40話
精神状態と言うのは、普段から非常事態に至るまで重要な要素である。
時代錯誤な軍隊へのトラウマが激しい左巻きな連中は、まるで兵士を感情や精神的揺らぎの無い殺人マシーンのように捉え、日々嫌っている。しかし、実際はそうじゃない。精神的に追い詰められてとる行動は、D or D……やるか、やられるかのどちらかが多い。暴力行為ならまだ良いとしても、勢いで相手を殺してしまう人もいる。そして逆に部隊へ戻る事無く逃げ出す者もいれば、生きていく事から逃れる人もいる。
さて、それが日常ならまだダメージは少ない。言ってしまえば、非日常の最中に行動をされる事の方が遥かにダメージがでかい。軍隊での事件なんて幾らでもある、それこそ味方の後ろから連射で数名を殺して逃げた兵士が居る、戦闘機を盗んで行方不明になった奴も居る、あまりにも過酷過ぎて隊長が射殺され戦端が崩れた例だってある。
……言い方は悪いが、戦争中の精神状態の悪化による突発的な行動の方が、誰にとっても望まれない結果になりうるのは確かだ。
数日後、公爵が剣の訓練を終えた俺に声をかけてきた。どうやらアルバート達がこちらへ来るようだ。それに合わせて屋敷を出入りする人の数が増えている、どうやら今回の軍事演習に向けて訓練や行動の調整や、物資関連やら何やらで大分慌しくなって来た。
「今日中にはヴァレリオ家の方々や、それに従うヴォルフェンシュタイン家の従者も到着する事になっている。
ヤゴくんにも言ってあるが、今日の乗馬は申し訳ないが短縮するか止めてもらいたい」
「それは――挨拶をしろという事で良いんですか?」
「うむ、そう取ってもらって構わない。流石に土埃や汗に塗れて訓練着のまま出すわけにはいかないからね。前々から決まっていた事だから、それに合わせて貰いたい」
「分かりました。それじゃあ……ヤゴと相談をします」
なお、俺が剣の訓練が終わった後にヤゴはザカリアスによって指摘や追及を受けており、一線を退いたとは言っても後継者としてヤゴを鍛える事を否定的では無いようだ。普段は屋敷を離れる事が出来ない分、こうやって機会が出来たのだから徹底的に鍛え上げるつもりなのだろう。
「ほぎゃ~っ!?」
ヤゴの悲鳴が響き、数mほど高く空中へと打ち上げられていた。それを見た俺と公爵は少し唖然としてから、互いに顔を見合わせる。
「――彼女の訓練が終わってから話しかけます」
「その方が良いだろうね。それじゃあ、私は暫く忙しくしているから、何かあれば伝えるよ。
逆に、私に用事があればロビンの名を呼んでくれて構わない。彼女はどこにでも居る、呼べばきっと現れるだろう」
そう言って公爵は去っていった。彼を見送って暫くしてから、俺はボソリと「ロビン」と言って見た。こんな独り言所か、聞かせる気の無い呼びかけなんて聞こえるわけが無いだろう。そう思って、ある種試すようにやってみた事なのだが――
「よ~ばれ~て、と~びでて~。じゃ~じゃじゃ~ん」
「うわぁっ!?」
耳打ちするかのように顔を近づけて、彼女が真隣に現れた。耳元でくすぐるような声を出された俺は驚くしかない。距離をとってその存在に驚きつつ、魔法で無理矢理感知させた肋骨の痛みを思い出して抑えてしまう。だが、俺の恐怖など関係無さそうな感じで、平坦な表情で「やっほ~」等と挨拶してきた。
「きた」
「来た――じゃ、無いからね? 耳元で囁かれたら驚くからね!?」
「それ、ねらった」
あまりのマイペースさに頭が痛くなる。英雄と言うのは我が強いのか、あるいは特徴的が過ぎるのだろうか? そういえばマリーは身なりが特徴的だったし、表情も凄かった。言動はまともっぽかったけれども、ネガティブにメーターが吹っ切れていて面倒そうだなとは思う。
それに比べてロビンは表情の起伏が平坦すぎて、眠そうなのかそうじゃないのかも分からない。こう、見て居るとグリムを思い出すが、似ているのは表情の起伏と武器が弓と言うくらいだ。それでもグリムの蹴りは助走をつけたとしても俺を部屋の端まで吹き飛ばすほどじゃないだろう。
……アルバートやグリムもそうだが、ミナセやヒュウガは元気にしてるだろうか。クロエさんが死んだとミナセは憔悴しきっていたし、ヒュウガは失踪や殺人騒動の相手と一戦を交えて大怪我をしたと聞いている。ミラノには大見得を切ったけれども、心配じゃないなんてのは嘘だ。あんな――この前会ったマリーのような、絶望しきった顔を見てしまったら心配してしまうに決まっている。
色々考えて居ると頬を指でぷにぷにと突かれる。何事かと思うと、ロビンの顔が近いし、俺の顔をマジマジと見つめられていてどぎまぎしてしまう。
「なにかんがえてるの?」
「え? いや……知り合いの事かな」
一応、ロビンには俺の事は知らされている。本当はヤクモという人物である事、訳あってクラインを演じているということ。そしてそれは秘密にしているので口外しない事も公爵の前で頷いてくれた。なので少し迷ってから、少しだけ内緒話のように話す。
「――学園に居る知り合いが、気になるんだ」
「ど~ゆ~の?」
「ミナセって言うんだけど、何かあったみたいで。ヒュウガも重傷だって聞かされてるから、どうしてるか心配で」
「ふ~ん……」
聞いただけかい。そう思いながら頬を搔くと、再び頬をぷにぷにされる。
「な、なんだよ。やめてよ!?」
「ひとは、かんがえるもだいじょ~ぶ。けど、おもったよりもよわい。
ただ、それだけ」
