32話
自分がされたくない事を考えてみなさい、相手はそれを狙ってくるものです。
訓練の中で、中隊長が事前に皆へと言った言葉だった。翌日から師団検閲で、師団長が部隊の練度を確かめるために様々な状況を与え、与えられた任務や目標とは別にランダムに降り注ぐ状況にも対処しなければならない。
突撃して敵陣奪取したと思ったらガスが仕掛けられていて、呼気も整わないのに目を閉じ息を止めて防護マスクを装着しなければならない。行軍、突撃、敵陣奪取、地域安定化、他中隊の作戦行動に同期するまで陣地の保守と連続して何日も日をまたぎ、固定された時間帯ではない睡眠と安定してとれない睡眠時間の中で、夜襲が行われる。
相手が疲れて休息を求めているのなら、休息させてしまえ。そのときを狙って襲撃すれば即座に応じられる兵士は少ない。なら、疲れさせるには何をすればいい? 戦うしかない。だが、それにも様々なやり方はある。状況によって全て変わるが、余裕があるのなら戦闘中に殺す数よりも負傷兵を沢山相手に生じさせればいい。負傷兵は程度にもよるが、一時的に数名が戦線から引き抜かれ、長期的に負傷させた何割かが戻って来れない上に傷病死の確立が増える。負傷兵は戦死とは違って衛生兵の労力が必要になる、運送に労力がかかる、看病に場所を食う、治療に物資を食う、そして戦えないが飯を食うので物資が減る等々ゝゝ――。
嫌がることを一つでも多くする、そうすれば勝ちやすいということだ。
俺は、姫さんを引き連れて路地を抜けている最中に建物の影に違和感を覚えた。それは市街地戦闘の訓練で散々叩き込まれた事柄で、心臓が縮まるような恐怖と共に振り返る。
「どうしたのじゃ?」
「――……、」
しかし、建物の影の伸び方と太陽の角度から逆算した方角を見ても、そこに人影らしきものは無かった。そして自分が今見た影を見ると、人の上半身の影が無くなっている。安堵するのが普通だろうが、俺は胸の痛みと共に”今のが実戦だったら死んでた”と言う思いで焦りが生じた。相手が銃を持った現代戦であろうと、弓を持った中世等であろうとも変わらない。人の体力だ生命力だと言われるものは、健康などによって変わるだろう。しかし、戦いにおいての”生命力《LP》”は誰しも一しかない。剣で斬られても死ぬ、矢が刺さっても死ぬ、迫撃砲で半身吹き飛んでも死ぬ、核の炎で影に残されるくらいに蒸発させられても死ぬ。危機感を覚えない奴は、臆病じゃない奴は真っ先に死ぬ。
そう言えば、それほど遠ざかっていない筈なのに大通りの喧騒がまったく聞こえなくなった。ざわめき、ささやき、話し声、そして足音……。聞こえないほうがおかしく、意図的に”排除されている”と考えると恐ろしさが勝った。
「姫さん、誰かにつけられてる」
「お、おぉ? それは真か」
「今、人影を建物の屋上に見た。それに、金属の擦れる音が”不可解な響きで”聞こえる。
屋上から、誰かが俺達を追い回してる」
狙いがどちらかは分からない。けれども、それが敵であれ味方であれ俺は『姫さんが無事に王様が来るのを見るのに協力する』と言う契約じみたものを結んでいる。俺がもしただの傭兵だったなら、報酬を捨てて逃げても良いし、追っ手が姫さんを回収しに来た人物だったのなら引き渡してもいいのだ。だが、不安要素や不確定要素で楽観視する事は出来ないので、黒に近い灰色として対処しなければならない。
「――学園に戻れば、姫さんは城まで帰れるか?」
「う、うむ。流石に詠唱中を攻められると弱いが、詠唱が終わるまで守れと言うのも酷じゃからな」
「なら、学園まで行こう。ここはあまりにも建物が多すぎる」
可変銃のグリップをポケットから出し、使い慣れた九mm拳銃へとその形を変える。そしてストレージ内部で煙幕手榴弾やら、閃光手榴弾やらの存在を確認した。そして自分の目的を確認する、姫さんを逃がすのを最優先とし、交戦は最低限にするということ。最悪自分が足止めして姫さんにはさっさと逃げてもらう事も視野に入れなければいけない。
「よし、それじゃあ自然に歩きながら、道を変えて――」
道を変えて、最短すぎない道を選んで行こう。そう言おうとした瞬間、自分と姫の間に影が降って来たのを見た。視界と銃口の同期、上を見るのと同時に銃がそちらに向けられる。盾を構えながら、長剣を抜いたままにこちらを鋭く睨み付けている兵士……と言うよりも、特殊部隊のような相手が降って来ていた。攻撃すれば盾に弾かれ、何もしなければ盾に押しつぶされ、回避を試みても剣に斬られかねない。しかも、横を見ると矢が飛んできている、迎撃すれば矢に射抜かれ、回避しようとしたら剣の範囲から逃れきれない上に姫さんを護れない。これぞ、こちらの行動を狭めてくる戦いだった。
だが――
「殺すな!」
銃を向けている、相手の目的が何であれ引き金を引けば弾があたる。その状態になって、姫さんの叫び声が響いた。その叫びで、胴体を適当に撃とうとしていた俺は肩を狙うのに時間を割いた、相手はその叫びで落下中なのに硬直してしまった。必要なのは敗北しないこと、その過程で綺麗で居ようだなんてありえない。
俺が選んだのは比較的リスクの少ない選択だった。矢に肩の付け根を穿たれ、ダメージを受けるという選択で矢の攻撃を終了させる、その代わりに銃で相手を撃つ事無く落下してきた相手を迎え撃つ。回避は最低限にして盾の防御をそのまま攻撃にするような、落下による押しつぶしは回避する。回避したことで、自動的に相手が追撃に動いた。長剣の刃が届く範囲にまだ俺が居る、そのまま剣が振り下ろされるが――。剣を振り下ろそうとしている手を掴み、そのまま腕を伸びきった状態で固定して、肘を拳銃を握った手で思い切り”曲がらない方向”へと殴りつけた。
「あぐっ!?」
人間の間接は、曲がる方向が決まっている。力の籠めやすい、伝道させやすい方向と言うのが定まっていながら、逆に脆い箇所も存在する。伸びきった腕の肘に思い切り打撃を加えればどうなるか? それは、反則ややりすぎと言われる行為になる。電撃が走るような痛みが腕に走り、剣を取りこぼした上に暫く片腕は使えなくなる。余程考えが無ければ盾のみで戦うことを選ばないだろうが、その落下する剣を掴みながらその兵士がよろめいた所へ、膝の内側を思い切り蹴りぬく。
