56話
いざと言う場合、自他に対して可能な限り処置を尽くして戦線に復帰し、任務に復帰せよ。そんな事は、前期教育から幾らでも言われ続けてきた。自分や他人が負傷してダウンした場合でも、処理や処置が早ければ死なずに済む、死ななければ戦闘に復帰できる見込みがあるので、戦力の一時的な喪失に繋がれども、長期的に見れば戦力そのものの喪失にならないという考えだ。
例えば俺が肩を打ちぬかれて、失血や握力の喪失、或いは激痛が走ったとしてもだ。傍に居る人が手当てをしてくれれば、即座に復帰できずとも死なずに任務に誠実であればまた戦場に舞い戻れる。当然、組み込まれる部隊や誰の指揮下なのかは分からなくなるが、俺が存在するだけで敵はその分狙いを分散させ、俺達はその分狙いを集中させる事で頭を抑える事だってできる。
それだけじゃない、人間と言うのは利己的な生き物だ。それこそ日本ではタブー視されている”愛国心”だけで任務に臨んで散っていく人はそこまで多くは無いのかも知れない。それでも──それでもだ、アメリカの”No one gets left behind《誰も見捨てはしない》”という言葉がある。それは生きていようが、死んでいようが必ず”救う”と言うものだ。仲間が必ず助けてくれる、だから戦えると言う安心感もあるだろう。少なくとも、戦意には繋がるのだから悪い物ではない。喩え|”Killed in Action”《戦死》しようとも、亡骸は必ず国へ、家族の下へと連れ帰ってくれる。自分達が尽くし、守ろうとした国へ、家族の下へ、人々の住まう場所へ。
俺は、翌日元気になって復活した。貧血もなし、気分が悪くなったり気持ち悪くなる事も無いままに朝の部屋での鍛錬を終える事ができた。念の為にステータスを確認するも、先日までのバッドパラメーターは全て消えてなくなっており、寝起きもばっちりおめめパッチリと言う奴だ。
カティアが朝食前に様子を見に着たが、俺が先日言ったとおり元気になっているのを見て驚いていた。顔色が良かったのだろう、少なくとも色白ではない見たいなので外見的にも好印象だ。
「もちろん、直ぐに無理はしない事。ご主人様、直ぐに大丈夫とか言って無理をするから」
「それは分かってる。無理はしない、約束するよ。数日経過を見て、それでも大丈夫なら俺は復帰するから──そういう風に、回復してきたって伝えてきてくれるか?」
「それは構わないけど。誰に? 皆に?」
「公爵かなあ……」
意図的にミラノ達は省いた。すぐさま部屋に押しかけられて騒がれたら溜まったものじゃない、もう少し事後経過を見るという概念が無いのだろうか? 或いは、科学的に発展してないから「症状が治まったらその時点で回復したのと同じ」と思っているのかもしれない。んなわけないのだが……。
「そう言えばご主人様、昨日変な音が聞こえたって報告があったから気をつけましょう」
「変な音?」
「何かが飛んだような音、だったみたい。夜の警備をしていた人たちからそんな報告があったんだって。公爵様はその関係でマリー様の所で話をするみたい」
「ふ~ん……」
「ふ~んって、ご主人様? まだ調子が悪いんじゃないかしら、いつもなら『警戒するか』とか言うのに」
──少し上手くやれなかったようだ。けれども、俺はまた事実のみを歪める事無く、意味だけを変える。俺の言葉の意味を変えるために。
「もし襲撃なら、そんな回りくどい事をしないだろう。脅威度の高い、英雄殺しは暫く負傷で動けないらしいし、動けたとしても俺達の想像を超えるような手段や行動で容易にやってのけるはずだ。
マリーがやるにしても、滞在中にやるにしては行動が雑すぎる。そして兵士達の大半は引き返して行ったとは言え、まとめて二つの公爵家を敵に回すには暗躍するにはリスクが高すぎる。とは言っても、可能性が排除できない以上は気にかけた方が良いけど、俺にはちとピンと来ないな」
「ご主人様がそう言うのなら、多分そうなのかも知れないわね。けど、ご主人様が今日外出して体調不良を起したり、怪しい感じがしたら直ぐに帰るから。もちろん、ご主人様も一緒にね」
「大丈夫だ、それに関しては唯々諾々とするよ」
「……難しい言い回しをするわね」
文句を言わずに従いますよと言う意味だけれども、そんなに難しい言葉を選んだつもりは無かった。ここら辺、俺も日本語が下手なんだろうなあ。もうちょっと、分かりやすい言い回しが出来ればいいのだけれども。
けれども、俺の言葉があまり普段とは変わらないという印象を与えられたようで良かった。急に人は変われないとは言うが、急に人が変わると怪しまれるという事も覚えておくべきだろう。
「それじゃあ、行って来るわ」
「ん、行ってらっしゃい」
そして、カティアを見送ってから俺は少しばかり自分の腕や服の匂いを嗅いだ。昨日一応自分で洗いはしたが、体臭的にもその他の臭いに関してもカティアの嗅覚を誤魔化すには労力が居る。下手すると体調が悪い時の体臭とか、嘘をついている時の汗の臭いとかまで覚えてしまうかも知れない。それだけは、何とか避けたい。少なくとも、上手くやる為には。
いつものように運ばれてくる朝食、けれども当然ながら俺に出てきたのは病人でも食べやすいようにと思いやりから来たお粥だった。当然塩分は少なめで、むしろ味の方が薄くて粒も少ない、水分の方が多く感じられた。さて、また二度寝でもしようかな……。そんな事を考えながら、俺はゲーム機を起動した。さあ、妄想トリガーを引こう……。
――☆──
八雲とマリーが全力で避けたがっていた食事の場は、カティアにとっては口を開く事は殆ど無いにしても、それなりに興味の尽きない場面でもあった。カティアにとって人間と言うのは”大きな生き物”であった、今でこそ人の姿になったもののそれでも主人であるヤクモを含めて、自分より背丈の大きな人物ばかりであった。
仮初では有るけれども、人と同じ姿を取り、同じように言葉を発し、同じように行動し、同じように生きる。そもそも獣としての生も短い彼女にとっては、生きることそのものが新鮮であった。
彼女にしてみれば何故主人がこの興味の尽きない場を避けたがるのか分からず、そうする事で少しでも知識や知恵をつけて役に立てるようにと考えていた。
「ほう、そうか。彼は、回復したか」
「はい。けど、ご主人様本人の言葉なので、あまり真に受けない事にしておりますの。
数日様子を見て、それで調子が悪くならなければ大丈夫と見て宜しいのではないでしょうか」
