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元自衛官、異世界に赴任する  作者: 旗本蔵屋敷
三章 元自衛官、公爵の息子を演ず
42/182

42話

 普段やらないような事をすれば余計疲れる、受け入れたことの無い価値観を受け入れようとするのは精神的に疲労する。

 後期教育で、行軍訓練をしていた俺たちが、まだ基本教練と基礎体力を付けただけでしかないのにいきなり四十Kgの背嚢を背負わされ、しかもそれだけでへばってゲロを吐いたり膝が笑ったりしたのを見ていった言葉だ。

 人間と言うのは、訓練もそうだけれども――結局のところやって来た事しか出来ないし、普段やらないような事をすると何かしら無駄な力を使ったり、受けた事のない負荷に苦痛を受けてしまうものだ。逆を言えば、一度でも体験してしまえばゴールの見えないマラソンではなくなるので精神的苦痛は一気に和らぐし、四十Kgの背嚢もベルトの締め方や背負い方のコツを覚えて何とかなるものだ。

 絵を描いた事の無い人に輪郭だの骨格だの筋繊維による肌の見え方とかを考慮した上で人物画を描けと言うのも酷な話で、理解無いままにやらせ続けると破綻に向かっていくのが普通だ。


「魔法はそのまま発動させると敵味方関係無しに効果を及ぼす物になります。

 それはどの系統であれ、どのような魔法であれ同じです。学園に通って最後の年あたりで学ぶ事ですが、地味に難しいです」


 等と、翌日の午後からキリングから魔法を交えた戦闘に関して教われるようになった。その場には彼の従者であるマーシャも居るし、前日誘ったアルバートも居ればグリムも居る。そして魔法だからとミラノとアリア、カティアまで居て完全に小さな学校状態だ。

 メモを取りたい内容ではあったけれども、ここで日本語だの漢字だの使ったら「なにその字」と言われかねないし、下手すると共通点から割り出されかねなかった。なので聞いて、理解して、飲み込むことにだけ集中する。


「詠唱と魔法に慣れに一年、魔法の発動と制御で一年、魔法を使い込んでいって多系統の魔法を扱えるするのに一年、魔法の発動のさせ方の種類を学ぶのに一年、総合的な魔法の扱いで試験を踏まえ研究・開発・制御に一年、魔法の制御で難しい事をやるのが最後の年みたいに考えてもらえれば結構です。

 私たちが学園に居た事と何も変わりが無ければ、今のアルバートやミラノさんは詠唱だけじゃない魔法の使い方を学んでいる頃かと思います。

 残念ながら私は兄やアルバートのように武器を振り回し、魔法を武器に纏わせるといった戦い方が出来ないので、見て、聞いて、その上で憶測を立てて語ることしか出来ませんので、その上で聞いてください。

 武器に魔法を纏わせる方法は幾つか有ります。まず武器そのものが魔法の影響を受け辛い材質である事。クラインさんが使っている練習用の剣であれば火に、金属なら風と水の複合で行使できる電撃を纏わせればどうなるか分かる事ですね。

 それじゃあ、アルバート。どうなるか答えてみて」

「あ、うむ。剣が火に燃えたり、或いは使い手が痺れる……だったか」

「そうですね、正解です。他にも、治癒や回復の上級者が遠隔でそれらの魔法を行使したときに味方ではない対象を回復させてしまっても本末転倒です。

 魔法もそうですが、その行使は有利にするという点に無ければいけませんから。敵を利して味方を害する魔法の扱い方をするのは駄目です。とは言え、その制御を修得できる人物は全員とはいきません。やはり魔法の才能や理解度の早さ等と言ったものが関わります」

「キリングはそういった制御が出来るけど、俺は自分に魔法の効果が出ないようにする事しか出来ないからな。だから俺が戦う時は周囲から皆逃げ出すんだぜ?」


 どうやらエクスフレアは自身に対して影響を与えない代わりに、周囲に被害を与えるようだ。つまり、敵味方関係無しに破壊をばら撒くといっても良い訳で、あまり近くで戦いたいとは思えなかった。

 戦いの場において恐ろしいのは予想だにしない敵の攻撃だが、それよりも怖いのは味方だと思っている相手に後ろから撃たれる事だ。何故なら味方と言う時点で脅威の可能性はゼロに近い、それどころか自他を補佐する戦力として数えられているのだから。


「キリング様、それは私やアリア、兄さんやアルバートが今習っても大丈夫な代物なの?」

「大丈夫ですよ、ミラノさん。四年目なら魔法の詠唱とその多岐や、複合も色々と学んだ後でしょう?

 なら学んでも無駄では有りませんよ。これから魔法の発動方法が詠唱だけじゃない事を学び、それらの手段を複合させながら取り入れる事も考えていかなければなりませんが」

「あ~、それじゃあ僕は止めておいた方が良いかな? 学園にも通ってないし、魔法も独学だったわけだし」


 クラインも本を読んでの独学、俺にいたっては魔導書を読んでるとは言え同じように独学だ。結果として四年の中で学ぶであろう事柄の大半を置き去りにして、ただ魔法発動と言う点での結果しか得ていない。

 だが――


「いえ、クラインさんは幼い頃から魔法の制御が出来ていたと聞いています。確かに四年の差は無視できませんが、今行使できる魔法で試行錯誤するだけでも無駄では有りません。

 後は実際に学園に通い始めて色々と魔法を覚えたり編み出していったら、それらで味方や自分に被害を及ぼさないように調整していけばいいのですから」

「ああ、そういうやり方でも良いんだ。分かりました、それじゃあ自分の行使できる魔法……で、やれ……ば――」


 そこまで言ってから、俺の行使できる魔法を思い出すとどれも失敗しようが成功しようが周囲への被害が大きな物ばかりだった。だからと言って普段お茶を作る程度の魔法じゃ濡れるか濡れないか、服が燃えるか燃えないか程度の事しか分からない。

 まあ、それでも色々と学べるだろうなと思っていたが、ミラノとアリアとカティアとグリムとアルバートの目がこちらに向けられているのに気がついた。


「兄さんは今回は勉強だけにして」

「兄さまの魔法、すごすぎて巻き添えになっちゃうから」

「ご主人様は魔法を学ぶまでは何もしないで」

「――……、」

「あ、いや。うむ。巻き添えは嫌なのでな」


 全員から否定的な意見を浴びせかけられ、どうやら俺には参加して魔法を行使することは望まれていないらしい。拗ねたくなったが、直ぐにキリングが付け加える。


「一番弱い魔法でも同じことは出来ますから、むしろいきなり強大な魔法で試さない方が懸命です。ミラノさんとの話で、簡易紅茶の一式を持っていると聞いてますから、火を出してそれに手をかざして熱いかどうかで判断するのもありですよ」

「あぁ、そういったやり方でも良いんだ。なるほど、強い魔法じゃなくても良かったんだね」

「あ~……」

「あはは……」


 ミラノとアリアの声が「そういうやり方もあったか」と言った様子の声が漏れる。え、なに。二人とも最大火力の魔法を出して、それに煽られるか煽られないかで判断しようとしてたのか?

 しかもアルバートとグリムも俺がそちらを見るのを察知して顔を背ける、カティアなんて背中を向けたままに石のように微動だにしない。きっと誰もが度派手に魔法をぶちかまし、その結果自他に被害が及ばないかどうかで成否を判別しようとしていたのかもしれない。被害の大小の差はあれども、俺と同じ事を考えていた時点で人の事を言えないんじゃないか? まあ良いけどさ。


「今回は詠唱魔法に関して、自分、或いは他人に影響を及ぼさない方法を教えます。

 本来であれば他の魔法発動法を知った上で、組でそれらでの自他への影響制御を学びますが、今回は省略します。学園で学び、それを己の力で学んでください」


 と、前置きから始まる。座学は全員纏まって、けれども実技に入ると実施者は一人か二人で行われる。理由としては管理が難しいからと言うのと、いざという時にフォローするのが難しいからだと言う。

 なお、クラインこと俺は規模が最小だと言う事で安全管理外である。寂しいやら悲しいやら何とも言えないが……、それでも単独で練習できるのは言い事なのでよしとしよう。


「――”フレンドリーファイアーをオフ”」


 なお、座学とかは有意義だったけれども、俺にはあんまり関係の無い話だった。詠唱か~、難しいよな~。あ、けど俺は発動したい魔法名を言うだけで発動できるので~。そんなチート状態。或いは、クラインも同じように出来るのかもしれない。どうやら無の魔法を極めてくると詠唱をすっ飛ばせるらしいし、ただ俺は極めてる状態だけど魔法に対して知識や知恵が無い状態なので何も出来ないに等しいだけなのだが。

 フレンドリーファイアー、友好的な対象には影響を及ぼさないと言う設定をする事で被害を無しにしてみせる。そして右手人差し指からライターのように灯されている火に徐々に手を近づけ、その火の熱さを幾らか感じながらも”暖かい”というレベルにまで熱量の作用が落ちている。そしてそのまま服やら髪やらに近づけるが、火によって焼かれる事はなかった。


「エクスフレアさん、出来ました」

「おぉ、流石は……。早いですね。まだ始めたばかりだと言うのに、学園での一年を省略出来ましたね」

「あらあらご主人様。そんなにはしゃがなくても、私にも同じ事が出来ましてよ」


 と、少し得意げだった俺の鼻っ柱は一瞬にしてカティアに圧し折られる事になった。彼女もまた火を出しながら、その火にもう片方の手を翳している。あれで実はただのやせ我慢とか、治癒回復全振りで耐久勝負してるだけだったら驚きだ、やる意味も無いが。

 そういえば、カティアにはステータスだのメニューだのと言う裏魔法を教えて有るんだった。と言う事は、彼女もまたフレンドリーファイアーを切っているに違いない。なんて奴だ、そんな所に考えが至ってさっさと修得してしまうだなんて、誰に似たんだか……。ミラノか?