膝の内側を蹴り、その勢いに抗えない場合は姿勢を崩す上に向いている方向が半ば変わる。そいつの体制が崩れたと同時に剣を握り、矢の飛んできた方向へと思い切り投げた。当てるつもりはないし、当たるとも思っていない。だが、必要なのは時間稼ぎで、こちらの体勢を整えることだ。襲撃した相手を拘束して肉盾とし、そのまま壁際に寄って相手の襲撃可能な方角を限定しながら、前面の安全を確保した。
投げた剣は相手の幾らか下の、建物の壁にぶつかる。それでも”こちらに飛んでくる”と言う恐怖が、幾らか俺の時間を稼いでくれたのでそちらを確りと確認し――弓兵の肩を拳銃で射抜き、とりあえずは対処する。
「……襲撃は失敗したな、えぇ? おい。お前ら、あの女性が誰だか知ってて付回してたのか?」
「――……、」
「成る程。だんまりか。姫さん、こいつらはどうやらこちらを狙った理由を話したくないらしい」
「むむむむむ……」
ミラノに比べて、姫さんはあまりうろたえていない様だった。俺も驚きはしたが、痛みとかそういったものよりも今度は不可解な気がかりが残った。矢が当たったのだが、別に強化した服だったりしないのに刺さっていないと言う事実。見れば本来であれば貫通しやすく加工しているはずの先端が、布みたいなものを巻きつけられて死傷目的じゃないのが気にかかる。
「言え。お前らはどっちだ、姫さんの敵か、味方か」
「――……、」
どうやら、敵か味方かすらも言わないつもりらしい。判断に困り、どうするか迷うがため息を吐いた。少なくとも”やるべきじゃない”手段を、今は選ぶべきじゃない。仕方が無いとため息を吐くと兵士を解放し、突き飛ばした。
「他にまだ襲撃の意志や意図がある奴はさっさと出て来い! 全員叩きのめして、とりあえず追ってこれなくしてやる!」
「それは困りますね」
「!?」
背後から……壁越しに聞こえた声に、はねるように回避行動を取っていた。地面を転がる最中で見た背中合わせにしていた壁が、綺麗にスッパ抜かれている。そんな状況に驚きつつも銃を構えると、炸裂音と共に拳銃が弾き飛ばされた。
「――え?」
何が起きたのかを理解しようとするよりも先に、相手が更に動いている。慌てて今ある武器で咄嗟に使える剣を抜き、相手の剣撃と被って火花が散った。剣の腹で何とか相手の剣を受け止めている、そんな相手の片手には”銃のようなもの”が握られていて――
――弟に、そっくりだった。
「お前……」
髪の色は違う、表情も幾らか違うが――。見間違える訳が無かった。
『兄貴、最近出たゲームがオンライン対応で協力プレイが出来るんだが。
手伝ってくれないか?』
イケメンではないが、俺よりは多少印象に残りやすい顔。理知的な表情をしていて、その分感情的な要素を見出せない――見下しているとか、退屈そうと言われる表情。
『今度イベントが有るだろう。兄貴はどうせコミケに行くんだろう? 俺も知り合いに会いに行く用事が出来てな、このメモに記した薄い本を入手して欲しい。手間賃、交通費は負担するし、おつりは要らない』
俺が灰色の青春時代と人生に沈んでいった中で、対照的に弟は有名大学に入学してネットゲームで知り合いを増やし、攻略動画を研究してニコニコできる場所に投げるような――俺とは別次元の、生産性のあるオタクだった。
『兄貴に今一番必要なのは金だろ』
俺は長男で、弟は次男。本来であれば一番確りしなければならないのは俺で、父親等に何か有った場合に背負わなければならないのは俺で、逆に弟や妹に何かあれば頼って帰って来られる様にある程度の地盤を作り上げなければならなかったが。それを成していたのは弟だった。
優秀で、聡明で、誰が何を求めているかを確実に理解してそれを与えられる弟。その人に似た人物が、目の前にいる。冷静を保つのは、幾らか難しくなった。
「見覚えのある顔だな……何者だ?」
「それは僕の台詞です。貴方は、何者ですか?
どこかの誰かに、よく似ている」
「よく言われるね。だが、ま――っと!」
剣を弾きながらステップで距離を取りつつ弾かれた拳銃を拾う、俺も相手も長剣の片手持ちに拳銃と言うまったく同じスタイルだ。似ている、似ている、似ている。途中まで、様々な細かい道を歩んできた筈なのに、大筋が似通っていると言う弟とまた似ている。銃が好きだった、剣が好きだった、ミリタリーが好きだった、伝記や神話が好きだった、遺跡が好きだった、ゲームが好きだった。高校を出てなお好みの一致が多く、だからこそ目の前の奴が似すぎていて――苛立たしかった。
「――やはり、荒事は厳しかったようですね。ご苦労様でした、屋上の仲間を連れて下がってください」
「――……、」
「こちらはご心配なく。僕がお相手をします」
そして負傷した人物に声をかけ、転がっていた兵士はゆっくりと起き上がると武器を拾い去っていく。その時に剣を見ると、刃が鋭く見えないのに気がつく。完全に威嚇、圧力、あるいは捕獲や叩きのめすことを目的とした物なのかもしれない。
姫さんは俺とその男との中間の位置で、安全な壁際に寄っている。その姫の存在を目線で確認した相手は、そのまま俺を確りと見ている。
「さて、貴方は誰ですか?」
「俺は、ヤクモだ」
もしこれが本当に自分の弟だったら「兄貴、有名なキャラか何かか?」と言われていただろう。しかし、相手は眉の一つも動かさずに、詰まらなさそうに、あるいは表情から何も読まさせたりはしないと言わんばかりに冷たい。
「嘘ですね。貴方はある日突然学園に連れて来られた。それよりも前の情報は一切無く、デルブルグ家に今は保護――いえ、仕えているとか」
「結果的にそうなっただけだ」
「そして英雄として叙任、今はこの国の国王のたった一人の娘である姫を連れている。
それを、疑わしいと思わないほうがどうかしている」
「――となると、あんたは敵じゃないと見ていいんだな?」
