58話
『突撃に~……、前へ!』
陸上自衛隊、普通科隊員なら新隊員教育の時から嫌でも聞いてきた言葉だ。四秒躍進、或いは四歩躍進と言う単語も絡んでいて、”突撃”の時に使われるものだ。障害物や遮蔽物を利用しながら何百とある距離を前進していくのだ。当然、隠れる度に相手を確認し、場所を視認し、威嚇射撃をしてまた突っ走る。
歩兵とは走るのが仕事だと佐藤氏の作品で描かれていたが、事実だと体験しながら理解した。そして候補生であり、やった事の無い事柄に疲弊はどうしても募った。それでも、突撃をしている瞬間を主観で見れば、苦しく、辛く、そして拠点奪取まで行けば達成感から満ちた思いすらするだろうが、カメラを引いてみれば──そこには突撃をする俺達候補生の情報の大半は無くなる。
戦争映画のように、ただ端って突っ込んでいき、死なないように頑張っている兵士が居るようにしか見えないだろう。そして実際に戦争や戦闘が起きていたならば、突撃とは即ち相手陣地への攻撃なので、軽機関銃だの重機関銃だので大半がくたばるのだ。
主観で見れば大事なのに、神の目線で見ればなんて事は無い。たがワンシーンの中で無名の兵士が死ぬだけの話なのだ。
――つまり、俺もそんな無名の兵士の一人でしかなく。そこに名前も歴史も無く、無価値だった──
翌日、俺は寝過ごした。安心しすぎたのだろう、まるで週末に残留や先遣隊として残されたかのようにただ一度は浮いた意識をそのまま温もりと心地良さに沈めてしまったのだ。結果、普段なら四時に起きて室内で出来るトレーニングをして、六時の食事を食べて居るのだが……。今日の俺は、公爵が部屋に入ってくるまで全く目覚める事が無かったのだ。
珍しく寝ぼけていたし、思考もハッキリしていなかった。二日、三日ぶりの纏まった睡眠時間中に、当直をしていた専任が部屋に入って来た時のようなものだ。状況が把握できない上に、理解が及ばないし、何かやらかしたっけなと考え込んでしまうし、けれども思考が鈍っているしでどうしようもない。
ボサボサの寝癖と涎の乾かぬ口元のぬめり位しか分からず、何故公爵が居るのかと言う事しか分からない。彼は俺がまだ朝食を摂っていない事を見て確認し、それからハンガーにかけた俺の戦闘服を興味深そうに眺めている。
「体調はまだ良くないのかな?」
そう言われてから、俺は一気に目が覚める。口元を拭ってからそのまま腕時計を確認し、自分がありえないくらい寝過ごした事に気がついて驚いた。一瞬「やっべ、朝礼!」となったが、靴に足を突っ込んだあたりで公爵の服装を見て、それが迷彩服じゃない事で「あ、自衛隊じゃねえわ」と落ち着いた。朝礼が無いという事は、集合する義務がそもそも無い訳であって、ミラノが外出でもしない限りは俺も屋敷で落ち着いていられるという気楽さが有った。
「いえ、その。昨日自分の持つ装備や武器を……久しぶりに使って、その整備や勉強を含めて、大分疲れてしまって」
「ふむ、そうかい?」
「ええ。整備は慣れてるので良いんですが、武器の取り扱いは大分繊細で──。
お茶は如何ですか?」
「いや、大丈夫だ。先ほど妻と一緒に飲んだからね、それに……私も君がまだ寝ていると聞いて立ち寄っただけなのだから、元々長居するつもりは無いんだ。それと、君が気になるだろう事が有るから言いに来た、と言うのもある」
「何でしょう?」
「先日ニコル殿が来られて、その時にマリー殿の事や襲われた事なども全て話した。
その後短い時間ではあったがマリー殿と話もされて、此方には疑わしいところが無い事を明かした。
英雄達の身体が魔力で出来ている事や、負傷が酷かった事からまだ暫くはマリー殿も滞在する。それとは別に、幾つか君に言わねばならない事もある。
一つ目、マーガレット嬢がマリー殿が帰られるまで滞在する事になった。まあ、色々目的はあるのだろうが、ニコル殿が苦笑していたので……多分言い負かされたのだろう。
二つ目、ニコル殿から要請があってね。一度は君を領地に招きたいと言っていた。その時期はまだ決めていないが、事前に伝えてくれるそうだからそのつもりでいて欲しい」
俺はその言葉に了承の意を伝えると、公爵は部屋を去ろうとする。ただ、その時に冷め切った料理を一瞥して「新しく出してもらおうか?」と言われたが、丁重にお断りした。気になれば戦闘糧食を温めて食べれば良い話だし、そもそも冷めた食事は士気に影響はあっても食べられない訳じゃない。いざとなれば「温めるのを忘れた缶飯を食べた」という記憶を思い返せば良い、あの時ほど食事が辛かった事は無い。
公爵が去ってから俺はモソモソと冷めた料理を食べたが、やはりそれほど悪い物じゃない。別に危機迫る状況でもない上に、今日に限って言えば朝の訓練をしていないので消費もしていない。毎回冷めた飯を食べるのは精神衛生上良くないが、今回は自分の失態であって強制された物でもないと言うのもある。受け入れざるを得ない。
食事を終えた俺はその後、どうしようか考えた。一応数日は安静にするという名目であまり来訪や来客が無いようにして貰っているが、それを俺が一方的に無視するような行動は出来ない。大人しくしていなければならないのだが、だからと言って引き篭もっているには時間を潰す材料が無さ過ぎる。
「ま、武器整備だよな……」
隅っこで雑毛布を被せられた武器を見やる。先日トコロテン《油漬け》にした武器があり、煤を浮かす為にそうしているのだ。ただ、使用しているのが廃油だから嗅ぎ慣れたとは言えにおう事におう事。だからと他人に触れさせるのは怖いし、盗まれる可能性を考えると同じ部屋に置いておかなければ不安になる。
雑毛布をはがして敷きなおし、必要な道具や材料をストレージから取り出して武器の分解を始めた。部品の正式名称は忘れても、分解結合は絶対に忘れたりはしない、五年経った今でも順番や禁止事項を覚えているし、要点も押さえているから良い事だろう。
「興味のあることは覚えてるんだよな」
逆を言えば、興味の無い事はさっさと忘れてしまうという事でも有るが。射撃に関しても、格闘に関しても同じだ。何をすれば良いかを分かってはいるが、それを説明する能力が無い。だから概要を説明できても、コツを説明できないのだ。銃を構えた時の自分の癖や、吐き出した弾が大よそ何処に飛んでいくかを自衛隊時代から覚えている。その分銃を調整する事もあるし、物によっては銃を調整するのではなく狙いをずらすと言うことで命中精度を確保していた。
