62話
ミラノが父親をぶん殴って、血だらけになって帰ってきた。
血が苦手だったのではないかと思ったが、どうやら『俺が流血や負傷』する事で、自動的にクラインに置き換えられてしまうらしい。
仕方ないね、殆ど似てるもんね。それに、血の量にも関わるらしいので、鼻血じゃそこまでじゃ無いとか。
……それでも、返り血を浴びてるのがとても気になるのだが。
「今日は行ったり来たりと大変だな」
「そう思うのならせめて起きてくれない?」
「ちょっと、本当に、もう……。色々ありすぎて、心が折れた。俺、実は人間関係が大の苦手で、仕事以外で人と関わると直ぐ疲れる……」
「そんな繊細には見えないけど」
「育てるより壊す方が気兼ね無いとも言うし。軍隊は家族のようなものだから仕事な上他人じゃ無いという考え方も出来るんだけどなあ」
「なら育てる努力をしなさい、努力を」
「それが出来てたら、さっきみたいに仕事の話が優先で出てこないっての……。本気で、仕事以外のやり取りが苦手なんだよ。つまり、俺が神聖フランツ帝国に行ったらどうなると思う?」
「死ぬでしょうね、色々な意味で」
「英雄万歳なお国柄らしいから、今とは違う待遇でストレス抱えるわ」
「”すと”……なに?」
「精神的負担とか圧力の事。気安い上に気兼ねない関係なら良いけど、見知らぬ奴が持ち上げたり噂話をしてると思うと腹が痛くなる……」
「仕事だと思えば良いじゃない」
「外交関係の仕事は俺の分野じゃない、父親の分野だからなあ……。俺の分野は専ら戦う事にしかないし」
生きた人間が一番怖い、もし良い人間がいるとしたら死んだ人間だけだ。
何故なら、陰口を叩かないし、害意も敵意も発しない。
しかも派閥に属するとかそういうことも無いので、気が楽である。
友好的でないのなら、敵であるほうが好ましい。そんな奴はマトモじゃない。
「──けど、これからも生きていくんだから、一通り体験しておけば後で困らないでしょ。挨拶をしに行くだけなら難易度も低いだろうし、少しチヤホヤされて帰ってくるだけと思えば」
「確かに」
「だから、切り替えが早すぎ」
「切り替えなきゃやってられないっての……。ミラノがいきなり『それじゃあ、明日から最前線で戦って来い』って言われたらどうする?」
「それが指示なら言われたとおりにする、それが当たり前じゃない」
「けど、個人的にはどう思う?」
「怖くない──って、前なら言えたんだろうけど。正直、あんな事があったから、色々考えちゃうかも」
「そゆこと。アイアスから聞いたんだけど、あそこの国は英雄を集めたがるらしいから、下手すると取り込み工作とかもありえる」
「──ホント、そういう事は直ぐに思いつくのね」
「常に最悪を考えて生きてるって言って欲しいかな!?」
俺が喚くとほぼ同時に、カティアがミラノにお茶とお菓子を用意してくれた。
そのお菓子は公爵夫人から貰ったもののようだが、彼女的にはそれを振舞っても良いと判断したのだろう。
俺はベッドから動かずに居る。気分が沈みこんでいる以上、燃料切れを起こして動けないのだ。
「カティ、アイツの分は用意しないの?」
「ご主人様は、疲れきって梃子でも動きませんわ。と言うか、動く気力が尽きてるのでしょうけど」
「ふ~ん」
ミラノはそう言ってから暫く考え込む。
真面目な様子だけれども、何だろうか。
もしかして見合い相手が何名か残ったとか、今更増えましたとかそういう話じゃないだろうな?
ちょっとそれだけは勘弁願いたいが。
「カティ。悪いんだけど、少しだけ席を外してくれない?」
「私は構わないけど、居たらダメ?」
「あまり人に聞かせたくない内容だから。アリアが体調悪そうにしてたから、様子を見に行ってくれる?」
「分かった。暫くしたら戻るわね」
あれ、おかしいな。カティアの主人は俺だよな? なんでミラノの言う事を聞いてるのだろう。
……あれだな。ただ上についているだけの無能上司と、適切な判断や交流が出来ている更に上くらいの違いか。
なんか寂しいが、現実とはそういうものである。
カティアが部屋を出て行ったのを見て、俺は再び仰向けに転がってミラノを視界に納めた。
しかし、彼女が足を組んだときに見えちゃいけないエリアが見えそうになって反射的に跳ね起きた。
「燃料切れ、ね」
「あ~、なんかいきなり活力が湧いて来たぞぉ!?」
逃避行動の素早さだけは部隊一である。
市街地で「カラン」なんて音がしたら、速攻で手榴弾を室外に蹴飛ばせる位には早い。
なお後になって、蹴飛ばした模擬手榴弾が敵役二曹の脇を掠めたらしく、文句を言われたのは遠い記憶の中での話しだ。
「ミラノ? 人の目線が低い時に足を組むのは止めようね?」
脳裏で「見とけよ~」と言う悪魔が甘美な提案をして来る。
しかし、直ぐに「や~、それダメっしょ?」なんて、ゆるい天使が現れる。
さあ、勝負が始まるかなと思ったが、直ぐに「痛い目にあうのは嫌だもんな」で合意となった。
男としての欲が、保身に負けた瞬間である。
「──見たの?」
「見る前に飛び起きたわ! 見てたら蹴られる、見てないって言っても気づかれたら同罪。それくらいなら飛び起きるね!」
「マトモなんだか臆病なんだか……。と言うか、仮にも主人が来たんだから、寝てないで起きなさい」
「……と言ってもなあ。珈琲無いかな、珈琲。お茶ばっかりで頭が馬鹿になりそう……」
「それ、遠まわしに私達を馬鹿だって言ってる?」
「いや、そうじゃなくて。珈琲は、覚醒作用があるんだよ。すんごく苦いけど、目が覚めるんだ。牛乳と砂糖で若干まろやかにして甘みを出すと美味しい」
