65話
一日が始まれば終わるとも言えるし、終わるからこそ新たに一日が始まるとも言える。
若干アルコールの抜けない頭でベッドから這い出すと、俺はいつものようにトレーニングを行う。
アイアスが指標を与えてくれたので、そこら変は曖昧じゃなくなった。
力を付ける、素早さを身に付ける、瞬発力を鍛える、持久力を蓄える。
基本基礎であり絶対的な力でもあるそれらを鍛える事が、少なくとも追いつく為には必要な事柄だ。
少なくとも技術は無い訳じゃない、必要に応じて成長させれば良いだけの話だ。
肉体的に自分を苛めたら、今度は魔力を消費していく。
魔力回路が絶望的に未発達な俺は、少しでも多くの魔力を使用できるようにしなければならない。
どんなに魔力を有していても、取り扱える水が蛇口一つ分じゃタカが知れているのだから。
そして肉体と魔力の鍛錬を終えたら、鏡を前にして人体部の勉強もしておく。
銃剣──ナイフや刃物と言うのは、むやみやたらに振り回した所で一定量以上の効果は得られない。
例えば切れば大量出血が見込める位置を狙うとか、逆に突き立ててでも内臓などの重要な部位を傷つけるとか。
そしてそういった事柄を学ぶのは、逆に自分を守ることに繋がる。
自分がそういった事を狙うというのであれば、相手もそれを狙ってくる可能性が無いとは言えないのだから。
「ん~……」
そして、もぞりと俺のベッドから物音ともに声が漏れてくる。
誰なのか理解しているので、俺は慌てて銃剣を鞘へと戻した。
彼女は刃物を見るのを恐れているし、出来れば見たいとも思っていないだろう。
「う~……、眠い──」
「夜遅くまで魔法の勉強をしてるからだろ……」
「うわ、服が皺くちゃ……」
「着替えないで机で寝てたし……」
先日の夕食後、ミラノはメモ帳と紙束と真っ白な本を抱えながら部屋まで押しかけてきた。
その理由は単純で、俺の知識や発想が何かの役に立つかも知れないという事だった。
真面目な理由だから追い返す事も出来ず、夕食前から夕食後、そして消灯後も僅かな明かりを頼りに色々と話し合ったりもした。
俺なんかが役に立つのかなと、ハッキリ言って疑問でしかなかったが、何故か役に立てた。
先日俺の言葉を聞いて飛び出して行ったかと思えば、数時間後には押しかけて来て夜遅くまで付き合わされる。
──正直な話、頼られるのは悪い気分じゃない。しかも成果が出てるなら尚更だ。
だが、ミラノは少しばかり調子に乗ってしまった。
本来寝ているはずの時間にまで無理をして起き続け、その結果ダウンした。
もう動けない彼女を仕方なしにベッドに寝かせ、俺も解放されて眠ったのだ。
実質、四時間くらいしか寝てないから非常に眠い。
ミラノも俺より二時間ほど多く寝ているはずだが、それでも六時間ほどだ。
俺は経験が有るし、睡魔を抱えた状態で行動するのは警衛だの検閲で慣れっこだ。
だが、ミラノはそうじゃないらしく、一応美少女なのに台無しになっている。
こう、目はショボショボしているし、強気な表情が一転して全てを恨むような表情にさえ見える。
やっぱマリーたちの血縁なんだろうなと思ってしまう。
ミラノはベッドから這い出ようとしたが、崩れ落ちて顔から床に落ちた。
マジかよと、俺は慌ててミラノを助け起す。
「う~……」
「や、眠いなら寝とけって」
「何でアンタは動けるの……」
「俺は──兵士としての一環で散々やって来たし、丸一日寝ないで行動とかザラにあったから大丈夫なだけだって」
ミラノをベッドに戻して、ぶつけたであろう額を見る。
可哀相に、赤くなっている。だが出血だの打撲だのとはなっていない様なので一安心だ。
「食事なら頼んでくるから、それまで寝てたら良い」
「ん、おねがい……」
ミラノはベッドに転がされると、そのまま早い段階で眠りに落ちた。
まあ、まだ十四だしなあ……。むしろ、今までしっかりしすぎていたというだけの話だ。
眠りについたのを見て、俺は部屋を出る。
すると運が良いのか、ザカリアスと遭遇した。
急いでいるようには見えないが、何かを探しているようでもあった。
「おはよう御座います、ザカリアスさん」
「ああ、おはよう御座いますヤクモ様。お身体の方は宜しいのですかな?」
「ええ。もう大よそ回復したと言っても過言じゃないでしょうね」
「それは宜しい事で」
とまあ、挨拶代わりのちょっとしたやり取りをしてから本題に入る。
俺はミラノの朝食を運ばせたい、けれども相手も何か探しているようなのでついでに尋ねておく。
言う事を聞け、持っているものを寄越せは通用しない。
欲しいなら与えよ、それが俺のやり方だ。
「頼みごとがあるんですが、良いですか?」
「ええ、私で宜しければ何なりと」
「ちょっと、先日ミラノが夜遅くまで勉強してまして、その結果まだ眠そうにしてたからまた寝かせてるんです。なので、出来れば朝食を運んで欲しいんですが」
「ああ、そうでしたか。ミラノ様がいらっしゃらないと聞いておりましたが、ヤクモ様の部屋に……」
「自分も、ちょっと今寝不足で頭回ってないです。顔に墨とか、文字とかついてないですよね?」
「大丈夫ですとも。本を枕にお休みになられると言うのは、旦那様で見慣れておりますので」
良かった、へんな誤解をされないで済んだ。
なんだかザカリアスと話をしていて、若干安堵したからか眠気が……。
欠伸を漏らすと、失礼な事をしたと謝罪する。
「いや、すみません。自分も寝不足でして……」
「いえいえ、構いません。誰よりも早く起きて来られて、鍛錬に勤しんで居られたようですから。少しばかり眠気覚ましか、或いは元気になれる一品を加えていただくよう、私の方から添えておきます」
「何から何まですみません。有難う御座います」
「食事が来るまで、少しばかり休まれていては如何でしょう? 旦那様から、ヤクモ様はこれから忙しくなるかもしれないので、多少助けになるようにと言われてますので。もっとも、ヤクモ様が私どもを頼ったのはこれが初めてで御座いますが」
「はは……」
……こう、小説やアニメ、或いはゲームで言う「周囲は手を差し伸べていたんだ」的な感じか。
しかし、俺が気づいていないか、理解していないが故に一人で背負い込み、無駄に疲れていたとも言える。
俺は幾つか考えを巡らせるが、頬をかいて誤魔化した。
「いえいえ、自分は若輩者ですし。幾ら少しばかり名を上げたとは言え、だからと他人を顎で使うような真似をすれば反感を買いますから。それに、分からない事の方が多いので、誰かと接点や話題を保つ為にも、自分の足で出向く方が利は多いですし」
「と言う割には、食事は常に部屋で摂られているようですけどね」
そう言ってザカリアスは笑う。
皮肉でも何でもないのだろうが、ストレートな言葉にズキリと来る。
そう、俺の言葉が真実ならば公爵たちとの食事の時間にも来るはずだと、そう言っているのだ。