 カティアも俺と同じように制御に成功していると、やはり周囲で驚きのような反応がまばらにある。ミラノは目が笑ってないし、アリアは驚きを隠さずにいて気の無い拍手をする。アルバートは「なにぃ!?」なんて叫んじゃってるし、グリムは「見事」と棒読みに近い感じで言っている。


「使い魔召還の規則性は分からないですが、クラインさんの使い魔も似て優秀ですね」

「もっと褒めていただいても宜しくてよ?」

「ええ、素晴らしいです。これからどのような生を送られるか分かりませんが、自身のためにも主の為にも魔法の研鑽は怠らないでください。魔法とは奇跡のような物であり、努力だけでは覆せない才能も存在します。

 それを育てていくのか腐らせるのかは、クラインさんや貴方次第です」

「だって、ご主人様」

「あはは……」


 どんな才能を持ってるかなんて色々やらせて見なければ分からないが、少なくとも魔法の訓練に関しては全力で当たらせても良いだろう。俺はたぶん武器だの肉弾戦、近接格闘に頼りがちになるだろう。誤射……フレンドリーファイアーがなくなるのであれば援護や支援でカティアがやりやすくなる、俺も咄嗟に爆発や爆裂、炸裂だのと言った高火力高反動な魔法を使うときに役立つと思う。

 今更だが、その機能を知っていればオルバとの戦闘の時に拳に皹が入る等といったことも避けられた筈だ。治療や治癒魔法で治せたとしても、結局やっている事は新陳代謝能力の底上げによる再生なので、カルシウムだの食事などで摂取したエネルギーだのが差っ引かれるので多様や乱用は出来ない。治癒魔法や回復魔法の使いすぎでレンジャー教育修了後の隊員のように痩せ衰えてしまっては、継戦能力はなくなってしまう。今回の自爆ダメージの低減や無効化だけでも大収穫だ、剣と銃で戦いながら近接戦闘で咄嗟に炸裂だの爆裂だのを行使すれば間合いを開く事も打撃を与える事も、意表を突く事も出来るだろう。

 ――杖無し魔法は魔力五倍消費とはミラノの説明では言われたが、自分の限界が今の所分からないので怖い所でも有る。魔法の行使や魔力の消費に身体が慣れていなくて頭痛や吐き気といった症状を催す事があるが、それも言ってしまえば身体が「もう無理」と自分の限界と実際の限界とは関係無しに悲鳴を上げてるだけでしかないので、どんどん魔力を消費していくしかない。

 実際、ミラノの教育では魔法とは発動系と持続系が有るのを学んだ。火炎や雷撃等を飛ばすのは発動系、火炎や雷撃を出し続けるのは持続形になる。同じランク同じ火炎魔法だとしても、何発打てるのか、持続系なら何秒発動し続けられるのかを把握しておかなければならない。それと並行して魔力の回復速度や、それによる魔力への依存への危機も纏めなければならないだろう。

 なお、今の所部屋の中で行使しても問題の無いランク二の魔法までなら、一時間ほどずっと発動させっぱなしでも頭痛も吐き気もしないのは確認できている。学園一年生の課題として、魔法を何発放てるか、どれくらいの時間持続させていられるかを測ったりするらしいけれども、俺はどうやら魔力の総量は低くないらしい。カティアに毎秒魔力を幾らか持っていかれているのだが、それでも余裕があると言う事は、魔力的にも優遇されているって事なのだろう。あるいは、考えたくは無いが――魔力の再生速度の方がカティア使役による魔力消費量を上回っている可能性だって有る。


「――やっぱり、学園に通ってないから難しい事は出来なか」

「そうですね。才能がどうであっても、魔法がどういうものか、魔法をどう行使すれば良いのか。そういった全てを手ほどきし、才能ごとに成長の手助けをしてくれるわけですから。

 六年とは決して短くは無いですが、十二英雄の一人であり賢者であるマクスウェル氏が作り上げた教育は決して軽視出来ません。魔法を使える人々を国で括る事無く平等に育て上げ、かつて人類が滅びに瀕した時と同じような時が来ないようにと戦力の拡充の役割も担っています。

 何よりも大きい収穫は他国の人と理解と人脈が作れる事ですね。最前線のツアル皇国の事やかつての魔王から離反して出来たヘルマン国の事は特に気になる事ですから」

「そうなんですか。って、あれ? ユニオン共和国や神聖フランツ帝国は?」

「ユニオン共和国は身内贔屓と言うか、あまり他国の人間と関わらないので触れる程度の付き合いしか出来ません。神聖フランツ帝国の人は宗教的に”いき過ぎていて”うまく付き合えない事が多いので。

 ツアル皇国の方々は礼儀を大事にしますが、身分や上下や見栄を意識しない方々なので――言ってしまえば、裏表の少ない人々だからお付き合いするには良い人たちだと思います」


 ツアル皇国は出身者の評価が高いようであった。。俺の頭の中ではジャパニーズブシドー的な国のイメージが徐々に構築されつつある。それでも本場のブシドーな世界だと逆立ちしても超える事の出来ない上下の差や身分の差は有っただろうけれども、学生同士である事や多国籍生徒によってそこらへんを感じないだけなのだろうが。

 しかし、ユニオン共和国は身内――同じ国の人以外とは接し辛いらしいし、抑圧的とか弾圧的とか、そんな悪いイメージしか出てこない。ミナセの婚約者であるエレオノーラがユニオン共和国出身らしいけれども、実力主義っぽい気はする。前に一度アルバートと戦ってほぼ勝利みたいな所にまで行った後で関わったけれども、強いのだから謙遜するなとか胸を張れとか言われたっけな。そして忠告された、銃に関してスパイ扱いされかねないとかなんとか。

 まあ、流石に他国で少し名前が売れた相手を捕まえてどうのこうのということは無いだろう。それに、アイディアが似てるから何だって言うんだ。この世界じゃ俺の方がパクリかもしれないが、俺からしてみればユニオン共和国の方がパクリであり、しかも旧式だと言いたい。オートマチック式、ライフリング導入による射撃制度の向上と射程距離の上昇、魔力を弾丸としていようが実弾による射撃であろうがこちらの方が優れている。

 ……数の暴力は恐ろしいが、オルバの拳銃を見るに単発式の可能性は低くは無いだろう。となれば、戦列歩兵になるだろうから、散兵戦術を行使出来るこちらが短期的には有利だ。下手すると中露のように領土侵犯や言い掛かりをかけて来るかも知れないし、仮想敵国として認識しておいた方がいいかもしれないが。


「クラインさんは、学園に行くつもりですか?」

「体調がちゃんと良くなるか、或いは安心できる段階にまで回復してからかなと思ってます。

 じゃないと、迷惑をかけるどころか学園生活や学習ですら満足に出来無さそうだし」

「大丈夫じゃね? 剣振って、運動してりゃ力付くって。運動すりゃ力が付く、力がつけば病気にも勝てる! だろ?」

「それ、前提条件として”運動や過負荷に耐え得る体力があること”が必要だよね……?」


 エクスフレアはどこぞのアメリカン鬼軍曹のような事を言っている。とにかく筋肉だ筋肉! 筋肉があれば病気にならない! 気に入らない奴をぶん殴れる! なにかあっても筋肉を苛めて忘れちまえ! そんな暴力的で論理的でも理性的でもない物ではあるが……実は、一定量の効果があるのは否めない。ソースは俺。

 考え事が出来ないくらいに苛め抜いて、自分個人の体裁や自尊心やらが以下に下らないものかを叩き込んだ上で、何が大事なのかを判別出来るようにしたほうが良兵になる。それに、結局苦しみの方が勝りすぎて、多少の悩みや苦痛を受け流せるようになってしまうと言う恐ろしさもあるので幾らかお勧めしたい。


次兄じけい! 我にも、細かな制御のやり方を!」

「――アル、だいじょ~ぶ」

「従者が先を行くのが気に入らんのだぁ!!!」


 どうやらアルバートよりも先にグリムの方が制御に成功しているらしく、キリングを呼び出していた。グリムはいつも通りの平坦な表情のまま得意顔で、アルバートの肩を叩いている。どうやらグリムにはまた一つアルバートに役立てる事柄が一つ増えたようだ。キリングがアルバートの所へ向かい、エクスフレアが試行錯誤しているアルバートを見て指摘したりしながらも顎に手をやってニヤニヤと楽しげだ。俺にはアルバートがなぜ長男と次男を相手にビクビクしているのか分からないくらい親身で、優しそうだ。