色々考え、姫さんの為に俺を疑っている。そんな相手に剣を向ける理由は無かった。もう見つかっているのだし、ここで武力行使を味方にしてまで逃げる必要は姫さんにも無いだろう。剣を収め、銃も引っ込めてため息を吐いた。
「何故武器を収める」
「だって、姫さんに関わりがあるんだろ? そんな奴斬ったりしてみろ、面倒なことになるのは目に見えてる。例えば負傷を理由に手配されるとか、変に立ち回りをすると今度は目立つ。
俺は目立ちたくないし、面倒なのは嫌いなんだ。姫さん、ごめんな。黙って城まで送り返せそうに無いや」
そう言って軽く両手を挙げて無抵抗の意志を示すが、直ぐにその手を息を吐くと同時に下ろす。
「まあ、そちらの眼鏡さんが――」
「オルバだ」
「そう、オルバが。何事も無かったと城に帰るまでとりあえず見逃してくれたなら、それも大丈夫だけど」
「む?」
「俺は――ここで姫さんが『何事も無かった』と言うことの為に、わざわざ争う事に価値を見出せない。かといって、引き渡した場合――どうするつもりで?」
「姫様はしっかりと送り届ける。そこにお前が関知する必要は無い」
「となると、表から出なきゃいけないわけだ。それは良くないんじゃないかな……?」
「何が言いたい」
いやなに、と勿体つけるように前置きして、続ける。
「さっきまで姫さんは民衆に混じって見ていて、それを国王とデルブルグ家当主に見られている。けれども見逃されてる、黙認されている以上は『何も無かった』としなければならない。
けれども、そこでオルバが姫さんを連れて出て行けば沢山の人に認識されるし、せっかく黙認して見逃したものも追及されてしまえば白か黒かで答えなきゃいけなくなる。となると、芋づる式に姫さんが抜け出すのを止められなかった城の者や、警護にまで表向き処罰しなきゃいけなくなる。
騒ぎになると言うと言うわけだ」
国王には見つかってないが、それを確認する手段は今のところ彼にも無いだろう。それに、公爵には見つかっていたのは事実なので、半分本当で半分はでたらめ――嘘だ。だが、同じように父親である国王も出ていたと言うし、嘘と言うよりもハッタリに近いだろう。発言の重要度を高める、この場さえ乗り切ってしまえば後で確認したところで、国王自身も同じ事をしていたと言う事実が有る以上怒り狂って俺を捕らえようとしたり、姫を罰したりしようとはしないだろう。
「だが、それが職務だ」
「たしかに、職務だろうさ。けど、わざわざ騒ぎにする必要は無いだろ?
姫さんには何事も無かったように帰ってもらい、オルバにも帰ってもらう。
そして、今回の件で抜け出したことやそれを止められなかったことに関しては内々で話をつければいい。
そうしたら、国王や公爵が黙認したのをわざわざひっくり返さず、けれどもちゃんと職務に準じることが出来る。お城に帰ったら、今回の件で姫さんに言いたいことやお説教、それに罰でも何でも与えればいいさ」
「んなっ!? 妾を売るつもりか、お主!!!」
「売るも何も、黙認されてるならバレないようにうまくやれ。今回は見つかったんだから、それに見合った罰を受けないと示しがつかないじゃないか」
それが俺の考えだった。とりあえずこの場は見逃してもらって、姫さんには帰ってもらう。そしてオルバにも帰って貰って城で今回の件で話し合えばいい。少なくとも、俺はただ依頼されただけなのに、姫としての有り方や教育係としてのあり方で角の突合せや話し合いの場に交わるのは不毛が過ぎる。それに、壁を綺麗に”斬った”あの技量、それと火薬を利用したあの銃……。アレを相手にするのは少々梃子摺るので相手をしたくない。
オルバが何か言いかけたが、打算に関してではなく俺の言葉も付け加えとく。
「……根を詰めて勉強しすぎてるんだろうなって、息苦しいだろうなと思ったから俺は今回手伝ったんだ。
俺にはこうやって息抜きする手伝いくらいしか出来ないけど、それでも良いのならまたおいで」
その言葉は、かつての自分にだったか、それとも陸曹になりたいので落ち着いて勉強をしたいと部屋に来ていた後輩にだったか、それとも大学受験間際にお腹を緊張とストレスで痛めながらも頑張っていた弟にだったか……。もう、忘れてしまった。けれども、そんな言葉が自然に出てきたって事は、いつかどこかで誰かに言ったのだろう。だから、すらりと言えたのだ。
その言葉に幾らか憮然とした感じだった姫様も、次第にしょげてきて「むぅ、分かったのじゃ……」と言った。どうやら今回は負けを認める方向らしい。オルバは特に何も言わず、眼鏡を押し上げただけだったが――深いため息と共に髪を掻いた。
「――姫様。今回は、彼と父親に免じてここで会った事は、今ここでは咎めません。
ただ、僕が帰ったときに逃げていたなら、分かってますね?」
「わ、分かったのじゃ!」
そう答えた姫さんが慌てるように詠唱し、その詠唱が完了すると僅かな光を纏ってその場から消えた。本当なら俺も詠唱と言う”準備”をしてから発動させなきゃいけないのだろうなと、そんな事を考えていた。
「さって、と。俺もお役御免だし、そっちももう用は無いだろ。
それじゃ、また会う事があれば――っ!?」
もう互いに固執する理由が無くなった。だからオルバと言う姫さん付きの教育係と居合わせる理由も無くなったので、穏健に立ち去ろうとした。そうしようと思った。だが、姫さんがいた空間からオルバへと目線をやると見えたのは別たれた世界だった。上と下に分離した世界、その中間に有るのは銀の線――いや、剣の刃だった。
「づっ!?」
ほぼ捨て身の、その場に背中から倒れこむような回避だった。マトリックスだったなら九十度も膝から上を水平に曲げてなお復帰するだろうが、そんな力は俺には無い。目の前で回避に揺られた髪の毛が一房切られて宙に散った。背中から地面に倒れこみ、踏み込んできた相手をけん制するように蹴りを放ち、その勢いを利用して後転受身をとる。
「待て、待てって! 姫さんは帰った、俺は敵じゃないって証明になったはずだ!
