44話
諦めずに考え続ける事。そうするだけで、敵にとって一番の嫌がらせになる。それは班長が、富士での演習中の夜に言った事だった。
かつての日本では生きて恥を晒すよりも、立派に討ち死にした方が立派と言う考えが蔓延していたらしい。結果、その考えを引きずった上層部によるカミカゼだの玉砕だのもあった訳で。糧食が尽き、援軍も望めず、弾数は一握り分しかない。そう言った追い込まれた状況であっても自棄を起こす事無く、出来る事を考えてただ生き延びるだけでも良いとか。
脅威が完全に排除されてしまうと、敵としてもやりやすくなってしまう。だから惨めでも、喩え気の狂いそうな状況であっても冷静さを保って”戦闘を続行しろ”ということである。事実、それを成した人は存在する。残留日本兵と呼ばれ、終戦を知らされず、あるいは信じる事無く潜伏し続け作戦行動を継続した人が居た。彼らが見本だ、手本だと言われた。
――まあ、カミカゼだの玉砕だのは賛否両論だろうが、既に本土へと敵が乗り込んできていて、自分達の後ろには退避していない、或いは退避の遅れている市民が居る。そして家族が、友人が、国民が居るような状況だ。それらの特攻は無能な上層部の招いた事だという評価も聞くが、今でも人間爆弾が無くならない以上は――有効な作戦であり、うまくいけば効果の高い攻撃でもあったのだろう。
俺にはそれらで散っていった人の胸中は判らないが――それが最善手であり、そうする事によって敵が食い止められるのであれば、自分達の後ろに居る人たちが護れるというのなら……自分と言う存在が木っ端と変わり果てようとも、飲み込める行動だったと考える。
マリーによって利き腕を使えなくされた俺はそれを一種の警告や脅しとして認識し、下半身や足を動けなくされる等の絶対的不利を避けるために「話がしたい」と言ったニコルへと付いて行く事となった。
どこまで連れて行かれるのかと不安では有ったが、この前ヤゴと一緒に訪れた酒場へと連れて来られただけだった。ただ、周囲にはヤゴと一緒に叩きのめしたはずのならず者がちらほら見て取れる。俺の動向に目を光らせているようだが、たぶんその役割は大したものではないだろう。いざと言う時の壁、マリーが俺に何かする為の時間稼ぎ、そして後片付けといった所か。
個人で大暴れするだけなら、俺は何でも出来るだろう。利き腕が使えない状態ではあっても、左手で戦えない事はない。精度や力、技術力は数段落ちるだろうが、左右関係なく訓練はしてきた。それは今でも変わらない、右利きで射撃が出来て逆にしたら使い物にならないという笑える話だけは発生し得ない。
流石にマリーのように動作術式での魔法発動のような速効性のある攻撃には対処しきれないが、それでも略式詠唱を出来ると言うだけでも利はある。……色々な魔法に関する発動式を教わったことだし、オルバのように詠唱文を書き込む方式や、刻印での動作術式を考えた方が良いかもしれない。銃は最強だと思ったが、その強さとは火力や一定の強さ以下の魔法使いなどを相手にした場合にのみ適応できるのだろう。
刻印を刻み込んだ動作術式に関して学ばなければ後は無いだろう、それよりも先にここで俺の生が終わらなければの話でしかないが。
「さて、ここは私が持つ。いささか空腹気味でね、君の父親の返答が何であれ明日にはまたとんぼ返りだ。マリー、君は何か口にするかね?」
「お酒……」
「ふふ、では酒を頼むとしよう。君は何かとお酒を好むが、それによっていざと言う時に何も出来ないと言う事が無いように頼みたいところだがね」
「身体が痛いし、眠いから……」
「眠そうにしているのは君の常だが――、まあ良いだろう」
「――なら、僕も酒を。口が軽くなるかもしれませんしね」
「油断させられるかもしれない、と私には聞こえるが――それも良いだろう」
そしてニコルは酒と食事を頼み、俺とマリーには酒のみが届く事になる。マリーが酒飲みだとは思わなかったが、もしかするとニコルの所に居る時は酒に頼って眠っていたのかもしれない。質の悪い睡眠、しかも悪夢のおまけ付だ。そりゃ、隈を蓄えて身体の異常に気付かないのも無理はない。
ニコル、マリー、そして俺へと酒がまず出てきた。それを受け取ると、ニコルがジョッキを俺へと伸ばしてきた。どうやら乾杯のつもりらしいが、俺は不承不承それを受けた。木で出来た杯が重ねられ、乾いた音がした。左手でジョッキを操り、自然に酒を飲む。苦味が幾らか濃く、ワインに比べると俺の好みには合わない。
おかしいな、昔はワインなんて高尚な物は片手で数えるほどしか飲んだ事ないし、むしろビールの方が飲みなれていたはずなんだが。エールだと違うのだろうか? 醸造方法を知らないから似ているものなんじゃないかと思いはするが、これじゃワインしか飲めない貴族様になってしまう。
――アーニャに頼めば出してもらえるだろうか? すこしあの気安さが恋しくなった。
「さて、食事が来るまでに話を進ませるとしようか、若人よ。
君は奇跡と言うものを信じるかね?」
「奇跡と言えば、魔法全般がそれらに当たるんじゃないですかね。僕は――少しばかり、世間から離れた生活をしていたので、そういった話には疎いですが」
「ふむ、確かに魔法は奇跡と言えよう。しかし、それでも成しえない事があるのは知っているかな?
病を治す事は出来ない、失った身体を取り戻す事も叶わない、亡くなった者を取り戻す事も出来ない――。何でも出来るようで、ただ日常での出来事でも起きうる事を、手間を短縮して見せ、或いは事象を手繰り寄せる事が出来るのみだ。
市民とて火は熾せる、ただ薪とその為に手間がかかるだけだ。市民とて水は操れる、ただ水を汲んでくる必要と無形のそれを制御するのが難しいだけだ。市民とて土を自在に動かせる、ただその為に道具と労力と時間を引き換えにするだけだ。
そう、一部の貴族は魔法がかつて神によって与えられた物で、自身がそれらによって優れていると思い込んでいるようだが、その実優れている事など一つも無い。我々は地面を隆起させ、壁を作る事はできるが、建物を作り橋をかけ、雨風を凌げる住処を作る事はできない。我々はどこでも火を熾し、それによって明かりや熱量を安易に取り扱う事はできるが、それによって金物を鍛える事も穿つ事も出来なければ、それを効果的に操る事で美味なる料理を作る知識も無い。
魔法が使えるという事実は確かに我らと市井とを隔ててはいるが、ただ一歩前に出ているだけでしかないのだよ」
なんだか、長い話をされた上にニコルが敵対するかもしれないと言う理由が分からなくなってしまった。少なくとも彼自身は貴族至上主義者ではないらしく、むしろ現実的に色々と考えているようだ。魔法とは、確かに様々な事が出来るが、その多様性や利便性にばかり目がいくけれども”専門家”には敵わないとまで言った。
実際、やろうと思えば出来る魔法使いは居るかもしれない。地質調査から始まり、地盤調査だのならしだのと始めていくような事を、短時間で行っていって一戸建てや一軒屋くらいは楽に作れるようになるかもしれない。
だが、それも”やろう”と思う人が居ればの話だ。魔法使いは生まれた瞬間から既に特別扱いされている。身分、地位、ある程度約束された将来等々があるのだから、市民のように未来を考えて試行錯誤して生きる必要はあまりない。この世界ではどうだか判らないが、昔は基本的に親の職業を継いでいくのが共通の認識だったようだ。武家の子は武家、農家の子は農家、貴族の子は貴族――そんな当たり前が崩れたのは、何時だったか忘れたが……。
「つまり、魔法は奇跡じゃないと?」
「奇跡と言うには、出来ない事が多すぎるのだよ。或いは、長い歴史の中で忘れられていっただけかもしれないが。
そうだ、紹介しておこう。マリーと呼ぶ彼女、その名前に聞き覚えはあるだろう? 教会によってその名を冠する人物は、古今東西認められていないが故に聞くとしたら二通りだ。
