66話
午後の戦闘訓練。それは学園でやっている事と同じだ。
ただ、自衛隊でやっているように口で教え、実際にやってみせ、頭と身体の両方で理解させて叩き込む。
理解するならよし、理解しなくても良し。
本来であれば歩みが遅いやつは嫌われがちだが、この場に置いてはそれは当てはまらない。
煮詰まれば後日にすれば良いが、熱い鉄なら叩けば良い。
時間は長くは無いが、決して短くも無い。
可能な限り完成度の高い状態にしてやる、それがアルバートとの約束だ。
「アルバート。徒手格闘はどうだった?」
「正直、これがなんの役に立つのか理解が及ばなかった。だが──理解できた」
「距離が近いと、分かりやすいだろ?」
徒手格闘をアルバートにやらせてみた。
格闘と言えば俺がアルバートと決闘した時にもやったものだし、アルバートが苛めていた男子生徒の使う戦闘技術でも有った。
当然アルバートは抵抗したが、俺はそれを理詰めで納得させる。
「なるほど。近いと──相手の予兆が良く見える。それと同じように、情報が沢山見えた」
「意識をしていても、していなくても見えてるものがある。無意識でも多く情報を拾う事、意識していなくてもそれらを察知して相手の動きを考える事」
「そして……それらを逆手にとって、相手を騙したり、自分にとって都合の良い状態に持っていく、だな」
「そゆこと」
俺の性分が「疑り深い」等で有る事が、格闘では大分役に立っている。
凝視しない、目をボンヤリとさせて目線とは違う場所の出来事を見ている。
だから拳を振りかざされても後発の足に対処したり、逆に拳を振りかざして相手の反応を見つつ蹴りを繰り出すと言う事も出来る。
槍と言う得物の性質上、どうしても若干の距離を置かなければならない。
エクスフレア──アルバートの長兄のように力と勢いで攻め続けてイニシアチブを渡さないのであればあまり関係はないが、アルバートは臆病の気がある。
状況を先導できない時は相手の出方を見なければならなくなり、であればこそ多くの情報で判断が出来るようにした方が良いかもしれないと考えたのだ。
「あ~、えっと。僕はもう起きても良い?」
「悪いクライン。大丈夫か?」
「いたたた、人の身体って、無理できない事もあるんだね」
稽古着のクラインが地面からゆっくりと起き上がった。
クラインが混ぜて欲しいと言ってきて、どうしたものかと考えた結果エクスフレアほど緊張しないみたいなので許可した。
ただし、アルバートがメイン教育相手なので、見学させる時にクラインへと技をかけていたのだ。
俺と外見が殆ど似ているから親しみやすいだろうなと思ったが、どうやらその通りであった。
クラインが俺に技をかけられて投げ飛ばされたり、地面に引き倒される。
派手な技はかけていないが、関節の都合上派手に転がったりもする。
悪く言えば無様では有ったが、それが親近感になったようだ。
そもそも、アルバートとクラインの年齢は近い。
そしてクラインも決して綺麗とは言えない成長をしてきているので、俺やアルバートに近い。
歳の遠い立派な兄よりも、実績は有っても年が近くて似たような相手の方が良いだろうと言うのも有った。
「で、今日学んだ事は距離問わずに適応できるから、個人戦だけじゃなくて軍事作戦とか踏まえて覚えておくと役立つ」
「──ああ、そっか。集団で行動するから、その予兆が見えるから……」
「それを待ち伏せしたり、或いは頭を叩くと言う事が出来ると言うことだな?」
「ん、正解。あと、俺みたいに散兵……少数人数で行動して相手に打撃を与える行動をする場合にも、そういったのは役立つから、正面で切り結んでるだけが戦いじゃないんで覚えとくと役立つ」
「例えば?」
「そうだなあ……。指揮官を狙い撃ちにする、食料や武器、物資や兵舎を焼く。深夜に可能なかぎり忍び寄って破壊工作をするとか──色々?」
そこら変はちょっとばかり陸教で齧ったのを思い出す。
本来なら爆破物の取り扱いなどもするらしいけれども、俺はそこに到達する前に脱落したので扱い方は分からない。
まあ、魔法が使えるから単独で忍び寄って爆破魔法でもブッパすれば十分だろう。
魔法の勉強や理解を深めれば時限式や時間式もできるのかもしれないが。、
「──つくづく、貴様は前線向きだな」
「そもそも前線の兵士そのものだっての。……さ、教育はおしまい。いつもどおり訓練後の体のほぐしを十分にやって、身体を冷やさないように発汗後の処置をするように。以上、解散」
と、教育はとりあえず終わる。
俺は脱いでいた上着を取りに庭先まで戻ると、公爵夫人がそこに居る。
服の位置から考えれば声をかけるのは免れず、俺は挨拶をしながら服を回収した。
「貴方は、とても強いのですね」
「や~、どうですかね? 剣を使わせたらヤゴやザカリアスさんには敵わないですし、槍だったらアルバートやエクスフレアには敵わないでしょうし、魔法ならミラノやキリングには敵わないと思ってます」
「では、なぜ勝てるのでしょうね」
「特別じゃないから強い、と言うのが答えかなと思ってます。追い詰められても、得意な武器を失っても普段のように行動できる事が強さかなと」
「なるほど。随分苦労したのでしょう」
「やだな、当たり前の苦労は苦労とは言いませんって。それに、自分は末端も末端なので、もっと出来る人が上には沢山居ましたし。知識量、経験、年季、人身掌握術──まあ、色々足りないですよ」
曹になっていたなら、もっと色々な手段や方法を取れたに違いない。
知識的にも経験的にも、或いは様々な限界的にも出来た事はあったはずなんだ。
けれども、俺は心が折れて原隊復帰したから、もうその可能性は無い。
