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元自衛官、異世界に赴任する  作者: 旗本蔵屋敷
三章 元自衛官、公爵の息子を演ず
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51話

 上官が死ねと言ったら、お前らは死ななきゃいけないんだよ! 

 そう怒鳴られた後期教育の課業時間、俺たちは”反省”させられていた。反省の理由は簡単で、俺たちを指導教育していた班長に対して同期の一人が「それ、こうした方が良くないですか?」等と、”意見”をしてしまったからだ。

 腕立て伏せ、班長がその場に立てと言って止めになるまでやらされる。終わりが見えない苦痛ほど精神的に辛いものがあるが、既に百を越えた腕立て伏せの回数を前に誰もが汗で全身を濡らさずには居られなかった。


 『撤退できない状況がある、後退も許されない場合もある。その時、俺たちは言外に「死ね」と命令される。その時に喚いて、逃げ出すような奴は最初からいらねえんだよ!』


 班長が首まで真っ赤になりながら、そう俺達に怒鳴っていた。そんな班長の後ろで、班付が障害物走の為に粛々と準備を進めていたのが対比していて恐ろしかった記憶がある。

 事実、俺たちが自衛隊と言う組織に入れば国の為に生きて、その半ばで死んだり健全ではない肉体や精神になる事も考えられる事だった。それが事故なのか、負荷や負担によるものなのか、他者の手によるものなのかは分からない。当然、平和と言うものが破られて戦いとなって死ぬ事も有るだろうし、腕や足を失って後方に移送されて除隊と言う可能性だってあるのだ。

 日本の平和は、綱渡りの状態である事も教育や父親の仕事やその友人からの話等で理解しているつもりだった。中国、露西亜、韓国、北朝鮮――既に平和を乱す相手が隣人として存在していて、地続きではない事と米軍が駐留している事による”手出ししたら米国も参戦してくるであろう”と言う抑止力によって成り立っているようなものだ。

 俺が在隊時は争いは無かった、俺が存命時は世界的な荒れは見られなかった、けれどもこれからどうなるかなんて分からない。戦争が起きて、不利な状況になれば「出来る限りそこで抵抗してくれ」と命ぜられて全滅する事もありうるのかもしれない。

 そんな時でも”強い責任感を持つて専心職務の遂行に当たり、事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め、もつて国民の負託に応えること”を誓った身として、適当に――適切に当らなければならないのだろう。


 今の俺には、仕えるべき国家はない。ただ保身の為にミラノに、ひいてはデルブルグ家に仕えているだけだ。恩義は感じている、守りたいとは思う。けれども――それが何処までなのか自分でも分かってない。ただの思想に準じているだけの、思想家とあまり変わらない状態だ。この世界の基準で行くと、俺は”底なしの馬鹿か、手放しで褒め称えるほどの善人”と言う事になるのだろう。とあるゲームでも、善人になりすぎて”都市伝説”扱いされていて存在を認めてもらえなかったりもするが、そういう事になりうるのかもしれない。

 ただ――目の前で誰かが死ぬのは、それも……見知った相手が、俺を俺と認識してくれる誰かが失われるのは嫌なだけなんだ。誰もかもが傷つくのが見ていられないと言うほどお人よしじゃない、そんな事は自分でよく理解している。だから俺は”俺の世界”を害されるのが嫌なんだ。俺と言う人物を認識してくれて、俺の趣味や興味で語り合える相手になってくれて、下らない雑談で笑ったり驚いたりして、画面越しであれ現実であれ会えば挨拶できるような相手が失われるのが――。

 ――俺と言う存在が、世界から消えていくのを許せないんだと思う。だからミラノやアリアを庇って、アルバートとグリムを同行させ、この世界には存在しない自衛隊の教示に順じてマルコや情報収集ついでに見知らぬ誰かを助け、今では――マリーを助けようとしている。

 馬鹿だ、本当に馬鹿なんだ。


「まあ、よくもつ方じゃないか?」

「く、そ――」


 あれからだいぶ戦闘と言って良いのか分からない交戦が続いた。俺は既にズタボロで、マリーも立ち上がった時よりも負傷は増えていたし、呼吸が辛そうだった。対する相手もそれなりに負傷している筈なのに、俺達よりも辛そうには見えない所か更に楽しそうにしていた。

 俺が張り付いてマリーの魔法行使の邪魔をさせない、それが役割だった。確かにマリーの魔法は学園で見てきた誰よりも早く、強力で、正確に相手目掛けて行使される。まるで息ぴったりのパートナーのように戦闘を繰り広げたが、そもそも相性と言うのが悪かった。

 マリーは魔法に特化した人物で、その火力によってかつて仲間を助け人類を勝利に導いてきた。しかし――裏返せば、俺と言う”邪魔者”が存在する事で高火力、高威力の魔法の大半が封じられ、当ってもその威力は減衰させられ効果的だとは到底思えなかった。

 初撃ほど見抜けない物ではなかったが、それでもヤゴの素早さとは比較にならないほどに素早く行動し、攻撃し、そして片手で振るった剣であるにも関わらず俺を後ずらせた。俺が攻撃しても殆どを紙一重で回避し、剣で受け流し、隙有らば殴られ、蹴られ、投げられ、叩きつけられる。

 そして俺がそうやって立ち直らない場合マリーが狙われ、彼女が何をしようとしたのか分からないけれども詠唱を要する魔法は中断され、即座に迎撃できる魔法ばかりが使われた。当然そのコントロールは乱れ、何度か俺も被弾する。焼かれ、吹き飛ばされ、痺れる。脳裏に巡る情報が『痛み』と認識してくれない、あまりにも過剰な情報でもはや痛みを痛みとして認識できなくなっていき、

 ――挑めば挑むほどに俺は惨めに負傷していく、マリーと二人でなんとかしようともがいてはいるものの、俺やマリーの負傷の度合いと比べると奴の負傷なんて「ちょっとした火遊びで火傷した」程度でしかない、マリーは肉体的には弱いのか回避や負傷での疲弊が強く、俺はそれでもとメインで相手をしているから両手両足、胴体に背中、頭部までで無事だった場所は無いくらいだ。

 地面を蹴って石や土をぶつけられて、その時に額を石で切った。倒木の痕に叩きつけられて細かい刺が背中に刺さったりしているし、両手両足は剣で斬られたり剣の腹で殴られたり蹴りを受けたりして見たくも無い。いたぶっている、遊ばれていると分かるくらいに傷は浅く”させられ”ている。こいつが本気なら腕や足は切り落とされ、或いは主要な脈のある場所を斬り出血過多で弱らせ、或いは骨を折るなり砕くなりで行動できなくなっているはずだ。

 なのに、そうされない。俺と切り結びながら、俺が対処できるかどうかを全ての手を晒すように様々な手段を見せ付けるように拾うし、その上で俺がまだ立ち上がるかどうかを見て居る気がする。事実、余裕を見せて「ほら、立ちなよ」等と言って側面や背後から攻撃を受けたくらいだ。しかもマリーが巻き添えを恐れているのか手加減しているので、痛打にはならない。