「いや、その。これを言ったら笑われるかも知れないんですけど、聞いてくれます?」
「お伺いしましょう」
「──戦うのは別に良いんですけど、実は敵じゃない相手の方が苦手だなんて言って、信じてもらえますかね?」
「信じましょう。そういう方を何度かお見かけした事がありますので、理解はある方です」
「助かります。本当なら、英雄とか騎士とかの肩書きも外したいくらいですよ」
「……いえ、それらはお持ちになられたほうが宜しいかと。名や肩書きは敵を作る事も御座いますが、何かをする時や無理や無茶を承知で何かを成さねばならないときにも使えます。内々の方であれば、名や肩書きなど無くとも行いでヤクモ様の言葉を聞いたりはするかもしれませんが、外部の人には義務も義理もありませんので」
そう言われ、なるほどなあと納得した。
よく考えてみれば、自衛隊でも似たようなものだ。
階級や在隊期間、あとは評価等々で発言力が変わる。
新米三尉等よりも、古参一曹や曹長の方が発言力が高いのと同じだ。
あるいは、三曹なりたてよりも在隊期間の方が長くて勝手を知っている士長でも同じだ。
だが、それらの欠点は『内部である』から成り立つ。
曹長が除隊して一般に就職したとしても、その階級は民間ではそう多くの意味を持たない。
つまり、英雄と言う肩書きと騎士階級と言うのはこの世界で言う「内部と外部、相互に通用する証明書」のようなものなのだ。
「──まあ、使うことがない事を祈ってますよ。自分はやはり、気楽な庶民で居る方が好きみたいですし」
「そう言われる方の方が少ないでしょうね。──それでは、申されたとおりにしますので、ゆっくりとされていてください」
「お願いします、有難うございます」
ザカリアスと別れ、俺は再び部屋へ。
ミラノが幸せそうに眠っていて、俺が使っていた枕を半ば抱きしめるようにして眠っている。
そして「うへへ」なんて寝言を漏らして驚いたが、それも遺伝なのかなと納得するしかない。
今までミラノが寝言を漏らしている所は聞いていなかったので、ある種驚きだった。
もしかすると睡眠不足や、疲れが抜け切っていないと寝言が出るとか。
或いは、二度寝でレム睡眠に入っているから夢を見て居るのかもしれない。
珈琲でも飲もうかなと思ったが、机の上を魔法関係の道具で占拠されているので難しい。
だが、机の上が占拠されてるから珈琲が飲めませんだなんて惰弱な事は言わない。
自衛官舐めるな。正確には、元自衛官だが。
地面で飯を食うし、舗装すらされていない道端で小雨が降ろうが雪が降ろうが寝転がって休める。
開き直れば、個人用塹壕の中で雨が降って水がたまってようが「あ、水の方が暖かいわ」と座り込む事だってある。
俺は床に座り込んで、子供の遊びのように珈琲を用意する。
今日はスティック三本だ。それくらいの濃度を叩きつければ欠伸も出ないだろう。
そして頼んでいたものも用意できている……。
ジョッキ大のコップだ。クラインに頼んで、態々探してもらったのだ。
何に使うのかと訊ねられたが、答えても理解されなかった。
『いや、ほら。お茶とかって、一度で大量に淹れておけば、手間が省けて楽じゃん?』
……言っている自分でも頭がおかしいと思ったが、事実だ。
面倒臭がりなので、ジョッキに珈琲を注いでそれでチマチマ飲んでいる。
熱い珈琲でも良いし、作業やゲームに没頭して冷たくなった珈琲を飲むのはクールダウンにもなる。
それに、熱と言うのは時計を見なくても分かりやすい時間経過の判断材料でもある。
美味しいほうが良いとは人は言うが、そんなものは最低ラインを超えてれば一緒だ。
人間なんてそこまで繊細じゃない。通ぶって「ん~、この味わい……」なんて無駄なのだから。
珈琲を飲んでから、素人知識でミラノが夜遅くまで試し書きしていた魔法文を見る。
それから以前の物などを見て、マリーが辛辣なコメントをくれたのが理解できた。
村上春樹かってくらい冗長で、迂遠でもあり、そして無駄が多い。
その分もっと他の場所に労力を費やせただろと思いながら、これが原因で『ロス』が発生してるんじゃないだろうかと考える。
言ってしまえば、安全装置が多重にかかっているようなものだ。
魔法が失敗しても不発になり、事故に繋がりづらいという利点はあるだろう。
しかし、今度は手間がかかりすぎてそこで魔力が削がれていってしまう。
俺だったらこうするかなと、ミラノが先日書き上げていたものを参考にする。
日本語──いや、漢字と言うのは便利だ。パッと見るだけで大よそどういったものか分かるのだから。
ヘンだとかなんとか……まあ、そこら変は純粋な日本人の方が良く分かってるか。
漢字で「炎」と書いてみる。これだけでも殆どの条件を満たしている事だろう。
まあ、素人だから良く分からないけれども、使い捨てならこれだけでも良いはずだ。
思考が結構空転してるのを認識しながら珈琲を啜っていると、朝食が運ばれてくる。
メイドさんを迎え入れてから、机の上が雑多としすぎているのを忘れていた。
仕方が無いので化粧机に置いて貰い、退室してもらって俺は後片付けだ。
朝食の準備を終えると、俺はミラノを起す。
「ミラノ~、飯……。ご飯は、冷めたら不味いし、作った人に失礼なんだぞ~……」
ユサユサと、ミラノを揺さぶるが中々起きない。
覚醒と半覚醒を行き来しているみたいなので、俺は開き直る事にした。
布団を引っぺがし、ミラノを抱えて椅子まで運んでいく。
そして蓋を外せば良い香りが漂ってくる。
匂いをかぎつけたのだろう。ミラノがピクリと反応し、目を開いた。
「──さすが私。寝てたのに食事の席に着いてる……」
「そんな訳あるか。ご飯が冷めたら勿体無いし、食べてからまた寝なさい」
「──兄さんみたい」
「兄じゃなくても言うわ、こんなん。料理が好きなんだ、再加熱の手段が無いなら一番良い状態で食べるのを勧めるに決まってる」
「あ~、やだやだ。口うるさくて……。けど、とりあえず食べる」
「ん、食べよう」
ザカリアスが言ったとおり、若干ながら普段よりも割り増しされているようにも思えた。
それに、味付けも幾らか濃い目で、朝からキツイかなと思ったがそうでもなかった。
むしろ今日も一日頑張るぞ! って感じだ。
それに、なんだかよく知らないけどハーブティーなんてものが出てきてる。
砂糖を足してないけど甘苦いもので、茶色だか赤だか分からない色をしている。
「そういや、昨日ので何かしら見えたか?」
「ん~、ちょっと取って……」
「食事中なんですけど」
「部屋での食事は私事だから良いの。早く」
「はいはい」
まだ食事中だというのに、紙類を要求するミラノ。
俺は一応食い下がったが、決定を覆せなかったので諦める事に。
紙の束をとりあえず掴んで渡すと、彼女は眠そうにしながら紙に目を走らせる。