「ヤクモ様、どうぞ」
「ごめん、有難うマーガレット」
服を掴んで、俺と公爵夫人の会話の隙をぬってマーガレットがタオルを差し出してくれる。
俺はそれを受け取り、汗を拭う。
それと同時にガシャン! というけたたましい音が聞こえ、そちらを見るとカティアが窓から身を乗り出していた。
きっと換気をしようとしたのだろう、落下しかけていたらしくてワタワタしていたが、俺と目線が合うとあわてて復帰して部屋へと戻っていった。
換気をしたと言う事は、多少はマシになったのだろうか……。
「ごめんなさいね。貴方の使い魔に面倒を見せてしまって」
「いえ。アリアとカティアは学園に居た頃から親しくさせてもらってますし、むしろ気兼ね無いのかもしれません。自分やミラノは……まあ、遠慮させてしまうので近寄らないようにしてますが」
「元気になったら、是非顔を見せてあげてくれるかしら。きっと喜ぶから」
「だと良いですが──」
良かれと思ってやったことが、結果的に苦しめている。
俺は恨まれ、嫌われ、顔も見たくないと言われるかも知れない。
そう考えると気が重いし、詫びなきゃいけないなと思いながらも気が進まない。
他人がしたことであれば「良かれと思ってやったことが、必ずしも良い結果になるとは限らない」って言えるんだけどなあ。
許す言葉を吐く事は出来ても、それを自分に向けられないあたり俺も狂人なのだろうが。
「──失礼します。今日の訓練の成果を纏めたいですし、汗だらけの格好で失礼ですから」
「ええ、いってらっしゃい」
公爵夫人に頭を下げる。それからマーガレットも「失礼します」と言って頭を下げた。
……なんだろう、こういうのって何か違うけど、なんか良いなと思った。
しかし、俺は立ち去ろうとして公爵夫人に呼び止められた。
「少し、尋ねたい事があるのだけど、いいかしら?」
「はい、なんなりと」
「貴方は、そちらのマーガレットさんと仲が良いのかしら?」
「──ごめん、歯に衣着せないけど、いいかな?」
「私は大丈夫ですから」
マーガレットにとりあえず断りを入れてから、少しばかり言葉を整理する。
そして、頷くと吐き出すべき言葉を並べた。
「その……マーガレットが、純粋に、何の飾り気も無く好いてくれているのは嬉しいんですけど、自分がまだどういう態度を示せば良いのか分からなくて。けど、それじゃ失礼だと思って、これからお互いに知っていった上で、決断すれば良いかなと」
「では、まだ決めてないという事ですね」
「本来なら、身分や地位、立場を考慮すればこんな事をするのはおかしな話だと思います。傲慢だとか、或いは人として最低だと言われても仕方ないですが。人に好かれるのは初めてなので、気持ちの整理や感情の理解が追いついてなくて」
「私はそれでも良いと思っています。ヤクモ様が、ちゃんと向き合ってくれると仰ってくれたので」
マーガレットがそう言い足し、俺はニヤつきそうになる。
理解者というか、嬉しいじゃない? こんなにも想ってくれている相手が居て、自分を受け入れてくれている。
しかし、俺の臆病な箇所が胸を締め上げる。
鬱病だとか、対人恐怖症と言う区分が俺を苦しめる。
「貴方がちゃんと考えて決めるのなら、私としてもそれが一番だと思います。ですが、あまり待たせてはいけませんよ? 受け入れるにしても、断るにしても」
「はい。なので──学園を出るまでには、答えようと思っています」
「それが良いでしょうね。──風邪を引かないうちに、いってらっしゃい。呼び止めてごめんなさいね」
「いえ。それでは、失礼します」
俺がお辞儀をして、マーガレットも同じように礼をした。
そして部屋に戻ると、ミラノがそこで頭をかきむしっている場面に遭遇してしまった。
「あの、ミラノさん?」
「あによ、うっさいわね」
「自分の部屋でやりません? いや、文句じゃないですよ? 文句じゃ。けど、ここ……俺の部屋」
「時間が惜しいし、今良いところなんだから邪魔しないで」
「さいでっか……」
俺はもうこれ以上は何も言うまいと決めた。
ミラノは主人だし、俺が何を言ったとしても納得しなければ動きはしないだろう。
それに、俺がアルバート達と訓練しているあいだにも大分色々とやったようだ。
散乱している紙が増え、クシャクシャに丸められた紙が転がっている。
俺がゴミクズと化した紙を拾い集めていると、マーガレットも同じように集めてくれる。
「やっぱ、アンタの頭の中見たほうが……」
「早くないからね? いや、早いかもしれないけど、俺が死んじゃうから止めようね?」
「ミラノ様、頑張ってるんですね。お飲み物、用意しますね」
「いや、いいよ。この中じゃ俺が一番下なんだから、俺がやる」
「旦那様の為に何かをする、それも一つの勤めだと思うのですが……いけませんか?」
「い、いや……。ダメじゃ、無いけど」
俺がドギマギしていると「バキィ!」と言う破砕音。
見ればミラノの握っていたペンが折れていた。
俺の所有していたものじゃなくつけペンが半ばで折れ、ミラノは笑みを浮かべている。
「は~は~は~。面白いわね。人の目の前でいちゃつくなんて」
「違いますよね!? 俺は普通に自分の立場を弁えた行動をしようとしただけですよね!?」
「気にしないでください、ミラノ様。暫くお会いできないですし、私が我儘を言っているだけですから」
「う……。じゃ、じゃあ。お願いしても良い? いっとくけど! 別にアンタに説得されたわけじゃないんだからね!」
「あ~、はいはい……」
俺がそう言ってストレージを確認していると、二人の不思議そうな視線が突き刺さる。
「あ~、なに?」
