28話
何事も緩急があるものだ。
作戦行動や戦術に関して、小隊長が教練をしている時に語った言葉である。生きているだけでも体調や調子、感情や状態と言ったものは管理できない微細なレベルで動き続けている。熊を投げ飛ばすような猛者が翌日には病気で死んでいることもある、先日まで死に体だった病人が翌日には身体を自力で起こしている事だってある。それと同じように、幸運や不運も波があるものだと認識すると共に、戦いにおいて緩急は必ず用いられると語った。
攻撃し続けること、勝利をするにはまず攻撃をしない事には始まらない。それが直接的攻撃であれ、間接的攻撃であれだ。緊張と言う糸、張り詰めた空気も高めることは出来ても緩めるのは優秀な指揮官でないと難しいと聞く。緊張の糸が途切れた兵士は、一気に戦闘能力が落ちるからだ。その分水嶺を見極めて攻撃に僅かな緩急を作り、夜襲や朝駆け、伏兵や罠を仕掛けていくことが場を支配することにも繋がるとも言っていた。
戦場を支配するのは更に階級の高い人の仕事だが、戦闘を支配することは俺たちでも出来ると言われた。ただ、自衛隊の特性故に、多くなるのは防御なのだが。
今までが緩やかな生活だったのだろうと思うくらいに、その日の内に喋り方や癖をミラノによって徹底的に叩き込まれた。それでも、普段の気が抜けている時の喋り方がそのまま似通っているらしいので、苦労自体はあまりせずに済んだ。
けれども、やはり困難を極めたのはマナー作法や礼儀だった。細かい上に手順が多く、一つの大きな塊として礼儀作法を覚えると、別の塊から細かいネジがポロポロ毀れていくような有様だった。
剣を得意としていたと言うが、それに関しては付け焼刃で馬脚を顕すといけないので長期療養で忘れてしまった事になった。当時剣を教えてくれていた師が居るらしいので、変に真似て見抜かれるのも困ると言うことだった。
「アルバート、悪い。指揮練習は休み明けてからに延期しても良いか?」
くったくたにくたびれた俺が翌日の食堂でそう告げると、アルバートは憔悴したような俺の表情を見て追求する気が無いのか、そっと顔を逸らされた。見るに堪えないとでも言いたいのか、こんちくしょう。
ミラノやアリアは朝食は一緒に摂らないのがようやく分かった。どうやら休みの間は申請すれば部屋にまで食事を持ってきてくれるサービスがあるようだ。けれども俺は朝は食堂で食べたいので今でもそうしている、そうじゃないとミナセやアルバートと出会う機会なんてそうそう無いからだ。女子寮の異物のように俺は滞在しているから、当然異性しか居ないので同性ならしやすい話題や行動と言うのが一切規制されてしまう。女子生徒相手に戦いに関して語るわけにはいかないし、そもそもグリムのような戦う事が想定された家柄の子が少ないと言うのが事実だ。
カティアは朝が弱いのでアリアに面倒見てもらっているのだろう、アリアはその付き添いで動けないに違いない。そしてミラノは身支度だけを俺に手伝わせると、さっさと本を読み漁ったりしながらお茶を飲んでいる、何て貴族の様な生き方だ。というか、貴族だ。
「い、いや。なに。我も人手を集めるのに苦労していてな、そもそも大半の学生が帰省なりしていてアテがあっても居ないのだ。
しかし、そうか。貴様も行くのだな」
「アルバートは帰らないのか?」
「帰るように言われている。いや、我はあまり帰りたくないのだが、貴様も居なくなるしグリムも五月蝿くて敵わん。
公爵家としての付き合いもあるのでな。ミラノやアリアが帰ると言うのだ、我がここで呆けて皆を待つのも愚かしいだろう」
「へえ」
「それに、我を指導した爺に聞きたいことが出来た。だから明日にでも発とうと思う」
アルバートも三男とは言え、公爵家の息子である。だから彼には彼なりに責務があり、責任があり、やらねばならない事があると言う事だろう。出会いは最悪だった、今までは楽しかった。だから俺は寂しさと言うよりも侘しさを感じながら「それじゃあ、暫く会えないな」と言うしかない。
しかし、アルバートは逆に面食らったようで若干慌てながら「待て待て」と言った。
「貴様が屋敷に居れば直ぐにでも会えるであろう。休みであるからな、ここでは個人同士の付き合いしか出来ぬが、今度は家同士の付き合いとしてだ。
あまり羽目は外せぬが、手合わせをしたり、茶を飲んだり、食事をしたり、会話をし、酒を嗜む程度の自由はあるはずだ」
「あぁ、そっか。言動に気をつけて弁えれば良いわけか……」
そうやって若干安心したが、冷静に考えろよ? 俺。アルバートが来ても、俺はその時ヤクモじゃない可能性が高い。クラインを演じていたらアルバートはヤクモと言う人物とは会えない事になる。俺は一方的にアルバートのことを知っているけれども、アルバートからしてみれば正真正銘のデルブルグ家の長兄でしかないのだから。
今の内に何か言って置くべきだろうか? 実際に俺がクラインを演じているときに屋敷に来て「ヤクモはどこだ?」とか言ったら台無しになる可能性がある。二人の母親に俺の存在が伝わっているのかどうか分からないけれども、伝わっていないままに隠していた場合は疑惑や疑念を抱かせてしまうに違いない。
しかし、ここで変なことを言ってアルバートに突かれて変な展開になるのも困る。うまい嘘や誤魔化しを先手を打って言うには情報が足りなさ過ぎる。だから俺は簡単な事しか言えない。嘘ではない、けれども本当でも無いと言う言葉――
「会えればいいな」
「む、なんだ? 会えるだろう」
「何も無ければ会えるだろうけど、どうだろう?