 それでも俺が起き上がらないと弄ぶ様にマリーを攻撃し始めて「ほら、お前が立たないと彼女が死ぬ事になる」なんてやり始めて、それを止める為に何度も立ち上がった。何度も、何度も――。


「毒も、魔法も行使しないでやってるんだ。もう少し楽しませてみてくれよ」


 事実、奴はマリーに対して使ったような毒を用いてこなかった。魔法が使えるのかどうかは知らないけれども、マリーの魔法を全部魔法に対する耐性やシールドでも巡らせて軽減してるに違いない。俺が無力だからマリーが満足に魔法を使えない、そして彼女まで危険にさらしている。

 情けない、嗚咽しそうだ。人より数倍強くして貰ったのに、結局上には上が居る。英雄、しかも経験と体験の全てが実戦で裏打ちされている。俺みたいに銃と言う文明の利器で”弱いもの虐め”をしてきた訳じゃなく、相手か自分か他人の命が犠牲になる世界で培ってきた物だ。

 敵対する相手か、それとも退治している自分か。或いはそこで時間を割いている間に別の場所で戦っている味方の命が失われる。そんな状況で何を優先すべきかを判断し続け、最善と思われる手段を選択し続け、その為に必要な技能や知識、手段や道具を習得している。あの変な包帯や服装等がそもそも付呪の施した装備かも知れないし、或いは包帯で隠した顔などの端から覗いている傷跡のようなものが、実はマリーと同じように刻印が刻まれているのかも知れない。そうじゃなければ一度も詠唱もしないで魔法を軽減している理由が分からないし、或いはマリーと交戦開始した時点で詠唱してずっと効果が発揮され続けている程度の実力者なのかも知れないが。

 つまり、俺は”俺にはこれしかない”と言う戦闘面でも鼻の柱を折られ、更には劣っている面をむざむざと見せ付けられている。今日と言う今日まで俺が積み重ねてきたものが”リハビリ”や”ファッション”でしかないと、理解させられた。思い出の中の自衛隊時代の自分と、その時の評価や成長にしがみついていた訳だ。あの時の自分で満足しきってしまい、そこが”一番良かった時代”として記憶され、あの時の日常を繰り返す事で空白の五年間を払拭しようと――否、あの五年間から逃れようとしていただけだ。

 人一倍の身体能力で、以前の自分がしていたメニューをこなす事が果たして強化になるのか? 精神が追い込まれるほどに肉体的に苛めるのではなければ、ただの”やってます”というアピールでしかないのだから。


 もう、何度目のダウンになるだろう。相手は強かった、俺の世界よりも相手の世界の方が広く、大きかった。袖から出て来たナイフが肩を貫いた、攻撃の合間にのばされた腕の関節を裏から拳で殴られて握力が失われた。多すぎる痛みと言う情報が脳を磨耗させ、圧迫し、思考が遅くなっていく。――相手の行動が目で収められるようになってきたのに、それに身体が追いつかなくなっていったのだ。

 オルバの時の様に、自爆攻撃でも出来れば良かったが――それをさせないように相手が立ち回るのが、上手すぎる。呼吸が乱れ、少しでも詠唱しようとすれば強攻撃が叩き込まれる。受ければおしまい、防御しても衝撃に呻き、回避しようとすれば呼吸が乱れて中断。俺が教わった「自分のやりたい事をし、相手のしたい事をさせない」と言うのを、教本通りに肉体的にも精神的にも叩き込まれている。

 負けないと言う気概だけじゃ勝てない。負けないじゃなくて、勝つんだと言う意志が――そもそも俺には無かった。


 だから、繰り返している。何度も、何度でも繰り返している。七転び八起きでは無く、七転八倒。相手の攻撃や行動に、俺が対処をしても「それなら、これならどうかな」と新たにカードを被せてくる。性質の悪いイタチゴッコ。

 顔面を殴られて、仰向けに倒れこんだ。そのまま追撃が来ないのを”理解”してか、俺は呼吸を整え休んでしまう。――何かの実験と同じだ。水に落とし込んだネズミは、僅かにある足場を目指して浮かび生きようとする。しかし、何度も何度もその邪魔をして水に沈められたネズミは、その内何をやっても無駄なのだと理解し、浮く事すら諦めて沈んでいったしまうのだとか。

 マリーが抵抗していたが、下された。視界の向うで、彼女が最初と同じように首に剣を突きつけられている状況になっていた。歴史に介入して悲劇を回避しようとしても、結局結果だけが変わらないと言う奴と似ている。俺と言う人物がマリーの暗殺に介入しても、ただ叩きのめされただけで何も変わらないみたいに。

 ヒール、ヒールと何度も呟いた。小さく、何度も呟き続ける。痛みが遠のいていき、思考がクリアになるが、虚脱感と空腹感が俺を支配する。けれども、痛みで動けなくなるのと心が折られるのだけは免れたかった。


「マリー? マリー、マリーマリー……。昔と、何も変わらないね。弱い自分が嫌いで、その為に身体にまで傷を入れて、沢山の”攻撃魔法”を手に入れた。

 けど、どうだ? 愛するものを失い、その名を忘れ、そして今はその火力の高さ故にこの人間を巻き添えにしかねないと本気が出せない。

 勇敢だったな、こいつは。まだ知り合って間もないんだろう? もしかしたら仲良くなれたかもしれないな、傷心を癒す事も出来たかも知れないな? だが、現実にはそうはならなかった。

 ヤクモ? お前も良い遊び相手にはなったが、本気を出すほどじゃないな。まあ、たまには『おっ?』と驚く場面もあったが、あまりにもひ弱すぎる。

 まあ、英雄様と比べたら駄目か。俺たちはその死と偉業を持って英雄となった身だ、生前の事ですら誇張され、拡大解釈され、その結果自分でも驚くくらいに強くなっているんだから」

「――余裕を見せるのね。貴方は、あの時からだいぶ変わってしまった。少なくとも、私達を嫌いはすれども裏切るとは思わなかった。あの人の仲間を裏切るだなんて、思わなかった」

「裏切る? おいおい、それは見解の相違って奴だ。友達の友達は友達じゃない。仲間の仲間が仲間だなんてのはおかしな話だよ、マリー。お前らが楽しく会話をしている間、俺はずっと膝を抱えて自分と話をしてた。お前らが何の疑問も抱かずに戦いに専念して仲間を信じてる裏で、俺は何人も殺して統一をはかってきた。お前らが敵と仲間の血で悲劇と栄光で喝采されている時に、俺も同じ敵と仲間”だった”奴の血で侮蔑と嘲笑の的になっていた」

「だから、憎いのね――」

「いや? 憎みはしないさ。さっきも言ったが、見解の相違って奴さ。俺は、アイツを裏切らない。お前らとは表現の仕方が違うだけで、事実だけは一緒さ。人類を救うと言う方法に、自ら先陣に立って道を切り開くのも素晴らしいがね、経験や知識から今を生きる人間にそれらを分け与えて荷を負担してもらうと言うのもまた人類のためになるのと同じでね。

