176話
~ ☆ ~
「なあ、別人に見えるかな」
ヤクモは、到着予定の敵の拠点を前にして最終調整段階へと移行していた。
通信によって他部隊との連携を密とし、少しでも作戦の成功率と成功量を増やそうとしていた。
それは、外見や声を変える所にまで到っていた。
「キミ……」
「声や、目の色まで変えられるのですね」
「どうかな?」
「少なくとも、見た目や声からじゃヤ……ダイチ様だとは分かりません」
ヤクモは外見に関して魔法だけではなく物理的にも変える事にした。
のびてきた髪を後ろで纏め、顔に関しては仮面をつけることにしたのだ。
少なくとも、口周り以外は隠れてしまい表情は分からない白磁の仮面。
目の色も変わっており、純粋な茶色い目の色が奥に存在していた。
「なら、自分はこれで大丈夫か……」
「別人、みたいだね」
「そう見えなきゃ意味が無いからなあ。闘技場で大暴れした分、皆の印象には残ってるだろうし。匂いは泥だの何だので誤魔化せるけど、パッと見て結びついちゃ拙いんだよ」
「あ、そっか。キミ、なんだかんだいってゾルくんとやりあってたもんね」
「テレジアから見てもパッと見て同一人物に見えないよな?」
「うん。声も別人になってるし、目の色も違う上に仮面付けてるからキミだと思わないかも」
「なら大丈夫そうだな。あとは二人も街に接近したらマーガレットは幻惑で見た目を変えて、テレジアは待機してくれれば大丈夫さ」
ヤクモはそう言って、己のすべき事を何度も何度も、しつこいくらいに確認する。
「自分は奴らの根城に破壊工作をして逃げる。マーガレットは途中まで付き添いで、テレジアはワンちゃんと外で待機」
「ホントなら一緒についていきたい所だけど。私は素性が素性だしね」
「マーガレットも、門までで良いから。それ以降はテレジアと一緒に待ってもらえれば」
「……ダイチ様。無茶はしませんよね?」
「さあ、どうかな。自分がやらなかった分、トウカやゾル……。皆に負担として圧し掛かるから。こっちは数名、あっちは数百数千の人命。なら、やるしかないさ」
彼は、そう言いながら仮面と着こなしを見つめなおす。
最早、知る者が居なければ別人としか思えない様相に彼自身は納得がいっている。
”ヤクモ”としての自分を、切り離す事に決めたのだから。
自衛官としての決意だの崇高さや理念も”ヤクモ”に閉じ込めて、ここに居るのはただの元自衛官なオタクである”ダイチ”にするために。
ゲームから、アニメから、映画から、ラノベから、小説から、映画から……。
様々な所から、自分にとって気持ちの良い物を取り寄せて。
「──テレジア。悪いけど、ここからの一件は目を瞑ってもらう事になる」
「ホントーなら処分物だけど、作戦行動な上に独自の判断じゃないという事で辛うじて目を瞑ってあげる……」
「既に策は御覧じる段階さ。プリドゥエンとマスクウェルのくれた地形図と3D地図が役に立った。あとは……言ったとおりにテレジアには一度動いてくれれば」
「──キミ、地獄に落ちるよ」
テレサはそう言うと、先に街へと向かっていく。
ヤクモ自身は、自分の出番が来るまで待機してから向かう事になっている。
その後、テレサと入れ違うように街へと入って──事を起こす段取りだ。
ただ、小さな背中が遠ざかるに連れてより小さくなるのを見ながら、彼は小さく漏らす。
「『地獄に落ちるとはよく言われたものだが。辿り付くにはいささか早すぎたようだ』」
堕落しながらも、正しさを忘れる事ができない元警察官の言葉を彼は諳んじた。
蜂の巣にされながらも、酒と鎮痛剤で痛みを誤魔化しながら戦い続ける男。
妻を失い、娘を失い、親友を失い……。
失い続ける人生というものに、彼は共感を抱き、気に入っていた。
~ ☆ ~
「失礼、通して。失礼!」
カレの作戦に何で乗っちゃったかな……。
私ももしかして絆されてる?
