34話
人生、どんな所に転機が有るかなんて分からない。
……除隊するとき、副班長の三曹から言われた言葉だった。三曹は、飲みの席で自衛隊に入った契機と、曹を目指した理由を語ってくれた。俺は――情けない事に、その話を聞いて涙ぐみ、ヘッドロックで「泣くんじゃぇえよぉ!」と言われてしまった。
ただ、もう二度と陸上自衛隊に居た頃のように走れはしないだろうと理解して、立っているだけでも、座っているだけでも痛み続けていく背中を理解した上で肩を叩いたのだ。自衛隊を辞めれば、もう部隊は面倒を見てくれない。どんなに酷い怪我であっても、とりあえず目処が立つまでは治療や療養をさせてくれるのだが、俺は両親が亡くなり医者の判断から治療もそこそこに諦めた。
元自衛官、親の遺産と自分の溜め込んだ給料と除隊金――それを食いつぶしていくだろう事は、班長も指摘したが……副班長は寂しげな顔をしていた。
『それでも、何とかしたい、これじゃダメだと考えて行動すれば、どこかで思わぬ拾い物をする。
理解者だったり、そんなお前でも受け入れてくれる働き場だったり。ただ言えるのは、諦めないこと。生きる事を諦めなければ、何事も遅すぎるってことは無いんだ』
その言葉を思い出したのは、ミラノの実家に行く当日の朝だった。四時に目が覚めてしまい、二度寝をするには目が冴えてしまったので六時までトレーニングをする事にした。室内で腕立てや腹筋、足あげ腹筋や首上げ、片腕、背筋、体感等。そして五時からはずっと学園の壁沿いに走り続けた。前は奇異な目で見られ、呼び止められたりなどもしたけれども、今では衛兵や学園の教師なども認めてくれて気兼ねなく走ることが出来るようになった。ただ、それでも学生からの目線はどこか冷たく感じたが。
汗を流しながら部屋に戻り、身を清める魔法で汗を乾かし、服を乾燥させると久々に見たくなった物をストレージから取り出した。戦斗服、半長靴、ゴムグローブ、戦斗帽――。かつてはこれを身に纏って、国の為、誰かのため、人のためと頑張っていた。これから俺は、一時的に自分ではいられなくなる、名乗ることも出来なくなる。それでも、半端な事はしないと誓うようにそれらに敬礼をした。
多分、長い帰省になるだろう。ミラノを起こし、何時ものように着替えるのを手伝い、メイドが食事を持ってくるのを受け取り、食事の準備をしてから俺も食堂で朝食を摂る。何時もの朝、何度かくり返した日常、明日から任務と言っても代わりが無いだけの、三百六十五日の中での一日。
アリアはカティアを起こしているだろう、それでフニャフニャなカティアに朝食を摂らせるために苦労しているかもしれない。アルバートとグリムはもう実家に着いて今までの出来事を語らって、抱いた疑問を解消するために質問を投げかけているだろう。
だから、ミナセと久しぶりに会ってもいつも通りに声をかけた。
「あれ、ミナセじゃないか。ここ暫く見かけなかったけど、どうしたんだ?」
男子寮から、気だるそうに――あるいは重い足取りで歩いてくるミナセが居たので声をかけながら駆け寄った。だが、ミナセが足取りが重そうに見えたのは、別に眠気が取れていないとか、あるいはヒロイン軍団によって痛めつけられたとか――そういう理由では無さそうだった。
気弱で、どこにでも居そうな少年だった彼は……クマを作り、頬がこけていた。まるで何日も寝ていないようであり、食事が喉も通らないような大病を患ったかのようで。俺は、言葉を失った。
「ミナセ、お前――どうしたんだ?」
「ヤクモ……」
まるで――被災地での活動で、同期を目の前で大事故に巻き込まれた後輩のようだった。自分ではどうしようもないし、何が起きるかなんて分からないにも拘らず、傍に居たのだからどうにかできたんじゃないかと思い悩み、自責の念で憔悴していた彼にそっくりだった。まるで幽鬼だ、生気ではなく執念のみで生きているとも言えた。そんな様子を見て、流石に普段どおりに接することは出来ず――何が起きたのかを訊ねた。
そして、俺が聞き出したのは予想したよりも重い事実だった。
「クロエさんが、死んだ」
――☆――
多くを聞き出すことも出来なかった、ヒュウガも何があったのかは知らないけれども昏睡状態で目を覚まさないらしい。事情を全て聞きたかったが、ミナセが涙を滂沱の如く流し始めたので多くを聞くのはやめた。そして、何日も食事を摂っていなかったと聞いたので、介護をするようにゆっくりと食事をさせるしかなかった。本当に、憔悴しきって衰弱していたのだろう。味付けの濃い食事を飲み込むと胃が痙攣するのか吐きそうになる、それを誤魔化すようにスープや水を飲ませながら他愛の無い話をする。
少しだけ回復しただろうミナセだったが、食堂を去って別れる時に言われた言葉が今でも耳に残っている。あるいは、脳に刻み付けられたか――
――ヤクモが居てくれたら、誰も失わずに済んだのに――
買いかぶりだ、俺には事態も知らずに誰でも守れると言える様な能力も才能も無い。ただ、何かがあったのだろう。そして、後になって「お前が居たら、ちょっとは事態が違ったのかもな」と言われるのは、辛いものだ。過去は変えられないし、歴史にIFは存在しない。もしその場に俺が居たとしても、何が起きるか分からなかったという点で同じなので、クロエが死なずヒュウガが昏睡状態に陥らずに済んだという”期待”は出来ても”確約”は出来かねるのだ。
「アンタ、大丈夫?」
「え?」
「もしかして緊張してるのかしら」
部屋で送られてきた服を直ぐに着られるように準備をしつつ、先に家へと向かうミラノが挨拶とばかりに部屋に来た。そして俺を見るなり言った言葉が、それだった。どうやら俺は今、正常な状態ではないらしい。気分が幾らか落ち込んでるのかなとステータスを見ると”沈痛”とか出ていて、当事者でもないのに衝撃を受けているようであった。
ミラノにミナセから聞いた話を言うと、少し目を見開いたけれども険しい表情で目を閉じて小さく息を吐くと首を横へと振った。
「……痛ましいことね。もし時間が有ったなら、アンタに時間をあげても良かった。
だって、友達だものね。アンタが人である以上、変に溜め込んだりせずに気持ちよく仕事が出来るように、人付き合いは大切にしてもらいたいし、そう言った事で時間や休みを与えるのも厭わないわ。
けど、今回は――諦めて」
”諦めなさい”ではなく”諦めて”と言った所に、多分彼女なりの優しさだったのかもしれない。無理強いの強制ではなく、どちらに重きを置くのかと言う考えの末に捻り出した言葉だったのかも知れない。
事実、俺がミラノを護衛する騎士と言う身分も立場も役割も無く、自立出来ているのであれば――融通を利かせてもらうことや、最悪ミラノ達との約束等を全て放り出してミナセが立ち直る切っ掛けくらいは与えられないか探ることも出来ただろうが……。俺には、全てを放り出した後に自立を維持する為の様々な事柄が足りなさ過ぎている。仕事をするにしても、生きるにしても――場所が必要なのに、俺にはそれが無いのだ。
となると、若干の自由を手に入れた次の目的は自立への準備だろうか。この前みたいな戦闘騒動でも起きない限り武働きは望めそうにないし、武働きでの一発屋を狙うということは――他人の不幸を願うのと同じだ。正義の味方となり、英雄となって人助けをしたいと言う願望は”他人の不幸を前提に成り立っている”と言う事を考えると、やはり正義の味方や英雄と言うのは存在しないほうがいいのだろう。
「アンタは、私の、付き人なんだから」
「――大丈夫。やるべき事をやるから、気がかりがあったとしても……迷わない」
「なら、しっかりして。アンタはこれから人を騙さなきゃいけないのよ?