「珈琲って教会の人が使うものでしょ? 何で飲むの」
「珈琲の豆を加工していくと、お茶みたいに飲めるようになるんだよ。苦いから目が覚めるし、集中したい時や疲れたときに飲むと良いんだ」
「アンタの居た場所って、大分違うのね」
「不寝番をする時、どうしても眠くなるし。部隊の特徴として疲れてても活動しなきゃいけないから、どういうのに便りがちなんだよ。ただ、摂取しすぎると身体を壊すけど」
「──変なクスリみたいね」
「あのですね? 一応同じ成分が紅茶には入ってるんですよ? ただ、その比率が違うだけで」
「へ~……」
なんて、また無駄な話をしてしまう。
眠気と変な興奮が混在した状況で、俺は仕方が無いなとストレージからとある品を出す。
「アンタ、また不思議な魔法使って──」
「これが、インスタント珈琲。液体に溶けるから、濾過する必要が無い奴」
「私の話聞いてないし……。で、”いんすたんと”ってなに?」
「手間がかからない、お手軽って意味。あんまりこれを使うと、在庫がなくなるから嫌なんだけどな……」
俺はカティアが用意したお湯を使う事にする。
家で飲む時はジョッキ大くらいに一杯分を並々と作って、それを飲むのが主流だ。
しかし、今はそんな容器が無いので我慢するしかない。
珈琲スティックだから一杯分の調整はされているし、さっさと作る事にする。
――お湯を注げば良い匂いがする、懐かしい香りだ。
どうやら此方ではまだ珈琲が飲料にはなっていないみたいだし、自腹を切るようだが仕方が無い。
「黒くて、飲めるように見えないんだけど。香りは──良いわね」
「このままでも飲めるけど、牛乳と砂糖を足すと丁度良くなるんだ。ほら」
「チョコレートみたいね」
「そう見えなくもないけど、言われたらチョコレートも食べたくなってきたな……」
「食べる? 飲み物でしょ?」
「え、食べ物だろ?」
「飲み物よ。今度見せたげる」
「嬉しいね」
俺は珈琲を口にする。
久しぶりの珈琲だ、熱さに苦味、牛乳のまろやかさと少しだけの甘み。
飲んでいると心臓がバクバクして若干自分の最期を思い出してしまうが、努めずとも忘れられた。
「うん、苦いけど美味い!」
「それ、本当に集中できるの?」
「俺は、だけどね。さて、と──目が覚めてきたから始めようか」
「始める? ――あぁ、そうね」
「止めてね? カティアが何で追い出されたのか分からなくなるから!」
「自分が知らない事を知れるのは、面白いから良いんだけどね、っと」
ミラノがお茶を飲み干し、そのカップを俺に向けて傾ける。
おかわりだなと思って注ぐと、どうやらそれで正解だったようだ。
そして、話の内容は何と無く想像はついた。
お茶を淹れると言う事は、長居するかも知れないと言う事でもある。
そうでなくても、喉が渇くだろうと見越して淹れる事だってある。
つまり、真面目な話だ。長くなるのなら話し合いで、短いのであれば決断の居る事柄だ。
「話してみな、やらかした事……」
「やらかした事?」
「ちょっと真面目なフリ《ダイ・ハード》をして見ただけだよ。まあ、内容は想像つくけど」
「……私たちの事を聞いたんだって。兄さまから聞いたから、そのことで、ね」
「あぁ、アレか」
珈琲を飲み干して、足りないなと思いながら俺もお代わりをした。
ちと吐き気がしたが、胃が弱ってるのかも知れない。飲み過ぎないようにしよう。
「まあ、ちょっと色々あってね。その過程で、何でか知る羽目になったんだ」
「経緯は今は省くけど。それを知って、どう思うし、どう考える? 言いたいこと、聞きたいこと、吐き出したいこと──色々あるでしょ」
「マリーと同じ言い方をするなあ……。けど、正直どれも無いって言って……納得は、してくれないか」
「当然」
「ん~、どう言えば良いんだろうなあ」
「難しく考えなくて良いでしょ。簡単に言えば良いんだから」
「面倒くさいし、どうでも良いうえに気にしてない」
「人の事を捕まえてどうでも良いって言い切るのは、たぶんアンタくらいね」
「じゃあ、どうされたい? 同情して大事にされたいのか。それとも遠慮や配慮で距離でも置いたほうが良いかな?」
「どっちも嫌」
「んじゃ、今までどおりで良いって事だろ? なら、それで良いじゃないか」
俺がそういうと、ミラノは文句は無さそうにした。
二杯目の珈琲を飲むと、少しばかり気分が悪くなった。
まさか、カフェイン中毒は引きずっているのだろうか? 止めて欲しい。
俺は朝昼夕の三回と、休憩時間毎に珈琲を飲むのが好きなだけなんだ。
「──ねえ、聞いても良い?」
「ん、なに?」
「どうして、優しくできるの?」
「優しいか? むしろ、無礼だとか失礼だとか、無遠慮って言葉の方が似合うと思うけど」
「じゃ無いけど。普通世話になったからって、命を投げ出したりしない。それに、知り合って間もない人の為に命を投げ捨てたりもしないし、寝たきりの病人の為に薬を使ったりもしない」
「じゃあ、飛び切りの馬鹿だって事だ」
「真面目に、答えてくれる?」
言葉を区切ってくるミラノ。つまり、真面目に答えろと、強制しているのだ。
俺は仕方が無いなとため息を吐いて、言葉を選んだ。
「──ミラノは、自分がされて嫌な事って無いか?」
「色々と思い当たるけど、無いとは言えない」
「そういうのを体験したり、経験して。どう思う?」
「そりゃ、嫌だって思うけど……」
「それを誰かにしたいとは?」
「思わない」
「それで良いと思う。けど、俺は──たぶん馬鹿なんだろうな。自分がされて嫌だったから他人にはしないんじゃなくて、自分がされて嫌だったから、逆の事をしたくなるんだ」