「アンタ、時々そうやって変な動作してるけど、それも病気?」
「ばっ、違うっての! 服、着替えを出そうとしてるの!」
「なにも無い場所から取り出すんですか?」
「はいはい、またアンタだけの魔法でしょ? まったく、嫌になるわね……」
「酷い言い草だな!? くそ、今日もついてない──」
そうぼやきながらも操作を終え、必要とする服を出す。
下着から上着にいたるまでの一式を出して、これで入浴しても大丈夫だと判断する。
そしてタイミングよくノックがされて、クラインの声が聞こえた。
「ヤクモ~、風呂行かない?」
「はは、良いね。直ぐ行く」
「アルバートも誘ってくるね」
クラインが去っていき、俺は着替えを掴む。
マーガレットはミラノに教わりながら、魔法でお茶を作っていた。
たぶん今まで経験が無いのだろう。
或いは、ミラノ達が自給自足、自立系の意識が高い為にそういった魔法での時間短縮をしているのかも知れないが。
「その魔法は私にも使えるのかしら……」
「カティアと俺しか使えないと思うよ。なぜ?」
「物を持ち歩くのに便利じゃない。けど、アンタはむしろ溜め込んでるものを吐き出したほうが良いかもね」
「便利なのに出せとか……」
「だって、この部屋を見てみなさい。アンタ、自分の物何一つ無いじゃない」
「──……、」
部屋の中を見る。
ハンガーにかけてぶら下がっている戦闘衣と揃えられている半長靴。
ミラノが占有している暖炉前の机の傍の椅子には、弾帯がぶら下がっている。
あとはベッド脇で剣が立てかけてあり、借りてきた本が数冊置かれているくらいだ。
生活臭がするかと言えば──しない方だ。
義務で塗り固められた空間、何か有ってもそれらで身を固めれば直ぐに退去や移動すら出来る状況。
この是非を問うのであれば、半々ではあろうが。
「今は客人だし、立場ってものを弁えたら──こういう物なんじゃないの?」
「ですが、ヤクモ様。その……衣装箪笥とか、引き出しの意味が──」
マーガレットの言葉を聞きながら、ミラノが立ち上がる。
そして部屋の中の家具などを全部ひっくり返すようにして確認され、そのどれもが”初期状態”というのが露呈した。
「ねえ、ヤクモ? なんで何も私物が無いのかしら?」
「あ~、いや。その、ほら──」
言い訳しようとして、考え付かなかったので指を鳴らしながら舌打ちする。
立場を持ち出したけど、明らかに何も無さ過ぎた。
つまり、部屋に置かれている私物以外は一切無し。
これなら一時間後に出て行けと言われても数秒で終わりだぜ! と言うレベルだ。
「アンタ、生きてる?」
「少なくとも、死んでないかな?」
「未練も執着も無さそうな生き方をするなっ!」
投げられる枕。これも優しさなのだろうか? 少なくとも痛みは無い。
ズルリと勢いを失った枕を、マーガレットが床に落ちる前に受け取った。
そしてミラノは散らかしたままに椅子へと戻る、鬼班長かな?
「あれだよ、そう……。公爵にさ、どこかに良い家が無いかを聞いてるんだ。たぶん近場になると思うけど、自分の家が持てたらそっちに荷物を広げようかなと」
「別にもう少しならここでも置いても良いと思わない?」
「俺の服、二度と手に入らないから……」
「武器や道具──も、そうだった……」
ミラノが理解を示してくれた。
俺の持ち物の大半──と言うか、全ては『俺の世界の代物』なのだ。
武器であれ、道具であれ、衣類であれ、なんであれ。
損耗や損失をした場合、供給が無いので備蓄は減る一方だ。
「というか、ミラノさん? 一つ、忘れてないですかね?」
「あによ」
「俺、クライン演じてたり、倒れてたり、体調不良してたりで今まで買い物すら出来てないんですけど」
「──……、」
ミラノは一瞬口を開いたが、何かを言いかけて魚のように何度か口を動かしてから頭を抱えた。
ずっと仕事していたようなものだし、自由時間が無かったのだ。
体調が治ったかなと思ったら今度は他国行きだ、デルブルグ領ですら全く出歩いていない。
それでも鬱憤が堪らなかったのは、俺が外向的じゃないからだ。
とりあえず目的はあるけれども、それは部屋の中でも出来る事が多い。
結果として「休日がないとムリポ」という所まで落ち着いたりはしなかったのだ。
俺の今までを理解した彼女。そもそも初外出の日に地震と魔物の襲撃だ、無理もない。
「まあ、なにか──考えとくから。その、ゴメンな?」
そう言って俺はジリジリと逃げようとする。
そのまま身体の動きと足の動きを地味に連動させた間合いはかりで遠のき、部屋を出た。
しかし、部屋を出てから着替えを持ってくるのを忘れてしまったのに気づく。
かと言って渦中に再び戻れるかと言われれば難しい話だ。
仕方が無い、もう一着出すかと廊下を歩いていると、クラインとアルバートに追いつかれる。
「なんだ、まだこのような場所に居たか。行くぞ、身体が冷える前にさっぱりとせねばな」
「あぁ、悪い。ちょっと話し込んでてさ、時間かかったんだ」
「あのマーガレットという子女か。貴様に惚れ込んだ様だ、可哀相に」
「可哀相とか失礼だな。マーガレットが傷つくだろ」
「貴様は傷つかんのか」
「分不相応っていう言葉くらい知ってるよ。それでも構わないって言うし、俺自身の価値が見合ってるかどうかで──うっ、胃が痛い……」
「貴様のような惰弱な英雄が居るか、馬鹿め。だが死に急ぐよりは多少重りを着けた方が良いだろうな。ミラノが悲しむ」
「怒られないようにしますよ、っと」
ため息を吐きながら歩く。するとパタパタと背後から誰かが近づくのを感じて、ゆっくりと背後を確認する。
