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元自衛官、異世界に赴任する  作者: 旗本蔵屋敷
三章 元自衛官、公爵の息子を演ず
43/182

43話

 理不尽に慣れろ。

 それは、後期教育で班付に言われた言葉だった。実際、その言葉は大人であれば備えておいた方が良い能力であると思うし、自衛隊――軍隊に所属しているのであれば、それが普通科……歩兵部隊であれば尚更だと考えさせられた。

 自分の望む事であれ、望まない事であれ、時間と言う流れと他人の意志や思惑や行動と結果から生み出された波紋が刻一刻とやってくる。それは小波のように、だが時には立っていられないほどの大波や、命そのものを奪いかねない洪水のように。

 仕事も、戦闘も、社会も生ものだ。今、目の前に見えていることだけが真実だけではなく、見えていない事までもが巡り巡ってやってくる。或いは、見逃して去っていってしまう。同じように、目の前の敵だけを抑え続けた所で、空爆によって弾や食事の支援が受けられなくなるとか、隣の部隊が劣勢になった事で敵の此方への与える負担が増えるとか、無線の故障によって部隊間の連携が上手くいかず、敵が押し寄せる中孤立するとか――そういった理不尽は幾らでもある。それら一つ一つで激昂し、憔悴し、取り乱し、感情的になったら駄目だという事なのだろう。中には、片腕を骨折しようともベルトで腕を固定して八十九小銃を構え続けた曹長が居た。それは検閲中での事であったが、賞賛されたのを覚えている。


 さあ、俺の理不尽とはなんだろうかと考えたとき。それは普段通り、起床時間の一時間ほど早く目覚めた俺の視界に、マリーの顔があった。空砲で目を覚ました時と同じレベルで一気に覚醒し、状況を把握した。

 先日マリーが尋ねて来て、長い間トラウマなどから眠れないと言っていたけれどもウトウトしてたからベッドを貸したのだ。俺は机に突っ伏し、寝落ちしていたはずなのに、同じベッドで向き合って眠っているのだ。

 当然、それだけなら俺は冷静になれと自分に言い聞かせ、ゆっくりとベッドを出るだけだ。けれども、そんな視界を少し動かせばマリー越しに一つの存在が居る。当然、それは考えられた脅威ではあった。

 ロビン、デルブルグ家に仕えている一人の英雄。弓を得意とし、その身体能力は非力と言うも軽々と人を吹き飛ばす程度には強力だ。その彼女が、マリーの傍で彼女を見下ろしている。その表情は窓から入る光を背にしているせいもあって読み取れないが――


 ――得物を狙う、殺意を隠し切れずに滲ませているのを感じた――


 間違いなく彼女は殺す、マリーは間違いなく殺される。何の感慨も、何の感情も抱かぬままに、機械的に、義務にしたがって。何の考えも無しに受け入れかけていた俺の考えも、人間同士戦うのは馬鹿げていると批判して全てを曝け出したマリーも除外して。

 そうだ、ロビンは俺の事を理解した上で公爵が目をかけるようにと言った。だが――それだけだ。俺と公爵、どちらを優先するかなんて分かりきっていたことで、俺の個人的な思惑なんて関係の無い話だった。

 やばい、どうにかしなければならない。そう思っていたのだが、彼女の姿が掻き消えて重圧感からの解放と共に見失う。公爵の所へ行ったのだろうか、そう考えていると背中がやけに寒いのに気付く。


「――お、っは~」

「!?」


 その声に驚くと共に、俺の身体はベッドから引きずり出されて床へと背中から落ちた。驚き、急な事柄に思考が停止していたが、右手がポケットがあった位置、左手が静止や防御の構えのまま半端にのばされている状態で、ロビンが何の感情も見出せないままに見下ろしているのを理解した。

 そして挨拶をする間も無く、そのままズルズルと引きずられて先日酒を飲んでいた席まで連れて行かれ、片腕で持ち上げられて着席させられる。その屈辱と言うか、異常さに沈黙しているとロビンはそのままお茶の準備をしてくれた。理解が追いつかないが、自分の衣服を確認して”二つの意味”で無事だと確認できてホッとした。


「――せつめ~」

「あ、お……おう」


 しかし、お茶の準備をしている彼女の眼が俺の方を向いてそんな事を言われれば、俺は先程の脂汗を滲ませるような重圧を思い出して戸惑ってしまう。それから幾らかどう説明したらいいかを考えてから、ロビンに全てを話す事にした。

 無表情なりに幾らか凄みを感じさせていた彼女だったが、事情を説明するとその光を感じさせず殺す機械のような表情が徐々にただの無表情へと変化していった。そして説明が終わると彼女はため息を吐いた。


「――ばかばかしー。一人で抱え込むひつよー、無い」

「けど、厳しい戦いを潜り抜けて培った勘とか経験とかが有ると思う。それは軽視できないんじゃないか?」

「――いちりある。けど、この女はそーゆーのじゃない」

「そういうのじゃない……?」


 どういう意味だろうと思っていたが、ロビンは有ろう事かベッドに近寄るとマリーに手を伸ばした。その手に何も持っていないので警戒はしていなかったが、マリーを俺と同じようにベッドから引き摺り下ろすと「ぐぇ」と言う声が聞こえた。先程の俺と同じように、背中から床に叩きつけられたに違いない、寝ている相手になんて無体な……。


「え?」

「――え、じゃない」

「貴方……」


 マリーの声が聞こえるけれども、今までよりも幾らか感情がにじみ出ている声だった。少なくとも、動揺の分かる声色をしている、計算して――六時間程度は満足に眠れたという事だろうか? 本当なら八時間は満足に睡眠させてみれば、今まで”異常な状態が通常”だった事で誤魔化されていた小さな事柄が、精神や肉体の正常化によって全て訴えだす可能性があったからだ。

 追い詰められた状態、或いは極限状態や磨耗した状態では気付かない事がある。疲労、痛覚、筋肉のコリ、五感のバランスなどなど。最悪の場合、普段より視力が劣化していたり、音の判別が付かなかったり、身体の動きが鈍っていたりとかする。しかも肉体的疲労と精神的疲労は別物でありながら、どちらか片方が疲弊してしまってもいけないというものなので難しいのだが。


「――おひさ?」

「ええ、久しぶりね……。それで、説明して欲しいのだけれども。何で、私……」

「――デルブルグ家で、ねてた。けど、もうそろそろいい時間。だから、起こした」

「貴女は……。いつもそう。ほんと、酷いんだから……。とりあえず、起きて良い?」

「――ど~ぞ~」


 ロビンに服を離して貰い、立ち上がろうとしたマリー。だが、一歩踏み出した時点でその身体は不自然なほどにバランスが崩れており、二歩目でその場に崩れ落ちる。きっと、危惧した通りなのだろう。


「――マリー?」

「ごめんなさい。なんだか、身体が言う事を利かないみたい……」

「――よく、わからない」

「ロビン。マリーを椅子に座らせてあげてくれ」

「――ん。わかった」


 ロビンにマリーを運んでもらい、俺はマリーとロビンの分のお茶を準備する。マリーは椅子に力なく腰掛ける、その様相は昨日までのとは違って睡眠不足から来るものではなく、肉体的な異常でそうなっているように見えた。

 机に突っ伏して気だるそうにしている、寝ているのか起きているのか分からないが、時折呻き苦しんでいるので起きているのだろう。お茶を差し出しても少し頭を動かしただけで手をのばす事もせず、ロビンはお茶を勧められてから席に着いた。


「――マリー、だいじょ~ぶ?」

「大丈夫、くない……」

「……えっと、これと。これか。もし身体が動くなら、この薬を飲んだら良い。

 身体の痛みを誤魔化すくらいは出来るから」

「なに、それ……」

「俺が世話になってる薬、かな。筋肉の痛みと、全体的な痛みの両方を暫く誤魔化してくれる。

 ――別に利益の為に言う訳じゃないけれども、自分の主人には久しぶりに眠れた事を伝えて、身体に異常があるから満足に動けないと言った方が良い」


 鎮痛剤と炎症向けの薬だが、とりあえず一日分ずつなら用法を守って貰えれば依存や耐性とかを考える必要は無いだろう。それを差し出されたマリーは顔だけを動かして机に置かれたそれらの薬を見る。だが、見て居るだけで何もしないのでどうしたのかなと思うと「これ、どう飲むの?」と言われてしまった。