もしかしたら何か言いつけられるかもしれないし、絶対とは言えないよ」
「やれやれ、戦闘以外の貴様は腑抜けて居る。だが良かろう、絶対は無いと言う言葉は覚えておく。
それはさておいてだな――」
「あれか、とりあえずの別れに乾杯ってことか」
「察しが良いな。この事は我からミラノに話をしておく、理由が理由故断りはせぬであろう」
まあ、そうだろ。家は無関係とは言え、同じ公爵家の子息が「別れの挨拶」と言って晩酌に誘っているのを、どんな理由があって断るというのだろうか。とは言え、肯定するも否定するも俺じゃないのでミラノ次第なのだが。
食事を啄ばむ様な感じで徐々に咀嚼しては飲み込んでいく。お代わりの利かない食事は味わい事堪能できるものの、それを物足りないと思うギリギリで踏み止まらせるので性質が悪い。学園内部に売店が有る訳ではなく、PX(駐屯地内販売店)でカップ麺を自由に買えて小腹を満たせた頃が懐かしかった。
「グリムはなんかずっと静かだけど、何してるん?」
「――ん。アルがデルブルグ家に行った時に私もお供する、姉さんとかもすると思う。
その時、どうヤクモを説明するか考え中」
「あ、俺がもし路頭に迷ったら拾ってくれる感じかな」
「――ツバつける。家の為、アルの為になる」
「ふふふ、忠臣よな。グリムも、ヤクモが来たら楽しくなるぞ?」
「――楽しそうなアルを見るのが良い」
おんやぁ、ここにもフラグですかな? ミナセはフラグ乱立してて黒糖を舐めているかのように反吐が出そうだけれども、こっちはこっちでフラグが建ってるのか? それはそれでイラッとしてしまう、非モテだからしかたないよな。
しかし、なんだか――こう、クロエやらメイフェン先生のような熱を感じない。悪く言えばエレオノーラのような……義務感、のように見える。とは言え、元々アルバートのお付なのだから、色目なんか出そうとしたら騒ぎになりかねないのだが。
「なに。我を助けた功績などがある故、採る理由には困るまい」
「――姉様たちが気に入るのとは、別」
「あ。う、うむ。そうで、あったな……」
「どういう意味?」
「我が家ではな、兵士と言うのは既に選び抜かれた者で構成されて居るのだ。
我が家が兵士を雇い入れるのに色々調べたとしよう、その上でグリムの家の基準で更に色々やらされるのだ。我が家の求める水準よりも、高い水準で更に兵士を振り落とし、厳選していく。
ただ得物を振り回すのではなく、戦場で何があっても最後まで戦い抜けるような素養の持ち主で構成している」
「――……、」
なんか、スパルタの兵士等を思い出してしまう。産まれた時から厳選され、七歳になると親元から引き離されて”徴兵”される。そして十三になると短剣一本だけ渡されて街から放り出されて一年は戻ることを許されない。
兵士として肉体的だけではなく、精神的にも育て上げられ、生き延びる術を覚える。それだけではなく、妻を貰う事が出来る年齢になるまで男のみで寮のような場所でずっと生活するのだ――戦友、家族、仲間、身内と言える間柄で構成された軍隊はさぞかし強いだろう。まあ、男しか居ないのに性欲どうしてんだと言われたら俺は目を背けるが。そこら変は想像に任せる。
「――ヤクモ、だいじょ~ぶ」
「何がどう大丈夫なのか俺には判断つきかねるんですけど」
「――命令、絶対やる意志。その為に手段を模索する能力、長い目で物を見る能力。
そういうの、ひつよ~」
いや、そういうのってむしろレンジャーでも通過してないと無理じゃね? 俺には陸士以上の事は出来ないし、陸曹教育の事も両親の死のショックで覚えてないくらいだ。それでも下手に訓練を受けているせいで多少の真似事くらいは出来る、ゲームや映画、二次大戦の生き残りの方々が執筆した本だのを読んで積み重ねた情報から憶測や推測で同じように真似ることも出来る。
ただ、真似事とは本質を掴んでいる訳ではない上辺だけの物だ。剣の扱いが立派だからと剣技も立派かといえばそうじゃないことも有る、幾ら上手に取り繕ってもスカスカだからボロが出やすいと言う事だ。
むしろ、公爵家お付の家が厳しく審査し、兵を育てているというのなら戦いを学ぶという点において必要になるだろう。
「別にアルバートの家に仕えるとか、そう言うのはまだ未来ごと考えては無いけど。
ただ、学べることが有ると言うのなら一考に値する、かな」
「――ん、その時は厳しくする」
「あぁ、グリムはまだ兵の教練自体はしたことが無かったか。となると、グリムの初めて教え、育て、鍛える兵が貴様になるというわけか。楽しみだ」
「――しっかり、育てる」