「アンタの言った、自分にだけ理解できれば良いって言う理屈が、魔法に適応できるかちょっと試して、その結果で少し進んだの……」
「うんうん」
「で、驚いた事にね。自分が何をしたいか、その目的さえ分かっていれば無意味に長く詠唱する必要が無くなったの。ただ、そうしたら今度は失敗した時にとんでもない事になるんだけど」
「俺の予想だと。短くして最適化した分必要な魔力消費が減ったけど、言葉を短くしたせいで上限とか下限が外れて、魔力を注ぎ込んだ分だけ馬鹿みたいに高威力魔法になったとか、そういうの?」
「ええ、まあ、そう……。ふぁ……。あのいけ好かない女が、私達の詠唱を鼻で笑った理由が分かったけど。無駄が多すぎ」
「──すげぇな」
ミラノが俺の言葉からどういう経緯でそこに到ったのかは知らない。
けれども、今の所学年で優秀だと言う話が本当だと思い知らされる。
たぶん『イメージ』だとか『口頭語ではなく、想像を具現化』とか言っても通じないだろう。
俺はどちらかと言えばそういう方向で魔法を解釈しているし、それでこの世界に馴染んだ魔法を作れている。
「言葉を選ばないで、必要な分だけを抽出すると短くなる。けど、今度は制御が難しくなるからまた幾つか足していかないと安定した魔法とは言えない。けど、本来あったものを戻した所で意味が無いから、当てはまる言葉を捜さないといけない……」
「なるほどねえ」
「──って、アンタに説明しても無駄だろうけど」
「ひでぇ……。理解しようと頑張ってるのに」
「どうせアンタの頭の中では、私が言ってる言葉を理解して、それを置き換えて納得できてるんでしょ? その頭、本当に一度は切り開いて覗いて見たいわね……」
「死んじゃうから止めてね?」
けど、何と無くどうしたら良いのかは想像できている。
ただ、それらが実際にうまくいく保証なんてないし、リスクがでかすぎる。
パソコンだとか、相互互換図だとか色々見てきたけれども、そういったもののぼんやりとしたイメージですら役に立つのだからありがたい話だ。
もっとも、説明できるほどの知識は無いが。
「と言うか、アンタの魔法って制御はどうやってるの? その……安全の為に必要なものを全部すっ飛ばしてるように思えるんだけど」
「頭を使ってやってる」
「──眠いから、分かりやすく言って」
「奇遇だな。俺も出来れば二度寝したいんだ。だから率直に、言うと、だ──」
食事と飲み物の両方で胃を満たしながら一息つく。
何を言いたいのか少しずつ纏めながら、口を開いた。
「ヒって単語を聞いたら、何を想像する?」
「お日様か、炎ね」
「うん。じゃあ、そのどちらであるかを決めるのは自分だよね」
「ええ、そうね」
「じゃあ、魔法を発動する為に最低限の言葉はそれだけで言い訳だ。自分が理解できていれば良いんだから、共通認識で伝わる言葉を選ばなくても良いんだし」
「けど、それだと威力とか制御とか出来ないでしょ」
「そこで、頭を使う。そのヒで何をしたいのか、どのような事をしたいのかを考える。そうすると魔法の制御に必要な言葉は全部省略できる」
「そうしたら、今度は頭の中でずっと考えないといけないんじゃない?」
「それは致命的過ぎるから、命令すれば良い。維持、ってさ。そうしたら発動した時の条件をそのままに発動し続けられるから放射系とかでも大丈夫。そもそも射出系なら撃ったら制御の必要が無いから気にかけなくて良いわけだし」
頭の中ではシステム言語的なものが浮かんでいる。
ただ、それがITとかではなく、ゲーム等で使われる会社毎の指定文のようなものだ。
ELSEIF~だとかrom_Military_Equipment_Ranged~だとか、色々ある。
意味が分からなければただの文字の羅列だが、それが何を指し示していて、どうしたいのかを記入していると分かれば早い。
説明できているかなんて自信は無い。さっき言ったとおり、俺が発動できてれば他人が理解できなくて良いのだ。
「──頭の中でその殆どを完結させる事で、詠唱の手間を省く、と」
「あとは、ミラノが寝ている間に俺の居た場所での言語で試し書きした文字があるんだけど、これが使えるかどうかも試してみて欲しい」
「なに? この……とげとげ」
「炎って言う意味を持つ、逆を言えば単独ではその意味しかない限定的な文字」
「一文字じゃない」
「だからこそ、意味があると思ってるんだ。もしこれでうまくいくのなら、俺の知ってる言語とか文字が使えると思って、試し書きしたんだ。ただ、これをそのまま使って文字が消えちゃうとまた書かなきゃいけないから、自分で模倣して好きにして欲しい」
「……で、この規模って、大体どれくらい?」
「家が一件まるまる燃えてるか、それ以上だと思えば良いから──室内ではやらない方が良いかな」
ミラノは俺の出した紙をひったくる様にして奪うと、それを暫く見つめている。
しかし、真剣そうな表情が次第にトロンとしてきた。
舟をこぎ始めるのに時間はそうかからず、俺は焦って声をかける。
「ミラノ。とりあえず食べて、寝て、それからまた取り組めば良いから」
「けど、アンタあと数日で居なくなるでしょ。時間が惜しい……」
「それでも、半分寝てるような状態で考えるも何も無いだろ」
「──知ってる? 私、追い詰められたほうが頭が回るの。今まで、学園でもそうしてきたんだから」
「あ~、はいはい。ミラノ様は凄いですよ。けど、ここは学園じゃないから見得も体裁も無いだろ。それに、追い詰められるというのなら万全の状態で追い詰められたほうが──って、聞いてないし」
ミラノは再び夢の世界に旅立ってしまったようだ。
それでも食事は大よそ終えているし、机に突っ伏さずに居たのはまだ最低限の意識があるからだろう。
額に指を宛がって机に突っ伏さないようにしながら紙の束を奪い、安全化をはかってから再びベッドへ。
妹が幼かった頃や、弟がまだ甘えん坊だった頃を思い出す。
こんなどうでも良いやり取りが、俺にとっては幸せなのだ。
まあ、それとこれとは話は別で。ミラノが残してしまった分は俺が綺麗に片付けておいた。
全部食べなかったのは勿体無かったなと思いながら、若干膨れ気味の腹を叩いて椅子で仮眠につく。
三十……いや、一時間半でいいか。
~ ☆ ~
追加睡眠をとった俺は、ヘラの居る部屋にまで向かった。
俺はお呼ばれされただけであり、別に拒否する理由も無かったからだ。
それに、これから片道だけとは言え旅路を共にするのだ、交友を深めておいて損は無い。
まあ、友好度を下げれば損しかないのだが。
「ようこそおいで下さいました」
ヘラに笑顔で迎え入れられ、俺は部屋に入る。
中に入るとマリーも居て、俺を見ると「やほ」なんて挨拶をしてきた。
マブダチみたいな関係って良いよね? 相手が男であればな!