 俺はそれぞれ用法を守り、紅茶で飲む。と言うか、本来であれば食後が良いのだが、それはこれから伝える事にしよう。


「食後、朝と昼、夕方に一個ずつ。飲むと眠くなるから、無理をしないように。

 人によっては意識が無くなる感じで眠ったりする場合もあるから、周囲に人が居ない場合は落下の危険性や水場は当然だけど、危険な作業は控える事」

「医者みたいね……」

「いや、自分が使ったことのある薬しか使えないんだ」


 痛み止めも炎症の薬も、どちらも訓練をしていれば不慣れなときは必要になってくる。主に新隊員教育の時は、どうあがいても肉体的に苛め抜かれるし、後期教育の時は区隊長及び区隊付の二名がレンジャー上がりだったので、それはもう酷かった。両足を吊る、腕の腱が切れる、膝の骨が磨耗するなどで全員が満身創痍といっても過言じゃなかった。今考えると、後期教育最後の行軍で「二時間早いな」は無いだろ、死ぬわ。


「これを、貴方が……?」

「かなり前だけど、訓練で身体をボロボロにして、薬に頼っていたんだ。

 その時によく飲んでいた物で、痛みを一時的に緩和してくれる物」

「……有り難く貰っとく」


 そう言ってマリーは薬を一錠ずつ口に入れ、そしてお茶で流し込んだ。さっき食後と言ったのだが、考えてみればロビンが食事をしている所を見た事が無い。俺は言ってしまえば存命中の使い魔だった訳であって、別に死んでいた訳でも英雄として祀られていた訳でもないのでその勝手が分からないのだが。


「――マリー、ねむい?」

「眠い。久しぶりに、ちゃんと寝た気がする……」

「お前ら友達みたいに会話するのな。さっきロビン――」


 が、マリーの事を今にも殺しそうな感じで見下ろしていたのに。そう言い掛けて、ロビンがこちらを見て小首を傾げたのだが――それだけで俺は先程の事を思い出して脂汗が出てきたので、何も言わない事にした。マリーがダルそうに頭を動かして此方を見て、何を言いかけたのだろうといった表情をしているが、俺はそれを気にかけては居られなかった。


「……ロビンが居るのなら、何があっても大丈夫そうね」

「――ぜったいは、ない。だから、あの人は消えた」

「そうね……」


 ただ、殺気の件は別にしても、普通にやり取りをするくらいには親しそうで良かった。これが犬猿の仲とかだったらどうしようかと思った。切に、マジで。


「お前ら仲良さそうだけど、逆に仲悪いのっているの?」

「――ひとりは、いる」

「ええ、一人は居るわね……」

「え、なにその虐めみたいなの。止めよううよ、祀られる位凄いのに、実は一人だけ嫌われてましたとかそういうのヤなんですけど」


 あんまり聞きたいと思えない話だった。ただ、だからと言って「実は男女比率が凄くてね」みたいな、ゲームでありがちな「男少数、女性多数でラブコメパーティー」というのも聞きたいとは思えないので、そこらへんは突っ込むのを止めた。


「そういや、マリー達は死んだらまた召喚されるまで消えるだけって言ってたけど。そもそも召喚した主人が死んだ場合ってどうなるんだ?」

「暫くは蓄えてる魔力を消費しながら居座る事は出来るけど、魔力を得るか新しい主人を見つけないと結局は消えてしまうわね……。私たちは存在全てを魔力で賄ってるから、主人との契約さえあれば食事をしなくても生きていける……。

 けど、そうじゃないのなら食事をし続ける事で魔力に変換して生き延びるしかないけど……、そこまでする理由は、今の所無いわ」

「――けど、ごはん、たべたい」


 色々と理解が進むが、ロビンとしては食事の楽しみが欲しいらしい。食事によって魔力を摂取できるが、それ以前に口が寂しいとか。


「あれ、けど。食事しなくても大丈夫って事は空腹感を覚えないって事なのか」

「ええ。ついでに使い魔はトイレに行って排泄もしないわ……」

「アイドルかお前ら……」


 タバコを吸いません、お酒は嗜む程度です、屁とか以ての外です。使い魔ってそんなのかよ。そう考えたのだが、冷静になれ。カティアはどうしてる? 食事は――うん、してたな。けれども、食事をしなきゃいけないとは聞いてない。入浴はしていたが、トイレに行ってたかどうかなんて覚えてないし、それを察するような変態性も持ち合わせていなかった。

 俺は空腹感を覚えたりもしたが、それはそもそも俺が召喚前に蘇生自体は既に完了していたからだろう。アーニャの所で肉体的に若返ったり、装備一式を貰ったりとしている間に死亡扱いじゃ無くなっていただろうし、その使い魔契約でさえ今では死んだ事で解除されている。


「――そういうもの、諦める」

「まあ、飲食したものが全て魔力に還元されてしまえば出すものなんて無くなるもんな。それって、生きている相手と、そうじゃない相手で変わるのか?」

「そもそも使い魔召喚そのものが、私達とかを呼び出す物なの……。だから、たぶん貴方の言っている者は既に存在している生物を無理矢理呼び出して、同意や合意の下使役しているもの……。

 召喚魔法、儀式そのものに手が加えられてる……。だから、貴方と私たちは――違う」


 何と無く、時の支配者達が自分達にとって都合の良い、或いは権威や権力を増すための道具として変えたのだろう。そして、それが世代交代と共に偽りの真実として浸透してしまい、人類の危機になったら行う筈の魔法が、魔法使い達にとって実力や脅威の水増し、それと優劣を競うためのものさしとなってしまったのだろう。

 もしかすると神聖フランツ帝国では免罪符とか横行してるかもしれないし、既に聖職者達が幅を利かせていて無視できない物と化している可能性は有るだろう。人間とは業深い生き物である、それは俺を含めてだ。誰だって楽したい、誰だって高い位置に居たい、誰だって持たざる者である事よりも持つ者で居たいのだから。


「主人が死ぬか、使い魔が死なないと契約は途切れないものなのか?」

「ええ、そう。主人が契約を破棄したりしなければ、従う方は逃れる事が出来ない……。それは英雄と言われる私達でも一緒」

「――けど、主人もじゆーじゃない。むりやり何かさせると、その分魔力消費する。制約をつければつけたぶんだけ、維持するのに魔力消費しやすくなる。

 だから、もんだいのある使い魔じゃなきゃ、きほんじゆーにさせる」


 なるほど、命令をする時に強制力を働かせると魔力を消費する。たぶん、それが使い魔の反発が多い事柄であればあるほど魔力の消費量は増えるのだろう。それとは別に制約を加えると維持費が嵩む。それもきっと制約が厳しかったり、使い魔自身の望まない事であれば高くつくのかもしれない。そう考えると、カティアに持っていかれる魔力の量が安く済んでいるのは何の制約も強制もしていないからだろう。カティア自身が何かをしたいと言っていて、俺が「これをやってくれ」というのに対し肯定的であれば強制ではなくなるからかもしれない。


「使い魔ってのは、自分に従事するものとして、召喚できれば出来る事ややれる事を含めてメリットがあるけれども、相性によっては言う事聞かなかったり強制や制約のし過ぎで魔力を消費しまくる不透明なものなんだな」

「”めりっと”が何の事か分からないけれども、今の歪んでしまった召喚では相互に負担がかかる変なものだから……。主人は魔力を供給して、その命と戦いを支えるのが本当の役割……。

 けど、今じゃ使役して、見せびらかして、英雄でもなんでもない愛玩動物を飼ってるのと同じ……」

「――だいたい、そのとーり」


 また、随分と面倒くさい改変をされたものだ。頭を抱えたくなるが、一々そんな事まで神は面倒を見てくれないだろう。まあ、今聞くべきところはこんな所だろうか。そう考えて、話題を変える事にした。


「食べなくても良いとは聞いたけど、逆にどういった食べ物が好きとかって有るのか?」

「――サンドイッチ。シカ肉と、レタス、トマト、ピクルスはさんだの。あと、ハンブルグ」

「”はんぶるぐ”って、なんだ?」

「――ひき肉と、パン粉、たまごとこしょー。あと、たまねぎ?」

「何で疑問系なんだ……」

「――作ってくれたから、それが好きだっただけ」


 どうやら思い出の食べ物らしい。しかし、材料から考えるにハンブルグとはハンバーグの事じゃないだろうか? 材料さえあれば俺でも作れる、そんなに難しくない上に手間のかからない食べ物だ。