 一人じゃ一握りの人しか救えないが、一握りの人間を教育し、補佐して鼠算式に救っていってもらうのもまた一つの手段だとは思わないかい?」

「それは、責任の放棄よ……」

「いいや、俺たちは奥の手であり最後の手段であり、薬にも毒にもなる存在さ。これから何が起こるにしても、常に人類には自分達が当事者であると言う認識をしてもらわなきゃ困るのさ。

 人間は直ぐに頼り、甘え、依存し、そして――裏切られた時は感謝よりも強く心に刻み込まれる。目を覚ませよ、マリー。人類が滅ぶにしろ生存するにしろ、事が済めば俺たちはまた眠りにつく。国が全て滅んで僅かな人類から再起をはかるからと言って、昔のように面倒は見られない。

 ――既に、アイアスとロビンがその尖兵にされかけている。英雄がどれくらい強いのかなんて、ツアル皇国くらいじゃないか? 目の当たりにして理解しているのは。圧倒的な強さを目の前にして、頼りだしたらキリが無い。やり方は違うけど、俺は前と同じように毒の役割を演じるさ。だから、マリー? その為にも眠りについてくれ」


 長々と会話をしていた。だが――相手の見せた余裕と長い台詞の中で俺たちが得たものは僅かではあれど少なくは無い。時間経過による魔力と体力の回復、俺は自己の手当ても出来たし、色々と聞きだす事も出来た。それに、マリーが何度か此方を目で見ていたのにも気づいている。

 マリーは何度か俺を見て、それから負傷して抑えている腕を動かしていた。まるで握力の無い、力の入らない身体の様子を確認するようなものだったが、それが右腕である事から色々と悟った。だから、彼女が何を企んでいるのかを理解し、魔法に対する防御を試みる。

 マリーは自分と敵対した時の為に魔法に対する対抗策や防御を学んで欲しいと言っていたが、それが違う形で役に立つようだ。


「――悪いけど、貴方の頼みは聞けない」

「いやいや、聞いてくれなくていいんだ。ただ、受け入れてくれれば」

「受け入れるにしても、それが何年後になるかは分からないけどね!」


 そう言ってマリーは負傷していた右腕を動かした、その手は既に指を鳴らす動作に入っている。俺は仰向けからうつ伏せに転がりながら、剣をしっかりと掴んだ。


「『インプロージョン!!!』」


 目の前で空間が歪み、まだ立っていた草木がそれと共にマリーの眼前の空間へと吸い込まれるかのようになびく光景を見た。インプロージョン、英語で言う”爆縮”の意味だ。脳裏で俺は前にミラノの前で空気を限界圧縮してから炸裂させると言う複合魔法を口にしたことが有るが、その完成形と言うか――『忌むべき大量破壊兵器』と同じ理論を用いた魔法が目の前で行使されたのだ。


「はは、良いねえ」


 相手が楽しげにそう言ったのを聞いた。どうやら本気でそう言っているらしく、焦りの色が全く聞こえなかった。そして吸引するかのごとく爆縮していた空間が炸裂し、俺は――俺たちは光に飲まれた。俺は焼かれ、押しつぶされ、暴風に晒され、意識を失いそうになりながらも痛みのせいで意識を失えないと言うダメージで押しつぶされる事になる。

 前に十二英雄の話で聞いた事がある、当り一帯を吹き飛ばす魔法を使える人物が居ると。それをまさか身を以って体験する事になるとは思いもしなかったが――俺は、生きている。《I'm... sill alive》

 ただ、俺は――何故マリーが身体を刻印だらけにしてまで、魔法を短縮したがったのか理解できた気がする。俺やカティアは名称を唱えれば魔法が発動できるが、この世界に住む人々はそうじゃない。言葉を紡ぎ、魔方陣を壁や地、或いは魔力で空中に描き、もしくは字や模様で紙に書き記してその短縮を図ったりしている。状況が刻一刻と流れる中で、何の魔法が適切なのか判断し、行使する。それは鋭い突きの様な一撃か、あるいはなぎ払うような面の攻撃か、先ほどのように範囲で叩き潰す圧倒的な一撃か……。

 圧迫され、或いは爆発で捲られ、炎で焼かれ、吹き飛ばされた周囲。俺の履いている靴が再生よりも熱量でゴムがブスブスと焦がされている。戦闘の最中遠くで落とした拳銃が爆発していた、装填していた弾の残りが熱で暴発したらしい。

 うつ伏せになっていた俺は、少し離れていたから焼かれ、潰され、土に埋もれるだけで済んだだろうが爆心地となった二人がどうなったかなんて分からない。土埃や焼けた木々の煙等で周囲は明らかじゃない、それでも片目で”なんとなく”目的となる人物がそこらへんに居るだろうと言うのが分かる。


「マリー、驚いたよ。まさかの自己犠牲かい? 君も対策はしていただろうけど、俺も――流石に予想外だ」


 煙の向うで、奴が語っている。マリーが無事なのかは分からないけれども、地面に倒れ伏している影が見える。もしかするとそれかもしれない、無事を祈るしかない。けれども、俺は……たぶん、不安だったのだろう。だから焼けそうなくらいに熱を持った剣を握り、所々焼けて穴だらけになった服が灰と土を散らし、根や半ばから倒された木々や燃えた木が熱と煙を充満させている。


「だが――失敗したね? お前はその爆発で人間を殺した訳だ。人類を救うはずの英雄が、人類の一人を危めた訳だ。しかも敵じゃない、味方を。あれじゃ彼も報われないだろう」

「それはどうかな?」


 俺は回復したにも拘らず満身創痍な身体を引きずって、それでも不確定な未来を確定させたものへと変える為に行動した。シュレディンガーの猫じゃないが、確認するまでは事象は確定したことにならない。そして今の俺がすべき事は、マリーと俺の生存の為に抵抗する事であって、それは決して「何とかなるだろう」の精神でやっちゃいけないことだ。

 だから、俺は相手の背後に忍び寄り、肩をつかむと同時に背中から思いっきり剣を突き刺した。――その時の感触は、決して忘れられないだろう。何故銃と言うものが発達したのか、その一端が理解できた気がする。


「か、は――。は、は……。そうか、なるほど。思い違いをしていたみたいだ。

 お前は、魔法が使えるのか――」

「あぁ、そうだよクソったれ。まったく、死ぬかと思った……」

「はは、お互い酷い有様だな――」


 剣が刺さったまま、相手はゆっくりと離れて此方を向いた。その時になって、俺は相手がどれだけの痛手を負っていたのかを理解する。剣を握りマリーへとのばしていた手は犠牲になったのだろう、肘から先が消失していて血がボタボタと地面にたれている。自衛隊で学ん学んだ「ナイフを差し込むときに、どの場所を狙いどんな角度が良いか」をそのまま実践した形になるが、腕が吹き飛び異物が刺さったままに笑っている。痛みは尋常じゃないはずなのに、そもそも腕とかは一生物であって失ったら二度と戻ってこないのに……。