それは私の母親であり、領民であり、他の貴族だったり――色々な相手だけど。
私達は、民を安心させ、貴族を牽制し、デルブルグ家の威光に陰りが無いことを少しでも良いから証明しなければ行けない。長年療養と偽ってお隠れになった兄を、見せるために」
「分かってる。だから、落ち着くように努力するよ」
そう言うと、廊下の向こうから「姉さま、馬車が着ました」というアリアの声が聞こえた。体調不良でも無さそうで、この前気分が悪そうにしていたのを引いていないようでほっとした。その日はアリアは部屋から出てこなかった、翌日は寮から出られなかった。どうやら気分を悪くした事で、連鎖するように体調まで崩してしまったらしい。俺が様子を見に行こうとするとミラノに呼び止められ、カティアのみがアリアと接することを許された。
しかし、仕方の無い話だろう。アリアは良い子だ、優しい子だ。そんな彼女が体調を崩しているとなれば、最悪男である俺が無体を為すという考えが生じてもおかしくは無い。そうでなくとも、異性に――兄のクラインに似た男に不調で寝込んでいるところを見られる事や、他人には見せられない様子を見られるのを避けたいと言う考えもあったのだろう。
「ヤクモさん……」
「俺は、大丈夫。二人とも気をつけて、何かあったらカティアを頼って欲しい。出来るだけ……色々出来る様に頑張ってくれたから」
ミラノ達とカティアは先に家に向かうのだが、俺だけ別行動なのは理由がある。同時に到着してしまうと不審に思われるだろうと言うことと、療養先がミラノ達が経由する道とは別だからだそうな。数日遅れの到着、別の馬車での移動等と――それなりに厚遇されているとは言え、不安は尽きなかった。
カティアは、幾らかトレーニングを共にし、戦いの時に優先順位をつけるようにと教え込み、支援と回復をメインに魔法を勉強してもらった。護衛が幾らか付くとはいえ、何かあったときには護衛を援護し、彼女自身も敵を妨害したり攻撃できるようになってもらっている。それでも、人間の”狡賢さ”には慣れてないだろうから、狡猾な相手が存在した場合は苦戦か敗北は必至だろうが。
「無理は、しないで下さいね?」
「無理はしないよ。ただ何時ものように、出来る事をやるだけ。出来ないことはしないし、やりたくない事はしない。ミラノもアリアも、分かってるんじゃないかな? 俺は、適当に楽をして生きたいんだって事が」
「――そうですね。ヤクモさんは、楽をしたいんでしたね」
俺の言葉は、あんまり届いてくれなかった気がする。何を考えてるのかは分からないけれども、寂しげで、悲しげで、苦笑いしているその表情は……俺の望んだものではなかった。もうちょい、馬鹿にされるような感じで――あるいは単なる苦笑で終わらせてくれたら良かったのに、そうならなかった。少しだけ考え込み、笑った。
「大丈夫、失敗したらミラノにまた蹴られるし怒られるから、頑張るって。
俺は嫌だぞ? 実家でやらかした失態の数で、後で学園に戻ったときに一括で叩きのめされるのとか。確かに幾らか頑丈かも知んないけど、顔面に蹴りとかもう嫌だって」
「姉さま?」
「うっ――。いや、だって。ほら、コイツがあんまり勝手するし。床で寝ようが床で食事しようが受け入れちゃうようなヤツだから、これくらいしないと理解しないと、思って……」
アリアがミラノを呼ぶと、それだけで傍若無人な躾をしてくるミラノがしどろもどろになる。これはあれか、アリアに過激な所を見せて体調を崩されても悪いからと自重する約束でもしていたに違いない。それを破ったのだろう、少しは身の危険が去るのを祈るしかない。
「大切にしなきゃ、ダメだよ?」
「わ、分かってるわよ。ただ――」
「ただ、なにかな?」
「う、うぅ~……!」
「相変わらず、面白い事になってるのね。貴方の傍は」
自分から軽い荷物の運搬を買って出ていたカティアも部屋まで来て、何時もの四人組が出来上がった。中心人物のミラノ、その妹であるアリア、付き人にされた俺、そんな俺の使い魔であるカティア。ただ、ミラノとアリアが楽しそうに騒いでるのを見ていると、俺はやはり輪に加わるよりもそれを眺めているのが好きなヒトなんだなとしみじみ思う。
笑みを浮かべて、輪から外れていると頬をカティアに引っ張られた。僅かな痛みと共に表情を引き伸ばされ、戸惑う
「な、なに?」
「一人だけ、老人みたいにならないでくれるかしら。貴方は、こっち側よ」
「分かってるよ。カティアも、人の事突いて遊んでないで、もしもの場合を考えておきなよ?」
「もう聞き飽きたわ」
「カティア、頼むよ。俺が居ない間は、カティアを頼るしかないんだ。
――何か有ったとしても、情報のやり取りしかできないんだから」
普段はMMOのように、パーティとして互いに要求と承諾をしなければただの個人だ。けれども、接続さえしてしまえば、互いの状態を確認できると言う便利な機能が俺達にはある。マップを開けば互いの位置情報が分かる、マップ情報も互いに更新しあってくれる。チャットと言ってるけれども、無声通話が出来るのも強みだ。今のところ距離は関係無しに、感明良好で声のやり取りが出来るので、今回はそれが生きることも有るだろう。既に互いにパーティーメンバーとなっているので、いつでもやり取りは可能だ。
カティアは俺の言葉を聴いてから、意地の悪そうな笑みを浮かべた。その表情の意味は読み取れないが、おふざけでもしようとしているのかもしれない。少しだけ、目を閉ざして何を言うのか待ち構えた。
「あら、私はそんなに信用や信頼が無いかしら?」
「努力するという、常日頃の姿勢は評価する。けど、結局は”実戦”では無い以上不安が残る。
その意図を、汲み取ってはくれないか」
出来るだけ穏やかに言ったはずなのだが、お願い事のように放った言葉は「思考しろ」という命令のように響いた。笑みを浮かべていたカティアから、笑みが消えた。それを見て俺は頭をかき、これじゃ八つ当たりみたいじゃないかと自嘲する。
だから出来るだけ柔らかい口調で、硬い言葉を誤魔化すように色々と吐露する。
「――不安なんだよ。俺が居れば、出来る限りの事はしてやれる。けれども、俺が居ないって事は何も手出しできないって事なんだ。訓練とは言え、一番戦闘に適してるのはこの四人の中なら俺が一番だと思う。自惚れでも何でもなく、この武器一つだけでも大きなアドバンテージになるから」
「なら私がその武器を持てば――って言うのは、無理なのよね?」
「”武器を使う”と言うのと”武器が使える”って言うのは違うからなあ……。それしか手段が無いのか、手段の一つに過ぎないのかって言うのには大分差がある。それに、不慣れなヒトに銃を渡すと無関係なヒトを撃ちかねないから却下」
カティアに六十四や八十九を渡したら、その大きさや取り扱いでまず手こずるだろう。だからと言って拳銃を渡した所で、狙いのつけ方や使い込んだが故の感性と言うのが無ければあらぬ方角へと弾は飛んでいくだろう。拳銃の取り扱いなんて、射撃場で金を払ってやったものを基礎にして、ゲームでの使い方を付け足し、自衛隊で整備をした時に触れさせてもらい、そこからプラスで此方の学園に来てから何度か撃っている。
そうやって訓練を重ねて、咄嗟に銃口を向けても概ね狙いが精確になるようにした結果が今なのだ。それでも遠くなればなるほど咄嗟の照準では命中よりも威嚇の意味合いが強くなってしまうし、当てようと思ったらやはり二秒はつかってしまうだろう。
銃の使い方が難しいんじゃない、取り扱いが難しいのだ。
「なら、やはりアドバイスを貰いながらって事になるかしらね。
優先順位はお二人、それと自分で良かったかしら?」
「護衛や御者は”出来れば”でいい。そもそも今回御者や護衛の主目的がミラノとアリアになっている以上、二人のうち一人でも損じたらダメなのは自明だ。最悪、護衛は死んでも問題は無いけど、御者が居ないと馬車が動かせなくなる。
だから、カティアは二人を守りつつ様子を見て護衛の兵士の支援や敵の排除。出来るようなら隙を見て治療やら何やらをしたら良い」
戦争や戦闘であればまた優先順位は色々違うのだろうが、今回はただの旅でもあり移動である。国民の救助だの、味方との連携だのだのは今回はほぼ無縁な話だ。それに、護衛の兵士が死んでよいと言うわけでもないが、彼らもまた自分の任務を理解して覚悟しているものとしておく。じゃ無ければ、何で兵士なんてやってるんだよと言う話になってしまうのだが。
「けど、貴方も自分の事は確り守るのよ? 大丈夫? 準備は出来てるかしら?