これが終わったら一度ちゃんと関係を清算して整理しないといけない気がする。
「執行者様──」
ギルドに顔を出したけれども、そこは一種の地獄と化していた。
それもその筈、カレがそうなるように仕向けていたのだから。
── なあに、別に毒を流すわけじゃない。ただ”苦しんでもらうだけ”さ ──
水源の上流に到達した時、彼はそんな事を言っていた。
あの時……私はどう反応すれば良いのか分からなかった。
楽しそうに、或いは悪逆非道に笑みを浮かべてくれていたのならここまで気にならなかったのに。
だけれども、マーガレットちゃんにそう言ったように”当然の如く”彼は淡々と言うだけだった。
必要だからそうするとは言え、非戦闘員にまで巻き添えを受けさせるなんて……。
「状況は聞いてる。疫病らしいわね」
「はい……。数日前からポツポツと街中に体調不良の方が出てきたのですが、それが一気に蔓延してしまって」
「貴女は大丈夫なの?」
「正直、許されるのなら休みたいくらいには不調ですが……」
……疫病なんて嘘ッパチ。
上流から飲み水に流した物が、彼らの生活用水として汲まれて体内に取り込まれただけ。
つまり、彼は街そのものを攻撃したのだ。
それも目に見えないやり方で、現代なら非人道的と呼ばれる手段で。
「やはり、武の奉納を穢したバチがあたったんですよ……。戦いの場に外から妨害をして、戦いそのものをダメにしたから」
「あ~、うん。それに関しては人間族である私からは何も──」
「だって、おかしいじゃないですか。原因不明の出火で王宮は半焼、それから間をおかずに街が被害を受けてるんですよ?」
「……未だに原因不明なの?」
「最低限の警戒要員は残していたみたいですが、嗅覚や形跡、痕跡や足跡と言った段階で追えないらしくて……」
そりゃそうでしょうね。
ガソリンぶちまけて、大火災で臭いも痕跡も形跡も瓦礫に紛れてるんだから。
それに、獣人が魔法に強いからと言って建物までそうであるわけがない。
下水路から浸入して、厨房当たりで出火扱いになるように放火して逃げ帰っただけだし。
「執行者様。なにか……どうにかなりませんでしょうか?」
「私は組合の中から犯罪者になった人ややりすぎた人を取り締まるだけよ? ……薬とか、そういうのは?」
「──昨年までであればそういった在庫もありましたが、ツアル皇国以外の人間を締め出した影響もあって在庫が無いのです」
まあ、そこは自業自得になるのかしら。
人間憎しの感情だけで、薬学だの商品だのも締め出してしまえば困窮するのは目に見えている。
獣人族は生産職をあまり重視しないからこそ、余計に追い詰められる。
加工しない生の薬草くらいしか採取しない上に、対応できる事柄が狭すぎる。
マーちゃんのように薬草学や薬師としての知識が有るのなら自前で調合や煎じたり、粉末にしたり塗り薬にしたり薬膳にしたりと色々出来るけれども、彼らは出来ない。
「……その顔だと、他にも何か問題がありそうね」
「その……。一部で、不穏な噂が流れているのです。王が神聖な儀式を穢したからこうなったんだと。王に罪を償わせれば怒りも静まるのではないかと」
「それは流石に管轄外よ。組合で緊急任務として発令されてる? それとも組合員が大量に関わってるとでも?」
「い、いえ。ですが、今の状態が続けば王不在の中でもそれくらいの規模になりそうです。……なにせ、前王を弑逆したとか、その娘が生きていたとかで更に皆さんの心が揺れているんです」
さて、と。
ここで今までの期間でカレがやってきた事が形になってきたと。
檄文はただの種火でしかなくて、それで燃え上がるには”混乱を望まない”という不燃物が邪魔だったのだから。
それを”今の状態を改善したい”とか”不満の解消”という形で可燃物にしてしまう。
そうしたら、後は理由なんてそれっぽければ良い。
── ”大多数”が”満足できる”感じの”それっぽい理由”があれば、なんでもいいのさ ──
── 愛国、平和、フェミ、LGBT、貧富、自然、科学、医療…… ──
── 一定数の層が勝手に反応して、勝手に団結しあってくれる ──
── それも”被害者面”や”善意や正義面”を前面に押し出してな ──
カレは、そう言ってニマリと笑った。
その笑い方は、今までのような物じゃなくて、純粋に見ていたくないもの。
けれども、彼一人が長らく単独で時間をかけて作り上げた事に、国の首都が揺れ動いている。
それがとてつもなく恐ろしかった。
「分かりました。数日の間、治安維持と組合員が犯罪に走らないようにという意味で駐屯させてもらいます。テレジア・ブラボウルの名を張り出しておいて。それと、初犯はお尻叩き百回、二回目は石を抱かせて座らせる、三回目からは牢屋行きって。勿論、抵抗したらそれなりに武力行使することも」
「は、はい! 良かった、これで少しは落ち着くかも……」
そう、いうものなのかしら。
けれども、受付を任されていた子の懸念はその通り現実になる。
疫病という形で病が蔓延していると、活気が街から失われていく。
勿論、経済活動なんか停滞するし、回復するにしても人それぞれ。
無事だった組合員は薬になりそうなものをかき集める任務を受けているけれども、その何割かはそのまま病気に支配された街からは逃げ出した。
そして、病が回復しないで居ると重傷者も現れる。
それは年配者や子供に多く、私が処置しなければ危うい子まで居る始末。
最後に、不満と噂に流された連中が略奪等を始める。
半焼した王宮前に活気の無い顔で集まり、不満を述べだしもしていた。
これはどうでも良いけれども、私は……加担していた事そのものが間違いだったんじゃないかと思えてきた。
少なくとも、命の危機に晒されている子供達や年老いたおじいちゃんおばあちゃんたちはなんの関係も無いのに。
カレ、もしかしてこのまま──
「テレジア様、お疲れ様です」
「このバカな子達は一旦牢屋に入れておいて。それと、事情聴取と罪状の把握」
「あ、はい。それは良いのですが。ちょっと、妙な来訪者が問題になってまして……」
「妙な来訪者?」
「それが”自分はゾルザル王子の使いで、父のしでかした事に対処する為に遣わせた友人だ”と言っているみたいなんです。それと、馬車というには妙な乗り物と一緒で」
……ギリギリ、かしらね。
もしカレが”もっと致命的な事態になれ”と望んでいたのなら、もう協力してあげる事は出来なかった。
けれども、そうなる前に何とかやってきたわけだ。
少しばかり急ぎ足で、報告のあった場所へと向かっていく。