 イカレている。こいつは、自分で言った事を実行しているだけとも言える。こんなにも痛めつけられたにも拘らず、まだ笑っているのだ。楽しそうに、或いはこのひと時が至福の時だと言わんばかりに。

 俺が思考停止していると、相手は左手でそのまま剣を”貫通させて”抜いた。そのまま剣を回転させて弄ぶと「ほら、返すぞ」と言ってその剣が同じように俺に突き刺さった。背中からか、正面からかの違いはあれども――全く同じようなものだ。


「があっ……」

「いや、まあ――。なんだ。これじゃあ半年近くは動けなさそうだ。怒られそうだな、だがまあ……収穫が有っただけマシかな――」


 血反吐を吐き、即座に剣を抜いて治癒を施そうとする。しかし痛めつけられる度に回復し、先ほどの爆発に防御魔法を行使して魔力を根こそぎ持っていかれたようであった。ただただ意味のない回復魔法の名称のみが繰り返され、身体の奥底――内臓付近では傷が塞がった様な気はしたのに血管とかが破けたままだから血が溢れ続ける。

 地面に倒れ、傷口を押さえる。視界がぼやけるのは痛みの為か、それとも魔力切れの関係なのかも分からない。相手を見上げた時に――俺はもう意識が曖昧だったのかも知れない。そこに立っている相手が男じゃなくなっていて、一人の女性になっている。長い白銀の髪を揺らしながら狂気ではなく博愛や慈愛を連想させる笑みを向けていて――その人物が、俺の持っていた剣を手にしながらこちらを見て居る。

 ……なんだ、頭でもおかしくなったか? もう意識が曖昧で、現実かどうかも分からない。


『お前、ふざけるなよ。俺を置いて、勝手に逝くのか!?』

「ごめんね。けど、どうしようもなかったんだ。――俺は逝くよ。約束、守ってくれよ」

『誰が――っ、誰が約束なんか。約束、なんかっ――!!!』

「頼むよ。頼むよ――」


 これは、以前の夢の一部のようなものだろうか。ロビンの膝で眠りについた時、俺は誰かの視点で追憶していた。けれども、以前の情報と今回の情報で繋げると……この、白銀の髪を揺らしている女性が消された英雄の対になる消えた英雄と言う奴か。

 しかし、”俺”と言う女性だったのか、知らなかった。けれども、彼女が他の十三人を率いて戦った中心的存在だったと言う事か。確かに、綺麗な女性だと思う。血や煤、土などで汚れてはいるが、髪の色などが映える。これで血筋とかが確かじゃなくて、最初は認められなかったというのが信じられないくらいだ。

 今の視点主は、言葉から察するに今しがた殺しあった相手だろう。名前は出てこない、互いに――消された人間だからか。それでも、約束とか何とか前回見たので覚えている。目の前の女性は、自分が死ぬ……消える事を覚悟していた、或いは悟っていたのかも知れない。

 俺も、今消え行く命となっている。目の前で白銀の女性は、夢であるかのように光の粒子となって消えていく。ただ彼女と俺に違いが有るとすれば、人類の為に戦い勝利して消えていくのと、マリーが救えたのかどうかも分からずに刺した程度で勝ったと思って返り討ちに会って死んでいくのでは雲泥の差だ。

 何も、成し遂げられないままに死んでいく。偽者の祭り上げられただけの、肩書きだけの英雄。対して、マリーも……マリーを殺そうとしたコイツも、結果故にそう呼ばれるに至った本物の英雄。

 ……英雄なんて、なろうと思ってなるもんじゃない。けれども、そうなれたら良いなと思うのは確かだ。強く、逞しく、頼られる存在。守りたいものを守り、成し遂げたい事を成し遂げられる。そんな人物になりたい。強く、なりたい。


「――……、」

「気が付きましたか?」


 眠りにつくように、俺は何時しか目蓋を閉ざしていた。しかし、死と言う喪失感は訪れずに変わりにやってきたのは温もりだった。それと、何かの優しい香り。なんだろう、誰だろうと目蓋を開くとシスターが居た。見知らぬ相手ではない、情報として彼女を知ってはいるが……初対面だ。

 彼女は俺に膝枕をしてその手を俺の額に置いていて、その手は光に包まれている。その手から俺の身体が温もりに包まれているので、手当てをしてくれているのだろう。


「あなっ――ヴエ゛ッ……」

「落ち着いてください。今回復させていますが、殆ど致命傷に近い怪我だったんですよ?

 大丈夫です、貴方の敵は去りました。妹も無事です」

「妹……?」

「ええ。マリーの事です。私は姉のヘラと言います。妹を助けて頂き、感謝します」


 彼女は手当てをしながら、視線で彼女の居る方を見た。そこには確かにマリーが居て、へし折れた木の幹に背中を預けながら辛そうに呼吸している。彼女の服や身体は煤け、焼け、焦げている。彼女の方が魔法的に優れていたからか、どこか吹き飛んだりとエグい事にはなっていないようだが、呼吸すら辛そうに見えるので骨が折れたりしているのかもしれない。

 再生を早め、高めるだけなので骨折などには使えないのかもしれない。折れた骨を正しい位置で固定してやら無いと変にくっついてしまうように、下手に回復してあげられないのかも知れないが。


「ごめん、悪い――たすかっ、た」

「いえ、此方こそ感謝します。貴方は妹を助けてくれただけじゃなく、巷での噂に恥じぬ行動をしてくれました。

 英雄ヤクモ……私の国にも、貴方の事は届いています。だからこそ嬉しいのです。貴方はかつての私達のように、行動してくれているのですから」


 初対面なのに彼女は俺を褒めちぎって来る、それがこそばゆいと共に居心地が悪い。生の英雄と対峙し、ボロボロにされた所なのだから。マリーが気がねなく魔法を行使する状況を作る事が出来なかった、相手の不意をうったのに返り討ちで致命傷を負わされた、英雄と言うのがどういうものかを叩き込まれて心は折れかけ肉体的にはズタボロにされていた。

 それ以前に――”自分の世界”を守りたかっただけの俺と、人類を守るために戦った彼女達を比べる事自体が間違っている気がしたのだ。だから恥ずかしく、みっともなく、くすぐったい。


「それで、どうやってこの事を……? まさか、ずっと張り付いてたって訳じゃ無いと思うけど」

「お姉ちゃんですから、妹の危機には颯爽と駆けつけられるんです!」

「あっ、ハイ……」


 どうやらまともに応えるつもりは無いらしいが、助けられたのは事実だ。恩人を詮索するのは無礼だし、それが結果として此方の助けになったのなら追及する必要も無い。助かったと言うのと、マリーが無事と言うのを知って一気に力が抜けた。

