180話
~ ??? ~
追い詰められると、いつも逃げたくなる。
立ち向かうことを拒否して、楽な道を選びたくなる。
『香山、普通科の仕事は駆け足、行軍、突撃だぞ』
久しぶりに自衛隊に居たころの夢を見た。
ミラノの下に居た頃ですら殆ど見なかった、自衛隊の頃の夢を。
『レンジャーになれば、もっと難しく辛い任務を任される事もあるし、そうじゃなくともヘリボーン部隊に編成されればお前も敵の傍に降りることになる。その時、今までとは違う辛さを味わうことになる』
なんだっけ、なんていったんだっけ?
班長、教えてくださいよ……。
『……香山。お前は海外育ちだからかもしれないけど、普通科に合ってる隊員だよ。疑問を余り抱かない、最善を尽くそうと階級の枠で頑張ろうとする、研究も訓練も自学研鑽もやってると思うよ』
……そんなことねっす、班長。
俺……なにも、とりえが無いと思ったから。
格闘が一番出来るわけでも、駆け足が一番早いわけでも、射撃の精度が一番な訳でも、反応からの射撃速度が速いわけでも、持久力がある訳でも……無いですから。
『んで、沢山失敗したけど、その分お前は後輩や下級隊員にとって良い先輩になれてる。指導ってのはな、一方的に頭ごなしにやりゃいい訳じゃねんだよ』
『部隊にゃ嫌われてでもやらにゃならん事もあるが、今はお前のような奴が居なきゃ駄目なのかもな』
『何でもかんでも押し付けて、押さえつけて、やらせるだけじゃ──』
「はん……」
声を出して、それが夢だったのだと自覚する。
大きく汗をかいた、のどがひどく渇いている。
汗をぬぐってから、顔へと触れる。
すぐに傍に置かれている仮面へと手を伸ばし、素顔が晒されないようにした。
他人には半ばほど焼け爛れた顔に見えている筈だが、それでも仮面をしている方が今は落ち着くのだ。
「寝すぎただろうか」
腕時計も外してしまい、正確な時間は分からない。
すぐにシステム画面を開いて時間を確認すると、深夜二時のようだった。
この時間ではマーガレットも寝ているので、仮衛生場のこの場はひどく静まり返っている。
ただ、耳を澄ませば歯軋りや寝ながらの放屁、わずかに残された病弱ゆえに完治出来ない子供が泣く声を聞いてしまう。
……天幕を設営したりして、子供と老人、若者などは別にしたほうが良いのだろうか?
その判断すら手探りで、怖い所がある。
テレジアが反対してくれたとは言え、悪意や害意を向けるに値する国民や人種ではない相手を巻き添えにした。
薄めたり獣人の生命力評価を踏まえた希釈だったが、それでも重篤患者は発生してしまっている。
現段階での死者は0……の、ハズだが。
それでも、腹は括るべきだ。
自衛官としてのヤクモではない、元自衛官のダイチであると認識しなければいけない。
欺瞞でも、偽善でも、それを正当化しなければならない。
「……おかしいな、全員寝てるのか?」
最低限一名は不寝番、泊り込みで急患発生時の対応に二名配置しているはずだ。
だが、その不寝番ですら所定の位置に居ない。
警戒するべき場面だったが、すぐにその警戒すら解ける。
足の裏の感覚が無いのだ、つまり──これすら、夢なのだと。
水を飲みに向かったのは、近場の井戸だった。
そこには浄水器を配置し、濾過して飲み水の除染が行われている。
海水から泥水まで飲み水に出来る代物だが、基本一般として民間人に与える場合は健康に配慮して海水や泥水を濾過して渡さない。
……そういうことを学んだのは、いまだに頭にこびりついている。
こびり付いていると言えば、最近何度か見た未来の光景が……焼け付いている。
ヘルマン国を離脱した場合の未来、トウカを引き連れてエカシさんのところから逃げ出した未来、トウカを見捨てた未来、完全に関与して人間の影を色濃く落としてしまった未来──。
ヘルマン国が魔物側に寝返り、ツアル皇国が滅んで人類がしっちゃかめっちゃかになる未来。
エカシさんがあらぬ嫌疑で処刑され、ヘルマン国の援助が得られなくなったが故にツアル皇国が突破され人類が蹂躙される未来。
ヘルマン国が人間にとって都合の良い国家に成り果て、自然消滅する未来。
そのどれもが、最終的には『こんなはずじゃなかった』という後悔で締めくくられる。
ツアル皇国で横から殴りつけられて、奇襲に対応できずに気がつけば仲間をすべて失った未来。
ヴィスコンティでツアル皇国救援部隊に入るも、負け続けて殺される未来。
獣人族が対等の立場すら失い、ユニオン共和国やヴィスコンティで奴隷として生きるしかなくなりツアル皇国では誇りを握り締めて玉砕していく未来。
そのどれも回避するには、こうやって自分を削りながらも裏方に徹するしかないとは分かっている。
「──なんで」
考え事をしながら、濾過した水を飲もうとした。
けれども、そこにはあの女が居る。
ミラノではない、今回は……グリムだった。
以前も、先生フランツ帝国で精神的に参った時にこういった夢は見た。
あの時はミラノで、ミラノが出てきてくれたからこそ約束を一層大事にしようと……。
そう誓えたはずなんだ。
「グリム──」
「──……、」
「また、こんな夢を見るのか。自分は……俺は、どこまでも弱い人間……”ヒト”だな──」
ミラノは凄いといってくれた、アリアも褒めてはくれた。
アルバートは悔しいといってくれた、グリムは尊敬してくれた。
魔物の群れを突破しても、マリーを英雄殺しから救っても、ヘラを解放しても──。
それでも”根っこ”はまったく変わらずに居る。
仮面をはずして、顔を一度だけ洗う。
……ベタリと張り付いた脂汗と、砂利っぽさが手のひらごしに感ぜられる。
たぶん、そうあるべきだと認識しているのかもしれない。
「ヤクモ?」
「──なにしてんだよグリム。そこは上る所じゃないぞ。ほら、危ないから降りて来い」
「ん」
グリムは、浄水車の上に座っていた。
そこで何をしていたのかは分からないけれども、久々に覗いた月と星空で彼女が映えた。
飛び降りた彼女を受け止めて、その感触を少しだけ楽しむと直ぐに下ろす。
腕の中に、かつて自分が守りたかった日常が広がった。
あの頃からどれくらい経っただろう?