一瞬何のことかと考えてしまったが、この学園に入るのは通過儀礼的な意味が強いんだったかな。と言うことは、アルバートの身辺警護などは家の仕事として同行するにしても、それ以外のことは実際に学園を出てから家に戻らないとまず出来ないわな。中曹教育や上曹教育等に赴いている人物に「ちゃんと係陸曹としての仕事もしておけよ」と言っているようなものだ。まず駐屯地に居ないって話なんだけどな。
「まあ、その時が来たらって事で……」
「それで、昼までは自由なのであろう?」
「あ~、うん。授業が無いし、帰省準備のほうもほぼ終わってるらしいからやる事は無いんだけど」
「引っかかる物言いだな」
「なんか、やる気がおきない……」
先日、丸っと戦闘訓練やトレーニングをサボって座学に近い事をしすぎたせいでテンションが低い。しかも今日から立ち振る舞いや仕草、癖などを叩き込むという。俺はもうヤクモという人間に戻れないのかもしれない、あるいは戻すつもりが無いのかもしれないが。
帰省が済んだら流石にクラインとして演じる必要は無くなるかもしれないけど、下手すると『そういや私の息子は学園にまだ行ってなくてね。そのまま演じ続けたまえ』とか言われて既成事実化が進んでしまったらどうしよう。
これで数年後、本当に『息子は事件以来目を醒まさぬままに治療を受けていたが、ついに目を醒ました』とか言って、価値観を付与した操り人形化をされたらと思うと吐き気がする。周囲は『デルブルグ家の長子』としてこちらを見るかもしれないが、俺はそもそも別人なのだ。
政略結婚なんかさせられた日には旅にでも出よう、結局どうなるかなんて分からないので最悪を想像するしかない。
ぐったりした俺は、そういえばと食堂を見渡す。自分の事でいっぱいいっぱいになってたというか、周囲をあまり見なさ過ぎた。と言うよりも、態々同席して食事を摂っている二人を前にしてきょろきょろするのもどうかなと思ったりもしないわけではないのだが。
ミナセが居る、レムが居る、ヒュウガは先ほど見かけた。何と言うか、普段どおり過ぎて、この前の騒ぎが嘘のようだ。クロエは、ミナセと一緒に食事を摂っている。たぶんクロエがあの場に居たと言うのがそもそも俺の妄想なのだろう、急に倒れたといっていたし、妄想と事実の整合性が合わない。
もしかするとこの赤い瞳に悪影響とかあるのかもしれない。そもそも元来の色でもないし、夜目が利くとかありえないのだ。
「ちょっと、外出した時にも色々あって――」
「そう言えば、倒れたと聞いたな。それと人が死んだ現場に行ったとか」
「――もしかして、血、にがて?」
「いや、血なら見慣れてるし、死体も幾らか見てきたけど。
疲れてるのかな、やりなれない事ばっかりだし」
「貴様は、あまり身分の違いと言うのを感じるような場所には居なかったのか?」
「政治体制が違うんだよ。血や家柄、身分で国を導いていく人が選ばれるんじゃなくて、民主制――つまり、なんだ? えっと……。国民によって立候補した人物に票を投じ、その票が多い人や派閥が国を導いていくんだ」
「――なんだか、聞いていて良く分からんな」
「俺もうまく説明できてないと思う。けど、そうだなあ。魔法が使える使えないって努力じゃどうしようもないだろ? 魔法が使えないから貴族にはなれない、貴族じゃないから領地を治めることも政治に関わることも出来ないという物じゃあないんだ。
色々な政治体制があったと思うけど、ちょっと俺には説明するには勉強不足だ」
「では、貴様の言う”ミンシュセー”と言うやつは凄いのか?」
「いや、凄くないよ。さっきも言ったけど、派閥で国を導いていくことになるから、派閥に所属できなかったり、新しい派閥だったり、あるいはその派閥の内部が腐敗していると駄目になるんだよ。
――アルバートは、自分の領地や国を守る兵士を『人殺し』としてみるか?」
「まさか、何かの為に戦う奴を誇りに思うことはあれども貶す理由などない」
「俺の居た場所では、残念ながらその腐敗した派閥が居たのさ。しかも一時は国を導いてね。
――酷い有様だったよ。国の防衛に関わる秘密を数万と破棄し、国を守る人たちを暴力装置扱いし、果てには存在しないほうが良いとまで言った奴らが居るのさ。
しかも国の領土を”話がこじれるから明け渡したほうが良い”とまで言って、更には自国に反発し、捏造と中傷を繰り返す国の学び舎を国内に――国のお金で賄って作ろうとした奴も居る」
本当に、酷い話だよと呟いて自嘲するように笑っているとなぜか幾らか元気が出た。そのままスープが程よい温度になっていたので――ミラノが居ないのを良い事に――皿を傾けて一気に飲み干した。それをみてグリムが「――お~」とか言ってるし、アルバートは難しそうな顔をしている。