そこにはカレの乗ってきたトラックと、両手を軽く挙げながらもヘラリとした口許で軽佻浮薄さを見せているところが見えた。
── ☆ ──
とまあ、色々な仕込み自体は行いながらもやった事は単純で。
やった事は破壊工作、毒物による水質汚染、プロパガンダ……。
そして、締めに”マッチポンプ”である。
ロングにマーガレットから伝授を受けて自作した薬を大量に積んでいる。
勿論、食料や綺麗な水、さらには炊事車両まで接続して。
「さて、申し送れました。自分は”ソラ”と申します。ゾルザル様が今回の一件で私にどうにかして欲しいとのことで、非正式ではありますがこの病の対処と一時的な処置をするために参りました」
そう言いながら、ゾルから預かった書状とギルドの身分証の片割れを差し出す。
ドッグタグと同じように二枚で一組となっているので、こういった時に信用や信頼の証としても使えるとか。
それを組合の受付が確認してから「本物です」と言ったのを聞き入れる。
「ゾルザル様からの遣いだということは理解しました。ですが、支援とは何を示すのでしょう?」
「ツアル皇国では、今この街で蔓延する病は既知の病とされています。なので、少量ではありますが在庫を持ってきました。それとは別に綺麗な水や病に汚染された衣服などを除染する装置を」
「少量、ですか……」
「ええ、何せ急ぎでしたから。なので、私は重傷者を優先して診ると共に、組合には組合員を動員して必要な材料を集めてきてもらいたいのです。それと、病によって穢れた被服や寝所の物を除染する作業員を幾らか。これはゾルザル王子が後に支払うと言っていましたので、当面は組合と私で費用を折半する形で負担したいと思っています」
脳裏には様々な”詐欺師”を思い浮かべながら、それらしいことを並べ立てる。
勿論、ゾルは後払いの件なんて知らないので、完全に被害者である。
けれども、ここはゾルを善人のように立てなければならない場面なのだ。
理由は単純に、民心操作である。
破壊工作でも良いし、毒物で混乱に沈めるだけでも良かった。
けれども、破壊工作じゃよほどの立ち回りをしなければならないし、毒物でそれをする場合は死傷者が本当に発生しかねない。
それをした場合、テレサが完全に反発するのは目に見えていたのでそうしなかった。
となると、手段はゾルを利用した後方撹乱しかない。
「せ、洗浄?」
「それに関しては、言ってしまえば洗濯なのですが。獣人族の行っている”水洗い”だけでは病で汚れた衣類を除染しきれないのです。なので、薬を飲んで病から立ち直ったとしても、近いうちに周囲や当人が病に倒れてしまうのです」
「うぅ、難しい話です……。と、とにかく、貴方が居れば何とかなるという事でしょうか?」
「ええ、私自ら病人に薬を与え、組合員が持ち込んだ薬草を薬にし、病で汚染された衣類や身近なものの洗濯、それと……必要があれば食事支援までしますよ」
「テレジア様、今の話……」
「この国の王子であり、組合員の身分証を託された彼を疑う事はしないわ。それに、その言葉の真偽は薬で皆が回復するかどうかですぐに分かるもの。だから、最初は子供やおじいちゃん、おばあちゃんたちに薬を与えさせて、それで信用が出来そうなら実際に組合としても本腰を入れてその活動支援という形で関与すれば良いと思う。……それで良いでしょ? 組合長」
「ええ、執行者様の言うとおりに……」
とまあ、テレサの協力も得て何とか入り込むことは出来た。
ツアル皇国から来た、ゾルの友人という形である。
勿論、人間である事がマイナスに働きもしたが、それも最初だけだ。
一時的に接収した建物を診療所として、最初は子供達に薬を投与した。
これに関してはマーガレットの監修が入っており、クリエイトで製作できるレベルにまではしてある。
つまり、材料さえ来てしまえば裏で適度にクリエイトをして、時短をしながら在庫を作るのだ。
それと同時並行をして、当初借り受けたギルドメンバーを使って洗濯支援もしている。
此方は災害派遣で後方支援隊から散々世話になった。
ボイラーだの、洗濯セットだの、乾燥機だのも揃っている。
「預かった服の中に持ち物が残ってないかを確認してください。その確認が済んだ被服をどんどんこの装置に入れるように。目分量でおおよそ半分くらいになったら、そちらの箱に入っている粉末洗浄粉を入れて、この丸い所を押すだけです。暫くすると音と共に動作を停止しますので、その内容物を此方へ移して同じように押すと短時間で渇いた衣類が出てきます。持ち主には此方の網の入れ物を貸与してますので、混ざらないようにお願いします」
このようにして、被服の洗濯なども指示する。
勿論、発電機なんか初めてだろう。
その動作をさせたとき、彼らは恐れたり慄いたりしていた。
けれども、逐一説明をしながら理解させれば単純な作業員として機能はする。
これで洗濯と乾燥は完了だ。
「吐いたり、お腹を下したりして服を汚した場合、速やかに着替えてください。病が治らない原因にもなりますし、良い気分はしないでしょうから」
「もし食欲が無い場合、そういった方の為の食事を用意させていただきますので遠慮なく言ってください。それと、不衛生な食料や食材は病の原因になりますので速やかに破棄することをオススメします」
「手隙の方々は乗り物から綺麗な水を逐次降ろしてください。皆さんの家にある飲み水や、井戸も同じように汚染されている可能性がありますので。そちらの処置は皆様が元気になってからという事で」
エカシたちに、ゆっくりと時間をかけて進軍して欲しいといっていて良かった。
そうでなければ、一週間も時間をかけて信用や信頼の構築なんて出来やしない。
とはいえ、やってる事なんて『他人の家に放火して、家の住人を助けた上で新築を作る』ような暴挙なのだけれども。
「ソラのおじちゃん、ありがと~!」
「あいがと」
「薬はちゃんと朝と夕の食後に二回飲むようにするんだよ? お母さんも、心配ならまた綺麗な水を貰いに来て下さい。無料ですから、気兼ねなくどうぞ」
とまあ、運び込まれた子供はこれで全員回復した。
今は年配者ばかりで、体力の低下や回復能力の低下が懸念されたが、そこは獣人だから持ちこたえた部分が多い。
とは言え、老人の相手は何時の時代でも疲れるわけで。
「こら、小僧! 早く来て将棋の相手をせんか!」
「ソラさん、お茶はまだぁ?」
「しょ、少々お待ちください? と言うか、点滴! それ体内から抜け出た水分と養分を取り込むためって──」
「ふん……。こんなもん邪魔なだけじゃわい」
やめろよ!