一月……いや、もう二月か。
顔は──今でも、うろ覚えだ。
「ヤクモ、なにしてるの」
「まあ、ちょっとした戦争のお手伝いかな。トウカが……前王の姫さんなんだと。それがバレて──あぁ、違うな。事の始まりは俺が今の王に目をつけられて、闘技場で皆の安全を確保する取引のために戦ってたら殺されそうになったってところから始まるのかな」
「──また酷い事になってる」
「こっちに来てからそんなものだよ。アルバートに目をつけられて……って、あれは今考えりゃ、アルバートと仲良くなれたから良いのか。とにかく、魔物の群れの中で腕は切られるし、足は食いちぎられるし、片目にナイフ突っ込まれるしで最悪だった……。マリーを助ける時だって、腹に異物を感じながら血が足りないから体調もクソ・オブ・クソだったし。クラインの真似事をする為に勉強をしたのは──ミラノやアリアと色々学生らしいことが出来たからいいか」
「……楽しかった?」
「楽しくなかったら、どんなクソみたいな事になろうと……守りたいと、思わなかったよ」
自衛隊時代、散々ぱら言われたもんだ。
『怒られなくなった時、人間しまいだ』と。
そういう意味では、ミラノに怒られてるのは……ちゃんと、主人らしくしようとしてくれてるのだなと。
自分のことを、ちゃんと見てくれてるのだなと思って──嬉しかったんだ。
アルバートだって、真摯に訓練に付き合ってくれた。
アリアも、ミラノの妹として彼女なりに気づいたり違う立場だからこそ言えることを言ってくれた。
グリムは良い具合にマイペースで、目の前しか見えないようなアルバートやミラノの指摘をしてくれる。
マーガレットは優しくて、地位も身分も低い自分なんかのためにお茶を出したり、尽くしたりしてくれる。
トウカは食堂でしか殆ど会えなかったけれども、地位や身分の高い連中の中で磨耗したメンタルをオヤっさんと一緒に癒してくれた。
「今見てるのもどうせ夢なんだ。前もそうだったし、今回もそうなんだ。次は誰が出てくるかな? アルバートか、アリアか……。またミラノが出てくるかな?」
「……疲れた?」
「疲れない日なんて、一日も無いよ。それでも、やらなきゃいけない。学園での守りたかった日々は、相手に拒絶されて……手から零れ落ちた。なら、今の日常を守らないといけないだろ?」
「──頑張るね」
「……後悔だらけの、不満足な人生を塗り替えたいのならあがくしかない……だろ? まあ、素直に死なせてはくれないんだろうけどさ」
「──死なせて、くれない?」
「まあ、色々あるんだよ。俺が満足して逝けないのなら何度でも蘇らせて来る、カミサマって奴がさ」
死ぬまでは、ぼんやりと死んだように生きていた。
けれども、死ぬ直前になってから……心臓の痛みや苦しみから、命が果てるのを感じながら走馬灯を見ていた。
後悔しか、なかった。
両親に認められたいとしながら、途中から頑張ることをやめてしまった。
空虚なままに生き、自堕落に堕ちていったまま空っぽな人生のままに死んだ。
何の為に生まれて? 何をして喜ぶ?