 そんな様子を見ながら、スススとカティアがこちらに寄ってくる。


「――ズルしたでしょ?」

「ズルって言わない。自分に取れる手段を行使するのは頭の回転が早いって言うの」

「けど、今教わった事じゃないでしょう?」

「カティアだって詠唱省略してる時点で似たような物だし」

「ええ、ご主人様がこの前教えてくれた魔法のおかげで私も魔法は即時発動余裕ですわ。

 なんなら、小足出てからでも魔法カウンター余裕でしたと言えますけれども」


 昇龍拳でも放つのかな? カティアの頭を撫でるようにポンポンとしながら、少しばかり考える。そしてあまり大きな声ではなく、耳打ちするように言った。


「――カティア」

「ええ、大丈夫。分かってる。肉体的な強さや貴方みたいに戦えなくとも、魔法の修得に力を注いでくれって事よね?」

「うん、その通り。……この前、泣かせたから。俺――じゃなくて、僕が、ちゃんと見てあげられなかったから、辛い思いをさせた。だから、僕よりも凄い魔法使いになってくれ。

 喩え幾百、幾千の敵に囲まれたとしても、夢を見せるかのようにその場を切り抜けられるような手札を持つような魔法使いに」

「任せて」


 俺はきっと、固定観念から逃れられないだろう。余裕のある状況であれば様々な手段や手札を行使してみようとは思うだろうが、切羽詰れば結局信じるに足る経験や体験から来る手段にばかり頼りがちになるだろう。オルバとの戦闘のときのように、咄嗟に「これでもくらっとけや!」と出来る魔法が増えればいいのだけれども。

 ただ、カティアがやる気を見せてくれているのに何もさせないのは、上の者として失格だ。たしかに、何が出来るか分からない。けれども、だからと言って何もさせないのは宜しくない。与えられた仕事を分担させるのと、自身で必要だと思った事を言い伝えてやらせるのは違う。


「兄さんとカティアは優秀ね」

「さあ、どうかな。僕は魔法の事は良く分からないけれども、カティアは優秀だと思うよ」

「いいえ。兄さんもちゃんと魔法の勉強をすれば色々出来ると思うけど?

 ただ知らない、分からないだけであって詠唱省略とか出来る時点で才能はあると思うし」

「姉さま、私も出来たよ」

「――妹も優秀で助かるわね」


 どうやらアリアも出来たようで、水を球にしてお手玉をしている。ホイホイと二つの水球を交差させながら遊んでいる様は見ていて可愛くて、少し失敗して頭や顔、身体にぶつけてもその水球が弾けて彼女を濡れさせる事は無かった。


「アリアも出来たんだね。凄い凄い」

「えへへ、そうかな?」

「うん、凄いよ」

「けど兄さまやカティアちゃんみたいに素早くは出来ないね。

 詠唱しなきゃいけないから、その分時間がかかるよ」

「となると、詠唱の省略や簡略が出来る分即応性はカティアに期待できる感じかな?

 細かく二人が魔法を放つ事で弾幕を形成して、カティアが一纏めの所に大規模魔法を叩きつけるとか、逆にカティアと僕で敵を押さえ込んで交互に高火力魔法を放つと言うのもありかもしれないね」


 パッと思い浮かんだ事を戦術として発案してみる。当然、戦闘における優先順位と言うのがあるので、普段であればミラノやアリアを危険に晒さない方向で行きたい。となるとカティアと俺に負担が重く圧し掛かるわけだけれども、戦闘に関しては二人が何て言おうとも逃げの一手を推すに限る。当然、状況にもよるけれども、交戦と抗戦のどちらをするにしても”敵にどれだけ戦力があり、援軍があるのかどうか”とか”時間を稼がれると拙いのか”等々も把握しなければならない。

 今はクラインを演じてるから全員が重要人物であり、俺が偽者であっても囚われたり負傷するのは宜しくないだろう。それに、身分とかを考えるなら少数精鋭か多人数のどちらかだが、それですら状況や場所によって変わるので何とも言えない。……面倒臭い事この上ない。

 今は隣家の事やマリーの事もある、考えすぎと言う事はないだろうけれども、やっぱり負担が大きいよな……。


「兄さん、戦いの事しか考えてないの?」

「むしろ、何があるか分からないからこそ戦いの事を考えてるんだよ。備えよ、常に。敵は魔物や魔族だけじゃなくて、同じ国の中にも居る事を……考えないとね」

「……そうだったわね」


 ミラノが誘拐された事件、それを絡めて幾らか誤魔化した。クライン本人はもしかしたら負傷した事で戦う事に関して否定的だったり腰が引けているかもしれないし、実際にここまで前向きで自分の立場や有り方を考えた発言をするような人物じゃないかもしれないが――。そこはミラノ救出を単独で行うような人物であり、似ている人物だからと言う事で、有り得ない訳じゃなさそうだ。

 まあ、そこらへんはチャットでもメールでもやれば良いか。メールのやり方はわからないだろうけど、チャットなら無声会話みたいな物だから前と同じでクラインにも出来るだろう。


「ミラノは制御できた?」

「私は――ええ、出来た……と言うか出来るけど」

「へえ、もう出来たんだ? 早いね」

「じゃなきゃ英雄じゃないとしても人型を召還できないでしょう?

 優秀な魔法使いには優秀な使い魔ってよく言うし」

「……さっき規則性が分からないって言われたような」

「多くの人がそう思っているのだから、それで良いの!」


 どうやらあまり触れられて欲しくないらしい。クラインを演じていても、後でツケられた罪の数だけ殴られたり蹴られたりするのは御免こうむりたい。というか、ミラノの奴魔法でお仕置きをするときもあれば蹴りや殴りでお仕置きをする場合もあるのだけれども、気分で選んでるのだろうか?なんにせよ、経験の多い打撲攻撃か、経験の少ない電撃などでの痺れ等かの違いでしかないのだが。


「アルバート、取り合えず話を進めるから落ち着こうか」

「うむむ、解せぬ!」

「解すも解さないも関係ない。グリム、アルバートの面倒見てやってくれ」

「――ん、分かった」

「ぐぬぬ……」


 出来てないのはアルバートで、出来たかどうか分からないのがミラノっと。制御自体は簡単なのかもしれないが、詠唱式は言葉を付け足すだけだから難易度としては低いのだろう。それでも咄嗟に詠唱をする場合に難易度が高いのは詠唱式だろう、何せ噛んだり間違えればやり直しなのだから。


「キリングさん。詠唱系は難易度が低いんですか?」

「ええ、そうですね。言ってしまえば練習や体験をするという事で詠唱系で挑戦してもらいました。

 けれども、実際に戦いとなったら詠唱式だけでは間に合わない事も多々あるでしょう。

 優秀な魔法使いであれば……そうですね、オルバさんのような方でしたら御札に全て起動式を書き込んで条件付けで発動させる位にまで持っていけます。

 後は発動法を組み合わせる事で発動の短縮をはかったり出来ますし、そもそも無系統で卓越している方でしたら詠唱なんて関係無しに出来るでしょう。

 中には腕に魔法発動の鍵を刻印のように刻み付けて、動作のみで魔法を発動させる人も居ますし、詠唱と魔力陣と動作を組み合わせて発動法を組み合わせて短縮する人も居ます」

「魔力陣かあ……。俺、あれだけは出来なかったんだよなあ」


 魔力陣は、魔力を使用する魔法陣の事で、魔方陣は地面に描いたりする必要があって設置系とかには向くが場所が限られたり即効性が無いのが大きなデメリットだ。岩地だったりすると土と違って枝や指で魔方陣を描けない上に、地形の凹凸が酷すぎるとズレが生じて不発になりかねないらしい。

 そこで地形や場所を選ばずに、道具を必要としない魔力陣の出番である。魔力で空中に魔方陣を描ける上に、動作自体が既に詠唱の一部のような物なので魔方陣よりも必要な作業量が少なくて済むとか。何から何まで色々考えられているのだなと思うのだが、学んでおいて損はしないだろう。

 ――魔方陣描いておいて、条件付けで防衛戦や迂回してくる敵部隊への牽制にもなるだろうし、自衛隊装備の指向性散弾を態々消費してやる必要も無いだろう。実弾も実銃も消耗品だ、今の所補充の手段は無い。だから今でも魔力を弾丸として使っているのだし、そもそも廃油が無いと整備にも困る。

 結果として、自衛隊装備の中で使用している物は銃剣・携帯エンピ、弾嚢、弾帯、そして弾倉ではなく魔力カートリッジである。前に実弾を幾らか使っては見たけれども、やはり景気よく使うには弾の在庫が気になってしまうのでいざと言う場合のみに使用する事にした。

 閑話休題。魔法自体も単純な物ではないが、その発動のために行使する手段も複数あって一長一短であると言う事を学べただけでも大分良いだろう。時間を見つけて、魔法の練習に遠隔発動とかも出来るかどうか試してみるのも良いかもしれない。その為にはまず魔方陣を覚えなきゃいけないのか……? いや、確か”魔法の設置”という項目も有ったと思うから、それを使用したら罠に出来るのかもしれない。やる事が増える。


 そして俺達は皆で魔法の座学を、卒業生であるキリングから受ける。これで俺の知識や知恵が既存の物に含まれて戦力になってくれれば良いのだけれども……。

 なお、アルバートは終わり際になってようやく魔法の自爆制御や、他人への影響制御を出来るようになっていた。どうやら格好付けて詠唱をしていたら噛んだり言いよどんだり、詠唱に必要な語彙が抜け落ちていただけのようであった。