「では、それまでは彼の要望どおりにしておこう。変に刺激しては良くないからね、三人とも控えるように」
そう言って公爵は三人……クライン、ミラノ、アリアを見た。公爵からして見ればクラインは今の所辛抱している方だと思ったが、それでも”興味が有る事に対して首を突っ込んでしまう”という欠点を理解しているので、未知の塊である彼の調子に関わらず”会話なら大丈夫だろう”と押しかけかねない事を懸念していた。五年経過し、外見的には多少成長している。けれども、精神面や他人との交流を含めた物は五年前のままで止まっているのではないだろうかと言う恐れもあったのだ。
そしてミラノとアリアに関しては、別の恐れがあった。五年前の事件以来、彼女達は他人と積極的に交流する事を避けているのを父としても知っていた。ミラノはクライン不在の為、優秀な伴侶を得る為に努力し続けていた、アリアはその身体の弱さから積極的に関わろうとしなかった。
似ていると言う事もあるが、それ以前に二人の時間が五年前のままで、クラインとは別の意味で止まったままの二人が、彼によって動かされるのもまた一つの恐れだった。公爵は、恐れた。ただの無能であれば何時しか呆れて見放すだろう、普通の人であったならばそこまで危惧はしなかった。
しかし、本人が意図したにしろ、そうでないにしろ、結果を出してしまった。ミラノやアリア、アルバートにグリムを救っただけなら、内々で褒めれば済んだ話だった。けれども、ヤクモと言う人物はそれだけじゃ無かった。街中で、自分が目にした中で助けが必要な人たちを救えるだけ救ったのだ。当然無制限にと言うわけじゃない、彼の主要目的である”偵察”に該当する範囲内での話であり、街中で救いを齎したわけじゃないのだ。その事が手伝って、英雄としてもてはやされる事となった。
別に英雄と言うだけなら良かったが、その後にミラノやアリアの知る範囲で「兄を回復させた」という小さくは無い結果を齎し、その上で「英雄の一人を救った上に、その英雄達からも感謝されている」という事が公爵の頭を少なからず痛めたのだ。
考えられる未来として、彼はこれからも”良し”と思う事をするだろう。その結果、他人に関わる事をしてこなかった二人が依存してしまう事を考えたのだ。公爵自身、息子のクラインと彼を被せてしまった。今でこそ本人が回復して傍に居るから大丈夫なものの、言動や思考があまりにも似通いすぎていた二人を同一視するなと言うほうが難しかったのだ。
娘達もきっと依存しただろう事は想像に難しくなかった。事実、二人の娘が今までとは違って、それぞれに生き生きとしていたのだから。今はまだ、ヤクモが自分の立場を弁えて大人しくしているから良いものの、その内立場や身分といった物を超えてしまう事も危惧したのだ。そうなった時には、娘達も身分や立場と言うものを忘れて頼ってしまうだろう。身分や立場を忘れないにしても、一人の人間に色々な物を依存し、委任させてしまうのを良くないとした。
ただでさえ今難しい状態にある、魔物がどうやって学園のある土地にまで侵入したのか、どうやって壁を破壊したのか、その目的は何だったのかが分からずにいる。その対処や対策に追われながらも、国内では一部の貴族達が”勘違い”をして、国内を乱そうとしている。そんな中でヤクモと言う人物は、頭痛の種の一つになった。
英雄として祭り上げたのは、一種の示威行為でもあった。足を引っ張り、引き摺り下ろそうとする連中からして見れば「デルブルグ家の召喚した人物が、多くの人を救った」という事実は、一種の餌でもあった。その功績に報いなければ「デルブルグ家は、功あるものに報いない」と風に流されていた可能性も有り、その上どのような人物なのかを知らなかった当時は「そのような働きをした人物が他所に流れる」と言う事を避けたかったのだ。
今、更に幾つかの働きを見せた事を踏まえて尚更他所に行かれるのは困ると言う人材と化した。重傷を負ったとは言え、かつての英雄の一人と対峙して生き延びた。公爵はマリーの力量や実力を知らないが、同じ時に行われていたロビンとアイアスの英雄同士による戦いを見た事もあって「英雄とは、人間の範疇から外れた力量の持ち主である」と言う認識が出来た。
結果、過去の記憶が曖昧であると言う本人の言と絡まって扱いが一気に難しくなってしまったのだ。しかも神聖フランツ帝国からは活躍を聞きつけたからか寄越せと言われてしまい、如何すべきかも悩みの種になった。
ヤクモ本人が思っているよりも、或いは与り知らぬ所で身分や立場に見合わぬほどに重要度だけが高まっていた。結果、公爵はその人間性に賭ける事にしたのだが。ただ、公爵自身の考えている事と、本人がどう受け取ったかで相互の認識にズレが生じているのだが、それを知るのは大分後である。
公爵が色々と悩み、考え、そして対処に頭を悩ませているとは知らずに、子である三人はそれぞれに返事をした。どれも承諾であり、良くも悪くも親の言う事に逆らわない良い子ばかりであった。
「けれども、それならば本日の外出は避けた方が良いのではないかな?」
「遠出しないそうですわ。ただ、ご主人様と私の勉強の為に周囲に何も無い場所が必要だとか」
「ふむ、魔法の訓練でもするのかな?」
「さあ、どうでしょうか」
カティアは食事の席で、公爵に話を振られてヤクモの話をしていた。実際には食事の前に回復しかけている事を告げたのだが、食事の席でもその話題に触れる事となった。同席しているヴァレリオ家とヴォルフェンシュタイン家の者も居るが、本来反応するはずのアルバートは萎縮していて表情を少しの間明るくしたが、直ぐに俯いてしまった。グリムはいつものように無表情かつ無反応で、今の話を聞いていたのかすら定かではない。
アルバートとグリムが反応しなかった変わりに、その兄や姉達が反応を示す。それも当然であり、本人にして見れば”辛うじて生き延びた”と言う、力量差を見せ付けられただけの苦しいものだったが、他の者からすれば「英雄と渡り合った」と言う事実だけが強い興味を引いた。英雄とは、かつてこの世界を、そして人類を救った人たちの事である。その実力を彼らもまた目にしており、それを基準にして生き延びたと言う事実に焦点を当てているのであった。
「なあな、そいつ……強いんだよな?」
「おいエクスフレア、まさかとは思うが、問題を起す気か?」
「いやいや、親父殿問題を起したいとは思ってないさ。けどさ、アイアスやロビンも現場を見てるわけだし、話が事実なら──あの大爆発を生き延びた上に英雄と渡り合ったんだろ?