さりげなく俯きながら、更に目のみで背後に視線をやる。
最小の動作で必要な事をしろと市街地訓練で学んだ事だ。
見ればマーガレットが俺の服を抱き抱えながらこちらに来る所だった。
「あれ、マーガレット……」
「ヤクモ様、お着替えを……忘れてますよ」
そう言って彼女は、息急きながら俺に服を差し出した。
俺は困りながらそれを受け取り、謝辞を述べた。
しかし、それですら当たり前だと、笑みを浮かべるマーガレットに俺は困るしかない。
──可哀相に、俺なんかを気にしちゃって。
「ごめんね? ちょっと……ミラノから逃げるので頭が一杯だったんだ」
「そうだったんですか。ですが、ヤクモ様はミラノ様に頭が上がらないのですね」
「最初の上下関係って、中々抜けないんだよ。癖なんだけどさ」
「貴様は我に対して敬いの念を抱いておらんではないか!」
「アルバートはそもそも敵対してただろうが……」
俺達は浴場に進んでいくのだが、何故かマーガレットも同じようについてくる。
俺は「ん~?」と冷や汗と困惑を浮かべながら声をかけるしかない。
「あの、マーガレットはなにをしに?」
「こちらに私も用があるんです」
「あぁ、そっか。なるほどね」
とりあえず納得する。というか、するしかない。
しかし、今度はクラインが「あ!?」等と声を張り上げる。
「今度は何さ!?」
「や~、ごめん! 忘れ物した! 皆は先に行っててよ」
「忘れ物って……着替えはお前ら──って、お~い……」
クラインがドタドタと走り去っていく。
俺はそれを見送る事しかできず、その姿が見えなくなってからアルバートに小突かれて現実に戻る。
何なんだと思いながらも俺は浴場に向かう。
まあ、そこまでは良かったんだ、うん……。
──☆──
けたたましい音を立てて部屋の扉が開かれる。
そこに居たのはクラインで、ヤクモの部屋であり、その部屋の中に居るのはミラノだ。
クラインは一瞬部屋の中の惨状と言って良いのか、部屋荒らしと言えば良いのか分からぬ状況に唖然としてしまう。
しかし、そんな場合じゃ無いと頭を振るとクラインは闖入者である実の兄を見て呆けている妹へと近寄った。
「ミラノ、いいの!?」
「何が!?」
兄からの理解不能な第一声に困惑するミラノ。
切羽詰った様相で肩を掴み、ユッサユサと揺さぶる兄に手馴れた手つきで顎下に拳を叩き込む。
「あぐぐ……。マーガレットさんが、着実に前進してるんだよ。ミラノは、それで良いのかって言ってるの」
「べ、別に。私は気にしてないし──」
「たぶんあの子、背中を流すつもりで一緒に行ってる、それで良いの!?」
クラインの良く分からない勢いに飲まれ、ミラノも徐々に混乱が深まっていく。
安定や平常においては賢しいミラノだが、混乱や不穏な状況でもその賢さを発揮する能力までは無い。
ミラノの思考が不安に満たされていく、それを死ってか知らずかクラインは言葉を重ねる。
「何もしないで負けるなんてダメだ! やれる事を全部やって、その上で負けるんだったら誰も何も言わない!」
「え、う、あ……」
「昨日言ってた『急がなくて良い』って、もしかして『そうすれば時間が解決する』って意味だったのかな? うわ、そんなのって……」
クラインは全く意図していないが、その言い方で揺さぶられまくるミラノ。
なんだかこのままじゃダメだと言う潜在意識が揺さぶられまくり、表面化してくる。
誤魔化し、上塗りする事で隠し、けれども対人スキルの低さによって全然上手く隠せていない根の感情が動かされた。
「ミラノ、デルブルグ家の家訓は?」
「やっ、やらないで後悔するより、数百数千の試行錯誤っ!」
「なら今この状況でやらなきゃいけないことは何か!」
「さっ、最善を尽くす事!」
「宜しい! なら、座して相手を利する状況を甘んじて見逃すのは善か否か!」
「悪!」
「よし、じゃあ部屋を出よう! 千里の道も一歩から、大きな野望も小さな一歩から!」
クラインによって扇動されたミラノは、勢いと感情によって思考を吹き飛ばされて部屋を出て行く。
その姿を見送ったクラインは少しばかり部屋の中を眺め、自分も浴場へと向かった。
ただ、その部屋の中を見てクラインは思う。
──腰を落ち着けていない人の部屋みたいだな、と──
──☆──
どうしてこうなった。
たぶん、数多くの人がその言葉を使った事があるに違いない。
俺は現在浴場に居る。クラインに誘われ、アルバートと共に来たのだから当たり前だ。
さて、この世界の入浴事情と言うのはなんだかよく判らないことになっている。
クローン……と言うか、複製装置があったことから『俺の知っている時代と、何かしら関わりがある』という事がうかがい知れる。
漫画があったり、冷蔵庫に似たものがあったりとちぐはぐだし、そもそもガチで文明レベルが昔なら入浴だなんて習慣は当時はそこまで無かったはずだ。
宗教に関わっているから知っているが、聖職者なんかだと『身を清めずとも神に愛されている方が敬虔な信者である』みたいな変な考えが広まっていた時期があったらしい。
つまり、宗教的な場所は漏れなく臭いと言う事になるのだが、それは感じられなかった。
施設管理の専門で魔法使いが居るらしく、そういった人が風呂場のお湯を管理しているそうだ。
そうじゃなければ大量に薪を消費するし、維持管理が面倒だ。
そこらへんも興味はあるが、今はそんなことは重要じゃない。
今気にかけなければならないのは、状況だ。
「あの、ミラノ様。お渡ししていただけませんか?」
「うぅ~っ……!」
アルバートとクラインは既に風呂へと逃げ込んでいる。
素晴らしきかな、広き湯船。肩まで漬かれる上に足まで伸ばせるくつろぎ空間だ。