 死に掛けたが、結果的に死ななかったのでそれはそれで良いだろう。少なくとも怒られる理由は無くなったので、ミラノ達を恐れる必要も無い。


「――そういや、火が消えてるな」

「鎮火するのに一帯に結界を張ったんです。燃える様な場所の中で助けられた方が好ましかったですか?」

「それじゃ落ち着けなかっただろうな……、っと」

「起き上がっても大丈夫なんですか?」

「ああ、まあ。マリーの様子も見ないと。一番辛そうだったし」


 俺はもう少しだけ頑張ろうと奮起した。決して長時間の戦闘行為ではなかったが、もうベッドに倒れこんで眠りにつきたい位だった。服はボロボロ、拳銃一丁暴発で弾倉と一緒に損壊、心身共にズタボロ。これでもまだ動けるのは他人の目があるからで、見栄でしかなかったが――今はそれでも動力源になるだけありがたかった。


「マリー。大丈夫か? 立てそうか?」

「暫く、休ませて。今まで危なかった事は沢山あったけど、自爆なんて初めてだから……」

「はは、まあ、なんだ? 二度とはごめんだからな、あんな……防御魔法を展開していても死にそうな魔法は」

「それは、同感……。回復してくれる? 私、攻撃魔法ばっかりで回復形は全然だから」

「いや、俺も……魔法を使う余裕が無いんだ――」


 かつてのような頭痛、電磁パルスの様なダメージを受けたのだろう。魔法によるダメージを魔力で構築したシールドで受け流し、その大半を軽減と無効化に費やした。だが、かつて街で魔力を弾丸として使いすぎて吐き気と頭痛に襲われたように、俺の未熟な魔力回路がまた過剰な魔力の消費で悲鳴を上げたらしい。

 俺が苦笑してそう言うと、マリーは脱力した。楽になりたかったのにそれが出来ないと理解して、様々な気力がうせたのだろう。その代わりにヘラがマリーの傍でしゃがみ込み、両手をかざしてマリーの治癒を始めた。露出している顔や腕などの皮膚に残された火傷や皮膚のちょっとした爛れ等も消えていき、綺麗な肌が戻ってきた。刻印も元有ったとおりに戻り、服がボロボロになった以外は外見上元気に見える。


「久しぶり、マリー」

「姉さんも……、呼ばれてたのね」

「だいぶ前からね。今は神聖フランツ帝国に居るんだよ? 教会経由でアイアスやロビン、ファムとかが来てるのも知ってたけど、マリーが居るのは知らなかったなあ」

「私は、ずっとその存在を隠されてきたから。それに、私を召喚した人が死んでそのまま今の主人が拾ってくれただけだし」

「なんでもいいよ、嬉しいから。これで……七人なのかな? あの時の英雄って呼ばれた人」

「七人? まさか、私を殺そうとしたアイツも数に入れてるの?」

「駄目かな? 敵かどうかは別としても、事実だもん」

「――それで、姉さんがどうしてここに? まさか、彼みたいに散歩だなんて言わないわよね」

「あ~、それはあとで説明するよ。それよりも、ほら。お友達が来たみたい」

「お友達?」


 友達とは誰だろうか? 他人の会話に口を挟めないコミュニケーション能力の無さを発揮しながら聞き専に徹していると、爆心地の中心に二つの影が空から飛び込んできた。槍を構え間断無く警戒をしている。その傍にはロビンが矢を番えて弓を構えていた。そのまま二人で視線と攻撃線を被らせる事なく三百六十度を確認し、それから俺たち三人を見つけて臨戦態勢を解いた。


「ロビン、周囲の警戒と背中を頼むわ」

「ん、まかされた」

「さてさて。マリーと、ヘラか。――何が有ったか説明してくれるかねえ?

 あの大爆発が傍にいた両軍を刺激してる。俺たちは先発で様子見に来たが、納得の行く理由なんだろうな?

 それに……なんだ? 手前は」

「あ、や。俺は――」


 そういえば、アイアスとはこの姿で会うのは初めてだった。前はクラインとして会っていたのだが、今はただのヤクモだ。公爵家の跡継ぎだとか、長兄だとかそういうことは無い。なんて言おうか迷ったが、それをヘラが制した。


「久しぶりだね、アイアス。ここでね、二人が襲われてて、あの爆発はマリーが起したものらしいよ?」

「なに、そりゃ本当か? 相手は? 倒したのか?」

「ううん。そこの彼が頑張って痛手を負わせたみたいだけど、私が来た時には入れ違いで逃げちゃったんだ。それで私が手当てしたんだけど、追いかけられないと思うよ」

「逃げた、か。なら早く戻って説明をしないとな。急がないとデルブルグ家とヴァレリオ家の軍が動きかねない」

「はやく、行く」

「なら、四人は先に行ってくれ。俺は――アレだ、歩いて追いつくから」


 ロビンやアイアスは空を飛んできたのか、空中から降ってきたが、俺は空を飛ぶ魔法を修得していない。少し待ってくれと言って魔導書を今から読んだ所で、今度は飛び方を練習していないので制御に自信が無い。宇宙空間まで飛び抜けていったり、途中で落下して地面に叩きつけられるような展開だけは御免被りたかった。

 だが、マリーは首を横に振った。


「私は残る。どんな顔をして一緒に行けばいいのか分からないし……」

「え? そんなあ。一緒に行こうよ、マリー」

「事情があるの、姉さん。分かって――」

「いや、一緒に行った方が良くないか?」


 俺は口を挟み、それからアイアスやマリー、ヘラの顔が此方に向いて脂汗が出た。先ほどまで敵対していた相手がマジモンの英雄である事、そしてその時味方をしてくれたマリーもそうだが、アイアスやヘラも同じ英雄なのだ。つまり、力量の差は歴然で、しかも表舞台に立たなかったと卑下していたがそれでも”俺”という存在からしてみれば誰もが強いのである。

 デスクローの群れにレベル一で放り込まれたとか、ドーンハンマーも爆発する車も無い状態でベルセルクと遭遇したとか、そんなレベルで無力なのだ。もしかするとすれ違い様に素手で胴をぶち抜いて心臓を鷲掴みにするくらいはやってのけるかも知れない。そもそも実体化と非実在化で見えなくなったり消えたり出来る相手なのだから、シレッと背後に回るくらいの事も容易くしてのけるかも知れない。

 だが、脂汗を感じながらもつばを飲み込み、俺は話を続ける。


「マリーの主人には思いがけない敵襲による負傷で身動きできないくらいにやられたと言う事にして、俺がする説明に補足と真実味を持たせるために同行して欲しいって言うのが本音。

 それに、マリーの人となりを理解してもらう事でこれから先の行動で信じてもらう足がかりとかにもなるだろうし、理解者を増やす事は決して無駄じゃ無いと思う」


 と、まあ。マリーの立ち居地が難しい事を理解して、それでも今回の件から何とか”利益”を出そうと考えた。せめて……せめて何かしら役に立たないと、負けから勝利をもぎ取っていかないと辛い。そう考えたのもある。