「――そのような国が、あるというのか? いや、しかし……。そのような国、我は聞いたことがない」
「となると、本当に別世界から呼び出されたって事になるのかな」
「う、うぅむ。しかし、だな。異なる世界など、存在する訳がない」
「あぁ、そうか。異なる世界に関しては、教会とかでは言及してないもんな」
教会の、宗教の力が強い所では当然”神は絶対である”とされる。ゆえにアソビがあると不都合なため――まるでそうであるかのように、人々は隙間を埋めていくのだ。記載が無ければ可能性ごと潰す、じゃ無ければ解釈がこう意義になってしまい、制御が難しくなるからだ。
宗教が異なる世界を認めることは無いだろう、なぜなら異なる世界を認めてしまえば異なる宗教に興味を持たれてしまう。王政や貴族制が民主制を受け入れることが無いのと同じように。
「今日は戦闘訓練無しにしよう。ちょっとカティアと一緒に自主的な訓練でもするから」
「ほう? で、何をするのだ」
「学園を囲う壁があるだろ? それに沿って走ったり、肉体強化の為に色々やるのさ。
例えば肉体強化の魔法をかけた場合、どれくらい早く動けて、どれくらいの距離を持続して走れるのかとかね」
「ほう?」
「これから何があるか分からないし、自分の事を理解するためにもやっておきたいんだ。
自分の力量が分かっていれば、一人の時だけじゃなくて誰かと一緒の時にも役に立つ。
無駄に戦力を集中させすぎたり、下手に分散させすぎることが無いようにって」
「なるほど、確かに采配一つで窮地に立つことも有れば、大いに助かる事もあるからな。
過剰に戦力を与えた所で他の場所が非力になればいざと言うときに困ると言うもの」
「そういうこと」
と言いながらも、とりあえず銃と言う弓やボウガンに勝る遠隔武器を持っているから若干は色付けの意味がある。自分の戦闘力を把握してるのでこっちは大丈夫ですよと言い訳が出来ると言う側面もあり、カティアも同行するので口裏を合わせながらも多少の信憑性のある情報が与えられる。
それをどこまで還元できるかは分からないけれども、身体能力を強化したが故に出来るような事や思いついたので実行してみたら有用だと分かったものとかも教えたほうが良いかも知れない。それを言うのであればレンジャー隊員が教わるような縄の扱い方は仕込んでも良いだろう、もしかすると渓谷を渡る事も有るかもしれないし、壁をよじ登って越える事もあるかもしれないのだから。
「では仕方が無い。我はグリムに付き合ってもらうとしよう。
グリム、今の話を聞いたな?」
「――ん。アル、走らせる」
「ホ!?」
アルバートはどうやら別の事を考えていたようだが、グリムはどうやら以前ミナセと素で打ち合って負けかけた事を知っているようだ。慌てふためくアルバートはさまざまな言い訳をグリムへとぶつけた。
「いや、しかしだな? グリムよ。魔法を鍛えれば良いではないか」
「――だめ。魔法、使えない時も有る」
「魔法が使えるように時間を稼ぐのが仕事ではないのか!?」
「――何事も、想定外は有る」
「しかし……」
何があっても逃れたいアルバートだったが、グリムが自然な動作で近寄って手を上げた。上げた手を見て俺は嫌な予感がしたのだが、アルバートはどうやらそうではなかったらしい。そのまま流れるような動作で首を極められ、コキャッと言う音と共に脱力していた。
「あ、え……おい」
「――だいじょ~ぶ。責任もって、鍛える」
そしてグリムはアルバートを引きずって食堂から出て行った。食事は半分しか終えてないと言うのに、本人が嫌がっているランニングやらトレーニングやらで追い込むのか。レンジャー隊員みたいな事されて可愛そうだな。
しかし、残してしまった食事が破棄されるのは勿体無いので俺はシレっと空き皿と交換して胃袋に収めた。それからミナセに話しかけようかと思ったけれども、なんだかそんな雰囲気では無さそうなのでやめておいた。
そうやって食事を済ませて一時間程度の時間を置いて”課業開始”とされる八時にはカティアを連れて走りに行って見た。カティアは汗を流して苦労や努力しているところを見せたり見られるのを嫌うようだ。せっかくカティア用に準備した運動服が無駄になるのかなって思ったけれども、そう呟いたらカティアはなぜか食いついてくれた。ストレージに丸ごと保管しておいた物品の中に”ウィンドジャージ”が有ったので、それを彼女の体躯に合わせてクラフトし直しただけの簡易品だ。
なお、サイズを小さくしたことで素材が幾つか還元されたので、それでハンカチを作り直しておいた。流石にハンカチやちり紙を持たないのは、くしゃみや鼻水を隠せないので嫌だ。いざと言うときに傷口の保護にも役立つので必ず持って置きたい一品である。