歴史や宗教の一環で十二英雄の功績を聞くか、もしくはそういった先人達を召喚するかだ。喜びたまえ、彼女はかつての英雄の一人だ。その姿を見、その声を聞き、そして関われる事を誇るといい」
その時、俺はどう反応すればよいのか判らなかった。少しばかり口を開き、ニコルを見て、何故か既にジョッキを空にしているマリーを見て、どう反応すれば「見知らぬ間柄」と表現できるのかを考え込んでしまった。
下手に驚くのは演技力が必要になる、腹芸をするには人生経験が足りなさ過ぎた。かと言って、否定的に反応するのは敵対するかも知れないと言う情報が露呈しかねず、かと言って肯定するのは頭が悪すぎる。
そうやって何かを言いかけて口を閉ざしたのは何の演技でもなかったのだが、結果としてそれが良い方へと転がったようだ。少なくとも全てが全て演技じゃなく、肯定でも否定でもない迷った態度こそがニコルにとっては受け入れ易い態度だったらしく、笑みを深くしていた。
「肯定するには知性が邪魔をする、否定するには状況が邪魔をする。鵜呑みにする無知蒙昧さは無く、拒絶してしまうくらい非現実的な考え方もしていない。
――なるほど、公爵殿は良き子を持ったようだ。聡明な子は、優秀な魔法使いであっても人として無能な貴族に優れる。デルブルグ家は次の代も安泰やも知れぬな」
「お褒めに預かり光栄です、閣下。ですが、態々使い魔――いえ、彼女を紹介するために脅迫に近い行為をした訳ではないでしょう?」
マリーは三杯目の酒に手を出していた。俺も会話の合間合間に酒を進め、一杯目は既に空けていた。二杯目に手を出していたが、いっそこいつの財布だけでもダメージを与えてやろうかと言う魂胆だけで頭は回転していた。
二杯目を一息で半ばほど飲みきり、飲み終わるよりも先に三杯目を注文する。マリーは食事をしてないのに酒だけを胃に詰め込むのは辛く無さそうだ、俺も自腹の痛まない上に若干の非礼を受けている身としては容赦するつもりは無かった。
ニコルは俺の言葉に笑みを浮かべて受け流したが、タイミングよく来た料理を前に幾らかその表情を和らげた。何だかんだ人間では有るらしいと思ったが、ステーキみたいなものを蒸した芋と一緒に出され、その匂いだけでも涎が溢れそうになる。それを食す事が出来る立場としては破顔しかけても仕方が無いだろうと思う。肉の匂い、脂の誘うような香り、蒸したジャガイモの素朴な匂いや、ジャガイモに乗せられ溶けて誘惑するような香りは魅力的だ。食べた過ぎる、貴族を演じているが故に味わえない、手間をかけ過ぎていないが故のダイレクトな暴力が味わいたくなる。
まあ、それも俺がクラインを演じ終わったらだ。絶対食べる、この粗野でダイレクトな装飾の少ない肉を――俺は食う。それくらいの欲は持っても良い筈だ。
「急いても良い事は無い。ツアル皇国ではこう言うらしいがね? 『急いては事を仕損じる』『急がば回れ』と。事実、結論だけで済む話ではないのだよ。減点だ、君。何事も下地となる事柄がある、それを知らずに話を進めた所で、理解できぬか曲解してしまうのが常だ」
「――済みませんでした」
「過ちを素直に認めるという点においては好感が持てるが、口を挟むべきではなかった。故に加点も減点も無しだ。
さあ、話を続けよう。歴史や英雄、そして宗教や国――どれを追ってもまず辿り着くのは、魔界の王と人類種の存亡を賭けた戦いだ。そこまでは数多くの者が至れる、しかしそれよりも昔の事を探る事は不思議と出来ない。
かつてはどのような社会だったのか、どのような生活だったのかすら追う事は出来ない。その結果、人々の生活は魔王が来るよりも昔から随分と後退したと言われている。否――後退した」
「言い切るんですね。昔の方が優れていたと、今の方が劣っていると。あれからどれだけの年月が経過したか、それを加味してもそれですか」
「では聞こう、若人よ。君は、”ありえない”物を見たことは無いかね? ユニオン共和国では指一つで遠くのものを穿つ武器が発見された、ツアル皇国では人の手が無くとも勝手に管理されている農場が存在し糧食を賄い続けている、フランツ帝国では召喚された英雄の一人が操る神器として攻撃や人が通り抜ける事の出来ない結界を張る事が出来る杖が存在している。
そのどれもが、何人たりとも仕組みを理解できず、その恩恵を得ている。ユニオン共和国では模造品を作り軍備に宛がわれ、ツアル皇国ではそれに頼った国防に人を割き、フランツ帝国では聖職者が力を増している。
奇跡の一欠けらだよ、君。それらを捜し求めるのは、愚かしい事ではないと私は思う」
「それで――僕を掴まえたのは、若さに漬け込んでその浪漫を追い求める手伝いをさせたいと言う事でしょうか?」
話の流れが読めない。マリーの警告と話の流れが繋がらず、そして俺の利き腕を動かなくされてまでする話じゃないと俺は思った。別に俺を拘束する必要は無い、それこそ話の触りだけでも立ち話の段階で小出しにしておけば、少なくともヤゴが居なくなったので逃げようと言う考えを選ぶ可能性は減っていたのだから。
――だが、一つだけ話の中で思い当たるものを思い出した。公爵が街中に持っていた建物だ。前に魔物の襲撃で外泊をした時に、一度だけ泊まったことがある。あそこに何故か冷蔵庫のような物が置かれており、その中身は”まるで時間と言う概念が存在しない”かのように保存されていた。肉は新鮮、野菜は萎びていない、牛乳は腐っていない、卵も十二分に使える代物ばかりだ。
ミラノの話では、使った分だけ管理を任されている人が後日補充してくれると言うが、そうしても大丈夫な不思議さはあった。まるで――俺の使用しているプレイヤー魔法、ストレージと同じシステムだ。温かい物は温かいままに、冷たいものは冷たいままに。時間と言う概念から切り離され、賞味期限や消費期限を気にする必要が無い空間はそのまま同じだ。ただ違うとしたらリスト化されてデータとして保管される訳じゃなく、冷蔵庫の方はそのまま手に触れる事ができる物質のままであった事くらいだが――。
「協力を頼みたい、と言うのは正しい。私は、この国に眠る一つを知っているのだよ」
「それは……どういうものなんですか?」
「詳しい事は私にも判らん。ふふ、無知と笑ってくれるな。どのような結果を齎すのかは既に知ってはいるものの、その過程をよく知らぬのだからな。
かつてマティアス殿がこれを使い、何かをしようとしていたようだが――詳しい事を知るよりも先に逝ってしまったのでな」
「マティアス――」
その名は、聞いた事がある。オルバの父親であり、老いから逃れようと何かをしようとして――結果、死んだと。そしてその結果家名を汚す事となり、オルバが跡継ぎとして表明をしない理由でもあるとか。汚名を雪がなければ家督を継げないと、そんな事を言っていた。
「マティアス殿は、それを使って――ああ、老いや寿命と言うものを超越したがっていた。そして、その企みの片鱗程度は成功していたのだろう。
さて、おさらいだ若人よ。魔法は万能ではない、そして魔法に頼らないものは須く時間がかかる。魔法使いに技術は無い、市民達には魔法が無い。魔法使いは手順を踏まねば魔法を行使できず、魔力が尽きればただの人と変わらぬ。まだそれほど時間は経過していないが、君の頭に私の話は残っているかな?」
「酒が入っていても、それくらいは記憶出来ています。
魔法とは奇跡のように扱われるが、その実失われたか或いは最初から存在しないのか分からないけれども、病を治す事も、失われた身体を元通りにする事も、死者を蘇らせる事も出来ないと」
「いいぞ、若人よ。君との話は実にやりやすい。私が小金をチラつかせ、君を襲った者にもそれくらいの頭があればなお良かったのだが」
「冗談を。彼らには学が無く、学が無いのはそれを制限している上が悪いのでは?