なんで攻撃を――」
「えぇ、とりあえずは……その点において、信じましょう。ですが、今度は個人的な問いが有るのです」
「なら武器を振りかざす必要は無いだろ! 何で剣を振るう!」
「それは単純な話です――」
――貴方が、デルブルグ家の長男に似ていることが問題なのです。
そう言われて、俺は歯を食いしばり、怒鳴り散らしたくなるのを耐えた。なら何故お前はそんなにも弟に似ていて、なぜ弟の他人行儀な面をそのまま持ってきていて、なぜそこまで似ているのかと叫びたかった。俺はオルバが弟に似ていることで、それを追求しようとはしなかった。なのに、なのになのになのに! この世界の奴らは、ドイツもコイツも俺を見てクライン、クラインと言いやがる。ミラノも、アリアも、その親も、姫さんも――多分アルバートやグリムも言いはしなかったが似ているとは思っていたのだろう。
ギリと歯が鳴った、そして俺も剣を抜く。多分、聞く耳を持たないのだろう。自衛のためにも、抵抗するためにも剣は必要だった。
「俺が似ていると、何の問題があるんだ?」
「デルブルグ家の為になりません。現実に、貴方を喚んだとされる姉妹やその父である公爵の態度はあまりにも優しすぎる。似ていると聞きましたが……ええ、貴方の最後の言葉は――確かにあの方とそっくりでした。なので、危険だと判断します」
「――なんで?」
「貴方と言う存在で、かつていたあの方の存在が消されてしまうからです。
似すぎている、発言の節々であの方を思い出す。けれども、そうやって幾重にも日々を過ごしているうちに――あの方と言う存在が貴方に侵食されてしまうことでしょう。
気がつけば、”クライン”と言う本来の子息の存在は追いやられ、傍に居る似ているだけの貴方の存在が台頭する……。そして、いつかは遠い記憶の存在になってしまうでしょう。僕はそれを危惧しているのですよ」
「……言ってろよ。お前らは知らないだろうな。そうやってクラインに似ていると言われる度に、俺がどれだけ苦しい思いをしてるか」
認められたい、存在していても良いんだと思えるようになりたい、一個で一顧だにされるような人物になりたい。無価値でなんか居たくない、そんなマイナスを抱えた俺が、何とかしようと――何とかなろうと幾らかの行動をしたとしても、既に居ない人物に重ねられて霧散してしまう。そして始まるのは、どこかがあの人と違う、あの人はそんな事を言わない、やっぱりあの人じゃないと勝手に落胆し、失望し、キレると言う三重苦。しかもそこに俺の過失や失態が介在しなくても起こりうる、最初からの不利益、悪いことをしてないのに責め立てられるのは許容しがたい。
「お前に分かるか? 俺は有名になりたいわけでも、功績を積み重ねて偉くなりたい訳じゃないのに勝手にそうされる苦しさが。お前に理解できるか? 自分でも自分の事を信じてやれないのに、自分の思うよりも過大な評価と期待をされてしまう辛さが。それでも、期待された以上は、評価されてる以上は頑張ろうって思ってるのに全部比べられて無意味にされてしまう虚しさが。
ただ、ノンビリ暮らしたいのに。少しずつでも良い、多くを学び出来ることを探りたいのにそれをさせてもらえなくなる境遇が」
「――……、」
「あぁ、理解してるさ。クラインも……ミラノとアリアの兄も同じように努力し、父やその地位と肩書きに負けないように頑張り続け、苦しんでいたって言うのに。そしてそれもまた似ているって事くらいに。けどな、俺からしてみたらオルバ――お前だって俺の弟にそっくりなんだよ」
そう言い切って、俺は相手がどう出るのか待ち構えた。攻撃してこないならそれで良い、攻撃してくるのならそれを払わなければならない。位置や間合いをはかる様に移動をしながら、建物の屋上や道の角から他の襲撃者が来ないかも確認する。
逃げるのが得策だろうが、下手に逃げれば待ち伏せていた奴らに引っかかる可能性が高い上に、もしこの無音で隔絶されたような感じがする空間が”切り離された物”だとしたなら、その境目で見えない壁にぶつかる可能性だってありえる。
算段を立てている最中だったが、相手がゆっくりと拳銃を俺へと向けた。同じように俺も拳銃を向ける。
「おや、貴方も同じようなものを持っているのですね。ですが、無駄です。
先ほど貴方は私の部下を撃つのに一発使っている、脅しにもなりません」
「へえ? と言うことは、お前の武器は単発式か。それは良い事を聞いたね。
残念ながらこっちは連続して撃てるんだ。それこそ、十人かかって来ても対処できるくらいにな」
「何を馬鹿な――」
乾いた炸裂音、弾ける金属の音。オルバの握っていた拳銃を狙い撃ち、その手から弾いた。オルバが「うわっ!?」等と悲鳴を上げている中、俺はその様子を見ながら冷静に――いや、静かに恐怖を深めた。弟に似た男に拳銃を向け、そして引き金を引いた。そして拳銃を弾かれた手を庇っている様子を見て、弟が実弾を受ける光景を想像してしまった。その妄想を直ぐに叩き出し、歯を食いしばって無理やり笑みにした。
弟に殺されると言う想像だけでも衝撃は受けるのだが、自分が殺されるよりも弟が死ぬ……自分が大事な家族を殺すと言う想像の方がダメージはでかかった。
「まさか。連続で射撃が出来る物なんて、まだユニオン共和国でも研究段階だというのに……」
「俺の居た場所が、技術的に優れていたんだろうな。それで、どうする?」
「舐めるな……。『闘志の炎よ、我が肉体に祝福を』!」
そう言いながら、オルバは懐からお札を取り出して握りつぶし。その手を開くと朱色の光が彼を覆った。柔らかい光が彼を、先ほどの文言どおり祝福しているように見える。詠唱の形態は学園で聞いたものと合致しない。何の魔法か分からないが、警戒を深めながら俺は銃をしまいこんだ。
「行きますっ!」
「づあぁっ!!!」
速度上昇……? いや、むしろ筋力増強の効果を得る魔法だったのかもしれない。剣の振りが遅れた、片手で迎え撃ったことがパワーバランスの不利を生んだ。剣を弾き飛ばされなかったのは良かったが、腕ごと防御を崩される。そんな体勢の崩れたところに、半回転を加えた蹴りが腹へと叩き込まれる。腹にたまっていたアルコールが逆流し、鼻と口からあふれ出たが――意識は変に飛ばずに済んだ。ステップで距離を保ち、変な笑いが漏れた。
「――学園最年少卒業者って聞いて、知恵者だと思ってたけど。文武両道か」
「当然です。城に仕え、姫様を教育するに当たって何時如何なる時でも護れなければなりませんから」
「なあ、やめようぜ? お前に武器を向けるのも、攻撃するのも気分が悪い……」
「では、貴方がどこの誰なのか――背後を全て吐いてくれますか?」
「だから、ミラノに呼び出されて……。ここじゃない、どこかから来て――」
同じ事を重ねる俺に、言葉にならないと言わんばかりに踏み込んできた。今度は同じ轍は踏まないと、しっかりと相手の速度を込みで行動する。狙いたい、武装解除や強奪の技術での無力化。しかし、何度か打ち合っている中でそれが難しいと分かった。オルバの腕や手を掴んでみたが、そのまま一振るいで俺の体勢が崩されるか投げ出されてしまう。隙が少なく、相手に自分を捻じ込むには身体能力の差が酷すぎた。どんなに技量や技術を積み重ねても、小人が自分の数倍も有る相手に通用しないのと同じだ。手首を捻るにしたって、相手が自分以上の力で抵抗したらただ相手の優位な状態に対して自分が不利に手を伸ばしている事にしかならない。