装備は? 咄嗟に使える魔法は考えてる? もし困ったら私を呼び出すのよ?」
「お前はダメ男製造機か。大丈夫だよ。こっちは重要人物は俺だけだし、最悪逃げ戻るから」
使い魔というのは、普段隠しておけると言う話をアルバート達としたのだが、どうやら別行動をしていても無理やり主人の方へと呼び戻すことも出来るそうだ。ただ、負担が大きいらしく、連続しての使用は出来ないらしいが。それでも、困ったら呼び戻せば良いと言う考えは一考するに価するだろう。なぜなら、此方の戦力を無条件で増やせるのだから。
けれども、別行動するとなったら今度はカティアが過保護娘になった。そうなる要因が幾つかあるし、一度死んでるし、私闘で負傷してるし、路地で気絶してるしで、心配されまくる要因がありありなのが如何ともし難い話だ。
「カティア、そろそろ行かないと」
「分かりましたわ、ミラノ様。それじゃ、ちゃんと元気に、無事に来るのよ」
「ヤクモさん、それではお屋敷で」
「ん、了解。行ってらっしゃい、みんな」
見送る言葉だったのだが、またクラインと被ったようだ。もう、同位存在としてクラインを「別世界に居る、育ちや生まれが違った場合の自分」として認識したほうがストレスを感じないかもしれない。アーニャとの話では、ベースは一緒らしいので同一人物と言っても差支えが無いだろう。暴論だけど。
三人が去って行くのを見送り、窓からその姿が消えていくのを眺めてからクラインの服装へと目をやった。昼以降に迎えが来ることになっているので、それまで気持ちを落ち着けたり考え事をするために時間を費やすことにする。
ベッドに横たわり、癖のように携帯電話を取り出してしまった。ドコモの携帯電話、アンドロイド。ネット環境が必要な事は一切出来ないけれども、それまでに突っ込んだアプリで遊ぶことは出来るし、これまでに保存された動画や画像ファイルなども閲覧できる。ただ、ツイッターを見ようとした自分に気付いて言葉を無くし、付随する記憶から逃げるようにストレージへと放り込んだ。
――☆――
昼食を食べてから準備を終えた俺は、迎えが来るまで正装の仕方やら、その際にどのように剣を提げ、どのような行動が可能で、何が出来ないかも考えていた。。
そして迎えが来たと聞き、相手が部屋まで来るらしいので待機していると――
「やあ、また会えたね君」
「――……、」
何故か、迎えに来たのはミラノ達の父親だった。いや待てや、あんた国王と一緒に行動してるはずじゃ無かったんかい。
「あの、国王と一緒じゃ……」
「あぁ、国王は先日既に戻られた。私の部隊も部下に預けて既に帰っているさ。
私は”クラインをそのまま迎えに行き、帰る”と言うことになっているからね」
なるほど。それはそれで納得の行く理由だが、だからと言って国王と一緒に来ておきながら帰りは別って――友達じゃないんだからさとか考えてしまう。けれども考えてみれば二人とも友人同士と言って差し支えの無い付き合いをしているので、別に問題が無いのか。
「準備は出来ているかい? 娘達とは別経路で向かうから、途中で着替えてもらう事になる」
「ええ、まあ」
「君の持ち物は責任を持って預かる。神と十二英雄に誓おう」
そう言われ、俺達は学園を出て馬車を止めてある場所にまで移動する。公爵と一緒だと言うことで衛兵がピリピリと緊張しているし、前に死線を潜り抜けた衛兵のおっさんも何だか唖然としていた。まさか迎えに来るのが公爵本人だとは思って居なかったのだろう、変に緊張させて申し訳ないと片手で申し訳のポーズ。
ある程度は見栄えを抑えているのだろうが、風貌などで誤魔化しが聞いてない。そもそも剣を帯びている時点で兵士などを連想するだろうし、その兵士が敬礼をしたりビビリまくってるのを見れば兵士よりも立場が上なんだろうなと想像できてしまうし、そもそも髪の毛や髭が整っていて、顔も格上だと感じさせる。俺もミラノ繋がりが無かったら、できるだけ近寄りたいとは思わない。師団長が居る建物に近寄らないのと同じ理屈であり、心理だ。
そして数名の護衛と御者が居て、俺と公爵は馬車に乗り込むだけで直ぐに出発となった。今回俺は私物を持っていけるような状況じゃない上に殆ど公爵が調整してくれたのだ、完全にお客様の状態だ。ただ、やはりと言うか何と言うか、居心地が悪すぎた。外交官の乗る車に乗せられて、送迎されていた子供時代を思い出す。SPまで同乗していて、怖い上に場違いだと思い知らされてプルプルしていたのを思い出した。
「馬車は初めてかね?」
「馬に乗った事はあるけど、馬車は初めてですかね……」
「ほう、馬の経験が?」
「あ、いえ。早駆けとかその程度でですね? 馬に乗って突撃をしたり、戦ったり、弓を射たりはした事は無いです」
しかも、馬に乗ったのは大分昔だ。出身地であるアルゼンチンで、ラ・パンパの大平原を数時間馬で駆け回ったくらいだ。それでも、馬を走らせたりだの何だのとしたのは事実だし、舗装された道じゃない場所を走らせたので少しは素人に毛が生えた程度にはなれていると思うが。
「まったくの未経験よりは良いだろう。君がこれから勲功を重ね、爵位が上がった場合は馬に乗ることも求められるだろうからね。
今回、君がそうしたいのなら馬に乗ってみるのも良いだろう」
「それが指示なら、そうします」
勝手をしちゃ悪いだろうし、そもそも地理に疎いので馬に乗ったところでどう走らせてよいか分からない。へんな方角に突っ込んで「君は軍事機密の区域に踏み込んだ、残念だよ」とか言われて処刑されるのも嫌だ。
そうやって、居心地の悪さと共に萎縮していると、公爵が笑みを浮かべた。それは柔らかく、まるで……実施に向けるようなソレだった。
「――なんの気兼ねもしなくて良い。自分がしたいようにしたら良いのだから。
もちろん、指導役をつける」
「あ、そう――なんですか」
「今回の一件、君には多大な負担を与えることになる。ならば、私に出来ることは出来る範囲で君に色々学ばせたり、知って貰う事くらいだよ。
馬術や剣が学びたいのなら、クラインに教えていた指南役を呼ぼう。本が読みたいのなら書斎を開放する、領地を見て回りたいのなら……一人でとはいかないが、外に行かせる事も約束する」
なんだかんだ、負担に見合ったメリットを提示してくれているように思える。けれども、やはり――
「自分は、クラインではありません。その事だけは、覚えておいてください」
「――勿論だとも」
「けど、自分にはやっぱり今回の事は無理があると思います。今回の休みでクラインを演じたとしても、そう何度も演じていたら気取られると思うんです。
帰らぬヒトを演じ続けるなんて……」
俺がこれからどうなるかは分からないが、ミラノの付き人が存在すると言う話は聞くことだろう。その人物がどのような人物か興味を持つ輩は、善し悪し関わらず現れるだろう。そうやって追った場合”ヤクモと言う人物を消し去る”と言うことでもして演じなければ、必ずばれるだろう。それこそ、本当に俺がクラインに成り代わらなければ、破綻する。
そのことを懸念したのだが、咳払いをした公爵がソレを否定した。
「誰が何を言ったのかは知らないが。私の息子は、まだ死んでは居ないよ」
「え? でも――」
「ただ、殆ど死んでいるようなもの……と言うのが正しいだろうね。
君はどこまでクラインについて聞いてるかな?」
「ミラノを救いに行って、その時に負傷して――帰らぬヒトになった、とだけ」
「それは、半ば当たっているが半ば間違っている。
私の息子は、致命的な傷を負った所までは――きっと、娘達や周囲が知っている事だろう」
「はい」
「――本当に、療養しているのだよ。ただ、目覚める事無く。傷は関知し、生命活動をしているのに目を覚まさないだけなんだ」
それは、また……。植物人間、と言うことなのだろうか? ミラノ達は死んだように言っていた気がするが、植物人間と言うのはそれはそれで辛い。なぜなら、二度と健常者のように自らの意志で動き回り、意味のある言葉を発することも出来ず、生きていると言うよりは生かされているという言葉が似合うような状態になっているのだから。
回復した、と言う話はたまにだが聞く。それでも、”たまに”という言葉の通り、珍しいことなのだ。少年時代に植物人間となり、三十歳を越えてなお入院しっぱなしと言う話を聞いた事もある。植物人間と貸した子を何度も見舞い、抜け殻のように存在しながら何も出来ずに老いて行く姿に絶望して自殺してしまう両親とかも――たまに存在するとか。
「……もしかしてこれから向かう場所に、居るんですか?」