書籍ですら彼らが気安く求める事はできず、その書籍を手に入れた所で今度は字を理解する能力が無い。自分達が当然のように享受している物ですら、彼らには届かない物なのですから」
ヤゴと接していて、ザカリアスと話をしている内に俺は”教育”と言うものが、一部の裕福層や貴族達のものだと理解した。鍛冶屋だの商人だの建築家だのと、そういった一部の市民達が職業学校のようなものを内々で行っているくらいで、識字率は低いようだ。
ヤゴは字が読めるが、書けない。読めたとしても一般的な文章くらいであり、専門的な用語が出てくるとさっぱり分からないと言っていた。つまり、教育とは贅沢であると言う事を、この休暇でまざまざと見せ付けられていた。
俺の若干擁護するような発言に、ニコルは少しばかり目を見開いたが、苦笑するように息を漏らすと顎を撫でた。俺はそれを見ながら酒のお代わりを頼む、三杯目である。マリーは一切会話に参加しないが、寝落ちたり覚醒したりを繰り返しているようだ。机に突っ伏して寝たかと思えば、ビクリト震えて顔を上げる。その度にこちらを見るのはどんな意味があるのか分からないが、顔を見ると再び酒を飲みだす。しかも何度目かで思い出したように俺が与えた錠剤を取り出し、酒で流し込んでいる事と食後ではないという点に目を瞑れば正しい用法で薬を飲んでいる。
「――そうであったな。かつては私も同じ事を理解したつもりであったが、年月と言うのは恐ろしい。そんな当たり前の事ですら忘れ、胡坐をかいてしまうものなのだな。一つ良い事を思い出した。若人よ、今の発言は加点に値するぞ。
さあ、話を戻そう。君は今私が食している肉が、どのように出来るか分かるかね?」
「それは、人と同じように動物の男と女が交わって、成した子供が成長した結果――ですよね。
それこそ、長い年月と、手間と、糧食や場合によっては獣医に診て貰ったりするので安くは無いかと」
「足りないな、満点には今一歩だ。人による窃盗、狼や魔物による死亡、前兆の無い突然の死亡等も含まれる。
つまり、長い年月と莫大な費用や手間をかけながらも、食すのは一瞬と言う訳だ。
だが、考えても見たまえ。動物が成長しきった姿を完成品として考え、その完成品を複製出来るとしたら――君はどう思うかね?」
「そんなの、出来る、訳が……」
ない。そう言い切りたかったが、既に前知識として”失われた魔法があるかもしれない”というのと”奇跡を起こす道具がある”という情報を仕組まれた以上、否定しきるのは難しかった。否定しきれずに尻切れトンボの如く言葉が弱まり、消えていったのを見てニコルは笑みを深めた。
「クク……、賢い。賢いぞ、君。否定するかと思ったが、話をよく聞いていたようだ。加点する、その頭の良さは好ましいぞ。
ああ、そうだとも。マティアス殿は成功したのだよ、複製とやらを。しかも、人の複製をだ。その人物は複製され、この世に生まれ落ちた瞬間から人語を理解する知性と、元となった人物と同じ記憶を有していた。
これは憶測だがね、マティアス殿は”自分”ではなく”マティアス”と言う人物が続いていく事を考えていたのではないだろうか? 同じ記憶、同じ能力、同じ背格好に声、思考をする。まさに自分の複製だ。どうやら複製するモノを若い段階で留める事も出来るらしいのでな、もしうまくいっていたなら”マティアス”と言う人物がライラント家を裏で操り続ける事も出来ていただろう」
「――だろう、と言うのは?」
「なに、失敗したのだよ。様々なもので試していく中で、最終的に行き着くのは人……魔法の使えぬ市民や、魔法を使える貴族であっても可能かどうかと言う所だ。
彼はその為に人を攫った、結果人攫いとして他家に嗅ぎつけられ、死んだのだ。クク……、聞いていてマトモではなかったぞ? 墓を暴き、屍から生きた人を作る。武技に優れた人物を複製し、その技術が継承される事を確認する、貴族を複製し優れた魔法使いが複製される事を確認した。
だから問おう、協力してくれないかと。私は妻を取り戻したいのだよ」
「――……、」
――死者を取り戻したい、その願いは辛いほどに分かる。胸中が泥に満ちたように重く、息苦しくなる。けれども、一つの事柄のみによって俺はその誘惑に乗ることは無かった。異なる世界から来たということ、蘇らせる元となる両親の遺体は――遺骨は、この世界にないと言う事だ。
数度深呼吸を繰り返し、一息でジョッキを飲み干した。酔いはだいぶ回ってきている、ペースは普段の倍近い。マリーは顔を赤くしているが、それでも酔いつぶれる兆候は見えない。完全に酒を睡眠薬代わりにして寝ているようだ、それでは身が持たないのを知らないのだろう。
「協力と言っても、何をさせられるのか分からないのであれば、約束しようがありません」
「なに、君は無系統の魔法に優れていると聞いている。確信は持てないが、そういった人物の協力が必要なのかもしれない。先に述べたが、私は結果しか知らぬのでな。最善なのは、同じ条件、同じ状況を用意する事だ」
「もし断った場合、どうなるんです?」
「別に、どうもせぬ。だが、君の妹も確か無系統の魔法を使えたな」
それ、実質的に恫喝とはどう違うのかを問い詰めたかった。これは、拒絶すればミラノやアリアに被害が行くが――そういや、知らなかった。ミラノやアリアが無系統の魔法が使えるなんて。そういえば初めてクラインの服を着てアリアが泣いてしまったときに、ミラノは略式詠唱をしていた。”ディスペル”と、そういっただけで俺の幻視魔法を解除してのけたのだから、彼女もまた優秀な魔法使いなのだろう。アリアが魔法を使っている所は、思い出せない。忘れただけかもしれないが。
受諾するのは問題があり、拒絶するのは被害を広げかねない。妥協点は、時間稼ぎだ。獅子身中の虫となるにしても、デルブルグ家の盾として使い捨てられるのも、俺個人の判断ではとてもじゃないが重過ぎる案件だ。
「――考えさせてください」
「そうか。まあ、妥協できる落とし所か。急ぎはしない、此方も急ぐよりは確実性を取る。
だが忘れぬ事だ、君は選択を先延ばしにしただけに過ぎない。状況が許されるからこその会話だが、状況が許されないのであれば断固たる意志を持って私は望みを果たす。
その時誰が犠牲になるのか選べぬ事を考えるが良い」
そう言って、ニコルは食事を終える。そして話は終わりかなと思ったが、今度は酒を注文してのんびりし出した。人として捉え所が分からずに居ると、今度は先程よりも幾らか笑みを消した顔をする。
「さあ、話題を変えよう。此方も重要な話だ」
本題か? そう身構えるが、その内容は真面目さや不穏さとは裏腹に肩透かしなものだった。
「若人よ、君の妹に仕えるという英雄、ヤクモに関して話を聞きたい」
先程まで大分重い話をしていたからか、そう聞いたときの俺の反応はどれだけ間の抜けたものだっただろうか。そういえば、メインはそんなものだったなと顔を覆うと、明らかに憤怒の色が声に混じった。
「ほう、私の娘が懸想をしている相手に関して聞きたいのが、下らないと?