隠れて携帯電話でプリドゥエンから指南してもらって、何とかできたものなんだぞ!?
携帯電話を胸元で握りながら、経由させてバイタルチェックとか二度とやんね~かんな!!!
「お茶は少し待ってください、将棋は……はい、これで一手! こらそこ、点滴抜いたら治るものも治らないでしょう!」
ゾルザルの人望を利用する形にはなるが、それでもこれもまた一種の攻撃に違いない。
やってる事は”敵地における工作活動”だし、潜在的な敵や中立を中立ないし味方に付けられればそれで良い。
穏当で誠実で、信用や信頼の出来る人物という印象を作っていければ発言力にもなるし。
「ありがたやありがたや……」
「感謝ならゾルザル王子にしてください。彼は遠くに居ながらも皆さんの事を想っていました。自分は友誼があったとは言え、彼の想いに心打たれたからそうしているだけですから」
こうやって、王から心を引っぺがしてゾルザルへと貼り付ける。
帰るべき場所の無い軍隊とは一番悲惨極まる事は、史実でも記されている。
国のために戦いながら、戻れば敗残兵だの何故国のために死ななかっただのと石を投げられた話だってある。
まあ、そういうことなら自分だって災害派遣の最中石を投げられたワケだが。
ともかく、これも存外うまくいっている。
普段から組合で仕事を請け負い、ツアル皇国まで出向いて一緒に戦ったりしているゾルのおかげだ。
比較するのも可愛そうなほどに、ついぞ最近まで淫蕩生活に耽っていた王の方は「あぁ、やっぱり」と言った様子だ。
失望されつつあった王と、期待を集めていた王子。
権威と権力を有しながらも堕落する王と、自ら戦い様々な事柄で道を切り開く王子と。
不満が生じた際にどちらへ寄り縋るかなんて、分かりやすいものだ。
医者が悪い、薬が悪い。だから変な宗教のような根拠の無いデマ薬学に縋る。
政府が悪い、国のトップが悪い。だからテロのように暴力的で”独裁的な”デモが罷り通る。
社会が悪い、皆が悪い。だから何をしても死ぬだけだという”無敵の人間”が出来上がる。
よくもまあこんな”面倒くさいの”を、宗教だの道徳だので抑えられたものだ。
けど、まあ。
今は俺がそれを利用させてもらう。
自分はもう、自衛官ではないのだ。
”ヤクモ”では……ないのだから。
~ ☆ ~
遠く離れた地でも、ヘルマン国の動静は聞けるようになっていた。
稼ぎ時だとしても己の実力から逃げ出した傭兵や、争いを恐れて獣人族の中に紛れていた少数の人間が。
情報源として他国へ渡り、事の始まりを知らせていた。
勿論、ツアル皇国は同盟者として、ヴィスコンティやユニオン共和国は国境を接する国として、神聖フランツ帝国はヘラの指示の下でそういった事柄を聞いていた。
当然、王より広い領地を任されているヴィスコンティの公爵家もそのうちに入る。
「……やはり真実であったか」
「ん。しらべてきた」
ロビンに現地侵入させ、それらの情報を事細かに得ていたデルブルグ公爵家。
当主である彼は、その情報の内容を聞いてから顔を覆った。
「これは、此方へ飛び火するだろうか」
「そのかの~せ~は、ない」
「……皆無と言えるのなら安心できるのだが」
「それは、むちゃなそうだん」
ロビンと話し合って、公爵は顰めっ面を隠せない。
ヘルマン国がどちらに転ぶか不明にせよ、内乱にも近いこの状況で自国に影響が出ないと思うほど楽観視は出来なかった。
戦とは消費と消耗である。
物資とは医薬品のみならず、人も食料も、武器も防具も、住家も消費する。
その結果、自国内で治安の低下を招くだけなら座して見るつもりだ。
だが、賊徒と化せば彼らに国境は無い。
あらゆる手段を持って『生き延びようとする』のだから。
「介入は出来ない。だが、戦の趨勢は見極めて備えねばならない」
「ん。それがい~」
「ロビン。そのまま偵察と情報収集を頼む。それと、道すがらマリー殿とヘラ殿を此方へと頼めないだろうか?」
「りょ~かい」
ロビンが姿を消してから、公爵は机の傍から酒を取り出す。
ヴァレリオ家から貰った上質なワインで、後味も悪くは無いが潔く酔える代物だ。
それをマリーやヘラが来るまで、何度も何度も呷り続けた。
「──公爵。私を呼びつけるなんて、随分えらくなったわね」
「……ヘラ、お声掛けにより推参しました」
暫くしてやってきた二人は、学園に居た頃とは態度も性格も”些か”変わってしまっていた。
好意を抱いているとは無自覚でありながらも、その片鱗を掴んでいたマリー。
その相手に直接のみならず、間接的にも拒絶されたマリーはヤクモと出会う前に戻ってしまっていた。
誰も信じず、身内しか頼らず、この世を恨むかのように攻撃的な態度に。