なので射撃に関しては評価が分かれる。小賢しさを褒める人もいれば、銃を調整しろと嫌う人がいる。結果がすべてと言う人もいれば、過程も大事にしろと言われる。なので、両方ともやるようにはしたが……。
「銃口の中は、大分問題が無さそうだ。これなら整備二日で大丈夫そうだな」
そもそも、新品の銃を渡されているのだ。何百と弾を吐き散らかしたMINIMIならいざ知らず、三十発前後の弾を撃っただけの小銃と拳銃がそこまで煤だらけになるはずも無かった。念の為、更に数回銃口通しのパッチがどれくらい汚れているかを確認してから、最低限の油だけを挿して結合する。
「安全装置、よし。薬室、よし。ア、よし。ア、よし。タ、よし。よし。レ、よし……レ、よし。サン、よし。サン、よし。
ア、よし。ダストカバー、よし。動作点検よし、結合終わり」
最後にちゃんと銃の結合が全て正しく行われたかの点検もする。もし変に結合していた場合、引き金が引けなかったり、レバー動作での切り替わり等に問題が生じるのだ。だが、それらも異常なく終わったので、ストレージに突っ込む。その時に気になったが、未使用の小銃たちはワンスタックで何丁あるか表示されていたが、使用して整備してしまいこんだ小銃は別のスタックで保管されている。何かしらシステム面で区別されたのだろうが、少なくとも間違って新品を出してしまい、銃の照準調整を毎度毎度し直さなくて良い訳だ。助かるといえば助かる話だ。
そうやって全ての銃を一人で整備する、そこには退屈と言う概念は無い。何故なら、俺は銃が大好きだからだ。そして、恐ろしくもあるのだが。空砲で防弾チョッキ越しに衝撃を受けた時の事は今でも忘れない、実弾だったら更に物凄い威力で骨が折れるなりしていた事も理解しているが。
MINIMIの整備中に食器を下げにメイドがやって来て、挨拶と謝意を述べる。俺があまり体裁とか気にしない人物と言うのが広まっているのか、相手は”奇異な事をしている”という事実を無視して心地良い挨拶や、そこそこの会話をしてくれた。なんだか、自分がヒト《単独》ではなく人になれているような気がして、少しばかり嬉しかった。
そういえばと、カティアに今日のそちらの予定はどうなっているのかを尋ねるメッセージを飛ばしておいた。俺は眠っていたし、カティアが何をしているのか分からない以上聞いておいたほうが良いだろうとそうしたのだが、メッセージを送り終えるとほぼ同時くらいにノックがされた。
誰だろうかと思うと、どうやらクラインのようであった。午前の鍛錬を追えたらしく、汗を流したついででこちらに寄ったらしい。
「やあ、久しぶり」
「ああ、久しぶり」
そんな挨拶が通るのは、ある種お互いに気兼ねと言うものが無いからかも知れない。実際、なんだか自分と殆ど同じ外見をした相手に遠慮するというのもおかしな話だし、相手もそれを望んでいない事が分かっている。だから互いにあまり飾らない関係で居た方が良いのだろうと、俺は考えていた。
クラインは部屋に入ると勝手にお茶の準備を始める、どうやら喉が渇いているらしい。人の部屋だけれども、まるで自分の部屋であるかのようにお茶の準備を始めているし、しかも移動の手間だとかそういったものを省く為に席についたままに行っている。横着すんなや。
俺は食事をしたばかりなので特に喉は渇いておらず、そこらへんは不要だった。
「それが君の武器?」
「そうだよ。今は整備で油を使ってるから、触れたりしないでくれ」
「へえ、それが”ジュー”って奴か……。アルバートやミラノから聞いたよ? 僕も行きたかったなあ……」
「そんな良いものじゃないぞ? 俺は好きだけど」
脳裏で「War, war never changes」という言葉が響いた。日本語では「人は過ちを繰り返す」と描かれたが、実際にその通りだと思っている。時には神のもとに、時には正義のもとに、またとある時には狂気のもとに。事実、銃は強力な武器であるが、その結果人の命がより軽い物となった。剣や槍、弓であれば部隊同士の衝突で負傷や戦死は発生すれども、それが高い割合ではなかっただろう。
しかし、銃等の登場によって負傷と戦死は加速した。高すぎる威力によって致命傷の攻撃が飛び交い、原形を留めない事さえ多くなった。短時間で多くの人が死んでいく、それが数百だとか数千のレベルではなく、数万人もの兵士が散っていくのだ。怖くないと思うのはおかしい。
とは言え、今の所射程距離や精度、連射や火力ではこれに匹敵する物を持っている集団も人物もいない。オルバでさえ未だ前装式拳銃を使っている、しかもライフリングと言う弾道安定も無ければ、薬莢と言うものも無いので連射も射程も俺に劣る。そして俺はこれを普及させるつもりは無いし、態々敵を増やしたり脅威を増すような真似をしたくない。
「実際に目にしたわけじゃないから信じ辛いけど、弓よりも強くて、連射も早い上に遠くまで届くらしいね。そんなものが沢山あったら戦いが変わりそうだ。この前見た軍事演習も、思いっきり変わっちゃうね」
「まあ、そりゃそうだろうなあ。綺麗に兵士を並べても、辿り着く事無く大半が倒れてる。そこに鎧による生身を覆っている面積も、防具の質の良さも関係ないから足が遅い分だけ逃げられなくて致命的になる。
じゃあ馬なら良いのかって言われると、それも違う。連射が出来ると言うことは、そのまま横なぎで弾をばら撒くだけでも馬か兵士には当たるだろうし、そもそも馬が倒れれば兵士は投げ出されて、倒れた兵士と馬が後続の障害になる」
そう言いながら、俺は整備の手を止めて銃を持っている体で構えてダダダン! と擬音を口にしながら左右に動かした。そして俺は自分が言った事の多くは的外れではない事を理解している。この世界では、あまりにも行儀が良すぎるのだ、軍隊が。隊列を組んで前進する、その時点でバカみたいに的なのだ。走れば数は暴力になるだろうが、密集しすぎている為に一人倒れれば後続が足止めや被害を食う。それは騎兵でも同じだ、散開でもしていなければ多少の数は一人で倒せてしまうのだ。
MINIMIを小銃のように使う、そんな事をする……というか出来るとは思って居なかったが、今の俺ならそれが可能だ。六四や八九のように負い紐で楽は出来なくなるが、その圧倒的弾薬数は強みになるだろう。
俺の動作を見ていたクラインだったが、柔らかい表情ではなく少し真面目な表情をした。
「──君は、そんな武器を持ってるけど。それで何かしたいとか考えた事は無いのかい?」
「いや、特に……無いなあ」
「へ?」
俺は特に考える事無く、そのまま返事をした。すると俺の回答が予想外だったのか、クラインは拍子抜けしたかのように間抜け面を晒す。本気で、想像の範囲外の返事だったらしい。
