だ……、と言いながら無理矢理直視させてブチ殺しに来る様な感じでもある。

 何だろうかとそちらを見れば、両目でマーガレットを見ることになる。

 ……殺すなら殺せ、そう考えていたのだが──


 柔らかい感触が、頬に触れた。


「は、え……?」

「ヤクモ様の言うとおり、最初は嘘でした。ですが、今は嘘じゃないです」


 俺は理解が追いつかなかった。持ち上げられていたと思ったらどん底まで叩きつけられ、谷底で痛みに悶えながら蠢いていたら、手を差し伸べられる。

 じゃあ、別に告白しなくて良かったじゃん。俺が勝手に浮かれたまま、騙されたままでも事実になってたならそれで良いじゃん。


「え、ちょ、ま──」

「そ、それじゃ、お休みなさい!」

「え~……」


 マーガレットは頭までスッポリと布団を被ってしまい、本日の営業は終了したようだ。

 俺は余計に色々と考えてしまい、腹が痛くなるし、胸が苦しくて呼吸が整わないしで大分辛い。

 努力呼吸で無理矢理平常を装っておく。

 しかし、危うかった。あと少し……ほんの少しズレていたら唇同士でのキスになっていた。

 嫌な予感と言うのは、何時だって俺を助けてくれた、だから──また俺は逃げられる。

 逃げ続ける事ができる。




 唇どうしでキスなんかしてしまったら、もう戻れないじゃないか。

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