「それを聞いてどうするのかね」
「――見る事で、重大さを認識できるかもしれないと思いまして。
自分は、いざとなったら逃げれば良いと思ってました。けれども、一日でも長く、踏みとどまれるようにしておきたいだけです」
俺は、弱い人間だ。何かのお題目が無ければ、楽な方向へ、苦しくない法へと流れていく種類のヒトだ。仕える国を持たず、守るべき家族を持たず、帰るべき家を持たず、これと言った強い目的はない。デメリットが高いから今は従うことが多いだけであって、そのデメリットも減って行ったならば楽なほうへ、楽なほうへと向かうことだろう。
けれども、今回は逃げちゃいけない事だ。そして、逃げないために自分から事の重さを理解し、デメリットを大きくしていく。そうする事で、後で痛い目を見るとか、そういった自制の仕方で行動を律するしかない。
俺の発言に公爵は髭に触れて少しばかり考え、「誰にも、息子が生きていると公言しないよう」と言い渡された。それに迷う事無く俺は頷き、自ら首を絞めた。
――☆――
夜営を一度ばかり挟み到着した町の中、一軒屋へと案内される。公爵が戸を叩くと建物から老年の男性が現れ、公爵の姿を認識すると帽子を脱いで胸にあてがうと一礼する。
「公爵様。ようこそ御出で下さいました」
「連絡も為しに訪ねて来てすまない。上がっても良いかな?」
「どうぞどうぞ……。何も無く、詰まらぬ場所ですが」
そう言って公爵が家の中に入っていく、俺も付いていくべきかなと逡巡し、恐る恐るついて行くのだが――家に入って老年の男性の視界に入ると「ほ……」という声が漏れ出た。
「公爵様、彼は――」
「似ているだろう? 彼は私の娘が召喚した人物でね。どうやら別の場所の人物らしい」
「そうですか。それにしても……いやはや、似ておいでですな」
そう言って、彼は俺を見る。俺はやはり居心地の悪さと共に、恐縮しながら萎縮するしかない。建物の中に入ると、まるで病院のような薬品の匂いが鼻を突いた。けれども、それは刺激臭と言うよりは、自分にとっては嗅ぎなれた安らぎの匂いでもあるが。花のような柔らかな匂いがする、それとは別に消毒液のような鋭くスッキリとした匂いもする。そして、重く張り付くような匂いもして、懐かしく思えた。
あまり他人様の家の中を見るのは宜しくないだろうと思いながらも、一人暮らしなのだろうか? 何人かで暮らしているのだろうかと探ってしまう。変に状況判断のために情報収集をしている自分が居て、ゆっくりと目線を戻した。
「ラムセス、彼はヤクモと言う。ヤクモ君、彼はラムセス。私が幼い頃はお抱えの医者でね、今はこうして息子の様子を見てくれているんだよ」
「――紹介して頂いた、ヤクモです。その……今回、訳有って公爵様の世話になる事になってます。今後お会いする事があったら、よろしくお願いします」
「ご丁寧にどうも、痛み入ります。かつてはデルブルグ家お抱えの医者として、老いて若い者に後を譲りましたが、今もこうやって大任を仰せつかっております」
互いに頭を下げ、礼儀を果たす。相手は医者で、しかも物腰柔らかい老年の人物だ。昨今ネットでよく聞くような「老いて尚のさばる」と言ったような人物ではなかった。初対面で喧嘩腰になる理由も無ければ、そのような教育も受けてない。老いたから敬われるのではない、地位が高いから尊重される訳でもないと俺は考える。どんなに老いていようとも偉ぶる事無く、どんなに地位が高くとも立派な人格者で有ればこそだと考える。
互いに挨拶を済ませると、公爵は話を切り出した。
「それで、様子は――変わりないのかな?」
「はい。残念ながら……。公爵様のお呼びした治癒師に見ていただき、処置をしていただいたりもしました。ですが、やはり肉体的には健康であっても、目を覚まされないのです」
「そうか……」
「見て、お行きになりますか?」
「あぁ、そうさせてもらおう」
ラムセスに案内されて公爵が突いて行き、俺もその後に続いた。幾つかの個室があり、薬品室と書斎、二階へと繋がる階段や台所等を確認した。二階へと昇り、とある部屋に入ると俺は言葉を失った。
――俺に似た、あるいはかつてミラノ達と共に避難した建物の中で見た絵画の人物とそっくりな青年がそこに居た。見ていて鼓動が早くなる、動悸が激しくなり、気分が悪くなった。まるで、俺が、そこで死んでいるようだ。ウプと嘔吐をしかけ、口元を抑えて何とか飲み込む。ドッペルゲンガーを見て不気味さに気分を悪くするとか、自分の死に様を幻想などで見せ付けられて大きすぎるショックで吐き出す気分が良く分かった。
殆ど死んでいる、と言う言葉の通り――呼吸をしているのかすら分からない。むしろ、全体的に血色は薄く、冷めているように見えた。死体と勘違いしてしまうのも仕方が無く、見れば見るほど正気が失われていく感じがした。
「何時目を覚まされても良いよう、身体をほぐしております。それでも、やはり不可解ではありますよ」
「――衰えが少なく、食事らしい食事はさせられてあげられないと言うのにあまり痩せ衰えない、と言うことかな」
「はい。まるで、クライン様の時間が限りなく止まっているのに近い状態になっているようなのです。
髪は一度も切っておりません、私のような老いぼれ一人ではお身体を清潔にして差し上げるのも一苦労なのですが、不思議と汚れは少ないです」
……俺は医学に長けている訳ではないので、もしかしたら病状や最低レベルでの生命維持をした昏睡などでそういった症状になるのかどうかなんて分からない。もしかすると現代医学では解明している病気の症状かもしれないし、そうじゃないかもしれない。ただ、素人知識でも髪が全然伸びないとか、新陳代謝が遅くなって垢が生じ難くなると言う事がおかしいとは思う。
「……おいたわしや、クライン様。眠られている間に、お二人の妹様はクライン様よりも先に行かれてしまいました。これでは、目を覚まされても……」
「ラムセスよ。死ねば終わりだが、目を覚まし――元気にさえなれば数年遅れようが構わぬよ。
人は生きた年数ではなく、積み重ねたものが重要なのだからな」
そういった公爵は優しげだが、それが虚勢のように聞こえてしまう。要するに、元気にさえなってくれれば良いと言う……一人の親としての、願いでしかないのだから。
「――ヤクモ君、これが私の息子の現状だ。同情してくれとは言わない、無理を承知でお願いする。少しでも、我々を元気付けるために……」
哀れだった、見て居たくなかった。もし俺が先に死んでいて、親が長生きしていたならばこうなっただろうと言う光景が、今目の前で繰り広げられているのだ。少しだけ考え、動悸を抑えるように首を振ると一つ、提案した。
「――彼に、触れても良いですか」
「――……、」
「自分に似ている者として、手を握って誓いとさせてください」
それは本来違う意味合いだった気もするが、そんな事を気にしている場合でもなかった。ただ、自分を騙すために、逃げたがりで楽したがりで、何もしたくない自分を追い込むためにそうしたいのだ。彼の名に誓い、彼の行動に敬意を表し、大切に思っていた家族に背かないためにも。でなければ、殉じた者に失礼であり、殉じた者に敬意を示せないのであれば俺は唾棄すべき下らない俗物へと成り下がってしまう。
「――息子も、きっとそうしてくれることを望むだろう」
「っ……。ありがとう、ございます」
そうしてくれることを望むだろう。その言葉を、愛情を向けてもらいたかったのは俺のほうだ。俺に良く似た人物への言葉だったが、まるで俺が親に……俺が死んだ時にそう言ったかのように錯覚した。
だから俺は恐る恐る手を伸ばし、クラインの手へと触れた。床に膝を突き、握った手を自身の額へと当てて、彼が守ろうとした――守ったミラノとアリアのことを思い浮かべ、その二人を裏切らないように願い、誓う。自衛官の心構えのように、あるいは宣誓のように。
黙祷のように一分前後の時間をそうしただろう、多分手厳しいヒトが俺の行為を見たら「示威行為でしかない」とのたまっただろうが、そんな事はどうでも良かった。ただ、言葉と同じように――取り消せないものとして示せば、それを裏切る度に自分の価値が下がると……戒めることになればいい。
「――ありがとう」
聞きなれない声が聞こえた。それに驚いて目を見開いて周囲を確認すると、アーニャと出会うような暗い空間に居ることに気がつく。そして声のした方には、死に体ではないクラインが、正装でそこに立っている。
「ここは……俺は?」
「僕の心の中、もしくは頭の中……かな?