「――それを~、パンで挟んだハンバーガーってのも好き~」

「両方作ろうと思えば作れるけど、材料が手に入るかどうか……」


 そもそも、まだ満足いく外出が出来ていないのだ。マップを開けば、訪れた事のある店舗の最終来訪時品揃えと値段が分かるのだけれども、これも「店に置いてあったけれども、確認できなかった品」に関しては記載されないという欠点があった。

 つまり、何度か外出するか自由に時間を使用して練り歩く事でその場所における品揃えを確認しなければ、何が手に入り何の料理が作れるかも分からないのだ。ただ、ロビンの好きな食べ物……ハンバーグやらハンバーガーやらを聞いていたら食べたくなってきた。

 暇を見てストレージに食材や調味料などを叩き込むのも良いかも知れない。ストレージの中では時間と言う概念が無いらしく、腐敗もしなければ熱きも冷たいもそのまま突っ込んだ時のままでいてくれるという素晴らしいものだ。スロット上限やスタック上限などが気になるが、今の所底は見えないので余り気にしなくても良いかもしれない。

 そこまで考えていたのだが、水滴音が聞こえて少しばかり驚く。雨か、或いは雨漏りか? そう思ったが、直ぐにその水滴音の正体が判明する。ロビンが口の端から液体を漏らしている。手元不如意ならぬ口元不如意と言うことは無いだろう、むしろ今までの平坦な無表情が嘘のように表情を変化させていた。

 食べたい、お腹空いた、食べさせて。たぶんそういった言葉が一番最適だろうと思う表情で、涎を垂らしながらこちらを見て居る。俺は戸惑いながら獣に襲い掛かられるのを防ぐように両手を挙げた、降参と服従の意思表示である。


「あ~、材料が手に入るなら作るんで。それで勘弁してくれ。と言うか、やっぱり食事したいんじゃないか」

「――食べなくてもい~とは、言った。けど、食べたくないとは、言ってない」

「そうね。食べ物は、食べたいわ……。けど、私達の正体が知られる事と、今回の件みたいに相手が何の英雄かを知られると不利だから、あまりそういうことはできないの……」

「――何のえーゆーか知られると、戦い方がバレる。戦い方がバレると、負けやすくなる」


 何のゲームだったか、そのシステムみたいなものか。英雄は化け物や大きな異変に対して特攻、大きな異変や化け物は一般人に対して特攻、一般人はその数と戦い方で英雄に特攻を持っている、みたいな認識が出来るのかもしれない。

 まあ、もともと人類の為に戦っていた英雄達が人類に対して同じように実力を発揮できるのだろうかと考えてしまうと、きっと難しいのかもしれない。となると、マリーと敵対する時は主人かマリー自身に負荷がかかる事を考えて、勝機はそこにあるのかもしれない。

 それはそれとして――


「マリーは、何が好きなの?」

「……カレー、かしら。シチューも好き」

「お、良いね。定番だ。あれは一度作れたから、少なくとも国内で材料が手に入りそうだ」

「もし作れるなら、一度でいいから食べさせて。初めて食べたときから好きだったのだけれど、もう生きていた時以来口にしてないから……」

「分かった。そっちも材料と暇があれば作る。けど、二人とも……あれか、料理できないのか……」


 マリーは魔法に全てを費やしたと思えば納得できるが、ロビンは弓の扱いに優れて居ると言う事から勝手な妄想で「狩とかしてたんじゃね?」と思ってしまっている。だが、俺の勝手な決め付けのような発言は、即座に封じ込められた。二人とも急に立ち上がり、ロビンにナイフを首へと添えられ、マリーは魔導書を取り出して片手を俺へと伸ばしている。その書物は風などを受ける事無くパラパラ捲れて彼女が発動しようとしている魔法のページで止まったようだ。魔導書を持つ腕と俺に向けられた腕の両方から僅かに光が見えた、どうやら刺青のような刻印が反応しているのだろう。命の危機であった。


「料理をする必要性がなかっただけ……。出来ないんじゃないの、やらなかったの」

「――簡単な料理くらい出来る。けど、私の本分は戦うことだから」

「了解、理解した。ごめんなさい二度とこの件に関しては言及いたしませんので出来れば双方物騒なものをしまって頂けると私ヤクモさんとしては有り難いのですがどうでしょうかね!?」


 ナイフなんて物理的な恐怖だし、既に発動一歩手前で準備されているような魔法なんて未知の恐怖だ。どちらも致命的なのでさっさと降参する。料理が出来ないという事に対して何かコンプレックスでもあるのかもしれない、俺の必死な懇願と謝罪によって二人はそれぞれの得物を収めると、ゆっくりと席に着いた。


「私は悪くない。だって、あの人が作る料理が美味しかったのが悪いのよ……」

「――同じく」

「あ~、えっと。あの人って、忘れられた人?」

「ええ、そう。仲間達の中では、一番身分が低かったわ。生まれも、育ちも、血筋も、何の変哲も無いただの市民。ただ魔法が使える事以外に、何でその場に居るのか分からないくらいの、不思議な人だった……」

「――けど、何にもとらわれない、じゆーな人だった。助けて、助けられて。気が付いたら、みんなのちゅーしんにいた」

「最後の最後まで、夕食を作るのは彼の担当だったわね。贅沢は出来なくなっていったけど、それでも彼はそれっぽい料理を出してくれた」

「――ん、おいしかった」

「その人の名前は?」


 どんな人だったのだろう、どんな名前だったのだろう。それを知りたかったのだが、二人とも口を開いて何かを言いかけたが、直ぐに閉ざした。


「――わすれた」

「え、仲間なのに?」

「彼のした事や、どういう人かは覚えてる。けど、あの人の名前は確かに存在ごと消されたわ……。

 だから、語る事は出来ても個人として言うことができないの……」

「そっか……」


 なんで彼女達は忘れられ、抹消された人物の事を覚えているのだろうかと思ったが、どうやら身近に居て多く関わったからこそ覚えているだけで、名前を思い出せないらしい。名前、名前、名前――。俺は、まだ以前の俺の名前を覚えている。家族の年齢は分からないし、誕生日も前後するかもしれないが名前は覚えている。大丈夫。まだ、大丈夫。


「けど、今はまだ演じるのが優先だから料理とかは我慢して欲しい。とはいっても、それは遠くない内に終わるとおもうけど」


 そう言って、俺は場を和ませようとした。その人物はどういった人物かは分からないが、身分や血筋などではなく、ただそのあり方だけで中心人物になったとか。きっと、当初は風当たりは強かったのだろう。それでも、認められた、仲間と言ってもらえた、そして死してなお――消滅してなおその存在を記憶してもらえている。それだけ素晴らしい人物だったに違いない。

 俺もそうなりたいものだ。もう、俺に纏わる全ては自分が末代になっている。異なる世界だから、両親も兄弟も、妹の産んだ子供も関係ない。俺が死ねば、血が途絶えるのだから。誰も語り継ぐ事無く、歴史に埋もれて消えていく。忘れられたくない、消えたくない――



 ――存在そのものが無価値だっただなんて、認めたくない――



 そんな事を考えていると、ノックが聞こえた。その瞬間に二人の姿が掻き消え、視認できなくなる。戸惑っている俺を他所に扉が開かれ、メイドが部屋に入ってきた。


「おはようございます、クライン様。御身体は大丈夫ですか?」

「あ、えっと。ちょっと昨日机で寝ちゃって、少し身体が痛いなって」

「そうですか。それは本日はお休みするほどのものでしょうか?」

「ううん、大丈夫。お医者さんも要らないけれども、寝床だけはいつでも眠れるようにしておいて欲しいかな。

 もしかするとちゃんと休めてなかったから倒れちゃうかもしれない。その時は迷惑かけるかもしれないけど、世話を頼むかもしれないけど大丈夫かな?」

「はい、大丈夫ですよ。お食事の手配、御身体を清める準備等々も出来るようにしておきます」

「頼むよ」


 そう言いながら、俺はマリーとロビンが使ったカップなどをストレージにコッソリ叩き込んでいた。指摘されていたら「妹やカティアが来ていて」と言い訳していたが、出来ればその言い訳ですらもしたくない。部屋に入ってきた彼女はそのまま俺の事を見つめていたが、直ぐに「着替えとかは自分でするから大丈夫」と伝えると頭を下げて出て行った。

 危なかったかなと思っていると、とあるものが目に入ってしまった。それはマリーの被っていた大きな三角帽子だ。見られただろうかと幾らか考え込んでしまったが、そこはカーテンつきベッドのおかげで死角になっていたようだ。助かった……。