「いやいや。だって、そんな武器や装備を持ってるんだよ? それこそ、待遇を良くして貰う事だって出来るだろうし、優遇してもらう事だって考えられるはず」
「いやいや。だって、そんな事をしてみろよ。目立つだろうが。目立つという事は認識される事、認識されるって事は脅威に思われたり、取り込もうとされたり、そういったリスク……じゃないや、えっと、なんだ? デメリット、でもなくて……」
「危険?」
「そう、危険。そういった危険を招く事になる。前から言ってるけど、平和が一番。ラブ&ピース……じゃないけど、自分やその周囲を守る積極的自衛の為に使うのなら良いが、これで攻めこんだりするつもりは毛頭無し。しかも、今はミラノの護衛で金が出てるし、将来どうなるかは分からないけど、態々危ない真似や危険に首を突っ込んで生きたいとは思わないね。自衛万歳、平和万歳だね」
まあ、平和と言っても「俺の世界の平和」なのであって、別に「全世界が武力放棄してくれれば良いのに」と言った能天気な事を考えたりはしない、無理だから。けれども、本心ではある。今の所俺は自衛の為の闘いしかしていない。アルバートに喧嘩を売られたのも自衛、街で魔物が溢れた時に頑張ったのも自衛、マリーを守る為の戦ったのも条件付き自衛なので、どれも此方から仕掛けたわけじゃない。
つまり、俺は今の所専守防衛に成功しているわけである。少なくとも侵略者だのなんだのと罵られる云われはないし、そもそも守るべき領土はないので撤退し放題である。死守? 防衛? 知らんなぁ……? 俺の命と、俺の世界さえ守れればいいので、最悪ヴィスコンティが滅んでも俺は大丈夫だ。そもそも日本じゃないし、家族が帰る家がある国でもないのだから。
「と言うわけで。俺は別にこれを売り込もうと思ってないし、使いはするけど誇示はしない。
下手に有名になると面倒くさくなるだろ? 俺は好きな事をして人生を送りたいの」
本音オブ本音。アルバートに喧嘩を売られたときは、使い魔という状態だったので主人の体裁や面目に気を使ったと言うのもあるが、仕方の無いことだ。魔物の襲撃も、そもそもあちらは兵士や魔法使い、民衆関係無しに襲って殺していたので逃げなきゃいけなかったので当然の交戦である。マリーの時は、ニコルとの一件もあったし、場所的にデルブルグ領地内であることから、アレでマリーが消滅してしまったのなら俺達にあらぬ嫌疑が着せられても仕方が無い。つまり必要だった。
けれども、今の俺は別に気を使ったり利益や不利益が迫っている訳じゃないからどうでも良い。戦いが迫っているわけじゃない、ミラノは家を出ないから危険性も低い、そして授業も何にもないから出歩く事もない。やりたい事に全部の時間が割ける上に、部屋で怠惰に過ごしても怒られることは無い。しかも体調不良から回復しつつあると言う名目もあるので、ベッドに入ったままでも問題ないのだ。
MINIMIの結合と動作点検も終わらせ、拳銃にも手をつける。六四や八九に比べると触れた回数は少ないが、それでも使用されると整備を任される事はある。幹部や中隊長などが拳銃射撃をして、整備を自分で出来ない場合に一番多いのだが。それでも仕事を覚えると言う事に繋がるので俺は積極的に武器陸曹に聞いて整備方法を覚えようとしたし、整備関連は覚える箇所が多くないので楽だ。
そして拳銃を分解した所で、クラインが息を漏らす音が聞こえた。どうやら真面目な表情ではなく、普段のあっけらかんとした柔らかい物へと戻ったようだ。
「僕も平和が好きかな。好きな事をしていたいし、楽しい事で毎日を埋められたら良いなと思ってる。けど、それは出来ない。僕は公爵家の人間で、次に当主になれば家を背負って色々と当らなきゃいけない」
「ん、そうだな。俺は今の所何処にも属してないし、俺とカティアの二人の事を最大限且つ最重要な物として考えるだけで良いから、クラインとは違う。
クライン達は国が揺らげば、最悪国が滅びれば最悪な事になるけど、俺は別に国に忠誠も誓ってないし、デルブルグ家を何が何でも支えていかなきゃいけない訳でもない。利益に見合わない不利益は被りたくないし、そもそも主義・主張・思想・思考・手段が違う所に属して上手く行く気がまっったくしない」
まず、俺に政治は無理だから兵士になる可能性が高い。間違っても将軍にはなれないし、なりたくもない。けれども、俺の知っている戦い方とは装備的にも散兵戦術の方がやりやすい。まかり間違ってもキレーに陣形を組んで、歩いたり走ったりして相手を圧倒し肉薄していきたくはない。
装備を身に纏い、ドウランや草葉で擬態し、それこそ「相手を倒す」のではなく「作戦行動の阻害」の為に行動した方が最も効率が良いと思っている。兵舎の焼き討ち、指揮官の狙撃、糧食の焼却、武器装備の破壊……色々ある。
そもそも「華々しく敵を打ち倒す」という思考があわないのだ。態々勝利条件を一つに絞って、苦労して勝つ必要がない。だから俺は”合わない”し”属したくない”のだ。
「英雄だのなんだのって言ってるけど、俺は逃げるよ? カティアと自分が守れるのならとりあえずそれで良い訳だし。そりゃあ、多少の困難くらいなら解決に尽力して甘い汁を啜った方が結果的に利益になるけどさ」
「はは。君はそれで否定してるつもりかな?」
「否定? 何を?」
「自分の行いを、かな。事実、君がした事を僕は忘れないし、その言葉で評価は変えない。
それと、君の言葉に抜け落ちている物がある」
「教授願いたいね。何が抜けてる?」
言われてから、何が抜け落ちてるのかなと考え込んだ。少なくとも俺がそんな立派な人間じゃないことと、何故そうなのかという理由を説明した。つまり、俺はクソだという事を理解してもらえたはずだ。これで変な期待から逃れ、実際に重用や重宝されずに逃げる事も気兼ね無いというわけだ。
なのだが──
「君は、殺してくれと願った僕を生かした事実さ。あの時君は、僕の為に態々珍しい薬を使ってまで助けてる。もし今君が言ったような利己的な部分が多いのなら、そんな貴重な薬を持っている事を隠して、そのまま翌日屋敷に向かえば良かったんだ」
「それは、だな。──あぁ、助けた方が利益になると思ったからだ」
「ダメだね、その発言はあの時の僕とのやり取りと矛盾する。それに、君は根本的に大きな勘違いをしている。生まれも育ちも、生きてきた中で積み重ねた経験は違うけれども──僕は君で、君は僕だ。
考え方が似ている、話し方も、行動の意味も目的も、その多くが似通ってると思うけど」
違うかな?