 途中でエクスフレアが武器と魔法の複合を見せようとして、庭の一部を焼き払ってしまい弁償が確定したり、俺とカティアで競争みたいに色々試していたらミラノに耳を引っ張られて「もうちょっと大人しくして?」と怒られたりと何だかんだあったが――。

 まあ、楽しかった。



 ~ ☆ ~


 マリーという少女……と言うか、女性に。十二英雄と同姓同名で使い魔の刻印を目に持つ相手に忠告を受けてから、俺はどこと無く落ち着かない日々が続いた。ニコル……シャルダン家がデルブルグ家に対して何かをしようとしているという事を聞いてしまい、その矛先の一つとして自分も狙われている可能性を考えたからだ。

 いざとなれば俺は身分を晒してしまえばいいだろう。影武者でしたと言って暴れられるだけ暴れて、逃げられるのなら逃げてしまえば良い。だが、ミラノやアリアの場合は厄介だ。救助に向かわなければならないし、証拠が無ければ軍隊を差し向ける事ですら相手の立場を補強する材料になってしまう。その場合、隠密行動だの潜入だのをしなければならなくなる。或いは、クラインを演じるのを止めて、単身突撃するとか――。下手に刺激すると後が怖い上に、ミラノやアリアが無事でなければ無意味だ。

 だから余計に考えなきゃいけないことが増える、手札を増やし出来る事を増やさなければいけなくなる。頭が痛くなる。だが、頭が痛くなる理由は更に有った。


「あのさ、陣営的に敵対に近いって分かってるのかな?」

「――……、」


 深夜、メイドや執事対策で掛札と言う手段を取った俺は「立ち入り禁止」と描かれたものをドアノブに引っ掛けてぶら下げておいた。それによって侵入者と言うか、世話焼き軍団が入ってくる事を避けられるようになったので一息つくようにワインを飲んでいたときである。

 窓を幾らか開け、風や木々の音、月の光や雲の動きを眺めながら”孤独を楽しんでいる”と、その窓からマリーが現れたのだ。表情は変わらない。長すぎる髪と目の下には隈が出来ていて、その表情は常にジト目で世界や何かを恨んでいるように見える。

 本来であれば彼女が現れた時点で警戒し、助けを呼び、威嚇をしながら逃げて友軍勢力と合流するのが正しい行動だろう。けれども、彼女は窓枠に腰掛けて「何言ってんの?」とばかりに小首を傾げられた。彼女自身には敵意は無いのか……? 分からない。この前の接触と発言もこちらをかく乱するための物かもしれないし、接点が無い上に相手が本物の十二英雄であれば俺はいとも容易く捻じ伏せられるだろう。

 だが、俺の警戒を他所に彼女はゆっくりと手を伸ばし、腕を隠している服の袖を引っ張った。それを見て、俺は警戒を強めると共に驚いてしまう。それは、キリングとの授業で聞いた「身体に刻印を入れる事で詠唱等を省略し、動作のみで魔法を発動する」というものに見えたからだ。

 俺は大なり小なり、発動したい魔法名を口にしなければならない、それはカティアも同じだ。けれども、彼女にはそれすら必要ない。指を鳴らすだけで刻印で定めた魔法を即時発動する事が出来る。その魔法が何であれ、規模が大きかろうとも問題ない。それが魔法を動作のみで発動するために刻み込んだ物であり、俺が街中でぶっ放したような周囲の建物を倒壊させつつ相手を爆発でミンチにし、爆風で吹き飛ばし、衝撃波で五感を狂わせ鼓膜を破壊し、炎で焼き尽くし、破壊と言う破壊を撒き散らせる。十二英雄、宗教となりうるくらいに語られ戦っていたのだからそれくらい出来るのだろう。

 彼女が”カミカゼ”であったなら、デルブルグ家どころかヴァレリオ家、ヴォルフェンシュタインの三家の主要な人物全員を抹殺できてしまう。けれども、それと今の行動がかみ合わずに戸惑ってしまった。


「――何もしないわ。本当よ」

「その腕は、魔法のための?」

「――そう。右腕と左腕、それぞれに違う魔法の刻印が刻まれている。

 ――右手は無の魔法のエクスプロージョン、左手には空間転移のテレポート。――あと、背中と、お腹と、右足と、左足」


 聞いていて、何故だか悲しくなった。そこまでしなければならなかった時代であったという事と、そうまでしないと勝てなかったという境遇が思い浮かぶ。それとは別に、ロビンの言っていた「本当は十四人」と言うのと「都合によって歴史ですら改竄する」と言うのを思い出してしまった。


「その刻印は、自分で?」

「――ええ、そう。そうでもしないと、戦えなかったから」

「……そっか」

「――気持ち悪いでしょ。体中こんな模様だらけで」

「いや。僕は……敬意を表するよ。自分を削ってまで誰かの為に戦って、そうやって勝ったんだから」


 ……ロビンやマリーは、英雄や正義の味方は救われないと言っていた。どれだけ頑張っても責任ばかりが増えて、救う事を求められ強いられて、失敗すれば勝手に非難中傷されて失望され、本人は救われる事無く助ける度に自己を削って傷だらけになっていく。その言葉を俺はゲームや漫画を通して触れ、そして自衛隊に入ってから理解する事になる。


「――そう言ってくれたのは、仲間以外では貴方だけ」

「そう?」

「――ええ、そう」

「……とりあえずさ。敵対行動を取らないのなら椅子に座りなよ。そこに座ってると気分と気持ちは良いかもしれないけど、人目につくから」


 窓際にいるよりも風を全身で浴びる事が出来て気分は爽快だろう。けれども、そこに座っていると窓から身体を乗り出して周囲を見られたり庭に誰か居た場合視認されてしまう恐れがある。だから俺は座るようにと勧めたのだが、彼女は落ち込むような、或いは力が抜けたような感じで首をかしげた。


「――私、今視認されないから」

「いやいや、待ってよ。じゃあ何で僕には見えてるのさ」

「――それは、その片目の影響。貴方のその紅い目が、私が自分にかけている幻視、幻惑系の魔法を無視して私を見てるから」

「――……何の事かな」


 慌てて片目を抑えてしまいそうになるが、それを無視して俺は開いているグラスに自酌でワインを注いで飲んだ。普段の俺だったら「え!?」とか言って目を抑えていただろう、スイッチが入っていて良かった。じゃ無ければ、相手を利していた。

 だが、彼女はそっと息を吐いた。そして窓枠から降りて気だるそうに歩いて俺に手を伸ばし、指差した。一瞬身構えて回避行動を取るべきか迷ったが、それよりも先に彼女は口を開く。


「――私も、本当の貴方が見える。黒っぽい茶色の髪の色をしている貴方が」

「……なるほど。こりゃ、言い繕っても無駄かな。降参だ」


 そもそも魔女と呼ばれる人物に魔法で勝負しても敵わない。何らかの手段、或いは方法を以って彼女は俺の誤認魔法を無効化して見て居るのだろう。誤魔化しても無理だ、となると彼女には俺がクラインに見えていないと言う事になる。


「今日の目的は、その事実確認って所か?」

「――前会った時に、私はもう知ってた」

「じゃあ、ニコル……。シャルダン家もそれを知ってると言う事か」


 まあ、当然そう考えるのが自然だと思う。俺がクライン……デルブルグ家の第一子ではないというと言う事が分かっていれば、狙う理由は無くなる。逆にそれを利用して情報工作だの喧伝だのが出来るので、俺の存在そのものや演じている事自体がマイナスになりかねない。

 演じているときはしない眉を寄せて顰めた表情で、幾らか口端が引きつってしまうが、彼女はフルフルと力なく横へと首を振った。


「――いいえ。誰にも言ってない」

「……は?」


 だが、俺の予想に反した返事だけが待っていた。それが理解できず、思考が空転してしまった。利用できる材料であるからこそ既に伝えられ、現在進行形でそれをどのように使ってデルブルグ家に対して攻撃だの口撃をしようと画策していると考えるのが筋なのに……。


「何で?」

「――人間同士で争うなんて、馬鹿げてるから。それと――何でそんな事をしているのか知って、この情報を伝えると余計な混乱が起こるのは目に見えてるから」

「それは主人である伯爵を裏切るような行為だと思うが」

「――別に。目的が何であっても、その意図を挫けて大人しくなれば誰も傷つかない。

 ――私は、下らない事の為に戦いたくない」

「下らない、下らないね……。そもそも使い魔って言うのは主人に仕えるためのものじゃ無かったのか? かつて魔王と人類がその存亡を賭けた戦いで、過去の英雄を召還するために行使したとかなんとか」

「――その認識が、まず間違い」


 そう言って、彼女は席に着いた。そして周囲をキョロキョロと見て、ある一点でその目線が止まった。そこにあるのは簡易ティーセット。魔法で水を出し、魔法で火を出してそれを沸かし、手間も材料も関係無しにお茶が飲めると言うものだ。評価は半々で、その手軽さを好む貴族も居れば、そんなものはお茶ではないと鼻で笑う人も居るのだが――