 そしてどうしようかと悩んだが、目の前でその三角帽子は存在が薄らいで消えていった。少しだけ面白いなと思って、帽子付近に手を伸ばして探ってみる。魔法での不可視ではなく、使い魔としての不可視だから見えないのだろうと思い、けれども帽子が消えたのだからそこらへんに居るんじゃないだろうかと言う好奇心が俺を動かした。

 見えないだけでそこに居るのかもしれない、そう思いながら暗中模索のように手探りで探すのだが――



 なにか、柔らかいものが俺の手に触れた。



 次の瞬間、俺は脳天を貫くような刺激を受け、意識が真っ白になった。何をされたのかとか分からない、ただただフィルムを切り刻んでつなぎ合わせたかのように、知覚できる時間の流れと目の前の光景が繋がらない。

 そのままメイドがいつの間にか現れ、何かを言って揺さぶり、その後カティアが現れて揺さぶり声をかける。その一瞬一瞬だけが写真のように脳に焼きついたまま、俺はそのまま気を失った。



 ~ ☆ ~


 何をされたのか分からないまま、俺は食事の時間ギリギリになって意識を取り戻した。当然ロビンやマリーの事を出すわけにもいかないし、マリーが実は来ていた上に一泊していた事に触れるのも宜しくないので、酒の飲みすぎと言う事にしておいた。

 公爵は幾らか思案し、俺は飲酒する際はメイドの監視下に無ければ飲んではならないと言い渡される。それが妥当だろう。実際には違うのだが、酒を飲んだ影響で倒れたなんて事は醜聞にはならないだろうが、酒の影響で見ていない間に何が起こるか分からないと言うリスクを避ける為の妥当な判断だった。

 だが、カティアやミラノは俺が気を失っている間に色々と何かを察したのか、物言いたげな顔をしていた。事実、幾つも証拠があったという。まずカティアはベッドから他人の匂いを嗅ぎつけたらしい。そしてミラノは部屋に備え付けてあったカップの数が足りない事を見つけていた。実際ストレージに叩き込んでいるとは言え、無くなっていれば不審に思うだろう。


「ねえ、ご主人様?」

「何があったか、説明してくれるかしら」

「う、うん」


 朝食後、そそくさと逃げようとした俺だったが、あっさりとカティアに回り込まれ、ミラノに肩を叩かれる。当然、そんなものは捕まったも同然なので、俺は降参して部屋で話しをすることにした。どこまで話したものかと考えたが、包み隠さず話す事にした。

 ミラノはロビンについては知っているようで、余り見かけたことは無いけれども父親の召喚した英雄である事は知っているようだ。そして、マリーの事だが……。やはりと言うかなんと言うか、驚いているようであった。そりゃそうか、俺は身をもって「あ、こいつと敵対したら殺されるわ」と、片鱗を味わった訳だけれども、ミラノなんかはロビンとの付き合いも長いだろうし、英雄については書物などで散々読み耽って来てるだろうからより恐ろしく感じたのだろう。


「ねえ、ご主人様。英雄って言うと、祀られてるやつで良いのかしら?」

「そうそう。俺には真偽は分からないけれども、書物に書かれている人物像と名前が似通ってるし、召喚されて出てきたって事からある程度は信じてもいいと思う」

「――ねえ、馬鹿だ馬鹿だと思ってはいたけど、そこまでとは思ってなかった……。

 アンタ、もしかして女に見境が無いのかしら」

「あの、ミラノさん? 部屋の中だから良いけど、演技、演技!」

「ああ、そうだった。けど、少し考え物だと思わない?」

「いやいや、ちょっと待ってよ。相手が敵対的ならまだしも、友好的だったし、色々な話を聞けたんだから勘弁して欲しいな」

「女性だったから気を許したんじゃなくて?」

「女性だから気を許すのなら――学園でももうちょっと、女性との関わりが有ってもいいんじゃないか?」


 もしミラノの言うとおり、俺が女性に対して積極的だったのなら、幾らか周囲の女性を気にしていたと思うし、積極的に行動を起こしていた筈である。けれども実際にはアルバートだのミナセだのと、見知った”男性”としか関わっていなかった。時折レムや……クロエさんとか、関わった事はあるけれども、その割合も時間も低いだろう。

 俺の発言にミラノは腕を組んで考え込んでしまう、カティアは俺にしがみつき、頭の上に顎を乗っけている。カティアの事を軽い軽いと思ったが、きっと彼女も”亡者”と言う点で英雄召喚と同じ恩恵を受けているのだろう。そもそも存在を消したり出現したりなんて、物理法則を無視した分解や再構築に似た事をしているのだから、そうでないとおかしいのだが。


「――ねえ、あんまり考えたくないけど。男が好き?」

「あまりそういう事を言わないで欲しい。昔を思い出して、は、吐きそうになる……」


 海外在住時、アメリカンスクールに通っていた時期がある。様々な国の人が居る中、ハーフとは言え日本人と言うのは珍しがられた。インド人、中国人、韓国人、アメリカ人、ブラジル、ベネズエラ、パキスタン――色々な人種が居たのは覚えているが、その事はさほど問題にはならなかった。どうせ全員英語で会話し、英語で授業を受け、英語で課題をしていたのだから。

 だが、問題はそこじゃない。自由の国アメリカ、聞こえは素晴らしいと思う。だが、自由すぎる国と言うイメージを持ったのは、ゲイの先輩が居た事と、その先輩の事を「優しい人だ~」と思って懐いていた自分に問題があったのだ。

 結果、一年後に俺は尻を狙われる事となって、未遂で済んだものの精神的成長――他人を疑うという事を学び、代償に精神的純粋さを失った。今でもあのガチガチの陰部を曝け出され、押し付けられたのはトラウマだ。思い出しただけで気分が悪くなってきた、口を押さえてトイレへと駆け込むと食べたばかりの朝食が消化される前に吐き出されてしまった。

 水で口をゆすぎ、少しげっそりとしてしまう。頭の上に乗ったままに一部始終を間近で見ていたはずのカティアだが「よしよし、つらくない、つらくない」なんて頭を撫でてくる始末。今の俺はかなり情けないと思った。


「二度と、そのネタを出さないでくれ。男に迫られたときの事を思い出して、今でも吐き出しそうだ……」

「えっと、ごめんなさい。その……元気出して、ね?」

「い、いや。俺は純潔だからな? 頼む、引かないでくれ!?」


 ミラノがあからさまにスササと身を引いたのを見て、俺は潔白を叫ぶしかなかった。同性とか身の毛がよだつ……。レズは無理、百合は分からんが女性同士が楽しそうにしてるのは見てるのが好き。自然の摂理とか種の本能とか子孫繁栄的な意味で男女が挿したりとかは仕方が無いとは思うが、男が男に挿されるのだけは理解が出来ない。


「俺は、普通です。普通に女性とお付き合いして、婚姻を結んで、子を成したいです。

 けど、残念ながら、俺は、女性と接した事が、少なすぎて、上手くできません」

「分かった! 分かったから……。なんか、頭が痛くなるわね……」


 ミラノはどうやら頭を抱えてしまったようだが、それは俺がゲイなんじゃないかという疑惑なのか、それともゲイに尻を狙われた事に対してなのか、普通に女性が好きなんだけど致命的に女性経験が低すぎるのを悩んでいるのか、それらとマリーと言う英雄を部屋に泊めた事をひっくるめて他人に対して「それはどうなの?」という行動をしている理由に頭を悩ませているのか。

 カティアは「ご主人様がどうあっても、私はお慕い申し上げますわ」とか言ってくるし、なんか情けなくなってきた……。どうしたものかと雰囲気に負けていたところ、部屋の扉が開かれてアリアが現れる。何も分かっていない、何も知らない顔をしている。その顔だけでなんか死にそう。


「どうしたの? みんな、急にいなくなって」

「あ――あぁ、そうだ。アリアも来たし、大事な話があるんだ。だから何も言わず、何も聞かず、部屋に入って、扉を閉めてほしい。分かったかな?」

「兄さま、なんか変……」


 変な追求をされたくないという意図が表に出てしまったらしく、アリアにまで少し引かれた。もうやだ、今日は厄日だわ。けれどもアリアは部屋に入ると扉を閉ざし、部屋に入ってミラノとカティアを見て首を傾げたが、やはり彼女は理解が追いつかなかったようで静かに椅子へと座り込んだ。ミラノにも席を勧め、俺はカティアを乗っけた状態のままベッドへと腰掛けた。