マリー、右腕の重みを増したまえ」
「――ん」
「しんっじられないことしますね貴方はぁぁあああっ!?」
叫んでしまった、そのせいで注目を浴びるだろうかと思ったが、直ぐにその注目も四散して行く。どうやら酒を飲んでいると言う事、全員が酒の席だから”酔ってんだろこいつ”と思われたに違いない。
だが、そんな回避の裏腹に俺の利き腕は大分重くなっていた。三十~四十Kgほどの加重が片腕にかかっている、支えられないほどではないが、酒が入っている事もあって汗が滲み出てくる。しかもマリーは早々に突っ伏しているし、絶対今の指示に対しては何の迷いも無かったと思う。反応が素早かった。
「それでっ、何が知りたいんですかね? 残念ながら――彼は、幾らか遅れて此方に来る事になってます」
「ほう、では不在と言う訳か。……なら、書状は無駄になってしまったな。出来れば会いたかったのだが。――書状の中身、気になるだろう? 別段大したことは書いてない。彼の者を直々会って見定めたいと、そのように書いただけの短いものだ。娘もこの休みを利用して、会いたいと駄々をこねるものでな、態々足労したのだよ」
「意外と、子煩悩なんですね?」
「家族愛に溢れていると言って欲しいものだ。それに、我が娘ながら論破できぬ私も大概だが。
――出自の分からぬ、どこの者で、どのような者かを知らぬ身としては一度は直に会って置きたいと思うのは不思議かね?」
「いえ、ごく自然な考えかと。素性の判らない人に、いかに伝聞や噂で聞きかじったとしても、娘さんを預けるに足る人物かどうかは、親として常に不安で懸念する材料だと思います」
俺がそう言うと、ニコルは「マリー、重りを退かせたまえ」と言った。どうやら大分正解だったらしく、腕に圧し掛かっていた重みは殆ど取り払われた。それでも自由に動かせない上に、肩が疲弊してしまって余計に動かない状態だ。
酒だ、酒を飲もう。全ては酒の力で解決できる、そんな感じで酒を飲んでいるとニコルも同じように酒を飲んでいた。だが、少し待て。何か引っかかるものを感じて、思考を巡らせた。それは致命的ではない、むしろ見逃しや見過ごし、思い違いや勘違いと言っていい代物で、危機感は無い。
なにを忘れているのかを必死に思い出そうとする。――娘が、休みを利用して、会いたい? 誰によ?
幾らか考え込んでしまい、脂汗が滲んだ。それは酒の影響と疲労から来るものだと信じたいので、必死に現実逃避を開始する。しかし、俺は大概目を逸らした事に関しては毎度毎度追いつかれ、回り込まれ、目と目で一瞬だけ通じ合い、殴られる運命だと自覚している。運命なんてものは基本的に信憑性の無い言葉だが、俺の言う運命は”経験と歴史に裏打ちされた必然”だ。火薬庫に背を向けたとしても、火種を火薬庫の近くに放って置けば爆発するのと同じだ。だから俺は、嫌な予感がしたと同時に、それは予感じゃなく確信だと認めた。
「お父様、此方にいらしたのですか」
――なんと言うか、今まで聞いた声の中で誰も属さないカテゴリーに居るような人だなと思った。ミラノは強気、アリアは丁寧、カティアは強気や丁寧、淫靡などだ。クロエ、エレオノーラ、トウカ、アーニャ……今まで関わった人にはそれぞれの個性に似合った声や話し方をしていた。だが、大半は行動力や活力に満ちた声をしていた。
だが、今聞いた声だけは何か違う。立場、境遇、状態としての保護ではなく、保護欲をそそると言う――言ってしまえば、儚げとか、そういった物を声から感じ取った。だから少し違和感と言うか、驚いてしまった。接してきた人物の多くが活力に満ちていたが、そうじゃない子まで居るだなんて思いもしなかった。
「来てしまったのかね、仕方の無い娘だ」
「だって、お父様だけ先にヤクモ様にお会いするなんて、ずるいです。
だからお父様が雇った優しい方々に案内していただきました」
「ウス……」
見ればならず者らしき人物が数名彼女の背後で、幾らか申し訳無さそうに頭を下げていた。どうやら彼女の言うとおり、声をかけられて案内したのだろう。ニコルは苦笑しながらも彼女を招き、付いてきた奴らには「手間をかけたな、少し休むと良い」と言って幾らか貨幣を渡した。
ならず者はそれを受け取ると幾らか怯えながらも、頭を下げて感謝すると他の席で既に飲食したり雑談をしながら此方を警戒している輪に加わっていく。そして店員に何か注文していた、どうやら言われたとおりにするらしい。
「紹介しよう。彼女はマーガレット、愛しき我が娘であり、我が妻の忘れ形見だ」
「お父様、その紹介は恥ずかしいので止めて欲しいといつも言ってますのに……」
「そしてマーガレット、彼はクラインだ。――声を大きくしてはいけないよ? この領地を預かるデルブルグ家の長兄で、長年病に臥せっていると噂された人物だ」
「あら――」
酒を大量に飲んでしまい、どう挨拶したものかと考える。だが、先に相手が声を大きくしないでくれ、騒ぎにしないでくれと言う意味で釘を挿してくれたおかげでやりやすくはなった。なので居住まいを正し、呼吸を数度繰り返して酔いの深い中幾らかでも冷静になろうとし、彼女と向き合ったのだが――
「ヤクモ様ではありませんか。何故このような場所に?」
「え!?」
クラインと呼ばれず、ヤクモと呼ばれてしまい戸惑ってしまう。その時どう反応して良いか判らず、少しばかり空白が出来てしまった。
「まさかこんな早くにお会いできるとは思っても居ませんでした!
あ、申し訳ありません。はしゃいでしまって――」
「――失礼ですが、人違いをしてるんじゃないかなって。
僕はクライン。クライン・ダーク・フォン・デルブルグです。そのヤクモという人とは別人です」
「いいえ、その髪、その顔付き、その声は学園で何度も聞いておりますもの。
見間違うはずがありません!」
「困ったな……。妹達にも言われたけど、似てるらしいから困ってるんだ。
けど、僕は違うよ。その”ヤクモ”と言う人じゃない、断言できる」
戸惑っていた俺だが、ニコルが少しばかり考え込み、そして口を開く。
「マーガレット、我が娘よ。そのヤクモという人物の見た目はどのようなものか、私に今一度教えてもらえるかな?」
「はい、お父様。見た目はそのもの、今目の前に居る方とそっくりです。
それで、髪は――茶色とか、黒っぽいと聞いてます。それで、目の片方が赤くて、もう片方が髪と同じ色だと」
「残念だがマーガレット、目の前の若人は髪の色と目の色の二つの点において一致しない」
「そうなのですか!?」
なんか、よく判らない。俺が戸惑っていると、ニコルが酒を飲んでから俺に告げる。
「すまないな、若人よ。彼女は、少し――色に弱くてね。直に彼と君とを見た我が娘が言うのだ、きっと君達は似ているのだろう」
「いえ、その。僕自身はまだ彼と会った事がなくて、ただ妹達に”似ている”と言われ続けてるくらいで――他は、何も」
俺とクライン、互いに面識はあるが深く話をしあった事は無い。ただ、時折クラインと無声通話をしているくらいで、その内容もあまり踏み込んだものではない。だからこの発言で間違いは無いだろう、そういうと彼女は萎れた花のようになった。
「すみませんでした。私、とんだはやとちりを……。この事は、内緒にしてくださいね?」
「いいよ。僕は気にしてないから。けど大変じゃないかな、色が判別し辛いって言うのは」
「そうですね、皆様は私と違う世界を見られていると言う事で、寂しいと思うことは有りますし、普段の生活でも困る事は少なくありません。
ですが、その分私は色々と考えてしまうのです。皆様が見て居る世界はもっと綺麗で、鮮やかで、柔らかく、優しいんじゃないかと。それを考えるだけで、実際に見て居る景色が違う色でも――心で見た世界は私を楽しませてくれます」
「泣かせてくれるじゃないか。父は心優しいマーガレットに胸を打たれるよ」
「わ、私はもう子供では――もう、お父様ったら……」
父娘のやり取りだが、先程までのニコルとは別人の様でも会った。あるいは、身内にだけ見せる顔と外に向けている顔が別なだけかもしれない。人の利き腕を容赦なく使い物にならなくした判断を下し、自分の求める所を果たした点とは幾らか相容れないような気はするが……。