姉であるヘラは逆に、感情を閉じ込めてしまった。
己を救ってくれた相手に主人を変更されて置き去りにされ、その上同じように”否定”された。
本質である自分を誰も見てくれないという言葉をアイアス経由で聞いて、自分が罪深い事をしたと認識してしまったからだ。
其々に、過去の自分達が受け入れるには深すぎる傷に、再び塩を塗りたくられてしまった。
そのせいで変質してしまっていたのだ。
公爵としては、辺境伯から押し付けられたマリー一人でも居ないだけ精神的にマシだったのだが。
マーガレットが居なくなった事を理由に面倒な人物を公爵へと”献上”していたのだった。
「……ヘルマン国が内乱に入り、それに関わる事でお二方には頼みたいことがある」
「勝手に喋ってれば? 気がむけば聞くから」
「──如何様にも。私はそれに従います」
貴族至上主義の動きは、ここに来て活発化していた。
マルコの父親を筆頭とした貴族連中が組み、王の命にすら反抗しだしたからだ。
ヴィスコンティも同じくらいキナ臭い状況下にあり、これ以上国や王の権威を下げるワケにはいかない。
それゆえに、公爵は今まで以上に慎重になっていた。
……その背景には、焼くもの一件が絡んでいる。
ユニオン共和国に対して譲歩した形で納められた一件は、デルブルグ家を侮るような流れを生み出してしまったからだ。
ユニオン共和国という”蛮族の集い”に対し、一方的に利益を与える形で帰ってきたのだと嘲笑われたのが背景にある。
それだけでなく、最大の功労者である青年が騎士爵を返上する申し出と共に出奔してしまった事が大きく影を落としていた。
「……ヘラ殿にはツアル皇国へ行って貰って、ファム殿にお声掛けを願いたい。勿論、事態が逼迫するまでは文通などで構わない」
「承りました」
「マリー殿は、最悪の場合我らと共に従軍していただきたい。ヴァレリオ家がどう動くかは不明だが、アイアス殿やロビン殿と協力して瀬戸際防衛に努めたい」
「どうせ使い捨てるか、都合よく頼るだけの癖に」
第二の問題として、公爵の行った事が英霊たちとの関係に亀裂を入れてしまった事が大きい。
ヤクモの主張に理解を示し、どちらかといえばそちら側のであった英霊たち。
しかし、公爵がヤクモを利用したという一件が英霊に伝わると、一気に悪感情へと傾いた。
仮初めとは言え自分の主人である男が出奔する原因が公爵にあるヘラ。
対人関係で悩みながらも、自分を許容し受容した好感を持つ相手を追いやったと考えるマリー。
誠実に、忠実に、正しくあろうとした姿を踏みにじったと感じたタケル。
一番”人間らしくもがく姿”へと共感を示していたのに、それを台無しにされたアイアス。
仲間だと思えていた相手を利用された事に対して不信を隠せないファム。
ヴィスコンティ……、デルブルグ家の権威は失墜しかけていた。
それでも何とか体裁を保てているのは、仲介者としてロビンが間に入っていたからに過ぎない。
彼女がアイアスをなだめ、ヘラに酒を飲ませて幾らか心を楽にしてやり、マリーに”監視”という名目で公爵家に繋ぎとめた。
ロビンが居なければ国許に帰ったタケルやファムとは別口に、アイアスやヘラ、マリーですら居なくなっていただろうと公爵は考える。
逆に、何故記憶の無い一介の青年が英霊にまでここまで影響力を持っているのかを不思議に考える。
常識も知識も無ければ、礼節や文字まで覚える必要があった。
身寄りも無ければ身元も不明な男が、英霊たちにここまで爪痕を残している。
自分を軽視している男を、額面どおりに評価してしまった結果こうなったのだから。
「……呼びつけて申し訳なかった。話はそれだけなんだよ」
「ふん……」
「では、下がらせていただきますね」
二人が去ってから公爵は改めて酒を飲む。
飲んでも飲んでも足りないくらいの悩みと後悔が彼を支配している。
それは、英霊や国だけに留まらないものだった。
部屋を移して、ミラノとアリアだ。
二人は、ヤクモが去ってからというもののそれぞれに顕著な変化をしていた。
ミラノは睡眠や健康、入浴や食事を削ってまで魔法へとのめり込む様になった。
マリーは一層ミラノには近づかなくなったものの、カティアやヤクモが教えてくれた知識を元に独自に試行錯誤している最中にあった。
「違う。アイツは動作だけで総ての属性も魔法も行使できてた。時々弾けろとか吹き飛べとは言ってたけど、あれ自体はなんの詠唱でも簡略でもない筈。つまり、何をどうしたいかを総て思い描いて、それを動作一つで発動させるのが本質……。けど、それを真似するには”理解”が足りない。そうなると、私達は結局理解の範疇でしか真似事が出来なくて、詠唱から逃れられない……」