よく分からないけど、僕の意識の中に――君がいきなり現れたんだ。
あぁ、紹介が遅れたね。僕はクライン。クライン・ダーク・フォン・デルブルグ」
「俺は――ヤクモ。えっと……爵位は、ナイト」
奇妙な邂逅と挨拶だった。どこか分からない、訳の分からない挨拶に互いに戸惑っていた。なるほど、何と無く俺がクラインと似ていると言う理由が何と無く分かる。言葉遣いというか、喋り方が何と無く似ているような気がした。一人称が違い、髪の色や目の色が違うくらいで違いは多く無さそうだ。皆が俺を見て戸惑うのも理解できる。
挨拶をしてから奇妙な間があったが、クラインはなにやら忙しなく周囲を見ていた。真っ暗闇の空間の中、何かがあるかのように見回しているので俺も同じように周囲を見るが、何も無い。
「――そっか。君は、僕が居ない間に二人を守ってくれたんだ」
「え?」
「君の記憶、っていうのかな。映像とか、絵が教えてくれたよ」
「――見えないんですけど」
俺の視界には、やはり何も無い空間の中でクラインが佇んでいるのが見えるだけだった。彼はまるで本棚から本をとるような仕草をしているけれども、俺にはパントマイムを《馬鹿に》している用にしか見えない。
「え? ほら、ここに――。というか、周囲に沢山浮かんでるでしょ?」
「俺には、何も、見えない!」
「おかしいなぁ……。君がオークやゴブリン、ウルフと戦いながらミラノとアリア――それに、アルバートやグリムを守ってる所とか見えてるよ? 他にはアルバートと八対一で戦ってる所とか、姫様と街中を歩いてたり――これは、オルバか。オルバとも戦ったんだ」
「なんか、俺の記憶ばかり抜き取られてて物凄い嫌なんですけど!」
ただ、今のところ閲覧されてるのはこの世界に来てからの物だけらしく、羽が生えた女神の話などは出て来なかった。もしかすると、クラインの求めている情報のみが出てきているのかもしれない。
――が、HDDの中身をゴッソリ他人に閲覧されているみたいで嫌だ。
「ずっと、こんな所に居たのか」
「そうだね……」
「一人で、ずっと?」
「意識がまるっきり無いわけじゃないんだ。父さんが君と一緒に来て、僕の様子を見に来たことは……ボンヤリと分かるんだ。今回だけじゃない、前も、その前も、僕が倒れてから何度も、何度も」
「――それは、辛いな」
「辛いね。僕は、辛うじて生きている。けど、それ以上でも以下でもないんだ。
ずっと天井が見えてて、ラムセスが僕の面倒を見てくれている。声をかけられても、僕は返事が出来ないんだ」
意識があるだけでも辛いだろう、けれども一番辛いのは身内が――家族が見に来て、その様子や語りかけを見聞きしながら何の反応も返せないと言う事だろう。戦争映画で良く見る、二度と戦場に戻ることが出来なくなったが為に頭を抱えて涙を流すような光景を思い出す。
大分違うかもしれないが、何も出来ない自分に絶望すると言う意味では同じだろう。本当なら次に家族を支えなければならないのは長兄である自分の筈なのに、若くから社会離脱でお荷物状態とか――
「死にたく、なるな」
「死にたく、なるね」
同じ抑揚で、同じ声で、少しだけ違う言葉遣いで同じ考えにいたる。そしてクラインはそっとため息を吐くと、寂しげな顔でこちらを見る。
「一つ、頼まれてくれないかな」
「内容によるけど、何?」
「君に、妹達を……そして、家族を。お願いしても良いかな。僕には目覚める見込みが無いから、こうやって存在し続けているだけで――足を引っ張ってる。父さんが僕を忘れられないから、母さんも過去に囚われてる。両親が僕に……過去に囚われている限り、妹達も過去から逃れられない」
その言葉を額面通りに受け取るのなら、「僕の代わりに家族を、妹達をよろしく」という意味になる。けれども、後半に付け加えられた言葉の意味を咀嚼し、飲み込み、半ば冷静さを欠いたままに理解する。
「それは、生き長らえる処置を止めて――殺してくれと言ってるようなもんだって、分かってるか?」
「僕はそのつもりだよ」
「お前は、立場が逆だったら……。俺が同じ状態で、家族を任せるから殺してくれって言ったら、やってくれるか?」
「――難しいことを頼んでるって言うのは、分かってる。けど、これは僕の問題じゃない。家族の――デルブルグ家の問題なんだ。僕が生きている事で家族全員が共倒れになるくらいなら、僕は自分が死ぬ方を選ぶ」
その言葉を聞いて、同位存在なんだなと思い知らされる。『俺のせいで家族の重荷になるのなら、死ぬ方を選ぶ』という言葉は、何時だったか、誰かに言った言葉だ。よく覚えてないけれども、高校を卒業する前に――クラスメイトに聞かれて答えたんだったかな。誰だっけ、運動が得意な子だった記憶はあるんだけれども、全くもって思い出せなかった。
俺はクラインを見つめ、それから少しばかり考え込んでストレージから魔導書を取り出して読み漁る。項目は忘れられたかつての魔法、それと禁忌と言われる項目や”プレイヤーチート”といわれるページも読む。
理解が追いついてるのか分からない、けれども何が出来るか分からないので読みながらクラインに言う。
「今から見せる書物のページの呪文を唱えてくれるか?」
「えっと、何をするのかな」
「――自分だけ楽をしようだなんて、そんなの許すわけが無いだろ?