「──どういうこと?」
「分かりやすいのだと。優しくされる事がなかった、だから他人には優しくしようと思ったとか──かな」
情けは人の為ならずとも言う。あるいは「愛されたいなら、まず愛せ」だろうが。
それに、ネットやニュース、現実において人間の負の面は幾らでも見てこられる。
だからこそ、反対に位置したかったとも言える。
天邪鬼なのかも知れないが、それでも──悪意や害意だけは抱かないようにしてる。
「他人を許せない人が、自分だけ許してもらおうだなんてムシの良い話だし。誰かを助けられない人間が、自分だけ助けてもらおうだなんてのも通らない話だ」
「──つまり、アンタは優しくされたいし、助けてもらいたいって事ね」
「なんでそうなるんだ。今のは喩えだって言っただろうに」
「けど、喩えがなくてもアンタのしてきた事をそのままアンタに当て嵌めれば、その通りにならない?」
やっべ、迂闊すぎたかな。
けど、俺は少しばかり息を吐き出して話題をそらす。
「何にせよ。俺がその事でミラノを罵ったりしたとしたら、それはきっといつかどこかの誰かに同じように罵られる事にもなる。自分のした事は、同じように他人にされるって考えたら良いと思う」
「って事は──」
「止めてね? 俺の事分析しようとするのも、踏み込んでこようとするのはマジで止めて。そういうの馴れてないんです、対人関係の能力が低すぎて怖いんです、理解していただけます?」
「アンタだけ私達の秘密に土足で踏み込んできてるじゃない」
「自分から好き好んで踏み込んだわけじゃないので理解してもらえませんかね? と言うか、完全に事故なんで、結果的に丸く収まったけど不本意な展開なので、許して下さいお願いします」
ニコルに資料を見せられなければ、完全に知る事が無かっただろう。
ミラノの誘拐が身代金だとかそういうのではないこと、実はミラノが複製された人だということ。
いや、もしかすると知らずに居てもニコルの領地を訪れたら知っていたかもしれないから、前後しただけかも知れないが。
「と言うか、ミラノって殆ど当時のアリアと同じなんだろ?」
「同じ記憶、同じ性格、同じ背格好、同じ声、同じ外見をしてるし。魔法も──そうね、本来であればあの子が使えた無も、使える」
「と言う事は、だ。人間じゃん」
「人間は人間からしか産まれない」
「いや、違う。人間ってのは、人の間で生きるって書いて、人間なんだよ。ミラノは今まで──この五年間、あの学園でいろんな生徒に混じって生活してきた。その中には良い想い出も有れば、悪い想い出も有るかもしれない。けどさ、生きてきたんだ」
「──……、」
「なら、人間だよ。立派に。そもそも、さ。あの学園だけでも、色々な国の人が居て、色々な考えをした人が居て、色々な理念や信念をもった人が居るんだ。なら、ミラノだけ違うって事は無いだろ」
そう言ってから首裏を撫でた。当然のように何かを見透かされようとする。
「──とは言え、流石に人の姿をしてませんとか、時々人を殺したくてたまらなくなるとかだったら、ちょっと遠慮したいけどな」
「それ、出自が何であれ遠慮したほうが良くない?」
「つまり、ミラノは遠慮しなくて良い相手って事だろ。おめでとう、君は立派な人間だよ」
少し演技がかってしまったが「お~、ホレイショ」なんて言わないだけマシだ。
しかし、ミラノに見透かされかけたが──事実だった。
誰かを許す事ができない奴が、許されるわけが無い。
誰かを助けられない奴が、助けてもらえる訳が無い。
優しくできない奴が、優しくされる道理だって無いのだ。
けれども言葉には出さず、行動のみによってそれを求める。
きっと、口にしたなら誰かはそうしてくれるだろう。
そうじゃない、そうじゃないんだ……。
「どういう風に生きてきたら、そういう風に寛容になれるのかしらね」
「寛容と言うより、無頓着とか興味が無いっていう言い方も出来るけどね」
「なら、その無頓着と興味が無い事に私は救われたのかもね」
「普通なら怒るとこなんだろうけどなあ……」
お前の家柄とか良くわかんないし、お前の過去とかどうでも良い。
そう言われたら普通の人だったら怒る。むしろ、キレてもおかしくない。
けれども、ミラノは本当に嬉しそうに、俺がそうであったことに感謝すらしているようであった。
大した事はしてないし、感謝される云われもないんだけど……。
なんだか、俺は彼女を騙したみたいで心が辛くなった。
「──はぁ、仕方ない。何か俺の事で聞きたい事が有ったら答えるよ」
「どうしたの? 急に」
「まあ、本来知らない方が良い事を知ったわけだし、それでミラノやアリア──クラインや公爵にも変な動揺をさせたんだし。それくらいの対価は差し出しても良いかなって思えたんだ」
「聞きたいこと、ね」
「ただ、答えたくない事はハッキリ嫌だって言うからな? それに、俺だって──答えられないことも有るし、思い出せないこともある」
俺がそう言うと、ミラノは少しばかり考えた。
そして腕を組んで色々考え込んだり、何が良いか選定して居るようにも思えた。
その間に俺は二杯目を飲み終えて、牛乳のみを飲む事にした。
骨のお友達は常に補充してやら無いと骨折とか大変だ。
そうじゃなくても、牛乳が好きだから良いのだが。
「誰かを、好きになった事はある?」
「まあ、何度か──というか、何度も有るよ。けど、俺が好きになった人は、だいたいその時にはもう相手が居た事が多かったかな」
「なに、そういう趣味?」