「お茶、飲む?」

「――ええ、いただけるのなら」

「それじゃ、少しだけ待っててくれ」


 俺は彼女に対してお茶の用意をする傍らで、どう評価して良いか分からなくなっていた。本当に敵意が無いのかどうかを判断するにはまだ早いだろうけれども、手の内を全て曝け出したり、自分の主人のやろうとしている事を暴露したり、何の用も無しに訪れたりとまるで意味が分からない。


「あまり質の良いお茶じゃないだろうけど、それは勘弁してくれるか?」

「――いい。不味くなければ、一緒だから」

「そう。なら遠慮なく」


 水を汲む必要も薪から火を熾す必要も無いのだが、水をお湯にするために火を出し続けている間は身動きが取れないのは辛い所だ。一応視界に彼女を収めて警戒はしていたが、彼女は椅子に座ったままコックリコックリと舟を漕いでいる。目の下の隈は睡眠不足から来ていると彼女は言っていたが、どうやら本当のようだ。だが、あそこまで目の下に隈が出来るまで睡眠不足になるだなんて、どれだけ寝ていないのか気になった。


「うまく眠れないって言っていたけれども、その理由を聞いても?」

「――私の大事な人を、目の前で失ったの。その時の光景が、今でも眠ると繰り返されるから」

「心的外傷後ストレス障害、かな……」


 緑本で確か読んだし、それに関して座学も受けた記憶がある。健全な精神状態から、ストレスや精神疲労などで疲弊して行ったり、或いは大きなショックを受けるような事柄で復帰できないような状態だったか。苛酷な環境、不眠不休での活動、困難な活動や状況。それとは別に――惨事ストレス、死を目の当たりにするという事も含まれる。それが見知らぬ人であっても含まれるし、身近な人であればあるほどダメージはでかい。俺は両親の死は遠隔的に知ったから、ただショックを受けただけに過ぎないのだろうが……。


「――”しんてき”……?」

「心に傷を負って、その傷が治ってないと言うのが伝わりやすいか……。

 本来百あった心の体力が、傷ついてかなり低い状態のまま回復できないって事。

 それは時間が癒してくれる事もあれば、ずっと抱えていかなきゃいけない事もある、目に見えない傷なんだ」

「――色々知ってるのね」

「俺の居た場所では既に確立した一つの医学、学術の一つでもあるから」

「――ジェイ、パン……」

「ジャパンだけど。あれか、心の中まで読まれるのか……」


 日本の事を考えたが、曖昧ではあれどもその発音を読まれるとは思ってなかった。あまり迂闊な事を考えられないなと思いながらお茶の用意が出来、それを彼女へと差し出した。机に置かれたカップを見て、顔を寄せて匂いを嗅ぐ。まるで見慣れぬものを警戒する猫のようだ。だが、少しの時間をかけて手を出した彼女はお茶を飲むと、ため息を吐く。


「――ダメね。伯爵の家で飲んだのに比べると、中の下くらい」

「悪かったな」

「――けど、昔を思い出すから……好き」


 きっと、彼女の本音なのだろう。今は伯爵の家で使い魔として存在しているが、遠い昔ではそんな贅沢が出来なかったのだろう。戦いに次ぐ戦いの日々、戦いが終われば復興への日常。落ち着いてお茶を飲むだなんて事も出来ず、飲めたとしても即興の出来あわせだろう。戦いのための休息、高望みが出来なかったのだろう。


「それで、さっき言ってた使い魔召還に対する認識が違うって言うのは?」

「――本来は、英雄や傑物とかを呼び出して人類の存続に関わる事を回避するためのもの。

 だから――私たちが呼ばれると言う事は、その為に戦う事が目的。なのに、人類同士で戦うだなんて間違ってる」

「……待ってくれ。それって、現在進行形で人類の危機が迫ってるって事なのか?」

「――分からない。その時期が何時来るかだなんて、けれども、その時が近いのは呼ばれたからには明白」


 使い魔は居た方が箔がつく。むしろ居た方が格上と言う認識は誤っていたと言う事なのだろう。公爵夫人も昔は居たとか言っていたし、居ても居なくても絶対的な侮蔑や羨望にはならないのだろうが、その認識自体が間違っていたのだろう。


「――長い歴史の中で、都合よく意味が変わったの。歪んだのか、歪められたのかは分からないけど」

「はは。まったく、人間ってのは……」

「『くだらねー』わよね」


 言わずに飲み込んだ所を、マリーに言われて驚く。しかし、ロビンも知っていたのだから彼女も知っていて当然か。何せ同じ十二英雄の一人な訳で、同じ仲間が居たのだから。


「仲間の一人がそう言ってたのか?」

「――ええ。私が大事にしていて、死んでしまった人の口癖。

 人の醜さを知ってて、人の愚かさと自分達が使い捨てられる英雄だと言いながらも救わずに居られなかった、皮肉屋。

 ……それでも、常に皆を引っ張ってくれた、常に皆の前で戦ってくれた。そして、一番傷ついてた」

「――……、」


 ロビンが言っていた。一人は魔王と相打ちになって自身の存在が抹消されたと、その抹消のされ方がどういったものなのかは分からないけれども、あまり踏み込まない方が良いだろう。

 俺はワインを、彼女はお茶を飲む。沈黙が暫く降りてきたが、あまり痛くない沈黙だった。会話の中で存在する話題転換のための時間とでも言おうか、変に言葉を投げかけると互いに引きずってしまうが故に会話がうまくいかない可能性がある。一息入れる、お口直しにも近い時間ではあったが、俺も彼女も飲み物を口にしていても場は持たせられたようだ。


「そういや俺、名乗ってなかったよな」

「――ええ、聞いてないわね」

「それじゃあ、あんまり大きな声じゃ言えないけれども、ヤクモって言うんだ。現在はデルブルグ家の娘さんに仕えていて、住まいも家族も身内も無し。魔法も歴史も剣技も学び始めたばかりだけれども、とりあえずは勉強中といった所かな」

「――ええ、知ってる。確か、英雄と言われていて、幾らかの人を助けたとも聞いてる。

 凄いわね」

「あぁ、えっと。こそばゆいから止めてくれ」


 本当ならあの時死んでいたのだから。そんな事を考えていると、彼女はやはり少し首を動かして、幾らか考え込んだようだが――


「――女神、アーニャの加護ね」

「そこまで分かるのか、凄いな」

「――別に。それに、存亡の危機が来る前に世界を創造したと言われる神の名前がアーニャで、それが歴史ごと忘れられただけだから」

「あぁ、人類存亡の危機ね」


 どうやら大分魔王との戦いは歴史に影響を与えたようだ。世界創造神に関してはアーニャが引き継ぐ前は当時管理を任されていた人物の名前だったとか。それを違和感無く書き換えられるのは女神の特権なのか、それとも歴史ごと忘れ去られたが故にやりやすかったのか。

 

「こうやってると、敵対するかもしれない間柄とは到底思えないな。もしかするとその時が来たら戦うかもしれないのに」

「――大丈夫。強制されない限り、私は戦わないから。けど、使い魔である以上強制されたら意志とは関係無しに戦わなきゃいけないから、楽観視しないで」

「……そうだな」

「――もし、私と敵対して、殺しあう事になっても、躊躇しないで。私は殺されても、どうせ戻るだけだから。次は何時呼び出されるかは分からないけど、それまで眠るだけ」


 ハッキリと、彼女は断じた。その可能性は考えなかったわけじゃない、使い魔である以上強制する事が出来ると使い魔時代にミラノに言われているし、その強制力は本人が忌避する事ですら命令する事が出来ると言う。

 ――俺は、そういう意味では幸いだろう。ミラノに何も強いられること無く、自分で考え行動できたのだから。そしてその恐ろしさを知る事になるだろう、十二英雄として謳われる人物の一人が強制されて立ちはだかるのだから。

 俺が行使したあの魔法ですら五段階のランクの中で何段階目かすら分かっていない。あれがもし四段階目だとしたら? マリーは全ての属性において五ランク目の魔法を行使できるとしたら? その時俺の周囲にミラノやアリア、カティアが居たら? 最悪を想定すればするほどに勝ち目が見えなくなってくる。

 ワインを自酌し、一気飲みでグラスを空にして頭を抱えた。目の前に居る幾らか友好的な相手が、足元にも及ばない相手である可能性が高いのだから。


「Think, think, think... I can do it, I can do it better, Ican fix it,

Think it, think...」


 目的が分からないけれども、彼女が何であってもデルブルグ家に対して何を成そうとしているかで考えは変わってくる。可能性が低い物として、デルブルグ家の根絶。そんな事をすれば他家や王家が黙ってはいないだろう。何せ正当性が無い上に十二英雄の直属子孫だ。最悪神聖フランツ帝国も噛んでくる、差し出されれば二国から挟み撃ちで未来は無い。現実的なものとして暗殺や誘拐だが、目的が分からない以上はその線で考えて行動した方が安全かもしれない。三つ目、強請りや何かしらの権利を脅し取る方向だが――公爵も十二英雄の一人を保持している上に、その事は公の場で報告されてるので、アドバンテージにはなりにくい。