「それは、慰めたり心配を取り除こうとしてくれてるの?」
「ん? ん~……、ん」
本人でもなぜそんな事を言ったのか理解して無いらしい。ため息を吐きながら、そう言えばと気になる事を尋ねる。
「ロビンは、英雄ってどんなものだと思う?」
「なんで?」
「いや、せっかく英雄と呼ばれる人に会えたんだし。なんか……ヤクモが、そう呼ばれてるから」
「えーゆーは、つよい人。けど、さびしくてかなしいひと。たくさんのひとをたすけるけど、たすけてもらえない人。それでもどこかのだれかの為に、たたかえる人」
言い方は違うけれども、概ねマリーが言った事と同じだった。ただ、マリーが「押し付けられた」って言っているのに対して、ロビンは「英雄とはこんな人だよ」と語ってるのには差がある気がする。それには二人の生き方が違うのだろうか、だから重ねて質問する。
「ロビンは、自分が英雄って呼ばれるのにどんな考えがある?」
「それですくわれる人がいるなら、きにしな~い。人は、なにかにすがりたくなる、すがる事でキボーがもてるなら、それでいい」
「――だね」
ただの肯定的な意見を言われてしまったらどうしようかと思ったが、そうでもなかったので少し安心してしまう。俺には騎士道精神や義務感に駆られた熱血的な事には辟易してしまう。人類が滅亡の聞きなのだから人類総火の玉と化して事に当たれとか、人として生まれどこかに所属している以上それは言われずとも与えられた義務だとか――国枠主義に近いようなものとか、押し付けられた義務は好きじゃない。
マリーの言った事も俺は肯定するし、ロビンの言った事も俺は肯定できる。理想主義に近い考えなのかもしれない、軍人が理想主義なんて本来あってはいけないのだろうが……。
「ロビンと一緒に戦った人たちも、そんな感じの人ばかりなのかな?」
「ひとりだけ、いちばんすごい人がいた。私たちは、ただその人についていっただけ」
「へえ、十二人の中でいちばん強い人が居たの? えっと……。
たしか三人は敵を抑え込むために居残って死んじゃったって話だったけど。
ツアル皇国に一人、ユニオン共和国に一人、神聖フランツ帝国に二人、ヴィスコンティに五人だから――その中の誰か?」
今知っているのだけでもロビンは弓の名手、マリーが魔女として伝承通りになっている。あとはヴァレリオ家の英雄と、フランツ帝国の英雄、それとツアル皇国に二名だったか……。そのツアル皇国にいる英雄の一人が、ヴィスコンティに仕えた大剣を使う大男のファムらしいのだが――女性だという事も公爵から先日聞いた。
誰だろうと思ったのだが、ロビンはフルフルと首を左右に振った。
「その人、いなくなった。いちばんマホーがとくいで、いちばんつよくて、いちばん皆にシンヨーされてた。
あと、じゅうにえいゆうっていう言い方、ちょっとちがう」
「違う?」
「ホントーは、じゅうよにん」
……ロビンはなんか下っ足らずというか、棒読みが過ぎて即座に理解がおっつかない時が多々あるけれども、今の発言の通りなら十二英雄ではなく、本当は十四人居たと言う事になる。
「――え、何でその二人は抜けてるんだ?」
「ひとりはただの付き人、たたかえない人だったからムシされた。もうひとりはマオーとの戦いで自分のそんざいとひきかえにフーインして、わすれられたから」
なんかよく分からないけれども、十二人を率いていた一番強い一人と、一番役立たず……というか、ついて行った人が居ると。一瞬、漫画版ドラゴンクエストのゴールデンキメラスライムを思い出したが、もしかするとそういったムードメーカーじみた何かだったのかもしれない。
「私たちは、つながりがつよかったからおぼえてる。けど、ただたすけられた人は皆がわすれた。
役立たずっていわれた人はけされて、じゅうににんになった」
「それ、歴史の改竄じゃ……」
「――人は、ツゴーのいい時だけたよる。そうじゃなくなったら、自分のツゴーですきかってする。
それ、あたりまえ」
なんか、やるせない気持ちにさせられる。当時の英雄たちを知っている訳じゃないけれども、人類の為にその身を張って戦った筈なのに、一人は存在と引き換えに忘れ去られ、もう一人は――たぶん、英雄と呼ぶには相応しくないからと消されたのだろう。
「本当に……」
「『人間ってのは、くだらねー』……でしょ」
「え?」
「その人も、いってた」
そう言ってロビンはニヤリと、ネズミをいたぶる猫のような意地の悪い笑みを浮かべた。俺、何かしたのか? 戸惑いながら、彼女から目線を切った。
「さあ、そろそろヤゴと相談して午後の予定を立てないと。ヴァレリオ家に失礼の無いようにしなきゃいけないからね」
「私、またきえる。用があったら、またよぶ」
「ん、了解」
ロビンがその場を移動する事無く存在を消していき、見えなくなった。そして俺は静かになったヤゴたちの訓練場へと向かった。
~ ☆ ~
ヤゴとの話し合いの結果、今日の午後行われるはずだった乗馬の訓練は丸々無くなる事となった。ヤゴはどうやら母親の様子を見に行くらしく、昼食後に一休みするとそのまま馬に乗って町の方へと行ってしまった。
俺はミラノとアリア、そしてカティアの手助けを得て身なりが変じゃないかとか、こういった時に別の立派な服を着たほうが良いのか等を聞いた。部屋のクローゼットの中には何種類かの服があり、その用途も正確には把握していないのだ。
