63話
結局、俺には何故ミラノが一緒に寝に来たのか分からないままにいつものように早起きする。
普段なら室内でやっていた鍛錬だったが、ミラノが居るので庭の影でコッソリと行う事に。
誰かに見られてる気がしたが、見ればザカリアスに見られていたようだ。
努力している所を見られるのはなんだか気が引けるが、だからと逃げる訳には行かなかった。
当たり前の事をしている、そう言い聞かせて痛む身体をそのまま追い込む。
五時くらいには終えて、痛む身体を引きずりながら部屋へと戻ると、発汗の処置をする。
あとはノンビリしながら拳銃や銃の構え方や、素早い照準の訓練を繰り返す。
休暇中にゆっくりとやっていこうと思ったが、どうやらそれも難しくなりそうだ。
銃剣を抜いて鏡を前に、人体の急所はどこかを思い出しながら動作の練習をしていると小さな悲鳴が聞こえた。
それが誰なのか分かり、向き合いながら手を後ろ手にする。
銃剣を出来るだけ露出させないようにしながら、銃剣入れへと収めた。
「な、何してるの?」
「ゴメン。ちょっと、朝の運動?」
「いつもそんな事してるの!?」
「いや、マリーを助けてから……かな。今までは、少し──自惚れてた。だから、もっと強く、もっと負けないようにって思ったんだ。前は、ただ自分の尊厳を守るためだけにやってたけど、それじゃ足りないって──思ったんだ」
「毎日?」
「──毎日」
寝巻き姿のミラノ。昨日はもう夜だったから気にもしなかったが、明るくなると──。
その、なんだ。だいぶ”薄い生地”のようだ。
驚いて飛び起きた時に布団を手繰り寄せていたが、安堵したのかその手が緩む。
露出している上半身の寝巻きの奥に、下着や肌が透過して見えていた。
「ミラノ? その……寝るのは良いんだ、俺は構わないよ。けどさ、その寝巻きはちょっと……」
「っ!?」
俺が指摘すると、彼女は自分の肌や下着が薄っすらと見えているのを知って布団を再び手繰り寄せた。
仕方が無いなと俺は戦闘上衣まで近寄るが、その途中で枕が横っ面にぶち当たる。
「見るな!」
「昨日部屋に来たのはそっちだろうが……。ほら、これを羽織っておけば見えないから、部屋に戻って着替えたら良い」
こういうとき、男って立場は弱いよな……。
戦闘上衣をミラノにかけてやる。あまり着心地は良くないだろうが、露出しているよりはマシだ。
「後で返してくれ。それ、俺の大事な戦闘服だから」
「戦闘服って、アンタいつもその格好で戦ってたじゃない」
「そっちは正規品、俺が着てるのは似せただけの服」
ミリタリーベストとか、ミリタリーパーカーとか。
そういった物を着るのが好きだし、幸いな事に機能性もそれなりにあるので愛用している。
「アンタの服、身軽そうね」
「色々進歩してるから、ミラノ達みたいに装飾はしないけど寒い時や熱い時に適した格好があるし、重くない上に頑丈で良い」
「──なんか、そう言われると欲しくなる」
「まあ、幾つか服はあるけど。男物の服は着せられないから……自然と、上着って事になるかな」
「アンタが私の所に来た時、来ていた上着は?」
スウェットロング……だったかな。
俺だと膝上だけど、ミラノだと膝下まで行きかねない長さだ。
イメージで着せてみるが、マリーと同じ状態になりかねない。
マリーもロングパーカーみたいなの着てるし、それで良いのだろうか……。
「アレをミラノに上げると、色違いでマリーと一緒になるんだけど……」
「けど、格好良いじゃない。それに、暖かそうだし」
まあ、本人が良いというのだから気にしても無駄か。
マリーは結婚してないと言うし、ヘラの血筋が巡り巡ってミラノに繋がってるのかも知れない。
ストレージから物を出して彼女に与えると、ミラノは「むこう向いてて」と言ってきた。
ベッドから出てくる彼女から身体ごと背いて、布が擦れる音を聞いていた。
たぶん、俺が早起きしていなければ生理現象でお互い気まずいか酷い目にあっていただろう。
そうでなくとも、二つの自分の中で『義務と任務を背負った自衛官』にスイッチが切り替わっていなかったなら、意識してしたと思う。
客観的であれ、自分でさえも他人事のように分析しろと言われたけど、役に立っている。
「どう、似合う?」
ミラノはそう言って着込んだ姿を見せてくれた。
だが、やはりどう見てもマリーに似てしまう。
俺が目を彷徨わせると、彼女は少しだけ不機嫌そうに口を尖らせた。
「ええ、分かってる。似てるって言いたいんでしょ、あのいけ好かない魔法使いと」
「あ~、うん。悪い」
「いいの。いつか着こなして、魔法使いとしても一人の人間としても劣らない存在になるんだから」
「その服は、さっきも言ったけど上着だから寒い時に着る物ね。暑い時は別のを着るか、脱いだほうが良い」
「じゃあ、暑い時のも頂戴」
「──……、」
何だろう。この、子供にせがまれて物を上げているような感覚は。
まあ、似たようなものを何着か持ってるから良いけどさ……。
仕方が無いので、夏用の似たものを渡す。
彼女は嬉しそうにしていたが、何かに気づいたのか表情が素に戻る。
「──ねえ、何で同じ服持ってるの?」
「それはね、俺が服装に無頓着だから好きな服ばっかり買ってるからだよ」
「え゛……」
何が『え゛』なのか。買出しとイベント以外で人と会わない奴を舐めんな。
とは言え、自衛隊に居た頃から──いや、学生時代から気に入った服に執着していたし、無職じゃなくても同じだったか。
「ミラノは可愛いよりも格好良い方が良いのか」
「さあ? けど、アンタのやってる事を見てたら可愛いだけで何も出来ないよりは、ちょっと凛々しいくらいが良いんじゃないかって思えただけ」
「──程々に」
「それはお互い様」
そう言ってミラノは俺からの強奪品を抱きかかえると、そのまま部屋を出て行った。
やれやれと俺は癖でベッドを整えてしまう。
ミラノの香りが少しばかり残っていて、なんだか複雑な感じだ。
しかし、腹が減ったなと思ってお茶でも飲もうかと考えていると、起床時間ちょうどくらいノックがされた。
メイドかなと思ったが、全くの別人だった。
マリーだ。こんな朝早くに来るだなんて、少しばかり驚きだ。
まだ寝癖も直してないし、身なりも整えてないのに何だろうか……?