「そう上手くいく?」

「デルブルグ家とヴァレリオ家に対しては、ありのままの事実を話して理解してもらうしかない。

 これに関してはヘラと俺がマリーの味方が出来るし、アイアスとロビンが現場を見てるから理解も有ると思う。

 で、マリーには明日以降の”嘘”をどうにかする方が重要だけど、これもあまり難しくないと思う」

「聞かせな、ぼん

「ヘラが居合わせた理由は――まあ、聞いてからじゃ無いと組み込めないけど。襲われた事実と、ここが両家の軍事演習の場面に近かった事を言い訳に利用する。抵抗した際に行使した魔法が原因で両家の英雄に見つかって、それで保護されたとか何とか言えば良い。

 ただ、ここで手当てだのなんだのと都合が良すぎると疑われるから、警戒されていたから逃げ出す事もできなかったと言う言い訳も作っておく。するとマリーが同行してもどっちにも話が通る言い訳や理由、理屈の完成だ」

「確かに、筋は通ってるけど――」

「う~ん、難しい話は分からないけど。それってマリーの為に……妹の為になる?」

「不利益にはならない。いや、させないと言うのが正しいのかな――」


 我ながら、何で戦闘面じゃなくて言い訳がましいことにばかり頭が回るのかと泣けてくる。しかし、今はそうでもしないと「いや~、散歩してたら殺されかけました~。痛かったですわ~」で終わるただの馬鹿だ。それに、公爵とかを説得する材料が無い訳でもない。俺たちを襲ってきた相手の存在だ。英雄殺しを命ぜられた、歴史から抹消された英雄。だれが主人なのかは分からないけれども、そんな人物が国内でマリーを襲っていたと言う事実は決して軽視も看過も出来ない事柄だろう。

 情報を組み立てていって、少しでも有利な状況を作るしかない。マリー自身が敵対的じゃ無いというのなら、それを理解し、させていくしかない。ニコルの事は少し霞んでしまいそうだが、少なくとも……手段を選ばないとは言ってはいるが、最初から敵対的ではないし、性急では無さそうなので今後修正して交渉と対話をするしかない。クラインじゃなく、俺が対面して交渉してしまったのだから、責任は俺にある。


「それ、貴方がどうにかしてくれるって考えていいの?」

「出来る事は何でもするよ。とは言っても、説得位しか出来なさそうだけど」

「あは~、それなら安心だ~。それじゃ、行こう? 私もお仕事が有るから、マリーの事で幾つかお話をしたら直ぐ行かなきゃだけど。それまでは一緒だね」

「そうね、姉さん」

「よし、話は済んだか? それじゃあロビン、先行して状況報告をしてくれ。俺は三人を引き連れて帰還する。出来れば馬を用意させてくれ、デルブルグ家を借りる事になるがそこは俺が説明すると伝えろ」

「ん、りょ~かい。アイアスのごしゅじんさまにはなんて言う?」

「簡単な説明くらいはしておいてくれ、必要な報告は直にする。なあに、愚かじゃないから話は通るさ。マリー、立てるか? 歩けるか?」

「――御免、歩くのも辛い」

「ならちょうど良い事に、そこに男が一人居る。負ぶって貰え」

「はあ!? え、何言ってるのか分かってるの!?」


 アイアスの発言に、今まで鬱々としていたマリーが大声を上げた。だが、俺はもうこんな地獄には一分たりとも長居したくは無かったので口を挟む。


「いいよ、マリー。アイアスの言うとおりにしよう、俺はアイアスに比べて非力が過ぎる。

 さっきの襲撃は退けたけど、その帰り際で伏せているとか罠が有る可能性とかも否定できない。

 残念だけど、今の俺じゃ戦力にならないからそれが妥当だ」

「分かってるじゃねえか。そら、英雄様が護衛をするんだ、こんなに心強い事があるか?」

「違いない」


 そして俺は、息抜きや精神的療養のつもりが大いに叩きのめされたこの出来事から遠ざかった。アイアスの護衛が関係したのか分からないが、帰り道で襲撃や罠といった物は無く、安全に野営地まで戻る事ができた。


「ねえ」

「ん?」

「重かったりしない? 大丈夫?」

「重くは無いさ。大丈夫だから、楽にしなって」

「ほらほら、彼もこう言ってるし、マリーは楽にしたら?」


 なんてやり取りをしながらも、正直マリーが時々そうやって遠慮するような声をかけてくれなければ辛さが動作や顔に出ていたかも知れない。背負い直す回数を意図して少なくし、声や顔も可能な限り穏やかにして気を使わせないようにする。

 最初は肩に手を置いて身体を預けずに背負われていたマリーだったが、努力の甲斐あってか脱力して背中に凭れ掛かってきた。背中には決して大きいとは言えない胸の柔らかさを感じながら、その奥から彼女の鼓動を背中越しに受け止める。英雄だとか、一度死んだとか、魔力で構成されているとか関係無しに、生きているんだなと思った。


「ごめん……」

「お互い様だって。俺も、何の役に立てなかった」

「ううん。私は、来てくれただけでも嬉しかった」

「――そっか」


 そう言いはしたものの、接続の悪い映像のように思考に纏まりが無くなっているのを俺は理解している。疲労、疲弊、精神的・肉体的な屈辱、そして魔力切れと十二分に休息を求める理由には有った。肉体的な疲弊があっても、精神的に余裕があれば悪い方へは進まない。精神的に擦り切れていても肉体的に健康であるなら精神は健やかに回復できる。そのどちらも喪失した俺は、今日こそ酒を浴びるほど飲みたいと願いながら歩み続けた。

 野営地についてからの話は特に無く、クラインや公爵だけじゃなくヴァレリオ家の者までその場に居合わせていたが、話は後だとアイアスの指示通りに話が流れてくれた。途中でヘラを公爵が見たが、彼女に関しては後ほど挨拶をするという事で屋敷まで馬で戻る事になる。

 馬に揺られる事が心地良くて、マリーを後ろに乗せている事を忘れて寝落ちかけた。その度にマリーから「ちょっと、落ちる!」と声が飛んで来て、俺は何とか意識を保った。だが、それも屋敷に戻ってからは続かなかった。

 マリーがヘラとクラインに付き添われて屋敷に入り、アイアスが馬を連れて行ったあたりで門に背中を預けるとそのまま崩れ落ちて眠りに突いた。あまりにも魔力回路に負担をかけすぎたが為に、意識がシャットアウトしたのだろう。それでも、心は折られ肉体的にはボロボロだけれども――今回は一握りの勝利だとは言えなくも無い結果で、少しばかり嬉しかった。ミラノ達の時は自棄になって諦めた、けれども今回は諦めないで物事の終焉を見れたのだから。


「おい、坊――」


 痛みが情報として、脳裏で処理される。意識の無い中でも目蓋の裏で自分の身体の何処の箇所が、どのような負傷や異常を訴えているのかを憶測で可視化しているような気がした。そして一度だけ、俺の身体を風が撫でたのを受け入れながら――その場での記憶は終わった。