そりゃ、興味が出るさ」
エクスフレアはそう言って笑みを浮かべた。アルバートの三人兄弟の中で一番上であり、ヴァレリオ家の次期当主の可能性が一番強い男でもある。次兄であるキリングに比べると魔法の繊細な扱いやそのその種類では劣るが、父親と同じように前線で部下を率いて戦い、大味な魔法を武技に織り交ぜて行使する事が得意であった。長男である事や、自身の性格を把握した上でエクスフレアはそれを良しとした。そしてデルブルグ家の過去の出来事からエクスフレアは自身に足りない所を自覚した上で、次席である次男のキリングにはどちらが当主になろうとも、互いに支えあう事を言って来た。
キリングもそれを受け入れた。キリングはエクスフレアに比べると最前線での戦いには長けてはおらず、魔法の行使や頭を使った事柄に対して長けている事を知っていたからだ。兵士から一番信認を得やすいのがエクスフレアである事を認め、家が割れる事をキリングも避けたがった。兄がどちらが将来家を継いだとしても、兵士達の中に混じって戦いを指揮をする事ではエクスフレアには敵わない、けれども自分には領地の運営や突撃しがちな兄の制御と作戦立案などで寄与できると。
結果エクスフレアは自分の長所を伸ばすことが、”面倒な事を丸投げした”という事実に向き合う事に繋がると考えていた。だからこそアイアスとしょっちゅう手合わせや稽古をしてきて、東西南北、国内で強い人が居ると聞けば武器を交えずには居られなかった。
「全く、兄さんは困った人だ……。ですが、どうやって生き延びたのかは私も気になります。
公爵も、良い人材を見つけたものですね」
「──娘が召喚したんだ、キリング殿。そこに偶然や運命と言った物は介在すれども、意識して、あるいは意図して彼を呼び出した訳ではない」
「──使い魔と言うのは、どうやら召喚した人物の性質や望み、願いなどに準じるのではないかという噂が有りますけどね。
ご本人が居るのにこう言っては何ですが、クラインさんを想像していたか──帰ってくるのを望んでいたのではないでしょうか?」
「ぶふっ……」
キリングの言葉にミラノが噎せ返る。アリアは目線を彷徨わせてから今の言葉を聞かなかった事とし、本人であるクラインは話半分に聞いていたのか、食事を貪っている最中であった。
「わっ、私は、べっ、別に──」
「姉さん、こういう時は黙ってた方が良いよ?」
「うぐっ……」
ミラノは否定しようとした、彼女としては多少なりとも事実ではあったものの、否定しなければそれが受け入れられてしまうと思ったのだ。しかし、アリアはそんなミラノを見て「必死に否定すればするほど、皆はそうなんだと思い込む」という、学園生活で周囲を眺めてきた中で得た知識を元に宥めた。
実際、ミラノが否定すれば公爵をはじめとした周囲の人物はそう受け止めただろう。ミラノは、良くも悪くも対人スキルが低く、そういった事には思い至らなかった。
「オルバ殿は、使い魔に関しては何か理解が有るのかな?」
「いえ、残念ながら。僕は使い魔に恵まれてないので、そういった事には疎いんです。すみません、公爵」
「へえ~、オルバにも分からない事が有るんだなあ」
「い、いや。その……すみません、勉強不足で」
公爵に訊ねられた時は毅然とした態度だったオルバは、クラインにそう言われた瞬間に一気に態度が崩れた。オルバは親を失い、領地を国に管理されるようになりながらも学園を主席で、最年少で卒業し、現在では国王の一人娘である姫の教育係をしている。そこまでの道のりと、現在の彼を取り巻く周囲の風評等と言ったものにも抗い続けていた。
若いが、その若さに見合わぬほどに責任や重圧と言うものに慣れているはずだが、そんな彼でも自分の生き方や指針になってくれた相手に対しては滅法弱かった。だからこそ、かつて似ている人物を警戒し、敵対したのだが。
「ただ、彼の扱う武器や知識には興味が有ります。彼は──僕が研究していた武器を、何段階も先を行った武器を所有していました。それ以外にも、詠唱破棄による魔法の行使や、戦い方と言うのも興味が有ります」
「オルバ殿が研究している武器の一つ、だったかな。ユニオン共和国でも似たような物が作られていると聞いたが」
「僕が作っているのは、錬金術の系統に属する物です。学園で教わっている物は、魔法を経由した物ですが、僕がしているのはそうじゃありません。言ってしまえば魔法を持たぬ庶民の方々でも材料と手段、そして知識さえあれば手の届く物で、ドワーフの方々にしか出来ないとされる純度の高い金属の作り方にも通じている所はあります。
何故人の作る物は、彼らの物に劣るのかと言う疑問にはまだ到達していませんが、それらも理論や理屈で解釈出来る物だと僕は思っています」
そう言ってからオルバは一呼吸置いた。彼らは魔法と言うものが有るが故にそれを絶対的なものとして、或いは手段として用いてきた。だから自分の言っている事に理解が追いついていないかも知れないと、周囲を窺う為でもあった。事実、肉体派であるエクスフレアは既に理解を放棄してただ頷いて「すげーよな、うん」と言っているだけであった。アルバートは理解をしようとはしていたが、そもそも純度の高さが何に関わるのか分からず、ただ身近に存在するフォークとナイフが鉄なのだろうと思い至ると、それらを見て更にこんがらがっている。
ミラノとアリアも似たような物で、エクスフレアほどではないが理解が追いつかずに放置されている様子である。ただ現当主である二人の公爵はそれぞれに、威厳を損なわない程度に自分の知っている事を材料として置換する事で何とか理解を示しているに過ぎない。
カティアは、知識として理解はしていたが、彼女はその場に置いて丁重に扱われては居たが、主人が居ない上に立場としては使い魔なので、話を振られたり重要な話題が無い限りは口を開かないようにしていた。ただ、クラインは昔からゲヴォルグと言う人物と関わっていた事から、置いてけぼりにはならずに済んだ。
「あぁ~、えっと。オルバさんよ、そういった事を毎日考えてんのか?」
ヴァレリオ家の当主、ディミトリーがそう言った事で、オルバは少し語りすぎたと知った。これ以上はただ場を白けさせるだけだと理解し、咳払いをしてから答える。
「まあ、そう……ですね。僕なりに国に尽くそうと思い、結果未着手の領域に手をつけているだけですが」
「若いのにたいしたものだ。年の近いアルバートにも見習って欲しいもんだ」
「──……、」