分からないまま終わる、そんなのは嫌だ──。
あぁ、そうだとも。
生まれたことに意味を見出せずに、ただ吐き捨てられた唾が乾燥して消えるかのように終わりたくない。
なら短くてもいい……。
一瞬……だけど、閃光のように。
初めて読んだ漫画の、今でも覚えているセリフだ。
「死なせてくれないのなら、命を燃やしてでも閃光のように素早く、眩しく、輝いてやるさ。それで結果を掴み取ってぶっ倒れても、100万回やられてもあきらめない。ミラノを救った、それで俺は満足する結果を得た。マリーを見捨てずに居られた、それで満足する結果を得た。ユニオン共和国をとめて……他国が今まで無視し続けてきた問題を突きつけられた、それで半分は……満足の良く結果が得られた」
「──けど、学園から出て行った」
「俺は……ミラノと約束したんだ。俺を召喚したから、後悔と未練タラタラな俺が居場所を見つけられるまで居てもいいって。その為に自分に出来る事をするって……言ってくれたんだ。だから頑張れたんだ。俺がどんな馬鹿をやっても、どんなに狂っていても必ず連れ戻してくれる」
「──ミラノを、日常の”指針”にしてた?」
「俺にはどうやら、戦い以外は今のところ他人に誇れる価値は無いらしいから。戦いなんて”非日常”から戻るには、日常が必要なんだよ。けど……彼女にとって、そんなものはどうでも良い事だったらしい」
「……騙され、た?」
「約束のこと、まるっきり覚えてなかったんだ。それに、目の前で死んで生き返ったら……否定された。覚悟を持って頑張ってる人の目の前で、死んでも生き返るからって軽い気持ちでなんでもやってるって思われたんだろうな。それに、公爵にも都合良く使われてたし……居られなかったんだよ」
「──確か。ヘルマン国を、武装解除しよ~としてたんだっけ」
「まあ、体の良い植民地化だよな。んで、自分らには無い武器だの技術だのを掠めるつもりだった。殆ど戦ってた俺が寝てる隙に、勝手に自国の為にそうしようとしてた。たしかに詰めてる兵士だの衛兵だのはヴィスコンティから派遣されてる連中が多いってのも聞いた。けどさ、けどな……日常から『お前の帰る場所は無い』と言われ、信じられると思った相手に『お前は都合の良い駒だ』といわれてまで残り続けるだなんて選択、出来るわけが無い」
現実でも、軍人や自衛官の”家庭問題”とやらは付きまとう。
命令が下りれば、いかなる状況であれ召集され命令や任務に当たる。
それが楽しいデートの最中でも、家族で遊園地に行っていても、家で奥さんが旦那の為に料理を作っていても、子供に久しぶりに会えた直後であっても。
一般人の奥さんと、骨身に染みるまで軍人として叩き込まれた旦那。
関係が冷え込み、破綻する話は少なくない。
そういう意味では、ある意味自分も同じなのだ。
帰るはずだった家にいきなり鍵をかけられ、帰ってくるなといわれたのだから。
そして家を叩き出された直後、自分を利用して望まないことをしている相手の親が居たと思えば──心に亀裂くらい入る。
── 自衛隊は帰れ! ──
── 災害を利用して利権拡大するな! ──
昔、投げつけられた石でついた傷が僅かに疼く。
その場所は……ふとした瞬間に、いくらでも痛みを思い出させてくるのだ。
たとえ崇高な使命や誰かの為になるという善行であっても、それを嫌う連中からは攻撃されるのだ。
自国の為に訓練しても嫌がられる、最悪の結末の為に戦いに備えれば批難される、災害派遣やミサイルのために防衛配備されると口撃される、存在自体が嫌がられるのだ。
良かれと思ってやったことが批難される、あの時のことを……思い出して仕方がない。
「分かってる。昔の出来事をまだ引きずってるから、ミラノの場所から逃げることを選ばせた。引きずってなければ……たとえ同じ展開でも、関係修復に勤しむとか──そういうお話もあったはずなんだよ」
「──ヤクモ。また、戻りたい?」
「戻りてえよ……。少なくとも、戦争なんてしてなかった。アルバートとバカやって、ミラノに怒られて、アリアに苦笑されながらも宥められて、グリムが便乗したりする日常が──戻りたくない訳がないだろ。けど──」
ドクンと、胸を高鳴らせる鼓動を感じた。
それでも、今は打ち込まれた楔がある。
「けど……今は、今を守る為に頑張るよ」
「ヤクモじゃなくなっても?」
「それでもいい」
「辛くて苦しくても?」
「見過ごしたら、後悔しながら生きるしかないから」
「あっちのほ~が、楽なのに?」
「それでも、俺は……見捨てたくないからさ」
何度か呼吸を繰り返し、仮面をつける。
それから咳払いをして、目蓋を閉ざした。
「もとより、覚悟の上だ。ただの気の迷いでしかない。気持ちに整理をつけて、目蓋を開ければ──弱い自分は居なくなる」
その通りに、ゆっくりと目蓋を開けばグリムなんてどこにも居ない。
当たり前だ、ミラノの時だってそうだったのだから。
もう一度目蓋を閉じて、数度深く呼吸を繰り返した。
そうすると、自分を揺さぶる何かに気がつく。
「そら様、お早うございます」
「……リディアか」
「今日は、ゆっくりと休まれたみたいですね。起こされるまで起きないなんて、珍しいです」
くすりと彼女は笑い、ゆっくりと寝床から起き上がる。
やっぱり、夢だったのだ。
夜中に起きたという夢、グリムという心地よかった過去に縋る己の心の象徴に会った夢。