なんというか、偉い人が来る時に儀礼の格好をして出迎えると言う、自衛隊の頃を思い出す。第一師団に所属していると、何かと他国のお偉いさんや自国の首相とかが訪れる機会が多くなる。場合によっては天皇陛下が来られる場合もあり、そのたびに一ヶ月レベルで全員が訓練したものだ。頭の敬礼や捧げ銃も僅かな遅れですら許されず、しかも普通に大隊長や師団長が来て視察していくレベルなので命がけでもある。
――まあ、練習と本番で長い話が間に挟まるので、猛者になると立ちながら寝ている。しかも浅い睡眠だから意識があるし号令にも瞬時に反応するという。……俺も同じで、偉い人が三十分や一時間も平気で喋っていたりする時は寝てたなあ。
「稽古着じゃなければ、兄さんの普段の服装が既に出迎えたりする位のものではあるから。
流石に国王様に呼び出された時や儀礼の時はもう一着、煌びやかなのを着てもらうけど」
「あんなの……、着るの?」
今でも薄い素材を何枚か重ね着したような、それこそ着飾っているような状態だ。にも拘らず、もう一着のほうは肩マントだの、襟スカーフだの、肩から金ぴかな何かを胸元まで伸ばしていたりだのと更にややこしい。一度新調のためにと袖を通したけれども、服に着られているとはまさにあの事を言うのだなと思った。
「あんなのって……。兄さん、お披露目だったり公の場ではそれなりの格好をしなければならないんだけど」
「それは分かるけど、着る機会が無い事を願うよ」
「無理でしょ。兄さんが跡を継ぐ事になったら必ずその旨を国王様に挨拶しなきゃいけないし、一回でも多く着て、最悪一人でも着こなせるようにしなきゃ」
「二人とも学園の制服ばかり着てるじゃないか」
「そういう決まりごとなの。兄さんは学園の生徒じゃないからそんな義務は無いけれども、生徒として所属する事になったら生まれも育ちも関係無しに、学園を出るまで普段からこの服」
「冬服と夏服があるし、学園が支給してくれるから楽だよ?」
そうミラノとアリアが言うが、少し待って欲しいと考え込む。制服という概念があって、その着用義務が卒業まで付与されるって事は――
「あぁ、なるほど。一種の示威行為と、身分差を見ただけじゃ分からなくするための仕掛けかな」
「コホン……。兄さん、言葉遣い」
「ごめんごめん。けど、人目でその人物が魔法使いである事を理解できるのはある種合理的だね。逆を言えば、何かをした場合に直ぐに学園まで苦情が行くだろうし、双方の抑止力になる訳だから合理的だね」
とは言え、セーラー服のようなデザインの上にマントを羽織っているようなデザインなのだが。アルバートは肩マントだったし、ミナセやヒュウガはマント自体を付けていなかったので、国によってデザインは違うのだろうか? クロエはマフラーみたいなものを巻いていたし、エレオノーラはマントが襟立ちで色も他の生徒たちと違ったような気がする。
俺とカティアは正式な生徒じゃないというか、そもそも学生じゃない扱いだから制服じゃなくても文句を言われないのだろう。そもそも、生徒の何割かは身の回りを世話させる人を連れ込んでいるので別に異例ではないのかもしれないが。
「そういえば、三人とも訓練中は屋敷に居るみたいだけど、何してるの?」
「”彼の”縁談整理でてんてこ舞いですわ、ご主人様」
「ええ、誰かさんの縁談の処理で忙しくしてるわ」
薮蛇だった。俺は口の端をひくつかせながら笑って誤魔化すしかない。任せて正解だったなと思うのは、たぶん相手の絵だの身分だのを見てしまったらどう反応して良いか分からなくなってしまうからだ。女性に対する耐性が低すぎる俺だと、判断できずに長引かせて全員に良い顔をしようとして全員を敵にしてしまいかねない。或いは、全部ばっさり切り捨てて、同じく全員を敵にするか。
カティアとミラノが組むと立場+口撃力で太刀打ちできない。笑って誤魔化していたが、直ぐにため息と共にそんな薄ら寒い誤魔化しも止めた。
「ごめん」
「そういう時は”ごめん”じゃなくて”ありがとう”って言って」
「ありがとう」
癖で「手間をかけさせて、面倒かけてごめん」みたいな謝罪をしてしまった。けれども直ぐにミラノが謝罪よりも感謝をして欲しいと言ったので、俺は直ぐに感謝の言葉にきりかえた。だが、感謝したらしたでそっぽを向かれて「分かればいいのよ、分かれば」と言われた。言うとおりにしたと言うのに、そっぽを向かれるとなんだかなあと思ってしまう。
「あら、ミラノ様。恥ずかしがっているのかしら、頬が赤いですわよ?」
だが、カティアが回り込んでミラノの顔を盗み見てそんな事を言うと、俺は「意外だな」と思いながらミラノを見ていた。彼女は……本当に、感情的になってきている。どっちが本当の彼女か分からなくなるけれども、俺も二面性の強い所はあるし、更には隠し事だらけだ。人の事をとやかくは言えない。
ただ、隠していても良い事もあれば、隠すほうが為にならない事もある。先日の公爵の過去に関して訊ねたのもそうだ。後継者争いで家を二分した戦いになったと言っていたが、その理由が不明なままでは公爵が自分で言ったとおり、いざと言うときに俺が迷ってしまう。信じられるか、そうじゃないか。それだけで命を預けられるかどうかが変わってしまうのだから、家を割った理由が簒奪や欲望だったのなら俺がクラインを演じている理由でさえも”人身御供”なんじゃないかと疑っていただろうが――
「赤くない!」