「おはよう、良い朝ね」
「良い朝? てっきりもっと遅くまで寝てると思ったけど」
「普段ならそうしてたかもね。けど、机で寝落ちしちゃって早く起きちゃったの」
「ベッドで寝直せ、な?」
「”べっど”ってなに?」
「寝床!」
この翻訳、マジでなんとかならないかな。
アーニャ曰く俺の言っている言葉の中で、理解されないものが所々ある。
んで、相手が俺の言葉をオウム返ししているから聞き取れるが、実際には聞きなれない他言語が出て来たレベルらしい。
アーニャが「クラバチ」といきなり言ったら俺は理解できない。
けれども、俺が「クラバチってなに?」って聞き返すと、アーニャには「”べっと”ってなに?」と聞き返されてるように聞こえているのと同じだそうだ。
頭を抱えそうだが、俺が出来るだけ外来語を使わなければ良いだけの話だ。
うん、問題なし、異常なし。
「まさか、来訪? 挨拶じゃなく?」
「目覚めの一杯をくれるかしら?」
「あ~、はいはい……」
「珈琲。牛乳と砂糖でまろやかに、甘めにしてね」
「お前らの居た時代には珈琲なんてあったのか」
「持ってる人が居たのよ」
もう、英雄達には無礼千万を承知の態度でいくしかない。
そうじゃなければ、あまりにも非常識かつ勝手すぎて心の均衡を保てない。
流石に怒るかなと思ったが、アイアス含めて誰も気にしてないからもうどうでも良い。
俺だって怒る時は怒るし、不愉快だと思うときは大分不愉快に思っている。
ただ、他の人よりも狭く深いだけだ。何でもは許容できない。
珈琲の準備を終えると、彼女は人の部屋で短くなった髪に櫛を通していた。
「はい、どうぞ」
「ありがとう。ん~……、この香り懐かしい」
「昔は色々あったんだな」
「──今が何も無いだけよ。失われたものは多すぎるし、技術や文明と言ったものが失われたのだから、世代が変わっていく内に本来のものとは違う扱われ方をしたりね」
「そういうものか……。で、朝早くに何の用事?」
「ちょっと小耳に挟んだのよ。貴方があの子と寝たって話をね」
「その言葉には語弊があるから修正するけど。ただベッドに入って、色々お話して、ただ寝ただけ」
「後戯?」
「ぶへっ……」
いきなりのアダルトネタであると共に、そんな言葉が女性の口から出た事で俺は珈琲を吐き出してしまった。
しかも一部は鼻を通過したらしい。鼻を拭うと黒い液体が付着していた、めちゃ痛い。
「へっきし!」
「良かったわね。英雄色を好むとは言うけど、貴方も童貞じゃなくなって」
「うぅっ──。あのな、俺もミラノもまだ”未使用”だっての! ざけんじゃねえや、ったく……。俺がそんな軽薄で軽い男に見えるか?」
「今の貴方ならそう見えるかもね。軽口、皮肉、それと感情が行動に表れてるから。私を救ってくれた時の”英雄染みた貴方”とは大違い」
「どっちも俺だよ。後ろ向きで悲観的なのも俺だし、堅物で頼れそうな”英雄”っぽいのも俺だし、軽口と皮肉と軽率なのも俺」
「相手によって使い分けるのね」
「とにかく、俺は何もしてない。家族の話をして、俺について話して──普通に眠った。それだけ」
「なあんだ、つまらないの」
マリーの物言いに俺は別の意味で目が覚めてくる。
鼻をカフェインが通過した痛みもあるし、頭を抱えてしまう。
「あのさ。戦争してると女捨てるわけ?」
「大抵の事が下らなく思えるだけよ。それとも、言い繕ったり取り繕うほうが良いのかしら」
「慎みと分別をつけて欲しいね。少なくとも、俺は性的な話は好きじゃない」
「なら、以後慎むわ。――で、ヤったの?」
「お前はオッサンかって~の! ヤらねえよ!!!」
何が悲しくて朝からこんな話題で盛り上がらなければならないのか。
なんだか──悲しくなってきた。珈琲の苦味が哀愁を誘うので、牛乳と砂糖も入れた。
「何で手を出さなかったのかしらね。もう貴方の懐に飛び込んだ獲物だったじゃない。あとはもう”召し上がれ”って感じじゃないの?」
「俺だって相手を選ぶ権利があるし、そもそも現在の上司でありこれから家族になる相手に手を出すかってんだ」
「家族?」
「公爵に言われたんだよ。デルブルグ家の一員にならないかってね。養子縁組だと思うけど、そうなったらミラノ達は妹だ。妹に手を出す馬鹿がどこに居るよ」
「あぁ、ふ~ん、へ~。そういう事になるのね……」
そう言いながらマリーは珈琲を飲む。
何が彼女を楽しげにさせているのか分からないが、以前とは違うと思えるくらいに明るい反応だ。
目の下にクマを作り、世界全てを恨むような表情はどこへ消えたのか。
以前の方が大人しかったが、見ていて不安にはなった。
今は元気そうで良いが、遠慮が無くなった。
弊害だらけだ。あちらを立てれば此方が立たないと言うのか? んなアホな……。
「と言うか、今度一緒に旅路を共にする相手に投げかける話題じゃないよな?」
「夜が怖いわね」
「しねぇよ! ってか、旅路で思い出したけど、日程とかどうなってるんだ?」
「さあ、道程も日程も知らされてないから。要請があったから応えてくれと言われただけだし、何とも。徒歩なのか、それとも馬なのか、馬車なのかすら分からないわね」
「出来れば護衛付きの旅路なら良いけど、そうじゃ無いと考え物だなあ……」
「荷物の運搬、夜盗や盗賊の危険性、色々有るものね」
なんと言うか、ようやく本題に入ったような気がする。
俺は先ほどまでの軽口とかじゃなく、仕事として話に取り掛かる。
「まあ、俺以外は最悪食事しなくても大丈夫だとして──」
「え、なにそれ。死にたいの?」