「それでお父様。何故クライン様と? 今回用事があるのは、公爵様だと思ったのですが」
「――なに、ヤクモという人物の事を考えていたら、偶然出くわしたのだよ。
少しでも情報は多い方が良い、それにいざ対面したとき取り繕われては判らぬ事も有るのでな」
「お父様。何事も疑いすぎは良くないと思います。それに、彼の方はミラノ様とアリア様、アルバート様にグリム様をお救いした結果亡くなった忠義の方です。
それに、魔法を使われているので血筋は確かだと思います」
いや、血筋がどうのこうのって言われても、ただの恩恵ですし? それに救われた人物リストから毎回抜け落ちるマルコの存在、嫌味な奴だけれどもそう毎度毎度だと哀れにすら思えてくる。あるいは、爵位が低いから喧伝されるほどじゃないのか、或いは嫌われているから省かれたままになってしまったとか。
だが、なんと言うか、妄信と言うか盲信に近い評価をされているとこそばゆくなるのは仕方が無い。立派な事をしたつもりがないから尚更受け入れがたくはあった。ただ、今の俺はそれを受け止めるしかない。他人として、だが。
「では、後は若い者同士で語り合いたまえ。私は聞くに徹しよう。
――我が娘よ、彼は遅れてやって来るそうだ。なればこそ、身内事として聞きたい事聞ける事を今の内に聞いておきたまえ」
「いらっしゃらないのですか。残念です……」
「自分に分かる範囲でなら幾らかお教えできる事は教えますよ。とは言っても、妹たちから聞いた話でしかないので、確かな情報とは言いがたいですが」
「それでも嬉しいです。どのような事をご存知なのですか?」
「えっと、普段何をしているのかとか、日常での行動位かな。流石に出自がどこかまでは分からないし、本人も見知らぬ場所に呼び出されたって言ってたらしいけど」
「それでも、私は聞きたいです!」
そうだなあと、すんごいさわり程度の事を教える。肉や野菜を好むが、食堂で食べる食事よりも街中で食べる事ができるような市民に近い食事が好きとか、一日の終わりに酒を飲むのが好きだけれどもそうじゃないときは紅茶に牛乳を足して砂糖を幾らか混ぜたまろやかで甘い味が好みだとか、魔法に目覚めて幾らかその習得を主人であるミラノやその妹のアリアを頼りながらも勉強しているとか、文字が読めず書けなかったが最近ようやく字の読み書きが出来るようになったとか、休み前は起きる時間よりも早い時間帯に運動をして身体を鍛えているとか、分け隔て無く他人と接するが高圧的だったり威圧的だと反発しやすいとか、爵位や身分、立場をいきなり出していくと敬遠されやすいとか。
本人談なのだが、それを他人が聞きかじった程度の情報として語るのは中々に難しい。彼女はニコルが一個席をズレたが為に隣に座っている、そんな彼女の傍で酒をかっ喰らう訳にはいかずに酒で誤魔化せなくなっている。
マリーはもう酒のお代わりすらしなくなり、その姿はマーガレットの登場前後で既に消えていた。もしかすると見えなくなっているだけかも知れないが、最悪寝ている可能性だって有る。自由すぎる、本当。それともそれくらい図太くなければ英雄なんてものはやってられなかったのかも知れないが。
「一つ聞いてもいいですか?」
「はい。私に答えられる事であれば、なんでもお聞きください」
「その――ヤクモという人の、どこに惹かれたのですか?
いえ、他意はないです。ただ、自分としては身内の者に仕える人物として見なければならないですから。やはり、学園で直接見聞きしてきた貴女の思った事、感じた事を聞きたいと思ったんです」
等と、理由付けてはいるが気になったのはそんな事じゃない。結局、何故気に入られたのかが俺には判らないからだ。むしろ――俺は好意を持たれてるとか、好かれていると聞いてしまうと恐怖の感情の方が強くなる。
だから……もしかすると、言い訳をしたいのかも知れない。貴女が思うよりも立派な人間じゃないです、そんな大層な人間じゃないです、失望しますよ、傷つきますよ、だから諦めてくださいと。
人が俺を語れば語るほど、俺は自嘲と自虐の念が沸いてくる。その落差っぷりに、笑えてしまうのだ。酒を嗜んでいるんじゃない、酒に溺れているのだ。身体を鍛えているんじゃない、そうしていないと唯一の自分の誇れる”自衛官”と言う過去ですら失ってしまいそうだからだ。戦いに優れていて強い訳じゃない、ただ戦うことしか残らなかったから。
そうやって考えていくと、今評価されている事の大半は負で始まっている。だからこそ、受け入れがたい事なのかも知れない。
だと言うのに、目の前の彼女は頬に手を添えて幾らか恥らうように語りだす。生命力のすくなさそうな、色白い肌、頬が朱に染まるのが分かりやすく見て取れた。
「直接お話をした事は有りません。それでも、何度か寮でお見かけした事は有ります。
つい最近では廊下で会って――その、挨拶をしたんだと思うんです。けど私、恥ずかしくて逃げてしまいました。
アリア様のお姉様が召喚されたと聞いて、ただそれだけだったんです。けれども、アルバート様と一騎討ちをされて、お互い良い勝負をしたと聞いております。アルバート様やグリム様と言った、この国を支える大貴族の方々と仲良くされたり、クロエ様やミナセ様やヒューガ様と言った他国の方とも親しくされていました。
そして主人を護ろうとした騎士道精神、居合わせただけだと言うのにアルバート様とグリム様を救った正義感、皆様はずっと笑っていたのに、事を成した後でもその態度は変わりませんでした。まるで――英雄譚や伝記でしか見る事が出来ない様なその有り方に、私は心惹かれたのです。
たぶん、あの方はこれからもっと色々な事に触れ合っていくと思うんです。勝手な思い込みかも知れないですけど、そんな予感がするのです」
「念のために言うが、君。マーガレットは我々と同じ世界を見ることは出来ぬが、予感と言う言葉を使って何かを言った時は軽視せぬ事だ。
親馬鹿、あるいは馬鹿親といってくれても構わぬ。どうせ、君も復帰したのなら学園に通う事になるだろう。その時に、そ知らぬ顔をして予感と言う名の予言をされた相手を見ておくが良い。その時になって、きっと本人と今の言葉を聞いた君は理解するだろう」
「予感……、予言?」
なんだかよく理解できない話だなと思ったが、父親であるニコルの発言にまた頬を染めているマーガレット。どうやら父親の煩悩に付き合うのが恥ずかしいのだろう。難しい表情をしていたかも知れない俺を見て、ニコルは笑みを深くした。
「マーガレットの予感は、その娘ですら一握りの未来を言い当てるに過ぎん。だが、その一握りの未来をつなぎ合わせると一つの大きな物事になる事は多々ある。
先の話で肉と動物の話をしたと思うが、あれと同じようなものだよ。例えば、今年は肉が高くなるとこの子が言ったとする。その後に日照りや干ばつの話が出てきたら、君はどう考えるかね?」
「えっと……。動物の食べる草が枯れてしまって、その確保が難しくなる可能性がある。或いは水気の少ない土地や地域においてそういった不作が起きる事で、草が高くなるか動物が肥えない可能性がある――と言う事でしょうか」
「概ね、そういった予想が出来るだろう。君くらい頭が巡る者なら、傍から見て居るだけでも十分この娘の発言を理解できるだろう」
「あの、質問宜しいですか?」
「聞きたまえ、君にはその資格がある」
「一握りだとしても、未来を知る事が出来ると言うのは――魔法か何かなのでしょうか。
その、無知ゆえの質問と思って笑わないで居てくれれば幸いですが」
「ふむ。その理由や原因は、私にも判らないのだよ。ただ、私は妻がマーガレットを産み死んだ、自身が亡くなっても止め処ない愛が彼女を包み、護ってくれていると思っている。
事実、色が分からない事で危機に面した事もあれば、この前の――ヤクモという輩が有名になったあの一件も、彼女はその一握りの未来を掴んでいたようだ。あの時も、何かしら掴んでいたようだが」
「あの、騒ぎの時も?」