「いえいえ、この紅葉のように染まった頬が証拠ですわ」
「回り込むな! 見るなあっ!」
……仲良き事は素晴らしきかな。そんな現実逃避をしながら、俺はアリアの方へとそっと退避する。流石にアリアの傍に居たら蹴りとかの危険度の高い行動をして来ないだろう、そんな目論見が無いとはいえなかった。
「――アリアもお疲れ。何日間も部屋に篭って、大変だったんじゃないか?」
「ううん、大丈夫だよ兄さま。少し体調も優れなかったし、部屋に居るんだからそのついでだよ」
「……ありがとな」
少しだけ顔を寄せ、聞かれないように”クラインではなくヤクモとしての言葉で”感謝をした。先ほどミラノに言われてなければ、俺はここでも「悪いな」と言っていただろう。けれども注意されて直ぐに同じ失敗をするのは宜しくないので、少しだけ意識をして感謝の言葉を吐き出した。
離れると、アリアは少しだけキョトリとしていたが――彼女もまた、花が咲くような笑みを浮かべていた。
「ううん、どういたしまして」
……屋敷に着てから、本当に調子が狂わされる。今はまだ”スイッチが入っている”から、頬を搔く程度で済んでいるけれども、スイッチが入っていなければドキリとしただろう。ミラノに比べると、やはりアリアと関わっている時間は短い。以前一緒に街まで外出した事もあったが、それでも分からない事の方が多いだろう。こう、なんと言うか――”遠い”のだ。
いつも佇んでいて、それで居て一輪の花のような儚さがある。ニコニコしているのは良く見かけるけれども、それは処世術のような愛想笑いに思えた。だから、普段の笑みよりも深い笑みを見ると、ああ、彼女もまた屋敷に来てから素の自分を出してるんだろうなと思った。
――まあ、どうせ俺がヤクモに戻れば直ぐに敬語を使われるのだろう。そう考えてしまうと、今のアリアの態度は俺がクラインを演じてるからだと言う事になってしまうのだが。
考え事をして、兄なんだからこれくらいやっただろうなと頭をポンポンと撫でた。するとアリアが何か反応を示すよりも先に言い争いをしていたはずのミラノとカティアが「あ゛!?」と叫ぶのが聞こえた。それに驚いて撫でていた手も離れた。
「なにアリアの頭撫でてるの!?」
「ご主人様! 撫でるのなら私の頭をなでて!」
「いやいやいやいや! アリア頑張ってたでしょ!? なんで労って、兄らしい事をしたら二人に怒られなきゃいけないの!?」
逃れるようにアリアを間に挟む。本来であれば謗られても仕方の無い行動であったが、アリアも「まあまあ」と諌めてくれるようであった。
「兄さまが労ってくれただけだよ。二人ともそんなに怒らなくても良いんじゃないかな」
「うっ……。それは、まあ、そうなんだけど……。なんか、納得いかないと言うか――」
アリアに言われてタジタジするミラノだが、彼女の言葉が歯切れの悪いと言うのもまたレアだと思う。普段ならハキハキとしているし、言わないなら言わないでスパッと話を切るのに。クラインと言う立場があるからだろう、そこらへんの配慮かもしれない。カティアは撫でるしかないので撫でると、直ぐに嬉しそうな声を上げる。まるで子犬――というか子猫か。俺が遭遇した時も、生まれて間もない猫の様に見えた。だから、安心に足る相手が欲しいのかもしれない。アヒルの子が親だとインプリンティングされた相手を追いかけるように。
部屋の中でワイキャイと騒がしくしていると、扉がノックされた。入室の許可を出すと入ってきたのはザカリアスで、どうやらそろそろ来るらしいので準備自体を終えて欲しいとの事だった。ミラノもカティアも、そこらへんの切り替えはちゃんとしてくれる。ザカリアスと共に俺たちは玄関先の広間ホールへと向かった。そこには既に手すきのメイドの大半が脇に並んでおり、ここで俺はメイドの多さに対して執事はかなり少ないのだなと知る。
初めての経験、知らないことに対して呆けていると咳払いが聞こえた。振り返ると公爵が居て、俺だけが間抜けにも立ち尽くしているような状態だった。ミラノとアリアがザカリアスと共に公爵の傍に向かい、カティアに「行きましょう、ご主人様」と促されてようやく歩く。
「来たね。私が全てを取り仕切るので、クライン以下全ての者は話しかけられた時以外は言葉を発したりしないように」
「はい」
「私がヴァレリオ家の者をザカリアスを率いて案内し、立ち去ったならあまり騒ぐ事の無いように。
基本的に部屋に居る事、決して出歩かない事。公の顔合わせや挨拶は決まり次第話を通すので、その事を頭に入れて置くように」
「質問があるんですけど、良いですか?」
「何かな」
「僕――いえ、自分は不慣れと不理解な所があるので、落ち着いた行動ができるようにミラノやアリアと一緒に居たいのですが、許していただけますか、父さん」
「ふむ。騒がないのなら、良いだろう。ただし、騒いだりした場合は例え我が息子、我が娘であっても罰は受けてもらう。
私事での出来事であれば大いに結構だが、互いに軍事演習も兼ねた今回の訪問だ。我々が不甲斐無い所を見せては信用等に関わる」
「分かりました。では、もしその通りに添えなかったのなら、罰を。
配慮、有難うございます」
「なに、それくらいの気遣いはするさ」
そう言ってから、心臓が幾らか早く鼓動を刻んでいるのを自覚する。胸元を押さえ、ドッグタグとは別に手越しにその鼓動を感じ、大きく深呼吸をして落ち着こうと努力する。メイドたちはメイド長であるアークリアに色々と心得のようなものを説かれている、同じようにザカリアスが執事に行動について再度詰めているようであった。