 となると、何かしらの混乱に乗じるとか、そういった方向だろうか。混乱の場にマリーを送り込み、その強大な魔法で様々な物をなぎ倒し、誰もが状況を把握出来ないうちに目的を果たす。それを考えると目に見えている事でその可能性があるのは軍事演習、だろうか。人数が多い上に、演習とは言え軍事行動である以上敵味方入り混じるので平常ではない。魔法が飛び交って喧しいだろう、矢が飛び交うかは分からないが、騎兵や槍兵、歩兵だのも動き回るだろうし、交戦開始したならばもはや誰もが周囲を注意深く確認する事も無い。

 そうやって思考しまくっていると、ちょんちょんと突かれた。ふと見れば、マリーがこちらを見て居る。


「――目的と決行日、分かったら教える。それと、もし私と戦う事になったときの為に、シールドやバリアー、高望みするならマジックキャンセルを覚えておいて。私は魔法でのみ戦う英雄だから、それを覚えてるだけで優位に立てる。後はこれを持っていて」

「これ?」


 彼女が俺に差し出したのは、一枚の金属板だった。それは俺が首から提げているドッグタグ、個人認識板と似たような形状をしている。ただ、本来であれば名前と認識番号と血液型等が刻印されているスペースには模様だの文字だのが刻まれているが、そのどれも俺には理解できなかった。


「――お守り。一度だけ、貴方を救ってくれる筈だから」

「待ってくれ。あんたが――」

「――マリー」

「……マリーが、戦いを望まない事も、その為にこちらに情報を流したり肩入れをしてくれる事は何と無く分かる。けど、俺じゃなくてもいいじゃないか。公爵に伝えれば一番手っ取り早いし、取れる対策も俺個人じゃどうにか出来ない事だってどうにか出来るかも知れない。

 なんで――なんで俺なんだ」


 正直、俺も無関係ではないから「窓口はあちらになりま~す」みたいな対応は出来ない。けれども、無関係ではないけれども関係者の中で言えば端っこも端っこ。兵隊Aくらいの扱いでしかないはずなのに、何故窓口みたいになっている上に責任だけドシドシ乗っかってくるのか。俺に相談されても動かせるのはカティアだけだし、お願いしてようやくミラノやアリアなどだ。状況によってアルバートとグリムも助けてくれるかもしれないし味方についてくれるかもしれないが、そこまでだ。公爵はその身分や立場上兵を動かしてまで俺の荒唐無稽な事を支援してくれるとは思えない。兵士を動かすのもタダではないのだから。

 だが、マリーは弱く首を横に振る。そして溢すように告げる。


「――貴方が一番適任」

「その理由は?」

「――勘」

「そりゃまた、大雑把な理由なこって……」


 だが、宗教のように祀られるているくらいの十二英雄なのだから、その勘とやらも馬鹿にならないだろう、勘と言うのは、分解してみれば経験や体験、知識などで裏打ちされた物である事が多い。俺はただの一度実戦を体験しただけの新兵だが、彼女は数多の戦いを乗り越えた英雄なのだから軽視できない。となれば、事情は何であれ幾らか信じてもいいだろう。

 だが、そこまで話をして彼女の頭の揺れが大きくなった。この前町中で会った時は転んだりしていたし、今回ほど落ち着いた接触じゃなかったが――どうやら不眠に負けかけているようだ。ため息を吐き、背後のベッドを指差した。


「眠いなら少し寝ていけば良い。起きたら勝手に帰れば良いし」

「――大丈夫、まだ……大丈夫」

「大丈夫に見えないんだが。そんなにウトウトしてて大丈夫と言われても信じられないっての」

「――寝込みは――」

「寝込みは襲わないし、あと数刻は起きてるから眠れるだけ寝とけって。もし誰か来ても追い返すし、最悪椅子で寝るから良いよ」

「――そう。ねえ、ベッドまで運んで」


 そう言って彼女は抱っこをせがむ様に両手を伸ばした。俺はどうしてこうも言葉に出来ない”悪寒”の走る事柄が、まるで放送局のヤクザ集金のように体当たりして殴ってくるのだろうか。言葉に出来ない何かを飲み込み、仕方がないと彼女に近寄り抱きかかえた。髪の毛が長く、ローブだの帽子だのと重厚そうな衣類を身に纏っているが、カティアよりも幾らか”外見どおり”の重さしかないんだなとベッドまで運びながら思った。

 俺に抱っこされながら彼女は俺の顔を見ていたが、一秒毎にその目がとろけていき、ベッドに辿り着く十歩の内に夢の世界へと旅立ったようであった。片腕で掛け布団をめくり、帽子やローブを外して傍においてから寝かしつけると、俺はカティアにそうしたように頭を数度ポンポンと撫でた。

 眠れないと言っていた彼女であったが、ベッドに入ってから何度か痙攣するように震えていたが、フラッシュバックしているのかもしれない。布団に埋もれて消えたが、寝言を言っているようにも聞こえた。ただ、それを詮索したいとは思えず、俺は今まで飲んでいたワインが空になると、ストレージからアルバートに以前貰ったワインを取り出してそれを追加で飲む事にした。


   ~ ☆ ~ 


  ――腕時計や聞きなれた時間で言うのであれば、1914――午後七時十四分になった。飲み始めて間もない時間にマリーが来たとは言え、三十分近く話し込んでいたようだ。アルバートがどうやらキリングに魔法を教わるらしく、それで芋づる式にエクスフレアやグリムが引っ張られ、カティアとアリアが頼み込んで一緒に学ぶ事になった。内容は今日の復習だろうが、それでも交流含めて無価値ではない。その為食事が早く終了して、早い時間ではあるものの部屋に戻れたと言うわけである。

 そろそろ大丈夫かなと、俺はフレンドリストからクラインの名前を眺めていると、相手側からチャット《無声通話》が発信されてきたのを確認した。


『やあ、こんばんわ』


 そして、実際にはそこにいない人物の声が俺の耳に届く。相手はクライン、本当のデルブルグ家の第一子にして跡継ぎである人物だ。姿形が完全に一致していて、ただ違うのは生き様と思考と髪や目の色だけ。なのに、どうやら発言の何割かはクラインと俺で被っている事が多いらしく、似ている誰かと言うよりも”別世界の自分”と言う認識をしたほうが分かりやすいとアーニャに言われた。

 チャットは声を出さなくとも、そのまま普段の会話をしているような感じで行えるので気安くていい。しかも”伝えたい事”と”思考”は別々で送受信されるので思考が駄々漏れと言う事も無い。


『食事や検診は済んだのか?』

『うん。僕はもう屋敷に戻っても良いみたいだよ、ラムセスのお墨付きでね。普通じゃ考えられないほど回復が早いって』

『たぶん、飲ませた特効薬の影響だと思うけど。悪影響や副作用は? 違和感とか有るなら先に言っておいてくれ』

『特に無いよ。むしろ僕が驚いてるくらいなんだ。病み上がりからの復帰を想定した運動をしてるんだけど、今じゃもう馬を乗り回しても問題が無いくらいに回復してるんだ。

 ――あぁ、えっと。昨日、剣の素振りをしてたら木に剣が半分くらいめり込んじゃったり、ちょっと全力で走ってみようかなって思ったら蹴った地面が抉れちゃったり……かな?』

『それ、日常生活に支障が出るよな……』


 そう言えば身体能力に補正が出るとか、そんな感じの効果が有った気がする。想像していたのでは、内臓器官などが弱っているだろうからその補強程度に考えていたのだけれども、どうやら素の身体能力が向上してしまったようだ。

 それに関してはもう我慢してもらうしかない。”じゃあ死んだ方が良かったな”という結論を出すような状況でもないし、甘んじて受け入れてもらうしかない。


『まあ、受け入れてくれ』

『うん、受け入れるよ。これくらいの不具合、受け入れて僕は家に帰る。そしてこれが僕の強みであり武器となるように制御していくつもりだから、むしろ感謝したいくらいさ』

『元気そうで未来の展望が見えているのは何より。ただ、その力の使い道を間違えないで欲しい。

 我欲や私利私欲の為に使って欲しくない』

『それは、君に誓ってそんな事をしない。家族の為に、妹達の為に、そして――君の為にも、この力を使うと約束する。

 ――そういえば今回の件で何かお礼は出たのかな?』

『いや、まだ出てないけど』

『それは良くないね……。うん、良くない。信賞必罰、功に報いないと誰も付いてきてくれないって言ってたのになあ、良くないなあ』


 クラインの表情は見えないけれども、どこかヒヤリとするような声音だった。そう言えばこいつはミラノの為に単身突撃して、重傷を負ったけれどもその目的は果たしている。正義の徒と言えば聞こえは良いが、裏を返せばその分余り余った行動力や突き抜けた思想や思考があると言うわけだ。

 誤魔化すように、俺は慌てて付け足す。


『ああ、いや。今回の件が済んだら、頼みたい事があるからそれで良いと思ってる』

『へえ、どんな?』

『家が欲しいなって。護るべき場所、帰る事ができる場所、自分が自分でいられる場所――。

 今の俺には私物も無いし、なんと言うか……思い出が有っても、何処かに行ってもその記憶ですら形として、目に見えるものとして蓄えられないのは寂しいなと思ってね』

『成る程ね。けど、合理的かつ妥当だと思うよ。君が妹達を護ってくれてるのは有り難く思うけれども、息抜きや気の抜ける時間や場所は必要だと思う。

 父さんもその程度なら納得して頷いてくれるはず。それに、君は妹達だけじゃなくて僕も助けてくれた、家を救ってくれた、そして今は父さんの我侭を聞いてくれている。それくらいを叶えてくれないのなら、正しい事をしても報いられないのなら――未来は無いよ』