そう言い切られてしまい、俺はため息を吐きながらクラインから目をそらした。そして目線を切ったと言う事ですら意味がばれてるのではと考えたが、その時には既に色々と面白くないことになっている。
「さ、ってと。あんまり分かったつもりで話をするのは嫌われるのは分かってるから、そろそろ退散しようかな?」
「嫌われると分かってるのなら止めような?」
「じゃあ、君が逆の立場だったら同じ事をしないでいられたかな?」
「いや、それは……」
「自分が出来ない事を、他人……いや、同一人物に強制するのは良くないね。
今度、僕も実際に武器を見ておきたいから予定を作ってよ」
「まあ、それくらいなら良いけど」
「ほら、押しに弱い。っと、それは僕もだね。あぁ、それと一つ聞きたい事があった」
「ん?」
「父さんの話を飲んだらしいけど、君と僕は兄弟みたいなものになるよね。
君は自分が兄だとか、弟だとか考えたりはしたかな?」
そっか。公爵との話を殆ど忘れかけていたが、息子になるみたいな話を受けたんだった。けれども俺は少しばかり考えてから首を振った。
「いや、このままで良いんじゃないか? 対等な関係で、どっちが上だとか下だとかバカらしい。
それとも、恭しく頭を下げて兄上とお呼びした方が宜しいですかな? クライン兄さん」
「ぷふっ!? いや、やっぱりいいよ。僕も同じような考えだったんだ。クライン、ヤクモって互いに呼び捨てで良いと思う。それじゃ、マーガレットさんとも仲良くね」
クラインは今度こそ立ち去ってしまった。マーガレットの件は別にどうでも良いのか、軽く手を振って立ち去ったくらいだった。なんと言うか、本当にやりたい事をやって去っていった、ある種の嵐みたいな物だった。
過ぎ去った嵐を前に呆然としていたが、撃鉄バネが撃鉄筒から飛び出てすっ飛んでいったので我に返った。脳内で「撃鉄バネさんごめんなさい」と言う声が聞こえた、自衛官候補生時代に良く聞く反省である。机の上で整備をし、落とした部品の名称を声を張り上げて謝罪しながら腕立て伏せをする。最初は十回くらいだが、後半には部品一つにつき二十回とかになるのだが。
部品を拾い上げて整備の続きをする事にした。寝起きからあまり時間が経過してないからか、それとも食事をして間もないからか大分眠気が残っている。欠伸をしながら、これも見つかったら怒られるんだよなと笑みを浮かべた。
人は反動的な生き物であるとどこかで聞いた。凄惨な事件を通じて平和主義者になったり、死にそうなほどに餓えて食事に目が無くなるとか、或いは虐めを体験して優しく他人の気持ちが分かるようになるとか様々だ。それと同じように、俺も反動が来ているのだなと実感している。
何だっけ? ミラノに召喚された当初はあまり「俺」とは言わなかった気がするし、今のような口調でもなかった気がする。けれども、どちらかと言えば肉体年齢的に言うのであれば此方の口調の方がだいぶ懐かしいし、シックリ来る。
『いやぁ~、整備早いなあ』
目蓋を閉ざすと、同じ中隊に配属された同期を思い出した。俺とは違って上官や先輩受けの良い人物だったが、作業や仕事の早さは……まあ、鈍かった。しょっちゅう怒られていたし、それを見てきた。要領が悪かったのかも知れないが、当時の俺よりも年上だったから加齢の問題もあったのかもしれない。
だが、俺達は後期教育で同じ二段ベッドの下段で、隣りあわせだった。本来なら二個班が編成される筈だったが、教育隊長の意向で一個班で十人と言う状態だ。二段ベッド五つ同じ部屋で寝起きする三ヶ月、上下の”バディ”よりも、俺はソイツと仲良くなった。理由としては、相手がしょっちゅう俺に質問をしてくるからだ、その日や前日の教育内容を的確に覚えていたのだから。
そんな相方とは中隊でも一緒だった。練馬駐屯地、普通化連隊第一師団……五個中隊と偵察部隊が配属先で、概ね二人ずつ配属されていった。中には一人も居たが、それは仕方の無い事だ。
まあ、なんだ。俺はソイツが好きだった。だから俺は手伝える範囲で、助けられる範囲でその同期に助力をした。そして俺は……残念な事にウケが良くなかったので、同期を挟む事で何とか関係の改善をするほか無かった。相互に良い関係が出来ていたわけだ。
銃の整備を俺が手早く終えても、その同期がまだ半分も終わっていない事が多く。手伝いをすることは決して少なくなかった。油が付着した戦闘服の色が、所々違うことに笑ったことも有った。
あの頃は楽しかったなと思い出して、自然と笑みを浮かべていた。傍には居ない相棒、もしかすると俺が死んだのを聞いてうろたえているかも知れないし、呆然としていたかも知れない。整体師になったらしいが、うまくやれているのだろうか。
「さて、整備は二日で大丈夫だ。片付けるかな」
全ての装備、雑毛布もストレージに叩き込む。全てをしまうと部屋の中が幾らか片付いたように思えたが、それはそれで寂しい物だなと思う。だからと言って実家に居た頃の雑然と散らかっているのは人を出迎えるに向かないのだが。
もののついでだと、椅子に引っ掛けたままだった弾帯もどかすことにした。水筒に入っていた水は大分入れ替えてない、菌が繁殖するとよくないので水を捨てて乾燥させる事にする。火属性と風属性の魔法で温風を作り出し、本来であれば出来ないような速乾方を試した。そして数分くらいそうやって乾かしてから逆さにしてみて、水滴が垂れないのを確認して乾燥したと見做す。水筒覆いへと戻し、そういえばこの世界に来た時に携帯エンピも使ったなと思い出す。