しかし、俺はそこには居なくて未だに身体を洗う場で足止めを喰らっている。
理由? そんなもの、男だけの入浴に何故か乱入してきた二人の存在があるからだ。
マーガレットが「こちらに用があるので」と言った時点で危機感を抱くべきだったのだ。
だが彼女は、あろう事に時間差攻撃と言う俺の警戒を潜り抜ける方向で突破してきた。
踏み込まれた俺は大いに慌て、アルバートはその時点でもう風呂場に逃げ出す事を決めたようだ。
顔を抑えていたが、どうやら鼻血を出したようである。情けない。
マーガレットはどうやら俺の背中を流しに来たようで、先日の御礼をしたいと言ってきたのだ。
これも何かしらの互いの縁や繋がりになるかも知れないと言われて、無碍に出来ない。
背中を擦って、流してもらうだけで彼女の負い目が無くなるのであればそれで良い。
我慢すればおしまいだ。我慢我慢……。
そう思っていたのだが、クラインがやって来たときに第二の闖入者が現れたのでたまげるしかない。
ミラノが来たのだ。理由は分からないが、クラインと一緒に来たのできっと彼の差し金だろう。
まだ湯船にも入ってないのに顔は真っ赤だし、目はグルグルと混乱模様。
マーガレットは……まだ良い。彼女は水着のような格好をしているから。
何で水着が? とか考えたらいけない。これもまた過去の遺物なのだろう。
しかし、しかしだ。ミラノは──タオルだけなのだ。
透過率は皆無だが、生地は薄いし濡れれば張り付くしで碌な事がない。
「エリ・エリ・ラマ・サバクタニ《神よ、なぜ私を見棄てたのですか》」
聖書の言葉を引用してしまうほどだ、こんなものを俺は望んでない。
もうミラノは一杯一杯だし、けど退かないしでどうしようもない。
俺は覚悟を決めて振り返り、物を奪うと自分で自分の背中を洗う事にした。
二人の声が聞こえたが、そんなものは気にしない。
そしてお湯を浴びて同じように風呂へと逃げ込む。
「な、なぜミラノが──」
「あぁ、うん。僕が呼んだんだよ」
「アルバート!」
「分かってる!」
クラインが悪気も無さそうに言ったので、俺とアルバートはクラインの頭を掴んで湯船に沈めた。
物凄い抵抗するが、抵抗が弱まったあたりで解放した。
息苦しそうにしていたクラインが一息つき「うぅ、不幸だ……」なんて言う。
自分が悪いんじゃ。
「は、裸の付き合いってのも良くないかなって」
「そういうのは同性でやるんだよ! ミラノは女の子、俺達は男!」
「親しければ関係ないんじゃなかったっけ?」
「親しければな! マーガレットは……まあ、一応理由があるけど、ミラノは理由が無いだろ」
マーガレットは一応あるのだが、ミラノには無い。
強弁すれば有るとは言えるが、それは俺からの一方的なものになる。
しかし、そんな俺の後頭部が思い切り蹴る飛ばされた。
湯船に沈む俺、そんな頭をぐりぐりと足の裏らしきもので押し込まれる。
意識が遠のきかける。抵抗は無意味だと悟り、プカリと浮かんで酸素を温存しだすと足がどいた。
「ぷはっ!? くそ、ついてねえ……」
「ふ、ふん……。アンタが鼻の下を伸ばして、変なことをしないか見に来たのよ」
「はは、管理されておるなヤクモ。だが、ミラノの言う事は正しい。今まで禁欲的だったのだ、それが爆発しないとも限らん」
「ひでぇ話だ……」
「ちょっと待ってなさい」
ミラノはそう言って、彼女も同じように身体を洗う。
マーガレットはどうしたものかと考えていたようだが、結局ミラノの背中を流す事にしたようだ。
「──ミラノに友達が出来たんだなあ」
「友達って言って良いのか分からない関係だけど」
「アルバート。学園でのミラノって、あんな感じなの? 又聞きだから良く知らなくてさ」
「あまりそこらへんに触れたくないのだがな……」
「お願い、この通り!」
クラインが両手を合わせて拝み倒す。
それを見てアルバートは渋い顔を見せたが、ミラノの方をチラと見ると声を潜めて話す。
「──まあ、学園で親しげにしている人物を我は見た事が無い。今のあの光景を見ても、俄かには信じられぬ」
「じゃあ、初めての友達なのかな?」
「は? いや、我が──」
「これからが楽しみだ」
「我……」
……そういや、アルバートとミラノの関係って何なんだ?
アルバートがミラノを好いている事は知っているが、じゃあ親しいのかと言われると微妙な所だ。
俺が知っているのは、この世界に来てからの関係だ。
アルバートが普段からミラノと関わったりしていたかと思い出しては見るが、直接話をしたりしてない。
襲撃の時以来ではないだろうか、アルバートとミラノが話をするようになったのは。
そう考えると不憫な男だ。
「アルバートもミラノと仲良くしてあげて欲しいかな」
「うむ、我に任せるが良い!」
「友達は、一人でも多い方が良いからね」
「あ、う、うむ……」
遠まわしに否定されるアルバート。
俺は事情を知っているから苦笑するしかないが、残酷な話だ。
アルバートを慰めようかと考えていると、俺の隣で水音がする。
そちらを見るとミラノが当たり前のように湯船に漬かって来る。
マーガレットは服を着ているので入浴はしないが、ミラノと俺の間でゆっくりと膝をついてしゃがみ込んでいた。
「っ──近い近い。も、もうちょい離れて……」
「別にどれくらい近くても私の勝手。それと、さっきはよくも除け者にしようとしてくれたじゃない。このっ」
「してない、してないから暴れるな、布が外れる!」
ミラノが掴みかかってくる。
耳や頬といった無難でダメージのでかい場所を掴まれる訳にもいかないが、彼女が暴れるとタオルが解けちゃう!?