「と言う事は食べ物も荷物に含まれるから、簡単な調理くらいは出来る事も考えなきゃいけないとして! それと夜の睡眠に関しても考えなきゃいけないから、どうしても荷物は増える。馬が欲しくなるな」
「何でもう私達だけでの旅路になると決め付けてるの」
「それが一番負担の大きい、楽が出来ない”最悪な状況”だから」
「確かに、楽観視して絶望のどん底に叩き込まれるよりは良いわね」
色々と考えてしまう。
自衛隊生活の中で得た経験や知識などで、物資だの野営だの道程だの危険性だの。
色々と考えてしまう、が。その分考えた分だけ戦場の霧は晴れていくような気はした。
イメージは行軍だ。ただし、目的地までの距離はKm換算されてないので判断不可である。
この前見せて貰った地図をデータとして保存しているが、そこには街だの村だのまでは記載されてない。
まあ、流石に最小でも二十km範囲で何かしらにぶつかるんじゃないか? 何なら四十Km歩いたって構わない。
ただ目標地点まで間に何も無いのだけは勘弁願いたい。休めないし疲れるから。
「ねえ、そこらへん全部任せても良いかしら」
「いやいやいやいや。実際に戦争して生き延びてきた人の考えを参考にしたほうが──そうか、管轄外か……」
「そういうこと」
まあ、自衛隊でもよく有る話だ。何で科が沢山有るのかと言われたら、それぞれの役割があるからだ。
普通科でも通信を憶える事はできるが、通信科ほどじゃない。
普通科でも衛生看護を学べるが、衛生科ほどじゃない。
つまり、マリーは魔法使いとしては優秀で、戦争を生き延びはしたが立案等はできないと。
「アイアスは?」
「アイアスは指揮と戦闘だから無理」
「ヘラとロビンは?」
「姉さんは支援だけど魔法使いとしてだし、ロビンも弓と魔法で援護してたから──」
「実質俺が負担しなきゃいけないのね……」
どうやら、今居る英雄達は完全に戦闘職らしかった。
おかしいな、何で実際に戦闘に関わってない俺がそこまでしなきゃいけないんだろう……。
しかし、居ないと言うのなら仕方が無いので俺がやるしかないか。
「ヘラが帰ってきたら聞こう。じゃないと、実際にはただの思考遊びだ」
「まあ、もしただの旅路になっても私達が居るから安全よ、間違いないわ」
「そこらへんは疑ってないよ。ただ、その隙間を縫って出来る事を考えるよ」
「行き当たりばったりね」
「ま、臨機応変ってことで」
「出たとこ勝負って言わない?」
「柔軟に対応するって言うんだよ」
「屁理屈ばっか」
他の奴だったら声を張り上げていただろうが、マリーはそうじゃなかった。
滅ぶか勝つかしかない時代を生きてきたからかもしれないが、余裕を感じられた。
少なくともミラノやアルバートだったら突込みが入っただろう、間違いない。
「そういや、マーガレットとは仲が良いのか?」
「気になる?」
「いや、マリーが誰かと仲が良いってのがあんまり想像できないだけ。ミラノとの口論と初対面の印象を思い出すと、会いたがらない気がしてね」
「半分正解だけど、あの子に罪は無いもの。あのニコルが気に入らなくても、あの子は関係ない」
「そういう言葉が聞けるとは思わなかったなあ」
「ただ単に交友関係が狭いだけ。鍵穴と同じで、角度を間違えれば鍵は刺さらないし開かない。それどころか曲がったり折れたりもするんじゃないかしらね」
つまりは、ストライクゾーンが狭いと言うことなんだろうな。
そう考えながら、俺は一杯目の珈琲を飲み終えた。
心臓が痛い、が。お代わりしよう。
こう……仕事以外になると、動悸が……。
鬱病なのかな。完治したと思ったけど──。
「今回の編成、俺だけが部外者みたいだけど、本当に良いのかねえ」
「相手が欲したのだから、それが過去であれ現在であれ良いでしょ。それよりも、用心しなさい」
「用心? なんの」
「相手が何をしてくるか分からないからよ。あの国は、最近じゃ色々な英雄達をかき集めてる。それは私達に対しても外交的圧力といっても良いものを加えてるの。あっちに行って、拘束されて監禁や軟禁もありうるから気をつけて」
「そういうことをする可能性があると?」
「黒い噂を、幾つか聞いてるから。金、女、権力、平穏、安寧、生活──。今でもあそこに居座ってる人が居るとしたら、それは成功したから呼び寄せられて、コロリと過去と自分を売った人よ」
「なるほどね。つまり、籠絡されないようにしろって事だ、つまりは」
「──私には、貴方が判らないから」
そういったマリーの表情は、沈んでいるとも、無表情とも。或いは、感情を押し殺しているとも読み取れた。
しかし、マリーには一切打撃の無い話だ。彼女が理解できない。
公爵には「彼は買われました」と言えば良いだけだし、そこにはマリーにとって責任は介在しない。
公爵だって一時的には負の感情に飲まれるだろうが、それでヤケを起こすような幼稚さは無いだろう。
「まあ、俺も自分の事を信じられないしなあ。何に釣られるか、判断がつかない」
「──……、」
「女かも知れない、或いは栄誉か名声か、もしくは何もしないで生きていける生活か……」
「自分の事をそう言うって事は、裏を返せば有り得ないって言ってるも同じじゃない?」
「いやいや、何を根拠に──」
「人を助ける人は、誰かに助けられたいと思ってる。優しくする人は、優しくされたいと思ってるから」
──先日、俺がミラノとした話の内容だった。あの時マリーは寝ていたはずだが……、もしかすると起きていたのかも知れない。
しかし、寝言を言うフリをしながら起きてる……? そんな事をわざわざするだろうか?