公爵は銀時計のような物を取り出して開くと、ホログラムのような物が現れて時間を表しているのに気がつく。機械仕掛けの時計じゃないのか等と思いながらも、二時半ばに差し掛かりそうになっていた。
暫くすると公爵の部下がやってきて、馬車がそろそろ玄関先にまで到達するとの報告をしたので、公爵の銀時計が玄関ホールにうるさいのではないかと思うくらいに響いて蓋が閉じられた。いや、俺が神経質になりすぎなだけだし、そもそも誰もがあまり喋らないので嫌に響いただけだ。
「よし、出るぞ」
公爵のその声と共に、全員が動き出した。俺はミラノとアリアに言われて公爵についていく。カティアは今回は出番ではないので部屋で待機してもらうのだが、それに対しては別段文句や不満を示す事は無かった。
メイドや執事はそのまま玄関ホールで列を作ったまま待機している。そして玄関の戸が大きく開かれると、そこには兵士が立派な身なりをして門から玄関までの道の両脇に並んで配置されている。百名は居そうな兵士たちの大海を、既に割かれて出来上がっている道を歩んで俺たちも門まで向かう。兵士たちは玄関が開かれた瞬間から剣を抜き、両の手で捧げる様に持ちながら微動だにしなかった。傷一つ無い装備、兜を被り表情が幾らか判り難いなりにもその目は誰もが真剣だ。
そんな人たちに挟まれながら、公爵について俺たちは門まで歩いた。そして門先で公爵が部下と共に正面に立ち、俺たちは幾らか退いた位置で立つことになる。そして幾らか高い位置にある屋敷からは、馬車がこちらへと向かっているのが見えた。……心臓が五月蝿い、けれども頭は恐ろしいほどに冷えていた。
時間と共に、その馬車は近づき、そして門の正面――公爵の目の前で腹を見せるようにして止まり、護衛としてついて来ていた――たぶん偉い人なのだろう――女性が馬から下りると、馬車の扉を開く。
馬車から、短くも威厳のある顎鬚を持った男性が現れた。たぶん、その人が偉い人なのかもしれない。ミラノに脇腹を突かれ、あわてて公爵やミラノたちと同じように礼をする。右手――利き手を心臓にあて、左手を背中に回して四十五度くらいのお辞儀。ミラノたちは女性なので俺たちとは違う形式で頭を下げる、そんな俺たちの様子を馬車からまだ降りていない相手が歯を見せて、好ましく笑みを浮かべている。
「久しぶりだな、ジュード。出迎えの礼儀、何時も通りあり難く受け取った」
「ふ。君も変わらないな、ディミトリー」
――そういえば、アルバートの父親も一つ遅れてだったが、街に兵を率いて来てくれたんだったな。それを考えれば久しぶりと言うのも分からないでもないが。なんと言うか、親しげだ。その事が少しばかり以外だった。
ディミトリーが馬車から降りると、公爵の前で同じように右手を心臓に添えて一礼してから真っ直ぐに彼を見つめていた。
「デルブルグ家が当主、ジュード・ダーク・フォン・デルブルグ。貴公等の訪問、歓迎する。そして我が名の下に、滞在中は不自由させぬ事を血筋と十二英雄に誓おう」
「ヴァレリオ家が当主、ディミトリー・ダーク・フォン・ヴァレリオ。貴公の歓迎に感謝を示す。そして自分以下兵に至るまで我が名の下に、何者にも恥じぬような行動をすると血筋と十二英雄に誓う」
「我らが国のために」
「我らが国のために!」
それは口上のような物なのだろうか? けれども、ある意味清々しい位に互いの行動や自分に従う人物のやる事成す事に責任を持つと明言したのは――格好良いなと思った。そして公爵とアルバートの父親が互いに宣誓し終わると礼を解き、挨拶はこれで終わりとしたようであった。
「それでは、行こうか」
「世話になるな、ジュード。――お前らも出て来て挨拶をしろ! デルブルグ家は子息を既に挨拶に出しているぞ!」
「「「はい!!!」」」
馬車の中から何人かの声が聞こえ、三人の男が降りて来た。そして馬車の護衛として馬に乗っていた人も、こちらに来て三人の後ろに控えるように立った。馬車の戸を開いた女性も戸を閉ざすと同じように控える、見れば端にアルバートが立っていて、その後ろにグリムが居た。それだけでも、どこか嬉しかった。学園で出来た、友人……のような人たちだから。
「ヴァレリオ家長男、エクスフレア・ダーク・フォン・ヴァレリオ! 世話になります!」
「ヴァレリオ家次男、キリング・ダーク・フォン・ヴァレリオ。同じく、世話になります」
あぁ、そういえばアルバートは三男だったか。見返したい、認めさせたいと言っていたのを思い出す。長兄の方は熱血好青年と言った様相で、大分身体が鍛えられているようで顔に見合わず腕が幾らか太く見える。逆に次兄は眼鏡をかけた細身の人物で、賢そうに見える。兄が前線、次兄は作戦立案とかそういう役回りなのかもしれない。
さあ、最後にアルバートだ。表情には出せないが、ワクワクして見るていると。彼の目が俺を一度ばかり見てから、プルプルと口端が震える。
「ヴァッ……。ヴァレリオ家が三男! あ――ある、アルバート・ダーク・フォン・ヴァレリオ! 世話になる! あ、いや。お世話になる!」
あ、コイツだめだ。滅茶苦茶緊張してやがる。本人も一杯一杯なのだろうが、彼の父親は盛大なため息を吐いた。
「あぁ、悪いなジュード。アルバート、いまだにビビりで公の場だと硬くなるのが抜けねえんだ」