だから、できる事をやろうと思う。”ステータス”と”コネクト”って奴だ」
「……分かった」
何か言いかけて、それを飲み込んだクラインは魔導書で見せたページの呪文を目で追いながら詠唱する。そして一つずつ詠唱を完成させると、彼は明らかに戸惑っていた。
「これは……?」
「説明は追々するから、今は視界に映っている”コネクト”を選択して俺の名前か俺自身を指し示して承諾して欲しい」
「コネクト……。どこの言語だろう、聞きなれない単語だなぁ」
場違いなことを考え、そして呟いている。そんな所まで似てなくていいのにと思ったけれども、相手からしてみれば俺が僕に似ているのにと考えていることだろう。そうやってクラインが地味に寄り道をしながら「エクィップ? あぁ、身に付けてる物の事なんだ」とか呟いてるのを聞きながら、自分の視界に「クラインからパーティーへの要望がきています」というウィンドウが表示され、それを即座に選んだ。
すると、視界の隅にクラインの名前が映し出される。――カティアの名前の次に、だが。これ、カティアの視界にもクラインが追加されたのがばれてしまうだろうと思い、『一時間程度コネクトを解除する』とメッセージを飛ばし、カティアをパーティーから弾いた。即座にカティアからコネクト要望が何度も鳴り響くが、暫くすると沈黙した。どうやらメッセージを読み取ってくれたらしい。
そして、俺はクラインのステータスを見させてもらう。体力は六割程度しかない、魔力は満タンだ。状態異常が無いかどうかを確認すると、重傷者かといわんばかりに幾つも幾つも表示されていた。その中から原因と思しきものを見つけ出す。
「仮死、麻痺、神経毒。それと――封印? なんだ、封印って……」
「それが、僕の状態? 君は、色々と凄い魔法を知ってるんだね」
「まあ、神様に祝福されて、一度死んで生き返った人間ですから。
それで、何か心当たりはあるかい?」
「麻痺と神経毒とかは分かるよ。多分、僕が差し違えた相手の武器に塗られていたんだ。
――聞いた話だと、そうやって自由を奪ってから相手を支配する魔法で思うがままにするつもりだったらしいから。その狙いが父さんだったらと思うと、恐ろしい話だね。
封印って言うのは、僕が僕にかけた魔法なんだ」
「自分で自分を封印したのか」
「もしかしたら、僕の体を犯している毒とかが全部取り除かれて、傷も治して貰った上で、解除してもらえると思ったんだ。けど――父さんが僕の存在を隠してしまった事と、僕の封印……無の魔法の階位が高すぎた事で解除できる人が居なかったんだ。まさか姫様を呼ぶ訳にも、僕の為に解呪や解除の魔法を覚えてもらうなんてわけにも行かないし。
それに、僕自身の体に流れる時間が遅くなった事で、医者が毒に気付けなかった……。結局、封印を解いても僕はその毒に今度は殺される――だから、詰んでるんだ」
なるほど。一縷の望みを賭けて自分を封印し、救って貰う事を考えたらしい。けれども、結果として自身の魔法使いとしての優秀さと魔法の効果、それと境遇によってそれらは不可能となってしまった。じゃあ姫様に魔法を覚えてもらって治して貰おうという展開も、その前に毒を全て取り除かなければ死ぬ。けれども毒を医者が感知してくれるようになるには封印を解かなければならない。二つのボタン、という話に似ている。同時に押せば扉が開いて逃げ出せるが、片方のみ押された場合は二人とも死ぬと言う話だ。何の映画だったかは覚えてないが、あちらを立てればこちらが立たぬと言う言葉の通りになっているのだろう。
「僕が、どれだけ追い詰められているか分かったと思う。だから――」
「言ったろ? 楽なんかさせてやら無いって。お前はこれから起きて、未来のデルブルグ家の跡取りとして鈍った肉体を鍛えなおして、妹達の後輩として学園に通い、領地の運営とかも勉強してもらう。
それで、暫くしたら婚約者の話とか、政治戦争に巻き込まれて苦労しろ」
「はは、それで君は得するの?」
「する。公爵家跡継ぎを治したら、それこそデルブルグ家を助けたといっても遜色無い。そしたら、働かないで済む様に計らって貰うのさ。仕事をしなくても生きていけるような賓客として迎え入れてもらって、毎日やりたいことだけやる」
半ば本気で、半ばその場を和ませるような言葉。お前のためじゃないよ、俺のためにやるんだと言う事で変に感謝されまくったりするのを避けようとした。それは上手くいったのか、クラインは口元に手をやって笑っていた。そして笑いすぎて流れた涙を拭うと、生気と活気の戻った表情で俺を見る。
「そうだね。もし、僕が生き長らえることができて、回復できたのなら。父さんにそう願い出るよ」
「お、やった」
「屋敷に住んでもらって。まだ寝ている君を叩き起こして、食事にでも誘おう。
そして、本を読んでいる君を連れ出して馬に乗って領地の見回りにでも行こうかな。
僕が忙しくて死にそうなのに怠惰な時間を過ごしている君を引きずって、剣の稽古につき合わせるのも楽しいかもしれない」
「それ、俺が楽しくないよな!?」
「僕が楽しいんだ。それに、もう無理だって諦めてる僕を”君の都合で”起こすんだから、それくらいは大目に見てもらわないと」
「はいはい、分かった分かった! ただ、治せる確約は無いからな?」
「一度は捨てた命だし、今も失われつつある命なんだ。失敗しても、文句は言わない」
その言葉を聞いて、俺は魔導書を読み漁りまくる。毒を回復させる魔法は高ランクで、しかも神経毒が原因で麻痺になっているのか、麻痺がメインで神経毒が付随したものなのかが分からない以上魔法を無駄にかけまくるのは頭の良い手段とはいえないだろう。じゃあどうすれば良いのかを悩み、探り、そして一つの手段を思いつく。
魔法に自信が無いのであれば、確実に回復させられるであろう手段を選択すればいいわけだ。だから俺は――あと数点残っている”得点”とやらを使うことにした。視界に映るウィンドウ画面の隅っこに”得点”と書かれた項目と掛け幾つと数字まで書かれている。
『アーニャ、アーニャ!』
アーニャから一方的に繋がれたことのある通話のような会話。それでも、得点を利用するとなれば絶対に繋がるだろうと思い頭の中でアーニャの名前を呼び続けた。精神世界の中で、頭の中で声をあげると言う行為も変だろうが、そもそもアーニャの居る空間自体が異質なのだからどうでも良かった。
『はいはい! 聞こえてます! ばっちりです! 得点ですか、何にするか決まったのですか?』
十回程度、時間を置いて呼び続けた結果。アーニャの声が聞こえた。しかも俺が特典を利用すると言う事を理解しているので話が早い。
『得点を利用したいんだけど、何でも願えるんだっけ?』
『はい! 腕を四本にしたいと願っても良いですし、実は王家の隠し子だったと言う事にするのも簡単ですよ? 魔法の威力倍率を上げたいとか、身体能力をもうちょっと上げたいとかでもオッケーです!』
腕を四本にしたいと思ったことはないし、王家の隠し子という設定は跡継ぎ問題に巻き込まれるのが分かりきってるので嫌だし、魔法はそこまで行使してないのに威力を求めても仕方が無いし、身体能力はアルバート達が強化したくらいで並ぶので今の所求めるほどでもない。
アーニャが何をそんなに張り切ってるのか分からないけれども、その全てをスルーして話を続けた。
『なら聞きたいんだけど。どんな半死人でも……それこそ、あと数秒で死ぬかもしれない人を治すような薬とか、頼んだら出せる?』
『出そうと思えば出せますが……。どのように治すか、と言うのは詳しく教えて頂かないと難しいです』
『じゃあ、俺が今居る場所。目の前に居る”クライン”という人物を調べて、その人物を治せる薬を貰いたい』
俺がそう言うと、アーニャの声が暫く途絶した。そして間を置いてから『え?』という声が漏れた。
『その方を治す為に、得点を使われるのですか? お渡しした魔導書の中に、全ての状態異常を治す魔法等も載っていると思われますが』
『文字通り、死に掛けなんだ。一回も練習してない魔法を、こんな土壇場の相手に使いたいとは思わないよ。だから、頼む』
『……分かりました、直ぐに準備いたします。というか、出来ましたので、ストレージの中に入れておきますね』
時間がかかるかなと思ったら、あっさりと出来上がったらしい。ストレージの中を見ると『エリクシル』というアイテムが新規に追加されており、効果を見ると『全ての状態異常を回復、毒などの治癒、怪我や負傷の回復、身体能力の向上』と書かれていた。