手段は何であれ、口に出して言っていた言葉と、その現場に居たのだから追求しても無意味だ。
俺は色々と誤魔化すように珈琲スティックを二本分突っ込んだ。
当然の如く、苦いが目は覚めた。
「それとこれは、別区分だ」
「あら、そうなの?」
「片方には、自分の倫理観が乗ってる、もう片方には自分に対する信用や信頼が乗っている。その重石が、片方ずつ場合によって交換されるけど、その時にどちらが優先されるかと言う話だ」
「つまり。仕事としての自分には自信が有るけど、そうじゃない自分には自身が無いってことね」
「話が早くて助かるよ」
「アンタ、結構面倒くさい性格してるのね」
アンタって言われた、ミラノと同じになったなあ。
まあ、色々と違うのだが。
「けど、アン──いえ、貴方は裏切らない」
「根拠が無いだろ」
「いいえ、根拠ならある。マーガレットとの婚姻に対して拒絶しなかった事と、この家の一員になる事を拒絶しなかった事。言ってしまうなら──骨を、埋めるつもりになってるから」
違う?
そう問われて、俺は言葉を失った。
しかし、否定する根拠を俺は見出せなかった。だから、軽口を叩く。
「ま、そうかも。けれども、それを踏まえて──裏切られて、見捨てられて、忘れられなければって言う前提がつく。守りたいと思った相手に邪険にされ、虐げられ、不当な扱いをされ続ければその限りじゃないから」
「それは、あのミラノって子に関しても言えたのかしら。その……こっちに来てから」
「さあ、どうだろう。確かに理解や納得できない事は有ったけど、全部説明してもらって納得できたからなあ」
「納得、出来たの?」
「説明が無けりゃ感情で判断するしかないけど、説明されれば後は理屈で納得できるかだからなあ」
そこら変は昔の自分のままだ。
今でこそ砕けまくりだし、軽口も大分混じっているが。
先ほどの重石で例えるなら、自分しか載っていなければどうしたってそちらに傾く。
しかし、相手が重石を乗っけてくれれば、それでようやく判断がつく。
少なくとも、国の為に仕えているのでなければ、背負うべきは自分と相手とカティアくらいだ。
「まあ、説明されたのもつい先日だし、カティアがいなきゃ不満と不信で逃げ出しただろうなって思ってる。実際、初期の待遇は悪かったし、改善されたのも父親が直接頭越しに掛け合ってくれたからだ。ミラノ自身が俺の待遇を改善しようとした訳じゃない、それは決して小さくない不信に繋がる」
「例えば、どういう風に?」
「英雄扱いされなければ地面で寝起きして、飯は残飯のようなものをずっと食べさせられていた可能性だってある。それだけじゃなくて、オルバやアルバートと戦った時も一方的に俺が悪いとされたのも、事実がどうこうじゃなくて俺だから謝らせておけば良いみたいに扱われてるのかと考えると耐えられない」
少なくとも最初は良い。俺の扱い方が明確じゃなかったから、仕方がないかなと思っていた。
しかし、ミラノは俺を詠唱時間を稼ぐ為の盾にするといった。
つまりは、護衛とか、そういった方向で活躍してもらおうと考えたのだろう。
となると、俺の資本は身体となる。その身体の状態を悪化させるような待遇は、役割とあわない。
いざと言う時には野外だろうが、地面だろうが眠るのは構わない。それが兵士だ。
だが、常に床で眠り冷めかけた飯を食えというのは流石に反感や顰蹙を覚える。
任務遂行、命令遵守の為には普段から必要な投資をされなければ維持できないものがある。
実弾を撃たずに射撃能力が向上するものか、飯を食えずに身体が維持できるものか。
実際、自衛官の反発はだいたい休暇と食事、それと役割に見合わない事をさせられると大きい。
土日が幾ら潰れても、代休が取得できるから耐えられる。
どんなに訓練して腹が減っても、とりあえず飯は食堂で食える。
厳しい訓練であっても、やる事が判り切って馴れていけば問題ない。
しかし、土日潰れても代休が取得できない。
防衛費の問題でパック飯や缶メシ、最悪パンと牛乳のみの朝食が続く。
普通科隊員なのに空挺部隊と同じ装備をさせられて、同じくらい過酷な事をやらされる。
どれも一番下っ端から順々に文句や反感があふれ出る。
国防だの、愛国心だの、正義だのを振りかざしても機械じゃない。
「まあ、あの一件で近寄り難さは有ったかも知れないけどさ」
「どの一件?」
「俺が英雄にされた時の話だよ。少なくとも、ミラノにとっては学園で優秀であるという鼻をへし折られて、その上で目の前ではオークだのウルフだのゴブリンだのを蹴散らしながら、血を浴びつつも容易く相手をしとめていったところを見られてるわけだし」
ゴブリン相手に、俺は銃剣を深く深く刺し込んだ事を覚えている。
あんなシーンを見せ付けられて、その力が自分に向かわないと信じて疑わない奴は愚鈍だ。
しかも、学園主席で卒業しているオルバともタメを張ったし、行動指針を出したりもした。
悪い言い方をすれば、モラルが無ければ誰かを殺める事すら簡単に出来てしまう人物でもある。
魔法よりも素早く高威力でぶち抜き、魔法も出来る上に目的の為に最善を尽くす。
そんな奴、怖がられても仕方が無いのだ。
「信じてない、或いは相手が自分に害を及ぼすか立場をひっくり返すかも知れないのに、弱みは明かせないだろ。まあ、良いように殴られ蹴られてってのが、地味に『逆らわない』って印象を与えたのかも知れないけど」
「強いのに、口だけの主人に逆らえないなんて、おかしすぎ……」
「使い魔だったらまだ良いけど、ヘタに逆らって放り出されたら常識も知らないままカティアと路頭に迷うってたんだって。カティアを食べさせてやらなきゃいけないんだから、優先事項はそこになる」
「──大事にしてるのね」