「気にする事はないさ。私も君を責められるほど出来た人間じゃない」
「ん、そう言ってもらえると助かる」
そう言って公爵同士の会話が途切れた所で、三人兄弟の後ろに控えている三人姉妹が礼の姿勢を崩さずに口を開く。
「エクスフレア様の従者、マーシャ・マルケス・フォン・ヴォルフェンシュタインです。此度の滞在、世話になります」
「キリング様の従者、イリーナ・マルケス・フォン・ヴォルフェンシュタインです。身の回りの世話等は、私達も幾らかやらせて頂きますので~、よろしくお願いしますね」
「――アルバートの従者、グリム・マルケス・フォン・ヴォルフェンシュタイン。よろしく……お願いします」
グリムはアルバートに仕えている立場で、代々ヴァレリオ家の従者を輩出している優秀な一家だったか。グリム自身も三女だと聞いていて――そうだ、ヴァレリオ家にあわせて子供を生んだり、性別を対にするために間引いたりしてるんじゃないかと勘繰ったりしたな。
長女らしい人は堅物のような印象で、服装もなんだかピッシリと決めているような感じだ。そして次女のイリーナはなんだかふわふわしていて、母性とか優しさとか、そういうものを感じさせる。胸の大きさも特徴的だ。そしてグリム、三女。姉妹の中では一番背が低い、胸も無い、感情も無さそうで眠そう。以上、こんな物だろうか。
公爵がチラリとこちらを見てから、客人である彼らを見たので何と無く察して俺は一歩だけ前に出る。ミラノが驚いた顔を一瞬見せた、アリアが首を傾げそうな不思議な顔をしている。それらと公爵の表情を全て脳から締め出し、俺は役割を――任務を果たす兵士のようにただやるべき事を成そうとした。
「挨拶が遅れました。デルブルグ家の長男、クライン・ダーク・フォン・デルブルグと申します。
長らく臥せていましたが、幾らか回復したので顔を出させていただきました。
国の為、両家の為にも今回の演習で色々学びたいと思いますので、至らぬ点は多々あると思いますが、どうかよろしくお願いします」
自分でもよくスラスラと言えたものだなと自虐的な思考になってしまうが、それでもクラインを貶さないように配慮できているし、その上で努力をするという点を打ち出せている。少なくとも非友好的な態度ではないはずだし、事実に関しても触れている。問題になるとすれば、クラインらしさを演じられたかどうかなのだが――そこら変は今の所大丈夫なのかもしれない。
「二子のミラノ・ダーク・フォン・デルブルグです。学園では、アルバートによく世話になってます」
「双子のアリア・ダーク・フォン・デルブルグです。よろしくお願いしますね」
ミラノとアリアも挨拶を済ませこれでとりあえずは互いの簡易的な顔合わせは済んだのだろう。公爵が屋敷に向かうと言ってアルバートの父親を招き、再び兵士たちの間を通って屋敷へと歩いていく。ずっと剣を捧げている姿勢のまま大変だなとか考えてしまう、なまじっか俺も同じように捧げ銃をしてばかりだったので同情的にならざるを得なかった。
ただ……やはりと言うべきか何と言うべきか、来訪者の目線が俺に突き刺さる事突き刺さる事。脂汗が出て苦し紛れの笑みが浮いて出そうになるのを堪える。何か変な事を言ったか、したか――もしくは、本当にただクラインと言う人物の存在に驚いているかなのだが、どれにしても意識して見られると居心地が悪い。
それでも屋敷に入ってからは案外と俺たちの拘束解除は早く、兵士ではなくメイドと執事のお出迎えに到達したら当主であるディミトリーは公爵と共に応接間へと向かっていった。そして三男三女はそれぞれに執事の案内を受けて滞在する部屋へと向かっていく。俺たちはザカリアスが「もう、宜しいとの事です」と言われたのでさっさと部屋まで戻ってきた。ミラノとアリアも同行してくれて、部屋に戻ればカティアが待っている。精神的疲労を隠せずに椅子に座り込むと、カティアが直ぐにお茶の準備に入ってくれた。
「はあ、口上はあれで良かったかな……? 問題が無ければそれで良いんだけどさ」
「大丈夫だよ、兄さま。堂々としてて立派だった。ね、姉さま」
「え? あ。うん……そうね。第一子として、後継者としての挨拶としてはまあまあ良かったんじゃないかしら」
「辛口だね。けど、それくらいがちょうど言いか。けど――アルバートのあれは、流石にこっちが心配になる」
そう言って先ほどのアルバートを思い出す。流石に、三男だとしても第一子と第二子の二人に比べてしまうと、何とも言えなくなってしまう。もしかするとミナセを苛めていたのは、自分の劣等感を紛らわすためだったのか? などと考えてしまう。事実、ミナセは魔法の扱いは劣っていただろうが身体能力的にはアルバートよりも優れている。ただアルバートがミナセに勝っているとしたら、打ち込む事に対して恐れが無い思い切りの良さと魔法による身体能力の底上げでの補正が高いくらいだ。
アルバートの長男は身体も鍛えているし背も百八十代はあるだろう、背丈+基礎身体能力で大分突破力はありそうだ。魔法でどれほど身体能力を強化できるのかは知らないけれども、少なくともアルバートが劣等感を抱いて「認められたい」と言いたくなるくらいには強いのだろう。
そして次男は、賢そうだ。アルバートはグリムに勉強を見てもらっているくらいだし、ミナセ程じゃないけれども勉学は苦手なのかもしれない。となると、今の所アルバートに勝ち目がある点はどこだ?