それでも、悪夢に比べれば制御が利く分易しい夢だ。
仮面が置いてある場所に手を伸ばしたが、いつもの場所にソレがない。
「……仮面はどこに」
「ソラ様、いつもそちらに置かれてませんでしたか?」
「──あぁ、いや。机から落ちていたようだ。寝相でも悪かったのだろう」
見れば、普段から仮面を置いている机の下に仮面が落ちている。
ソレを拾い上げてから、顔を軽くぬぐう。
仮面をつけると白磁のような滑らかさとヒヤリと冷えた感触が顔に広がる。
「それでは、今日も一日戦い抜こう」
「はい」
「いつものように患者の体調確認と、経過の確認を行うが……。まずは朝食か。今のところ夜間含めて体調不良者は出てはいないだろうか?」
「こちらに入って数日の方はゆっくり眠れているそうです。ただ、入って間もない方や回復が遅い方は夜間に目が覚めたりすると」
「……やはり手間になるが、体力をつけさせながら薬で病気に当たるしかないか。申し訳ないが、リディアには負担になると思う。いけるだろうか?」
「お手伝いしてくださっている方々が居れば、幾らでも」
「なら行こう。時間は幾らあっても足りない。……そろそろ、あちら側も行動を起こすだろうからな」
「それはどういう?」
……偽善とマッチポンプではあるが、この行動には意味がある。
それでもだ、時期と相手を考えれば相手も放置してはいられないだろう。
マーガレットには言ってはいないが、そのうち”ゾルザルの関係者であろうと怪しい”ということでガサ入れや捕縛が始まるだろう。
それまでに”信用と信頼、好感度稼ぎ”が足りてなければ俺の負け。
──ただ、ここで悪足掻きくらいはさせてもらうし、地獄に落ちるような”他者利用”をさせてもらう。
そのために、マーガレット傍においてるのだから。
患者に必要な”救い”は俺が与えている。
なら、”善意と愛情”を与えるマーガレットがいれば……集団心理への作用は事足りる。
「カケマ様、お身体の具合はどうですか?」
「あぁ、リディアちゃん。腰以外は良くなったのよ、ホントよ? それと、今日も美味しいご飯をありがとうねえ」
「いえ。組合から来て下さっている皆様や、最近ではお手伝いを申し出てくれてくれている方が居るからです。あとで腰を按摩して差し上げますね」
「ありがとうね……」
「リディアちゃん! オレはまだ出ちゃダメそうかい? 早く出て、女房に元気なところ見せて安心させてやりたいんだよ」
「カチリパさんは、後でソラ様がお話や様子を見ますから。念のために朝の分はお薬を飲んでおいて下さい。奥様を安心させたいのであれば、ちゃんと元気になった方が良いかなって思います」
「あ~、そうなんだろうが。腹ぁ痛めてゲボ吐いてっからなあ……。男らしくないって怒られっからなあ……」
「旦那様には、いつも元気で居てほしいという言葉を”男らしい”と仰ってるだけですよ。元気なお顔を見せれば──最初は怒られるかも知れませんが、ちゃんと『お帰りなさい』くらいはいって下さいますよ」
「ちげえねえ……」
マーガレットは今のところ良くやってくれている。
自分の思い描いた”役割”に、誠実に、かっちりとこなしてくれているのだから。
自分は”現状への救済者”としての役割でここに居る。
しかし、今回行おうとしているのはそれだけでは足りない。
だからこそマーガレットを補佐役としてつれてきている。
ワンちゃんには申し訳ないけどしばらくは野生化してもらっている。
最低限の監視はしながらも、ほぼほぼ放置という悲しい役割だ。
……ゾルがいうには、一定量の実力があるとワンちゃんの気配で土下座までしかねないからな。
それを回避するには遠ざけるしかないのだ。
「コホン。それでは、一人ずつ問診を行うけれども、現時点で体調や具合、気分が悪いものは遠慮なく申し出てほしい」
「大丈夫ですだよ、ソラ殿」
「ソラ氏に貰った薬や、リディアの姐さんの食事で元気一杯だぜ!」
「あ~、耳が最近遠くてな。今なんて?」
「せきがね、昨日より出ないよ」
──さて、ベッド数は広間で32人分。
重篤患者用に8人分。
総勢40人分の面倒を見なければならない。
仮面の内側で、話をしながらも脂汗が流れていく。
「オジちゃん、ど~して仮面してるの?」
「昔にね、酷い火傷をしてしまったんだ。だから、その醜い顔を見せたら嫌われてしまうからね。それに、皆は具合が悪くてここに居るのだから、余計に具合を悪くしても良くないだろう?」
「そ~なんだ」
「前に見た時、顔が半分くらい焼けてたっけな」
「まあ、隠しておいたほうが無難だで」
外見を魔法で変えているため、素顔を見せても問題はない。
両の目が赤くなろうが、髪の色が違かろうが関係ない。
今の自分は、髪を肩まで伸ばしながらも束ね、ツアル皇国の民らしい和服に身を包んだ白い仮面をつけた人間にしか見えなくなっている。
目の色も藍色にしか見えないし、声も別人になっているとマーガレットには確認してもらった。
同じようにマーガレットも別人にしか見えないが、性格や人格などはそのままである。
「いつかいいことあるよ」
「はは……」
「しかし、ソラ様のおかげでうちの家内も治りまして。息子も仕事に復帰できて。いやはや、なんとお礼を言ってよいか」
「感謝ならゾルザル様と、食事や面倒を甲斐甲斐しくも見てくれているリディア殿に頼みたい。ゾルザル様は、お父上の行いが国に災いを齎すのではないかと危惧されておいでだったようで。それでも、酒の席の戯言とは考えずに来て良かった……」