「そうじゃない。誰かを好きになって、相手を意識して知っていったら、既にその人には相手が居たって事。一番辛いのは、好きになった相手から『結婚しました』って報告される事だと思う。だって、どうしようもない終着点にたどり着いてる訳なんだからさ」
「その人たちって、共通点が有ったりするの?」
「共通点は──明るかった事、かな。それに……」
「それに?」
「俺は、まあ、こんなだからさ。活動的、って言うのかな。前に進んでいく、成長していく、進歩していく女性ばかりだったかなって思ってる。だけど──」
俺は、やっぱりこんなだから。好かれても迷惑だろうし、足を引っ張りかねない。
そう言いかけて、俺は誤魔化した。
意味の無い言葉を漏らして、何を言おうとしたのか分からないように頭をかいた。
「まあ、とにかく。誰かを好きになった事はあっても、好かれた事はないし、実った事もないよ」
「けど、好きになるくらいに近い場所には居たんじゃないの?」
「何でそう思う?」
「アンタは、遠い存在には興味が無いみたいだから。必然的に、近くに居る人物って事になると思って」
「まあ、正解。三人は学校の同級生だった、二人は後輩だった、二人は先輩だった。一人好きになって、ダメになる度にだいたい父親の都合で国を移動してたから、全部違う場所での出来事だけど」
「気が多いのね」
「まあ、俺も所詮男だしなあ。綺麗事は言うけど、そういった所まで否定できるほど出来た人間じゃないし」
性欲だってあるし、欲望だってある。
口にしたらたぶんドン引きされるだろうが、女性を求める気持ちだって当然持っている。
ただ、昔ほど恋愛に対して求心的ではなくなったのに、恋愛幻想だけは強く抱いている。
「アンタが女に目移りしてる所を見た事無いけど」
「目移りする余裕が無かった上に、そもそも今の段階じゃそんなに女性って居ないだろ……。ミラノ、アリア、カティア、マーガレット、グリム……くらいじゃないか?」
「あの~、一つ気になるんだけど。何でカティアが混じってるの?」
「女性っちゃ女性だろ」
「年下過ぎると思わない?」
「あの、ミラノさん? 俺が二十だとして、貴方様は幾つであられますかね?」
「十四だけど?」
「既に六も離れてるんですがね? 俺からみたら全員若いって」
「二十歳くらいになると、みんな落ち着くのかしら」
「さあ、どうだろ。人によりけりだと思う。絶対なんてこの世にはありえないし、俺が提示できるのは可能性くらいだから。俺みたいに──まあ、普段ノンビリしてるのが好きな奴も居れば、普段からちゃんと鍛錬や修練に励む人も居ると思うし、逆もまた然り」
「どんな人が居ても構わないって訳ね」
「だって、沢山の人が居るんだから、価値観だって当然違う。俺が誰を嫌って、誰を好くかも自由だし、同じように誰かに好かれるのも嫌われるのも自由」
「──自由って、恐ろしくない?」
「恐ろしい? なんで?」
「だって、分からない事だらけじゃない。私には、想像がつかない」
彼女はそう言って、目を伏せた。
たぶん、本当に怖いのだろう。自由が、或いは自由と言う不自由が。
束縛されていれば誰かが必ず道を示してくれるが、自由ではそれが無い。
方角も、行く先も、周囲でさえも分からない状況に身を置く……。
それが、どれだけ恐ろしいかを考えたのだろう。
「良いじゃん、怖くて」
「え?」
「忘れてませんかね、ミラノ様? 俺、この世界の事何も知らないんだぜ? それでも、引き篭もらずに何とかやってこれてる。なら、この世界に俺よりも長く住んでるミラノの方が、もっとうまくやれる」
「──……、」
「失敗しても死ななきゃ安い失敗だよ。実際に死んだ俺が言うんだ、それだけは間違いない。それに、失敗してもいつか笑い話に出来る日が来る。さっきの俺の話みたいに、他人が聞いて笑えるのならそれで良いじゃないか。俺はもう向き合えてる、なら──その失敗は隠すよりも誰かに言ってしまったほうが、もっと笑い話になる」
「できる、かな」
「出来るか出来ないか、そんな事を悩んでる内に月日はすぐに過ぎ去る。悩む理由が怖いだけなら挑戦すれば良い。けど、挑戦する理由が恐れから来るのならそれは止めておいた方が良い」
「誰かの言葉?」
「誰かの言葉だよ」
俺の人生は、誰かの借り物ばかりだ。
それでも、俺自身が「良いな」と思ったものばかりでもある。
俺が文学を好いていて良かったなと思うのは、そういう時だ。
喩え創作でも良い、或いは歴史上の人物であれ、哲学者であれ、政治家であれ構わない。
正しくあろうとする為にも、強くあろうとするためにも、挫けない為にも言葉は必要だった。
『歴史において、負け知らずとは一時の事でしかないと語られる』
『退路を自ら断つ時、人は容易に、より果敢に戦う』
『もし誰かが夜でも安らかに眠れる時があるとするなら、その対価は他の誰かが支払っている』
『恋愛の数から一引いた数だけ、失恋は存在する』
『優れた人間は、不幸で、より苦境の中でじっと耐え忍ぶ』
色々有るが、そういった言葉を親の言葉の代わりにしてきた。
存在の代わりには出来ないが、心強い内なる言葉だ。
「さすが、人生の先輩は違うのね。頼もしく聞こえる」
「十分若造だけどね。――さて、質問はおしまい。カティアを迎えにいこうか。アリアの様子も見ておきたいし」
「あ、待って。最後に一つ……ちがう、二つ聞いても良い?」
立ち上がった俺の服を、ミラノが掴んだ。
それは本当にギリギリで、後一瞬だけでも遅れていたなら俺は掴まれもしなかっただろう。
彼女がそこまで問いたいことは何だろうかと、俺は立ち止まった。
「アンタに……、アリアは治せない?」
「……分からないし、約束は出来ない。たぶん身体くらいなら治せるかも知れないけど、無の魔法までどうにかして欲しいというのだと、不安はある」