「どうぞ好きな席に」
「あ~、うん。んじゃ、失礼して……」
お茶会といった様子だ。三月兎と帽子屋が誰だか分からないが、そんなものは居ないのかも知れない。
ヘラがお茶を注いでくれて、しかもお菓子まで用意されている。
甘味は好きだが、珈琲を最近滅茶苦茶飲んでいるから地味に吐き気が……。
「これ……タルトだ!」
「お気に召しましたか?」
「うわぁ、こんなものが食べられるなんて、来て良かったなあ……」
「どれだけ喜んでるんだか」
「国王様から頂いた物で、痛んではいけないと早めに持ってきたんです。喜んでいただけたようで、良かった」
そう言ってヘラは本当にうれしそうにしている。
流石に作りたてと言う事はないが、それでも甘い香りがするので嗅覚的にも楽しい。
既に切り分けられているそれらは、取って食べるだけである。
さあ、どれを取ろうかなと考えていたら、ヘラが小皿に二切れ乗せて渡してくれた。
「はい、どうぞ」
「ああ、有難う」
「……いま、好感度が上がる音が聞こえた気がする」
「マリーさん? あなた、どれだけ俺の居た場所の文化を知ってるんですかねえ?」
マリーが「ティロン」なんて言うから、一瞬だけゲームの話じゃないかと考えてしまった。
顔を引きつらせながら、俺はタルトを食べる。
林檎のタルトだ、不味い訳がない……。
予想通り美味しかったので、顔を綻ばせて二口目、三口目と食べていった。
俺が要求しなかったのも有るだろうし、体調を崩してばかりだったからと言うのもあるだろうけど、お菓子は殆ど口にしてないんだよなあ……。
「──これさ、幾つか貰いたいんだけど良いかな?」
「ええ、構いませんよ。寝込んでいる方にお渡ししたいと──そういう事ですよね?」
「まあ……そんなとこ。熱を出して、ここ数日寝込んだままなんだ。何か、慰めになれば良いなと思って」
「優しいのですね」
「いや、そういうものじゃないよ」
俺は、アリアが寝込んでいる理由が自分だと理解している。
回復の為とは言え、彼女に今まで圧し掛かっていた負担が全て表面化して苦しめているのだ。
荒療治とも、良薬は口に苦しとも言うが──だから受け入れろというのは、俺にも出来ない話だ。
自分が自分で勝手に苦しむのは構わない。けれども、良かれと思った事で苦しむのは許容できない。
「──悩みが有るように見えますね」
「そうかな? いや、そうかもしれない。常に悩んで、考え事ばかりして、やってみた事が後で『もっと最善の方法があったんじゃないか』って思えて。その繰り返しで」
「もし宜しければ、私が悩みを聞くことは出来ます。こう見えても聖職者ですから。迷える人を導く手助けくらいは出来ますし」
「姉さんは数多くの人を助けてきたし、心の支えとしても役立ってきたからそこら変は信じても良いわよ」
なんて、マリーにまで言われる。
俺は乾いた笑いを漏らしながら頬をかき、それから少しばかり考え込んだ。
「まあ、いざと言うときは頼るよ。けど、それまではもう少し一人で頑張ってみようと思う」
「一人で、ですか?」
「出来る事はやって、それでも解決しなかったらみんなを頼る。最初から誰かを頼るのは、誰の為にもならないからさ」
まだ、俺の手で対処できない事柄は無い。
出来る限り考えて、その上で出来る事をやって、その上で自分じゃ足りないものを他人を頼る事で補う。
自分を甘やかさない、或いは思考能力を劣化させずに無責任な人にならないようにする。
「とか何とか言ってるけど、実際に誰かを頼った経験が無さそうね」
「あはは、よく判るね、マリー」
「本当に誰かを頼る人だったなら、私を助ける時にもうちょっと賢い事してる」
けんもほろろですよね!?