「そりゃ、まあ。召喚したのは俺なんだから、必要な限りその面倒を見るのが当然だし、その為に与えられるものは与えて、必要な事は学ばせるけど自由にもするさ」
まあ、休暇に入ったのでカティアには専ら自由にしてもらっているが。
俺がちまちまと自衛隊で教わった事を思い出しながら教えているし、そのテストも行うと伝えている。
まず、01ATMや八九小銃を使っている時に、俺の何に気をつけなきゃいけないかだ。
単純に考えて『射線に入らない、後方爆風の範囲には絶対立ち入らない、構えている時は絶対に武器と身体には触れない』である。
射線に入れば死ぬ、後方爆風で死ぬ、接触事故でどちらかないしお互い大怪我する。
どれも避けて欲しい事柄だ。MINIMIとかになると連射上等なので、漏れなく宗教的にあの世行きだ。
「俺には家柄も無ければ、面子も体裁も無い。必要なのは、俺が上であって、彼女は下であることをお互いに尊重する意識だ」
「お互いを、尊重……?」
「まあ、これも何十、何百と下に持った時の意識だけど。上に立つものは知識的に、経験的に、色々と指示が出せる。けれども実際にその指示を達成するには下の協力が無ければ成し得ない。それは判るかな?」
「まあ、ええ」
「と言う事は、俺は知識と経験で優れているだけであって、多くの部下には責任の名の下に言う事を聞いてもらわなきゃいけない。下は知識と経験や責任は及ばないけれども、上が責任を持ってくれる上に判断してくれるから従ってそれを行う。もちつ、もたれつなんだよ」
これも自衛隊での話だが。
ちょっと待てよと、俺はまた仕事の話しかしてない。
首裏を撫でてしまい、それを見咎められたので先に白状する。
「ダメだ、仕事の話ばかりだ。こう……なんか他の話が出来れば良いんだけど」
「自分の事を話すのは苦手なんでしょ? なら、別にそれでも良い。マーガレットも言ってたけど、そこから始まる相互理解ってのも有るだろうしね」
「そう言ってもらえると助かるよ」
「アンタの──あぁ、ごめん。貴方の世界の事を語られても、正直ピンと来ないし。それはそれで楽しいけど、模倣すら出来無さそうだしね」
「音楽を流す機械とか、どうしたって無理そうだしなあ」
「けど、アンタ……もう、ややこしいからアンタで統一するけど。”じゅう”って奴を、魔法で真似できないか考えてたの。それが机で寝落ちした原因」
「お、そういう話俺大好き。単一魔法の並行処理とか、複合魔法だけど分離させてるとか、そういうの?」
「──っ、人が頭悩ませたってのに」
「いや、だって。俺は銃の原理判ってるし」
ミラノからの説明では、土と風と火の三種類を扱う事で真似は出来るそうだ。
けれども、屋敷の中で出来たのは理論構築までで、実際に使ってはいないという。
「爆発で驚異的な速度を生み出してるのは判ってる。なら、その爆発の方向を指定する為に空間……空気、って言うのかしら。それを固定して、とりあえず飛翔体に石とか岩を使う予定」
「それ、原理解明できたとしても内緒の方が良いな……」
「飛ばす弾を大きくしたら、それだけで範囲で相手が潰れるもの。こんな怖いの、広めたら今の魔法使いの今までの考えがひっくり返っちゃう」
俺の脳内では、それをそのまま使ったらとりあえずマスケット銃やカノン砲が出来るんじゃないかと思えた。
流石にノイマン・モンロー効果までは到達してないようだ。
そこらへんになると科学の分野になるだろうが、それも魔法で代用できそうだから恐ろしい。
「頭良いんだな、マリーって」
「どう、恐れ入った? その代わり親しい友人も居ないから、天は二物を与えずって奴ね」
「髪、ボサボサだったもんな……」
「けど、今はあの自爆攻撃で大分短くなったのよ?」
まあ、実際引きずるくらい長かった後ろ髪は肩か背中くらいにまで短くなっているし、前髪も焼かれて目元パッチリだ。
たぶん自爆対策をしてなかったか、そもそも至近距離で使うものじゃなかったのだろう。
俺もマリーに対策をするようにと言われたから対魔法防御の訓練をしたが、まさか自爆につき合わされるとは思わなかった。
「どう、似合う?」
「まあ、健康的な方が俺は好きだよ。少なくとも、不健康よりはずっと良い。
けど……そうだな。な~んか物足りない」
「わ。物足りないとか言われた」
「そのもみ上げ……もみ上げ? 何でも良いや。その髪、ちょっと束ねてみたりしたら可愛くなる気がする」
「こんな感じ?」
マリーは両の髪を手でキュッと握って見せた。
そうした所であんまり印象は変わらないけれども、リボンだの装飾品でもあれば大分違うに違いない。
「あれだ、髪留めなら爆発でも焦げないし燃えないでしょ」
「髪の毛は燃えるし焦げるんだけど……」
「もう自爆しない方向で頑張ろうか」
「なら、いざと言う時に盾になってくれる誰かが居ないと難しいわね。私、遠距離系だから」
「実はちょっとした人材を知ってましてね? まあ、ただの人間で素性も知れないけど、功績はとりあえずある」
「その人、信用できるの?」
「まあ、そこそこ。で、遠くまで所用で出かけるんだけど、世間知らずだから旅の仲間が欲しいんだと」
「奇遇ね。私もちょっと所用で出かけなきゃいけないんだけど、その人は使えるの?」
「うん、まあ。護衛対象数名と、一般市民を二桁くらい? それと、英雄相手に英雄を相打ちで助けたって実績も有る。傷だらけだけど、少なくとも壁や盾になるくらいは出来そうな奴」
「料理は出来るの?」
「それなりにね」
「んじゃ、雇おうかしら。といっても払うのはニコルだけど」
そう言ってマリーは意地悪そうに、けれども屈託の無い笑みを浮かべていた。
なんだろうか。この、悪友と言うか、高校時代のようなやり取りは。