「――三人に、一応話をしようと思うんだけど」

「え、もしかしてさっきの話の続き?」

「しません!」

「さっきの話って?」

「アリア様。そこは触れないようにお願い致しますわ。名誉と体裁と心苦しさの為にも」

「? うん」

「さて、何から話したものかな……」


 悩みながら、それでも一つずつパズルのピースを埋めていくように情報を出していく。シャルダン家にマリーと言う英雄が召喚されており、彼女を用いてデルブルグ家に何かをしようとしている事。それを教えてくれたのがその英雄である彼女であり、自身の奥の手に近い刻印を身体に入れることで動作のみで魔法を発動させられると言う事などを教えてくれたこと。その彼女は人間同士の戦いになる事を嫌っており、最悪自分と戦うことになってもより平和が近い方向へ話が進むために犠牲になる覚悟をしていた事。そして英雄に関しても色々と聞けたので、明かしても良いだろうと思えたことだけ伝えた。

 カティアによって「なんでベッドで寝ていたのかしら?」という追求がなされたが、それに関しては彼女が当時の仲間を目の前で失った事や精神的に傷つき、心を病んでしまって眠れなかったからだと伝えた。事実、幾らか顔色は良くなっていたけれども、辛そうな表情は変わることが無かった。

 それと、自身の罪を軽減するようにロビンの名を出して彼女も同席していた事も伝える。決して、けっっして! やましい事をしていなかったと、その上危険性は低かったと言い分けさせてもらった。

 なんだろう、自分の意図しない所で追い詰められつつあるのだが、悪い事をしているつもりは無いんだよなあ……。あれか、クラインを演じてるのに女を連れ込んでいる時点でダウトだと言いたいのかも知れない。

 だが、やはりミラノは難しい表情をしているし、アリアは事の大きさに追いつけてないのか口を開いて幾らか呆けている。カティアは乗っかってるのでそもそも見えない。だが、ミラノは少しずつ飲み込みと理解を進めたのか、小さく頷いた。


「この事は、父さんは理解しているわけね?」

「まあ、事を大きくしないためにも言いふらさないようにしてるけど。事が確定するか明らかになるまでは大事にしないって言ってた」

「なら、私もそれに倣うわ。けど、何でそんな大事な事を教えようと思ったの?」

「いや、ほら。相手が何時何をするか分からないなら、個人で気をつけてもらった方が幾らか安全だろう?

 一人で行動しない、人目の無い場所に行かない、抵抗手段を常に確保しておくとか色々出来るから」

「私達は別に屋敷から出る予定は無いけど、アンタはどうするのよ」

「俺は今まで通りにするよ。いきなり乗馬の訓練を止めたりしたら怪しまれるだろうし、最悪何かあっても別人だから被害は小さくなるだろ」

「それで、またアンタは一人犠牲になるの?」


 そういったミラノは、何時もどおり真面目だった。いつものように強気な表情で、気難しそうな顔をして、当たり前のように言葉を吐き出す。けれども、俺にはその言葉が届かない。俺の考える”正しい事”に、彼女の言葉は力を持たなかった。正しいのだから、誰も傷つかないのだから、つらいのは俺だけなのだから許容される――。俺個人が攫われたり死んだりしても、それは大きな影響を与えない。政争であれ戦争であれ、ただの兵士一人くらいの価値しかないのだから。それは、誰かで埋め合わせも換えも利く、ただの現実だ。

 ただ、それでも俺は当然のように言う。同じように眉を寄せて、当然の顔をして、当たり前のように言葉を吐き出した。


「それでも、今回の相手の目的に沿わないという意味では正しい。それに、そんな事を言い出したら戦いの度に傷つき斃れる兵士も犠牲になってる、民も貴族や天候によって理不尽に翻弄されている。贔屓するのも、特別扱いするのも――今回の『目的』には合わない」

「それは、そう……だけど」


 俺が一人死ぬのがイヤだというのなら、同じように兵士の一人でも死ぬ事を許容できないようにしてくれ。領民や同じ国の民が苦しみ、傷つき、斃れる事を許せないと考えてくれ。そうでないのなら、俺だけが特別扱いされ、一人死ぬ事も傷つく事も許されないというのは間違っている。それは……魔法使いだから特別で、魔法が使えないから特別じゃないとか。兄に似ているから特別で、家族じゃないから特別じゃないとか。そういったレベルの”差別”だ。

 人は誰も傷つかないに越した事はない、身分地位生まれ育ち関係無しに人が死なずに済むのなら喜ばしいことに決まっている。だが、そんなものは理想でしかない、理想でしかない――が。今回の件でどちらが正しいかは、分かりきっているはずだ。

 ミラノは二の句をつげずにいる。カティアがぺしぺしと俺を叩いてくるが、その手を握った。先日告げた様に、きっと俺はカティアを頼る事になるだろう。罪悪感はあるが、俺が死んでしまえば彼女は新たに主人を見つけなければならない、そうならないように”利用”しているのだと、歯軋りをした。


「私は、嫌だな。また、ヤクモさんが死んじゃうのは……」


 ポツリと、アリアがそんな事を言った。良心が痛む、心が苦しい。かつて見た、俺が死んだときに歌や祈りの言葉を捧げられていたときの事を思い出す。あの時の様子を繰り返したいとは思わないが――



 邪推すれば、責任感とか、心優しいとか、或いは兄に似ているから彼女らは泣いたのだと、そう言えなくも無かった。


 たぶん彼女達が純粋に俺を慮っているのなら、俺はそれを察してやれない極悪人だ。死後、地獄に送られても文句を言えない。そもそも、地獄以外に行き先は無い。或いは、罰せられたいと思っているだけなのかもしれないが――。


「――大丈夫だって、いざとなれば建物ごと吹き飛ばして、何とか逃げるさ。

 それに、その可能性を危惧するのなら、ミラノやアリアが狙われる可能性だって有るんだから、それも考えなないと」

「私は、姉さまと一緒に居るようにするから。あと、人目のある場所だよね?」

「その通り。立ち向かえなくても、目撃されている事が手がかりになるし、何かをする時の阻害になる。

 たとえ阻止できなくとも、人目があった時間から逆算で敵の行動範囲や潜伏の可能性を割り出して行動する事もできる」

「ほんと、考え付く事が幅広くて助かるわね……」


 色々と例を挙げていると、ミラノがいつもの調子で少しばかり皮肉を言った。だから、先程の少しばかり深刻な様子も無くなり、幾らか呼吸がしやすくなった。しかし、集団として行動する事を考えれば俺個人の価値は低い。その考えを理解してくれと言うには、貴族や魔法使いと言うあり方がたぶん邪魔をするだろう。

 だから、きっと俺は間違ってないし、間違っているのだろう。



 ~ ☆ ~


 ヤゴとの訓練だが、違和感が拭えなくなってくる。それは俺が銃と銃剣、格闘に慣れた身だからということではない。当然、剣に向いてない気がしてきたとか、違和感を覚えるほどに自分の戦い方が馴染まないと言う訳じゃない。一日ずつ――そう、一日ずつ。俺が世界と乖離しているような違和感が増していく。それは手合わせを重ねれば重ねるほどに、目の前の異常として認識されていく。


「クライン! 気を抜かないでよねぇ!!!」

「ヤゴこそ、手加減してないか?」

「これが、私の本気だぁ!!!」


 そう言ってヤゴが突撃してくるのだが、以前までなら”行動の予想・それらに取り得る対策の発案・実際の行動の把握・対処の手段の選択・行動”等をほぼ瞬間で行っていかなければならない。そのどれかが遅れるだけでも俺は打ちのめされる。最弱無勝のスコアが、それでも全勝負のうち一割の勝率、二割と増していくにつれて取捨選択も認識も思考の回転の効率かもはかられて行くのだが――。

 スローモ、と言うのだろうか? バラつきはあるものの、ふと気が付けばヤゴの行動が遅く認識できる瞬間があるのだ。それも、先程言ったように一日毎に、手合わせの度に増えていく。彼女の行動が、世界を巻き込んで遅く見える。一撃を放とうとしているとき、一撃を放った時、一撃を放ってからの行動等、一つずつが認識できる。防御されたとき、回避されたときによって間合いを取ったり、或いは連続攻撃にしたりして隙や危機を管理しているのだろうが、本来であれば間合いを取るにしても一瞬の出来事なのに、一秒以上滞空してゆっくりと着地するときもある。