地震と、街を覆う壁の崩壊、魔物の進出と余りにも出来すぎていた話だった。しかし、結局地震と壁崩壊と魔物の襲撃の関連性は今でも分かっておらず、今の話を聞いていると相手にも同じように預言者や未来視をする人物が居たのかも知れないと疑いたくなる。
疑問の声をあげた俺に、マーガレットはコクリと頷いた。
「あの時は。大分前に一つの映像を見ました。壁を前にして、背丈の高い――角の生えた男性が強大な魔法を使う所を。けれども、夢で見たことだったので、私すっかり忘れていたんです。
そしてあの日の朝に見た夢は、学園の橋が崩れるところでした。橋を渡っている誰かが、横から飛んできた大きな何かに橋ごと吹き飛ばされて……そう、ミラノ様が誰かの名を叫んでいたような夢でした。皆さん血と傷で汚れていて、不安になったのであの日は外出を途中で切り上げたんです」
「どうだ、若人よ。事実、あの場にマーガレットは居なかったが、学園と街を繋ぐ端の一つは崩壊した。そしてその崩壊の場にデルブルグ家の娘達が居合わせた事も実際に確認できている」
「――確かに、これは軽視出来ませんね」
しかも、その時橋ごと吹き飛ばされたのは俺だ。俺は彼女と関わっていない上に、あの場には兵士以外にはミラノやアリアたちしか居なかったはずなのだ。幾らか恐ろしくなりながら、俺は彼女に尋ねる。
「その時、橋をどのような順番で渡ったかとか、夢で見たかな?」
「そう、ですね……。学園の男子生徒、でした。その方は橋で一度転んでいたと思います。それから、ミラノ様とアリア様――可愛い女の子と、グリム様です。その後で剣を持ったアルバート様が渡って――そう、ヤクモ様だと思いますが、彼の方が渡ろうとして橋が崩れたのです」
「なる、ほど。これは、確かに軽視できないですね」
事実、あの時の順番は今でも覚えている。理由は”戦闘能力の低い者と、重要度の高い人物”と”その護衛”で括っていたからだ。マルコが走り出しコケたこと、その後でミラノとアリアがカティアとグリムに庇われながら橋を渡った事、橋の安全化をはかっていた俺とアルバートの中でアルバートを優先して橋を渡らせた事、最後に俺が吹き飛ばされたこと――どれも鮮明な映像で思い出せる。
彼女はその場に居なかった、だから俺は本当に軽視できなくなった。そもそも魔法が使える上に、プレイヤー魔法と俺が呼んでいるMMOで使うようなシステムまで実装されている世界だ、もしかすると本当に未来視が出来るのかも知れない。
頬をかき、どうしようかと迷ったが――それをクラインとして語る事は不要だと判断した。これから彼女とヤクモとして遭遇するのかどうか分からないけれども、それに備えて対応は考えておいた方はいいだろう。ニコルはクラインとミラノ達には私用と私欲で関係があるが、ヤクモにはない。ヤクモの方には娘がらみでの関わりしかないので、その切り替えと情報の仕分けも考えないといけない。
一つ息を吐くと、どうしたものかと考え込んだ。
「それで、その――。僕の事で何か知れたりはしますか?」
「ごめんなさい。寝ている時じゃないと見れないんです。それも、ごくたまに。
ただ、最近の夢でクライン様に関連しそうな夢は――そうですね、まったく同じ格好をした所を見ました。ただ、勘違いかも知れませんが、髪の色と目の色は彼の方でしたが……」
「ほう、つまり似たような格好をして現れると?」
「はい、お父様。けれども、夢の中で見るそういったものはいつも色で溢れています。
なので、クライン様のお顔を見てしまった今ではその方がヤクモ様なのかクライン様なのか分かりません。私には、色が判別できませんから……」
「ではマーガレット、学園で見た彼と”雰囲気”はどうだったかな? この若人と会って同人だと思うほどに、似ているかね?」
「あの、雰囲気とは……」
「その、ですね? その人のあり方と言うか、人としてどのような方なのかを何と無く感じ取る……と言うのでしょうか。柔らかいとか、暖かいとか、冷たいとか、鋭いとか。特性、とも言えるかも知れませんね。ただ、こちらは夢や予感と違ってその人との関わりが弱いと分からないのですが」
「それじゃあヤクモという人の雰囲気は、どうだった?」
「――なんと言うか、半分くらいしか見えない感じ、でした。本当ならこう、もやもや~って、球みたいに相手の雰囲気を掴めるのですが、その半分くらいしか、まだ。
ですが、その半分だけでも色々分かります。こう、柔らかくて、触れたら触れた分だけ迫れそうで、常に色々考えていて止まっている感じがしないのですが、ふと気が付くと渦巻くような雰囲気ではなく穏やかな川の流れのようなものを携えている――そんな雰囲気です!」
どんな評価だろうかと思ったが、単純に真面目な時とそうじゃない時で落差があると言いたいのかもしれない。というか、後半は完全にスイッチが入ってない時の俺だ。休みたい、寝たい、のんびりしたいと三コンボ決めていて、完全に学園に集う人々の性質とかけ離れている。
というか、試験は無い、授業も自分の興味の範囲で受け取っていて良い、多少は見栄を張り言動に気をつけなければならないが、それでも爵位だの気品だの優雅だのと気にかける必要は無い。たぶん、学園の中で力を入れるところと気を抜くところが皆とずれているのだろう。そりゃ引き立って見える理由にもなるか……。
「有難う、参考になったよ。けど、マーガレットさんは……きっと気配りが出来る、優しい人なんだね。人の良い所や人柄なんて、そこまで気にかけてる人は少ないと思うんだ」
「いえ、私は皆様より多くの事に気づけませんから。そうやって、見えている物を少しでも何だろうと理解しようとしていたら、こうなっていたと言うか――」
「だとしても、人の事を良くみるという事は大事だよ。色が見えなくても、それよりも大事なものが見えているって事なんだから」
そう言うと、微妙な沈黙が下りた。ただ、俺は悪い事を言ったつもりはないし、彼女もなんだか嬉しそうにしていた。だが、何かに気が付くと頬を朱に染めながら手を添えて撃沈したかのように俯いてしまう。
「あ、あれ。変な事を言ったかな?」
「いえ、クライン様は変な事を言ってません。けど――申し訳ありません、まるでヤクモ様に言われているかのように思えて、嬉しく思ったのと同時に申し訳なくなりまして……」
「――さて、若人達の語らいもそろそろ良い頃合だろう。残念だが私達は明日には去る、それまでにお互い、色々と考えてまた会うべきだろう」
どうやらもう暇するつもりのようだ。むしろマーガレット……彼の娘さんが出て来た時点で想定外の出来事だっただろうし、その時点で長居をするつもりは無かったのかも知れない。或いは、娘さんがここに現れる事も一つの想定として収めておき、その意外な訪問者と言う存在で互いの毒気を抜くために利用したという考え方も出来なくも無いが――。
「すみません、ご馳走になりました」
「なに、構わぬよ。私が無理に引き止めたのだ。こうでもしなければ君を脅しただけの悪者になってしまう。相互利益と言うものは素晴らしいとは思わないか? あるいは、先行投資と言う言葉でも良い。どれも市井の者から聞いた言葉でね、あるいは――理解できるのではないか?」
「自分の求める物を相手に供与してもらう変わりに、相手の求める物を供与する、一種の売買のようなものですかね。先行投資だと、相手が自分に利するだろうという目論見があって行う支援になりますが」
「ふふ、聡いな。君臨しても統治できぬ貴族も居るが、統治すれども圧政を行う貴族も最近では増えてきている。勉学に励みたまえ、何れ立派な跡継ぎになれるだろう」
「クライン様、今日の出会いがこれからも続いていく関係に繋がれば嬉しいです。
それでは、また」
ニコルとマーガレットが去り、俺はそんな二人に手を軽く振っていたが、その手が利き腕であった事に気が付いて、どうやら解除されたのだなと知った。それでもずっと動かすのも辛い状態にさせられていたので疲弊しきってしまった。その上飲酒のしまくりだ、解放感よりも先に疲労や疲弊の方が先に来てしまった。