 クラインの言葉は幾らか重く聞こえたが、そもそもそれを俺も何処かで吐いた気がする。考えようによっては自慰行為のように思えるのだが、生き方は違えども、差異はあろうとも似たような存在になると言うことなのかもしれない。


『けど、父さんが先に見返りの話をしなかったのは意外だなあ。ヴァレリオ家の当主もそうだけど、今回は急な場面じゃないから先に褒賞の約束をしていてもおかしくなかいんだけどね。

 或いは、言い出すのを躊躇するような物なのかな』

『言い出すのを躊躇う様な報酬を出されても俺は困るっての。一家の大事を救った功績を持って、準男爵の爵位に任ずるとか?』

『もしかすると男爵まで行ったりしてね。領地を持たない貴族としては一番上の階級だし、もし父さんが自由に出来る権力の中で最大限報いるとしたら――子爵飛ばして伯爵位かな』

『謹んでお断りさせていただきます!』


 名誉貴族だの領地を持たぬ貴族だので有れば面倒くさいなと思いながらもまだ許容できるが、子爵だの伯爵だのとなってしまうと領地が付いてきてしまう。やだよ、めんどくさいよ。なんで家が欲しいと言う願いの筈が「それじゃあ領地もあげるね」となってしまうのか。おかしいねえ、何でいきなり中隊長クラスに昇任してしまうのか。まだ三曹にもなった事が無いのに、ヘビーすぎる。


『普通、偉くなりすぎても良い事は無い。公爵も、権力の分譲のような形でクラインに兵の指揮や領地運営に噛ませて行って、時が来たら当主の座を明け渡すだろうし。それと同じように、俺にも段階的な経験の積み重ねがしたいし、認められた爵位の叙任じゃなけりゃ反発必至だからそれも避けたい。

 クラインが戻ってきた時、息子に似ているから贔屓をしているのじゃないかと言う噂が出かねないし、それも避けないといけない』


 半分本当、半分嘘。正直面倒くさいけれども、本当に切羽詰ったら経験とか教育機関とか言ってられないのが現実だろう。戦いになれば次に偉い人が指揮を受け継いで戦いを継続するのもそうだし、当主がやられたら時期当主であるクラインが後をつがなければならないのと同じだ。当然、そうなれば経験がどうとか、何も分からないとか言ってられない。分からないなりに助言を聞いたりしなければやっていかなければならないだろう事は明白なので、俺の言は状況が状況であるが故に許されるような物であった。


『確かにね。君の言う事はもっともだと思う。僕に分からない事が沢山あるように、君にも分からない事が沢山ある訳だし、お互いそれを埋めていかないと』

『お互いとか言ってるけど、勝手に俺がこの国で骨を埋めると決め付けないで欲しい。

 確かに世話になったりしてるけど、だからと言って危機的状況に陥っても身体を張って死んでやるとは言ってない』

『さあ、どうかな。何と無くだけど、君も押し付けられるのにはとりあえず反発する癖があるんじゃない?』


 クラインにそう言われて「そんな事ない」って言いかけたが、止めた。自分と言い争っているような気がして、負けずとも勝てる気もしない。不毛すぎるだろうし、何よりも俺も自分が決め付けられるととりあえず反発してしまうと言う精神を持っているのを理解していた。どこでそんな精神を身につけたのだろうかと考えてしまったが、自衛隊で先輩とかに色々言われて「いや、待ってくださいよ!」と言う状況が多かったからかもしれない。少なくとも成人雑誌を一冊も所有しておらず、風俗にも行った事が無いからと「デッドボール行こうぜ!」と言われたら叫びたくもなる。なお、ブス専だとかなんとか、行ってたら自殺ものだ。


『君も、って事はお前もそうなのか』

『あぁ、えっと……。あはは、そう、かな? ヤゴに振り回されることも多かったし、君が会ったオルバとのやり取りで色々言われる事が多くて、反発する癖が出来ちゃったみたいでね。

 けど、無理とか出来ないとか言われたら反発したくなるのは悪い事かな?』

『いや、他人に自分の事や自分の限界を決め付けられるのは反発したくもなる。まだ出来る事があるかもしれない、考えたら出来なかった事も出来るようになるかもしれない、他の事を学んでいたら応用で出来るようになるかもしれない、今は理解できなくても時間が解決してくれるかもしれない――。

 価値を決め付けられるのは、嫌いだ』

『それは同意だね』


 そう言って、クラインからのチャットが一時途絶える。他の事をしているのか、或いはラムセスと会話でもしているのかもしれない。俺はその間にワインボトルを掴んで直飲みをしてから、マリーの様子を見に行った。布団が震えていて、寝ている筈なのに彼女は何かを呟いている。


「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」

「――……、」


 実年齢は分からないけれども、外見的には同い年か少し年上くらいだ。あ、いや。俺の中身は三十近かったから、どっちにしろ年下か……。

 そんな彼女が、全身に魔法の簡略化の為に刺青だらけにし、目の下に隈を蓄えて眠れないと言っている。戦いなんて、本当は無ければいいのだ。誰も争わない、沢山の人が苦しまないで済むのなら、その方が良い。けれども、護らなければならない物が有るから、戦わなきゃいけない。誰だってそうだ。

 奪うために戦う者もいれば、護るために戦う――その槍玉が、俺たちだったはずだ。だからと言って、傷ついたままで良い訳じゃない。少なくとも嘘偽りでなければ、彼女は自分の地位を危うくしてまで俺達の為に情報提供をしてくれたのだ。少なくとも”その他大勢”では無くなった、だから気になってしまう。

 妹が幼い頃、自分だってまだ小学生だったけれども、家を空けがちで怖がりだった妹を寝かしつけるためによく頭を撫でていた。だからその癖で、頭を撫でた。


「大丈夫、大丈夫……」


 それは、本当は俺が言って欲しかった言葉かもしれない。大丈夫、大丈夫と言う事は多かったけれども、言われる事は無かった。英雄は与える者であり、与えられる物ではない……ある意味正しいのかもしれない。けれども、俺はロビンのようにそれを受け入れられるような強さが、まだ無い。

 なれるだろうか? なったとしたらそれは死してなお誇れる物だろうか? とある作品でも言っていたが、正義の味方や英雄と言うのは他人の不幸を餌として成長し輝く――唾棄すべき存在だ。結果的にそうなる事は、仕方の無い事だ。なぜなら既に発生している大きな不幸と多くの不幸に立ち向かった結果、そう呼ばれるのだから。だから、俺は間違っている、思い切り間違っている。

 ――英雄となれば、正義の味方となれば胸を張って死ねるのではないかと。過程と結果を間違えているのだから。そして傲慢なのだ、この前の成功ですら”たまたま”なのだ。それを忘れて”次もうまくいくだろう”と考える事は思考停止にも等しい愚考。うまくいく保障は誰がしてくれるんだ? むしろうまくいかない事の方が多いのだから偶然に期待して何もしないのは馬鹿げている。

 だから、俺には英雄である彼女達に憧れる事は出来てもなる事は出来ないのだ。そうじゃなければ、ダメなんだ。


「――ん」


 先程まで謝罪を繰り返していたマリーだったが、頭を撫でるとそれも収まったようだ。だが、ここまで熟睡していると俺の寝床が無くなってしまう。キングサイズだかダブルだか知らないけれども、二人で寝れるサイズのベッドでは有るが、流石に女性の寝ているベッドで何の感情も感慨も無しに眠るだなんて事は自分のためにも彼女のためにも出来ない。

 机で寝落ちた事にするかなと、着替えないでそのまま酒盛りを続行する事にした。


『ごめんごめん、ラムセスと話をしてたんだ。屋敷に戻る日程とその準備で、色々ね』


 席についてまたワインに口をつけていると、クラインの方からチャットが来た。どうやらそう遠くないうちにクラインたちもこちらに来られそうだ、俺の肩に乗った荷も降ろせるので安堵する。


『父さん宛に既に手紙を出してるから、数日中にはいけると思うよ』

『数日――。参ったな、それじゃあ軍事演習には代理参加しないといけないわけか』

『可及的速やかに、僕も直接見たいから間に合うように行動する』


 こいつ、なんて逞しい……。自分も見たいからと急ぐってどういう理屈だろうか? せめて「君の負担を一日でも早く解消しないと」くらい言ってほしかったが、俺も軍事演習に惹かれるところがあるので言い出せなかった。総合火力演習とか客観的に見た事が無いし、どう見られているのか、どう見えるのかなんて気になるのと同じだ。

 それに、今の俺にはこの世界での戦い……戦闘、戦争と言う物がどういった形態や形式、編成で行われているのかなんて分かりやしない。ツアル皇国では魔法使いは戦闘を切るというが、ヴィスコンティでは後ろに居るのだとか。とにかく、何も分からないので早く知識を仕入れたいのである。流石に軍事とかは機密や秘密に当たるので書類だの資料だのを目にすることは叶わないが、当日はクラインの代理とは言え息子として場に加わるのだから、そこから幾らでも推測や憶測も出来ると言うわけだ。