助けられた人の言葉だとは思えないですよね、本当……。
まあ、恩ぎせがましい事を言うつもりは無いけどさ。
「ヘラって、普段は何をしてるの?」
「あからさまな話題転換ね」
「必要な事! これから見知らぬ土地に踏み込んで、その国での知り合いは今はヘラしかいないの!」
「そうですね。巡礼や敬虔な方々のお相手をしている事が多いです。それでも首都から出る事は今回のような大きな事が無ければ難しいですし、今回も大分無理を言っての一人旅だったんです」
「そういや、護衛だとか何とかも見てないな……」
「一月かかりました。説得して、一人で行動したいと我儘を言うのに」
「一月もかかったのに、よく許してもらえたな」
「許可してくれなかった場合、公の場には今後一切出ないと言って脅しました」
「脅すな脅すな……」
英雄に関して特別視が大分深刻な国で、英雄から「今後お手伝いはしません」なんて言われれば死刑宣告に違いない。
それが秘密裏でのやり取りで有ったならばまだ良いが、公になったら「あのバカ英雄の不興を買ったぞ!」と引き摺り下ろされかねない。
例えるなら……なんだろう。天皇陛下に無礼を働いたとか、そんなレベル? 内々でコッソリ人事発令で閑職行きだろうな、そして自主都合退職である。
「誰かが常に傍に居て、発言を全て褒め称えてご機嫌取りされるのにはうんざりなんです」
「はは、俺には理解できない世界だ……」
「アンタはむしろ、今の所年がら年中怒られてばかりだもんね」
「うるせえやい……」
「だから、ヤクモ様の態度が実は嬉しかったりするんですよ? 私達を英雄と知っても、変に飾ったり褒めたりもしないで、素の姿で接してくれますから」
「いや、だって──なあ」
脳裏では、ヘラがマリーの顔面を高速パンチで殴って鼻血を出させた事とか。
アイアスに引きずられて手合わせを強要されたりとか。
本来デルブルグ家の所属で止めるべきのロビンは俺の部屋から剣をくすねてきてたりとか。
そうじゃなくても暇さえあれば勝手に部屋に上がりこんでるマリーとか。
「俺、全く違う価値観と世界の中で生きてきた人だし。ただ俺よりも凄い過去があって、ただ俺よりも凄い能力を持っていて、ただ俺よりも多くの人に認められてるってだけだしなあ……。ああ、別にお馬鹿にするつもりは無いけど、気に障ったなら謝る」
「いえ、その通りだと思ってます。私は、己が成した事を誇る事はあっても、それを誇示する事や鼻にかけることは好きじゃないので」
「私も、持ち上げられたりするのは好きじゃないし」
「当然、尊重する所は尊重するけど……。お前ら、どれだけ好き勝手してきたと思ってるんだ。そりゃ態度も粗雑になるっての」
俺がそういうが、マリーもヘラもそれぞれに顔を見合わせてから互いに考え込む。
そして暫くして「はて?」と言った様子で首を傾げた。
マジで思い当たる節が無いらしい。コイツら……。
「はぁ……。もう良いや、貴方がたは思うように行動して下さい。俺はそれに対して勝手に肯定的だったり否定的だったりの態度を示すんで……」
「そのほうが利口ね。誰も私達を止めることなんて出来ないんだし」
「ダメだよ? マリー。最低限の礼儀は弁えないと」
「だって、何が失礼で何がそうじゃないかなんて分からないし」
「あはは……。そういえば、ずっと本が友達だったもんね」
「魔法の研究ばかりしてたと聞いてるけど」
「それは切羽詰ってから。私も、普通に生きてたし、部屋に篭ってず~っと本を呼んで……そのまま、気が付いたら戦いになって──。力が足りないと分かったから、ずっと研究してただけだし」
「──な~んか、想像つかないんだよなぁ。それまで普通に生活してて、気が付いたら人類が危機になって、そこから神の恩恵で状況をひっくり返したと?」
マリーの話を聞いていると、なんだか本当に現実味が無いように思える。
いや、彼女達は数百年の時を超えて今ここに居るだけで、その空白の期間をお互いに知らないだけだ。
文明が絶える前はちゃんとした国とかも有ったと聞いているし、俺の想像が貧弱なだけかも知れない。
けれども、なんだか違和感がある。こう、言葉に出来ない何かが。
「人類が本当に滅びかけるまでは逃げ回っていて、神の恩恵……つまり魔法を得てから頭角を現して、それから勝利した、と?」
「ええ、そうよ?」
「けどさ、おかし──くは、ないか。魔法が無くても、抵抗しようと思えば抵抗は出来たわけだし。アイアスも身内を失ったって言ってたから、台頭するまでは地位や信用、大人達が頑張ってたんだな……」
しかし、疑問を口にしてから自分で勝手に氷解していく。
考えないから疑問に思っただけで、けれども考えれば落とし込める。
まず考えろよと突込みが入るだろうが、そこら変は落ち着いていなければ反射と勘で色々口走ってしまう悪癖だ。
俺が勝手に納得しだした所で、ヘラがお代わりを勧めてくる。
まだ半分ほどお茶も残っていたが、飲み会の癖で慌てて飲んで空にする。
そしてお茶を飲んだら必然のようにタルトも食べたくなったので、口にしていた。
「色々有ったんですよ。私達の国が侵略されてから六年……長く苦しい戦いでした。当時はまだ子供だった私達も戦いの中で大人になりました。ただ手当てをする事でしか役に立てなかった私も、魔法で多くの人を助けられるようになりましたし。他のかたがたも、それによって人を率いて戦う事になったのです」
「私は例外だけどね。魔法が出来上がるまではただの足手まといだったし、出来上がってからも戦力に数えられるまでは大分失敗もしてきたから」
苦労話は糧になるとは言うが、それを聞くには彼女達はあまりにも失いすぎている。
身内、仲間、部下、親、兄弟──色々だ。
「二人とも、やっぱり色々失ったんだろうな」
「家族を全員、ね。けど、それは私達だけじゃないから」
「あの時代、誰も失わなかった人は居ないでしょう。沢山失って、国や生活ですら失って──勝ち得たものなんです」
聞いていて、なんだか恥ずかしくなる。
常々俺なんかクソだ、まだまだだとか言っているが、それでもまだ足りない境地がある。
家族を全員失い、国を失い、生活ですら失い、まとめて滅びかけた。
そんな人たちを相手に不幸自慢? はは、笑える。
英雄殺しも、アイアスも──同じように全てを失った中で強くなったのだ。
じゃあ、俺も同じくらい沢山失わないといけない。
差し出せるものは時間と労力、それと──生命力くらいだ。
もっと自分を追い込め、もっと頭に悲鳴を上げさせろ、もっと身体を破壊しろ。
二十四時間しかない一日の中で、俺に出来るのは時間を多く割いたり、密度と負担を高めるくらいだ。