結局、何度もオルバと打ち合い。その合間合間に飛んでくる肉弾攻撃にも対処をしながら戦闘が長引いていく。もう俺の主張が通ることは無さそうで、ただただ汗で濡れていく服の不快さと籠もる熱気でクタクタになっていく。
「流石に、ただの打ち合いでは下せないみたいですね。公爵の娘達やヴァレリオ家の三男を助けただけの事はある」
「どうだ。無理に俺を打ちのめして、存在しない背後関係を吐かせようとするのが簡単じゃないって事が分かっただろ? 馬鹿な真似は止せ、俺に! 武器を、向けさせるな!」
「『集え焔よ、我が敵を焼き払え』!」
次にオルバがやってきたのは、学園でミナセやヒュウガがやって見せた『武器に魔法を纏わせる』というものだった。長剣が火に包まれ、煌々と明るく光る。その剣をオルバが一閃横へと振るい、剣先を思い切り地面へと擦らせながら振り上げた。すると、炎が地面を走ってくる。まるで可視化された衝撃波のようで、防ぐ手立てが思い浮かばなかった。ただ、命中すると拙いのか、留まっていると拙いのかが分からずに、ただ炎と言う性質のみで俺は突っ込む。走り、命中する直前に飛び込み前転をする。だが、通過したと言うのに服が燃えているかのような暑さに全身の筋肉が痙攣する。痛み、熱さ、それに対する自己防衛反応。
「ああああぁぁッ!?」
火炎放射器で人が焼かれるのを戦争の歴史で学んだ、災害において火災で人が焼けるのを見た事がある、学生のときに焼却炉へのゴミ捨てで制服が燃えて腕を火傷したことが有る。もし俺が燃えていたのなら、きっと叫ぶことは出来なかっただろう。炎が呼吸と共に喉を焼き、内臓を焼き、二度と声を出せなくしていたはずだ。
けれども熱さや痛みに悶える程度のものでしか無かったらしく、背後で壁に当たったのか炎がなにかを焼くような音はしなくなっていた。だが、痛み悶えている暇は無く、自身に治癒魔法をかけて回復を図る。後でひどい空腹に見舞われるかもしれないが、そんな物は今を乗り切ってから心配すればいい。
「魔法も使える、と。情報どおりですね」
「炎は、必要以上の苦痛を与えるって知ってるか……? 痛いんだぞ、死ぬんだぞ!」
「では、別のものにしましょう」
詠唱をする相手の文言を聞いて、俺は慌てて剣を地面へと突き刺した。『雷鳴』なんてワードを聞いてしまったら、流石に何が来るのか予想できてしまう。振り上げた剣が雷撃を纏い、それが俺に向かって振り下ろされると真っ直ぐに飛んできた。電撃、当たっていれば行動不能になる可能性は高い攻撃。人の脳は、微弱な電流で神経に指示を出している。手を握る、開く、歩く、走る等……電気で動いていると言っても過言ではない。電機で動いているとは言え微弱なのだが、そんなところに電撃などを食らえばどうなるか? 神経に出された指示が全て狂い、筋肉は痙攣や硬直を起こし、目の焦点ですら合わなくなり、必要な力は弛緩して抜けていってしまう。
つまり、炎が最大効率で人を破壊するものだとしたなら、電撃は最大効率で人を無力化するものだ。そんなものを食らえば、口を開くことも出来なくなり『その後、彼らの行方を知る者は、誰も居なかった』という展開になってしまいかねない。だからと言って回避をしようにも、雷のようにある程度拡散するだろうと俺は踏んだ。だからこそ、剣を地面に刺したのには理由がある。”避雷針”と言う奴だ。少なくとも俺よりも前方に存在するその剣に電撃は全て集まり、そのまま地面に流れるだろうと踏んだのだが――その目論見は正しかった。
剣に雷撃が吸い込まれ、暫く帯電しバチバチいっていたがそれも直ぐに収まった。指で突いてから剣を掴むが、なぜかオルバは信じられないと言った様子でこちらを見ていた。
「な――。電撃を、避けた? 馬鹿な、そんな事が……」
「俺も、学者じゃないから詳しくはいえないけど。ま、何とかなって良かった……」
「い、今のはどうやって」
「雷が落ちる原理と同じだろ。細かいことは知らないけど――っと」
剣を地面から抜き、少しだけ真剣になる事にした。弟に、家族に似ていることがどうしても本気にさせてはもらえない。最悪の場合、家族の死に目には会えないと言う風に言い聞かせられてはきたが、家族に武器を向ける心構えなんて一切した事が無い。けれども、少なくとも――ここで闇に消えて一生を終えたいとは思わない、なので抵抗する事にする。
「なあ、オルバ。さっきの言葉が確かなら、これはお前の”私闘”なんだよな?」
「えぇ、そう取ってもらって構いませんが」
「なら、俺がお前をボコボコにして、ここから逃げてまた普段のように明日からも生活しても、まさか手配したり連行しようとしたりはしないよな?
だって私闘だもんな? 身分や階級関係無しに行われた喧嘩だもんな! それとも、城仕えのお偉いさんは最近成り上がった雑魚を相手に、負けたら身分を持ち出すほど器が小さいのかな?」
「――そのような挑発には乗りませんが。約束しましょう。オルバ・ライラントの名にかけて」
……なんか、名前が短くないか? たしか、名前の後に続く二つが貴族階級の筈なのだが、それが無いまま二つで終わってしまった。もしかしたら後で「階級には誓ってませんので」とか言い出すかもしれないが、俺は全力で「う~そついた、嘘ついた~!」と責め立てる所存である。
そう来なくちゃと言い返し、俺は反撃に転じる。剣を何度かぶつけ合い、互いに攻守の動作が大きくなる。斬る、突く、払う、振り下ろす……。様々な攻撃が互いに繰り出されるが、一手ごとに攻守交替するカードゲームのように趨勢は変化していく。火花を散らし、打ち合う姿は私闘ではなく死闘にちかいだろう。
そして二人とも”大きな隙”としか見えないくらいに剣が振り切れたのを見計らい、手を伸ばした。オルバはポケットに手を伸ばす。
「『盾よ――』」
「『ハイドロ・エクスプロージョン』!!!」
伸ばした腕とオルバが取り出した札が交差する。そして俺が発動させた、魔法と防御魔法らしきものがぶつかり合い、互いに吹き飛んだ。大きな炸裂音、前に俺が街中で炸裂させた爆発魔法よりも火力よりも衝撃力にのみ特化させた亜種の魔法。それでも爆発に変わりは無く、熱と衝撃を互いに受ければただではすまない。背中から地面に叩きつけられ、むせ返る。それでも、防弾チョッキ越しに空砲を受けた時に比べれば理解と覚悟出来ていた分ショックは少ない。直ぐに起き上がり、数歩よろめいてから小走りで駆け寄ると、地面に仰向けになっているオルバを少しだけ起こす。
――目を回し、唖然としているのか衝撃で意識が朦朧としているのか反応が無い。だが、俺はそんなオルバの首に片腕を差込み、首の気道を血管を押さえ込むことに成功する。後は思いっきり力を籠めれば勝ちなのだが――。
「どうだ、まいったかこの野郎! これが自爆攻撃だ!