そして長い彼女の髪は、先日の買い物の時に俺が買わされたリボンで大きく結ってある。走ってる時に邪魔にならないようにしたほうが良いとアドバイスしたところ、どうしたら良いのか分からないと言われてしまったので俺がやるしかなかった。
運動服に身を包んだ彼女はお淑やかなレディーから若干活発そうな女の子へと変わり、これはこれで可愛いなと呟いたらカティアは訓練に対して前向きになっていた。嫌々命令に従ってやられるのも何だけれども、何が彼女を前向きにさせたのか分からないと言う不安が俺にのしかかった。
それでも、走っているうちに霧散するのだが。
「そう言えば、マトモに運動をするのって始めてかしら」
「こっちが戦闘訓練をしている時、そっちは魔法の訓練をしているんだっけ」
「ええ、そうよ。だから身体を動かして何かをするというのはそうそう無いかしらね」
「俺の方でも、殆どそうだけどな……」
戦闘訓練と言う名の、それぞれの国の特色が出た自由時間。本気で取り組む人も居れば、面子や体裁程度に軽くやる人も居る。それどころか精神修行と言っているフランツ帝国の人も居れば、教練だとか言って命令指示の出し方を練習しているユニオン共和国の人も居る。まとまりが無いのだ。
それでも、前に比べれば良くも悪くも集中する人が増えた。良い面は危機感を持ったことだろうが、悪い面は”戦い方を知れば何とかなる”という思い込みだろうか。そんな訳が無い、半年や一年以上かけて訓練や教練をしなきゃいけないのに、半端な知識と低ランクの指揮能力しか持たない俺がどう足掻いても個人や組レベルの戦い方しか教えられないのに。
組の上に班、班の上に分隊、小隊、中隊と規模が大きくなっていく。規模がでかくなると付随する役割等もあるのだが、俺にはちゃんとした部隊編成のやり方なんて分からない。そんな奴が、将来数百、数千――あるいは数万と兵を束ねる奴らを教えられるかと言われたら、まったく自信が無い。だから前もって言っている、指揮する者の戦いではなく前線兵士程度のことしか教えられないと。
だから体力勝負になってしまう。輸送手段の確立、武装の保管・整備、糧食の保管・調理と配布だのだの――。百人の兵士が居たらその内の三割は支援だと聞いたけれども、実際それくらい居ないと通信だの衛生だのと回らないだろう。結果として、個人で背嚢を背負って長距離の移動と戦闘をこなさなければならなくなるのだが、それを教えるには貴族と言う立場や肩書き――そしてプライドが邪魔をしているし、アルバートですら若干嫌がっているのだから他の人は決してやってはくれないだろう。
「もし変に規模が増えるようなら、人数制限かけたり教える事柄を選定して減らしたりもしないとなぁ……」
「そんなに人気なのかしら」
「いや、俺の能力不足で扱いきれない気がしてきた。変に箔が付いてるもんだから疑われることが少ないってのも関係してる。
変なことは教えたくない、下手な事をしたくない。変な知識や思い込みで死なれたら嫌だし、教えた事で悪さをしないとも限らないだろ」
「まるで教育者みたいな事を言うのね」
「その立場になるべくして教育を受けてる最中だったんだよ」
そうじゃなくても、長年自衛隊に居ると先輩は減るし後輩はどんどん増えてくる。十人程度の同期で四十人以上もの後輩を従えなければならなくなるので、今まで自分がやってきたことやしてきたことを全て言って聞かせたりやらせなきゃいけなくなる。
それが、一歩踏み出して持続走で”士”を従える立場になる。つまり、管理・維持・調整などの責任が生じてくるわけだ。例えば走るにしてもただ走るのであれば考え無しだが、走る速度に合わせて細分化させて責任を付与させたり、同じことの繰り返しでマンネリが生じてきたなと思えば意見具申などで駐屯地外をまとまって走ってみたり、あるいは一丸となって中隊旗を掲げながら掛け声を上げながら走らせたり等――色々ある。
ただやれと言われたことをやるだけじゃなく、どうすれば良いかまで考えなければならない。当然、それに当たって曹として経歴の長い方々と相談したりアドバイスを貰えるし、間違ってれば止められる。駐屯地外で走っているときに事故りましたとか、目も当てられないような事になれば叱責されるのだが。
「帰省が挟まって良かったかも知れない。うまくいくとこの世界での教練や軍事に関して学べるかもしれないし」
「けど、その代わり貴方は貴方じゃいられないのだけれどね」
「それでも、昏睡中に見ていた夢に関わった魔物を使い魔にしたって言い訳は出来ただろ?」