──殺せ、もっと沢山殺せ。今まで殺せてきたはずだ──
──射撃の時も、格闘の時も、訓練の時も、作戦行動中も──
──俺は、ずっと俺を殺してきたんだ。なら、もっと殺せるはずだ──
「あの、ヤクモ様?」
「怖い顔してどうしたのよ」
「あ、え? 怖い顔してたかな?」
俺は驚き、首を振った。それから頬を引っ張ったり、眉間を揉んだりと色々する。
ダメだ、いかん。集中すると周囲が見えなくなる悪癖が出てしまった。
表情を和らげると、俺は目線を彷徨わせる。
「あ~、っと。どんな顔してた?」
「人を殺す顔?」
「大決戦を翌日に控えて、眠らなきゃいけないのに色々考えてしまっている顔ですね」
「どっちもすげぇなおい!?」
大騒ぎして、感情の波を大きくする。
意図しなければ平坦になりがちな波を際立たせて、いろいろなものを誤魔化そうとする。
勢いで乗り切るとも言えるが、それはどうしても必要な事だった。
「話が壮大すぎて、俺の中で想像してその凄惨さを理解しようとしたら、ゲロ吐きそうになった。二人とも、良くそんな事を話せるよな」
そして、いつものように半分嘘で半分本当。
まさか自分を殺す事を考えていたなんて言えず、けれども起因した事柄は事実なのでそのまま口にする。
演技で「おえっ」とやりながら、俺はお茶を口にした。
「戦いが終わっても、その後も大変だったんじゃないか?」
「ええ、そう……ですね」
「私は特に何もしてなかったし、引き篭もってたから別にって感じだけど」
「あのですね! 文明も国もなくなったのに何で自分だけ引き篭もりライフエンジョイしてらっしゃるんですかね!?」
ミラノからの話では、英雄達がそれぞれ民を率いて復興への道を歩んだと聞いている。
容易ではなかっただろう。むしろ、埋葬もされぬ亡骸や破壊痕などで開拓ですらままならなかったに違いない。
そんな中、一人だけ閉じこもって居たとか、白眼視されても仕方が無い。
「だから親しい奴居ないんだろ!?」
「あのね。ただ無意味に引き篭もってた訳じゃないのよ?」
「ほほう?」
「魔法の勉強と研究──。もうその大半が時間に埋もれて消えたけど、本来はもっと有ったんだから」
あぁ、そっか。マリーは魔法使いだ。
学園の創始者だか、創立者がオリジンという人物だったはずだ。
けれどもその人が全てをやった訳じゃ無いとすれば、分担作業でもあった訳だ。
マリーが魔法の研究に注力する。その傍らでオリジンが学園の基盤を作る。
成る程なと思ったが──ちょっと待てよ?
「魔法使いって、最初の十二……いや、十四人だけだろ? なら学園を作ったって学ぶ奴が居ないじゃないか」
「──実は、神の祝福を与えられた人はもっと居た、と言ったら驚きますか?」
「いや、そっちの方が現実的だし、むしろ納得出来る」
「私達は特別強い魔法が使えたから有名なだけで、実際には魔法を使える人はもっと多かった。けど、特徴的でもなく特別でもなかったから子を成していく内に薄れて、忘れ去られて、今の特別階級と庶民で綺麗に別れただけ」
まあ、そこら変の不思議原理は俺にはちんぷんかんぷんだ。
進化論だとか、遺伝子学とかは全く分からない。ウロボロスの輪が出てくるくらいだ、輪廻転生だったかもしれないが。
「魔法が使えないのなら学園にいっても意味が無い、そうやって淘汰されていった結果が今ね。しかも、魔法の大半は秘匿されたか歪められてる。まったく、冗談じゃないっての……」
「残念ながら、今の学園は格式や形式だけになってしまっています。他国との交流だとか、見識や見聞を広め違いを知るということを否定はしませんが、学園そのものの本質は既に失われてしまっているんです」
「──だとしたら、ミラノがマリーに扱き下ろされたのも納得だな。別にミラノだって頭は悪くないし、むしろ昨日俺との会話の中で何か見つけて、夜遅くまで俺から何か見出そうとしていた。まあ、今は寝不足で就寝中だけどね」
「あら、それではヤクモ様も眠いのではないですか?」
「正直、滅茶苦茶眠い」
「ではよくお休みになる事が出来る茶葉が有りますので、飲んで見ますか? 他にも、気持ちを落ち着ける香草など、色々有りますが」
そう言ってヘラはどこからか色々なものを取り出す。
俺の使うストレージみたいだが、ロビンも自分の使う武器を同じように出したり消したりしていたので、英雄とはそういうものなのかもしれない。
「──ん? というか、どこにしまってるの? それ」
「秘密です」
「けど、俺の想像なんだけどさ。香草とか茶葉のようにタルトもしまっておけば、別に急いでこっちに戻ってくる必要が……」
俺が全てを言い切る前に、ヘラの人差し指が俺の唇に触れた。
色々な意味でドキリとするが、俺は悪い意味で受け取った。
「賢すぎる人と、口が軽すぎる人はあまり好きじゃ有りませんよ? けど、その考えは正解です。お城での待遇が窮屈だったので、一日でも早くこちらに戻ってくる為の方便とさせていただきました」
成る程なと、俺はやはり彼女も独自の考えで行動しているのだなと理解した。
特使だか密使だか知らないけれども、その役目さえ果たせれば好き勝手する。
長居をしない、痕跡を残さない。そういう意味であれば優秀だ。
しかし、自分が肩身の狭い思いをするから都合の良い話にしてしまう。
下手すると、タルトを貰ったと言う事ですら計算づくだった可能性がある。
この人たち、強か過ぎてヤバイ。
「俺、あんたら英雄達とうまくやっていける自信が一日毎に無くなってくよ……」
「あら。今の所一番うまくやれていると私は思ってますよ?」
「そうね。下手に偉い奴や、私達に畏敬の眼を向ける連中よりはずっとね」
「外交関係で来ておきながら、城での接遇が嫌だから理由こねくり回して抜け出す相手とうまくやれる自信は無いんだよなあ……」
「ではヤクモ様。今回神聖フランツまで来られますが、長居したいと思われますか?」
「──前言撤回。俺もやっぱ逃げるわ」
「ご自分が嫌な事を、他人に強制してはいけないと思いませんか?」
「けど、ホラ。俺は庶民だし?」
「それを言ってしまえば、私もかつては色々有りましたが、亡国の身分など無いに等しいので庶民です」
う~ん、こう……。ああ言えばこう言うじゃないけど、逃げ道に回りこまれて捻り潰されている感じがする。
マリーだのアイアスだのロビンだのは弁舌が得意と言うよりは、必要な時にカリスマを発揮して人を導く感じだ。
戦っている姿、或いは安心感だとか、もしくは不安感を拭ってくれる存在。
けれどもヘラは、なんていうのだろう。