当て馬にされたアルバートは何も言えず、口を開いた所で何も言い返せないことを知っていた。父親であるディミトリーは、三男であるアルバートの事を心底心配していた、それは三男であるという事実から将来如何するのかを考えてしまい、少しでも奮起してくれればと言う想いや願いからでもある。しかし、アルバートはそれを素直に愛情として受け取れなかった。優秀な二人の兄が居て、その二人に武力でも知力でも劣っている事を知っていて、父親は自分に対して呆れているのだと考えていたからだ。
そうやって自分の好いている相手の前で言われるのだから恥ずかしさもこみ上げ、そして何とかしなければと思いはしている。けれども、結局の所学園と言う狭い世界では児戯にしかならなかった。だから半ば歪み、弱いもの虐めや体裁に拘るようになってしまったのだが。そうやって学園で囲いを増やした所で、愛しのミラノは別段興味を持つわけでも無く、かと言ってアルバートがミナセやヒュウガを苛めたりした所で”上の者が下の者に対して行う物”として認識しているが為に、嫌いもしなかった。
ただ、昔から交流のある同じ爵位の家に生まれた子供であると言う、それだけでしかない。片や事務的に、或いは社交辞令として接し、片や素直になれずに空回りしている状況でもあった。そもそも二人とも「両親が親しい」と言う以上の繋がりは無く、それですら間接的なもので有ったのだから仕方の無い話であり、学園に入って四年目にして「ヤクモ」と言う身近な人物を経由して互いの交流が生まれたような物であった。
今までであれば、そのように言った所でアルバートが傷つくだけであったが──今回は違った。
「ディミトリー様、アルバートは最近頑張っています。先ほど話題に上がったヤクモと言う人物に”辛勝”してからと言うもの、彼を認めて教えを請いました。
私も──お恥ずかしい事ではありますが──彼の事を理解していません。それでも、指摘された自分の弱い箇所を補う為に努力している所を見ています」
「へえ……?」
ミラノが異を唱えた、その事にディミトリーは笑みを浮かべた。今までは興味無さそうに、同学年であるアルバートが父親に酷く言われても反対する事が無かったからだ。興味が無いのだろう、そう思っていたのだが──初めての事に、面白さを感じた。
「ミラノ嬢ちゃん、それは同情かな?」
「あの、ディミトリー様。実際にグリムと一緒に訓練している所を見ました。魔法に頼った戦闘で、基礎の──身体能力も鍛えないといけないと言われて、走っている所を見ました。
他にも、戦いとは何なのかを聞いて、形式ばった戦いもあれば、本当の戦場ではこういう事も起きると、見たり、経験して勉強してるみたい……です」
「ふむ、アリア嬢ちゃんもそう言うが──グリム、どうだ?」
「──ん」
グリム、ヴォルフェンシュタイン家の三姉妹の三女。代々ヴァレリオ家に仕えてきた家柄の人物で、彼女の姉達もエクスフレアとキリングにそれぞれ仕えていた。ヴァレリオ家に男が生まれれば女がヴォルフェンシュタイン家に生まれ、仕える。女であったなら、ヴォルフェンシュタイン家に生まれるのは男である。そこに色々と疑いの声や疑念は今まで生じたが、それも「英雄直下の血筋だから」と言うことで半ば無理矢理納得されていた。
エクスフレアは大雑把な性格をしているのに似たのか、従者のイリーナも似たように大らかな人物である。逆に理屈や論理、道理を重んじるキリングの従者は、彼に似て理屈や論理、道理を重んじる人物となっている。アルバートの従者であるグリムは……今の所自分の仕える相手に寄り添った成長の兆しを見せていなかった。
アルバートはまだ自分がどうなりたいのか、どうありたいのかを見出せておらず生き様を見出していない。その影響でグリムも同じように曖昧なままに成長しており、ただ「使えるべき相手の役に立てるように」という、家の教えを守っているだけに過ぎなかった。だからこそ、今まで差し障りのない事しか言えなかったのだが──。
「──事実。アルは、頑張り始めた」
短い言葉では有ったが、肯定だった。曖昧ではない、ハッキリとした肯定にアルバートは何もかもが分からなくなった。ただ、全てが遠い出来事のように思え、俯く事さえ忘れて自分の味方をしてくれた人々を見た。一つ壁を挟んだ近すぎる隣人、手が届きそうで届かない、相容れていると言うには全てが乖離している間柄。そうじゃなくなった今が、まるで彼には信じられなかった。
「だそうだ。アルバート! どうやら俺は間違っていたようだ、だから謝罪する、許せ」
「あ、いや。その……親父殿、我は──」
トドメと言わんばかりに、実の父親が謝罪までしてきて、アルバートの混乱は達した。もう如何して良いのか分からず、父親の謝罪やミラノやアリア、グリムの擁護とも言える発言にエクスフレアとキリングはお互いに顔を見合わせた。二人とも、三男であるアルバートの事を大事に思っていたが、引っ込み思案とも臆病とも言える態度や、どう足掻いても後継者になる事も無いだろうと”貧乏くじである”という事に僅かではあるが可哀相に思っていた。
だからこそ、そんなアルバートが変わったらしい事、それを自身ではなく周囲の人物が言ってくれた事に二人は喜んだ。笑みを浮かべ、公私で言うなら公の場であるにも関わらずにハイファイブをした。
そんな様子を見ていたカティアは、人間と言うのは面白いんだなと思った。或いは、こういったのを既に見慣れているか、或いは本人達は嫌っているから同席したがらないのかも知れない。この場に居ない二人の事を考えながら、カティアは食事を黙々と進めるのであった。
──☆──
俺は久しぶりにその衣類へと袖を通した。戦闘上衣、戦闘下衣に紺色の部隊識別帽。戦闘上衣の横に存在する”ハリ”を作る為の調整をする部位にカラビナを噛ませて、そこに鉄パチの顎ヒモを引っ掛けてぶら下げている。
半長靴は二度寝から覚めてから念の為にと一度ばかり磨き上げた、鏡面磨きまではしなかったが、綺麗な黒色になっている。普段装備していた弾帯達も戦闘服に合わせて調節し、腰骨に引っかかって絶対にズリ落ちないようにし、更にサスペンダーをつけた。
八九小銃に負い紐をかけて、三点スリングとして機能するように長さを調節する。身体に密着させて行動を阻害しないようにするための長さと、直ぐに射撃が出来るように切り替えやすいようにしておいた。
ゴム手袋も用意し、手の保護も準備しておく。胸ポケットにはメモ帳と三色ペンで、直ぐに必要な事をメモできるようにしておいた。今はそこまで緊張感のある状態でもないが、必要な事は直ぐにメモしておいて対応できるように、或いは後々勉強できるようにもしておくのが肝要なのだ。
防弾チョッキは必要だろうかと悩んだが、感覚を思い出し、その上で馴れる為にも必要だと身に付ける事にした。これで大分体積や行動阻害率が高まったが、プレートの入った重みは安心をもたらしてくれる。