ということにしておく。
もちろん、ゾルが明言していない以上はすべて嘘にも真実にもなる。
ゾルザルがどういった仕事をしてきたか、テレサにすべて洗い出してもらった甲斐があった。
あいつは……少なくとも自国のために傭兵になったような側面もある。
守れなかった者を守りたかったという想いが、傭兵家業で自国民を困らせている魔物や出来事を解決するという方向へと進んだわけだ。
時折、父親の子飼いが悪さをした時にそれとなく逸らしたりしたこともあったようだが。
それでも、人望や好意として親しみを生んでいる。
むしろ、そうでなければ今回の作戦はうまくいかない。
これが変なボンボンや、ただの家出傭兵クンだったら土壌のない場に種を撒くが如しである。
まあ、それにだ……。
土壌さえあれば芽吹く可能性はある。
誰かが言い出せば、否定材料がない限りは連鎖して芽吹いていくわけだ。
それも、”市民”という媒介を連鎖して。
負の感情も都合良く出来ているのならば、正の感情だって都合良く出来ている事だってある。
たとえば……だ。
クソみたいな現王に失望し、あるいはつかれきった市民が救いを求めるとする。
それが外部か、内部かなんて関係はない。
むしろ、ある種”物語性”を求めるのだ。
なぜなら、”そのほうが楽しいから”である。
現王の息子が利口であり、王を追放して善政を敷く──。
ありふれたストーリーだ。
けれども、そうであったら”面白いのではないか?”という土壌自体は、ゾルが自ら耕してきた。
ただ、彼自身が種を撒かずに居ただけなので……自分がその種をを撒くだけである。
もちろん、その土壌を拡張して、種を改良してだが。
その為にはゾルを持ち上げることも”自分がこの物語の主役にならないこと”も重要だ。
でしゃばらない、今回は支援に徹する。
そうする事で、ゾルザルとトウカ達への支持率が向上していく。
「おぉい、ソラよい。ショーギの相手をしてくれんか? 昨日の手番のままのこしてあるぞい」
「はは、ご冗談を。2六金と7三桂馬だったはずですよね?」
「ぬぁ!?」
「カカ、ソラ殿の前では誤魔化しやズルは出来んぞ」
「サシが既にそれで失敗してるからな」
「そういうことです。なんなら、飛車角落としでもお相手しますよ」
「吠え面かくでないぞ!」
まあ、自分も自分なりに溶け込む事はできてるはず。
話し相手になって、暇だからと爺婆様たちの遊びや趣味の相手にもなる。
……獣人族が非生産種族ってのは嘘っぱちだな。
年老いてくると、どうやら”何かがしたい”という本能的欲求のみそのままに、身体の自由が奪われていく。
じゃあ何で代替するか?
知的遊戯である将棋にも手を出しているし、裁縫や編み物などもしているのを見た。
中には人間のようにお茶を淹れて楽しむ者まで居て、思い込みは危ないなと自省する事となった。
「ソラちゃん。あのね、ここから先が中々うまくいかなくてねえ……」
「ふむ……。形はそのままに、此方の網目に通してみてはいかがだろうか?」
「あら、いやだ。そこをすっかり見落としちゃって……。やっぱり歳ねえ。昔はもっと色々出来たのに」
「生きていれば成長もすれば老いもします故」
「シンタちゃんは昔闘技場で上位常連だったんじゃ。それが旦那娶ってからは大人しくなって、カカア天下かと思えば子が出来りゃすっかり母親になっちまってなあ」
「今じゃ昔みたいに剣を持って、盾を担いで~ってのは難しいねえ……」
……獣人族、人間と違って”若い頃”の話が大体戦いや狩猟だの、大暴れした話ばかりなんだよなあ。
今目の前に居る80代のお婆ちゃんも、言われなきゃ大人しく生きてきたんだろうなとしか思えない。
他にも、周囲の爺さん婆さんも似たり寄ったりだ。
若い頃巡察や警邏にちょっかいを出しまくっていた悪餓鬼。
ツアル皇国との国境近くで、人里離れた奥地にある村で魔物と戦いまくった猛者。
村の為に戦い続け神童と称えられ、闘技場に来て見たが勝てなくて引っ込みがつかないまま長年戦い続けた漢。
二代続く兵士稼業で、ツアル皇国への援軍を生き延びてきた定年退官者。
居るわ居るわ、化け物だらけだ。
こういう話を聞いてしまうと、肉体的な趨勢よりも老齢の技術と知識のほうが獣人はやばくなるようだ。
直線的で直情的な若者よりも、道具や戦い方を覚えた大人の方が厄介という分かりやすい話だ。
そういや、闘技場でも上位になると毒や暗器などを用いたり、道具を使ったり、フェイントを入れる手合いが多かったっけなあ……。
「チライ殿、トマリ殿、ノヤ殿、ピリカ殿は回復したと判断する。今日は御緩りと休まれて、明日の昼には退去出来るように準備だけしておいてほしい」
「ふあ、やっとかい。寝て飯食って不味い薬を飲むだけってのは退屈で仕方がなかったわい」
「孫の顔がようやく見られるねえ……」
「ショーギじゃイイトコ無しだったが、立ち会えば負けんわ!」
まあ、こうやって人の出入りは行われる。
回復したと思った人を翌日まで休ませて、ゆっくりと送り出す。
それから入れ替わりで患者が運び込まれ、問診などを経てマーガレットやプリドゥエンに聞いてから投薬を行う。
しかし、これでは患者の数が減るのはだいぶ遅くなってしまう。
そこで、組合との話し合いの結果軽感冒者に対しては特定地で薬や飲料水等の交付所を設けて、そこで受け取って自宅で療養してもらう。