 だから、おかしいと思うのだ。狂ってる、世界が狂っていく――


「クライン様、徐々に動きが良くなってきましたな。その内孫娘も勝てなくなるでしょう」

「ちぇーっ、勝ててたのになあ……」

「――……、」


 当然、時間の流れが遅くなっても俺の五感は等倍速で流れていれば負ける割合は低くなるに決まっている。常に後出しじゃんけんをしているようなもので、気に食わない。だから、一度休憩を挟んで気楽に構えたところそれは生じなかった。

 ステータス異常だろうかと考えたが、特に異常は見えない。だが、ヤゴとの訓練で能力値が上昇してきている。全体的に伸びてきているが、やはり伸びが良いのはSTRやEND、PERなどだ。筋力、耐久力、知覚と言う事だが、地味に伸びているのが敏捷性で、魔力と並んで訓練をする度に僅かな変動を見せているのは魅力で、何で記載されているのか分からないのが幸運だが――Fと記載されていて、アメリカンスクールなら追試が当たり前学年も上がれないレベルだ。

 能力の変動を見ると、完全に前線で戦う兵士のようなパラメーターになっている。それでもキリングとの魔法の訓練や練習、その行使手段などを学ぶたびにINT……知性も上昇しているので魔法に関しても上達しているのだろうが、自覚は無い。

 もしかすると知覚能力が上昇しているので、緊急度の高い局面で世界が遅く感じるのだろう。理解はするが、納得はしたくなかった。相手が真面目に手合わせしているのに、俺だけがズルをしているのは――侮辱だ。

 だが、そんな事を考えて居る間も無く時間は過ぎていく。鍛錬も、魔法の訓練も終わり、乗馬をする。今回もまた平原をヤゴに指示されて馬を乗り回すのだが、乗り方は分かっていても操り方までは知らないので中々に苦労する。そうやって一時間ほど乗り回し、やはり休憩には町に寄った。


「な~んか、寂しいなあ。クラインに教えることが減るのも、クラインに勝てなくなるのも」

「そりゃ、負けてばかりじゃいられないよ。それに、性別の差は絶対出るから、仕方が無いって」

「けど、今ならゲヴォルグのおじちゃんにも負けない気はするんだけどな~。

 勝てないかもしれないけど」

「ゲヴォルグさん、そこまで強かったんだ……」


 今じゃ鍛冶屋をやっている訳だが、なるほど。どうやら大分強いらしい。かつてはどうだったかは知らないけれども、鍛冶屋をしていると言う今の段階でも大分筋骨隆々としている。武器は何を使うのか知らないけれども、あの筋肉をベースとした武器の攻撃なんて防御だけでも受けきれないだろうに、まともに受けたら最悪胴体真っ二つまでありうる。その人物を捕まえて「負けないかもしれないけど、勝てない」って言うのは、大分大言壮語だと思う。

 俺にはゲヴォルグさんにすら勝てるイメージが持てない。あるいは、勝った自分が想像できないだけなのかもしれないが……。


「そういえばこの前、お母さんの様子を見に行ったんだっけ。どうだった?」

「――たぶん、一年持つかどうかかな。若くないし、お腹も弱いから余り食べられなくて、もう長くないかも」

「それは色々な医者に見せても駄目って事?」

「まあ、見てもらったけどさ、それでも仕方が無いよ。お父さんだって死にたくなかっただろうし、お母さんだって好きで死にたいと思ってないと思うけど。

 だからって、泣き叫んでも変わらないし、それは私のお母さんだけじゃなくて他の人もそうじゃん?」

「――生きていて欲しいって願うのは、我侭かな?」

「我侭だよ。だって、それってつまり自分がつらい思いをしたくないだけでしょ」


 ヤゴの言葉を聴いて、俺は大人だなと思うのと同時に、自分が小さく思える。俺は親が死んで、まだ生きていて欲しかったと固執した。だがヤゴは片親が死に、もう片親も棺桶に足を突っ込んでいる状態であるにも拘らず無理して自侭につき合わせて生かしたいとは思っていない。

 それが当然だと、皆そうなのだから自分だけがそれを逃れる事は出来ないと受け入れている。そう考えてしまうと、何とかしたいと思う自分は異端であり自分勝手なのだろう。だから、うらやましく思えた。


「今回はあんまり町には長居しないから、負担になるけど良いよね?」

「え? うん、大丈夫だけど――それは訓練の一環?」

「それも有るけど、この前の喧嘩を覚えてる? なんか、最近ああいった人が多いらしくて、クラインを巻き込んだら悪いかなって」

「はは、それは僕の事を大事に思ってくれてるってことかな」

「まあね。だって、クラインに何かあったら謝罪じゃ済まないじゃん。首だけで済むかな?」

「怖い事をシレッというのは止めようね!?」


 単に俺に何かあった場合の後が怖いと言う事らしい。まあ、当然と言えば当然なのだが。クライン、幼馴染ちゃんは少し大人な精神と無知さを兼ね備えた恐ろしい存在と化しているぞ……。しかも親を失って若い内から生きるとか死ぬとかを間近に経験してきているから、大分本質に近づいた物言いをするのでやり辛い。

 ただ、この前のような事は出来れば避けたい。ヤゴが強いこともあるが、俺も負けてはいないので一定の人数差なら容易に押し返せる。それは事実だと思う。何だかんだヤゴは狩や戦いを経験している”専門職”だし、俺も一応”専門家だった”と言う事で戦闘効率は良いと思っている。敵を一人倒すと、その近くの奴が正であれ負であれ反応する。叩きのめすと言う事に関して、その点ではお互いに優れている。ごろつきやならず者程度なら、元軍人でもない限りは負けない。

 有利な状況であれば連携してそれを確固たる物に出来ると言うのと、いかに劣勢でも連携を維持したままに状況を把握して進退を見極めて行動し続けられるのは違う。喧嘩であれ、戦闘であれ、戦争であれ。隣にいる味方が倒れる事は無いとはいえないし、自分が倒れることもある。それが優勢であれ劣勢であれ起きうる事であり、それでも戦意喪失せずに踏みとどまれればいいのだ。


「うぅ、いてぇ――」


 なお、ヤゴの言った言葉は速攻でフラグとして回収される事となった。俺の幸運がFと言うのは、こういう所で発揮されているのだろうか? これじゃあ近いうちに「乗っている豪華客船が転覆し、傾いた船を登ったり迫り来る海水に飲み込まれかけながら脱出」とか「乗っていた馬車に襲撃がかけられ、撃退していたけれども崖で突き落とされる」とか有りうる。そうなると俺は世界一不運な冒険家になりかねないのだが、それはどうでも良かった。


「お前ら……、この前騒ぎを起こした奴じゃないか!」

「――そう言えば、何人か見たことあるね」


 町に来て休憩と言う事で、馬から下りて飲み物を求めた。それに関してはヤゴの案内を受ける事となった。井戸水が飲めると言う事で、俺は地下水が飲めるのだろうかと嬉々として井戸水を選んだ。どうやら他に喉を潤す手段と言ったら、果物を買うのが安くて、飲料そのものとなると値が張るようになるらしい。なお酒は麦やホップ、水が原料のものは安いのだが、今は酒を飲んでる場合じゃないのでその手は使えなかった。

 そして井戸まで向かっていくのだが、途中で刃物をプラプラさせた十一名ほどの馬鹿に取り囲まれ、名前を聞かれた。その時答えるべきかどうか迷ったのだが、ヤゴが「クライン、こいつら怪しいよ」とか言って名前をあっさりばらしてしまったので時間稼ぎも誤魔化しも出来なくなってしまった。

 その後まるで当然のごとく「Excuse me. You Max payne?」ってレベルで詰め寄られ、結局俺とヤゴにそれぞれ脇を固めるように人が近寄った時点で乱闘開始だった。ヤゴも俺も武器を抜かなかったが、それにしても一人が殴り倒されるだけで怯えたり戸惑ったりと酷い統率力だった。なので俺が六人、ヤゴが五人を殴り倒した所で戦闘は即座に終わった。けれども、接近してきた相手への一手目がお互いに顔面頭突きって所、変に似通っていて笑いそうだった。

 すぐに衛兵が駆けつけ、全員お縄となったのだが。色々と気になる点は有った。


「この前も捕まったはずなのに、やけにあっさり解放されたんだね」

「偉い人が口を利いたか、酒を飲んでたから一日捕まえて頭でも冷やしたんじゃない?