  ―― ☆ ――


「やっと起きた」


 そんな声を聞きながら、俺はいつの間にか自分の意識が夢ではなく現実に戻されているのを理解した。目蓋の裏で見ていた夢は既に遠く、苦しい事や辛い事から逃れたのだなと思った。

 どれくらい寝ていたのかは分からないが、癖で目を閉じたままに目ヤニを取ろうとする。しかし、ゴロリとしたそれが変に転がってしまい、痛みから涙が溢れた。それでも何度かそれを繰り返して異物を除去すると、涙だらけで寝起きゆえに安定しない視界で俺を覗き込む相手を見る。声とぼやけた輪郭で、たぶんミラノだろうと思った。


「――御免、ミラノ。俺……どれくらい寝てたかな」

「……一刻とか、それくらいじゃないかしら。屋敷に戻ってくるなり寝ちゃって、死んだみたいに寝てた」

「いや、その……悪かったとは思ってる。無茶をするつもりは無かったんだ、本当だ。

 けど、見捨てられなかったんだ。見ちゃったから、どうにか出来ないかと思って、それで――」

「ええ、そのおかげで助かった。感謝してる」

「――ミラノ?」


 感謝してる? マリーと面識は無いはずなのに、何でミラノが感謝するんだ? そう思って涙を拭い、寝起きで安定しない視界をならした。すると不思議な事に、ミラノだと思っていた相手はマリーだった、髪の色も違うのに何故見間違えたのか分からないが――頭がぼんやりしてるのかも知れなかった。もしくは、潜在意識として「またミラノに怒られるんじゃね?」というのが有ったのだろう、と言うか――強烈にある。頑張った→けど意識を失ったり死んだりした→あれ、天井?→あれ、ミラノさん怒ってる?→猛烈にすみませんでしたあ! という流れが最近多すぎる。どうにかしたいとは思うが、どうにもなってくれない。


「ああ、いや。悪い。その――惚けて知り合いと間違えた」

「いえ、構わないわ。ええ、そうよね。貴方はあんなにも頑張ったものね。

 そりゃ、頭のネジが一本や二本緩んでも仕方が無いもの」


 ん? ん~? あれ、おかしいなぁ。一時的にとは言え、同じ強敵を相手に共闘した仲間だったはずなのに、言葉が辛辣だぞ~? おかしいな、彼女の表情は前に比べると幾らか溌溂としていて生きている感じがするのに、笑みと発言が一致しない。毒舌キャラかな?


「んんっ!!! 所で、俺が眠りこけてる間に何か変化は? 話の流れとかは?」

「特に問題なくって所。一緒に来たクラインって子が、アイアスやヘラの話を聞いた上で理解してくれたの。

 だからとりあえずは私も暫く世話になって、看病と監視と言う事で居られる事になったくらいかしら。まあ、そんなに長くないとは思うけど、宜しく」

「そっか、クラインが……」


 どうやら、公爵が演習の方を離れられない代わりに、クラインが色々と跡継ぎとして屋敷での指示出しをしてくれたらしい。公爵夫人を説き伏せたのか、それとも色々考えた上で立場を利用して強弁したのかは分からないけれども、一波乱とかにならなくてよかった。


「けど、マリーはもう歩けるのか。俺、眠りこけてたのに」

「魔力を霊体に充填してあげたのよ。戦闘中じゃなければ体に魔力を回して回復が出来るから。そこらへんは貴方達人間とは違って便利ね」

「――って事は、アイツも同じように回復できるって事か」

「それはどうかしらね。魔力の枯渇で主人を殺しても構わないと言う覚悟でもしないと、あんな重傷は全部治せないと思う。今頃ニコルもいきなり疲れたり倦怠感で頭を悩ませてるんじゃないかしら? いい気味だわ」

「君達英雄って、どこか”いい性格してるね”……」


 ロビンは初対面の相手を”性別を間違えたから”と容赦なく蹴り飛ばすし、マリーは主人同席の場でガツガツ酒を飲みまくってさっさと消えるし、これだとアイアスやヘラもどこか破綻してる気がしてならない。胃が痛くなりそうだ、俺は胃潰瘍の苦痛を味わう事になるのだろうか? 中間管理職みたいな事になりそう……。


「それじゃあ、私は部屋に戻るわ。待遇も良さそうだし、せいぜいお茶や食事には期待しながら寝てる」

「そっか、お疲れ」

「ええ、ご愁傷様。それじゃあね」


 ……ご愁傷様? どういうことだろう? 何か嫌な予感はしたが、去り際の彼女の笑みと台詞の不穏当さが符合しなくて、幾らか考えたが結局思考放棄して寝転がった。そして柔らかいベッドに身を横たわらせながらシステム画面を開き、ステータスを見る。――レベル差補正でも有ったのか、ステータスが軒並み上昇している。マリーの魔法を受けた事も関係しているのだろうが、大分良い感じだ。

 しかし、俺のステータスが幾ら成長した所であの敵はディスガイアみたいな感じで”やりこまなきゃ倒せないよ”見たいな感じになっているに違いない。畜生めと思いながら、ストレージに突っ込んだ暴発した銃を見る、廃棄処分が決定した物だがどうにかならなんかなと思った。

 こう、ゲームのイベントとかでバレンタインチョコを女性キャラから貰って、それが何時までも保存して置けると理解したら使わずに保存しているようなもので、自分が与えられた物を出来る限りずっと持って置きたいと考えたからだ。

 或いは、英雄との格差を思い知らされた日を象徴する物としてこのままにしておいても良い。その場合、玄関先や自分がよく居座る場所にでも置いておけば良いかも知れない。自分を戒めるものは多すぎれば重荷だが、俺には必要なものだと思ったのだ。

 そんな事を考えながら寝転がっていたら、なんだか廊下が騒がしかった。屋敷の中で騒ぐなんて礼儀がなってないなと思っていると、ノックも無しに扉が開かれる。もはや礼儀の欠片も無いだろう。

 しかし、そんな考えは即座に打ち消された。開いた扉の先に居たのは、やつれきって涙がホロリと流れているクラインだった。


「クライン? どうしたの、お前……」

「ごめんね。僕じゃ、歯が立たなかったよ――」

「ちょ、ま。どういう――」


 クラインはそのままバタリと地面に倒れ、そのままウッウ、ウッウと嗚咽をあげた。何が彼をそこまで追い込んだのか気になったが、その原因を即座に目の当たりにすることになる。

 ……ミラノだ、悪鬼羅刹の如く髪を揺らして立っている。コーホーだのフシューだのといってそうな感じで、俺はもう諦めた。


「私も大分不幸ね。兄は屋敷に立ち寄らないで放蕩三昧、自分に仕えてる騎士は何か有れば直ぐに倒れてる。心労が祟って倒れるかもしれないわね」


 なるほど、ご愁傷様と言うのはこういう事か。俺はそのまま寝た振りを決め込んだが、容赦なくミラノはベッドに飛び乗ってきて、靴が布団越しに俺の身体にめり込んできた。当然のように大きな悲鳴を上げて寝た振りがバレ、ベッド上に正座させられてケンケンガクガクと怒られる羽目になった。