少し危うい場合は巡回診察を行い、テレサとの話やマーガレットの判断を見ながら投薬と入院順位を変えたりもする。
「……リディア殿、重くはないか?」
「いえ、大丈夫です」
ワンちゃんが居れば物の運搬は任せられるのだが、居ないとなると薬草だの薬だの、そういったものは手運びになる。
風呂敷にして自分もいくらか背負ったりはしているものの、それでも道具を含めると自分のみでは背負いきれない。
ストレージを使いたいところだが、ここは印象のために自らの足で、自らの手で行わなければならない場面なのだ。
効率的で、格好良くて、ゾルの名の下で救済を行う──聞こえは良いだろう。
しかし、それでは”ヤクモ”だった時と同じ失敗をしかねない。
だから自分は英雄にはならない。
同じように歩き、同じように苦労し、同じような凡人なのだと思われなければならない。
足繁く歩き回り、通い、人々を見て回る。
その行為そのものを浸透させなければならず、楽をしてはならないのだ。
「では、交付所の任を命ぜられたものは定められた位置で、定められた手順でやってきた者へ薬や水を配布してほしい。誰にどの薬が必要なのかはそちらの資料に書いてあるので、指し示したとおりに渡してほしい。もし誤った薬を渡してしまった場合、交代人員に声をかけるなりして必ず回収した上で改めて正しい薬を渡すように」
「「「うす!!!」」」
「それと、自分たちは往診で不在にするが。もし自分らを訪ねて来た者が居た場合、用件を聞いたうえで改めて来て頂くか、可能であれば自分らの仮住まいをしている衛生所にまで赴いて欲しいと伝えて欲しい。もし緊急の要件である場合、出立前に示した道順で行動しているので探してもらいたい。リディア殿か自分が見つかるはずだ。途中から組合の支援も来る予定なので、それまでは頑張ってもらいたい。その代わりと言っては何だが、組合の者が来てからは交代で2刻は休めるように手はずを整えてある。無理はせぬよう、けれども休息時にハメを外し過ぎないように願う」
傍に患者を置いて徹底した管理と警戒を持って回復に当たらせる衛生所入り。
緊急度は低いものの、放置は出来ない為に薬と飲料水などを配る事で回復に当たらせる自宅療養。
そのどちらでもなく、患者本人や身内からの嘆願によって容態を見て場合によっては衛生所入りかを判断しつつも的確に判断する為の往診。
今のところはその三つでトリアージレベルと衛生所の許容量にあわせて行動している。
負担は……デカイ。
「済みませぬ。先日お声がけがあったという事で、此方に参ったソラと申します」
「あぁ、来てくれたんだね……。正直、期待はしてなかったのに」
赴いた家屋から出てきたのは、少しばかりやつれた女性だった。
少しばかり話をしてから、招かれて入っていく。
「ご子息の容態は?」
「吐いて、熱が出てて。起きてる時間の方が少ない位さ。もう水以外何も口にしてなくて……」
「──リディア殿、とりあえず診察をしてみるので、心当たりのありそうな病状や、利きそうな薬の準備だけ始めておいてくれぬだろうか」
「はい、分かりました」
「では、ご子息に触れたりしてみますが、ご容赦を」
「傍にいてもいいのなら」
「ええ」
母親に見られながらも、触診を行う。
その際には傍に携帯電話を置き、自分を経由させることでプリドゥエンにデータを送っている。
そのデータの中から病状や症状を推測させ、マーガレットとプリドゥエン二人の言い分から必要な薬を割り出す。
……念のためにと、システム画面も割り込ませている。
精度と的確性を高めなければならないのだ、人の命を預かっている以上は。
さすがに文系の自分には医学の知見などない。
出来たとして、せいぜいが前線での応急処置程度である。
だから、今まで言ってきたはずだ。
”自分は、誰かの教えが無ければ何も出来ない無能だ”と。
「……念入りに見るのね」
「人の命を預かる故、薬を処方するにしても現在の状況がどれくらい重いのかを判断する為にも、間違いの無いようにせねばなりませぬ」
「──人間だから、信じてなかったけど。それでも、何人も元気になって帰ってきてる。意地を張ったけど、私の意地はこの子には関係ないどころか、余計辛い目にあわせただけだった」
「……人間が、獣人族に、皆に何をしてきたか、強いてきたかはある程度は聞いております故、仕方の無い事と飲み込んでおります。それでも、子の為に決断して頂いた事を、自分は親として立派なことだと、感情を追いやってでも子を優先した事を個人としても素晴らしいことだと思います」
「ツアル皇国の人間は少し違うって聞いてたけど……。本当みたいね。魔物やケダモノ、家畜のように見てきた連中ばかりだったから──」
「然様ですか。──リディア、病状が判明した。薬の用意は出来ているだろうか?」
「病状と症状さえ伺えれば、直ぐにでも」
データがそろい、プリドゥエンとシステム画面経由の情報もそろった。
マーガレットと話し合って、病状を特定し薬も選定し終える。
ただ、意識が無いのが最悪だ。
このままでは薬を置いていくだけになってしまう。
「……申し訳ないが、気付けで起こすことになる。母君殿、許可をいただけないだろうか」
「起こす必要が、あるのかしら?」