「──そう。けど、どうして妹の事は今まで一緒だったのに、治そうと思わなかったの?」
「それは二つ目の問い?」
「違う、けど」
「アリアは……。なんと言うか、掴み所が分からないんだ。なんと言うか、近づかれるのを怖がってるような気がして、そういうのが躊躇われた」
「兄さまは初めて会って治したのに?」
「それは──五年も昔の事に、家族皆で囚われてるって知って、何もしないなんて選べなかっただけだ。それに、アリアがどれくらい弱ってるのか分からなかったし」
「じゃあ、お願い。出来る事をして。私に出来る事なら何でもするから」
俺は、胸の内がどす黒くなるのを感じた。
目を閉じて数度深呼吸を繰り返すと、彼女を見る事無く言う。
「出来る事はするけど、その言葉は聞かなかった事にする」
「なんで──」
「何でもするって言うのは、それこそ命を投げ出す位じゃないなら言わないほうが良い。俺がもし心無い奴だったら、どうするつもりだった? 一月の中で、酷い事をしないと思える何かを見つけたのか?」
「──……、」
「俺がアリアを助けるとしても、それは知ってしまったが故に放っておけなかっただけであって、ミラノが懇願したとか、しないとかは関係ない。それに……俺は、そんなつもりで今までやって来たわけじゃ、無いんだ」
何かが踏み躙られた気がした。
それ以上に、自分が彼女に何でも出来るのならと、浅ましい考えを抱いたのが許せなかった。
だから、彼女に対する怒気ではなく、自分に対する怒りで口を動かしている。
ほんの少し──彼女が、自分を身売りするようにも思えて、気高さが失われたような気さえしていた。
大きく深呼吸をすると、ゆっくりと向き直る。
ミラノが少し怯えたように見えたが、俺はあえて無表情を貫いた。
「アリアを助けて欲しいんだよな?」
「え? え、ええ」
「ミラノと俺の関係は?」
「それは──」
「ミラノは主人、俺は雇われの騎士。なら、立ち上がって、こっちを見てくれ」
ミラノは言われたとおりに立ち上がり、俺を見る。
身長差があるからどうしようもないが、おれはそれでも無表情に彼女を見据えた。
「主人は、自分に仕える人に”お願い”するかな」
「──しないわね」
「じゃあ、どう言うべきかは、分かってるはず」
「……妹を治しなさい。出来る範囲で良いから、最善を尽くして」
「了解」
この方がシックリ来る。
ここ数日、ミラノがなんだか近くに感じられたが、それとは別だ。
俺にとっての彼女は、立派で不敵である方が好ましい。
たとえ戦闘中に役に立てなくても、そんなものは他の誰かに任せてしまえば良い。
俺は旗を持たない一人部隊だが、掲げる人物くらいは居ても良いとおもう。
とりあえずは、彼女で──と言うところだが。
「アンタ、どういう関係を望んでるのよ……」
「え? とりあえずは、主人とその部下で良いんじゃないかな。あ、けど──ダメか。このままだと年齢的に俺が上になるのか……」
「そうなるかしら」
「まあ、今までどおりにやっていこう。俺には判らない事ばかりだから、俺に道を示してくれれば良い。何か有れば、俺ができる事をやるし色々考えるからさ」
そう言って、話は終わったかなと俺はミラノの頭を癖で撫でてしまった。
――アカン。カティアとか、幼き頃の妹や預かった子供相手じゃないんだから。
怒られるかなと思ったが、彼女は別に怒りもしなかった。
だが、再び「待って」の声で止められることになる。
「二つ目の質問がまだなんだけど」
「あぁ、そっか。で、なに?」
「アンタは、今は好きな人とかは居るの?」
その問いには、自然と素早く答えることが出来た。
「居ないよ」
~ ☆ ~
その日の夜、俺はベッドでウダウダと携帯電話を弄りながらアーニャと話が出来るのを待っていた。
カティアを迎えにいったら、アリアと楽しそうに話をしていたので手ぶらで退散。
部屋に戻ったらミラノは居なくなってるしで、なんだかよく判らない事になっていた。
変に悩むのは余裕が有るからだという、定年退官した曹長の言葉を思い出してトレーニング。
腕立て伏せや腹筋、背筋やスクワット等と室内で出来る事を繰り返す。
スクワットや腕立ての時に、昔反省でやらされたように荷物を背負ってやると、良い具合に負荷になる。
結果、普段よりも短時間高負荷でバテて、時間を置いてから再び自分を苛めるという所業。
それでも、自分を苛めていると楽しくなってくる。
明日は一回でも多く回数をこなせるかも知れない。そういうのは大好きだ。
そうやって待っていると、アーニャからの声が聞こえてくる。
『はい、アリアさんですよね? 身体が弱っていて、無系統の魔法が使えなくなってるという』
俺は肯定すると、アーニャが不満そうにしているのが聞こえた。
自分の為に特典を使わないのが不満なのだろう。
『貴方様は、いつご自分の為に特典を利用してくれるのでしょうか。なんだか、女神として不安になるのですが』
そう言われても、困るものは困る。
俺が放っておけないから、自分の為に使うんだと言っても理解してもらえない。
『ご自分が、あと何回願いを叶えて貰えるか分かってます? このままじゃ、スッカラカンですよ、スッカラカン!』
い、一回は残しておきたいかな?
せめて、どうしようもなくなった時にリセットできるくらいの暴挙はしたいし。
けれども、自分の周囲の環境を整えるってのは、結局自分の為じゃないだろうか?
『それだったら、最初から何でも出来る力を要求されたほうが良かったのでは?』
神の様に、何でもできる力?