一週間で睡眠時間は3時間、既に徹夜三日目に突入しているミラノの部屋はメイドですら立ちいる事が出来なかった。
徹夜のし過ぎで鋭くなった感覚を刺激するからとカーテンを閉ざし、日の光を最後に見たのは大分前になる。
食事もながら作業で摂る有様で、入浴など週に三度入るかどうかにまで削減していた。
彼女がそんな状態に在りながらも辛うじて人間らしさを棄てずに済んだのは、ヤクモとのやり取りに関係していた。
── 煮詰まった時は、入浴や睡眠で一旦流れをきると良いんだ ──
── 食事はとらないと最大3割ほど能力が落ちるから食べておいた方が良い ──
── 俺の知識は教えられる事は教えるけど、基本自分たちの知識や常識でやった方が良いよ ──
それは、洞の奥深くのような虚で心に穴を空けた少女が、辛うじて自分で居られるためのものだった。
自分は誰かのクローンだから、望まれて産まれてきたわけじゃないから、居場所を作らなければいけないから。
人類としても、英霊の血筋からも逸脱して誕生してしまった自分が生きて良い理由を探していた。
だからこそミラノは、彼の言葉が刻み込まれている。
── 俺には、戦いしかないからさ ──
── ミラノがそれを認めてくれたんだ。なら、奮うに値するさ ──
それは一種の共感でもあった。
自分には何の生産性も無い、破壊や殺傷しか出来ないと自嘲していた男との。
互いに自分を嫌い、互いに自分を否定し、互いに自分の価値を捜し求めていた。
そして、互いにそれらを満たしてしまった。
故に、一種の呪縛のように二人を縛る。
ヤクモは名を変えても尚戦いの道から抜け出せないように。
ミラノは自分が自分である最大限の理由たる魔法から逃げられないように。
ミラノがそうやって魔法に傾倒する傍らで、アリアはボンヤリと魔法に触れている感じであった。
やっている事は同じだというのに、人間性を削っているか否かで二人が別たれている。
ミラノとは違い、最後に出会っている分別の意味でアリアを腑抜けさせていた。
── あ、これ? 使い魔契約の移譲が出来ないかの試験なんだ ──
── ヘラがある程度回復してきたら神聖フランツ帝国の納得がいく人物に委ねた方が良いだろうし ──
── とにかく、アリアにヘラの主人になってもらおうと思って ──
そう言ってヤクモから主従関係の権利を受け取ったアリア。
彼女は確かにヘラの主人となっており、ヤクモを召還した時のような繋がりを感じていた。
魔力回路も修復された今の彼女にはヘラを使役するに得る魔力を行使でき、何の問題も無い状態である。
それでも彼女は中途半端に魔法の勉強をしては、途中で投げ出す事を繰り返していた。
もし自分があの時気づけていたならばと、そんな事を空想してばかりいたのだから。
「今どうしてるんでしょうかね~……」
彼女は自分が今まで待ちの人間だったと理解して、変わろうとしていた。
自分の複製である”ミラノ”を利用している自分への罰として、苦しみは続くだろうと。
待っていればその内どうにかなると、諦めてばかりいた。
しかし、彼女は一つ気づいた事があった。
待っていても、それで得たものは何時までも手元には残ってはくれないという事であった。
白馬の王子様を待つかのごとく生きてきて、ヤクモがやって来た。
”ミラノ”の心を満たし始め、喪ったと思っていた兄を取り戻し、母親を立ち直らせ、父親に心休まる時を与えてくれた。
自分でさえも、長年苦しんできた病を治してもらった。
しかし、その男は留まってはくれなかった。
争いが発生するたびに、自分たちの傍から遠ざかっていくのだ。
しかも、その都度負傷を繰り返して。
目的の為であれば国を跨いででも事を成し遂げるその意気は、喪失感を匂わせるには十分だったのだ。
だから、彼女は少なくともミラノとは違う理由で魔法を学んでいる──筈だったのだ。
ミラノはヤクモが英雄ではない事を証明する為に、その隣に並べるほどの魔法使いになろうとして。
アリアはヤクモが戦いに望んでしまうことを受け入れ、せめて安らぎや休まる場を与えようと魔法を学んでいる。
攻撃と防御、殺傷と治癒。
二人の魔法使いとしての方向性は、ヤクモによって決まった。
だが、ヤクモ不在によってミラノが暴走したように、アリアは空虚さに包まれている最中であった。
「──戻りました」
「おかえりなさ~い。父さんはなんといってました~?」
「いえ、特別、何も。ヘルマン国の動静に関して、私への頼みごとです」
「あは~、また英霊頼みのような事でも言われましたかね?」
「そこまでは、別に」
自棄を感じさせる言動をするアリアに対し、ヘラはどこまでも感情を押し殺した返答をする。