そうやって色々と自衛隊装備に身を包んでいると、髪の長さが気になってきた。本来であれば髪を掴めてしまう長さはご法度で、そんな長さになってもバリカンで処理するなりPXの散発店でさっぱりと短くしてしまわないと、上官や先輩に怒られるのだ。安全の為でもあり、見栄えの為でもあり、そして戦闘行動の不利を消す為でもあった。
――クラインと外見が似通ってしまっている以上、差異を作らなければならないだろう。今度鏡の前で鋏でも入れるとしよう、有り難い事に髪を少し短くすると良い具合に髪が立ってくれる、それを誤魔化すように上にあげてやれば長さをそこまで調整しないで済むかも知れない。
なんだかワクワクしてきた。今日俺は、手榴弾だの、閃光手榴弾だのと言った物を使う予定だ。使い方自体は教わっている、ただ実際に使った事は無い。むしろ敵役として喰らった事があるくらいだ、市街地訓練で珍しく使用する事になったので使われたのだが。
他には……なんだっけ? 発煙手榴弾だったか、煙幕手榴弾と呼ばれるものもある。しかも、誰にも使用許可を取らずに自由に使っても大丈夫なのだ。こんなの垂涎物過ぎる、今までの不運はこれに見合った物だったのかも知れない。
薬莢受けを八九小銃に付け、弾倉と実弾も幾つか用意した。久しぶりの、火薬、大放出である。開けた空間だから酔いそうなほどの臭いはしないだろうが。
そうやって回帰とも回顧とも言える物へと没入していた俺を引き戻したのは、やはりと言うかなんと言うか、部外者だった。途中で食事を持ってきてくれたメイドさんを驚かせてしまったが、それはあまり気にしていなかった。それよりも来訪するのはカティアだけかと思っていたら、何故かゾロゾロとミラノ達がやって来た。しかも食事の為に多少片付けたとは言え、まだ店を畳んでない部屋の中にだ。
「顔色が大分良いみたいね。けど……何その格好」
「──保護色?」
開口一番、ミラノは調子を確認するかのような言葉を吐きながらも、俺の服装にケチをつけた。軍服とは何処も過剰に飾らず、且つその国や目的に沿った色をしたものだ。グリムはその点理解しているようで、迷彩柄を見て保護色と言ってくれた、これは嬉しい事だ。
さて、此方に興味を示している二人も居れば、それとは別に俺の展開したままの物品に興味を示している物もいる。九mm拳銃を持って眺めているアルバートや、暗視装置を双眼鏡のように目に宛がっているアリアが居る。暗視装置から電池を外してある上、キャップをしたままなので当然見えるわけが無い。むしろ無意味に電池を入れたり、下手に起動して感光する事で目をやられたら溜まったものじゃない。
「これは、貴様が使っていた武器か──」
「アルバート、それを人に向けるなよ? 向けたら、立場とか関係無しに怒るからな」
「あ、あぁ。大丈夫だ、そんな真似はせぬ……」
弾を入れていない、そもそも弾倉が外れている上にスライドが下がったままロックされている九mm拳銃は、どう足掻いても殺傷する弾丸は吐き出されない。けれども、銃口管理や安全管理の関係上、安全であろうと無かろうと銃口を向けさせてはいけないと覚えてもらう。
──アルバートが少し食い下がるか、或いはクラインを演じて騙した事を根に持って銃口を向けてくるかなと思ったが、拍子抜けとも言える位素直に従ってくれた。それ所か、銃を置いて距離をとる。その様子を見て、強く言いすぎたのだろうかと胸が痛む。
「ああ、いや。その、何だ。悪い、そこまでじゃないんだ、アルバート。ただ、その……なんだ。
一応使えない状態ではあるんだけど、俺もそう教わったように、安全であっても武器を平気で他人に向けるのは止めて欲しかったんだ」
「その、なんだ。理解しているとも。ああ、理解している。武器を──安易に他人へと向けるのは良くないと言うこともな。貴様の言った事は──ああ、正しいとも! だから、謝るな!」
「お、おう」
アルバートの剣幕に圧されて、俺はそれ以上何も言えなくなった。何か有ったのだろうか? そう思ってカティアを見るが、彼女はただ悪戯っぽく笑みを浮かべると「言わなくても良い事も有りますわ」とかわした。
カティアが隠し事をするのは珍しい、匂わせておきながら言わないというのは──少し、彼女も何かしら変化や成長が有ったと見るべきなのだろうか? それも良い傾向であれば良いなと思っていると、グリムが俺の格好を間近でシゲシゲと見ているのが気になる。
「グリム、どうした?」
「──珍しい格好。気になる」
「今この部屋に置いてあるのは、軍人──いや、兵士か。俺が居た場所で、俺達が使っていた装備なんだ。この格好も、アルバートやアリアが触れたものも全部そう。全部、それぞれに意味がある」
「──この服、自然の色がする。遠くからだと、見つけにくい、かも」
「そう、その通り。顔に、その場に応じて色を塗ったりもする、偽装をするんだ。
相手を待ち受けたり、或いは敵の行動を偵察する時にも有効でね。自然の色に紛れて、身動きせずに何刻も待ち受ける……そう言った事もする」
「──狩人みたい」
まあ、実質狩人みたいなものだろう。攻め込む為の兵士じゃなく、防衛の為の兵士なのだから。自国の領土、自国の地形に溶け込みやすい柄をしていて、その為の偽装に陸士の内から触れていき、何が有効なのかを教われる。どれだけ恵まれているのだろうか? 恵まれすぎていて、吐き気がする。今更辞めた俺がしがみ付いた所で、これ以上は何も学べないのだから、独学で推測と憶測を打ち立てていくしかないのだ。
そういえば偽装網も有ったな、あれも装備の内に入っていたから今度使ってみよう。整備の仕方を今でも覚えていれば良いんだが……。本来であればそういった事を十全に申し受けし、申し送りをされた係陸曹の担当者がいるのだが、ここにはそのような人は居ない。整備不良で効果の低減をされても困るし、だからと無理な事をして破棄する破目になるのも嫌だった。
「アリア、それ──精密な道具だから気をつけて欲しい。落とすだけでも壊れる可能性があるんだ」
「これ、そんなに壊れやすいんですか?」
「えっと、何だっけな……。可視光、増幅……まあいいや、暗視装置、暗い場所でも若干周囲を見えるようにしてくれる装置。光を起すんじゃなくて、闇に適応する事で此方の存在を発覚され辛くする装備。
ただ、さっきも言ったけど取り扱いに繊細さが必要で、壊れたら多分直せない」