疲れたなと思いながら、これからどうしようかと考え込む。とりあえず帰るかと歩き、厩に向かっている最中で突如目の前に出現した陰にすら俺は反応できなかった。その人物はロビンで、見知った顔だからこそ反応できなかったともいえるのかもしれない。だから、間の抜けた反応をしてしまった。
「やあ、ロビン。どうしたの、町まで来て」
「――……、」
しかし、彼女は何かを言う事無く俺の手を掴むと、尋常ではない速度で腕を引っ張って走り出した。腕の疲労と痛みとで思考が真っ白になり、その痛みを訴えようと口を開くよりも先に路地のような場所に連れ込まれ、壁に叩きつけられた。肺から空気が無理やり吐き出され、ついでの様にアルコールが胃からリバースされそうになる。
だが、俺が抗議の声を上げようとすると、彼女は俺の片目を片手で無理矢理こじ開け、鋭い目つきで片目を思い切り覗き込んできた。額が重なり、彼女の息遣いを顔で感じた。俺は呼吸をどうしてよいか判らず、かと言ってアルコール臭いだろう俺の息を彼女に吐きかけるのも憚られて息が潜む。
片方の目、もう片方の目と彼女が覗き込んできたが、俺は抵抗する事も声を上げることもできなかった。何をされてるのかも分からず、ただ通りすがりが「おっ、若いって良いねえ」と言った時になって、ようやく俺は解放されたのであった。
「な、なに?」
「――せんのー、されてないか確認してた」
「え、洗脳!?」
「――ヤゴ、危ないって言ってた。こーしゃく、見て来いっていった。
ヤクモ、ふらふらしてた。だから確認した」
「あぁ、そっか……」
どうやら、ヤゴは屋敷まで戻れたようだ。その結果、公爵に俺の状況が伝わり、その結果ロビンが先行してきたと言う事らしい。俺は少しばかり安堵すると、酒の飲みすぎだと釈明するとロビンが離れた。俺がふらふらだった理由を理解したようで、俺もようやく満足に呼吸が出来る事を含めて安堵した。
「――せつめー」
「する。するけど、それは公爵にするから、その時に一緒に聞いてくれ。流石に、二度手間は御免だから」
「――なら、帰る。馬、乗れる?」
「乗れない、かな」
飲酒運転と言う概念がこの世界に有るかは分からないけれども、少しばかり意識していないと真っ直ぐに歩くのは難しい。呼吸は幾らか苦しいし、目を閉じていると酔いが一気に巡りそうだ。馬に乗るのは電車や車とは違い、揺れる。至急の案件でもないし、胃の中を空にして意識をはっきりさせてまで急ぐ理由は無い。
「半刻ほど、休ませて貰えれば大丈夫。流石に、今じゃ吐きそう……」
「――吐きたいなら、吐けばいー。気にしない」
「こっちが気にするから。ただ、公爵にこっちは無事だって事を伝えてくれれば」
「それは、だいじょーぶ。もう伝えた。こーしゃくと私、しゅじゅー」
「あぁ、そっか。使い魔と主人だから、やり取りができるのか……」
カティアとは普段、使い魔システムを経由しない方法でやり取りをしているので、それを忘れていた。彼女は片方の耳に手を宛がって何かを話をしているようだが、最後に一度だけ頷くとそれも止めた。
「――じゃ、休む。私、警護につく」
「……分かった、よろしく頼むよ」
「――ん、まかされた~」
そう言ってロビンは俺に付き添うと、倒れる事がないようにと気遣ってくれた。そしてゆっくりと歩き、ベンチを見つけるとそこにゆっくりと腰掛けると、目が回ってくる。もういっそ寝てしまおうかと考え、そうすることにした。背凭れに体重を預け、空を見上げるようにしながらも目を閉ざす。徐々に日が傾いていく中で、まだ日差しによる温かみが残る中でまどろんで行く。
自分の状況が把握できなくなっていく中で、突如として居心地が良くなった感覚だけが何も分からない中で存在した。そのまま安らかな感じに意識を委ねて、安らかな世界へと飛び立った。
――☆――
眠りながら、俺は夢を見た。見慣れた酷い悪夢ではなく、現実逃避の甘い夢でもなく、まるで何かしらの作品のような夢だった。もしくは、映像作品でも見せられているかのような夢。
「ほら、早く起きて。まったく、こんな時でも眠れるなんて、頭おかしいんじゃない?」
それは、誰の声だったか――。どうやら俺は、何かしらの登場人物として存在しているらしい。浴びせられかけた声に目を覚ましたところらしく、大きな欠伸とともに伸びをしたようであった。
周囲は深い森林、直ぐに出られそうな位置ではあるようだが、逆に奥は光が余り届かないのか暗すぎて何か居ても見る事ができない。空は宵闇、夕日が見えないのに赤い空。夜のように見えるが、正確な時間は分からない。
『ごめんよ。少し……ノンビリしすぎたかな』
「ええ、し過ぎ。もう兵も準備を終えてる、あの――だって、もう起きて兵の面倒を見てるのに」
俺――と言うか、視点主である人物は幾らか辛らつな言葉を投げかけてくる相手をゆっくりと見た。そこに居るのはマリーだ、今の俺が出会っている人物よりも元気そうで、表情は幾らかやつれてはいるが活力はある。目の下に隈は無いし、表情も生き生きとしている。
これはなんなのだろうか、理解できない。それでも、俺は夢を第三者としてみる事しか出来ない。
「ふふ、お寝坊さんですね。ですが、まだ大丈夫です。私の張っている結界は、まだまだもちますから」
そう言って現れたのは、一人の女性だった。マリーは暗いとか、重さをイメージするような色で服装が固められているのに対して、彼女は朗らか、明るい、軽さをイメージさせる色で構成された服を着ている。その手には背丈ほどある杖を手にしていて、その杖も装飾かどうかは分からないけれども、煌びやかだ。
――ひとつ気になるとしたら、杖をもっているその手に指だしグローブのようなものを装備している事だろうが、もしかすると魔力陣とかを扱うのかも知れないので、指が出るようにしているのかも知れない。なんにせよ、聖職者とか、癒す者というイメージの強い子だ。
「そういう事を言ってるんじゃないの。私達が――ううん、世界が滅びるかも知れないって時に、一人だけまだ寝てるなんて……」
「ロビンさんも、まだ寝てますよ?」
「――むにゃ」
視点が左右に振れ、一本の木に目が止まった。その木自体には、何の特徴も無い。どこにでもある木、普通に枝を伸ばし、葉が付いている。だが、太い枝の上に一つの影――いや、今の会話の中で出て来た人物がそこに居た。木の上で、弓を握り締めたままに寝ている。漫画とかで良く見るような台詞である「ムニャムニャ」という言葉を発しながら、落ちないように。
マリーはため息を吐き、その木へと近づくと、思い切り蹴飛ばした。するとロビンは木から落下し、背中から地面に叩きつけられた。距離が幾らかあるので何を言い合っているのか俺にも聞こえてこないが、その後直ぐに喧嘩になったらしく、マリーが袖をまくり魔導書を出しながら光を周囲に纏い、ロビンが矢を番えた状態で準・射撃状態を維持して提げ、もう片方の手でナイフを抜いた。
「はい、コーヒーです。もう在庫が無いので、これが最後の一杯になるそうです」
『ありがとう』
視点主は目の前の聖職者のような子からコーヒーを受け取ると、匂いを嗅いでからゆっくりと飲もうとした。しかし、そのコップですら満足な物ではないらしく、補修した箇所が見て取れ、その上でコーヒーが滲んで漏れ出していた。
コーヒーを飲み、その人物はむせた。手にコーヒーと……それとは別に紅の色が混じる液体が付着するが、直ぐにそれを舐めた。そして直ぐに何事も無かったかのようにそのコップのコーヒーを全て飲み干す。
「今日、全てが終わるんですよね?」
『ああ、そうだ。ここまで来たんだ、もう次は無い。だから、ヘラ。悪いけど、気にかけてあげられない』
「どちらにせよ、勝たなければ戦場で死のうと、探し出されて死のうと変わらないですよ。
――さあ、目を覚ましたのなら最後の戦いの前に兵の前に顔を出してあげてください。皆さん不安でしょうし、何時までもアイアスさんに兵の相手をさせるのは可哀想ですし」
『分かった、直ぐ行くよ』