『ありがとう、恩に着る。これで助かるかもしれない』
『いえいえ、私は貴方様が当然の権利を行使し欲したものを、その通りに差し上げただけですから』
これで治せるかもしれない、そう思って笑みを浮かべるとアーニャの声が静かに響く。
――貴方様は、やはり他人の為に自分の身を削るのですね――
~ ☆ ~
気を失っていたかのような錯覚に陥り。何度か瞬きをくり返すと、どうやら俺はクラインの手を握って額にその手を重ねて祈るように誓いを捧げていた所だったようだ。ただの夢だったような気がして、怖くなってストレージを確認すると確りとエリクシルが追加されていた。
なので、俺はクラインの手をベッドに横たわらせ、立ち上がる際にひっそりと自分のポケットにエリクシルを捻じ込んだ。
「……ありがとう。きっと、息子も喜んでいるだろう。では、そろそろ――」
もう時間がおしているのかもしれない。部屋を出ようとする公爵を見ることもせず、俺は呼び止めた。
「公爵、少しだけ――試したいことがあります」
「――何かね」
「実は、前にミラノ達を救って死んでから、自分の失敗を補うように錬金術と薬学を少しだけやったのです。その時に作った回復薬を、与えてみても宜しいでしょうか」
「すまないけれども。腕の立つであろう人物を、数多く呼んで見せてきたんだ。その結果が、今なんだよ。
それに、私は君に息子を診せたいと思えるほど――何かを知っている訳じゃないんだ」
そう言ってから公爵は「理解してくれるね?」と一呼吸置いてから付け足す。当たり前だ。まだ公爵とであって間もない上に、幾らか心を許してもらえたとは思っているものの「とりあえず害を成す人物じゃない」程度の認識でしかないだろう。そんな相手に、何を使ったかもわからない回復薬を実の息子に使わせるなんて、正気ではないだろう。
それに、回復するよりも”悪化するのではないか”という考え方も出来る。悪化した場合、死んでしまうかもしれない。それよりは、例え目を覚まさずとも眠り続けている今の方が良いと考えるのも頷ける。だが――
「悪化したと思ったなら、殺してくれて良いです」
「それほどまでに自信が有ると?」
「――彼の手をとり、誓いを立てている時に神の声が聞こえました。
自分には、彼を治す手段があると。そしてその手段は、私が作ったこの回復薬以外には無いと考えたからです」
「神が――」
一度死んでいることは、ミラノやアリアから聞いているだろう。事実、俺は棺桶に突っ込まれて天に送る歌まで捧げられ、運び出されて埋められる所だった。そこまで行って、なお息を吹き返して蘇ったのだ。あの場所に、公爵も確か居たはずだ。そうでなくとも、死を確認したミラノとアリアが俺が蘇るところを見ている。だから、ハッタリではなかった。
少しばかり考え込んだ神は、少しばかり老け込んだ様子で天井を見上げた。本来は見せてはいけない表情だろう、可能性に賭けてみるべきか、それとも失敗を恐れて拒否するべきか。もし回復したら? いや、もしかしたら何も起きないかもしれないし、死んでしまうかもしれない。そんな事を考え、幾年も積み重ねた返事の無い語らいやら、治るかも知れないと様々な人を呼んで肩透かしを食らった事も思い出したのかもしれない。
その表情は、一人の男であり、父親であり、肩書きや身分も関係ない――子を案じる者の悲しみと苦しみの顔だった。そしてその顔がゆっくりと俺に向けられた時には、ただの公爵に戻っていた。
「――何も起きなかった場合、私は何も見なかったことにしよう。だが、もし悪くなった場合、私は君を許せないだろう」
「それが、親として当たり前だと思います。自分の親も、そんな人でした」
「神に愛され、一度は死んだ君に賭けたいと思う。ラムセス、外してくれ」
「畏まりました……」
ラムセスは一度だけ俺と公爵を見て、悲しげな表情をしながら頭を下げると礼儀正しく退室した。そして扉が閉ざされた部屋の中には死体のようなクラインと、俺と、公爵のみが残される。言葉は無く、公爵はクラインの頬に触れた。
「神よ、我が子を救いたまえ。彼の者を救ったのであれば、その祝福の一欠片をお恵み下さい――」
「――……、」
それは、祈りであり、懇願であり、哀願であった。俺が両親の死を聞いて、除隊し、現実に向き合えなかった頃に似たような事をしていた。酒に溺れ、思い出に溺れ、涙に溺れた。そして合掌し、神に「両親を生き返らせてください」と願ったこともある。しかし、一年、二年と経過していくと、「両親の魂が救われますように」というものに変わり「両親が安らかに眠れますように」となった。そんな自分に、似ているように思えた。
そして公爵が離れるのを見てから、エリクシルを取り出してから何度も何度も頭の中でやるべき事を確認する。まず飲み薬を与え、それから封印を解除する。逆の場合でも助かるかもしれないが、リスクを犯す必要は無いのだから確実な方法で行こうと集中する。
「もし、自信がなくなったのならそう言って欲しい。何も、無かったことにしよう」
「いえ……いえ! 大丈夫です、やります!」
公爵は部屋の隅で席に腰掛け、憔悴を隠せない声でそういった。今ならまだ引き返せる、無かったことにしようと言ってくれたのだ。けれども、それは出来ない話だ。だったら、最初から俺は何も言わなきゃ良かったのだから。期待させておきながら「やっぱ、怖いので無理です」とか「自信が無いので、無理です」なんてのは、通せない。
エリクシルの入った瓶の蓋を取り、少しずつクラインの口へと含ませた。死んでいるようで、僅かに生命活動はしているようだ。口の中に何かを入れると、ゆっくりでは有るが飲んでくれている。一滴も溢さず、残さないように口の中を確認しながら、少しずつ飲ませていった。五十mlは有ったであろうエリクシルを全て飲ませると、俺は公爵が居ることもお構いなしにストレージから魔導書を取り出した。当然、公爵は幾らか驚いている。
だが、そんなのは無視して封印に連なる項を開き、その呪文を違わずに唱えるようにする。魔法なんて不慣れで、怖くて、自身なんて無い。それでも――。銃と同じだと思えば、徐々に落ち着く。朗読なんかは授業で散々やっている、読み上げているだけで詠唱になるのなら同じだと思えば気持ちは楽になった。
あとは、俺が俺じゃなくなればいい。国を守る、人を守る、誰かを守る、家族を守ると言う高尚な使命に燃えていた人になりきれば、正しい手段、正しい方法、正しいと思うことをやるのに不安も恐怖も無かった。
詠唱を終える、呪文も発動したはずだ。魔導書をストレージにしまいこみ、後はクラインの様子を見守るだけなのだが――
「ごふっ……」
噎せたクラインが、口から血を吐いていた。その瞬間、俺の頭から全ての情報が零れ落ちる。え、え。なんで、どうして? 詠唱は間違えなかった、確りと一言一句読み上げたし、完成にまでこぎつけた。エリクシルも全て飲ませたし、回復したはずだったが――。
考えてみれば単純なことで、そもそもエリクシルが即効性のある薬だとは誰も言ってなかった。であれば、暫く寝かせておいて、また今度時間が有るときにでもやれば良かったのではないだろうか? だが、次が何時になるのか分からない以上、今やるしかなかった。だからやったのに、これか……。
公爵がため息を吐き、ゆっくりと立ち上がる。俺は覚悟を決めるしかなかった。
「――残念だ」
「……はい」
「君は、私の息子を死に追いやったのだ。当然、報いを受けなければならない。
だが、それは後だ。もし逃げれば、狩られるだけだ。逃げなければ、君がこの世を旅立つ準備くらいはさせる」
せめてもの情けだったかもしれない。俺は、急きすぎたのだ。今回死んだらどうなるのだろう、流石に蘇生はさせてもらえないのだろうか? 蘇生したらしたで逆上されかねないし、今度はまた姿形を変えてやり直すことになるのかもしれない。
そんな事を考えていた俺だが、俯いていた所で誰かが俺の手に触れた。驚き、その手が誰のものかを眼で追った。すると、それは公爵のものでも、部屋を出て行ったラムセスのものでもなく――クラインのものだった。
「クラ、イン……?」
「なに?」
「っ――」
殆ど閉ざされた目蓋の隙間から、僅かに瞳が覗いていた。そして変化する事の無い表情が苦しく歪んでおり、顔そのものが俺や公爵の方へと向けられている――。俺も、公爵も驚いたままにクラインを見ていた。