多分、というか絶対に直せないのだが。けれどもそう言いきってしまうと、今度は「お前、何処から来たんだよ」という話になったときに困るのだ。断言しきらない事で可能性を排除しないで置いておく、そうする事で言い逃れが幾らでも出来るのだ。まさか「一度死んだんだけど、神様が生まれ変わらせてくれて、この世界に来たんだ」なんて言えないし、多分そう言った所で俺は拘束&拘留のコンボを食らって人生を終えるまで閉じ込められるか、処刑されかねない。魔女狩りだ、魔法使いが普通に居るから狂人狩りかもしれないが……。
そんな俺の説明にアリアは理解を示したが、アルバートほど恐る恐るではなく普通に暗視装置を元の位置に戻した。その際に電池に触れてしまい、コロコロと転がって机から落ちてしまった。その音に敏感に反応したのはアルバートで、即座にベッドの陰へと隠れた。保身に関してはかなり敏感な奴なのかも知れない。
「あわわ、やっ、ヤクモさん……」
「それは……えっと、なんだ。今落とした奴は別に落としても大丈夫な方だから……」
「ねえ、この林檎みたいなのはなに?」
「それだけは直ぐに手を離して置いてくれ、頼む」
アリアを宥め、ミラノが手榴弾を手に取る。俺は急激な動作や大きな声を出す事が出来なくなり、落ち着いて、彼女にその手榴弾を手放させなければならなくなった。
「なんで?」
「それも武器で、非常に──なんだ、繊細なんだ。少し間違えたら、この部屋の中に居る人全員が吹っ飛ぶ破目になる」
「そんな訳が……」
俺は、それ以上何も言えなかった。浅慮な真似をするとは思えなかったが、だからと言って何かの間違いが起きても困るのだ。下手に逆なでせず、かといって変に焦らせず。落ち着いて従って貰う事、それに関しては災害派遣やら駐屯地開放や防災訓練等で幾らでもやってきた。それに、沈黙は金と言う。人の脳みそや理解には限界がある、下手に情報過多にするのは良くないと、後輩が初めて出来て指導を任されたときから言われ続けていた。
数秒の間、部屋が嫌なくらい静かになり、それからミラノは手榴弾と俺を見る。
「──危ないのね?」
「危ない」
「ゆっくり降ろせば良い?」
「ゆっくり、掴んだ時有ったように戻せば大丈夫」
「そう……」
ミラノは、ゆっくりと手榴弾を置いてくれた。それを見てから少しばかり息を吐く。これでもしピンが外れて安全装置解除まで行ってしまったら、窓を叩き割る勢いで投げ捨てるか、最悪覆い被さるしか手段を思いつかなかった。防弾チョッキを着ている事、鉄パチを持っていることから鉄パチを手榴弾に被せ、その上に俺が覆いかぶさる事で破片と爆発を押さえ込むと言う、実際に米軍でも行われた行為を真似るしかなかっただろうが……。
何にせよ、悲劇も惨劇も回避されたのは喜ばしい事だ。最も、その可能性は「存在する」というだけであって「濃厚である」と言うわけではなかったのだが。
「──少しの間、部屋を出てくれないか? カティア以外。今、ちょっと部屋の中が爆発物塗れに近いから、片付ける」
そう告げて、とりあえず全員を部屋から叩き出して全てストレージに突っ込む。存在するのは八九式だの、九mm拳銃だのと言った、弾を篭めなければとりあえずは安全な物だけになった。暗視装置だの、破片だの閃光だのを含めた手榴弾なども全部しまった。弾が撃てる機能を持っていると言うだけの打撃武器になった銃器だけをそのままに、俺はフェイクで膨らんだ背嚢だけを部屋の隅に置いておいた。
「それで、用事は? まさか全員で元気になったかどうか見に来た……って訳じゃ、無いよな?」
「むしろ逆、二人で出かけるって言ってたから気になって見に来たのよ。使用人たちが言ってたわ、アンタの顔色が死にそうなくらい悪いって。それなのに今日出かけるって聞いたから──」
「聞いたから?」
「何言ってんの、アイツ? って感じで見に来たの」
凄い辛辣な言葉であった。とは言え、事実だ。もし俺がその場に居たのなら「少し、外の空気が吸いたくなって」とか言えたのだろうが、そんなアドリブをカティアに求めるのは間違っている。彼女に俺の代わりに嘘をついてくれとは言ってないので、これに関しては俺の追うべき責務だ。
面倒くさいなと思いながらも、防弾チョッキを脱ぎながらとりあえず歓待する事にした。だが、俺が服を脱いで僅かに熱気が立ち上がるのを感じている間に、カティアが何かを察して動き出す。その向かい先はお茶の準備で、それならばと俺は密かにアーニャとの時間を過ごす際に気になって持ち出した物を取り出した。
包装されたシュークリームだ、コンビニで売っているような物であって、美味しさと引き換えに有り難味は値段どおりになっている。あそこの空間での出来事は、半ば精神世界のようなものだと彼女は言っていたが、それでも実際に起きている事でも有ると以前説明された。そうじゃなければ満腹感や多幸感の説明はつかないし、疲労感も嘘になってしまう。だから、彼女の隙を見て俺は密かにおやつをストレージにぶち込んでみたが、どうやら持ち出せるようだと理解できた。
俺はこれからも入手できる機会が幾らでもある訳だし、何もアーニャの目を盗んで懐に忍ばせる事も不要だろう。アーニャに頼むか、日本に行く機会はあるらしいのだから。
「――俺の居た場所で食べられる、簡単なお菓子があるんだけど。皆食べる?」
何で提案の時だけ滅茶苦茶腰が低くなるんだよと、言ってから笑ってしまった。けれども、やはり距離を自然と置いてしまうのはもはや癖だなと諦める。今更フレンドリーでフランクな人格になれと言うのも難しい話だし、そうするには老練な人物にでもならないと無理だろう。
お菓子と聞いて反応したのはアルバートとロビンだった、この二人は何か……食いつきが良いなあ。それが有りがたいのか、それとも怖いのかは分からないけれども。
「これは、なんと言うのだ?」
「シュークリーム。甘いお菓子で、頭が疲れたときとか甘いものが欲しくなった時に食べられ……る、よ?」
「ほ~……」
「あら、美味しい」
俺がアルバートとグリムに、袋の開け方を分かりやすく説明している傍らで、いつの間にか増えていた闖入者達までもがシュークリームを手にし、そして食べている。マリーとロビンだけかなと思ったが、視界の隅でベッドに座ったアイアスもバリと包装を開いて居るのを見てしまった。俺って、もしかしてあんまり大事に想われていないのではないだろうか? 先日まで顔面蒼白、病弱ボーイだったのに回復してきたかもと言うカティアの言一つでもう滅茶苦茶なんだよなあ……。
「あの、お三方?」
「コイツら……」
「お邪魔してるわ、ヤクモ」
「――してる~」
「おっほ、うめえなこれ。おい坊、食ってみろって。あぁ、そうだ。邪魔してるぜ」