 ほら、よくあるじゃん、そういうの」

「良くある、かなあ……」

「クラインはお坊ちゃまだから分からないんだよ」


 因みに、どうやら肉だの魚だのは塩で保存をしているようで、その結果塩分の過剰摂取から水分が欲しくなるらしい。じゃあ何で水分を摂っているのかと訊ねれば、大半が水や麦から作られた安い酒だとか。朝の食事に酒、昼にも酒、夕食にも酒と酒三昧なのはそう珍しい話でもないらしい。

 俺は学園や公爵家にいるせいで知らなかったが、どうやら庶民の暮らしはそんな物であり、富める者はそんな塩分過多で保存された物を手間暇かけて調理して無害化したりはしないのだとか。確かに俺もそんな塩ッ気の多い食事をしていたら、早いうちに酒に手を出していたに違いない。食堂のおっちゃんの苦労が垣間見えた瞬間でもあった。


「けど、クラインってやっぱ今でも有名なんだね~」

「昔も有名だったみたいに言わないでよ」

「ううん、有名だったよ~? 少なくとも、友達は皆クラインの事今でも覚えてるし、一緒に遊んでいた時の事を覚えてるもん。

 ただの変な子って言われてたけど、何年も町に通って皆で遊んでたらそんな事も言われなくなったし。クラインは魔法を武器じゃなくて、楽しませる物として使ったり、助けるために使ったよね」

「そうだっけ?」

「うん、そうだよ。雨が降って川の水が増えて猫が流されそうになったのを助けたり、橋から落ちた子供を水と切り離して助けやすくしたり、転んだ友達の怪我を治したり、仕事中に噛まれて毒で倒れた大人の人を助けたり――人の事を、助けてばっかだったよ。

 だから、いろんな意味で有名だったんじゃないかな」

「けど、さっきの人たちは違う意味で僕の事を知っていた気がするけど。少なくとも、友好的じゃなかったね」

「あれじゃない? 昔喧嘩したいじめっ子繋がりとか」

「喧嘩したっけ……」

「したした。クラインと遊ぶ子を”貴族に取り入ろうとしてる~”って苛めてた子が居てさ、石を投げたりとかやり過ぎててね? それをクラインが一回全員と喧嘩して、大怪我したんだよ」


 クライン、真っ直ぐな奴なんだろうなと思っていた。それは俺が何の褒章も得ていない、約束もしていないと言う事で「それはおかしいよねえ……」と、少しばかり背筋の冷える言葉を聴いた時にそう感じた。つまり、困ってる奴を見てしまったら放っておけなかったのだろう。そして、町でもいまだにその存在と名前が残っていると。

 まあ、幼い頃から紛れ込んで遊んでいたりしていたのであれば知られていても当然か、けれども数年も経過していると服装が幾らか質素になってるとは言え、気付かれにくいものだ。それは少しクラインにとって寂しい事かもしれないけれども、俺としては助かる。変に騒がれると行動しづらいし、人が多く寄り付くと言う事はその分不逞の輩が近寄りやすくなると言う面もある。

 状況によりけりとは言うが、今の所これで間違いは少ないし起きていない。


「そういえば噂なんだけどね、あの人たちの身分を保証してる人が居るんだって」

「あの人たちって、さっき叩きのめした人たち?」

「うん、そう。仕事が無いって言ってた所に声がかかったんだって。だから最近じゃ昼や夕方にはいっつもお酒飲んで騒いでるみたい。そのせいで町の中、変な感じ」

「父さんには言った? 自分の領地でそんな事があるなんて、許しちゃいけないと思うけど」

「言えるわけ無いじゃん。私はクラインと仲良くしてたけどただの人だし、クラインは若いけど息子でしょ?

 おじいちゃんが騎士だからその縁で私が敷居を跨げてるだけだって」

「あ、そっか……」


 とは言え、俺も同じように中身はただの騎士だ。喩えミラノに仕えてるとは言え、それでもただの騎士風情だ。国王の次に偉い公爵と、ただの名誉階級でしかない騎士。話をすることは出来ても、嘆願や陳情は――幾らか、違うだろう。

 だが、それでも今はクラインを演じている以上、その上で生じた事柄のいくらかはクラインとして対処できるはずだ。だから公爵に言おうと思い、静かに頷いた。


「――なら、僕から話をしておくよ。父さんが知らないとは考えたくないけど、その可能性も考えておかないとね」

「うん、お願いしても良いかな? 私も仕事は減っちゃうけど、平和な方が良いに決まってるし」

「あ、もしかして見回りとかって仕事として出たりするの?」

「町長が判断したり、急募が有ったりするよ? 見回りに参加すれば収入にもなるし、追加報酬が出たりする場合もあるから自信が有る人は受けるよ。

 けど、報酬が良かったり追加報酬が出るときって大体危険な仕事の場合が有るんだよね。魔物の大量発生とか、動物が追いやられて凶暴化とかもあるし」


 ――ゲームでよく聞くシステムだなと思ったが、現実はそんな綺麗ごとじゃなかった。当たり前だ、ギルドシステムが成立するのは聞こえの良い「勇士による働き先」だろうが、実際は手に負えなかった仕事を金と名誉と夢で釣り上げて解決させているだけとも言える。

 いや、そんな事を部外者である俺が色々言ったところでただの言い掛かりだ。既にシステムとして確立している以上、歪みが無いのであればそれは正当なものだ。夢を追うのも追わないのも個人の勝手だし、その結果死ぬも死なぬも関係の無い話だ。


「ま、今は指南役で稼がせてもらってるから良いけど。公爵も太っ腹だよね~。クラインに剣を教えるだけでも安くないお金を払ってるのに、馬に乗れるように教える事になったら何倍にも手当て増えたし。住み込みだから寝る心配も食べ物の心配も無し、暖かい部屋の中で安全に眠れるって良いよね」

「そんなに治安は良くないの?」

「悪くは無いけど、油断できるほど良くはないよ。だって父さんが居ないって事は、男の人から見れば盗むのも見つかっても危なくないって思われても仕方が無いし」

「そんなに強いのに?」

「こんなに強くても、だよ。――私の戦い方って、ピョーンとして、ババッ! ってやるじゃん? だから一度捕まったらおしまいなんだよね。力じゃ敵わないし、速さだけじゃ足りないし。……やっぱ、何だかんだ女だからね~」


 そう言って、普段は微塵にも感じさせない”女性らしさ”を感じ取った。普段は男勝りと言うか、女であることを感じさせない程だったが、やはり幾らかはそういったことを考えては居るらしい。それでも普通に胡坐をかいたり、頬一杯に食事を詰め込んでるところを見ればそんな幻想も幾らか打ち砕かれるが――。

 俺は、どうしたら良い? こういった時、支えてやれなきゃおかしい。少し、弱そうに見えて脆く見える彼女を少しでも元気付けられる言葉を吐き出せなきゃダメだ。けれども、今の俺はクラインだ。クラインがヤゴに優しい言葉を投げかけるかどうかなんて分からない、なぜならそんな場面を目の当たりにした事もないからだ。

 我を通すか、それとも与えられた任務をこなす事だけを考えるか。考える事は少なくない。だが――


「……大丈夫、ヤゴは負けないから。危ない時は、僕が護るから」


 言った。言ってしまった。軽口、無責任な言動、もし上に立つのならしてはいけないあるまじき希望的観測。護る? 俺が? 誰を? 手の届く範囲ですら難しいと言うのに、屋敷に居ながら町に暮らす彼女を――護る? しかもクラインとしてそう言ってしまった、となるとそのアテに含まれるのは個人だけじゃなくなるに決まっている。家柄、権限、権力、爵位だのだのだのだの――色々とある。

 この事を俺は公開するだろう。事実、既にしている。失いたくなければ大事にしまっておくしかない、けれどもそれは物じゃないからこそしまっておく事はできない。それでも――クラインにとってヤゴは軽い存在じゃないと思う、ならこの言葉は正しくはなくとも間違いなんかじゃないのだ。

 そう、間違いなんかじゃ――ないんだ。


「あはは、昔と同じ事を言うんだね。変わらないなあ、クラインは」


 けれども、女だから出来ない事も有る、勝てないこともある。一種のネガティブな発言をしていた彼女は、直ぐに笑みを浮かべてくれた。そしてその笑みを向けられて、やはり心が痛む。その言葉を向けられた相手はクラインであって、俺ではないのだから。

 何かをすれば傷つく、何かをしなくても傷ついていく。そんな生き方のどこが正しいのか分からない。或いは――正解なんてないのかもしれない。

 それでも、生きるしかない。大多数の人間が、絶対に正しいと自分の生き方を信じている訳じゃないだろう。時々振り返り、過去の自分を思い返し、それらに纏わる記憶を発掘しては、考える。