負傷者や死に瀕している相手に多く関わってきたのだろう。
だからこそ色々考え、必要な言葉を選び、そして導いてきたんだと考えられる。
言葉を武器にする相手に、言葉で敵う理由など無かった。
「降参、こうさ~ん。すみませんでした、俺の我儘でしたよ、ホント。けど、俺は体調を崩した相手の部屋に無遠慮で上がりこんで騒いだり、相手の都合を考えないで好き勝手したりはしませんけどね? いや、そりゃ……時と場合にもよるけどさ」
「理解していただけたようですね」
「迷惑をかけても大丈夫と思える範囲だから、踏み込んでるという好意的な見方も出来るけど」
「それは好意的に捉えるべきか、それとも否定的に捉えるべき?」
「「両方」」
まあ、そうなるよな。
けれども、片方だけじゃないしどちらでもないと言う俺にとって据わりの悪い回答じゃないだけマシか。
欠伸を漏らしてしまい、慌てて誤魔化す。
「悪い。退屈だとかそういうのじゃなくて、無性に眠くて……」
「必要と有れば、面白いものも有りますよ?」
「面白いもの?」
ヘラがまたもや何かを取り出す。
小瓶に色とりどりの……なんだろうか、金平糖のような物が入ったものを取り出した。
見ていて楽しいが、彼女は俺の目線が釘付けだと分かるとカラカラと振って見せた。
「こちらは、とある方に処方していただいたものです。砂糖菓子なのですが、溶けていくと徐々に眠りにつきやすいと言う性質を持っています。一粒口に入れて床に居れば、解け切る頃にはどのような方でも眠りにつけます」
「睡眠薬みたいなものだな」
「その方は睡眠導入と仰ってましたね。ただの砂糖菓子に魔法を染み込ませた、お遊びとも偶然の産物ともいえるものです」
「昔はよくそれに頼ってたわね。けど、人って慣れる生き物だから疲れたら寝るし、眠くなったら寝るんだけど」
睡眠導入だなんて、魔法で色々出来るんだな……。
けど、洗脳が出来るとかロビンに聞かされたことも有るし、相手を眠らせる魔法が存在するのも体験で知っている。
となると、これも睡眠系の魔法をかけてある砂糖菓子と言う事になるのだろう。
「──や、良いよ。俺は似たような物を持ってるし、態々貰うほどの物でもないから」
「そうですか。ですが、もし必要だと思ったらいつでも言って下さいね」
ヘラは出したばかりの色とりどりの砂糖菓子をしまう。
しかし、これを作った奴はどこか夢想家か理想家なところがあるに違いない。
もしくはロマンチストか?
見て居るだけでも楽しいし、辛くなったら口に入れれば甘いし、眠りにつく事が出来る。
センスがあるなと思うが、俺には真似出来ないことだ。
「……そういや気になったんだけど」
「はい、何でしょうか」
「ここまでの旅路って、一人で平気だったのかなって」
「そうですね。全くの安全とも言い切れませんが、それでも治安が悪いと言うほどでもありません。十日前後の旅路でしたが、襲われたのは片手で済むほどです」
「それでも片手の分は襲われてるのね……。けど、よく無事だったな」
「襲われた時は相手の中で取り仕切っている一番強い人を倒せば、とりあえず話が早いと教わりましたから。こう、ガッと」
「──ガッとね」
たぶん、本当に『ガッ』とやったのだろう。
マリーですら一撃でノックダウンしたんだ、相手がモンスターであれ賊であれひとたまりも無かっただろう。
とりあえず心の中で合掌して、見知らぬ被害者に哀悼を捧げておく。
出来れば俺がヘラにぶん殴られる日が来ませんように……。
しかし、ヘラが『ガッ』と言った事で、マリーがぶるぶる震えだす。
まるで携帯電話だ。きっと殴られた事を思い出してしまったのだろう。
「ま、マリー?」
「あ、頭が悪くなるのだけは嫌……。時間も記憶も吹き飛ぶのは嫌……」
「ガッ」
「ひぃ……」
「ガッ」
「やめ──」
「ぬるぽ」
「ガッ」
「何をしてるんですか、ヤクモ様……」
マリーで遊んでいると、ヘラに呆れられてしまった。
嗜虐心……ではなく、普段俺がどれだけ好き勝手されているかを思えば、これくらいのやり返しは良いと思ったのだが。
ヘラの呆れた表情に熱が冷め、俺はマリーを弄るのを止めた。
マリーも最後の最後でネタに食いついた所で幾らか冷静になったらしく、ヤケ食いのようにタルトを食べる。
俺は数切れ先んじて奪って確保すると、それを遠のけた。
「ふぉれわらひの!」
「止めろぉ! 俺はまだ二切れしか食ってないんだぞ!?」
マリーが餓えた獣のように俺の小皿のタルトを狙いだす。
まだ大皿には幾つか残っているにも関わらずだ。
俺は皿を守るべく、マリーを抑えにかかった。
しかし、ヘラのパンチだとか英雄殺しだとかアイアスだとかを知っているから「あ、ムリポ」と思ったが、そうでもなかった。
こう、なんというか。力が丁度よく拮抗している感じだ。
お互いに全力で押し合い、攻防を繰り広げているとヘラがおかしそうに笑う。
俺はマリーの力を逸らして地面に転ばせると、タルトを食べて奪われないようにと必死になった。
「やはり、ヤクモ様は面白い方です。普通の方は、私達と食べ物の奪いあいだなんて普通はしませんから」
「そりゃそうだろ……」
「ですが、私は今の光景を見て昔を思い出します。一番辛かった時が、一番私達の良い記憶と言うのもおかしな話ですが」
たぶん十四人全員が居た頃の話なのだろう。
辛かったけれども、一番自分達が輝いていた時期。
その考えは理解できるが、あまり周囲には理解されないものである。
他人の不幸を餌にして自分が輝いていたと言う事でもあるから、下手すりゃ顰蹙ものだ。
それでも彼女達からすれば何百年も昔の話であって、もはや御伽噺や伝承のような遠い話でしかないのだが。
「同じように食べ物の奪い合いをしてたと?」
「してる事がままありましたね。別に食べ物が無かった訳じゃなくて、お遊びとかそういう範疇での話です」
いや、まあ。ガチでの争奪戦だったら「懐かしい」だなんていってられない。
インパール作戦真っ青である、そこまで追い詰められたら「滅んだほうが楽じゃね?」と思わないでもない。
「アイアスさんが食事中にも考え事をしていて、よく食べ物を奪われる事がありました。最初は食事に集中していただく為にやっていた事なのでしょうけど、何時しか恒例のようになってしまって」
「そういや、夢の中で見たアイアスはもっと生真面目そうな感じだったなあ」
「皆さん、戦時中に比べれば大分性格や気性が変わられた方が多いです。アイアス様は大分砕けてますし、マリーも久しぶりに会ったら大分大人しい性格になってましたから」
「ガルル……」
あの、大人しいって……滅茶苦茶吼えてるんですけど?