マリーとロビンも既に食している、この英雄組みは欠食組なのだろうか? あまりにも食べ物に対して嗅覚が良すぎるというか、飢え過ぎではないだろうか。マリーが身分の良い場所の人だったと自ら言っていたし、それだけ食べる物が貧相になったり食事に事欠く事に対してトラウマでもあるのかもしれない。
さて、マリーが居る事でミラノが一気に沸騰しかけるし、グリムは自分が掴もうとしていたシュークリームがロビンに掻っ攫われた事で彼女を見つめているし、強かで図太くないと勤まらないのだろうか? 勤まらないんだろうなあ……、ヘラでさえマリーをワンパンノックアウトする事を厭わなかったし、どこかネジが吹っ飛んでるか価値観がそもそも違うのだろう。
カティアが俺を見ている、少しばかり目線を彷徨わせてから数度頷いた。仕方が無い、受け入れようという意味だ。彼女には負担が増えてしまうだろうが、それを喜んでやってくれるというのであればやらせない方が申し訳ない。ただ、感謝の念は忘れない。上の人が気持ちよく仕事が出来る環境を持てている理由は、下の者がせっせと場を整えてくれているからでもある。
「……あのさ、アイアスにマリー、ロビン? 俺の部屋、たまり場じゃないんですが」
「んぁ? 良いじゃねえか。何かよ、そこの使い魔の嬢ちゃんと出かけて、それで装備を試すとかどうとか聞いたんでな。この菓子はもののついでだ、美味いけどな」
「パンパン撃ってた奴が気になったから」
「──弓ににてるってき~て」
まあ、至極全うな理由だった。マリーと一緒に共同戦線を敷いた時は、拳銃を大分使っていた気がする。八九小銃は速度を要求される戦闘だったので即座に状況に即していないとストレージに叩き込まれた。結局の所、リロードする暇ですら惜しくなって剣で戦う破目になったのだが。
「アイアス。こいつの使う武器に興味が有るのか?」
「んぁ? あ~……あぁ、まあな。マリーが言うには、なんだか不思議な道具だか武器を使うと聞いてな、それがどんな物でどれくらい戦闘に関わるのかを見ておきたいのさ。何だかんだ、コイツは英雄と相対して生き延びてる、なら興味が湧いてもおかしくないだろう、違うか?」
「いや、その通りだ」
「随分と素直に言うのね。アイアスも丸くなって、父親が今の貴方を見たら驚くんじゃないかしら」
「マリー、そんな物は、俺自身が認めてるっての。──グリム嬢や他の皆も、コイツのお菓子を食わないのか? なら、俺が貰おうかね」
そう言ってアイアスは、わざとらしくゆっくりとシュークリームへと手を伸ばした。それを慌ててグリムやミラノが先んじるようにつかみ、ミラノはアリアの分を確保して直ぐに手渡していた。アリアも位置的にそれが難しいと分かっていたのか、或いはミラノが自分の分を確保してくれると理解していたのか、すんなりとした行動であった。
そして、それぞれが一つを手にした状態だが──開け方を理解していないらしく、グリムとアリア以外は俺を見て居るような状態だった。カティアは知識があるらしく、さっさと包装を開いて食べていた。弱肉強食ではないけれども、食べ物とは胃袋に収めるまでは自分の物じゃない、みたいな事を理解しているのかも知れない。グリムは俺がした説明を一発で理解したらしく、アリアはそんなグリムに尋ねて包装を開いていた。アルバートはアイアスに奪われた事の方がショックだったらしく、頭から吹き飛んだらしい。そもそもミラノは説明の時点では興味を示していなかったので、話を聞いていたなかったのだが。
「ねえ、これってどうやればいいの?」
「そのギザギザの所が有るだろ? 片手は保持、もう片方でこんな感じで少し捻るようにしながら引っ張っても開くし、こうやって端の両サイド……じゃなかった、両側を持ってそれぞれに引っ張っても開く。ほら、こんな感じで」
俺は余分に出した分で実演してみせる、アルバートの持っていたので一つ実演し、もう一つは俺の分だ。アルバートは自分の手で開くということを経験できなかったのが不満そうだったが、シュークリームのほんのりとした甘い匂いが気になったのか、表情が一瞬で晴れた。
「この中に、甘い成分の入った半固形物に近い物が入ってる。牛乳と卵、それと砂糖を使った代物でだから不安に思わなくていいから。ただ──」
「おぶぁっ!?」
思い切り齧りついたアルバートが、中に入っているカスタードクリームの存在を無視して思いっきり齧った物だから反対側からクリームが漏れ出す。俺は苦笑して「まあ、舐めれば良いよ」と教えてやった。
「アルバートが見せたように、一気に食べようとすると圧迫された中身がこぼれるから、上手く食べてくれ」
「ふ~ん……」
説明が終わり、ミラノとアリアの二人は食べるよりも先に俺のことを見ていた。そして俺が一口、二口と上手い具合に周囲から少しずつ食べて変にこぼさない様にしているのを見て居るようであった。そして半ばほど食べたのを見てから、二人とも同じように食べだす。失敗しないようにと、俺が先達として如何するかをみていたのかもしれないが、初手で二人とも同じ行動をしたのは、さすが双子と言うべきかも知れない。性格や雰囲気そのものは正反対では有るが、本質は似ていると言う事なのだろう。
「美味い、美味いぞこれは! 何だ、なんと言った!?」
「シュークリームだな。えっと、俺の住んでいた国とは、まったく違う国で生まれたお菓子……だったかな。作り方は覚えてるから、材料と調理場、それと時間さえあれば俺でも作れる。と言うか、俺も食事に関しては大好きでさ、趣味や興味で色々な料理を作ったりするのが好きだったんだ」
料理そのものには、小学生の頃から頻繁に触れている。両親が仕事の都合で他国の大使などと会っている時に、家で留守番をしている時は俺が料理を作る事になっていた。当時の弟は強がりだが、寂しがりだった。妹は一番気弱で、親の姿を暫く見ていないと泣き出してしまう幼稚園生だった。
そんな二人の気を紛らわし、元気付ける為に俺は母親の料理の味を覚え、それを食べさせる事で泣かないようにと頑張っていた。そんな料理の経験が自衛隊に入ってからは炊事だの富士での夕方以降での調理で役に立ち、除隊後も家で自分の気を紛らわせるという意味では散々役立った。
安く、美味しく、大量に。金をかけずに、美味しい物を、手軽に。そういう方向性で色々と料理をしてきたが、結果として一時飢えて死掛けた事もあって食事には力を入れるようになった。
ただ、そんな事を語るとミラノが少し驚いた顔を見せる。
「──意外ね。自分の事を語るなんて」
「ん? そうかな」
「ええ、そう。アンタ、色々知ってるみたいだけど、自分に繋がる事ってあんまり喋らないじゃない。
覚えてないのか、それとも喋る必要がないと思ってるのかは知らないけど」