考えてみるが、それはちとやり過ぎじゃないだろうかと思ってしまう。
『ですが、特典を消費して、回数までしか人を助けられないのですよ?』
それだったら、人助けの為にならアーニャのサポートを有限なり、無限なりで受けられるって願いの方が良いかもしれない。
そう言ったら、盛大にため息を吐かれた。
『もう良いです。人助けの為でもなんでも好きに言って下さい。それで満足するというのなら、扱使ってくださいよ……』
諦められた。と言うか、マジで受け入れてくれるとは思っても居なかった。
言ってみるもんだなと思ったけれども、アーニャのため息が響く。
『貴方様の場合だと、会う人会う人全員が困っていたら特典利用で助けかねないですから』
全員は助けられないし、助けないけどなあ。
少なくとも、『自分の世界』しか守らないし、守りたくない。
『──それで良いと思います。むしろ、その言葉すら聞けなかったら怒ってましたよ? プンプンと』
擬音を入れるとは可愛い事だ。
そんな事をボンヤリと考えていたら、トレードの要請が来た。
何だろうと見れば、アーニャに頼んだアリア用の薬が出来たらしい。
『アリアさんは、クローニングの際に本来あった、魔力の道が歪んでしまっているんです。そこの世界では、魔力の異常消費は死に繋がりますから、生命力と言っても過言では有りません』
と言う事は、魔法を使いすぎて頭痛や吐き気がするのも、生命力の低下と言えるのか。
『はい、その通りです。その魔力の通り道を綺麗に、本来あったように整えてあげれば自然と身体も治ります。ですが──』
ですが、なに?
『アリアさんの場合、身体に対して常に圧力が加えられていたと言えるので。おそらく、回復したら以前よりも身体が身軽に、或いは何かしらの強化状態になると思っていただければ分かるかな~と』
強化ギプスや、重りをつけて今まで生活してきたって認識でも良いのかな。
『まあ、クラインさん程じゃないでしょうけど。力くらいは強くなるんじゃないですかね。それじゃあ、今日はそろそろ御暇しますね』
アーニャから切るだなんて珍しい事だ。
珍しいな、何かあったのかなと考えていると、眠そうな欠伸が聞こえた。
『下界でのお仕事で、別の国にまで行く事になったんです……。それで、荷物を纏めてたら疲れてしまって……。もう、眠っても良いですよね?』
うん、ゴメン。十分助かったから、今度は元気な時に相手してね?
『はいぃ……、それではぁ~……』
それが最後の言葉となり、アーニャとの通信は途絶えた。
俺はストレージに入ったアリア向けの薬を見てボンヤリとする。
それから薬効を確認して、問題が無さそうだなと判断すると再び携帯電話を弄る。
当然、ネットなんて繋がっていない。出来る事はキャッシュに残った動画や、保存したものを見るくらいだ。
ニコニコ動画とか、youtubeで見たものも一応はデータとして残っているし、見られるだけ有り難い。
『人類は、数々の苦難を乗り越えてきた。荒廃と瓦礫の中から、再び軍旗が立ち上がるであろう』
好きな名言である。
なんか、小説でも似たような台詞を見た気がするが、世界中をひっくり返せば似たようなものはあるだろう。
それでも、やはり絶望的であっても人類は諦めないという言葉は好きだ。
まあ、人類ではない相手に地球の七割も制圧されてから言ったのでは大分遅すぎる言葉でも有るが。
そうやって眠気が来るまでベッドで横になっていると、ノックが聞こえた。
まだ消灯前、屋敷全体が薄暗くなる前だ。来訪があってもおかしくない。
しかし、俺は既に就寝中の看板をかけたのだ、それでもノックするとは誰だろうか?
「ねえ、入っても良い?」
その声はミラノのものだった。
俺はベッドから出ながら返事をする。寝たふりをしても良かったが、それは避けたかった。
指を鳴らして蝋燭に火をつけて部屋に僅かながらも明かりを灯すと、俺はドアを開けた。
そこには寝巻き姿のミラノが、枕を抱きしめて立っていた。
何だろうかと思いながらも、俺はとりあえず部屋に入れる。
「お茶は?」
「良い。寝る前だし……」
「まあ、とりあえず座っ──」
座ってくれと、椅子を引いたのにも拘らずミラノはベッドに腰掛ける。
ずっと枕は抱きしめたままだ、まるで幼い子供のようにも見える。
俺はなんだか様子がおかしいミラノに疑問を抱くが、そういえばと思い出した。
「そうだ、アリアの件だけど」
「何か分かった?」
「とりあえず、薬は出来たから後は飲んでもらえば治る──かも、知れない」
「飲ませてみないと分からない、って事ね」
俺はストレージから取り出した小瓶を机に置いた。
容器が少し装飾品のように良い見栄えがするが、アーニャが毎度毎度考えて探していると考えると少し愛おしくさえ思える。
その小瓶を指で弄っていたが、ミラノの視線が釘付けなのに気が付いて手渡した。
「んじゃ、確かに預けたから」
「預け……え?」
「俺が持ってると、脅しみたいに思えるだろうし。アリアも俺から渡されるよりは、ミラノとか──身内から渡された方が受け入れやすいと思う。それじゃ、頼まれた品は渡したし、とりあえず任務完了と言う事で」
俺はそう言ってベッドに横になった。
そうすれば俺はもう眠るんだと言う意思表示にもなるし、まだ病人なんですオーラが出せる。
蝋燭が一本だけ、ベッド脇で揺れている。
天幕での夜みたいだなと思っていると、ミラノがコテリとベッドに倒れこんだ。
「お、おい。ミラノ?」
「──る」
「え?」
「一緒に、寝る」
何を言ってるのだろうと思った。
以前ならいざしらず、今ではクラインがちゃんと復帰して屋敷で寝泊りしている。
なら、兄代わりという役割ですら俺にはもう無いのだ。