「私は、アンタの、主人なんだからね? お互いに理解を深めるのが悪いって言うの?」
「Negativo señor!《違います、サー!》上下の相互理解、これ以上無いほどまでに立派な考えだと思います!」
「なら問題は? 私がここでアンタの入浴に混ざる事に反対意見は?」
「有りませんッ!」
俺がそう言うとミラノは満足そうに頷いた。
なんか、こう……。いや、良いんだけどさ。俺達の関係って、もうちょっとドライなものじゃなかったっけ?
この屋敷に来てから色々なものが変わりつつある、それが良い変化なのか悪い変化なのかはわからない。
そしてアルバートの目線が痛い、出来れば無視したいがそうもいかない。
うぅ、板ばさみぃ!!!
「なんか違うけど、まあいっか……」
「何が違うんだ、クライン」
「あ~、いや。独り言だから気にしないでよ。けど、僕も同意だね。これからどうなるかは別にしても、お互いの理解を深めるのは重要だと思う」
「ヤクモ、貴様……。我との約束、忘れては居らぬだろうな?」
「「約束?」」
ミラノとクラインからのダブルアタック。もう俺はどうして良いか分からない。
とりあえず「わ~ってる!」と言うと、クスクスと楽しそうな声。
「みなさん楽しそうですね」
「俺は楽しくない……」
「なんか言った?」
「楽しすぎて今日と言う一日が忘れられそうにありません、Sir!」
耳が引っ張られる。と言うか、接触多すぎだから!
胸が苦しい、と言うかもう動悸もあわさって胸が痛い。
風呂場だから良いけど、そうじゃなかったら変な汗かいてるのがばれる……。
平常心、兵士の心、自衛官の心構え──!
「なんだか、楽しくて良いですね」
「ま、前向きだね、マーガレットは」
「だって、いつもならお屋敷でお父様のお手伝いが出来るかどうか勉強してましたから」
「どういうことをやってたの?」
「お父様の服の解れを直したり、お庭を見たり──色々してました」
そう言ってマーガレットは微笑むのだが、それを見て和んでいたらミラノの目線が痛い。
「どうせ私はそういったことは出来ないし……」
「ミラノはいま魔法の勉強を頑張ってるだろ。百人居て百人とも同じ事してたら白目物だけど、それぞれ違うことをしてても良いだろ?」
「ふ~ん?」
「マーガレットが疲れて帰ってきた人を癒す事に優れているとしたら、ミラノは魔法で並び立つと言う意味で優れてるんだからそれぞれ違うから良いじゃないか。アルバートとグリムのようにさ」
「我が槍で、グリムが弓だな」
「そゆこと。そこらへんを考えたらまた戦いとかの話になっちゃうけど、別にミラノが服の解れを直せなくても、他の事が出来るんだから良いじゃない」
兵科みたいなものだ。前線職種、後方職種、支援職種みたいな感じでカテゴライズされている。
俺が最前線で戦うのなら、同じように肩を並べてくれるひとは居れば助かる。
しかし、少し後方で敵の動きを感知してくれたり、牽制してくれる支援職も当然必要だ。
そして更に後方で、負傷した場合や物資の管理と運搬を担う人だって重要である。
俺は何でもは出来ない、出来る事だけが対処できる。
確かに負傷しても多少なら手当てできるし、物資の管理などもやろうと思えば出来る。
だが、同時に複数の事は出来ないのだ。
「出来る事は一つでも多い方が良いけれども、だからと言って出来ない事を貶める必要は無いと思うけどね」
「──だってさ。ならミラノは自分に出来る事を頑張らないとね。マーガレットさんに負けてられないよ?」
「……ええ、分かってる」
「ふむ、何が何だか分からぬが。我も自分にできることをやれば良いということだな」
「アルバートは戦闘技術と魔法の訓練、並行してやっていかないとダメだけどな。まあ、俺も魔法を沢山行使できないからそっちを頑張らないといけないけど」
「戯けが、貴様がこれ以上強くなってどうすると言うのだ。だが──貴様でも敵わぬ相手が居て、その上で頑張ると決めたのであれば、我もブツブツと文句を言っている場合ではない、か……」
アルバートはそう言うと立ち上がる。
そして一足先に風呂を出て行き、俺も後に続くべきだったかなと考えてしまった。
しかし、クラインと一緒にアルバートの背中を見送り、そして目線があってしまったがゆえにそれが出来なくなった。
「ヤクモは凄いね。色々な人を動かしてる」
「別に意図して動かしてないけどなあ。勝手に触発されて、勝手に動き出してるんだから俺の成果じゃない」
「だとしても、触発されるに足る何かを持ってるって訳なんだから、それは良い事だと思う」
「そうですよ、ヤクモ様。影響力がある、と言うのは悪いことではないと思います。好かれるのも、嫌われるのも。方向が違うだけですから」
「まあ、良い事ばかりじゃないけどね。コイツ、勝手ばかりするし、怪我して倒れてるし、大人しくなるかと思えば裏で自分苛めてるのよ? いつ起きてるのよ、いったい」
「みんなが起きる半刻前」
「本当?」
「──嘘ついた、一刻前に起きて出来る事全部やってる」
俺がそう白状すると、ミラノ以外の全員が驚く。
まあ、こいつら全員貴族サマだからなあ……。庶民染みた早起きと行動をしていれば若干驚かれるか。
「そんな朝早くから、頑張ってるんですか?」
「眠くならない?」
「眠くなる……。最近じゃ部屋に戻るとスヤスヤ寝てる誰かさんを見ると二度寝したくなる」
「あ~……」
俺の発言にミラノが目線を彷徨わせた。
そして何かを言おうとしたらしいが、止める。
実際、ここ数日のミラノはずっと俺の部屋暮らしだ。
押しかけてきたと思ったら、一日の終わりには俺の部屋で眠っていく。
初日は何事かと思ったけれども、二日目以降は魔法の事で俺をつき合わせて、寝落ちしている。
「ミラノ。魔法の研究や勉強をするのに俺の考えが役立つのは良いけど、自分の部屋で寝ような?」
「だって、仕方ないでしょ。アンタの考え、奇抜だけど役立ってるし」
「ヤクモ様、魔法の知識もあるんですか」
「そんなんじゃないの。コイツの居た場所の常識とか知識? それを魔法で解釈して、当て嵌めて、無理矢理動かしてる感じ。けど相性が良いみたいで、前提条件として理解度が必要だけどそれさえ通過すれば魔力も詠唱も一番最小で出来るのが強み?」
「みたいだね。僕も幾つか教えてもらったけど、便利だよね」
そう言って、クラインは俺が最近やっていたように指を鳴らした。
すると指先からライター程度の火が出て、それを握り締めてから手の平を開くと火力が増した。
「擦れた時の熱を火にする、それを補助してやって威力を増す──だっけ? これ、確かに詠唱いらずだし魔力の消費が少なくて良いね」
「兄さま、なんで──出来るの?」
「え? ん~、なんでだろうね?」
……アレか。コイツ、俺の知識と言うか、情報を持っていったな?