少なくとも、こういうやり取りは良いなあと思えた。
――☆──
ヤクモがマリーとそんな時間を過ごしているとは知らず、朝食後にミラノは公爵に呼び出されていた。
ちゃっかりとクラインもその場に同席しており、椅子を前後逆にして行儀悪く座っていた。
「昨日、彼の部屋に行って床を共にした──と、耳に挟んだのだが、本当かな?」
公爵の声は落ち着いてはいるが、その声の端々は微妙に震えている。
それが家の名誉を思ってか、それとも娘を想ってなのかは半々だ。
クラインも複雑な心境なようで、前に進んだ事を喜ぶべきなのか、それとも妹がそういった行為に及んだ事を憂うべきなのか半々の表情を見せている。
「それは、その──早計だったと思ってるけど」
「いや、その。なんだ──私達も良くなかったね、うん。直接彼に伝えるべきだったが、どうにも言い出しづらくてね、つい」
「いや、なんかさ。言いづらいよ。見た目が似てるから、時々『あれ?』ってなるし」
「それで……どう、だったのかな?」
「色々と大事なものを貰った!」
ミラノがハッキリとそういうと、クラインと公爵が驚きの表情を見せる。
脳裏では『婚前交渉』という四文字が浮かんでいたが、ミラノはそれに気が付かないで嬉しそうにしている。
「あのね、アイツの居た場所の上着! 丈夫だし、格好良いんだから」
しかし、その早とちりは一瞬で覆された。
それから安堵して良いのか、それとも複雑な表情をすれば良いのか判断つかなくなったからだ。
「床を、共にしたと、聞いたんだが?」
「同じ床で寝たけど? 色々話が聞けたし、アイツの──家族の、絵とか見せてもらった」
「ああ、うん。父さん。健全な関係が築けているみたいだよ? 素晴らしく良かったと思うんだけど、どうかな!?」
「そ、そうだな! 私もそれについては喜ばしいと思う!」
「二人とも、何でそんな無理に元気になってるの……?」
しかし、ミラノは理解が出来ずにいる。
兄と父親が大人な出来事を妄想しているという事実を知らずに、ただただ無垢な事柄で喜んでいたのだから。
「うぉほん! しかし、そうか。彼の家族の絵が見られたのか……」
「凄いの。片手に収まるような物に、沢山の──情報、だったかしら? そういうのが詰まってるみたい。その時、その瞬間の光景を絵として保存するとか、それを連続させる事で短い時間の光景を、音声付で保管できるみたい」
「わぁ、なにそれ。僕も見たい!」
「その中に、彼の家族の絵があったと」
「ご両親、弟、妹──それと、向うで兵士として活躍していた頃のアイツの絵が有った。それと、妹が産んだ子供の映像もあって……今更だけど、とんでもない事をした気がする」
「──ミラノ、使い魔の召喚に関しては不幸な事故としか言いようがないのだから、諦めなさい。それに……両親が亡くなっている事が、多少なりとも幸いしているという受け取り方も出来る」
「父さま、そんな言い方って──」
ミラノが文句を言うよりも先に、椅子が軋む音が部屋にうるさく響いた。
クラインが椅子を傾けただけなのだが、その表情は明るくない。
「父さん。他人の、しかも親が亡くなっていて良かったという発言は、流石にどうかと思うよ」
彼も同じく、不愉快そうにしていた。
感情的に怒りを見せたミラノとは違い、クラインの怒りは理性的な怒りだった。
公爵も感情的な怒りに対しては幾分馴れてはいたが、理性的な怒りと言うのは対処が難しい分気圧される。
「言葉が足りなかったのは謝罪しよう。だが、考えてくれ。彼が帰りたいと喚き散らした所で、何が出来ると言うんだ?」
「確かに、そうだけどさ……」
「召喚した使い魔を送り返す、そんなものは聞いた事が無い。契約を切れば強制力がなくなるだけで、どこかに行くだけだ。英雄達は再び呼ばれるまで世を見守るだけと言う。しかし、生きた人間の場合、どこの国の人物かも分からない場合はどうしたら良いのか」
「う……」
「失わせた事を留意するのは良い。けれども、どうしようもない事なら考え続けた所でどうしようもないんだよ。今の私達に出来る事は、彼を受け入れ、帰るにしても居残るにしても、家を提供してあげるくらいだ。判るね?」
公爵の言葉に、二人は理解を示した。
実際、家族が居て家に帰りたいと言われていたならば処遇に困っただろう。
けれども、ヤクモは両親が既に亡くなっている事を挙げて、積極的に帰りたいとは言っていない。
将来がどうであれ、暫くは居続けるだろう。ならば、居場所を与えようと言う事だ。
帰る家を持たぬのなら与えよう、居場所が無いのなら与えよう。
それで落ち着くのならばよし、帰りたいと願うのならそれも良いだろうと。
「──それに、二人とも重く捉えているけれども、そんな話ではないと思うがね」
「どういうことかな」
「人に話せると言う事は、一定の踏ん切りがついているという事でもある。私やミラノがクラインに関して語らなかったように、気持ちの整理がついていない事は他人に語るのは容易ではないのだ」
「つまり、父さまは……アイツには、未練は無いと言いたいの?」
「そこまでは判らないが、人に話せないくらいなら抱え込んでいるはずだと考えるよ」
そう言ってから公爵は息を漏らした。
「私の裁量で出来る事は何でもしよう。それくらいの事を彼はしてくれたのだから、ミラノが受けるにしろ受けないにしろ私はこの家に迎え入れるつもりだった。だが、すれ違いは起きているとは言え……ミラノが否定的じゃないのは、お互いに良かったと思ってる」
「お互いって──」
ミラノが何かを言いかけるが、公爵が言葉を続けたが為にかき消される。
「ミラノ。好きに生きなさい、自由に生きなさい。この五年間、君にはあまりにも多くを強いすぎた。その根っこが──あの子であるとしても、その為に犠牲にしてきたものが多いはずだ」