「私は猫なのだけど……」
そんなやり取りをしていたのは一周目だけで、二周目以降は若干ペースを上げてみたりした。腕時計に備わっているストップウォッチで一周の時間を気にしながら走ってみたりした。とりあえずキロ五分を割る程度の速度で一周四キロ程度の外周を走る。こういう運動関係は、最初はきついものだ。けれども、徐々に長距離長時間運動をしているとアドレナリンの関係からか苦しさが減っていくものだ。
徐々に上がるペースに、カティアは付いてきてくれた。それでも彼女は速度に自信はあっても体力に関しては低めらしく、三周目あたりで呼吸の乱れと苦しそうな表情が目立った。ここでどういう選択をするべきなのか悩む。叱咤激励して付いてくるようにするのか、それともペースを落とすべきなのか。
少し考えた結果、俺はペースを落とす事にした。目線が下がり、俺の踵しか見えてなかっただろう彼女の頭を撫でる。
「ほら、少しペースを落とすから一緒に走ろう」
「なん、で――」
「これが初めてのランニングだしな。それに、カティアは遠まわしに『体力には自信が無い』って言ってたんだと思う。それに付き合わせてる俺の責任だから」
「――……、」
「カティアがもし本当に辛くて嫌だって言うのなら、走らなくていいよ。
どうせ俺の道楽みたいなものだし、一人でも平気だからさ」
実際、カティアを後方支援役にしたり、短時間で打撃を与えて離脱させるなどの要員にするのであれば、馬鹿みたいに早く走る必要も無い。重い荷物を背負わせて長距離を歩かせることで負担に耐えうる肉体と精神力を作ればいいわけだし。
しかし、俺が諭すようにそう言うとカティアの頭が動き、地面ではなく正面を見た。そして遅れ気味だったペースを落とす前の速度にまで戻す。それを慌てて追いかけ、追いつく。当然彼女は話せる状態じゃないだろう、荒い呼気だけが聞こえる。
「待て待て待て待て! お前――今日だけじゃないんだぞ!? ここで潰れたら意味無いだろ!」
そう言って、無理をしないように促す。けれども彼女は聞いてくれなかった、そのまま四周目も走りきったところで彼女はついに転んでしまった。そして立ち上がろうとするけれども、足腰に力が入らないのか立てないようだった。
「っ……」
「無理するな。クソ、えっと。処置は何だ? 足首に痛みは? 捻ったとかそう言うのは?」
カティアに聞いて、判断出来うる範囲で症状を特定しようとする。しかし足を捻った訳でもなく、アキレス腱などをやってしまった訳でも無さそうだ。となると、単純に自分の限界を超えた運動をした結果アドレナリンとかで誤魔化していたけれども、転んだ結果筋肉などに休息を与えてしまい限界を認識させてしまったと言うところだろうか。似たような症状は見たこと有るが、説明できるほど知識が無いので”そういうもの”としか言えないのだが。
仕方が無いのでしゃがみこみ、彼女を背負って俺は部屋に戻ることにした。初日から飛ばしすぎたかもしれない、カティアの能力を把握しないで無理をさせてしまったと言う負い目もある。処置をした後に一人で残りをこなそうと思っていると、ただ凭れていただけのカティアが両腕で首を絞めない程度に抱きついてきた。僅かではあるものの、女性ゆえに存在する”胸”と言うものが背中に幾らか主張をしてきた。
しかし、そんな事を理解しても意識するような下種さは無い。彼女を少しでも早く休ませ、回復させなければならないという罪悪感があった。その為にはどうしたら良いかを考え、その結果自分が寝泊りしている部屋へと連れて行くことにした。途中で何人もの女子生徒とすれ違うが、俺の表情とカティアの状態を見ると道を空けてくれた。
――☆――
カティアの手当てを終えた八雲は、再びトレーニングへと戻っていった。症状や状態から一過性な物と判断し、本人と部屋に居たミラノにも説明している。本来であれば一蹴されたであろう着替えを指示した時も、本人は意識せずに「風邪を引いたり身体を冷やすから駄目だ」と言って――背中だけではあるが、彼女の素肌を見ていた。それでもミラノやカティアが抗議しなかったのは、真剣かつ真面目な様子で口を挟む雰囲気を見せなかったからだ。
「ま、ゆっくりしなさい。あなたに対して別に何かしろとは言わないし。
必要なものがあれば持って来るから」
そう言ってミラノは火のついていない暖炉の前、椅子に腰掛けてお茶を飲みながら何かを書いている。その内容は彼女が思い出せる範囲でのクラインと言う人物に関しての情報だった。当然、そこに書かれている文字は日本語ではないので、後で八雲が苦労するのだがそれは別の話だ。