どれだけ物品愛護を忘れて居たんだと苦笑し、携帯エンピを取り出した。そして当然の如く、錆が浮いている。当たり前か、用水路に投げ出されて乾かしはしたが油をさしたりしていないし、錆びても仕方が無い。錆を浮かす処置をして、また数日に分けて整備しなければならない事になる。あと弾嚢だ。実弾を入れっぱなしだ、宜しいことじゃない。
やる事が色々有ったなと、以前の俺が何故見逃していたのか分からないような点が沢山出てくる。仕方が無い、脳味噌が劣化していたんだ。或いは酒に溺れて居たんだと思いながら、二度は無いようにと考えた。
そうやって自分のやる事をやっていたら、カティアからの返事が来た。最近の日常の繰り返しのように、ミラノ達と一緒に魔法の勉強だのなんだのと同行するらしい。俺がそうして欲しいと言ったからなのだろうが、キリングがミラノ達に行っている魔法の教育はどうやら足しになっているらしい。
事実、彼らは卒業生だし、ミラノ達はあと二年分も最低限の教育が残っているのだから学ぶ事は多いだろう。俺は一つ思い浮かんだ事があり、返信に付け加えた。
『そちらの行動、了解した。それと、今日一日の流れを出来る限りメモや記憶などをして夕方に報告できるかテストしてみようと思う。
最低単位は三十分で、自分がどういった行動に従事していたかを纏めてみてくれ。それともう一つ、キリングの魔法講座で教わった事を俺に説明できるように考えを纏めて置く事。
テストとは言ったけど、どちらかと言えばただの練習だから必死にならなくて良し。ただ、期限は今日の夕食後まで。以上、健闘を祈る』
行動の明示とか、カティア自身の成長の為に少しばかり意地悪をしておく。これらは必要な事だと思うし、事実俺も自衛隊時代にやって来たことの一部だ。今のカティアは言われるがままに、大まかな行動指針の元で一日を過ごしている。時々俺が午前だの、午後だのに同行や勉強を求めた事があるが、基本的にミラノ達と一緒だ。
他にも、やはりアルバートやグリムとの交友を深めるという意味で時間を費やしてくれている、嬉しい事だ。他人を知るのに多角からの情報が必要だし、俺とは違う思考や価値観の元に見聞きした情報と言うのもまた得がたい物だ。裏で俺に関わるような事を何か言ってないかを聞ける、知る事が出来ない事を知ることが出来るのは良い事だから。
数分後、カティアから若干緊張か慌てたような文面のメッセージが飛んできたが、俺は宥めるように『叱らないし、罰も与えない。新しく色々やってみたいから付き合ってくれないかな』と言う目線を低くした物を返しておいた。事実、新しい事を試したいのだが。
整備などを終えた俺は窓から庭を眺めた。顔を出してボンヤリと木々や花、庭師が働いていたり巡回や警備の兵士を眺めていると声が聞こえた。俺の名前を呼ぶ声で、大きくなかったので聞き逃す所であった。
そちらを見ると公爵夫人が居て、微笑みながら手を振っていた。傍にはメイド長も居る、俺はそれに見えるように頭を下げた。窓から上半身を乗り出している状態だから会釈に近いような物だが、それでも呼ばれた上に気づいてしまったのなら挨拶しないわけにはいかない。
公爵夫人が色々と話しかけてくる、普通の会話だ、天気や、俺の体調や公爵夫人の体調。最近した事等を互いに言い合う。本当なら部屋を出て赴くのが礼儀だろうが、それは公爵夫人のほうからそれには及ばないと言って貰えたので、失礼を承知で窓からのやり取りに甘んじた。
「そう言えば、貴方に素敵なお嬢さんが来てますよ。ニコルさんの所の娘さん」
「あ、もう来たんですか」
「ええ、先ほど。今は夫の所に居ますが、暫くしたら来るでしょう。華の様なお嬢さんだったわ」
「先日も少しだけ会ったんですが。まあ、なんと言うか、夢か誤解かと思うくらいに立派な女性です。
本当、何で自分に好意が向けられているのかさっぱり分からないくらいで、怖い話です」
「何が好かれて、何が嫌われるかなんて世の中分からない物ですよ。照れた時に鼻の先を指で触る癖が可愛いと思ったとか、食べた物が美味しかった時に嬉しそうな表情をするとか、口にしてみると理解されない物だったりするんですよ。
他にも、本人が恥ずかしいと思うような事であっても、他人には愛しく思えることだってあるんです」
「そういうものなんですかね」
そう言ってから俺は鼻をすすった。別に寒いとか、鼻水が垂れてきたと言うわけではないけれども、たぶん癖なのだ。だが、俺の好かれるような要素とか、癖とは何だろうかと考えてしまい、中々に出てこない。こりゃまたアーニャに怒られる、自分の把握が全く進んでいないことに他ならない。
窓枠に凭れ掛かって項垂れた。脱力して時折吹く風を浴びる、なんとも気持ちが良い事か……。俺の様子を見たのか、公爵夫人も声をかけずに暫くは放っておいてくれた。有り難い話だ、会話下手には連続しすぎた会話と言うのは頭を使うので疲れる。なんだか陽光と風で良い具合に眠くなってきた。もう一眠りしても良いかも知れない。
欠伸が漏れ、それを咎めるような咳払いが聞こえた。身分差と言うものは決して小さくは無いので気をつけるべきだろうが、今は公の場ではないので大丈夫だろう。──というのを建前にし、実の母親と同じ外見、同じ声、似た思考をする相手に飾るというのはどうにも難しい話だ。
「そう言えば、貴方が私達の家に加わると夫から聞きました」
「あ、そういえばそんな話もしましたっけ。クライン、さっき部屋に来て『どっちが兄かな、弟かな』とか言って、はしゃいでましたよ」
「ふふ、あの子らしい。それで、一つ気になるのですよ。貴方は、どちらと仲が良いのかと」
「どちらと? その、お言葉ですが、何を問いたいのかさっぱりで」
「ミラノと、アリアです。どうですか?」
「申し訳ないですが。その、喚ばれてからあまり月日も経ってないですよ?