その様相は、以前までの二人をそっくり入れ替えたかのようであった。
「……先ほどから、勉強が進んでいないようですが」
「なんかね~、やる気がしなくてですね~?」
「そう言って、どれくらい経ちましたでしょうか」
「そういう時もあると思うんですよ~。ああ、けど大丈夫。半分は、もう済ませてるので~」
そう言ってアリアは、机の上で山になっていた資料や本を手で書き分けて床へと落とす。
バサバサドサドサと机の上にあった魔法に関するものが、一挙に半分にまで減る。
それを見てヘラは少しだけ驚いた。
ついぞ先日まで全く手付かずだったものが、半日の内に半分も消化されているからだ。
本来であれば一月かけて半分終われば良い方だからである。
しかし、すぐにヘラは考えを改める。
ミラノとアリアは入れ替わる以上、成績まで同じように優れているからだ。
ただ、今までは体調不良から成績が低くなっていただけで、ただ魔法を理解し、習得するだけであればミラノと同等の頭の良さを発揮する。
「姉さんはね~、茨の道だから。私のは先達の遺した物が沢山ありますしね~。これくらいじゃないと、つりあわないですし~」
「たしかに。ミラノ様の方が大変でしょうが──もう、終わったんですね」
「防御系統の魔法はさ、小難しい事を言ってるけど魔力で障壁を張ってそれに属性や系統を付与して、其々に魔法を相殺したり、受け流したりするだけですね~。それを前面同じように、均等に均一に魔力を張るから現実的じゃない魔法と評価されるだけでして、それくらいなら必要な場所に魔力を集中させて不要な場所は薄くするという流動性を持った魔法にしたほうが利便性は高いですし~」
そう言っているアリアの中にも、ヒントとしてヤクモの言葉がこびりついている。
それは日常での事でしかない。
── 普段から張り詰めてると、必要な時に疲れちゃうからさ ──
── 必要が無い時は思いっきり緩めて、必要な時に一気に締める ──
── それがうまくやる為のコツなのかなあって ──
魔法への抵抗も、魔法防御も同じだろうと考えたアリアはその言葉を信じて同じように変更を加えていった。
その結果、広く魔法防御を張りながらも接触時に反応してそこへと魔力を重点的に流すという、彼女たちの従来の魔法とは違う形へと昇華させる事に成功していた。
ただ、彼女が言ったようにミラノとは違って既存の魔法を別解釈で変更していくだけの作業だ。
その上、神だの祝詞だのと言った”迷信”を切り捨てたので、より効率的に学習は進んだ。
結果”無駄だらけの中からダイヤの原石を拾う”という作業になり、素早く終わったのだ。
「治癒や回復は……いかがだったでしょうか」
「……そこでやる気が起きなくなったんですよ~。ま~、一応原因は理解できてるんですけどね~」
アリアの脳裏には、しょっちゅう負傷していたヤクモの姿がチラつく。
ミラノが共に在れるようにと言ったのに対して、彼女はどれだけ傷つこうとも癒してあげられるようにと……。
そうなりたかった、故に回復魔法に手付かずとなっている。
対象を喪ったが故に宙ぶらりんになる。
それを理解しているヘラは、何かを言う気にはなれなかった。
だから今日もまたアリアはボンヤリと一日を過ごす。
存在しない相手が、見知らぬ土地でどんな事をしているだろうかと考えながら。
そんな姉妹を見た兄は、自分の不甲斐無さを恥じた。
彼女らの4年間の勉学を全て部屋に引き込み。
彼女たちの傍らに居た男の背を追うように武芸へと打ち込み。
ミラノとはまた違う形で自分を追い込んでいた。
「クライン様、そろそろ……」
「いや、まだだ。あと、もうちょっと」
「それ以上は、お身体を壊してしまいます」
「──……、」
ザカリアスが何かを言っていても、クラインの耳には届かない。
この一月で、自分に出来る限りの事と、思いつく限りの事をし続けていた。
その結果、未熟だった身体が鍛え上げられている。
身体を壊しては回復させ、回復したら壊すという”自衛官スタイルの強化法”をクラインは知らず知らずの内に真似ていたのだ。
限界まで肉体を虐め、それを魔法で回復補助を行い……。
本来あるべき自然なやり方を、何倍にも短縮して肉体も魔法も磨きあげていた。
文字通り、命を削ってでも追いすがろうとして。
だが、クラインは一月目にして速くも心が折れかけていた。
目標も対象も無い訓練や稽古は、理想化された空想を追い求めるものに等しい。
具体的な数字も無く、具体的な能力も分からない。
ただ彼の中にあるのは『ヤクモのように』という一念でしかなかったのだから。
(ヤクモが居なくなった以上、僕が……僕が代わりにならないといけないのに!)