視線が直ぐに左右を確認するように動き、そしてとあるものを確認すると掴む。それは俺が今使っている、ゲヴォルグさんの所で入手した剣だった。二対で一振りの剣となるもの、片刃剣。ただ、俺が今見て居る”ソレ”は、きっと両方とも本物なのだろう。鞘から抜いてその刃を確認した彼は、剣を納めると立ち上がった。
周囲を木々に囲まれ、森林地帯を半ばほど出た。そこには幾人もの人々がいて、誰もが何かしらの装備を身に纏っている。だが、その装備の多くはへこみ、欠け、傷つき、泥や血に濡れている。きっと、激戦が続いているのだろう。装備を直したり新調出来ないほどの状況に追い込まれているとも考えられ、それはきっと負担の大きな状況なのだろう。
長い槍を傍に立てかけている男が、戦略図のようなものを広げながら色々と指し示しながら何かを言っている。背丈ほどもある大剣をその傍で座り込みながら砥いでいる女性が居て、時折男性へと何かを訊ねながらも返答に頷いていた。
『お疲れ、アイアス。みんなもおはよう』
「貴様、起きるのが遅いぞ! もう戦い方の再徹底は済み、目標と作戦に関して再び話し合っていた所だぞ!」
「いや~、お寝坊さんだね~」
『ごめんごめん、少し疲れが残ってたみたいだ』
「ふん、確かに貴様の負担は今の所大きい。それは、認めてやらんでもない。
だがな、余り言いたくは無いが――貴様が、今や中心人物だ。そう、オレでは無く、貴様がな。
悔しいが、その事実は変えられん。家柄でも、血筋でも、武勇でも、魔法の才能でもない。一番、人間らしいからこそ、支持されているのだ。
故に、貴様は導き、勝利しろ。この戦いが終わるまで、倒れる事は許さん。勝利し、平和が来たならば……好きなだけ”ノンビリ”とやらをするが良い」
そう言って、アイアスは鼻を鳴らした。そして視点主が来た事で自分が担っていた役割を譲渡するように、その場を退く。視点主は入れ替わるように戦略図を前にし、鞘を立てかけるとそのまま線略図を見つめ、色々語りだしたが――そこから、映像が急に飛んだ。
場所は、それほど移動してないのだろう。再び森林らしき場所に居た。目線が一度だけ周囲を確認する。先程アイアスと合流した、戦いに関して話をした場所から幾らか離れた位置らしい。誰もが此方に注目していない、なぜか木々も確認して人の姿がないのを確認すると、とある木の根元に蹲っている影へと語りかけた。
『別に、無理してついて来なくても良かったのに。明日は、決戦と言える日だ。流石に、危険が過ぎる。来なくても良いのに』
その影は、ゆっくりと立ち上がると、視点主と対峙する。ただ、その相手の姿は見えない。森林という光の届きにくい場所に居る事や、火が無ければ暗い時間帯だからかも知れない。だが、それでも相手の口元が笑みの形へと変わったのだけは見て取れた。どうやら笑っているらしい。
「お前が死んだら、どうせ俺も死ぬんだ。なら、その最後を見届けても、あんま変わんないだろ?」
『確かに――。けど、どうなるか分からない。だから、一つ約束してくれないか』
「約束? なにを」
『俺が――俺が、この戦いの後の世界を見届けられなくても……俺が居なくなっても、みんなの仲間として、出来る事をすると』
その言葉の意味は分からない。けれども、何と無くだが理解は出来た。きっと、今俺が視点主として一緒に行動しているのは、きっとかつての英雄のうちの一人なのだろう。それも、今まで聞いてきた中で情報を整理すれば……マリーやロビンが忘れたとされる、中心人物。英雄達の中で中心人物で、相手と刺し違えたといわれる。そして、その存在を忘れ去られ、親しい間柄であろうにも拘らずにその名を思い出せない人物。
となると、目の前に居るのは……もしかすると、後々抹消されたとされる人物なのかも知れない。名前は知らないが……彼もまた、英雄の一人だったと思う。
相手は視点主の言葉にどう反応したものかと思案しているらしく、少ししてから口を開いた。
「お前、死ぬ気か?」
『誰が死んでもおかしくないという意味だよ。それに、俺は戦うことしか能が無いし、平和な時代が来たら今度は人を従えて、復興をしなきゃいけない。そうなると、俺にはもう出来る事がないからさ』
「――俺には、出来ない」
『出来るさ。お前は、ずっと俺と一緒だったんだし。それに、俺よりもお前は人の痛みを判って上げられる、苦しみを理解してあげられる奴なんだからさ。
敵が居なくなっても、今度は苦しく辛い時代が来る。技術の多くは失われた、田畑も交配して、人々には安住の地が無い。アイアスやマリーは、それぞれに人々を率いる力がある。けれども、ソレは上に立つものとしての力でしかない。同じ立場で、同じ目線で考えるのは難しいと思う。だから、そういうときにお前が間に立ってくれればと思って』
「っ、断る」
『頼むよ、お前だけが頼りなんだ』
お前だけが、便りなんだ。その言葉を最後に、それ以降の映像や言葉でさえも霧の向うへと追いやられたかのように遠ざかり、聞こえなくなっていった。そして夢と現実が交差するように、目に見える情報が入れ替わってゆく。
気が付いた俺は、目を閉じているロビンの顔を見上げていた。そして、自分がどのような状態だったのかを理解する。ロビンの足を枕にし、眠っていたようであった。その事情を理解すると羞恥心が溢れ、すぐさま頭を浮かせて彼女にぶつかる事がないように身体を起こした。
――恥ずかしい。なんと言うか、女性に対する免疫が無いというのが大きいが、酔っていたと言う事を理由にして出会って間もない相手の足を借りて安眠していた自分も恥ずかしいし、そんな間近に接近していたという事実を認識してしまうが故に恥ずかしかった。
ロビンは俺が動いたので反応したのか、ゆっくりと目を見開く。そして俺が起き上がっているのを見ると「お~……」という声を漏らす。
「――だいじょーぶ?」
「あぁ、えっと。ごめん、足を借りちゃって。それと、寝てる間に護ってもらっちゃって」
「――いい。それが務め。馬、のれる?」
「ああ、大分……酔いも醒めたみたいだ。けど……うわぁ、大分寝ちゃったぞ!?」
空模様を見れば、既に太陽が傾いている。メニュー画面を見れば、あれから一時間半も寝ていたことになる。一時間半も女性の足を借りていたのかと思うと顔から火が出そうだが、ソレよりも先に長い時間休憩してしまったのだなと焦ってしまう。
公爵は既に事情をロビン経由で理解しているだろうけれども、その姿を確認するまでは気が抜けないだろう。だから俺は幾らか圧迫感を覚えた。
「い、急いで帰ろう」
「――ん。じゃあ、馬、操る。ヤ……クラインは、後ろ乗る」
「いやいやいやいや、自分で馬は乗れるから」
「――走って帰るの、疲れる」
「え、走ってきたの!?」
そりゃ疲れるわ。けれども、彼女は息を切らしていなかったし、その真偽は分からないけれども一人で帰らせるのも悪いと思った。だから厩まで少しばかり急ぎ、自分の馬を見つけ、馬に乗るのだが――。
「待って。早い、早い!?」
「――急ぐ」
「急いでるにしても、こっちは鐙が無いから落ちそうなんですけどぉ!?」
「――掴まると良い。こう、ぎゅ~っと」
「あとで訴えるとか、そう言うの無しだからなぁ!!!」
ロビンが馬を思い切り走らせ、鐙によって踏ん張る事もバランスを取る事もできず、手綱も握れない俺はその速度に振り落とされそうになる。結果として、一番近くに存在する安定したもの――ロビンにしがみつく事になり、その胴回りに腕を絡めて何とか落ちないようにと身体を馬に預けるように前のめりになっていた。
「――もっと、しがみ付く」
「いやいやいやいや、これで何とかだいじょ――って、速度あげるんじゃねぇ!!!」
「――急いで帰るから、ほら」
たぶん、俺は彼女の足を長々と借りた事で、意趣返しをされているに違いない。落ちれば大怪我、しかも頼るべくは姿勢制御とロビンに捕まる事だけと言うこの怖さ。ロッククライミングの練習で、命綱が外れてしまい、手と足だけで逆斜めの坂にしがみ付いているかのような恐ろしさがあった。
血の気が引く、酔いとか関係なしに冷めて行く。ソレとは裏腹に、俺が死にそうになれば成る程ロビンは楽しげで、どんどん馬を加速させていくのであった。