まだ……出会ってから間もないですし、仲が良いとも……何も言えないですよ」
「そうですか」
そっか、そういえばクラインと兄弟となると言うのなら、ミラノやアリアとも上下関係が出来るわけか。まあ、クラインは同等で良いと言ったけれども、優先されるのは年齢だろうか、それとも屋敷に居た時間? クラインの方がミラノ達よりも年上なのは分かるのだが、そこでミラノ達よりも下に属することになったのなら物凄い違和感のある関係になるだろう。
ヤクモくん十七歳、クラインの双子でミラノとアリアの弟──騙し絵のような図が出来上がること間違いない。ミラノがまず大反発するだろうし、アリアも引きつった笑みで「ヤクモさんがお兄さんとか、ちょっと……」とか言われかねない。
しかし、まあ、なんだ。この前クラインを演じていた時に、公爵夫人と有ってフラッシュバックを起こした時に──俺が弱音を吐いても怒ったりしなかったのはミラノだ。あの時の事が、とても印象的に残っている。だから俺は「まあ、強いて言うのならミラノですかね」と言うと、公爵夫人は「そうですか」と、再び短く答えた。
「……あの子は、クラインが返って来るまで……そう、辛い道を歩んできました。その一握りでさえも、私は理解していないでしょう。学園で優秀だという話は聞いていましたが、あの子が誰かの事を語ることはありませんでした。
だから、大事にしてあげてください。もちろん、ミラノだけじゃなく、アリアの事も宜しく頼みます」
「自分に出来る範囲でなら、多少なりとも力にはなりますよ。ただ、今まで散々怒られるような事をしてきたので、あっちは嫌ってるかもしれないですが」
「ふふ、大分無茶をしたものね。話を聞いていて、私はそれが現実のものとは思えないのも幾つか有りました。この前も、マリーさんを守る為に他の英雄と戦ったのでしょう? その為に死に掛けたと聞いてますが、誇らしい事をしましたね」
「ああ、いえ。そんな、お気遣い無く。自分の居た場所では国の為に尽くし、国民を守るのは義務でしたから。それに、義務なんか無くても知り合いが困ってるのを見て、助けなかったら……えっと、嘘でしょう?」
そう言ってから、俺は眠気を覚えた。欠伸をかみ殺したが、どうにも眠い。欠伸を漏らしたのを見られたのか、公爵夫人は「ふふ」と笑った。
「無理はいけませんよ。私の話に付き合ってくれて有難う。ちゃんと休んで、元気になるのを待ってますから。何か必要なものはありますか?」
「いえ、失礼。特に用立てて欲しいものは無いです。お気遣い有難う御座います」
「では、また。いつか、一緒に食事でもしましょう? 色々と、貴方の話が聞きたいから」
その言葉に「いつの日か、そのように」と言って、俺は窓を閉ざした。カーテンも閉ざし、ベッドに転がるとやはり眠い。靴を履いたままに横たわり、首に提げたヘッドセットを外してウォークマンを再生した。
I don't want to set the world on fire、落ち着く声で眠気を擽ってくれる。枕を掴み、抱きしめてその柔らかさに一心地をついていると意識は遠のいた。眠気が異常だなと思いながらも、俺は抗う事はせずにそのまま眠りへと誘われた。
~ ☆ ~
カティアと言う少女がそこには居る。その大半は人の姿で、けど時には猫の姿で行動する事もある。主人の命令と言うよりもお願いや指示に近い言葉により、ミラノやアリアなどと一緒に居ることが多かった。実際、その方が効率が良かった事は多々ある。
主人を食ったような物言いや、小馬鹿にするような──或いは、翻弄するような物言いこそすれども、中身は猫だ。しかも、生そのものを教授していた期間の方が短い上に、猫と人とでどちらの方が長いのかを問われても戸惑ってしまうほどに幼いのだ。それでも余裕が有るからこそ知識を元に言葉遊びのように口調を変えたりもするが、感情的になるとそれが無くなる事が多い。
主人に涼しい顔をしながらも、学園では授業が終わって合流する時には走って真っ先に向かっていたり、自身を軽んじられると手出し──と言うよりも足が出てしまうのだけれども、他人に主人を害されるのをとても嫌う等と……ある種の”好意”を抱いている。
しかしながら、主人であるヤクモは鈍い──と言うのは語弊が有るくらいに、他人と言うもの、それこそ対人スキルが低すぎた。数年毎に父親の仕事の関係で家族ごと国を渡り、友人関係そのものを毎回失ってきた。日本に来てようやく固定の友人が出来たが、その頃には高校生であり、弟や妹と比べられて劣等感に沈む毎日だったので異性との関わりを気にかけたことも無い。
結果として、カティアも多少無自覚な”好意”と言う奴は、互いにボタンを掛け違えたようにすれ違っている。それでも、根底として「相手を大事にする」と言う物が有るので破綻はしていないのだが。
「んむむむむ……」
ミラノの部屋の中、カティアは自分の主人が仕える主が気難しそうに腕を組んで悩んでいるのを見ていた。そして何度か机に突っ伏しては身体を起こすも、直ぐにまた難しそうな顔をして突っ伏すという事を繰り返していた。
「ミラノ様、あまりそのような事をしていると品格を疑われますわよ?」
「あぁ、もう。カティ、なんでこういう時は味方してくれないの? 私が、何で悩んでるのか知ってるくせに」
「だからこそ、ですわ」
ヤクモが何も考えずに安請合いした「公爵家の一員になる」と言う話が、巡り巡って主人であるミラノを悩ませることになっていた。しかも、それは決してヤクモが考えたような軽い話ではない。養子縁組による組み込みだろうなとヤクモは考えていた。実際、その方が良いだろうと公爵も当初は考えていたのだ。
しかし、先日行われた装備品の展示説明やマリーの救助といった物が、それを難しくさせてしまったのだ。つまり、本人の知らない所で評価──と言うよりも厄介度が上がってしまい、その結果養子縁組では足りなくなってしまったのだ。
ミラノ曰く、兵を並べた所で一人でその大半が到達する前に倒れてしまうような、攻撃速度の高い装備。アルバート曰く、どのような甲冑を着込んだ兵士であっても……それこそ、ゴーレムのような鉱石や岩石の塊であっても木っ端微塵にしてしまう”魔法ではない”攻撃手段。そして伝説と言われているのに無自覚なりとも無系統の魔法を普通に行使する能力等々……。
言ってしまえば「手放せない人材」となってしまったのだ。クラインは言った、恩には礼を持って返すのが当然だと。しかし公爵の頭の中では、現在の情勢等を含めて色々と「そんな単純な物ではない」という認識の下で色々と考えられていたのだ。