「”僕”は、アルバートと接点はあったかな?」
「無いわ。だから今回更に緊張してたんじゃないかしら」
「へ? なんで?」
「無の魔法を使えると言う点が大きいからじゃない? ヴァレリオ家の人で無の系統魔法が使えると言える人が居るとは聞いてないし、それに聞いたとは思うけれども無の魔法使いは貴重で、数少ない上に、恐れられるほどだと言われてるから。
私たちが詠唱を長々としているのとは無関係に、相手は魔法発動という結果を持ってこられる。そこに下準備も、詠唱の省略も存在しないから」
「なるほどなあ……」
俺はいきなり四年生の授業に混じっているので知らないだけなのだろう、もしかしたらそこらへんも一年生で全て習ったのかもしれない。俺は知らない事が多いなと思いながら頬を搔いていると、鼻を指でチョイと押された。
「言っておくけど。無の魔法使い全員がそうだと言う事じゃないから。
詠唱の完全撤廃が出来るのは、三つ目の段階でその系統を扱える人だけ――。
そういえば兄さん、三つ目の段階で魔法を扱える事をなんと言う階級だったか言える?」
「え? せ……セレブ?」
なんか、そんな感じだったかなと答えてみたけれども、カティアには呆れられるし、アリアにはクスクス笑われるし、ミラノにはため息を吐かれた。
「前に一度聞いてる筈だけど? そもそも”せれぶ”ってなに?」
「あぁ、えっと。ごめんね? ちょっと忘れちゃって……」
「はぁ、兄さんは誰かしっかりした人が傍に居ないとダメみたい。
カティア、苦労するわよ」
「いいえ、役に立てるのならそれが本望と言う物ですわ。――補佐が出来るという考え方も出来るし、何でも出来る主人よりはどこかヌケている方が愛嬌じゃなくて?」
「そういう考え方もあるかしらね。けど、戦い一辺倒で無学なのは嫌だと思うんだけど」
「ご主人様は無学でも無いと思うのだけれど。ただ重要度で順番をつけてるだけだと思うの」
「あ~……えっと。カティア? あまり変に庇われても為にならないから、グリム程とは言わないけど指摘はしてくれると互いの為になるから。
……そういや、カティアがここに居る理由をグリムとアルバートには違う理由を言わないとダメなんだ、どうしようか」
アルバートとグリムはカティアがクラインではなくヤクモ……、つまり俺の使い魔だと言うことを知っている。軍事演習があるとは言え、二人が来る事を考えて居なかったが為に無理が大きく破綻する可能性の高い状態に陥ったわけだ。
「皮袋の穴を新しい糸と新しい皮でやってはいけない、って喩えとそっくりだ。
古い皮袋を痛めてしまって、結局飲み物を無駄にしちゃうって奴」
「どこでそんな喩え習ったの?」
「え? ……聖書」
聖書といって伝わるかどうかは分からないけれども、ミラノたちが本棚を見たのできっとあるのだろう。この世界の聖書といったら十二英雄に纏わる物なのだろうが、まだこの世界のそういった物を目にした記憶は無い。
俺が頬を搔きながら「あぁ、えっと。いや、その。ここじゃなくて、別の場所で読んだ聖書」と言うと全員が納得してくれた。
「ちなみに、どういう意味?」
「そのまんまだよ。新しい物と古いものじゃ状態が違うから、それを取り繕ってもダメになりやすいって事。
着慣れた古い服を新しい布と新しい糸で縫うと、服の方がダメになると言う言い回しのほうが分かりやすいかな?」
「ふぅん、似たような言い回しってあるんだ」
「本の世界は広いからね。的確な喩えはいくつもあるし、類似した物は国や種族が違えば幾らでもあるさ。それは置いといて、どうする?」
アルバートとグリムを”引き込む”か? その方がやりやすいだろうけれども、しかし――
「もしかして、二人にはコッソリ教えるとか考えた?」
「考えたけど、一番破綻しづらいのがその路線なんだよ。
――今の状況で存在するのは三つの派閥なんだ、その中の一つが公爵を筆頭とした僕らだ。
そしてもう一つは、何も知らない公爵夫人を筆頭とした屋敷や領民と言う事になる。この人達には先にこちらの都合で語った”真実”がある、それを今更撤回するのはあまりにも被害が大きすぎる。
それで三つ目、カティアの存在を知っていて僕らの語った”真実”が偽りである事を知っている人物だ。アルバートとグリムのみが該当するから、勢力としては一番小さい。けれども、騒がれた場合はこちらの全てを覆されかねない勢いがある。
こちらが満たされてはならない敗北条件は”露呈”や”暴露”で、僕らがドジを踏むか馬脚を現すと言ったもの、もしくはアルバートとグリムによって暴かれてしまったり、公爵夫人等の派閥に疑問を抱かれてしまう事。
じゃあ、一番楽な手段と言えば?」
「派閥的に大きな勢力をどうこう出来ないから、アルバートたちをどうにかするって事かしらね」
「そういうこと。その為に取れる手段は、今回に限ってはそう多くない。となれば、考えられるのは味方に引き込むことだけど――」
「アルバートに隠し事が出来るとは思えないのだけど」
「まあ、そうなるね。だからやり方を少し考えるよ」
考えなきゃいけないのは勝利条件と、満たしてはならない敗北条件を前提とした作戦のようなものだ。そこにアルバートとグリムと言う人物を中心に据えた行動や手段を考えていく。戦闘行動とは違う意味で、鈍重だった大きな歯車が錆を落としながら回転していくのを感じた。こんなの、陸曹教育以来か……?
「――ミラノの名前を借りて、カティアが単独でアルバート一人に接触してもらう方向で行こう。
グリムのみこちらに引き込む」
「なんでグリムだけ?」
「事情を話して協力体制を作って、グリムにアルバートの監視役になってもらう。
アルバートには半分本当、半分偽りくらいの情報と口を重くしてもらえれば大丈夫かな」
「……そんな事をして、不都合は無いの?」
「無いよ? そんなもの、今回の滞在が終わるか――彼が来れば終わりになる。
そのときアルバートに怒られるかどうかは分からないけれども、自分の負える責任の範囲内で何とかするよ」
そもそも、自分が責任を負えないのにご立派な事をしたら総スカン間違いなしだ。出来ない事をする必要はないし、それで公爵や家柄に傷をつけたら償いきれないだろう。
そうやって俺が色々と考えた上で発言をしていると、カティアがお茶を出してくれる。それを受け取り、アリアやミラノも給仕されるとカティアが傍でちょこんと座った。いつもの四人だ、少しホッとする。
「兄さま、楽しそうだね」
「楽しそう……。そうかな?」
「ええ、大分楽しげでしたわご主人様。もしかして、意地悪するのが好きなのかしら」