カティアは八雲の使い魔だが、下僕の下僕は自分の下僕――と言う理論でミラノは彼女を扱ったりはしなかった。それは同性であるという事や、彼女が自分や妹のアリアよりも幼く見えるからと言う事もあるし、カティア自身が特に八雲への害意が無い限りは従順で協力的と言う所もある。そうでなければもっと彼女へ口やかましくあり、辛そうにしているとは言え介抱するのを厭わなかったりはしなかっただろう。
もしくは、ミラノ自身がカティアの存在を好ましく思っているから甘いと言う見方も出来るのだが
「――……、」
「ほら、泣かないの。痛いの? 苦しいの?」
「ちがっ――」
八雲が去る直前から両の目を潤ませ、去ってから涙を流す彼女にミラノは冷徹な振りをした。彼女は自分が感情的である事を知っていて、姉であると言う事から近寄って宥めたりするのを躊躇った。クラインが不在の今、矢面に立つのが自分だと分かっているからこそ、変に”情け深い”と言う弱みになりかねない事を露呈するのを避けた。
しかし、そうやって”演じている”ミラノであっても、素の自分を出してしまうくらいに心配した。一向に泣き止まず、けれども声を押し殺すようにして泣く彼女を放って置けなくなったからだ。結局――彼女も兄であるクラインに負けず劣らずのお人好しだった。
カティアへと近寄り、腕で目を覆っているカティア。けれども彼女の流す涙が頬を、そして顎へと伝いそのまま枕を濡らしているのまでは隠せなかった。彼女は少しばかり戸惑ったが、それでも記憶にある歌を一つ披露する事にした。かつて兄が聞かせてくれた曲で、その時のミラノは今のカティアのように幼く、そして泣いていた。
リズムを幾つか外した、本来の歌とは若干別物と化してしまっているその歌だが、カティアは次第に落ち着きを取り戻していた。涙で腫れた目、涙の後、鼻水等と見せては良いものでは無かったが為に、ミラノは自分のハンカチでそれらを拭ってあげた。
「落ち着いたなら、何で泣いていたか聞いても良い?」
「――言わない?」
「言わないから。もし私が喋ったのなら、杖を折っても良い」
杖を折る、と言うのはヴィスコンティにおいて神に誓うと言う言葉などに並んで重い約束だ。魔法が使えるからこそ彼らは優位に立てるのだ。そんな彼らが杖を折るとなると、魔力の消費が五倍になると言う重いデメリットを背負う羽目になる。それは同じ魔法使い同士においても、魔法の使えない人々が相手でも看過出来ない戦力ダウンを招く。
大多数を攻撃し、攻撃魔法を防ぎ、多少の負傷なら治療出来、弓やボウガン等と違って質量的なもので嵩張ったり輸送したり弾切れで困ることも無い。その身体一つで、杖があり口が動き魔力を使い切らない限りは戦場を支配できるその力を放棄すると言っているに近いのだ、その言葉は重く見られる。
とは言え、カティアもヤクモと同じように別世界の住人であり、更に言えば人として、人間としての歴史もまだ一月に満たないが為に理解が出来ず、「う……」と声を漏らしただけだった。
「――神に誓う、って言った方が分かりやすいかしらね。誰にも、妹にも漏らさないから」
そう言われ、ようやく理解をしたカティアはコクリと頷き。それからゆっくりと語りだした。
「私は、役に立ちたい。ヤクモの為に、ご主人様の為に。
なのに、守られてばかりで、今日も置いて行かれて……」
「人には、向き不向きがあるわ。別の分野で役に立てば――」
「ミラノ様は、兄を……クライン様を演じるのが、彼の役割だと仰りたいのですか?」
そう言われ、ミラノは言葉を呑んだ。そして、自分が先日から熱心に兄の情報を纏めている事実を突きつけられ、何も言えなくなってしまった。確かにもはや使い魔ではなくなり、ただの付き人となった彼に求めるにしてはあまりにも大きく重い事だと認識させられたからだ。
そうでなくとも、常日頃から戦いに関して自主的に鍛え、そのついでではあるが数名の人物との繋がりも形成しつつある。出会って間もないのに決して小さくはない功績を――命を救ってくれた。その上で、文句や愚痴は言うけれども反発をまったくしない彼に”甘えていた”。
そこには兄と重ねて見ている所が多分にあり、兄も同じように色々言うものの結局やってのけてくれたからだ。
「私が追いつかなければ、また同じように背中を見てることしか出来ない。
そして守られて、いつか同じように死んでしまうのではないかと考えると、怖くて……」
「カティアは、アイツのことが好きなのね。
けど大丈夫。今度は、一人に任せきりにしたりなんかしないから。
その為に、私は自分に出来ることをあの日からしてきたつもりだけど……。
信用しては、もらえないわよね」
「――……、」