このまま後は気絶させて……」
「誰を気絶させるって?」
「え?」
背後から聞こえた声、それが誰なのか理解するよりも先に、視界にデカデカと表示される『状態異常:眠り』と表示された。その理由が何なのかを知る前に俺の意識は途絶していた。
――☆――
次に目が覚めた俺は「あれ、見覚えのある天井だなぁ……」なんてボケをかましていたのだが、それから三十分も経たない内に部屋へとやって来たミラノにボコボコにされ、冷たくも硬い石床に正座させられ、やって来たオルバにミラノが謝罪していた。
場所は学園。俺が平和を愛し、グータラと過ごせると思っている場所である。最近では私室を手に入れ、自由度やプライベートを確保できたので精神的な負担も減ってきたのに……。俺は、自分の部屋で、痣と鼻血に顔を汚し、敵対していたはずのオルバの顔が冷や汗に濡れ、口端が幾らか引き攣っている様であった。
「申し訳ありません、オルバ様。この、バカにはわたしが制裁……いえ、お仕置きをしておきます。
なので、どうか寛大な処置をお願いします。ほら、アンタも謝るっ!」
「あの、マジすんませんでした……」
どうやら、俺が姫さんと外出したのを後で知ったミラノ達が外出して探しに来たらしいが、折悪くオルバとの交戦中に発見したらしい。あの空間を作り出したのはオルバだったのだが、術者である本人が拳大の水素爆発で意識が朦朧としたことで結界のような物が解けてしまったらしい。俺の声を聞きつけてやってきてみたら、姫さんの教育係を幾らかボロボロになりながらも首を絞めて「参ったかこの野郎!」と喜んでるバカ《俺》が居たそうな。
同行したカティアが俺の指示で覚えた睡眠魔法で俺を眠らせ、オルバを揺すり起こして学園にまで来たのだとか。オルバに不義を働いたと見做されたので、当然オルバは治癒してもらってるのに俺だけは火傷や汚れなどはそのままにされていたのであった。
「いえ、僕が喧嘩を売ったのです。なので、責められるのは彼ではなく僕です」
「オルバ様が? なら良いのですが……。ほら、アンタも感謝して」
「ったく、喧嘩売られて殴られてりゃ世話ねーっての……」
「口答えしない!」
「いでぇっ!?」
顔面キックとは凶暴が過ぎる。しかも殴られて腫れている頬を蹴られた。滅茶苦茶痛い。それでも、ここで変に抵抗すると更に酷い目に会うので黙っておくことにした。カティアが居たなら手当てとかしてくれたかもしれないが、彼女は現在ミラノに言われ、アリアに宥められてソワソワしながらベッドの上で座っている。二人が何も言わなければ手当てとかしてくれたかもしれないが、今それをしたら場が長引いたりややこしくなる事を理解しているのかもしれない。
「あの、失礼ですが。随分従順ですね、彼は」
「従順だとは思いませんが。確かに守ろうとはしてくれます、その為に頑張ったりもしています。
ただ、目的の為に取る手段が私達の考える事とは違うだけかと。
――許可を得ずに行動するのは、褒められた事じゃ無いかもしれませんが。そのお陰で私やアリア、それにヴァレリオ家のアルバートも救われていますし、その結果一度命を落としています。
間違ってるかもしれない、けれどもその献身的な思考そのものは評価しなければならないかと。それに、少なくとも恩知らずでは無いようですから」
「恩、とは?」
「文字が分からず、魔法が分からず、身分や地位が分からず、世界を知らず、歴史も知らなかったんです。そんな彼に知識を与え、学ぶ機会と手助けをし、今日まで扱いに差異はあっても寝食の面倒も見ました。そして彼は自身の口で、その恩義に報いたいと言ってました」
ミラノにそう言われているオルバ、そうやって意識がそれている裏でコッソリ自己治癒を施す俺。回復魔法をかけすぎた結果、身体のエネルギーが足りなくなって腹が鳴り、改めて顔面キックを食らった。また鼻血が止まらない、まるで無理やりAVを見せられた時のようだ。
天井を見上げ、首を軽く叩いて血の流れを外部ではなく内部経由で喉へと落ちるようにした。鼻血が舌周りや喉を通過していくのを感じる、そして飲み込むが――血の味はやはり慣れた所は多いので、垂らすよりはマシかと考えた。
「此方としては、別に事を荒立てるつもりはありません。先ほども言いましたが、僕が一方的に彼に喧嘩を吹っ掛けただけなので、その自衛として彼は抵抗した似すぎません。
それに、彼はずっと僕に対して攻撃するのを躊躇していました。その上、最後の攻撃も音や衝撃こそ強かったですが、怪我はしませんでしたし。むしろ、貴方の騎士を僕が痛めつけ、負傷させ、今も有りもしない罪で叱責されている事の方が大事かと」
「そこまで言うのなら。――はい、お座りはお終い。カティア、手当てしてあげて」
「仰せのままに、っと。ほら、ご主人様。大丈夫かしら?」
ミラノの許可が下り、カティアがベッドから降りて俺に近寄ってきた。覚えたての治癒魔法を俺で回復させてくれた。魔法を放った腕の火傷が引いていく、それと爆心地であった拳も皹でも入ったのか痛んでいたが、その痛みも引いてきた。痣や瘤も引いていき、鼻血を最後に飲んで擦るともう止まっていた。ただ、やはり回復を完全に行うと『新陳代謝の活性化による再生』になるので、食事等で得たエネルギー、栄養やカロリーなどを回復した分だけ使ってしまう。
腹が減ったと情けない気持ちになっていると、アリアがお茶を持ってきてくれた。どうやら腹の音を上げた時点で空腹を察知してくれたらしい、それをありがたく受け取りながら立ち上がり、自分のベッドへと座り込んだ。アリアがオルバやミラノにもお茶を出し、そして俺の近くに椅子を持ってくるとそこで座った。どうやらオルバとミラノの話に関わるつもりは無いらしい。
オルバは少しばかり考え込み、アリアに礼を言うと席について茶を飲み始めた。それに倣ってミラノも席に着く。こちらも幾らか落ち着きを見せたのか、俺も警戒を幾らか緩めて一息ついた。
「しかし、なぜオルバ様が兄さんに似ている事で問いただしたのかお聞きしても良いでしょうか」
「外部干渉と見ますか?」
「いえ、そこまでは言いません。ですが、オルバ様と兄さんの繋がりが分からないので」