 そんな俺たちの様子を、アイアスが壁に凭れ掛かってニヤニヤと眺め、ロビンが顔を覗かせて眺めており、カティアは通りがかりのように現れたが、一度目線を重ねるも見ないフリをして去ってしまった。

 ノーバディ・ノーアリー《Nobody No ally》。誰も味方をしてくれない部屋の中で、クラインが何故やつれ涙を流していたのかを理解した。俺も三十分以上も怒られ、耳を引っ張られたりビンタ食らったりしていたらクラインと全く同じ状態になった。

 良かれと思ってやった事が、別の角度から違う立場で見ると悪い事だったりする。その良い例として俺は責められ続けている。敵からの攻撃は「敵だから」で対処できるが、味方からの攻撃は「理不尽!」としか思えないので対処しきれない。

 結局、俺はお茶の時間が来るまで怒られ続け、その日は精神的に立ち直れなくなった。その日は深酒しようと心に誓い、カティアも話しかけてくれなかった辛さがグサグサと突き刺さるのであった。



 ―― ☆ ――


 その日の夜、途中で演習場の近くの森で大きな爆発が発生するという出来事があったものの、特に大きな問題が発生する事無く終えることが出来た。公爵は夕食後のひと時を優雅に過ごしていた。演習の間は一切酒を嗜む事が無かったので、忙しさ故に”久しぶり”と言いたくなるような飲酒を楽しむ。

 ただ、”孤独を楽しむ”と言ったものではなく、突然の来訪者を交えたものではあったが。


「――なるほど。それでヘラ様は特使としてこの国に来られたと、そう言う訳ですか」

「そうです、公爵様」


 相手はヘラで、彼女は酒ではなくお茶を楽しんでいる。紅茶に牛乳を二割、砂糖を幾らか投じたまろやかさとお茶の味わい、そしてささやかな甘さを楽しんでいるようであった。傍にはザカリアスが居たが、ヘラは自分で全てやると言ったが為に傍に控えて即座に様々な事へと対処できるように気配りをすることに徹している。


「申し訳ありません、ヘラ様。特使、しかも英雄殿を歓待する事もできず」

「いえいえ、突如押しかけた私に非があるので、どうか気になさらないでください。

 それどころか滞在を許可していただき、感謝しております」

「そう言っていただけるとこの胸の苦しさも晴れましょう」


 社交辞令のようではあるが、互いに率直な思いを告げている。だからこそ互いの表情は仮面のようではなく、笑みも自然のものであった。ヘラは自分の来訪の理由を先生フランツ帝国からの特使である事を告げ、その途中で見覚えのある大爆発を見かけたから立ち寄ったらヤクモとマリーが傷つき、倒れている所を見つけたと言う事だ。

 公爵はヤクモ経由でニコルがその主人であり、敵対的ではないものの何かしらの目的があってクラインに接触してきた事を聞いている。だから疑念の一つとしてヤクモがマリーを庇っているのではないかと言うのが有ったが、それもヘラによる第三者が居て逃げたと言う事を聞いて候補から外れた。

 マリーは何かの目的があって軍事演習を盗み見ていたが、それが襲撃され、そこにヤクモが合流して共同戦線の下に抵抗し、ヘラが傷つき倒れた二人を助けた。その流れを公爵は飲み込み、納得しする。二人の証言で「英雄を殺そうとしている奴が居る」と言う事も耳に入れていて、不幸にも巻き込まれたが、そのおかげで英雄の一人が救われたのだろうと考える。


「それにしても、此方としても謝辞を述べないといけないでしょう。ヘラ様が救ったあの青年は我が娘の護衛として仕えている人物でして。以前魔物が街を襲撃した時の事で英雄として伝聞されているので」

「ええ、よく存じ上げております公爵様。私の居る国の性質上、英雄という言葉には一番敏感かと思います。歴史と宗教の国、神聖フランツ帝国。私も召喚された身でありながら誰かに仕えると言う立場ではなく、崇められる立場にありますので、その理由は理解していただけるかと」

「国を治める者よりも歴史や宗教、英雄が上に来る国、か」


 ヴィスコンティでは建国の主となった人物が王となり、三名の英雄がそれを支えたと言う事から王制となっている。神聖フランツでは聖職者によって人が導かれて出来上がった国なので、統治する者よりも歴史や宗教が重視される。時には相応しくないと破門され、時には英雄のしてきた事を根拠として統治者が変わってきた事もある。


「それで、内容はなんでしょうか? ああ、いや。勘繰るようで申し訳ありませんが、我が家も関わる事柄の気がしてなりませんので」

「今までの内容は私も聞かされてませんが、関わると言えば関わるでしょうね」

「そうですか……」


 神聖フランツは英雄が召喚された事が知れた当初は大人しかったが、年月が経過するにつれて熱狂とは程遠い――熱狂と言う言葉が似合いそうな様相へと変わっていった。

 英雄は伝説の存在であり、従えるのではなく我々が従うべき存在である。その主張が幾度と無く繰り返されてきたが、デルブルグ家やヴァレリオ家は英雄を無碍に扱ってないと説明し、時には特使にその様相を見てもらったりもした。

 しかし、それによって状況が改善される事は無く、近年では「英雄は神聖フランツに集わせるべきである」と、強気な主張をするようになってきたのだ。それは統治者が人気取りの為に掲げてきたものであったが、それに国民が感化されてここまで来てしまったものだ。統治者が目まぐるしく変わっていた時代はそういった主張を掲げ、誰が相応しいのかと国民と教会によって監視されていた時代でもある。結果、ハト派は追いやられてしまい、タカ派にが大多数となってしまった。

 なので、今回も同じ主張がされるのだろうと公爵はそっと息を吐いた。デルブルグ家のロビン、そしてヴァレリオ家のアイアスを寄越すようにと、言外にそう言うのだろうと、もう頭が痛くなったようだ。ヴィスコンティは貴族至上主義によって徐々に国が乱れつつある、そんな最中にこんな主張をされたら一丸となって反対する事も難しい。中には情報を売ったり、暗躍する事を許す所か取り入るように自ら率先して行う者も出るだろうと考えられたからだ。


「――そうですか」

「心中お察しします」

「有難う御座います、ヘラ様」

「しかし、今回もう一つ話があるのです」

「どのようなものでしょうか?」


 公爵は「これ以上何を要求してくるのだろうか」と考えた。英雄を寄越せと言う主張以外には、特に”気の狂った外交”をしては来なかった。けれども、新たに追加される物は何なのだろうかと考え、まさか宣戦布告やデルブルグ・ヴァレリオ両家の接収だろうかと色々考えるが――結局そういったこと以外には思い浮かばずに、公爵は思考を打ち切った。

 そして、ヘラが口にした言葉で公爵は余計に混乱する事となる。






「公爵様の家に居る英雄、ヤクモの引渡しです」

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