素振り一つ、腕立て一つ、走りこみ一本にしてもクラインは頭の中の人物に負け続けていた。
まだ大丈夫、どうせ大丈夫、なんとかなる……。
”優しいから”と、それに頼って胡坐をかいていたツケが全て借金のように圧し掛かってきた。
その借金は、日に日に利子を増して重く圧し掛かってくるのを彼は感じていた。
”英雄”という実績と話を前に、自分にどこまで出来るのだろうかと考え込んでしまったのだ。
その日も、ミラノは丸一日部屋から出ることは無かった。
その日も、アリアは呆然としたままに一日を終えてしまった。
その日も、クラインは頭の中にしか存在しない男の背中を追いかけていた。
その日も、マリーは他人を恨みながら、その恨みから魔法を更に精鋭化させていった。
その日も、ヘラは心を閉ざして誰かの言いなりになる事で考える事から逃れていた。
そして──。
その日も、カティアは勉学に勤しんでいた。
”システム”を経由してメッセージを送ろうが、通話をしようが全てが通じる事はない。
ただ、時たまパーティー編成しているが故に見えてしまう状態異常が彼女を苛む。
地下シェルターでの事柄も、普段は傍に居たが故に制御できていた悪夢に再び飲まれだした事も、精神的に鬱屈しだしている事も全て筒抜けだった。
けれども、彼女は何も出来ない。
傍に居ないから、”自責と後悔と自殺の念”に塗れた夢を塗り替える事もできない。
だからこそ、ヤクモの言葉がそのまま彼女に突き刺さり続ける。
── 出来ることをしないで、後悔するのだけは嫌だ ──
自分に出来ることは、主人の夢を塗り替える事だ。
出来なかった事を、失敗した事を、恐怖を夢の中で直視し続ける事から解放してあげる事だ。
今までの彼女であれば、パーティーに入っている以上はすぐさま飛んでいく事もできた。
自分に食事を与えてくれた、誰かのために傷つく事を厭わない、みなの前では頼もしさや優しさのみを見せ続ける愛しい主人の場所まで。
しかし、彼女はそれをしなかった。
悲しみと嘆きはあの日、置き去りにされた部屋に置いて来た。
今の彼女は”置き去りにされない程度の能力”を得る為に、色々な事をしている最中であった。
文字通り”色々”である。
「アークリア様、買出しを終わらせましたわ」
「お疲れ様です、カティア様」
「他に何か出来ることは御座いますかしら?」
「いえ、特には。けれども、ヤクモ様の……賓客の使い魔をこれ以上小間使いのように使うわけには参りません」
「では、またなにか”勉強が出来る機会”が御座いましたら、少しでも融通くださいませ」
今日の彼女は、一人で買い物が出来るようになるために屋敷を出た。
先日は裁縫の真似事をしていた。
その前はクラインやヤクモの真似をして剣を持ってみて、見かねたロビンにナイフの使い方を教えてもらった。
ヤゴに立ち回りや足使いを教わった。
マリーの部屋に潜り込んで、恨み辛みを聞きながらも彼女の使う魔法を少しでも多く吸収しようとした。
ヘラの捧げる祈りに付き添い、”想い”とは何かという事に触れた。
猫でしかなかった彼女は、すこしでも”人間”へと近づこうとする。
人間でなければ、人間である主人には近づけないとして。
「ヘラ様。今日もお話をお聞かせくださるかしら」
「──カティアちゃん。今日のやる事は?」
「”片付けても終わらない”」
「ですよね。さて、今日は何が良いでしょうか。何でも良いですよ? お祈りをする以外は……やる事、なぁんにもないですから」
自虐と諦観を見せるヘラに、カティアは少しだけ歯軋りをした。
しかし、自分ではどうにも出来ないと理解しているからこそ”思い上がり”を叩き潰す。
「人が人たらんとす、道徳や説法をいくらか」
「長くなりますが、それでも宜しいでしょうか?」
「ええ、全く以って問題は御座いませんわ」
そう言って、カティアは人間を理解しようと努めた。
能力を高めようとした。
技術や識能を得る為に励んだ。
その傍らで、自分の主人と同じように”辛い事”へと足を突っ込んでいく。
── 知識だけ有って、経験は無い状態か ──
睡眠不足、過労、空腹、頭痛、病。
出来うる体験を、出来る限り自分に突っ込んでいく。
── 検閲とかだと、眠らないで作戦行動とか当たり前だったしなあ ──
── 過負荷で疲れてるのに、休む事もできないまま次から次へと行動し続ける ──
── 勿論、状況が落ち着くまでは飯なんてありつけない。飯がきても警戒や任務を放棄できない ──
── 自衛隊で学べるのは何かって? ”最低、最悪の状態での自分との付き合い方”ってやつだよ ──
何もかもが足りなかった、だから置き去りにされたとカティアは解釈した。
ならば、多くを知り、多くを理解し、多く体験し制御できるようになれば良い。
そうすれば、傍に居られるようになると。
しかし、そんな”変化”を己が齎したとは、ヤクモは知りようが無かった。
自分の価値を認めなかったから、他人に自分が食い込んでいた事に気がつけない。
他人に深く食い込めば、それが喪われた時に大きな傷と痛みを齎すと”自衛隊時代”に”仲間”をもって理解したはずだったのに。
仲間ではないから、仲間以外との対人関係を構築してこなかった彼には──。
自分がどのような存在であったか、知る由もなかったのだ。