マリーもなんか俺の世界の単語とか時々持ち出してくるし、何だか微妙な気分。
ミラノはミラノで兄が自分よりも先んじているのが気に入らないのか、不満そうにしている。
「兄さま、ずっる……」
「そこは、ほら……あれだよ。神の祝福、みたいな?」
「もしかしたら、似ているからその恩恵を授かっているのかも知れませんね」
「けど、だとしたらどっちがどっちを?」
「鶏が先か、雛が先かみたいな理論は止めよう……?」
「──ですが、真似しても出来ないですね」
マーガレットがパスパスと指鳴らしの中途半端なのをやっているが、当然何も起きない。
ミラノもクラインのように立派な指鳴らしをするも、音が浴場に響いただけで何も起きなかった。
じゃあ俺はと言うと、意識して指を鳴らすと火が出る。
たぶん、これもイメージだとか認識の問題なのだろう。
マーガレットは驚きながらも手を叩いて「お見事です」と言ってくれた、嬉しい。
だが、俺の隣に居るご主人様はちょー不機嫌だ、ヤヴァイ。
ミラノがこちらを見た、俺は手で制して言葉を発させない。
「あ~、分かってる。教える、教えます。だから睨まないでくれ、頼むよ」
「それじゃ、後でまた部屋に居る事」
「良いけどさ。ちょっと座りすぎで尻と腰が痛いんだけど、そこらへん考慮してくれるかな」
「じゃあベッドで転がってれば良いでしょ」
「ひでぇ……」
「大丈夫ですよ、ヤクモ様。もし宜しければ、お背中や腰を揉んで解しますから」
「そりゃありがた──」
い。
そう言い掛けたが、鋭いつり目の睨みが俺を捉える。
どうやら俺越しにクラインもそれを見てしまったらしく、「あはは……」等と乾いた笑いを漏らしていた。
「──い、けど。そこまでしなくて大丈夫だから。マーガレットは自分がしたい事をしたら良いよ」
「私がやりたいからそうするんですが、いけませんか?」
「ダメじゃ、ないけど──」
マーガレットの言葉に反比例してミラノの何とも言えない目線が突き刺さってくる。
言葉は無い……が、なんだか、気に入らないと言う態度だけは痛いほどに分かる。
なんだか、弟や妹にこんな目で睨まれた記憶があるが、それがどんな時だったかまでは思い出せない。
む・ね・が・ぁ・! し・ん・ぞ・う・が・ぁ・!
「ま、マリーが何だか最近調子悪そうだから見てあげてよ。なんか寝不足だとか色々言ってたし」
「そうなんですか? それは……心配です」
「うん。俺はやっぱ男だしさ、細かい所は分からないし。そういった所で助けてくれるだけでも有り難いから」
「──……、」
「ありがたいからぁ!」
ミラノの顔、終にズズイと接近してくる。
俺はもう湯船の影響か、それとも鬱病の一欠けらか分からぬ若干のパニックで湯船を逃げ出そうとした。
もう無理、そもそも俺は湯船じゃなくてシャワー派なのだ。
俺は逃げ出すべく必死だったし、それを止める人は居なかった。
マーガレットも追従するようにして立ち上がっているし、もはや浴場を出れば自由《誰も居ない》が待っているのだ……。
「ちょっと、待っ──」
「っ!?」
俺の手を、ミラノが掴んだ。
素晴らしい事に、浴場の床はツルツルでピカピカしている。
ただ、安全や水捌けの為に溝を多くすると言う対策はしていないようだ。
つまり、滑る。
俺は手を引っ張られて踏ん張ろうとしたが、後ろに引っ張られた上に踏み出した足が重力不足で前に滑る。
尻から背中と順々に倒れて行き、ガツリと後頭部を打ち付けた。
しかし、その後で腹部へと圧し掛かってきた重みによって意識を飛ばす事すら出来ない。
「ふぁ!? ちょ、ヤダ!?」
あ~……、ミラノのお尻が柔らかいんじゃぁ~……。
じゃ、ねえって、の……。
タオル越しだからまだ良いけど。お尻、顔に乗ってる。
息がぁ~……。
「ミラノ、どいて! 早く、痙攣してるから!?」
「や、だって。コイツ、動いて──!」
「息が出来ないんだよ!」
「あぁ、ヤクモ様が動かなく……」
湯上りポックリ、だなんて下らない事を考えながら俺の意識は遠のいた。
一瞬だけ秘境が見えたような気がしたが、それはたぶん気のせいだろう。
そうであって欲しい、頼む。
──☆──
自分の主人であるヤクモが変な騒動に巻き込まれているとは知らず、カティアはアリアの面倒を見ていた。
小康状態に落ち着いたアリアは、ベッドから出る事は叶わないが上体を起すくらいは出来るようになっていた。
「──ねえ、カティアちゃん」
「なに?」
「私……何だか調子良いかもしれない」
「今朝まで熱出してたのに、そういった言葉に意味は有りませんわ。というか、大人しく休んでないとまた体調崩すから寝てなさいな」
「ううん、なんだかね──今までは身体が弱って、治ってもまだどこかが辛かったの。けど、なんだか……それを感じないんだあ」
そう言ってアリアは咳き込む。
カティアは慌てて薬と水、どちらを与えるべきか迷うけれどもアリアによって制される。
納戸か咳き込んだ後に、数度深呼吸をするアリア。
普段であれば咳き込んで消耗し、体力が尽きて辛そうにするのだが今回はそうではなかった。