「ヤクモさん、色々知ってるじゃないですか。けど、何も言わないからなんにも分からないんですよね。アルバートさんと戦ってから、戦いの経験があることが分かって、授業に出てから勉学の経験が有る事が分かって、私達を守ってくれた時に兵士をしていた事が有る事が分かって、今も食べ物の話が出てから初めて料理が好きだということも分かりました。
ヤクモさん、自分の事を喋らなさ過ぎです」
「そうね。それに関しては大いに不満があるわ。それに、アンタをどう取り扱えば良いか分からないもの」
「いや、まあ。そう、だな……。とは言っても、アレなんだよな。俺もどっちをベー……じゃなくて、基礎にして行動するのかってのが定まってないから、なんとも……」
まさか「グータラしたいです」とは言えないし、だからといって「国や仕えるべき相手の為に尽くします!」と言うのも違うと思う。だから迷うのだが、少なくとも模索しているという意味では今の方が程好い気がする。俺の都合に合わせすぎず、かといって俺が軽視されすぎない。ミラノ達の事情や都合に俺が合わせながらも、俺個人の訓練や試行錯誤に時間が割いて貰える。
とは言え、カティアが居なかったのなら俺は早々に逃げ出していたかもしれないが。何だかんだ床での睡眠は精神面でも宜しくなかったし、質の低い食事は少なくない不満をもたらした。言葉が通じる、金もある。そんな状況でミラノの下に甘んじて居続ける理由は無い。少なくとも、前までであればだが。
「俺の都合だけじゃミラノ達の考えが分からないし、かといって俺が訓練や勉強といった自分の時間も貰えないのも考え物だけど。今のままで、とりあえずは良いんじゃないかって思ってる」
「なら良いけど」
「とか言っておけば、とりあえず角が立たないから、口が上手いって良いわね」
「はは、確かにな」
「お前らな……」
話が良い具合に纏まったなと安堵していると、マリーとアイアスが容赦なく俺の発言の意図を、聞き心地の良さやある程度筋の通った発言と言う、表面上の物を引っぺがして露呈させた。反射的に突っ込みで「お前ら」と言ってしまったが、どうやら気にしてないようだ。
「ねえ、英雄様? 私達の生き方ややり方に文句が有るなら、どうぞ帰っていただけますかしら?
滞在しておきながら、配慮も無ければ礼儀も無い。人として弁えるべきものを弁えていない相手を、たとえ英雄であっても客人としてもてなすのは御免ね」
そして、ミラノもマリーにキレる。まあ、英雄だという肩書きが無ければ、マリーは人様の家に世話になりながらも、好き勝手行動してる上にミラノと喧嘩しているのだから、そうなるのも当たり前か。
だが、マリーは笑った。ニヤリと、好意的にはどう見ても解釈できない物だ。自虐の極まった人間や、侮蔑や嘲笑と言った方が似合う笑み。それを浮かべたままに、彼女は言い放つ。
「貴方が、人を語るの?」
マリーのその一言が、ミラノに響く。怒りは何処へやら、ビクリと震えて止まる。それこそ、息でさえ止まったのではないだろうか? 感情でさえ抜け落ちて、信じられない事を聞いたみたいになっていた。
アイアスがマリーを小突いて「おい」と嗜めていた。マリーは対人関係が壊滅的で、親しくなるよりも怒らせる方が得意なのかも知れないが、流石に俺も場の平穏を好く性質なので擁護が出来ない。それに、仮にもミラノが護衛対象であり金を貰ってる以上は俺も少しは働かなければ、義理も義務も無くなってしまう。
「マリー。かつてどのような時代や状況を生きてきたかは想像するしかできないし、活躍は今でも伝聞で知られるくらい凄いのは分かる。けれども、少なくとも平穏や平和な時に、それを乱すのはいただけないと思う」
「──へえ?」
「状況に応じて、やり方や対応って言うのは……変わるもんだと思う。切羽詰ってる時にこそまだるっこしい事をしたり、表面を取り繕って平和をなんとか保とうとするのは悪い事だと思う。
けれども、今は敵の大軍が攻めてきたり、それこそ滅亡や死の危機に瀕している訳じゃないから。その、なんだ……言葉を、選んでくれると助かる」
しどろもどろで、彼女達の「人類が危機になったら呼ばれる」と言う話と対面する物言いだと思う。だから、俺はまた自分を切り売りしなければならないだろう。いや、いつもやってきた事か。自分に出来る事なら何でもする、それこそ理想や目的の為であれば──何でも。先日の夜、今の体調を得る為に吐き出させた物を思い出せ。それに比べれば、怖くないんだ。そう、怖くない──。
「──だから”頼む”、不要な争いは止めてくれ」
頼む、とは言ったが。もはや懇願や嘆願の類だ。マリーをじっと見つめる、目を逸らさない。喧嘩でも何でもないけれども、こういった時は目を逸らしたらよくないらしい。何処で学んだかは忘れたが、互いに目線が絡んでしまったら反らした方が負けなのだとか、なんとか。
けれども、マリーは別段そんなつもりは無かったらしい。即座にため息を吐きながら面倒くさそうに髪をかきあげた。
「……そうね。貴方の面目を立ててあげる。一度は世話になったし、少しくらいなら大人しくしてあげるわ」
「おっほ、他人嫌いの魔女が人の言う事を聞くとはね。明日は槍が降るか?」
「──せーてんの、へきれき?」
「アンタらね……」
和解出来たと思ったらアイアスとロビンの容赦ない指摘が入る。こいつら内ゲバでもしないと気がすまないのだろうか? それとも、精神的に滅入りすぎてこんな冗談や冗句が当たり前になってしまったのかもしれない。なんにせよ、巻き込まれる此方はたまったものじゃないが。
「──お茶を飲んで、一息ついたらさっさと行こう。俺も久しぶりに触る装備が多いし、多分──勉強会になると思うから」
英雄達とミラノ達は相容れない所が多いかもしれない。だから、それらしい理由を付けて終わらせてしまえば双方の陣営が集うということもなくなるだろう。ミラノ達も、英雄達も俺という特異点に集まっている。目的はそれぞれ違うが、ミラノは俺が外出するといっていたから様子を見に来たといっている、であれば外出が無事に終われば目的は果たされるはずだ。英雄たちは俺の使う装備が気になるといっていた、と言う事は此方も外出が終わった時点で俺に拘る理由も無くなるのだ。
他人と関わると……派閥と言うものが存在すると面倒くさいとは昔から思っていたが、それが身近になるとは思いもしなかった。日本なら右と左、親日と反日、反自衛隊と親自衛隊だのと存在したが、どれもが”俺”では無かった。
辛いな、苦しいなと思いながらも全てをさっさと終わらせるべきだろう。そう思いながら、俺は少しばかり予定を早めることにした。