しかし、何かを言おうとしたが、直ぐに夕方ごろの「お前が主人で、俺は部下」と言うのを思い出した。
自分で言い出して、都合が悪くなったら手の平を返すのは良くないなと思い、受け入れる。
「公爵やクラインにはちゃんと説明してくれよ?」
「だっ、いじょうぶ、だし。説明なら、してきたから」
「なら良いや。と言うか、そんな薄着だと寒いだろ、入れば?」
「そうする──」
なんだかぎこちないミラノだが、俺はベッドに入り込む。そして一人分の間を開けてミラノもベッドに潜った。
意識してしまいそうにはなるが、そこら変は大丈夫だ。
身体を苛めすぎて身体が辛い、結構やせ我慢している。
力が入らないと言うレベルにまで陥ってるから、明日以降に筋肉痛間違いなしだ。
そんな事を考えていると、携帯電話が震えた。
出しっぱなしだったなと思ったが、どうやらミラノはビックリしたようだ。
「なに、地震?」
「いや、ゴメン。俺の持ち物が震えたんだ」
「物が震えるって、なに……?」
「携帯、電話って言う。遠距離の相手と話が出来る道具。似たようなもので、無線通信機を紹介したと思うけど」
「遠くの人と、声のやり取りが出来るのよね」
「アレは無線機同士のみでやり取りできるけど、こっちは仲介するものが無いと使えないんだ」
「仲介?」
「そうだなあ……これも専門的な知識は無いけど。商売とか、商人みたいなものかな。商人同士のやり取りでは手数料が発生しないけど、それ以外だと発生する~みたいな。誰かを間に挟んでるようなもの?」
「けど、それだったら小さいだけで使い物にならないわね」
「と、思うだろ? 他の事が出来るんだ。写真──そうだな、今ある光景を空間ごと複製して、絵として残せるとか。その絵を連続して繋げる事で、現実みたいに見せることも出来るんだ」
そう言って、俺は保存してあった写真や動画を見せる。
どれも、俺の家族のものだ。他にも、俺がまだ自衛官だった頃の写真とかも有る。
その中には、大抵俺は映っていない。
「あの服、アンタ以外にも着てるのね」
「同じ部隊……、同じ軍隊、同じ国の為に頑張ってる仲間だ。コイツはお調子者だけど、周囲を元気付けてくれる良い奴だった。コイツは我が強いけど、皆を引っ張っていける中心人物のような役割が有った。こいつは小物では有ったけど、憎めない上に皆を笑わせてくれた──」
合計十人ほど、俺の同期を紹介する。誰もが良い奴だった、俺が陸曹教に行った頃には三人しか残っていなかったけれども、携帯で何時でもやり取りが出来る関係だった。
「──あれ、今度は……だれ?」
「誰って、酷いな。俺の父さんと、母さんと、妹と、弟と、妹の子供だよ」
「アンタ、どれにも映ってないのね」
「俺が映ってるのもあるっちゃ有るけど、あんま良いのじゃないぞ?」
「見せて」
仕方が無いなと、俺は数少ない自分の写真を見せる。
災害派遣中、七日連続休息一時間程度の中で、初めて活動段階が進歩して負担が減った時の写真だ。
無精髭は伸びている、食事はインスタントとパック飯、しかも活動時間の方が長くて体重がその時点で七Kg程減っている。
目の下には薄っすらとクマが出来ているし、プレスも出来ないから服は皺くちゃ。
災害派遣用のベストと、弾帯に水筒をぶら下げて、同じ中隊にいた同期に撮られた写真だった。
「これ、アンタ?」
「大分酷いだろ? 休みなんかなくてね、それでも──この前の地震みたいなのがあって、国民を助ける為に必至に活動していた時のものなんだ」
「──……、」
「で、こっちは訓練中の──俺がまだ新米だった頃の写真。泥に突っ込んで、地面を這って前進してる所。教官が滅茶苦茶怒声を浴びせてくるんだ、怖かったなあ……」
「次」
「次は……」
十枚程度の俺の写真。
中にはマスコミが撮った写真も有るし、防衛省の活動関係の写真としてページに掲載したものまである。
俺が一枚ずつ、まるで今のように語るのをミラノは聞いてくれた。
「アンタの父親、外交官だって聞いたけど。なんだか、どこにでもいる普通の人みたいね」
「家柄や血筋じゃなくて、能力の有無でなれるらしいからなあ。父親と母親、弟は頭が良い。妹は他人に好かれる才能を持ってる」
「アンタは?」
「俺は──なんだろうな」
写真を閉じて、動画にした。
妹の赤ん坊が、ハイハイが出来るか出来ないかの時期のものだ。
地面をバシバシ叩いて、揺れる上半身は危うげだ。
「可愛いだろ。俺の子じゃないけど、俺達の子供だ」
「達?」
「一族、或いは家族の血をひく者とも言えるけど。まだ何も知らない、何も喋れないし、満足に何も出来ない。だからこそ愛しいし、これからどんな子になるんだろうなって考えると楽しくなる」
「──……、」
「こっちは、自分で床を這って動けるようになった頃の。こっちは自分で歩けるようになった頃の。最後に……自分で、ご飯を食べられるようになった頃の」
大事な写真だ。けれども、以前ならこれらを見て胸が締め付けられたが、今は涙も出ない。
むしろ笑って、誇らしげに語ることが出来ている。
「──家族が大事だったのね」
「まあ、もう両親はこの携帯の中でしか見る事も出来ないし、声もこの中にあるものしか聞けない。あの緑の服が俺の強さの象徴だとするのなら、家族は俺の心の象徴かな」
「……ごめんね」
「謝らなくても良いって。どうせ……俺に出来る事はもう何も無かった。弟と妹はそれぞれの人生を歩んでる、俺だけ立ち止まってても仕方が無いだろ」
動画を止めて、携帯電話をストレージに突っ込んだ。
そして今更に気が付くが、ミラノが携帯電話を覗き込むために俺にくっついている。