死にかけなのか、それとも復活したのか判断付かずに居ると。クラインが蚊の鳴くような声で何かを言う。俺は直ぐに耳を口元に寄せ、公爵もまた身分を忘れて床に膝を突いた。
「クライン、何を言いかけたんだ? ほら、大丈夫だ。ちゃんと、伝えてやるから」
「――息子よ、言いたい事が有るなら、言うんだ」
俺も、公爵も。そのまま言葉を待った。そして、苦しげにつむがれた言葉は、これだった。
「お腹、空いたな、って」
――☆――
クラインは、衰弱したままではあったが目を覚ました。そして血を吐き出したものの毒の影響は暫くすると徐々に抜けていったらしく、死ぬ恐れも無くなった。公爵はそんな声が出せたのかといわんばかりにラムセスを呼び、直ぐに食事を準備し様態を見るようにと言いつけた。
結局、公爵はラムセスに「恐れ多いです」と言われながらも一日更に遅く出発する事にしていた。俺は俺でクラインをパーティーから追放してカティアと接続すると、滅茶苦茶小言を言われたので参ったものだ。だが、クラインが目を覚ましたことで公爵にもクラインにも良い展開へと転がったようだ。俺は肩の荷が幾らか下りたと思いながら、ラムセスの買出しについて行き買った酒を一人であおっている。
家の中では公爵がクラインと話をしているし、ラムセスも食事を与えながら様態を見ている。つまり、俺はただのお邪魔虫というわけだ。
「あの、宜しいのですか?」
「こっちに来ると伝えてあるので、大丈夫ですよ」
護衛の兵士は、馬車の様子を確認しているようであった。不審な物が無いか、あるいは何かが盗まれては居ないかと点検しているのである。そんな馬車と護衛を見ながら、俺は石階段に腰掛けてエールの入った瓶をそのまま傾けている。買い物終わりに一本、家を出る前に一本、着いてからもう一本と大分飲んでいた。幸いなことに、顔が赤くなり難い体質であることと、殿酔しようが意識が維持できるので変に心配されずに済んだ。
やがて護衛の兵士も馬車の点検を終えると「風邪をお引きになりませぬよう、ご自愛ください」と言ってから宿へと去っていった。俺は今回客人なので護衛は”相手をしなければならない”と思ったらしいが、俺はそうなるだろうと思ったので「自分の相手はしないで良いので、自分のやるべきことをしてください」と先に言ってあった。
兵士が去り、馬車と馬だけが残された。学園のある街よりは規模も人の数も少ない町ではあるが、それでも宿や酒場では喧騒が聞こえるし。フラフラと酔っ払いが通りを歩いていくのも、気持ち悪そうに吐いているその様子を巡回の兵士が遠巻きに眺めているのも見て取れる。政治的、外交的、地位的な価値は違えど人という存在はそんなものとは関係無しに居る。
町の様子を眺めながら瓶を傾け、持ってきたエールが無くなると後で捨てようと瓶をストレージへとぶち込んだ。そして、何とも言えない虚無感だけが俺を包む。理由は分かっている、公爵もクラインも感謝してくれた。間違いなく、良い事をした筈なのだ。けれども、ああやって親が子を案じる姿を見ていると、どうにも自分の親を思い出して仕方が無かった。
なので、あまり学園でも見ないようにはしている携帯電話だったが、取り出して保存されている映像を再生した。
『Hola~、元気? ほら、ユウヤ。おじちゃんに挨拶は?』
『ブ~』
妹と生まれた赤ん坊の映像だ。生後半年ぐらいで、まだハイハイも出来ない。気に入らないものを吐き出すことから、ブブブブブと唇を鳴らすことを覚えたらしく、唾を吐き出しながら音を立てていた。
『ほら、お父さん。だっこして、だっこ』
『えぇ? 俺は、無理だよ』
『無理でもやるの、お父さんでしょ~?』
俺の父親が、父さんが妹に言われてカメラを妹に手渡し、赤ん坊のユウヤを抱っこする。抱っこされたユウヤは「誰コイツ?」見たいに顔を見上げていたが、直ぐにまた唾を吐き出すようにブブブブと唇を鳴らしていた。
映像を別のものへと変える。
『乾杯!』
『ほ~ら、兄貴。羨ましいだろう? 肉だ、焼肉だ。そっちは今富士山か? 冬も始まっていると言うのに、よくやる……。美味しいものは食べられないのだろう? だから、代わりに美味しいものを食べているところを送ってやっているんだ。感謝して欲しいね』
『そんな事を言うな。お前の兄はな、俺と同じ”国の為”に仕事してるんだ。しかも、自衛隊だぞ? 自衛隊』
『それは分かってる。全く、父さんは何時も何時も兄貴の自慢ばかりで喧しくて敵わない。
その憂さ晴らしだ』
映像を変える。
『Ma~? Que esta cocinado?』
妹が母親に、何の料理をしているのかとスペイン語で訊ねている。
『Hola, mi hijo. Comoesta?』
母親が赤ん坊を抱っこしながら、妹がカメラを回している前で俺に「調子はどう?」と聞いていた。
そうやって、何度も何度も映像を変えていって家族のことを思い出す。当然のように、涙が流れていた。学園でも、時々我慢ができずに部屋を抜け出しては家族のことを思い出して泣いている。そして一人で泣いた後は、自分の事が情けなくなってまた暫く「確りしないと」と頑張れる。
馬宿なら、変に人が居ない分大丈夫だった。公爵等とは離れ、護衛も戻り、居るのは馬だけだ。ある程度泣いた後に、顔を洗うと何食わぬ顔をして家まで戻り。幾らかクラインや公爵、ラムセスを挟みながら会話をする。
――これで良かったんだ。そう自分に言い聞かせ、一日を終えた。
翌朝、俺達は町を離れることになった。そして夜営を二日ほどしてから辿り着いたのが公爵の領地で、夕方になってようやく公爵のお屋敷にまで辿り着けた。
「お帰りなさいませ、旦那様」
「一日遅れてしまって済まなかったね」
屋敷の前、執事が公爵が馬車を降りるのを手伝う。それを見送りながら、俺は公爵に呼び出されるまで待っている。そういう手はずになっているからだ。
カティアからメッセージが幾つも送られているし、到着する間際まで幾らか声を投げかけられていた。一日遅れただけなのだが、どうやら不安になったらしい。俺は馬車の車輪の不具合と、それが実はただ車輪の稼動域に石が挟まっただけだったと嘘をついた。当然、カティアは騙されなかった。メッセージや通話で”クライン”に関して言及された。短時間とは言え、同じくパーティーに加えられたのを見たのだろう、なんと説明すべきか……。
「それと、今回は客人が居る」
「えぇ。そのようにお聞きしております。何時もの様に、お部屋のほうも準備できております」
「その部屋は、客室なのだろう? しかし、今回は違うぞ」
「と、申しますと?」
執事が疑問を抱いた声を上げる。それを聞いて、そろそろかなと思っていると、公爵が「降りなさい」と声がかけられた。きっと、これが合図だろう。そう思いながら、俺はゆっくりと立ち上がると馬車から出ようとした。そして、執事が俺を見てその表情を驚きに変えると公爵が紹介する。
「クライン――。我が息子が、目を覚ましたのでね。様態が安定したので、短い間だが家に戻れることになった」
「クライン様……? おぉ――」
クラインが目を覚ましたのは事実だ、様態が安定したと言うのも拡大解釈だけれども嘘ではない。けれども、やはり長年微動だにせず眠り続けていた代償は大きかった。
結局、今回のお屋敷来訪にクラインを動かすのは体調に関わると言うことで見送られ、ラムセスによって満足な食事と後遺症等が無いかの検査、リハビリをする事となった。ただ、エリクシルの効果に”身体能力の向上”と有った為に回復自体はそう長くはかからないだろうといわれた。
目覚めて最初に口にした小麦粥は自分で食べることも出来ないくらい弱っていたが、その日の夕食の頃には自力でベッドで半身を起こし、自分の手で食事をする位にはなっていた。最初は言葉を発するのも辛そうだったのに、昼になると短い言葉なら出せるようになっていたし、夕方には咳き込みながらも通常会話を難なくこなしていた。
運が良ければ、俺が屋敷に居る間に回復しきって戻って来られるようになるとか。そうなったら俺はお役御免なのだが――。既に仕組んだこの馬鹿げた茶番を、今更無かったことにするのも勿体無いと公爵が言い出した。どうせなら一日でも早くクラインが戻ってきたように思わせておきながら、途中で本人が戻ってきて「ビックリしたかい? サプライズだ!」という展開にしたいのだろう。
けれども、責任の重さは大分軽くなったが――決して無くなった訳じゃない。だから俺は、自らクラインを演じる。
「クライン・フォン・デルブルグ。ただいま戻りました――なんてね」