「単純な話ですよ。遠い昔、まだ僕が学園に入るよりも前にクラインさんに僕は世話になったからです。あの人が、自信も無く何をしたら良いかも分からないまま怯えた毎日を過ごす僕を励ましてくれたからです。
あの人が居なければ、僕は若くして学園に入ろうとは思わなかったでしょうし、今こうして姫様の教育係と言う栄誉を賜る事も無かったと言えます。だから、似ているその人の事を見過ごすことは出来なかった。だから、私闘なんです」
どうやら、オルバはクラインと個人的な繋がりがあったらしい。そのことはミラノやアリアも知らなかったようで、意外に思っているようであった。ただ、俺としては納得するしかないだろう。なぜオルバが私闘じみた勝負を仕掛けてきて、クラインに似ている事を気にしていたのかを。
だが、ここまで来るとやはり些か気にはなる。周囲の人物が、なぜそこまでクラインに固執するのかを。彼と言う存在が居た過去を振り切れて居ないのかを。
「ミラノ、そろそろ聞いておきたいんだけどさ」
「普段の口調に戻って――何?」
「クライン……。ミラノ達の兄が、なぜそんなに固執されているのかが分からないんだけど。
公爵家の長兄で、悲劇のヒーローで片付けるにはあまりにも影響力が大きすぎると思うんだ」
故人を嘆く、亡くなった事を悲しむ。それ自体は理解できないことではないし、俺も経験しているから尚更軽視も出来ない。だが、それでも父親が演じてまで母親を元気付けてくれと頼み込むことがまず異常すぎるし、ミラノやアリアが俺と言う異物を受け入れ馴染むように努力”しすぎている”事も気味が悪いくらいである。つまり、恵まれすぎている俺の環境に、俺自身が違和感を覚えているのだ。
「オルバも――」
「様をつけなさい、ちゃんと」
「いえ、先ほどのやり取りをしていながら、今更様付けで呼ばれるのも気味が悪いので遠慮させていただきます」
「オルバも! お前の中で固執する理由があったら言ってね!」
何で様付けで呼ばなくて良いよと言うことにはならず、様付けで呼ばれると気持ち悪いので止めてねと言われなければならないのだろうか。そんな言われ方をしたら「じゃあ、名前のみで呼ばせてもらうよ」とは言えないし、むしろ「こっちこそ、様付けでお前を呼ぶなんて死んでも断ってやらぁ!」となる。
お茶を飲みながらTake it easy, take it easy...《落ち着け、落ち着け……》と自分に言い聞かせる。相手が弟に似ているから、尚更挑発がよく利く。
『何だ、兄貴。三ヶ月も早く、長くこのゲームをプレイしてるのに数時間の俺に負けるとか、ないわ』
『うぼぁあ!? も、もっかいだああああぁぁッ!!!』
今思えば、楽しかった思い出と同じ数だけ叩きのめされた思い出も蘇る。やはり冷静になるのは難しいなと青筋を浮かべるしかないが、それでも何とか、幾らか落ち着けた。
「まあ、そうね。どうせこれからも付き合いはあるんだし、何も知らないよりはマシでしょう」
「ミラノさんがそういうのであれば、僕も隠し立てする意味は無さそうですね。
補足するように後で付け足させて頂きますので、お先にどうぞ」
「筆記して情報を残しても?」
「アンタにしか読めない文字でなら、幾らでもどうぞ」
ミラノはまだ期限を損ねたままらしい、嫌味とも皮肉とも取れる言葉が地味に傷つく。けれども許可は貰ったということにし、俺はメモを取り始めた。
「兄さんは、数少ない無の魔法使いであり、姫様が……好意を抱いていた。学園を出たら騎士として武芸を磨き、それこそ婚約相手にいずれなるであろうと言われてたの。
色々有ったけれども、勤勉で努力家で、素直で民とよく触れ合っていて信望もあった……。幼少の頃に、本が好きだった事から独学で魔法を操り始めていたことも含めて、魔法の才も期待されていたの」
「クラインさんは、友人の居なかった僕を励ますように魔法を良く見せてくれました。火、水、土、風――闇に聖までも操り、伝説と言われる無も見せてくれました。
僕の父は、魔法とは選ばれた者である証だと常に言っていました。だから栄えるのは必然であり、その為であれば何をしても構わないと言う思考の持ち主でしたから。自分の利益の為ではなく、他人の為に――会って間もない僕を喜ばせるために、魔法を使うと言うその有り方に心を惹かれたのです」
「オルバの父親?」
「残念ながら、だいぶ昔に亡くなりましたよ。老いることに耐えられず、伝承の秘術に手を出して」
「あぁ、それで名乗ったときに身分は名乗らなかったのか……」
息子だからと言って、直ぐに継承してその階級を名乗れないのかもしれない。そうやって新しいページに考察を書いていると、オルバが咳払いをした。
「んっ――。父が家名に泥を塗ったので、今の僕はその家名を名乗るつもりはありません。祖先に顔向けできるよう、十分に汚名を雪いだ後に家を継ごうと考えています。かつての領地は今や代理による王家直轄地となってますから、領地を持たない貴族ほど滑稽なものは無いでしょう?」
「あぁ、えっと。御免。踏み入った事を聞くつもりは無かったんだ。気分を害したのなら謝るよ」
「――いえ、僕が勝手に語ったことですから。それに、だいぶ昔のことですので」
「話を続けるわ。無の魔法を使えると言うだけで、それこそ何十人もの魔法使いが束になっても魔法の打ち合いでは勝てないとされてるわ。無から有を生み出し、有を無に変える――そこに前兆も予兆もないの。何時発動し、どのように効果が齎されるかすら分からない。
そんな魔法使いが生まれたと言うだけで、貴族間の関係は変わり、抱え込みや賄賂、最悪暗殺も起こりうるわ。それくらい、凄いことよ」
「そのせいで虚偽や隠蔽が行われるほどです。僭称して上に立とうとする者も居れば、隠し通して無難に生きようとするものも居ます。なので多くの国では自国の魔法使いの中に、どれ程の実力者が居るのかすら把握できていません。
――まあ、当然ですよね。正確に自身の手の内を晒して、殺される可能性を抱え込みたいと言う人は居ないでしょう」