ただまあ、初対面の時は髪引きずって歩いていたくらいだし、トラウマ抱えて寝不足でクマが凄かったし、ネガティブで内向的だったのは間違いない。
それが回復したと言えば良いのか、立ち直ったと言えば良いのか分からないけれども……。
完全に、初対面時の印象は覆されてしまったな。
少なくとも、タルトを奪い合って取っ組み合いをし、しゃがみ込んで膝で背中を圧していなければ再び飛び掛られそうな野生児だとは思っても居なかった。
「望むなら、これからも私達とはこのような気兼ねの無い関係で居てくれますか? もちろん、時と場合によっては周囲に見せるための礼節を弁えては貰いますが」
「そりゃ、もう。むしろ一方的に砕けた口調で良かったのかなって疑問に思えてきた所だったけど、そんな事で良ければ幾らでも」
「それでは、この腕輪を身に付けて下さい。少なくとも、これがあれば彼の国では多少の事であればそれを見せるだけで相手に納得してもらえたり、引き下がっていただけます」
そう言われて出されたのは、ブレスレット……いや、バンドか?
見ようによってはサポーターにも見えるものを渡され、俺はそれをとりあえず右手につける。
左手には既に腕時計がついているし、空いていると言えばこちらだけだ。
「これで、ヤクモ様は招かれた客でありながら私に認められた立場の人物と言うことです。絶対。ぜ~ったいに外しちゃダメですよ?」
「な、なんで?」
「それが無くなったら、私の知らない場所での事柄に関しては何の手助けも出来ないからです。ヤクモ様が私達と親しげに話す事を嫌う人が居たとして、裏で闇討ちされそうになっても多少は庇えます」
「……なんか、行くの嫌になってきたなあ」
「その為に今それを渡したので、今更拒否されても困ります!」
何故かここに来てヘラが椅子を蹴る様にして立ち上がった。
その光景に、野生化していたマリーも素に戻って彼女を見て居る。
俺とマリー。四つの目玉に見つめられたヘラは「エヘンエヘン!」と咳払いをすると、顔を赤らめながらゆっくりと座った。
「姉さん?」
「とっ、とにかく! 私も出来る範囲でヤクモ様をお守りします。それでも四六時中はご一緒できないのは残念ですが」
「何で残念なのさ……。むしろ国に戻ったらまた忙しくなるだろうし、むしろ全員が引き離される可能性の方が高いし」
最悪の状況だが、今の状況とあまり変わらないだろう。
一人につき一部屋が宛がわれ、バラバラにされるだろう事は容易に想像ができる。
んで、挨拶とは言え他国から来た客だから城の様な場所で客室を宛がわれたなら、広すぎて中々会えない可能性は高い。
そうなると分断されたも同然で、孤立は必至だ。
そこに工作を仕掛けるとするなら、滅茶苦茶容易である。
「俺、悪いけど身の危険を感じたら逃げるよ? 窓から飛び出しても良いし、廊下を走って突っ切っても良い」
「あまりお勧めは出来ないかと。彼の国では魔結晶による結界が張られてまして、特定の場所では魔法が行使できないとか、そういった制限が課せられます。そうなると人数と言う壁が有りますから」
「まあ、人数はどうしようもないよなあ……」
「とか言いながら、もう悪巧みをするのであった」
「人の思考を読まないで下さいますかねえ!?」
まあ、事実なんだけどさ。
悪巧みと言うよりも、魔法が使えない場合の逃走方法を考えていた。
例えば縄をあらかじめ服の下でレンジャーの如く巻いておき、必要な時に使うとか。
警護の行動パターンをさりげなく覚えておくとか。
数で対抗出来ないのなら、作戦行動で対抗する。
大分前《二章》で足音の消音化もしているし、隠密に関しては多少有利だろう。
「俺、逃げる方が実は得意なんだ」
「戦うよりも、ですか?」
「少し分かる」
「うるさいなあ!? とにかく! 俺は自分が不利益や不都合を被って、挨拶の役割を果たした上で身の危険とかを感じたら逃げるから」
「それで私とか置いてくんだ、笑えなっ……」
「あんたら英雄ですが、俺は生身の人間なんです! 面子の中で一番抑えられたらいけないのが俺なんだから、逃げるのが戦術的に正しいと思うんだけどなあ」
負傷した奴は戦力的な弱点になりうる。
能力的に劣る奴は、スポーツにおいて狙われる穴になる。
発言力の弱い奴は、学校などでは虐めの的になりやすい。
まあ、置き換えればそんな感じだ。
狙われているのが自分なのか、それとも他人なのか~とかでまた違うのだが。
マリーが大人しいふりをしてタルトを奪おうとしたので、その手を叩いて阻止する。
早食いの要領で幾つか胃袋に入れるが、一つは奪われてしまった。
「マリー! 人のを取らないで目の前の取れ!」
「んぐっ……人の持ってる奴の方が美味しそうに見えるの!」
「止めて!?」
ならばと自分が確保したのを諦めて大皿を狙うが、目にも留まらぬ速さでタルトが消える!?
マリーとわいきゃいとしていたが、その騒動は一つの音で鎮められた。
──ゴッ──
普段聞いちゃいけない音が首から上で響きまくり、俺は床に倒れた。
そして倒れこんだ俺の上にマリーが遅れて倒れてくる。
暖かい者が俺の胸の一部から広がっていき、それがマリーの鼻血だと理解するのは難しくなかった。
「人様の部屋では、静かにしないとダメですよ?」
「それ、殴る前に……言って欲しかった──」
俺も気を失い、意識を手放した。
後に俺とマリーは互いに理由を付けて逃げるように部屋を去り、寝癖と疑問符を浮かべまくっているミラノの前でガタガタと二人して震えるしかなかった。