咳き込みはしたし、辛そうでは有ったが消耗しなかったのだ。
「──ほら、ね?」
「無茶しないで。そういうのは元気になってからしましょう、ね?」
「……うん」
カティアに半ば怒られて、アリアは大人しくする。
だが、実際に彼女の言うとおり身体は回復していた。
常に負担を強いられていた状態から解放され、ここ数日で歪みまくっていた体調が整えられたのだ。
その為に突貫工事染みた絶不調へと陥っていたのだが、それももはや終わりである。
「クライン様の言ったとおり、薬のおかげで魔法もちゃんと使えるようになったらそれは素晴らしい事だと思うわ。けど、今は元気になるのが大事だから。焦らないで、落ち着いて。……ね? 大丈夫、だいじょ~ぶ……」
カティアは足りない背丈で、爪先立ちになりながら再び横になったアリアの頭を撫でた。
家族ではないが、身内でも無い上に幼く見える少女に対してアリアは気楽であった。
親や兄、双子と言っても良い分身体であるミラノが相手だとどうしても遠慮してしまうが、それが無いのだ。
まだ若干の熱を帯びた額が、普通の人よりも幾らか冷たいカティアの手で冷やされて心地良さを感じる。
ケホと、咳を一度だけしてアリアの意識は遠のいた。
「有難う、カティア」
「良いの。面倒沢山見てもらったんだから、その分お返ししないと」
「それは、命令?」
「命令されてないわ。私は召喚されてから、一度も命令されてない。だからこれは私の”自由意志”って奴なの」
「自由、意志──」
「私が、自分で考えて、自分が最善だと思う事をしてるって事。迷惑かしら?」
「ううん。迷惑、じゃない……」
「なら良かった」
カティアはそう言って笑うが、また若干汗ばんできたと知ると、不快にならないように清潔な布を水に浸し、それで優しく拭ってあげる。
それらを教授しながら、学園の一年生だった時に同じことをされていたのを思い出す。
『アリア、大丈夫?』
『ごめ──姉さ……』
『無理しちゃダメ。アリアが元気になるまで、ちゃんと面倒見るから。それに、気にしなくて良いの』
そう言って、一年生の頃の光景を思い出していたアリアだった。
ミラノがその時恥ずかしがって、誤魔化した言葉があったのを思い出す。
擦れる様な声で「姉妹、でしょ?」と言ったのを、埋もれさせていたのだ。
「ねえ、一つ聞いても良いかな……?」
「なにかしら、アリア様」
「私たち……何も無かったら、仲良く出来てたかな」
「それは、お互いに抱えてるものが無ければ、と言うことで宜しいのかしら」
「うん……」
カティアは主人であるヤクモよりも、一足先に──言ってしまうと学園に居た頃から僅かに先んじて、色々と知っていた事があった。
その多くは口止めされ、或いは語らないほうが利益になるだろうと判断され、秘匿された。
主人に従順であると言いながらも、その利益の為に隠し事をする──。
その矛盾の為に、アリアとミラノはカティアに良くしてくれていたのだ。
つまり、隠し事をしなければ仲良くならなかったかもしれないと、そういう恐れなのだ。
だがカティアはそれを笑った。
「──目論見や目的があったとしても、貴方達がしてくれた事が変わる訳じゃない。それにご主人様の言葉を借りるのなら……こうかしらね。『たとえ始まりはどうであっても、その根っこが信用できるのなら行動や行為そのものは信ずるに足る』ですわ」
カティアの言葉を聞いて、アリアは辛そうだが微笑を見せた。
「なにそれ……」
そしてミラノと同じ言葉を、ミラノと同じように吐き出す。
カティアは微笑み「言葉遣い」と正す。アリアは何がダメだったのか気づき、沈黙した。
「今の、ご主人様に聞かれなくて良かったわね」
「大丈夫だよ。たぶん、気づいてないから」
「だとしても、気づかれても良いのなら騙す必要は無いし、そうじゃないのなら気をつけないといけないと思いますわ」
「──……、」
「それに、何でも許せる人と言うのは、裏を返せば同じくらいに許せない何かが有ると思いますの。怒らない人が怒った時が一番怖いって、よく言われますわ」
カティアの言葉にアリアは「そ、だね」と言葉を漏らす。
そしてアリアの呼気が整い、徐々にその意識が消えていったのを確認したカティアは額を数度撫でた。
ほぼ同時期に「部屋まで、早く!」等とクラインの叫び声が聞こえてきた。
何事だろうかとカティアが扉を開けて見ると、クラインに負ぶわれた自分の主人の姿があった。
後ろからマーガレットが手で支えて落ちないようにしているのはまだ分かるのに、その後ろを頬を膨らませ思い切り涙を溜めながらも何かを堪えているミラノがついていくのが理解できない。
そんな四人を見送り、数秒考え込んでからカティアはため息を吐いた。
きっとまた何かやらかしたのだろうと、気絶して運ばれている自分の主人を想う。
部屋に戻り、椅子に座って机に肘を突いて彼女も頬を膨らませた。
「私もそっちに行きたいのだけど……」
しかし、アリアの面倒を見ることで主人を含めて多方向に貸しを作れると人間の汚さを学んだカティアは、自分の選択を半ば後悔しながらも受け入れるのであった。