「これが意地悪だったら、こうしゃ――いや、父さんが最近頭痛の種って言ってる貴族の人たちはなんて言えばいいのかな。悪魔? この世の悪夢? 悪意の塊とか?」
言っていて、これはクラインじゃないよなと調子に乗ったなと反省する。紅茶を飲み、カティアの味付けが既に俺の好みを把握している事実に驚く。猫舌である事で本来のお茶の味わいだの風味だのを楽しめないだろうが、そんなものは仕方が無い。下手すると冷めるまで他の事をしていたら完全に冷めていたなんて事もある。息を吹きかけて、恐る恐る口をつけ。それがちょうどよい温度であれば互いに安心する。動作まで似せるように言ったかなと思ったが、カティアも猫だから似てしまうのだろう。仕方の無い事だ。
お茶出しと一息をついたカティアが、こちらを見る。
「それで、私はどうしたら良いかしら?」
「そうだね……。グリムが一緒に居るだろうから、彼女には理由を付けてアルバートと引き離して、話が出来るようにしないといけないから……
アリア……いや、ミラノと一緒に行って貰って、ミラノにグリムを連れて来て貰えば大丈夫かな。それで、カティアには――」
アルバートの、ミラノへの好意を利用する。本来ならこんな事をしたくないけれども、今回は事情が事情なので嫌われる事も覚悟でやるしかない。もっと先読みして、カティアの設定を考えて置けば良かったのだけれども、それを今更嘆いても仕方が無い。なのでカティアにはミラノの名前を借りて、こういうことにしてもらう。
――事情があってカティアのみが屋敷に来ていて、ヤクモは居ない。そして今はクラインの使い魔として客人扱いを受けている。それに関してはミラノやアリア、そして公爵に認められた事である――
これによってアルバートは変に追求できないし、追及するとなると現代当主の公爵――そして好意を向けている相手のミラノと事を構える事になるので、流石にそこまで頭が回らないという事は無いだろう。そして、アルバートが好意等によって追求できないとしても、口が滑ったりしかねないのでグリムには一つランクの高い要求をする。
当然、それによって相手が何かしらの見返りを要求するかもしれないが、それを調整するためにもミラノの存在が必要であり、アリアの穏やかな雰囲気が必要なのだ。カティアは耳打ちした内容を「それで良いの?」と聞き返してきたので、俺は頷いてみせる。そうすると「分かったわ」と返事をした、その頼もしそうな返事は聞いて嬉しくなるものだが、その後で「えっと、ご主人様は用事があって居ないから~」なんて再確認されたら冷や汗と共に不安が勝る。
仕方が無いので紙切れにサラサラと簡易的なメモ書きをして見せて、手渡すと嬉しそうに「ありがとう」と言われた。落としても日本語を読める人は居ないだろうし、走り書きなので”のたくった字”にしか見えないだろう。誰に拾われても心配なし、暗号解読の勢いでも持ってこないと読めないだろう。
「ねえ、ちょっと待って。私が言うとおりにしないといけない理由は無いんじゃない?」
「まあ、確かに無いけど……ダメかな?」
「イヤって言ったらどうするの?」
「それは困る。けど、他のやり方を考えるよ。ミラノが手伝ってくれなくても何とかなる方法」
そう答えたものの、ミラノが抜けたくらいでダメになるアイディアなら最初からリスクが高い。最悪アリアも理由があってミラノの代役を出来ない場合でも、その場合は逆に俺がクラインとして出向いてミラノやアリアを理由に連れてくれば良いだけだ。
けれども、クラインが呼びに良く理由は何が良い? グリムだけを呼び出せる、偽りでも大丈夫な理由は何だ? また考え込んでいる俺の鼻が、今度はグニグニと押される。鼻の軟骨が結構限界まで押されて痛い……。
「諦めないで説得する努力くらいは見せて」
「いや、だって。ふが……。強制じゃないから。自主性を重んじるからこそ”お願いする”という事で考えてる」
「アリアやカティアは頷いてくれるでしょうけど、それだと私だけ自分勝手とか役立たずって言われてるみたいで嫌」
「――……、」
面倒臭いな。そんな言葉が口から出そうになって、無理矢理止めたが為に変な笑みを浮かべたようになってしまった。誤魔化す、そんなのは得意な方で、両手を挙げて降参のポーズを見せる。
「わ、分かったよ。ミラノの力も借りたいんだ。出来れば、そうしてくれると助かるかな」
「出来れば?」
「か、可能な限り?」
「可能な限り?」
「ミラノが手伝ってくれないとダメだ!」
もう、ほとんど自棄っぱちだった。ミラノが仲間外れにされて嫌がるだなんて想定外だったし、むしろ「私、使われるのは嫌なの」とか言って協力してくれない事の方が容易に想像できた。
しかし、今目の前で協力がないと成功しません! みたいに叫んだのが何かしら嬉しかったのか、腕を組んで指を立てながら得意げに「やっぱり、私が居ないとダメみたいね」とか言っている。そんな依存性の高い作戦を立てるのは好きじゃないんだが、ここで俺個人の「ミラノに嫌われ、居場所が無くなる」と言う錘が、天秤に乗っかっては傾いてしまった。
仕方が無いので、アルバートのミラノに対する好意は伏せて置く。ただ「ヤクモの主人はミラノ」と言う事だけを伝えておいた。そして、グリムを呼び出す理由としては「ミラノに仕えているヤクモという人物を、従者としてどう評価しているかを個人的に聞きたい」と言う事にしておく。オフレコ、つまりは表に出てこない対談と言う事にしたいという理由も添えて。
これでアルバートとグリムの無力化は出来るはずだ。後は出たとこ勝負で、アルバートやグリムがそれぞれにどういった反応をするかで切り口を変えなければならないが――。
「あとは、自分とカティアが互いにやる事をやった上で臨機応変に対処するよ」
「臨機応変って言葉、もしかして好き?」
「行き当たりばったりと言うよりは前向きに聞こえるんじゃないかな?」
「それでもやってることは同じじゃない?」
「全然違うから!」
なんだかんだ、最近ちょっと不機嫌なのかなと思ったミラノだったが――こうやってやり取りをしていると学園に居た頃のようにやり取りが出来るし、違和感も拭い去れたので一安心だ。
ヤクモがミラノと楽しげにやり取りをしているのをみていたアリアだけが、寂しそうに笑みを浮かべ、そして俯いていた。それを見たカティアはアリアに近寄り「大丈夫?」と声をかけている。視界に入らない事は、誰も気がつかない。ただカティアだけが、事情と理由を察して、寄り添ってあげただけで――ミラノとヤクモは、辛そうなアリアに気がつくことは無かった。