「父さま、止めて。そんな……私は、それが自分のやるべき事だと思って、勝手にしてきただけ。喩え立場が逆であっても、アリアは同じ事をしたと思うから」
「いや、言わせてくれ、ミラノ。私は、幸せになって欲しいと、自分を許せるようになってくれと──ただ、そう思っているのだ。父として、家族として、同じ血を分かつ者として。もし彼と一緒で幸せだと言うのならそれで良い、別の相手で有っても構わない。幸せであってくれれば、それだけで良いんだ」
父親としての言葉だった。
ミラノはクローンされた人物ではあるが、記憶や過去全てがアリアと共同のものを持つ。
ただ、自分がホンモノか、ニセモノかと言う意識でそれぞれが違うだけに過ぎない。
だからこそ、過去の記憶やかつてアリアだった記憶から、その言葉が本心だと言う事を理解する。
僅かには家のためと言う打算も有っただろうが、強制力ではなく自主性を重んじた。
つまり、押し付けた婚姻ではなく、不義理だとか断られたと言う事にもならない。
「まあ、僕としては自分と瓜二つの相手と言うのがどうしても違和感が有るけど、賛成だよ。それに……また、彼はやらかしてくれたみたいだしね」
「何をかな、クライン」
「アリアの身体を治せるかも知れない薬を、彼が用意してくれたとか。身体が弱くて、詠唱すらままならない今の現状を打破してくれるだけじゃない、失った魔法を──無を、取り戻せるかも知れないんだって」
「──彼は、どこまでしてくれるのだろうね」
公爵は、懸念が深まっていくのを感じた。
それはヤクモが優秀であればあるほど、他国や他家等に行かれるのが困る人材になっていると言う事実だ。
もしかしたらなんでも出来るのかも知れない。それこそ、自分達の知り得ない知識や技術で。
周辺国だけじゃなく、国内ですらきな臭くなっている現状で、去られるならまだしも敵対する事だけは避けたがったのだ。
「父さん。あまり言いたくないけど……他に行かれたくないね」
「──いや、彼の望みならそれを支えるのが道理だろう。ただ、それは敵対する事を許容するものではない。だが……見返り無く行った善意に対して、脅威を持ってあたるのは恩知らずにも程があるね。だから、出来る事をしながら願うしかない」
「あの、父さま、兄さま? なんで、こう……仕事の話になるの?」
「うぅ、ゴメンよミラノ。なんか、こう。色々考えると、やっぱりこういう方向に行き着いちゃって。いや、そうじゃないんだ。感謝してるし、有り難いんだけど──こう、良い事があると、その落差が怖いと言うかさ」
「兄さま、アイツと同じ事言ってる」
「えぇ~……」
ミラノが笑う。その朗らかさに、公爵は表情には出さずに驚いた。
似ていることで常に比べられてきたのはヤクモの方だったが、それが逆転している事も驚きなのだ。
クラインは似ていると言われて微妙な顔をしているが、逆でも似たような反応をしていただろうと想像するのは難しい事ではなかった。
「じゃあ、ミラノ。やりたいようにしなさい。私は話を進めておこう」
「たぶん驚くだろうな~」
「驚くと言うよりも逃げたがるんじゃないかしら」
「ふむ、なぜかね?」
「アイツが今まで、自分の考えてもいない与えられたもので喜んだことはある?」
「うん、間違いなく嫌がるね……」
自分の事のように頷くクライン。
ミラノは間近で見聞きしているが、簡略的な叙任の時も嫌がっていたし、英雄扱いされてる時も常に顔を顰めている。
素直に喜んだのがベッドと食事の改善ぐらいだ。彼女達の価値観では理解できぬものであった。
「──ねえ、その話って急ぐものなの?」
「いや、別に急ぎじゃない。けれども、既に申し込みが有る以上は楽観視は出来ない。その大多数が彼の一声で切り捨てられたが、それでも一人残っているわけだから」
「けど、確かニコル辺境伯自身は別に乗り気じゃないんだよね? マーガレットさんがどうしてもと言うから出しただけで。なら、焦ってお互いに悪い方向に突き進むよりは、地固めをしたほうが良いんじゃないかな?」
「クラインもミラノと同じ考えか」
二人は頷いた。
公爵は多少急いででも結果を出そうとしたが、二人は逆に周囲から固めるべきだと言った。
身近な人間の意見の方が、おおむねその通りだろうと判断し、公爵は頷いた。
「そこら変は、私よりもよく話をし、密接な関係を作っている二人の意見を尊重しよう」
「ありがとう、父さま」
「──ミラノ、アリアの様子を見てきなさい。あの子も、もう苦しい思いをしないで済むのならその方が良い。そしてそれは、少しでも早いほうが良い」
「それじゃあ、僕も一緒に行くよ。ミラノだけだと、たぶん強く拒絶されたら何も言えないだろうし。そこは──まあ、嫌われ役でも、なんでもするさ」
クラインが席を立ち上がり、ミラノと共に退室する。
そして二人が向かった先はアリアの部屋であり、今日は体調を崩して寝込んでいる。
そういう時、カティアは決まって彼女の傍に居た。
学園に居た時もそうであり、そうする事が利になると言うことも有ったからだが。
アリア自身が、ミラノの世話になる事を申し訳ないと思っているからという事情もある。
ミラノも、余程の事が無ければ深入りしないようにしていたが、カティアの存在がお互いの助けになっていた。
「アリア、大丈夫?」
「ごめん、姉さん。ちょっと、知られたって言うので、疲れちゃったみたい……」
「カティ。ありがとね、いつも面倒見てもらって」
「私が好きでしている事ですわ、ミラノ様。クライン様もアリア様も、どうかお気になさらず」
そう言って、カティアは部屋の主の代わりに出迎えようとする。