 時折ほんの一握りの人間だけが自らの正当性を疑う事無く邁進し、その時代を動かしてきた。だが、やはり一握りでしかないために、そうでない俺は悩むしかない。正しい事を、立派な事をと考えれば考えるほどに泥沼にはまっていく。偽善的であれば、表面だけ撫でて「良い事をした」と言い切れてしまうような人間性であったならどれだけ楽だったか。

 それでも、笑みを浮かべた。眉の寄っていない柔和な表情、クラインとしての顔で。


「そりゃ、昔からの知り合いだし――僕は時間に取り残されてしまったけど、それでも顔見知りが居てくれるだけでも嬉しいのに、それが居なくなるなんて――嫌だ」

「大丈夫だって、クライン。私は負けないって。昔約束したじゃん? クラインが私を守ってくれる、けど私もクラインを守るって。

 ――女だからって、それを言い訳にしない位に強くなる。父さんとも、母さんとも、じいちゃんとも約束したんだ」

「――そっか」


 俺はクラインじゃないけれども、魔法使いでもない彼女に意気込みだけでも負けないようにしないといけない。

 これから、よりいっそう精進しなければならないだろうなと意気込んでいる所で、俺達の道に立ちはだかるかのように、数名の人がそこに居た。普段なら道を譲るか譲られておしまいで、今日であればまた馬鹿が喧嘩でも売りに来たかなと警戒して相手を見て動向を睨んでいた事だろう。

 しかし、俺は一人だけ見覚えのある人物に目が行った。マリーだ、彼女は初対面の時に比べると幾らか顔色は良さそうだが、動いてるのが辛そうな――いや、生きている事そのものが辛そうな表情をしたままだ。そして彼女の隣には幾らか身なりの良さそうな人物が一人立っていて、その幾らか背後の方に先程ボコボコにして衛兵に捕まえて貰った筈のならず者が居る。

 俺もヤゴも立ち止まり、道が譲られないのを見て顔を見合わせた。回れ右して引き返すか、それとも別の道を通るのか。悩んでいた所で、身なりの良い男が話しかけてくる。


「申し訳ないが、君がクライン――クライン・ダーク・フォン・デルブルグかな?」

「――人違いですよ。それと、僕は貴方を知りません」


 いきなりのフルネーム呼びと、名前だけではなく爵位まで割れている。俺は警戒し、ヤゴは静かに剣止めを外していた。俺も周囲を見るが――異様なほどに人通りが少なく、助けは望めそうになかった。見ればマリーが魔導書を出している、もしかすると人払いの結界でも張ったのかもしれない。オルバの時もそうだったが、不自然なほどまでに人が居なくなるのでこれは暗殺も誘拐もしたい放題だなと思った。

 そうやって情報を整理している中、相手は咳払いをして「ああ、すまないな」と謝罪をした。


「私はニコル・マルグレイブ・フォン・シャルダン。きっと初めての対面だろう。この出会いに感謝しよう」

「人払いをして、何用でしょうか? そこの……後ろの人は、先程自分達を取り囲んできた人の一人なんですが」

「すまぬな。暇をしていたようなので金を握らせて君の事を探らせていたのだが、私の意向にそぐわない事をしたようだ。無礼と非礼を詫びよう、すまなかったと」


 そう言って、優雅に頭を下げる。形だけの謝罪と言うか、公爵もそうだが自分の非を余り表に出さないやり方に見える。謝罪した以上追及できない、追及すると火傷するのは此方だ。それに、公爵家の息子とは言え、まだ後を継いだ訳じゃないのでただの後継者でしかない。故に身分的にも演じている者としても強く出られないので、見逃すしかないのだ。


「此度は、君の家に所用が有ってね。ヤクモという人物に用事があって来た」

「へえ……。それは、どのようなご用件でしょうか」

「なに、此度の帰省で一緒に戻ってないかと思って、可愛い娘の為に顔を出したのだ。

 どうやら、英雄と謳われる彼に気持ちが傾いているらしい。それで、私自らの目で確認しようと思ったのだよ。君との邂逅はただの偶然だ」

「では、父に取り次いだ方が宜しいでしょうか?」

「否、そこまでする必要は無い。ただこの書状を父君に渡したまえ、そちらの女子にその任を授けよう」

「――はい、畏まりました」


 彼はそう言ってヤゴに何かの書状を手渡した。それが何なのかを俺には確認する術は無いが、無闇に開封出来ぬように態々蝋で封がしてある。つまり、他人に見られることが無いように態々処置してあるという事だ。

 ヤゴは身分柄それに逆らう事ができない、逆らった所で撫で斬りにされてしまえば取り返しの付かない事になる。喩え目の前のニコルが何を言ったとしても、俺が追求したとしても失われた命は返って来ないのだから。

 ヤゴがそれっぽい礼儀に則ってその場を去る。彼女が居なくなった事で身軽になったとも、心細くなったとも言える。そしてヤゴの後を追うようにして手負いのならず者がいつの間にかその姿をくらませていた。もしかすると彼女が馬に乗った事を察知したなら、厩を封鎖して俺が容易に脱出できなくする可能性も有るだろう。ただ、手負いであればヤゴは負けはしないだろう。そう信じるしかなかった。


「マリー、人払いを解除しなさい。もう人の目を気にする必要は無い」

「――分かった」


 そして俺が逃げるかどうかを選ぶよりも先に人払いの結界が解除され、それと同時に人の気配が戻ってくる。周囲から雑談する人や、「なんでこの道をさっきは通ろうって思わなかったんだろうな」とか言いながら歩いている人、「のんびりしすぎた!」と家から出てくる人など様々だ。

 そうやって人が周囲に満ちてくると、俺達の存在もただ紛れてしまうようなちっぽけなものになってしまい、マリーは魔導書をしまいこんだが為にただの対峙している人々にしか見えなくなった。


「さて、若人よ。少し話をしないか? なに、取って食おうという訳ではない。

 それとも――無理矢理にでも抑えつけられる方がお好みかな」

「――……、」


 マリーは謝罪しないし、俺は何も言わない。マリーが友好的であり、接触していると言う事はもしかしたら指示されての事かもしれないが、それを相手が言い出さない限りは伏せたままの方がいいだろう。実際、マリーは今回の遭遇から一言も喋っていないし、俺に不利益な事をしているが謝罪をしてこない。その可能性は十分に考慮できるので、ただ警戒だけは薄く張っておく事にした。


「人払いをしてまで接触したがった理由は、何なんですか」

「なに、お互い名前を聞かれたら周囲に騒がれるだろうと思ったのだよ。

 それとも、君はその方が良かったかな?」

「いえ、それは――確かに。その配慮には感謝します。それで、話と言うのは」

「落ち着いた場所でする物だと思うのだがね、君」

「だとしても、立場がありますから。考えも無くついて行く事は出来ませんし、内容によっては僕が聞いて良いものでは無いかもしれません」


 何とか逃れられないかと、それっぽい理由を述べて退散しようと思った。だが、ニコルは顎に手を当てて数度頷いただけだった。


「なるほど。それは確かにそうだろう。君にも立場があり、後継者としての自覚も幾らか芽生えつつあるという事か。長年行方が判らなくなっていたとは思えないな」

「では、正式な手順で訪ねて貰えますか? であれば、暖かい部屋と上質なお茶を飲みながら、ゆっくりと話も出来ますから」

「ふむ。まあ、そうだな――。マリー、彼の右腕を使い物にならなくしたまえ」

「――了解した」

「なっ――」


 マリーが手を伸ばし、指を鳴らして弾いた。すると利き腕である右腕が、肩から先まったく動かなくなる。――麻痺、とは違う。感覚はあるのだが、異様に鉛のような重さで動かし辛いのだ。震える腕を動かしたが、それで剣を握る事は不可能なようだ。だからと逃げるのも難しく、下半身や片足だけでも同じようにされてしまってはどうしようもない。


「恐れる事はない、若人よ。言っただろう? 話がしたいと。君が余計な事をしなければ、話が終わり次第解放すると約束しよう」

「――抵抗、しても無駄」


 ニコルに言われ、マリーに釘を刺されて俺は降参の意を示すように動く腕のみを挙げた。虜囚とまではいかないが、制圧された状態に近い。彼女の言ったとおり、魔法に抵抗や対抗する手段を講じておけば良かったかも知れないが――、まさかこんな早くに敵対状態で遭遇するとは思っていなかった。

 なら、利き手が動かない状態で出来る対策をするしかない。後手後手の対策だけれども、どうしようもない。俺は黙って従う他無かった。

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