「自分らがこうやって見回れる時間は限られております。ゆえに、的確に処置をしておかなければ、子供の体力では最悪の状態も考えられます故。……ここに文を認めて置いておきます。薬を飲ませ、汚染された水ではなく綺麗な飲料水を飲ませて悪化を防いで欲しい。薬を飲ませた後、何かあった場合はそちらの文を持って来て頂ければ、優先して会いましょう」
「はい、気付けです」
「では……」
マーガレットから貰った気付け薬を貰うと、喉奥へと押し込む。
空の胃袋でも拒絶反応から一度は吐くような素振りを見せるが、そのゆり戻しで薬を飲み込む。
あとは、唇周りに触れて脱水症状を起こしかけているのを確認すると、持ってきた水を口へと含ませた。
「母、さん?」
「レラ!?」
とりあえず起こすことは出来た。
しかし、焦点が余りあっていないように見える。
それを見てから、ゆっくりと抱き起こすと子供の前で指を立てる。
「おきて直ぐに申し訳ないが、今何本指を立てているか分かるかな?」
「に……ううん、さん──」
「……意識はしっかりしているようだ。……レラちゃん、だったか。今から君を苦しめている病気を倒す為に、薬を飲ませたいんだが。出来るかな?」
「おいしゃ、さん?」
「──ゾルザル様が遣わせてくれた者だよ。それで、どうかな?」
「らくに、なる?」
「ああ、なるとも」
そうでなければ、意味が無い。
「また、いろいろたべられる?」
「元気になったら、母君に色々と作ってもらいなさい」
じゃないと、困る。
「頑張れるかな?」
「……うん」
その言葉だけが、意味を持つ。
少しばかり考え込み、ストレージから以前テレサを追って日本に行った時に買ったものを取り出す。
ヨーグルトだ。
自分がインフルエンザだの何だのと病気をした時に、一番胃に優しかったのがコイツだった。
「おなかも空いていると聞いてね。特別、お薬が飲みやすいようにしてあげよう。だから、母君の為にも頑張ってくれ」
そう言ってから、マーガレットの持ってきた薬を飲ませる前に混ぜ込んだヨーグルトを少しばかり口に含ませて見る。
もちろん、母親は少しだけいぶかしんでいるが「乳製品ですよ」と説明しておく。
ヨーグルトをいくらか食べさせてから、薬を飲ませる。
ただし、今回は少しばかり緊急性が高い。
仕方が無いので地下シェルターから持ってきた医薬品を混ぜることにする。
併用薬というもので、言ってしまえば主目的の為に取り込んだ薬の即効性を高めるというものだ。
プリドゥエンやマスクウェルに何度も説明を受けたので、副作用などは無いことが理解できている。
ヨーグルトは、その味を少し誤魔化す為でもある。
時間をかけて、ゆっくりとゆっくりと必要な分の薬を飲ませる。
本来ならある程度進めているはずの巡察は、一軒目で滞ってしまった。
それでも、やらねばならない。
時間をかけてでも、ゆっくりと……。
「ありがとうね……」
疲れきった母親の顔、その腕には幾らか持ち直した子の姿がある。
時間をかけてまで、即効性を高めてまで行った投薬は大分効果を見せていた。
熱も下がり、発汗もしなくなった。
腹痛が収まるとともに吐き気もおさまって来たらしく、空腹を訴えているのまで聞いた。
「いえ、出来ることをしたまでです故。ただ、また何かあれば来て頂ければ対処させていただきます」
「……人間にも、あんたみたいなのが居るんだね。名前、もう一度だけ聞いてもいいかい?」
「”ソラ”と申します。此方が、手伝いを申し出てくれている”リディア”と」
「覚えておくよ。それと、家の近くでも何人か同じように家で苦しんでる連中が居るんだ。もし、良ければさ……」
「──人数と場所を、教えていただければ」
そう、こうやって……時間は無くなっていく。
組合が協力してくれていても、ゾルの名を出しても──。
全員が素直に申し出てくれるわけじゃない。
拒絶者、拒否者が潜在的に居るのだ。
人間だから、信じられないから、怖いから……関わりたくないから。
「今日も大分遅くなってしまいましたね」
「それでも、意味はあった」
「そうですね。また何人か、組合の方に顔を出してどうにかして欲しいと言ってくださったみたいですし。今日だって、直接お会いして何人かお相手できましたから」
マーガレットはそう言ってくれてはいるが、まったく、人手が、足りない。
仮面で表情を隠せていても、苛立ちや苦虫を噛み潰したような顔は出せるわけが無い。
分かってはいた、分かってはいたさ……。
やるんだったら、毒を撒いたほうが後腐れも面倒も無い。
最終的に自分が悪者になって追放されればおしまいになるのだから。
けれども、テレサに反対された時に気づいてしまったのだ。
自分は”まだ”それが出来る存在ではないと。
”それ”をやってしまったら、きっと……学園での日常と、本当にさようならしなくてはならなくなる。
日常と非日常を棲み分けすることが出来なくなる、非日常のみが……生きる場所になってしまう。
信用できる相手が居なくなる、大きく敵ばかりが増えて悪名が付きまとい気の休まる時間すら消えてしまう。
それは……まだ、あきらめたくない。
夢の中でグリムが、代弁することで再確認させてくれた。
自分は、まだ。
ミラノとの関係がどうなるかは別にしても、日常を諦められずに居ると。
あるいは、まったく別の日常が手に入るかもしれない。
その為には”大悪党”になってしまってはいけないのだ。
「……見られているだろうか」