魔法に関しては自己申告制であることと、結局権力だの欲望だので正確に把握できないのか。まあ、当然か。俺も今は銃と言う優位性があるけれども「この銃ね、○発まで弾倉に入るから、○人までなら対処できるんだよ~。それ以上撃とうとしたら弾倉交換が必要になっちゃうんだ~」なんて言おうとは思わない。魔法に関しても練習が足りなくて咄嗟に使えるかどうかと言う点において、行使を躊躇って既存の技術や方法に頼りがちだが――どんな魔法が使えるのかと言う事を晒したいとも思わない。
既に情報戦が始まってるんだなと思うと、流石に怖くなる。けれども、そんなのは自衛隊に居るときと同じだ。情報戦はどの時代でも行われている、ただその情報の伝達が早くなった結果熾烈で苛烈になったのが現代と言うだけであって……。
「貴方が僕に放ったあの無系統の魔法――あれと同じようなものを僕は幼少期に見た事があります。順当に考えて、成長し続けていたのなら今頃セルブやグラン……いえ、アーク級の魔法を行使していてもおかしくありません。
そのような才能溢れる方を失った、民であろうと別け隔てなく接する優しさを持つ人物を失った、失敗を幾ら重ねても前に進もうとする逞しい人が居なくなったと言えば――少なくない数の人が、あの方に固執する理由も分かるでしょう」
成る程成る程とメモを取るのだが、二つの「え?」という声にペンが止まる。その声の不穏当さにビクリとし、半眼で顔を上げるとミラノがつかつかとこちらに来るのが見えた。そして俺の目の前で両腕を組んで仁王立ちし、思いっきり見下している。
「アンタ、無の魔法を使ったの?」
「あの、えっと――その」
「ええ、あの魔法は見紛う事無く無の魔法でしたね。何も無い所で爆発を起こしました、爆発が起きる前に火や水、土や風と言った魔法を複合させるような様子はありませんでしたから」
「やっぱり……。前にアンタが私の前でやったのも無の魔法でしょ!」
なんか、風向きがいきなり悪くなりましたよ? しかも俺を追い込めているオルバは済ました顔をしている。多分だが、俺が一本取った事を気に入らなくて仕返しをしているに違いない。何か言ってやりたかったが、それを責め立てる材料と正当性のありそうな理屈や説得材料が俺には無かった。
「ヤクモさん、無の魔法が使えたのですか?」
「字の勉強で読んでいた書物の中に、そんな記述があったから……。
なんとか、真似できないかなって頑張ってたら、出来るようになった」
まさか「いや~、詠唱とかしなくても適当に『ビッグバン』とか『エクスプロージョン』って言うだけで魔法使えるんですよ~」なんて言える訳が無い。適当に半分本当で、半分嘘の言葉を吐き出した。事実、読ませてもらった本の中に伝説の魔法に関係するものはあった。童話である。なのでいい加減なことは言ってない。
オルバが茶を飲み干し、してやったりと言った様子で笑みを浮かべて去ろうとするのを俺は呼び止めた。
「オルバ、待て!」
「まだ何か用でしょうか?」
「今度は、普通に会いたい。私闘も、身分も関係無しだ!」
ミラノに睨まれていて、焦りで言葉を上手く吐き出せなかった。だが、なぜだかオルバの表情がスッと呆気に取られたようなものへと変化した。そして、意味の分からない笑みを浮かべると「そうですね、貴方の持つ武器やあの時語った知識に関して興味がありますから」と言って去って言った。
後に残された俺はミラノとアリアによって追及され、これまた”クラインと同じように”無の魔法が使えるという要素が付加されてしまった。そしてミラノによって魔法の勉強が義務化され、更に時間が圧迫されたのであった。
――☆――
『今度は、普通に会いたい。私闘も、身分も関係無しだ!』
『今度は、普通に会えたらいいね。喧嘩も、身分も関係無しにさ』
オルバの頭の中で、先ほどの言葉と遠い昔――かつて弱虫で何も出来なかった時代に言われた言葉が思い起こされていた。それを思い出してから、彼はかつてクラインと出会ったときも父の教えに則ってクラインと喧嘩したことを思い出す。
当然、幼少期だから武器は使えない上に、魔法を使うことも自信の無さから不可能だった。そんなオルバがやった事と言えばビンタで、「ぶたれたら相手も痛いよ」と言う自分の想いと板ばさみになった上での妥協点だった。普通であれば――以下に社交の場とは言え――相手やその身内が怒っても仕方が無いのに、まずクラインの父親からして「まあまあ」と諌めてしまった。
子供のやることだからと言うことで、これもまた互いに何か得ることがあるだろうとそのまま公爵は続行させた。結果、当時父親の恐怖から逃れられなかったオルバは「クラインを何とかして負かさないといけない」と攻撃し続けた。拙い攻撃、喧嘩と言うにも程度の低いものだったが――クラインは避けたり嫌がったりしていた。私闘を仕掛けたヤクモもまた、同じように避けたり嫌がったりしていたなと連想してしまったのだ。
「もしかすると、何かしら意味があるのかもしれませんね……クラインさん」
育ちが違うだろう、思想や思考は違うだろう。けれども、最後の最後まで自分を叩きのめすのを躊躇い、負傷させることを嫌がった彼を幾らか信じてみようとオルバは考えていた。もしかしたらもっと威力のある魔法を使えたかもしれない、それこそ銃が連射出来ると言う事を知らないオルバを撃ち抜いて無力化しても良かったのだから。
「姫様も、僕等も……前に進めということ、ですか」
その言葉の意味を理解する者は少ない。けれども、彼はそう呟いてから腿に提げた拳銃を抜き取る。ボルトアクション式で、隣国のユニオン共和国が作っているものを元に、科学系統に置き換えたものだった。魔法だけに傾倒しすぎた相手に対して有利に立ち回れるようにと模索した結果、作り出された一つ目の試作品。撃たれた事で銃口の溝が破損してしまい、修理するか破棄しなければならない状態だったが――。
「まあ、面白いことにはなりそうですね」
眼鏡を押し上げ、銃をホルスターに押し込むとオルバは歩いて去った。その途中、すれ違う女子生徒の数名は彼に見とれながら道を譲るが、彼はそれを意に介す事無く進んでいく。汚名を雪ぐ、家督を継ぐ、領地を回復する――そして、かつて父が犯した過ちを乗り越える。その事を考え、新しい登場人物とそんな彼から得られるだろう知識や情報から、どれ程前進できるのだろうかと計算し始めていた。
全ては一つの目的の為に、遠すぎて届かないと思えるような理想へと辿り着くために。