『もし始まる時間に遅れても、僕は乗り込むよ』

『はは、土壇場で真打登場とまさかの影武者だったのが暴露か。それは良い。

 敵味方関係無しに驚かせる事が出来て楽しそうだ』

『少なくとも兵士の士気は高まるんじゃないかな? なんてったって、名前だけなら売れてるみたいだし』

『言ってろ。それよりも幼くして無の魔法を独学で学び、行使していた跡継ぎが戻ってきた方が皆喜ぶ』

『あ、いや、それは――。誰が言ったのかな? そんな事』

『オルバとか、ミラノとか』

『まいったな……』


 クライン、別世界の俺と言っても過言じゃない相手。価値観や育ちが違うけれども、やはりどこか同一人物だと強く認識させられる事は少なくない。だから、まるで一人語りをしているかのように話は進む、それこそ皮肉や強がりを幾らか交えながら。

 そういえば、同一人物であっても性別が合致するのは必然なのか、それとも偶然なのか。気になる、気にならないという事はない。もしかすると俺と同じ存在でありながら女性であった可能性も有りえた訳で、それはそれで気になった。

 だが――


   ――私を騙すなんて、いい根性してるじゃん……――


 なんだか、それはそれで嫌な記憶が掘り起こされそうだ。


   ――我を謀る等、良い根性をしているな……――


 こう、なんと言うか……。性格で言うと、似通った人物が俺の近くにも居たような、居なかったような……。妹? いや、妹はそこまで攻撃的じゃなかったような。あと少しで思い出せそうな気がするけれども、中々顔が出てこない。

 ただ、アルバートを連想したのは確かだ。と言うことは、俺は忘れてしまった誰かをアルバートに被せていて、その結果喧嘩を売られようが何をされようがほっとけなかったのかも知れない。それに、思い出せないって事はあまり接点が無かったのだろう。或いは、俺が接点はそれなりにあったけれども俺個人の観点から一方的に重要度が低く設定されて忘却されたか。

 プラスであれマイナスであれ、印象深い事があれば忘れないのだから。好意、憎悪、愛情、嫉妬――なんでも。それが無いのなら、きっと何も無かったんだと思う。




   ――アンタは、ただ正しいと思ったことをしてるだけだもんね――




 けれども、アルバートに似ている人物は誰だったかなと考えていると、心に刺さった言葉を思い出してしまった。今でもその言葉の意味は分からない、けれども胸がざわつくから聞いていたいとは思わない。

 だが、その言葉を思い出すと表情が思い出される。そして表情から、ゆっくりとそれが誰だったのかを思い出した。


「……冴島、はるか。そうだ、そんな名前だったな」


 少しずつ、忘れていた事が思い出される。そうだ、そんな名前だった。父親と同じ仕事をしている親しい間柄の相手の、娘。俺はハーフだが、彼女は純粋な日本人だった。まるで追いかけっこのように俺たちの一家が転勤をすると、数年遅れて家族ぐるみで転勤でやってくる。そんな印象だった。

 幼稚園の頃から、か。それから高校を卒業して自衛隊に入るまでは、何だかんだ幼馴染のように、或いは気安い友人のような存在で、学校でもよく一緒だった気がするが――。晩年、と言うか自衛隊に入ってからはあってない気がする。だが、そうだな。アルバートと一緒に居て色々やっている時や、夜の飲み会に似たような事はしていたのだから、もしかすると同位体なのかも知れない。


『どうしたの?』


 思考しながら、片手間のように雑談していたが、途中で会話が途絶えた事をクラインが不思議に思ったらしい。俺は直ぐに「考え事」と言い返しながら、ワインの最後の一杯を注ぎ、一息にグラスを飲み干した。大分良い気分になってきたし、飲むべき酒が無くなったらやる事が無くなって眠くなってきた。


『そろそろ眠たくなってきたし、疲れたから俺は寝るよ』

『あぁ、うん。そうだね。早めに休んで、明日に備えてね。僕も、早いけど休んでおくよ。

 お休み』

『――お休み』


 自分に似た声、違うのは声色ぐらいだとしてもお休みと言われるのは違和感があった。ただ、昔は当たり前で、そのありがたみを知った誰も居ない時代を経験してから思う。再び失うその苦しみを味わったなら、もっと深い虚無にまで心が沈んでいくんじゃないだろうか。

 今は良い、若返れた事やカティアと言う無条件で付き従う人が”強制的とは言え”存在する。ミラノやアリアがいて、アルバートやグリムが居て。おはよう、おつかれ、おやすみ。そういった挨拶に始まる様々な事柄が、やはり立ち止まれば大切な物だと再確認できる。

 クラインの声が聞こえなくなり、マリーの様子を再確認してから、俺はなんなのか分からなくなってしまった。マリーと敵対する道を選んででも来訪を警戒し誰かを呼ぶでもなく、公爵に対して積極的な情報提供や相談をするわけでもなく。ただただ俺が思う事をしているだけで、傍からみればどっちつかずな蝙蝠だ。


「――家、だな」


 きっと、俺も家を持てばまずはその家を守る事を大事に思うだろう。そこから徐々に国だの政治だの軍備だのに興味を持って、結果として国の事を考える一人の人間になれているに違いない。その時、どれだけ柵や関係を持っているかは分からないけれども、友好的だったり敵対的だったりする人も増えていて、どこかの勢力や派閥に属する事もあるのだろう。

 だが、その時が来るイメージが沸かない。選挙があっても一枚の投票用紙の力が曖昧なように、貴族や魔法使いであれば既に有る程度人生が保障されているようなこの世界で上手くやっていけるのかは良く分からないままだった。

 明日にでも、公爵にクラインの件を踏まえて家が欲しいと言って置こう。下手で厄介な褒美を渡される事にもならないし、手間の削減や時間の圧縮にも繋がる。


「……生きる、生きるって。難しいな」


 机に突っ伏し、色々と考えていると瞬きの度に酔いが回ってきてグラグラして来る。そして徐々に意識が遠ざかっていく、そして現実と非現実の境界線が曖昧になっていく――



 ――悪いけど、俺はお前を信じられない――


 ぼんやりとたゆたう意識の中、マリーに向かってそんな言葉を吐き捨てている自分のイメージが浮かんだ。それは一つの選択だったかもしれない、彼女を信じる事が出来ずに受け入れる事が出来ない自分も居たのかもしれない。

 ただ、イメージなのにやけに鮮明に見える。或いは、その可能性を俺は強く認識していたのかもしれない。むしろ、何故そうしなかったのかを今でも不思議だ。ここで俺が剣を抜き、彼女にトドメを刺す事もできる。しかし、それをしたいと思わない。もし……もしもだ、俺が外道であり私欲に塗れ、自己愛の強い人物であり、或いは所属意識の強い人間であったならば、その選択もあっただろう。

 だが、不本意ではある事をさせられそうになっており、その対象である仮想敵地へと乗り込み、全てを曝け出した上で眠る。そんなの、覚悟が決まっていなければ出来ない。あるいは、それが彼女の誠意の見せ方とか、俺と言う人物を噂だけでそこまで値踏みしているかだ。

 もうちょっと、十二英雄とか、英雄召還に関して学ばなければならないだろう。じゃ無ければ、情報不足によって打破できる状況も打破できず、救える物も救えず、生き延びる事ができる場面でもむざむざ死ぬだけだ。


「……聖書、そういや持ってないんだよな」


 何だかんだ、自分の道徳書であり暇つぶしでもあり人生で迷子になった時の指針になる物。新約聖書だとか、旧約聖書だとか。何度か全部読んだりしているし、日本に来る前に――と言うか、日本のアニメや漫画といった文化に触れる前は、あれが俺の”有るべき姿”だった訳なのだから。

 なお、日本に来てからは様々な漫画やアニメ、ラノベだのだのといった作品に触れて”こう有りたい”というものもできた訳だけれども、理想と現実って奴は必要だと思う。


  ――私はアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。私は、渇く者には、いのちの水の泉から、値なしに飲ませる――


 そうだ、理由なんて要らない。誰かを助けるのに理由なんて要らないように、自分がそうしたいから怪しいかもしれないけれども信じられると……信じるといえる相手を部屋に招き、寝かせていても問題は無いんだ。ただ、そのどちらかにバランスが傾きかけた時に均衡をとるために軽くなってる方へと加勢する様な。

 たぶん、理解されない。けれども何も失いたくないというのなら、自分の全てを差し出さなければきっと上手くいかないだろう。


「本当、生きようとしたら、何も、上手くいかねえ、な――」


 その言葉を発してから、噛み合っていた思考の歯車が外れた。空転する脳と、既に睡眠状態にいる身体。その空転も徐々に回転効率が落ちて、寂び付いた音のようにギギと鳴って、完全に止まった。


「――……、」


 寝落ちた俺に、誰かが近寄ってきたのだが。それを察知するには余りにも疲労と酔いが蓄積しすぎていた。ただ、少しだけ意識が再浮上したけれども、危機感を覚えるよりも先に温もりと安らぎを感じていたのでそのまままた意識は沈み込んでいった。

 歌、歌が聞こえた。その歌は聞き覚えが無い。たどたどしく、どこか下手な気がしたが……それを考える脳みそは、もう起きてはいなかった。

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