近くて、彼女の匂いがする。目が近くて、暗くてもその目が良く見えた。
言うべきかどうか迷ったが、言わないでおいた。
「……さて、寝よう。あまり時間はないし、俺もまだ回復中の身だから」
「え? あ、ええ。そう、ね」
俺は目を閉じる。それは半ば義務めいた物ですらある。
目を開いていると、紅い目だけが異様な夜目を発揮する。
それに慣れない、慣れたくないと言うのもあったが──。
結局、休むのも仕事の内と言うのを叩き込まれているだけに過ぎなかった。
「──寝た?」
「まだ」
「……寝た?」
「寝てない」
なんなんだ、いったい。
「夜が怖くて眠れない、って訳じゃ無さそうだし──」
「一緒の時、普通に寝てたでしょ」
「そういやそうだった」
「──もうちょっと、色々お話して」
「半刻までなら良いけど、それ以上はちょっと勘弁して欲しい」
「ええ、構わない」
一応朝の四時には起きて、リハビリがてらトレーニングもするようにしている。
メニューは在隊時と変わらない。ただ、出来ない事と言えばランニングくらいだが。
何を話そうかなと考えると、ミラノの方から尋ねてきた。
密着したままで、触れている箇所から彼女の鼓動が早まっているのを理解する。
「アンタ、人を好きになってないって言ったけど、なんで?」
「まだ一月しか経ってないんだ。マーガレットなんかもっと短いし、本能と理性は別だと思ってる」
「本能と、理性?」
「男として異性を求める事と、自分が何者かを理解した上で相手を求める事。欲なのか、愛なのか──なの、かな」
「不確かね」
「人を好きになるって言うのは、それが歪んでいても大丈夫だけど。誰かに好かれて、それとすり合わせるまでは曖昧なものだし。それがどういう定義になるかも分からない」
「欲と愛は、違うの?」
「欲は……理不尽で、不条理で、自分や他人に強いるもの。愛は、妥当で、合理的で、自分や他人に強いないものだと思う」
「ええ」
「欲が暴走だと言うのなら、愛は自制かな。欲で誰かを手に入れることは出来ても、それは短い時間でしかない。愛で手に入れたものは長く続くものだと思う。両親を見て、色々有ったけど──そう思ってる」
語っては見せるけれども、それですらたぶん正解ではないし、曖昧な物だろう。
実際に誰かと好きあったり、或いは欲に溺れて互いに求め合えば違うのだろうが。
だが、俺はそのどちらも体験もしてないし、経験もしてない。
「けど、一方的な物で語るのなら。相手を好きだと思う気持ちってのは、時に暴走するものだと思う」
「どうして?」
「相手が好きであればあるほど、身近な人であれば有るほどに気が狂いそうな思いをする事もある。自分だけを見て欲しいと言う欲求、独占したいと言う願望、思い通りにしたいという思い──色々」
「アンタは、それとどうやって向き合ってきたの?」
「──向き合ってないし、向き合えてない。その度に空振りして、思いっきり落ち込んで、引きずりながら日常に戻ってく。俺の人生は、一の成功の裏では山のような失敗を繰り返してきたようなものだし」
「アンタが後ろ向きなのは、そのせいかも知れないわね」
「まあ、沢山の失敗をしてきたから、他人を許せるって考えれば大きな収穫かも知れないけど」
欠伸を漏らす。身体は十二分に疲れていて、眠気は徐々に温もりから身体を支配していく。
美味しい食事、快適な寝床、そして──少なくとも、誰かが居ると言う安心感。
孤独じゃない、それだけでも寝心地は良さそうだ。
「今は誰も好きじゃない。けど、将来どうなるかなんて保障も無い。誰かを好きになるかも知れないし、ならないかもしれない。もしかしたら欲の方が勝ってしまう事だって有りうる」
「色んな可能性があるのね」
「明日でさえ思い通りに行かないのに、何十日、一月、一年、十年と先の自分がどうなるかなんて答えられないしなあ」
「──大丈夫。アンタがアンタで居る限りは、傍に居るから」
「ありがとさん」
俺が俺で有る限りって、どういう意味だろうか。
それは、今の俺を構成している人格や性格、思考の方向性が変わらない限りはと言う事なのだろう。
けど、傍に居るって──何時まで?
それを問いたかったけれども、彼女を盗み見たら既に両目を閉ざしていた。
鼓動も落ち着いている、眠ったのかもしれない。
左手で彼女の頭を撫でた、二度目だが──柔らかい髪質をしている。
彼女が腕を組んで道を示してくれるのなら、きっとうまくやっていけるだろう。
けれども、それは彼女が俺の主人である限りは、だ。
彼女が学園を卒業し、誰かと結婚をしたなら俺は近くに居ないほうが良い。
俺は偏執的な程に、或いは自分でも狂気だと思えるくらいに独占欲も、肉欲も内包している。
表面では言うだろう、作り笑いや演技をしながら。
『おめでとう、ミラノ』
と。
彼女を撫でるのを止めた。これ以上は俺がおかしくなるだろう。
気が付けば、俺はミラノを──いや、ミラノ達との生活を気に入り始めている。
たぶん、いつものように「どこかへ行きたい」と言っているのは、逃避癖から来るものだ。
或いは、線を引いている。
学園に来た当初は、どこかに行きたいとは言わなかった、思ったとしても「逃げたい」だ。
けれども、それはつまり全て逆なのだ。
逃げたいと思うくらいに、踏みとどまりたいと思っている。
どこかに行きたいと言う位に、ここに居たいと思っている。
けれども、失敗続きの俺は自分を守る事に特化してしまった。
失敗しても、周囲が「あぁ、そうなんだ」と思えるようないい訳を準備して。
ヘッドホンからイヤホンに差し替えて、ウォークマンを再生しながら目を閉じる。
――普段よりも酷い悪夢を見たが、それは長続きしなかった──