ヤクモも、本来であればそういった可能性を考慮しただろう。むしろ、彼の得意分野とも言えるくらいの不信感でそこらへんを考え込み、何か有れば得意げに語ったりもしただろうが──。それも残念な事に、鼻詰まりを起しているというレベルで自分がどう見られ、思われているかと言う事に関して、気にしなさ過ぎたのだ。
自分は良く思われて無いだろう、嫌われてるだろう、悪く言われてるに違いない。そんな思い込みや”出来る事をしただけ”と言う、行き当たりばったりな善意から評価は良かった。ただ、その結果をもって今までミラノに怒られてきただけであって、別に悪い事をしたとは言っていないのだが──。
それに関しては、ミラノも不幸だった。学園に来てからも友人らしい友人を作らずに勉学にばかり打ち込んだせいで、ヤクモとは別の意味で対人能力が低く、結果としてヤクモの思い込みを助長する事となった。ヤクモが事後承諾気味に色々な事をしてきて、その度にミラノは怒っている。実の兄が戻ってきた事で同一視こそ薄れて来たものの、似ているからこそきつく当ってしまうのだ。
そして、その多くの場合アリアが傍に居てとりなしてしまう。間に入ったり、やりすぎたり言い過ぎたりしている姉に変わって労ってしまうので場を逃してしまい、ただ怒っただけの嫌な人物になってしまっている自覚もミラノには有った。
アリアと比べると、ミラノは考えた事や思った事がそのまま出てしまうという欠点があった。カッとなったときや、感情的になった時にはその欠点が顕著に出る──何度かアリアにも窘められ、そしてやらかしたと気落ちしている所を慰められたりもしていた。
「カティは、気にならないの? こんなのって……」
「なら、お断りすれば良いだけの話では? 私、ミラノ様なら別に文句は無いので」
魔法使いとして立派になれば、兄が居なくとも家の役に立てる。兄の命を間接的に奪ってしまった自分に出来る事はそれしかないと頑張ってきたミラノだったが──、それは父親に呼び出されて聞かされた話で一変してしまった。
『ミラノかアリア、どちらかが彼を夫として迎え入れる事となるから、そのつもりで居なさい』
公爵が言い淀んだ内容、そしてその結果そのまま解釈したヤクモによって話が全く違う物で受領されてしまった。しかも双方気づいておらず、もし公爵が真っ直ぐに伝えていたのならヤクモは何だかんだと理由を付けて断っただろう。それも、正当な理由で、聞いていて納得出来るそれらしい言葉を持って。
だが、そうはならなかった。結果として公爵は複雑な感情を抱えながらも「それが家や国の為になるのなら」と決断した。事実、ミラノにヤクモに対する婚姻の話だのなんだのと言った物を対処させたのだが、事前に「彼を抱き込もうとしている物は排除しなさい」と伝えてあった。なので時間をかけ、学園で見知った人物に関して割り振って貰って作業していたのだ。
その作業をしながらも、これからもこういった話は有るのだろうと、あらかじめ予習をさせてくれる父親に感謝していたミラノだったが──全く、予想していない方向へと転がったのであった。
「──ねえ、正直に言っても良い? 私、全然想像できない」
「大丈夫ですわ。婚約もそうだけど、結婚が想像できてする人なんてそうは居ませんから」
「……そもそも、アイツよ? ねえ、常識も知らない、誰彼構わず助けたがる上に気がついたら大怪我してるアイツなのよ? 家にいるという想像がまず出来ない」
「それは……同意しますわ、ミラノ様」
ミラノの言葉にカティアは少し言い淀んだが、同意した。事実、この屋敷に来てからと言うものの、両極端な事しかしていなかった。クラインを演じている間は鍛錬だの馬だのと屋敷に居なかったし、演習が始まれば一日も戻ってくる事無く居座り続けた。クラインが戻ってきてからは今まで頑張りすぎたといわんばかりに部屋に閉じこもり、外部との接触を断っている。どちらにせよ、ミラノには理解が及ばない事だった。
家から出たがらない方か、それとも飛び出していってしまうのかすら分からない。まず価値観が違う、考え方が違う、行動理念が違う。何もかもが違いすぎて、ミラノには頭を抱えるしかなかったのだ。
「それよりもミラノ様、否定はしないのね」
「なにが?」
「婚約や結婚そのものに、ですわ。嫌がるとか、拒絶するかと思ったのだけれど」
「それは……」
少しばかり言葉に詰まるミラノ。しかし、なぜ言葉に詰まったのかが理解できずに困惑し、それでも普段の自分なら何を言うのかを考え、それを回答としてカティアへと告げる。
「――父さまが言うのだし、家の為になるのなら受け入れるわ」
「それならなぜ悩むのかが理解できませんわ、ミラノ様。家を空けていようとも、逆に家に引き篭もって居ようとも夫は夫。必要があれば尻を叩いて、必要があれば甘やかす――そういうものではなくて?」
「カティってば、本当に見かけによらず色々知ってるのね……」
「ご主人様に喚ばれた時に、その知識の一欠けらを預かりましたの」
「優秀ね、羨ましい……。私は……はっきり言うけど、自信が無い」
ミラノはそう、弱音を漏らした。自分が何に劣っているかを理解した上で、他人と上手くやっていける自信は無いと彼女自身の口から漏れたのだ。ヤクモが知らない、普段は涼しい顔をして何でも出来る優等生と主人の仮面を被った奥にある脆いナカミ。
カティアは、今まで何度もミラノが悩み、考え込み、迷い続けているのを見て来たし、聞いてきた。それでもヤクモには一言も漏らさず、その上内緒にしていた。本来であればそういった事を伝えるのが筋であろうが、それに関してはカティアは黙秘する事を選んだ。それはカティア自身が警戒されずに別の角度からミラノと接する事が出来ると言う利点や、同性であるが故にヤクモには近づけない領域で色々と知れると思ったのも有るが――。
ただ単純に、仲が良くなったからという理由でも有った。
「──ダメね、こんな弱気じゃ。もっとしっかりしないと。ごめんね? カティ。なんか、面倒くさい事ばかりで」
「お互い様ですわ。……私も、ご主人様も、ミラノ様には迷惑かけてるし。完璧な人間、誰にも面倒や迷惑をかけない人なんて、居ないと言うのが私の考えだから。
弱音や弱気と言うのは、ヒトとして正常な判断が出来ている証拠だと思うの。不安に思うのも、自信が無いのも大いに結構だと思うわ」
「ん~……」
「それとも、アリア様に譲る?」
「それは──」