ミラノも、前の出来事以来独自で魔法の練習を重ねてきた。例えば詠唱の短縮、あるいは詠唱の高速化。魔力から魔法へと変換される時間の短縮、魔力の消費量を低減等々――。八雲を自由にさせている裏では足しげくメイフェンを訪ね、有用な書物を読み漁り、部屋でコッソリと練習していたのだ。
当然、実際に戦いになった時使えるかどうか分からない。それでも、二度と”兄を失う”と言う事を繰り返したくなかったのだ。
「私は……、カティアみたいに軽やかに動けない。アイツみたいに冷静に色々考えて、正面から敵とぶつかり合うってことも出来ない。
けど、それでもわたしはわたしに出来ることをやるしかないって思ったの。あの時、風の魔法や電撃なら出来るだけ静かにモンスターを倒せるって事に気づいていたら手伝えたかもしれないし。少し早く学園に到着出来てて、橋ごと放り出されるって事も無かったかも知れないから」
そう言ってから少しだけ間をおき、再び口を開く。
「――今度は、何があってもあの馬鹿についていけるようになりなさい。私も、自分についてきた人を死なせて逃げるだなんて、目覚めの悪い真似はもうしたくないから」
「うん……」
「だから、強くなりなさい。アイツが何を言ってもそれを捻じ伏せて、一緒についていくと言い切れるくらいの強さを。その強さの根拠は何だって良いじゃない。魔法でも、頭の良さでも、想いでも……」
そう言ってミラノは微笑んだ。彼女が笑みを浮かべるのは珍しいことだった。彼女が笑みを浮かべたとしてもその多くは不敵な笑みで、決して情や優しさと言うものを感じさせるものは無かった。だからカティアも少しばかり意外だと思いながらも、僅かばかりに勇気付けられて今度は恥ずかしくなった。
枕で顔を覆い、ミラノからその顔を隠す。そして幾らか枕でモゴモゴとした奥から「れ、礼なんか言いませんわ」という声が聞こえる。その言葉に普段の彼女に戻ったのだなと判断したミラノは再び暖炉前で椅子に腰掛ける。
そして彼女は目蓋を閉ざして過去の光景を思い出した。傷だらけになりながらも、真剣で自分を助けに来てくれた兄と言う存在を。その彼が敵を討ち払い、ミラノを落ち着かせるために手を伸ばして目の前で倒れた事。そして涙ぐんで何も出来ずに居た自分に歌を聞かせ、落ち着かせてくれたことも。
彼女は彼女なりにあの日を繰り返さないように、無力な自分と決別するように努力してきたのだが――それも、実際に直面してみたらなんら変わらぬ自分だった事に気がつき、許せなかったのだ。
『痛いのは誰だって嫌だよ。僕だって、出来るなら誰も傷つけたくない。
けど、それじゃ駄目なんだ。無力でいて良い訳にはならないから』
『痛いのは俺だって嫌だよ。俺だって、戦わずに済むのならそのほうが良い。
けど、それじゃ駄目なんだ。戦わないでいて良い訳にはならない』
二人の言葉が頭の中でくり返された。それを聞き届けてからミラノはそっとため息を吐く。彼女には嫌な予感がした、変な確信があった。あるいは、過去との重ね合わせとでも言うべきか。
クラインがそうしたように、ヤクモもまた同じように――前のように、いざと言うときが来たら同じことをするのだろう。一人で、誰かの為に、命を投げ出し、ボロボロになって――死んでしまうのだろうと。あるいは、そうなることを恐れているだけなのかもしれないが。
カティアに言った言葉の多くは、自分に向けて言った物なのかもしれないが、彼女はその事に気づく事は無く昼まで部屋の中、幾らか憂鬱になりながらすごすのであった。
――☆――
カティアと別れ、自主的な訓練に一人で励みだしたヤクモはアルバートとグリムに遭遇した。それぞれ軽装で、戦闘訓練用の服装をしながら走っている。グリムは幾らか汗を流しながらもまだ幾分余裕がありそうなのだが、走らされているアルバートはと言えばカティアと比べるのも可愛そうなほどに疲弊していた。膝がすでに笑っている、それどころか腿が上がらないままに一歩ずつ走っているような有様だ。
「はぁ、ひぃ……ぐ、グリム――」
「――駄目。ちゃんと、走る」
「Whoops……《うわぁ……》」
その光景を見て、何故一緒に走ろうとか思えるだろうか。ヤクモはさっさとペースを上げて引き離すことにし、ヤクモのペースを見たアルバートは心が折れてその場ですっ転ぶ。理由は違うにしろ、アルバートもまたグリムの追い込みによってカティアと同じように午後のティータイムに入るまでベッドの上で唸る羽目になったのであった。
それとは別に、ただ逃げるためだけに速度を上げてぶっちぎったヤクモが「風のように走る」と言う、変な評価をされたのは知る由もない。