「そのようですね。ただ、以前よりは良くなってるのではないでしょうか?」
「石や物を投げられないだけマシになったというのもな……」
初日はもっと酷かった。
石や糞の含まれた布袋なども飛んできた。
それに比べれば、まったく大丈夫。
……いや、大丈夫じゃないか。
昔のことを思い出してしまったから。
それでも、今回は自分が原因だから忘れることが出来た。
善行ではなく偽善だという自覚があるから、思い出すのは”被害者になろうとしている”からとやめたのだから。
「……ソラ様、気に病んでますか?」
「──悟られるようでは、まだまだだな」
「いえ、ソラ様は考え事をしている時余り喋らなくなりますから。たぶん”今の状況”に対して、深く考えていらっしゃるのかと」
「……リディア殿は、この状況に対して、自分に思う所があるのではないか?」
「あったとしても、それを責める事は出来ません。私には他に良い考えというものは浮かびませんし、ただそれで個人的な感情や想いだけでソラ様を責めたとしても、解決策が無ければただの意地悪になってしまいますから」
「……苦労をかけるな」
「私が望んでやっていることですから」
……言葉を選んでいるとは言え、話をしている内容は現状に対して──ではない。
体調を崩す程度とは言え、毒物を水源に流して都市一つを汚染した。
その事実に対しての言葉なのだと察することくらいは出来たし、その事で詫びる事しか出来ない。
「さあ、早く戻らないとテレジア様がお冠になられてしまいます。連日こうも遅くになってしまいますと、活動や行動の報告が食い違ってしまいますから」
「そうであったな」
そもそも、昼食も簡易食で済ませたくらいに忙しかった。
自分は幾らか慣れているのと鍛えている事から”診察時間が肉体の休息時間”になる。
けれども、それにマーガレットをつき合わせるのは違う。
──負担がでかいと言ったはずなんだが、マーガレットは断固としてついていくと言って聞かない。
── 今のヤクモ様、放って置いたら何でもかんでも思いつめてしまいそうですから ──
そう言われてしまっては、断れない。
断ってしまえば、余計に心配をかけてしまいかねないから。
それに──マーガレットを突き放してしまったら、本当に”あの頃”をすべて手放してしまう。
「……ようやく戻ってこられたな」
「そうですね」
一日が長い、長すぎる。
なのに、気がつけば時間は吹き飛ぶように無くなっている。
相対性理論も真っ青だし、人間というのはいつも矛盾している。
忙しくて長く感じるのに、一日が短いだなんて。
「あっ、おっそ~い!!! 」
「済まん。現地にて重症患者が数名新規に発見されてな。その治療をしていたら、つい……な」
「申し訳ありません、テレジア様」
「~~~ッ……。そんな清々しい顔をした子を怒れるわけないでしょー!」
衛生所にたどり着けば、先に撤収してきた交付所勤務の支援者や傭兵などが明日の為の準備中だ。
「自分らが最後か」
「最後か……だなんて殊勝な物言いしたって意味無いわよ。毎日最後に帰ってくるんだもの。──それで、今日の新規患者とカレらのくれた情報はまとまってる?」
「無論」
テレサには、最近増えつつある”潜在性患者”の情報を渡しておく。
素直に申し出て来た連中とは違い、此方は秘匿してきた連中の情報だ。
わざわざ藪をつついて蛇を出す必要は無いが、シレッとトリアージのふるいにはかけておかなければならない。
そうでないと、”本当に死者が出てしまう”のだから。
下痢、嘔吐、食欲不振、発熱、頭痛……。
短期的に見れば脱水症状、それから飢餓、最悪高熱による死亡だってありうる。
だからこれから薬のストックを増やす作業が待っている。
これはマーガレットと自分にしか出来ない作業だ。
「……組合のほうでも、少しは分担できればいいんだけど」
「それは無茶というもの。獣人族は計算や筆記、簿記に調合といった事柄に疎い所か精密作業に向かぬ。情報を取り扱う精密性が肝要たる物ですら今の有様なのだ。それはテレジア殿が良く理解しているだろう」
「そりゃあ、そうだけどさ……。こっちも手一杯よ」
「何とか事務や書類を分任出来そうな人物は居ないだろうか?」
「部分部分では出来るかもしれないけど、態々パズルのピースを作らせてそれをかき集めてつなぎ合わせてパズルを完成させるだなんて作業になりかねないわ」
「そうか……」
班員が居ても班長が存在しない状況で作業させても、徒労になる。
班員がどれだけ沢山居ても、それを一つにまとめて”成果”という形にする存在が居なければリスクも時間も多く懸かる。
組合とて人員が多く居るわけではないし、その中で自分らも素材や材料採取の以来を出してしまっている。
それで路銀を得ることで治安維持に貢献していると言えば聞こえは良いが、言ってしまえば活動している傭兵が多いことで組合の人員にも負担がかかっている状態だ。
「……解決策は無いものか」
「それを今から話し合うんでしょう?」
テレサも、大分疲れてきてるのだろう。
そもそも、自分を含めてマトモな奴など居ない。
疲れてきて、身だしなみも漫ろになり始め、隠せない疲労の色が滲み出している。
それでも、だ。
直接の戦いじゃないからこそ、お膳立てはし続けなければならない。
”戦とは、それまでの積み重ねである”とは言ったもので。
今自分がしていることは、まさにそれなのだから。