ミラノは更に言葉に詰まった。彼女なりに色々と考える事があり、結局の所自分しか居ないのだろうかと机に突っ伏した。
「──家のため、そう思ってたのになあ」
「クライン様に似てるから抵抗があるの?」
「そう言う訳じゃ……、たぶん、無いと、思う、けど──」
「ま、私は猫だから難しい事は分からないけど。悩みすぎても、あんまり良い事は無いと思うわ。
実際、ご主人様はあれこれ言ってるけど、多分そんなに悩んだりしてないと思うし。自分が死ぬかも知れないのに、何も考えないで他人を助けたりしてるのだから、実際にその時が来たら案外考えたりしたよりもスンナリ来るかも知れないわよ」
そういってカティアは席を立つと、部屋を立ち去ろうとした。自分の主人が気になったのだ。何だかんだと、一日の始まりに一度は見ておかないとソワソワしてしまう自分を知っていて、不安になると言う事もある。それに、結局の所彼女も彼女で「目を離すと居なくなってそう」という認識があったので、ちゃんと居るかどうかをその目で見ておきたいのだろう。
しかし、部屋の前に行くとオロオロしたメイドさんが居て彼女はどうしようか迷ってしまった。ここで使い魔だということを利用して扉を開けるのは簡単な事だけれども、そうすると自分が入ったという事実が残ってしまう。そうすると”邪魔”が入りかねないと彼女は考えた。
そこで彼女は、鼻が油の匂いをかぎつけたので遠回りをした。この匂いは整備をするときにするもので、そういう時は窓を開けて換気していると知っていたからだ。なのでメイドの傍を通り抜けて人気が無い所でその姿を変える。
本来の姿、猫の物へと。彼女の髪と同じような、白い毛並みの小さな猫。猫の姿となって彼女は裏から庭へと続く道を歩んだ。庭へ出ると直ぐに公爵夫人とその付き添いのメイド長の姿が見える。遠くではクラインがヤゴと手合わせをしている。その戦闘はせめぎ合ったもので、決着が付き添うには見えなかった。戦闘経験が素直すぎる上に乏しいけれども身体能力が強化されているクライン、女性で小柄ではあるけれども戦闘経験が優れているヤゴ。小気味良い音がカンカンと鳴り響く、それを横目に彼女は主人の部屋の方へと歩いていった。
彼女の想像通り、窓が開かれていた。匂いもそこから漂っており、ねめりけのある空気が彼女の鼻をくすぐった。ヘプシとくしゃみを一度だけすると、顔を擦ってから窓から部屋の内部へと入った。そこには彼女の想像したような主人の姿は無く、ベッドにそのまま横たわって眠りにつくという、危機感も凛々しさも何も無い姿が晒されていた。
ウォークマンの音楽が流されている、彼女の知らない言語の歌のようで、二分三十五秒と言う曲の長さなのだという事だけは理解できた。優しい音楽なのだろうと彼女は思った、ヤクモは安らか──とは言い切れないながらも、普段とあまり変わらずに眉の寄った表情のままに、文字通り死んだように眠っている。
そんな主人をみてカティアは嬉しそうにしていた。彼女の敬愛する主人が、安らかで落ち着いている所は殆ど見られないから。何度か学園生活で見に行った事は有るが、良く見えないからと飛び乗ってしまってうなされてしまう事がある。大体そういう時は自分の主人が悪夢を見て居ると言う事も知って、最近ではご無沙汰だった。
人の姿へと戻った彼女は、頭をそっと撫でる。その瞬間ビクリとヤクモが反応し、表情がより一層険しくなった。しかし、彼女は一度だけ目蓋を閉ざして数秒集中すると、ヤクモの表情が和らいだ。目覚める危険性が無くなり、先程よりも眉の寄りが和らいだ。そして気兼ねなく、ゆっくりとその長くなってしまった髪共々に頭を撫でる。
「──大丈夫、私が、ちゃんと守るんだから」
その言葉の意味は、カティアだけのものだ。どのような事を考え、どのように生きてきたか、その上で何を想い、その言葉として発言されたのかなんてきっと分かる人はいないだろう。それは、主人であれ、だ。
何度か暫く撫でていたが、カティア自身も陽気の心地良さに圧し負けて眠くなってくる。それでも何とか眠さに負けないようにと頑張り、それからふと思いついた事があるのでそうしようと思った。
ただの思いつきでしかないが、彼女なりの愛情の表現の仕方の一つだと思えた行動。
『しょうがないわね……』
自分の主人の、遠い日の記憶。まだ劣等感も無く、ただ自由に、奔放に生活していた頃の記憶。ハーフである事をからかわれ、喧嘩をした時の光景。母親は怒ったりはしなかった、ただ事情を聞いた上で「そう」と言って、涙ぐむ息子を慰める為にその膝へと頭を乗せた。
そして、カティアは主人があまり多くは語らない事も理解している。親に認められたかった、けれども先立たれてしまって空回りした努力と拳の着地点が見当たらなくて──受身なままに、異世界でもダラダラしている。
理想も無く、夢も無い。それでも、生きなければならない。彼の行動指針が他人中心になっていて、常に枠組みに、型に当てはめている事を彼女は理解していた。多くの人は賞賛するだろう、その行動を。多くの人は褒め称えるだろう、その功績を。けれども、彼が求めているのはそうじゃなく、ただ──ちっぽけで、誰が聞いても首を傾げるような安い願い事でしかない。
その願いを知るものは居ない。カティアはただ、その光景が今でも思い返されるという事は、それだけその記憶が大事なものなのだと考え、そのようにしただけだった。
次第に、彼女も眠くなってくる。ささやかな幸せ、二人だけの空間に彼女は満たされていた。まだ多くは語らない、最近では少しずつ色々喋るようになった主人にも深い傷がある。それを埋められるのが自分であれば一番良い、けれどもそれが自分じゃなくても構わないと彼女は思う。
彼女にとっては、通り過ぎていく大きな生き物達の中で、彼だけが膝を屈してまで食べ物を与え、触れ合ってくれた救い主だったのだから。
暫くして、煮詰まったミラノが部屋にまでやってくる。そしてあどけなく眠りにつく二人を見て、表情を和らげて退出して行った。仕方が無いなと、少しはヤクモと話をすれば肯定にしろ否定にしろ考えが傾くんじゃないかと思ったが、二人の時間を邪魔するのには気が引けたようだ。
異世界から来た二人、その多くを主人ですら知らない。最近まで二人とも頑張っていたのだから、たまにはこういった時間も必要だろうと考えて。
数時間後、食事の時間が近づいてノックがされた時にヤクモは驚いたのだが、それは別に大きな話でも何でもない。日常の一欠けらでしかない。ただ、良い睡眠と良い目覚め、その先に幼い使い魔の寝顔と来て恥ずかしくなっただけの事であった。