けれども二人はそれを断った。長居をするつもりは無いと。
ミラノはスカートのポケットを探って、ヤクモに貰った物を出した。
「それ、は……?」
「これは──」
「ラムセスに無理を言って貰って来た。僕が寝込んでいた時も、父さんが色々な治療法を試していた傍らで、ラムセスも新しい技術や知識、薬草を学んで居たのを僕は知ってる。ツアル皇国の、ヤマトの秘薬と呼ばれるものらしいよ」
クラインがミラノを制するように、口頭で説明する。
アリアには確認のとりようがない話だし、実際に公爵が様々な人に様子を見させていた事実なので強ち嘘でもない。
けれども、素直に言った所で拒否されるか反発されるかもしれないと考え、嘘をついた。
そのやり方にミラノは誰かさんを思い出したが、それは今言わないでおいた。
「兄さん、本当……?」
「ただし、これで絶対に楽になるかは正直分からないよ。絶対に治ると明言してあげたいのは山々だけど、それでも──僕は可能性が有るのなら縋りたい……って、これは父さんが僕の事をどうにかしたいっていってた時の言葉、そのまんまなんだけどね?」
「──……、」
「ただ、味は不味い。非常に不味い。良薬口に苦しって言うらしいけど、その分効果もあるんじゃないかって思って──ダメ、かな?」
クラインは薬の出所を誤魔化し、半分嘘、半分本当と言う『誰かさん《ヤクモ》』と同じ事をしていた。
それを聞いていたミラノは、考え込んでしまう。
嘘をつくのは悪い事だと思っていたが、それを吐いている本人も色々辛いのだと。
そして嘘を吐いている時のクラインの言葉を聞いていると、似たような物言いをしている瞬間を連想させた。
――嘘を吐かれている、しかも優しい嘘を吐かれているのではないかとミラノは考えてしまった。
ミラノを他所に、クラインは出来る限りの説得の言葉を並べてから──強制しなかった。
好きにしなと、信じるも信じないも自由だし、こちらは語る言葉を尽くしたと。
その態度でさえも、今のミラノには誰かと同じに思えた。
アリアは迷っていたが、首を横に振っていた。
「──ごめんね、兄さん。けど、私……」
「ん、だと思った。ミラノ、無理に飲ませよう」
「え、え!?」
「ごめん、アリア──」
廊下を歩いている最中に、クラインとミラノで「こうなるだろう」という予想はあった。
だから、出来ることをする。その上で、断られたら強硬手段に訴えるとクラインは言った。
クラインは戸惑っているアリアを逃げられないように拘束すると、ミラノは薬を飲ませようとする。
しかし、ビン口を近づけると首を振って地味に避けるアリア。
そんなアリアの顎をクラインが掴んで固定すると、ミラノが無理に飲ませた。
喉を薬が通っていくのをちゃんと見届け、全て飲むのを確認してから二人は離れる。
「アリア。ミラノや僕に申し訳ないと、苦しむ事で罰や罪に向き合っていると言うのは、許さない。元気になって、まずは謝って欲しい。それから、今のアリアじゃなくて元気になったアリアで何が罪滅ぼしになるかを考えるんだ」
「けほっ……」
「それに、僕は悲しいと同時に怒ってもいるんだ。まさか、全部自分が悪いとか……そんな事、考えてないよね?」
クラインがアリアを詰めていくのを、ミラノは見て居ることしか出来なかった。
記憶の中でのクラインは、優しくて他人の為に自分を投げ出すような人物だったからだ。
それが、今目の前のクラインは柔和ながらも怒りを見せている。
ミラノ自身が本来言うべきだった事柄を、クラインは正負全てを引き受けて叩き付けた。
「アリアがしているのは、逃避だよ」
「だって……」
「まあ、本当ならその愚痴を聞くべきだったのは僕で、五年も空けてたから言えた筋じゃないんだろうけど。まず元気になること、それから──ミラノや父さん、母さんに言えなかった事は僕が聞くよ。悩み、辛み、愚痴、相談……なんでもね」
「──……、」
目的を達したクラインは、そのまま部屋を出て行く。
ミラノも慌ててその後を追いかけるが、カティアに「あとお願い」と言って去った。
部屋に残されたアリアは、微妙に甘苦い薬に噎せながらも落ち着こうと努力している。
そんなアリアに水を持っていきながら、カティアは背中を撫でた。
「大丈夫?」
「うん、大丈夫……。けど、ごめんね。また、ちょっと調子悪くなるかも」
「構いませんわ。どこかの誰かさんはご立派過ぎて、気が付いたら倒れて運び込まれた時くらいしか出番がありませんもの。それに、役に立てる方が嬉しいから、気にしないで欲しいかしらね」
「優しいね……」
「アリア様には、お世話になったから。ささやかにでも、そのお礼が出来れば良いなって思ってるもの。──魔法とか、礼儀作法とか、人としての在り方とか……色々」
「それくらいしか、出来なかったから──」
カティアから水を受け取り、コクリとそれを飲むアリア。
そして後味の悪さなどを含めて流し込むと、再びベッドに横になる。
「ちょっと、寝るね?」
「それでは、部屋の中で自由にしてますわ」
「うん、ありがと……」
カティアは本を取り出して、ゆっくりとその文面へと目を滑らせた。
アリアはそんなカティアが、学園に現れてからいつもの日常のようにそこに居てくれる事に安堵する。
そして突然拘束されたこと等から、やはり衝撃が来たらしくて体調が崩れる。
それでも苦しむ事無く、それよりも先にアリアの意識が途絶えたのは幸いな話だろう。
──そして、カチリと。今まで無理矢理歪められながら接続されていた魔力回路が復帰した。
徐々に発熱などが発生し、意識の無い中で今までの不調の全てが正常化されていく。
アリアは翌日になるまでベッドから起き上がることも出来ず、カティアの看病を受ける事になった。




